放蕩息子たちの出発と帰還
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放蕩息子たちの出発と帰還 | |
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L'amore | |
監督 | ジャン=リュック・ゴダール |
脚本 | ジャン=リュック・ゴダール |
製作総指揮 | カルロ・リッツァーニ |
音楽 | ジョヴァンニ・フスコ |
撮影 |
アラン・ルヴァン アルマン・マルコ[1] |
編集 |
アニエス・ギュモ デルフィーヌ・デフォン[1] |
製作会社 |
カストロ・フィルム[1] アヌーシュカ・フィルム[1] |
配給 | アポロン (VHS発売のみ) |
公開 |
1969年5月29日 1969年6月25日(BIFF) 1970年6月3日 1990年5月21日VHS発売のみ |
上映時間 | 26分 |
製作国 | イタリア |
言語 |
イタリア語 フランス語 |
『放蕩息子たちの出発と帰還』(伊語:L'amore、仏語:L'Aller et retour des enfants prodigues / 伊語:Andate e ritorno dei figli prodighi)は、1967年(昭和42年)製作、1969年(昭和40年)公開、イタリアのオムニバス映画『愛と怒り』の一篇として、ジャン=リュック・ゴダールが監督した短篇映画である。
概要
[編集]- オムニバス全体については愛と怒りを参照。
オムニバス映画『愛と怒り』の原題は、「L'amore」(「愛」の意)として知られるが、イタリアでの公開時のタイトルが「Andate e ritorno dei figli prodighi」[1]で、邦題はこの直訳である。
1967年(昭和42年)、ミシェル・ロジエのルーフガーデンで撮影された[1]。本作の撮影は、『ベトナムから遠く離れて』(1967年)の一篇『カメラ・アイ』に引き続き、アラン・ルヴァンとアルマン・マルコである。
本作を織り込んだ『愛と怒り』は、当初『福音書'70』のタイトルで、1967年11月24日にイギリスのロンドンで開かれたロンドン映画祭で初上映され[1]、1969年7月5日[1]に第19回ベルリン国際映画祭で上映され、1968年5月の「五月革命」を超えて、『論争』(La Contestation)のタイトル[1]で1970年6月3日にフランスで公開された。
スタッフ
[編集]- 監督・脚本 : ジャン=リュック・ゴダール
- 撮影 : アラン・ルヴァン、アルマン・マルコ[1]
- 録音 : アントワーヌ・ボンファンティ[1]、ギイ・ヴィレット[1]
- 編集 : アニエス・ギュモ、デルフィーヌ・デフォン[1]
- スクリプター : エリザベート・ラプノー[1]
- 助監督 : シャルル・L・ビッチ、イザベル・ポンス[1]、ジャン=ピエール・ラッサム[1]
- テクニスコープ - コダックイーストマンカラー - 35ミリフィルム
キャスト
[編集]- クリスティーヌ・ゲオ (彼女)
- ニーノ・カステルヌオーヴォ (彼)
- カトリーヌ・ジュールダン (女性)
- パオロ・ポゼッシ (男性)
ストーリー
[編集]彼女(クリスティーヌ・ゲオ)と彼(ニーノ・カステルヌオーヴォ)のカップルが、ルーフガーデンでくつろいでいる。近くにはほかの若い恋人たちもいる。彼女はフランス語で話し、彼はイタリア語で話す。その後、若い恋人たちが、戦争、革命、搾取などについて、女の子はフランス語で語り、男の子はイタリア語で話す。