第19回ベルリン国際映画祭
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第19回ベルリン国際映画祭は1969年6月25日から7月6日まで開催された。
概要
[編集]1969年のベルリン国際映画祭では金熊賞に1968年に起きたプラハの春を題材にしたユーゴスラヴィア映画『Rani Radovi』が選ばれた。また俳優に対する賞などはなく、5本の作品に銀熊賞が授与された。
受賞
[編集]- 金熊賞
- 『最初の仕事』(ジェリミール・ジルニク)
- 銀熊賞
- 『怪奇な恋の物語』(エリオ・ペトリ)
- 『ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク』(ブライアン・デ・パルマ)
- 『私は象です、奥様』(ペーター・ツァデック)
- 『Made in Sweden』(ヨハン・ベルゲンストラール)
- 『Brasil año 2000』(ヴァウテル・リマ・ジュニオル)
上映作品
[編集]コンペティション部門
[編集]- 長編映画のみ記載。アルファベット順。邦題がついていない場合は原題の下に () 付きで英題。
| 題名 原題 |
監督 | 製作国 |
|---|---|---|
| 愛のふれあい A Touch of Love |
ワリス・フセイン | |
| 愛奴 | 羽仁進 | |
| 愛と怒り Amore e rabbia |
カルロ・リッツァーニ ベルナルド・ベルトルッチ ピエル・パオロ・パゾリーニ ジャン=リュック・ゴダール マルコ・ベロッキオ |
|
| Balladen om Carl-Henning (Ballad of Carl-Henning) |
リーネ・グロンリュッケ スヴェン・グロンリュッケ |
|
| Brasil año 2000 (Brazil Year 2000) |
ヴァウテル・リマ・ジュニオル | |
| Erotissimo | ジェラール・ピレス | |
| グッピーとバグハの冒険 Goopy Gyne Bagha Byne |
サタジット・レイ | |
| ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク Greetings |
ブライアン・デ・パルマ | |
| Ich bin ein Elefant, Madame (I'm an Elephant, Madame) |
ペーター・ツァデック | |
| Klabautermannen (We Are All Demons) |
ヘニング・カールセン | |
| La Madriguera (Honeycomb) |
カルロス・サウラ | |
| La Sua giornata di gloria (Glory Day) |
エドゥアルド・ブルーノ | |
| たのしい知識 Le gai savoir |
ジャン=リュック・ゴダール | |
| 愛は死より冷酷(愛は死より冷たい) Liebe ist kälter als der Tod |
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー | |
| Made in Sweden | ヨハン・ベルゲンストラール | |
| 真夜中のカーボーイ Midnight Cowboy |
ジョン・シュレシンジャー | |
| 最初の仕事 Rani radovi |
ジェリミール・ジルニク | |
| 不思議な世界・未来戦争の恐怖 The Bed Sitting Room |
リチャード・レスター | |
| 濡れてる牝猫 Three Into Two Won't Go |
ピーター・ホール | |
| Tiro de gracia (Coup de Grace) |
Ricardo Becher | |
| 怪奇な恋の物語 Un tranquillo posto di campagna |
エリオ・ペトリ |
審査員
[編集]- ヨハネス・シャーフ (西ドイツ/監督) - 審査員長
- Agnesa Kalinová (ポーランド/ジャーナリスト・映画評論家)
- 小林正樹 (日本/監督・脚本家)
- ウルリッヒ・グレゴール[注釈 1] (西ドイツ/映画史家)
- ホセ・P・ドミニアーニ (アルゼンチン/脚本家・映画評論家)
- フランソワ・シャレエ (ベルギー/脚本家)
- ジョン・ラッセル・テイラー (イギリス/脚本家・映画評論家)
- ジョヴァンニ・グラッツィーニ (イタリア/作家・映画評論家)
- アーチー・ウィンステン (アメリカ/映画評論家)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ Ulrich Gregor(1932年 - )。ドイツの映画史家。二年後の第21回ベルリン国際映画祭(1971年)に始まる「ヤング・フォーラム」部門(のちに「フォーラム」部門に改称)の創設者[1]。共同執筆者でもある妻のエリカ[2] とともに2010年(第60回)に「ベルリナーレ・カメラ」受賞[3]。
出典
[編集]- ^ 北島恭子 (2004年11月28日). “トークショー「第5回東京フィルメックスの収穫について」| 第5回東京フィルメックスデイリーニュース”. 第5回東京フィルメックス. 東京フィルメックス. 2023年2月28日閲覧。
- ^ “1日1作品を60年、映画鑑賞が育んだドイツ人夫婦の愛【再掲】”. AFPBB News (2018年2月19日). 2023年2月28日閲覧。 “グレゴールさんらは、映画史に関する本や記事を共同で執筆してきた。小さな映画館の立ち上げにも取り組み、ベルリン映画祭では、前衛的な作品を取り扱う部門にも関わった。”
- ^ “ベルリン映画祭2010”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団 (2010年). 2023年2月28日閲覧。 “ウルリッヒ・グレゴール、エリカ・グレゴール夫妻も今回のベルリナーレ・カメラの受賞者であった。1971年ヤング・フォーラム(現在のフォーラム部門)を創設、世界中の野心的・独創的な作品を類まれなる情熱で紹介し続けてきた夫妻のご尽力のもと、日本作品も数多く旅立っていった。夫妻が今回の受賞に当たって記念上映作品に選んだのは〔ベルリン国際映画祭〕第一回フォーラムで紹介された大島渚監督『儀式』。即座に浮かんだとのことであり、夫妻の日本映画への思いが伝わってくるうれしい選択であった。”
外部リンク
[編集]- 公式サイト (ドイツ語・英語)