東京大学東洋文化研究所

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東京大学東洋文化研究所(とうきょうだいがくとうようぶんかけんきゅうじょ、英称:Institute for Advanced Studies on Asia, The University of Tokyo)は、東京大学の附置研究所。略称は東文研IOC(IOC は2009年までの英称 The Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo の略である)。

概要[編集]

東洋文化の総合的研究を目的として設置された研究所で、主に人文社会科学の研究者が所属し、アジア地域の文学歴史社会政治経済などの研究・教育を行っている。また、附属施設に東洋学研究情報センターを置き、アジア研究に関する情報の発信を行うなど、日本のアジア地域研究の研究・情報センターを目指している。

建物は東京大学本郷キャンパス内にあり、門前には旧東方文化学院(現 拓殖大学国際教育会館)前に置かれていた獅子像が移設されている。研究所庁舎内にある図書室はアジア地域およびそれと関係の深い北アフリカ地域の政治経済歴史文学芸術宗教など、様々な分野に関する資料を所蔵しており、日本国内屈指のアジア地域研究専門図書館の一つである。

沿革[編集]

昭和初期の国策による東洋研究推進の流れに乗り、1941年に当時の東京帝国大学に設置され、附属図書館内に研究室と事務室を置いた。研究部門の組織は当初は研究分野別に分かれており、設立当初は哲学・文学・史学部門、法律・政治部門、経済・商業部門の3部門であった。戦後、1948年に廃止された東方文化学院を吸収し1949年には部門の細分化が行われ、哲学・宗教部門、文学・言語部門、歴史部門、美術史・考古学部門、法律・政治部門、経済・商業部門の6部門となるとともに、大塚にあった旧東方文化学院建物に研究部門の一部が移転した。

1951年には再度部門の改正が行われ、地域別の部門構成を導入して汎アジア経済部門、汎アジア人文地理学部門、汎アジア文化人類学部門、東アジア政治・法律部門、東アジア歴史部門、東アジア美術史・考古学部門、東アジア哲学・宗教部門、東アジア文学部門の8部門に再編。以後、東アジア以外の地域の研究者の増加とともに南アジア東北アジア西アジア東南アジアなどの研究を扱う部門が増設され、1978年までに13部門に拡充された。また、1967年には本郷キャンパス構内(旧:懐徳館跡地)に地上8階地下1階の合同庁舎が完成したため、大塚の施設を廃止し、総合研究資料館(現:総合研究博物館)と同居する形で統合移転した。

1980年代に入るとアジア地域が世界情勢に占める重要性が増し、アジア地域研究に対する社会的な要請が大きくなったことから研究所の充実と拡大を目指して大規模な組織の再編成が行われ、1981年に13部門を地域別に再編して汎アジア部門、東アジア部門、南アジア部門、西アジア部門の4部門体制とした。また、この時期には組織の拡張と図書室の蔵書漸増に伴い施設の狭隘が問題となり、1983年に総合研究資料館と施設を交換分合、旧合同庁舎全館を研究所とした。

1999年には附属東洋学文献センター(1966年設置)を廃止、代わって東洋学研究情報センターを新設し、東洋学文献センターで実施されていた資料のドキュメンテーション研究を引き継ぐとともに、造形資料の研究やアジア研究資料のデータベース化などを行って、アジア全域にわたる文献・造形資料、および社会情報の蓄積と発信事業を進めている。

組織[編集]

組織[編集]

  • 汎アジア研究部門
  • 東アジア第一研究部門
  • 東アジア第二研究部門
  • 南アジア研究部門
  • 西アジア研究部門
  • 新世代アジア部門
  • 国際学術交流室
  • 情報・広報室

附属施設[編集]

  • 東洋学研究情報センター

外部リンク[編集]