六花亭

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六花亭製菓株式会社
ROKKATEI CONFECTIONERY CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 六花亭
本社所在地 日本の旗 日本
080-2496
北海道帯広市西24条北1丁目3-19
設立 1933年
業種 食料品
事業内容 和洋菓子の製造・販売、美術館等の運営
代表者 佐藤哲也(代表取締役社長)
資本金 1億3,150万円(六花亭グループ)
売上高 201億円(2016年3月期実績)
従業員数 1,367人(2016年4月1日現在)
決算期 3月
関係する人物 小田豊四郎
外部リンク http://www.rokkatei.co.jp/
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六花亭札幌本店
六花亭小樽運河店

六花亭製菓株式会社(ろっかていせいか)は、北海道帯広市に本工場を構える菓子メーカーである。コーポレートメッセージは「お菓子は大地の恵みです」。

北海道出身の画家・坂本直行による草花の絵をモチーフにした包装紙が有名。また、現在の主力商品であるマルセイバターサンドは北海道銘菓として人気が高い。

歴史[編集]

戦前[編集]

六花亭の前身は、千秋庵の一店舗である札幌千秋庵から1933年に暖簾分けした帯広千秋庵である。開業したのは札幌千秋庵社長の岡部式二の弟である同店店員の岡部勇吉で、喫茶と和菓子製造の店を帯広市内に設けた。十勝平野で豆類や甜菜糖など菓子材料が豊富に産出されること、札幌から離れていて商圏がバッティングしないことなどから帯広を選んだとされるが、同地にはすでに十数軒の和菓子屋が存在しており厳しい競争にさらされた。

岡部は体調不良もあって1937年に辞任し、札幌千秋庵店員で岡部の甥にあたる小田豊四郎が引き継いだ。当時の帯広は人口が約3万人しかおらず、葬儀屋神社を回って冠婚葬祭の注文を得たものの、経営は引き続き厳しかった。しかし、1939年初頭に取引先の問屋から融通された資金で砂糖を大量に購入すると、同年10月に実施された価格統制令の影響により同業他社では砂糖が不足するようになり、六花亭は地域一番店の地位を確立した[1]第2次世界大戦のため1943年に小田が戦地に招集され、翌1944年には工場疎開のため菓子製造は休止状態となっている。

六花亭に改名するまで[編集]

1946年6月に小田が復員し、帯広千秋庵は営業を再開した。統制品の使用を避けて蜂蜜牛乳などを用いたアイスクリームカボチャ饅頭を製作し、物資の不足する中で好調な売れ行きを得ている。1952年には帯広市から注文を受けて開基70周年記念式典用に依田勉三の句から命名した最中ひとつ鍋」を開発し、これが初の地域オリジナル菓子となった。「ひとつ鍋」は式典の後も店頭に行列ができる人気商品となり、1日に10万円の売り上げを記録するほどになった[2]

「ひとつ鍋」のヒットから、郷土をイメージさせるデザインやエピソードを付加させることの重要性を小田は認識し、続いて1954年郭公の里1956年に「らんらん歌」、1958年には「男爵」を発売するなど、次々に商品開発を進めていった。さらに十勝で盛んな酪農を生かした洋菓子作りも始め、1963年に「大平原」と名づけたマドレーヌ1972年には「万作」を発売している。これに前後して1955年には72(約238m2)の製菓工場を改築し、1957年に優秀食品衛生工場として厚生大臣から表彰された。また、帯広千秋庵が1960年から発行を始めた月刊児童誌『サイロ』の表紙を描いていた縁から1961年には坂本直行に包装紙のデザインを依頼し、5色印刷の花柄が現在まで続いている。

小田は1967年にヨーロッパを視察した際にスイスホワイトチョコレートを食べ、現地のチョコレート工場の視察とあわせて日本でもチョコレートの売上げが増大すると考えた。帰国後、不二家顧問の松田兼一に製造の指導を受けて、1968年に工場を新築して生産を自動化し、チョコレートの販売を開始した。通常のチョコレートは売れたものの、ホワイトチョコレートを製造販売する業者は当時の日本国内にほぼ存在せず、帯広千秋庵での売上げも芳しくなかった。しかし、1971年頃からカニ族の若者の土産を中心にホワイトチョコが人気を呼んで全国的な知名度も上がり、1972年には帯広千秋庵の売上げの3分の2を占めるようになった[3]。また、従来の帯広近郊のスーパーへの出店に加え、1974年に初の直営店として帯広市内に西3条店を開設した。この商品が現在ホワイトチョコレートとして売られているもののオリジナルである。

