1922年の政治

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1922年の政治(1922ねんのせいじ)では、1922年大正11年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと[編集]

1月[編集]

2月[編集]

3月[編集]

4月[編集]

レーニンとスターリン。1922年撮影。党書記長は党内の庶務を担当する地味な役職と認識されていたが、スターリンは、党の膨大な官僚機構を支配し実権を掌握していく。スターリンを書記長に任命したレーニンであるが、スターリンの態度や野心を批判し、スターリンを書記長の座から解任すべきであると提案するに至る。

5月[編集]

6月[編集]

立憲政友会の内紛により高橋内閣が総辞職し、海軍大将加藤友三郎が後継首相に就任する。加藤内閣は政党内閣から逆行するため、発足当初は批判的に見られたが、シベリアからの撤兵や軍縮の推進など短期間であったが重要な課題を遂行した政権であった。

7月[編集]

8月[編集]

  • 8月15日 - 陸軍省、第1次軍縮小異動を発表(将校2268人、准士官以下5万7296人、馬1万3000頭、経費3450万円を削減)。

9月[編集]

10月[編集]

ローマ進軍。ベニート・ムッソリーニを中心とするファシスト党の面々。10月28日撮影。ムッソリーニの周囲には「ファシスト四天王」と呼ばれた大幹部のうち、エミリオ・デ・ボーノイタロ・バルボチェーザレ・マリーア・デ・ヴェッキがいる。

11月[編集]

12月[編集]

脚注[編集]

  1. ^ マルクス=レーニン主義研究所 1973a p.300

参考文献[編集]