1931年の政治

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1931年の政治(1931ねんのせいじ)では、1931年昭和6年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと[編集]

1月[編集]

突撃隊員を閲兵するヒトラーとレーム(1931年9月)

2月[編集]

  • 2月2日 - 衆議院予算総会で立憲政友会中島知久平の質問に対する幣原喜重郎外務大臣(首相臨時代理)の答弁が森恪政友会幹事長により問題化し、審議中止[3]
  • 2月4日 - 衆議院予算委員会流会。
  • 2月5日
    • 安藤正純犬養健原惣兵衛など政友会の委員が衆議院予算委員室を占拠、審議阻止。
    • 床次竹二郎、上野池之端の中華料理店に朝倉文夫橋本欣五郎中佐(参謀本部ロシア班長)を招待[4]
    • 谷中天王寺の朝倉邸で橋本欣五郎、朝倉に宇垣一成陸軍大臣を中心とする軍部内閣樹立、帝国議会停止、政党解散による国家改造を吐露。次いで渋谷松涛町の建川美次少将(参謀本部第二部長)宅を訪問[5]
  • 2月6日
    • 帝国議会内は、民政党、政友会が激突。議員、秘書、院外団が乱闘となり重軽傷者合わせて36名を出す[6]
    • 建川少将、参謀本部第二部長室に杉山元陸軍次官、小磯国昭陸軍省軍務局長、鈴木貞一中佐、二宮治重参謀次長、重藤千秋支那課長、根本博支那班長、橋本欣五郎ら陸軍省首脳を招集。橋本はクーデター計画を説明[7]
    • (午後5時)杉山陸軍次官、小磯軍務局長、二宮参謀次長、建川第二部長が陸相官邸に宇垣陸相を訪問[6]
    • (午後7時)築地金龍亭で橋本欣五郎と大川周明が会談[8]
  • 2月11日
    • 宇垣陸軍大臣と大川周明が会談[9]
    • (午後)品川御殿山の重藤千秋中将宅で橋本欣五郎らが集まりクーデター計画の具体案決定[9]
  • 2月12日
  • 2月13日 - 大川周明、門下の東亜経済調査局松延繁次に無産政党、労組動員を指示[10]
    • (日時不詳)清水行之助、徳川義親侯爵を訪問し、クーデター計画を打ち明け資金を相談[12][13][14]
  • 2月19日 - 幣原外務大臣(首相臨時代理)、貴族院に予算案を上程した際、浜口首相の3月上旬の登院を答弁。 
    • 2月下旬から3月始め - 濱口首相、激しい腹痛や下痢、便秘、食欲減退等症状悪化。
  • 2月28日 - 衆議院、婦人公民権法案を可決。

3月[編集]

  • 3月6日 - 大川周明、濱口首相の有力後継候補に浮上した宇垣陸軍大臣に書簡。
  • 3月7日 - 宇垣陸軍大臣豹変。小磯国昭軍務局長へクーデター中止を命令。
    • 小磯軍務局長、中島信一を通して大川周明にクーデター中止を連絡。
    • (日時不明)大川、河本大作元大佐に擬砲弾調達を相談。
  • 3月9日 - 濱口首相、宮中に参内。昭和天皇に幣原臨時首相代理の任を解くことを奏上。
  • 3月10日 - 濱口首相、衆議院に登院。
  • 3月11日 - 濱口首相、貴族院に登院。
  • 3月17日
    • 岡村寧次大佐、鈴木貞一中佐を経て、クーデター計画が真崎甚三郎中将(第一師団長)に伝わる。真崎、永田鉄山軍務課長に抗議。永田軍務課長、小磯軍務局長に報告。
    • 小磯軍務局長、河本大作元大佐に大川周明説得を依頼。河本は徳川義親侯爵に大川の説得を依頼。
    • 徳川義親侯、大川周明を説得しクーデターは中止。
  • 3月18日 - 濱口首相、衆議院本会議に登壇。
  • 3月20日 - 日本陸軍の青年将校による政治結社「桜会」によるクーデター計画が発覚(三月事件)。
  • 3月24日 - 貴族院、婦人公民権法案を否決。

4月[編集]

5月[編集]

6月[編集]

視察旅行前の中村震太郎大尉(左)と井杉延太郎退役曹長。

7月[編集]

8月[編集]

9月[編集]

10月[編集]

11月[編集]

12月[編集]

爆破される救世主ハリストス大聖堂
犬養内閣成立。左から荒木貞夫陸軍大臣、山本悌二郎農林大臣、三土忠造逓信大臣、鈴木喜三郎司法大臣、高橋是清大蔵大臣、犬養毅首相、床次竹二郎鉄道大臣、鳩山一郎文部大臣、中橋徳五郎内務大臣、大角岑生海軍大臣。犬養内閣は戦前最後の政党内閣となった。

脚注[編集]

  1. ^ 阿部(2001)、p.172
  2. ^ 桧山(1976)、p.159
  3. ^ 戸川(1982) p.188
  4. ^ 戸川(1982) p.190
  5. ^ 戸川(1982) p.194
  6. ^ a b 戸川(1982) p.197
  7. ^ 戸川(1982) p.195
  8. ^ 戸川(1982) p.199
  9. ^ a b 戸川(1982) p.207
  10. ^ a b 戸川(1982) p.208
  11. ^ 戸川(1982) p.209
  12. ^ 戸川(1982) p.211
  13. ^ 戦後清水行之助から返還された50万円は社会党創立の資金になった(岡田益吉『軍閥と重臣』)
  14. ^ 大塚健洋『大川周明』p153
  15. ^ 「洮遼鎮守使 張海鵬氏独立」『東京朝日新聞』昭和6年(1931年)10月3日夕刊。
  16. ^ DESTRUCTION (1931-1990)

参考文献[編集]

  • 桧山良昭『ナチス突撃隊』白金書房、1976年。ASIN B000J9F2ZA 
  • 戸川猪佐武『昭和の宰相 第1巻 犬養毅と青年将校』講談社、1982年(昭和57年)。ISBN 4-06-142771-7 
  • 阿部良男『ヒトラー全記録 1889-1945 20645日の軌跡』柏書房、2001年(平成13年)。ISBN 978-4760120581