ホワイトチョコの人気を受けて札幌では類似品が出回るようになった事などから、札幌進出を計画。本家である千秋庵総本家からは「仲良くやれ」ということで許可が出たが、札幌千秋庵が拒絶。その後、別会社を設立して千歳空港での販売を開始したところ札幌千秋庵から商標権の使用中止要請があり、1977年5月に千秋庵の暖簾を返上して六花亭に屋号を変更した。六花(りっか)は東大寺管長の清水公照が命名したもので[4]、六角形の花、すなわち結晶を意味する。そのままでは読みにくいため「ろっか」とし、下に亭を付けている[5]

改名後[編集]

六花亭への改名を記念して「マルセイバターサンド」を発売、5年程経った頃にはそれまでエース格商品であった「リッチランド」を凌ぐ同社最大のヒット商品となった。翌1978年には西帯広駅に程近い帯広工業団地に9,670坪の敷地を購入して1,500坪の工場を建設、初の札幌市内の店舗として同年の開店とともに札幌そごうに出店した。1979年札幌ヨークマツザカヤ1980年には札幌東急にも進出して徐々にブランドイメージを高め、2006年の時点では札幌市内の全ての百貨店に出店している[6]。また1981年には札幌に続いてイトーヨーカドー釧路店に出店した。

帯広市内に1979年に製工場、1988年に和生および洋生工場を、1998年には中札内村にマルセイバターサンドの一貫製造ラインを備えた「六花亭中札内ファクトリーパーク」を建設するなど生産設備の増強を進める一方で、21世紀に入っても売上の過半を占める札幌へは片道5時間のトラック輸送を続けている。これは、製菓は根気の必要な作業であるため十勝を離れるべきでない、という同社のポリシーに基づく[7]。また、これらの資金調達の一環として1992年ドイツマルク建で普通社債1,200万マルクを、1996年に銀行保証付のユーロ円建普通社債10億円を発行するなど、地方の菓子メーカーとしてはかなりユニークな手法を採っている[8]

1991年に全社を禁煙とし、1995年には新製品の開発拠点として六花亭研究所を設立した。この研究所で1998年にストロベリーチョコが開発され、2006年には20億円の売上を計上するにいたった。2014年現在、帯広地区に16店舗、札幌地区に40店舗、釧路地区に5店舗、函館地区に4店舗、旭川富良野地区に3店舗を有し、北海道内の広い範囲に出店している。1996年からはインターネット通販も行っている。

さらに、年次有給休暇100%消化に力を入れており、1979年以来続けていることでも全国的に有名。

売上の構成[編集]

2010年3月の時点では、グループ売上高は188億円であり、東京都に支店を持たない製造業としては日本一である[9]。うち80億円をマルセイバターサンドが占め、ストロベリーチョコと霜だたみがそれぞれ20億円、15億円で続いている。また、板チョコが15億円でこれに次ぐ。

出店は北海道内に限定しており、直営店を基本とするが、新千歳空港では例外的に多数の売店で販売を行ない、知名度の向上に寄与している[10]。一方で本店で扱われる商品は200点以上にも上るが、そのほとんどは単価が200円未満であり、地元の顧客の日常的な購入を重視している[11]1998年からはセルフサービス方式で販売員数を抑えた「花六花」の展開を始め、家庭向けの販売を強化した。

主な製品[編集]

  • 郭公の里:千秋庵の山親爺をベースにしたバター煎餅。十勝に多いの葉をモチーフにした。
  • ごろすけホーホー・フーフー
  • サクサクカプチーノ霜だたみ
  • さくさくパイ:帯広と釧路にて販売。カスタード味に加えてバター味が追加された。
  • さくさくタルト
  • 六花亭醍醐
  • チョコマロン
  • ストロベリーチョコ:オーストラリアで社員が着想を得て開発した。フリーズドライイチゴがチョコレートの中に入っている。
  • カラフル・マンス:円形で薄型のチョコレートが6種入っている。フレーバーは抹茶、メープル、紅茶、マンゴー、ラズベリー、パッションフルーツ。
  • 大平原:マドレーヌ。一口サイズの"めんこい"バージョンもある。
  • 大豆きなこチョコレート
  • ひとつ鍋:名称は『十勝開拓史』にある依田勉三の句に由来する。片方が鍋、もう片方が平らな鍋蓋を模した珍しい形状の最中
  • マルセイバターサンド
  • マルセイビスケット
  • マルセイキャラメル:マルセイビスケットと大豆を入れたキャラメル。
  • マルセイバターケーキ:チョコガナッシュをサンドしたバターケーキ。
  • 万作:春に咲く福寿草が、「まず咲く」が訛って「まんさく」と呼ばれたことから命名。バターミルク、卵を加えた桃山
  • 百歳(ももとせ)
  • 雪の大地
  • 雪やこんこ
  • らんらん納豆:十勝小唄の囃し言葉から命名。
  • リッチランド
  • トカップロール
  • うんとこせーどっこいしょ
  • ホットケーキ(喫茶室にて提供)

その他、洋菓子和菓子ともに幅広く菓子一般を扱う。

原料について[編集]

小田は2007年5月16日付け北海道新聞夕刊の意見広告「社長の思い」(現:亭主の思い)の中で、「今のところ私どものお菓子に道産(北海道産)小麦の出番はない」、「地産地消にこだわりすぎて、製品のおいしさをないがしろにしては本末転倒」と記している。2015年の帯広畜産大学長との対談でも「お菓子にはダメ」と変わらない考えを述べている。

北海道農政部では麦チェン!として輸入小麦を道産小麦へと転換する事業を推進しており、石屋製菓(白い恋人)、柳月(三方六プレーン)、きのとや(札幌農学校)等、他の北海道の製菓会社では北海道産小麦を使い、その社を代表する商品をつくっている。

広告によると同社を代表する菓子「マルセイバターサンド」には北米産の小麦が使われているという。

喫茶室 [編集]

一部の支店ではコーヒーが無料だが、喫茶スペースでは有料である。あずき味などのソフトクリーム・ミックスやマルゲリータなどのピザワッフルなどを注文でき、生年月日証明書があればケーキ1ピースと店員が歌唱&写真撮影するサービスがある。

メセナ活動など[編集]

  • 文化:中札内美術村六花の森、六花亭ホールkyuという音楽ホールなどを管理・運営している。
  • スポーツ:軟式野球部2004年彩の国まごころ国体で第3位(一般A)。2005年天皇賜杯全日本軟式野球大会でベスト8。
  • 小田豊四郎記念基金 : 初代社長の小田豊四郎が現役引退に際し、今までの「食を通しての街づくり」「北海道の食文化の発展」を願い寄与することを目的に基金を設立。没する3年前となる2003年9月、北海道より特定非営利活動法人として認証される。
    • 「小田賞」事業 : 北海道の食及び食文化の発展に功績のある個人団体を、基金会員の推薦を基に選考し顕彰する。受賞者には正賞ブロンズ像(彫刻家坂東優による)と副賞を贈呈。
    • 「六花文庫」 : 2004年4月、旧真駒内店を喫茶「六花文庫」として改装、同店内にて食に関する文献約8,040冊(2014年3月末現在)を食文化・食材・健康等のテーマに沿った食の実用書などを一般の閲覧に供する。
    • 児童詩誌「サイロ」の会の運営 : 福島県郡山市にある柏屋が発行する詩集「青い窓」に共感した小田の熱意に、十勝管内の小中学校や画家の坂本直行のもと、1960年1月帯広千秋庵より児童詩集「サイロ」創刊号を刊行。以降、社名変更により発行所が六花亭製菓になる。2007年6月より当基金が発行所となる。画家坂本直行とはサイロ創刊号の時に、サイロの表紙と挿絵を依頼したことからはじまる。「1まいいくらというのなら、わたしはおことわりします。あくまでも無料です。もうひとつは、わたしは元気なうちはいつまでもかきますから、小田さん、あなたもとちゅうでやめたら、だめですよ」と坂本との約束のもと、現在も刊行が続く。六花亭は長年にわたる児童文学の振興をみとめられ、2011年11月メセナアワード2011において、文化庁長官賞受賞するにいたっている。

グループ企業[編集]

  • 株式会社六花亭帯広店
  • 株式会社六花亭札幌店
  • 株式会社六花亭北海道
  • 株式会社ふきのとう
  • 六花亭商事株式会社
  • 六花亭総業株式会社
  • 有限会社六花荘農園
  • 有限会社六花亭食文化研究所
  • 株式会社サンピラー

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤、2006年、P.122
  2. ^ 佐藤、2006年、P.123
  3. ^ 佐藤、2006年、P.124
  4. ^ “故清水管長の書画紹介 中札内美術村 今季の営業開始”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2007年4月26日)
  5. ^ 小田豊インタビュー
  6. ^ 佐藤、2006年、P.126
  7. ^ 日経ビジネス、2006年、P.76
  8. ^ 佐藤、2006年、P.127
  9. ^ 日経ビジネス、2006年、P.75
  10. ^ 佐藤、2006年、P.128
  11. ^ 日経ビジネス、2006年、P.76

参考文献[編集]

  • 佐藤はるみ「六花亭ブランドの形成」『産研論集』札幌大学経営学部附属産業経営研究所、31/32巻、P.121-132、2006年
  • 「会社が滅んでも残る建物を--帯広に文化をはぐくむ異色の経営者」『日経アーキテクチュア』日経BP、807号、P.64-69、2005年10月17日
  • 「六花亭グループ 人材力“おやつ”に結集」『日経ビジネス』日経BP、P.74-76、2006年2月27日
  • 「お菓子の詩 ―商業史発掘ノンフィクションシリーズ―」 小林照幸 商業界、2005年 ISBN4-7855-0146-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]