コンテンツにスキップ

ライナス・ポーリング

この記事は良質な記事に選ばれています
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ライナス・ポーリング
Linus Pauling
ライナス・ポーリング(1962年)
生誕 1901年2月28日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド
死没 (1994-08-19) 1994年8月19日(93歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州ビッグサー
居住 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 量子化学
生化学
研究機関 カリフォルニア工科大学
カリフォルニア大学サンディエゴ校
スタンフォード大学
出身校 オレゴン農業大学(現オレゴン州立大学)
カリフォルニア工科大学
博士課程
指導教員
ロスコー・ディッキンソン
博士課程
指導学生
ジェリー・ドナヒュー
マーティン・カープラス
マシュー・メセルソン
主な業績 化学結合の本性と分子構造の解明。
核廃絶の提唱。
主な受賞歴 ノーベル化学賞 (1954年)
ノーベル平和賞 (1962年)
プリーストリー賞 (1984年)
署名
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1954年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:化学結合の本性、ならびに複雑な分子の構造研究
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1962年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:核兵器に対する反対運動

ライナス・カール・ポーリング(Linus Carl Pauling、1901年2月28日 - 1994年8月19日)は、アメリカ合衆国量子化学者生化学者。彼自身は結晶学者、分子生物学者、医療研究者とも自称していた。

ポーリングは20世紀における最も重要な化学者の一人として広く認められている。量子力学化学に応用した先駆者であり[注釈 1]化学結合の本性を記述した業績により1954年にノーベル化学賞を受賞した。また、結晶構造決定やタンパク質構造決定に重要な業績を残し、分子生物学の草分けの一人とも考えられている。ワトソンとクリックが1953年にDNAの生体内構造である「二重らせん構造」を発表する前に、ポーリングはそれに近い「三重らせん英語版構造」を提唱していた。多方面に渡る研究者としても有名で、無機化学有機化学金属学免疫学[要出典]心理学[要出典]弁論術[要出典]放射性崩壊核戦争のもたらす影響などの分野でも多大な貢献があった。

1962年には、地上核実験に対する反対運動の業績によりノーベル平和賞を受賞した。ノーベル賞を2度受賞した5人の1人[1]。単独でのノーベル賞を2度受賞した唯一の人物であり[2]、異なる分野に及ぶ受賞者としては、キュリー夫人[注釈 2]に次いで2人目[1]

後年、大量のビタミンCや他の栄養素を摂取する健康法を提唱し、更にこの着想を一般化させて分子矯正医学を提唱、それを中心とした数冊の本を著してこれらの概念、分析、研究、及び洞察を一般社会に紹介した。ただし、これにより「ビタミンCを摂取すれば風邪が治る」という俗説が広まる切っ掛けともなった[3]

若年期

[編集]

1901年2月28日オレゴン州ポートランドに生まれる[4][5]。父はミズーリ州コンコーディア出身のハーマン・ヘンリー・ウィリアム・ポーリング (1876–1910)[6]、母はオレゴン州ローンロック出身のルーシー・イザベル・ダーリング (1881–1926)[7]:22。父ハーマンは薬剤師だったが仕事がうまく行かず、1903年から1909年まで家族を連れてオレゴン州内の都市を転々と移り[8]:4-5、最終的にポートランドに戻った。父は1910年、母とライナスたち兄妹を残して穿孔性潰瘍で他界した[9]:9。ライナスにはポーリン・ポーリング (1901–2003) とルシル・ポーリング (1904–1973) の二人の妹がいた[10][5]。ポーリンは後に、ニュージャージー州ミルヴィル出身のトーマス・ジョセフ・ネイ (1881–1963) と結婚している。

ポーリングは幼少の頃、熱心な読書家だった[11]。ある時、父は地方紙宛に手紙を送り、ポーリングが熱中しそうな本を何冊か紹介して欲しいと依頼したほどであった[10][注釈 3]。ポーリングが小学校に通っていた頃、父の友人ロイド・ジェフレスとともに昆虫や鉱物の採掘に勤しみ、その中で科学に関心を持った[12]。ポートランドのワシントン高校に進学したポーリングは、ロイドが寝室に持っている小さな化学の実験室で見せてくれた科学実験に、驚きや楽しみの感情を抱き、ポーリングは化学工学の道へ進む夢を抱いた[13][8]:17。実験にあたっては、祖父が夜警員として働いていた仕事場近くの廃棄鉄工場から試薬を借用することもあった[13]

ポーリングは、必修のアメリカ史の単位を取ることができず、高校の卒業証書を授与される資格が得られなかった[14]。同高校が卒業証書を授与したのは45年後の1962年、ポーリングが2つのノーベル賞を受賞した後のことである[15]

学生時代

[編集]
ポーリングは1922年にオレゴン農業大学を卒業した。

1917年、コーバリスオレゴン農業大学(現:オレゴン州立大学)に入学した[16]。オレゴン農業大学に在学中、ポーリングはデルタ・ユプシロン[17]・フラタニティのオレゴン農業大学支部を創設。経済的な理由により、大学の講義に出席する傍ら、長時間働く生活を余儀なくされた[18]。入学して2年が経った後、ポーリングは母を養うためにポートランドで職を探そうとしていたが、大学側は彼に定量分析(ポーリングが学生として終えたばかりのコース)を教える職を提供した[8]:29。これにより、彼は学生を続けることができるようになった[8]:29

オレゴン農業大学での最後の2年間で、ポーリングはギルバート・ルイスアーヴィング・ラングミュアによる原子電子構造分子を形成する原子間結合についての研究を知る[8]:29[19]。これにより、物質の物理的及び化学的性質とそれを構成する原子構造の関係の研究に集中することを決心した[要出典]。後には量子化学という新分野の開拓者の一人となった[20]:190

1922年、ポーリングは化学工学で学士号を授与されオレゴン農業大学を卒業[21]カリフォルニア州パサデナカリフォルニア工科大学に進学し、ロスコー・ディッキンソンに師事する[22][23]。卒業研究はX線回折を用いた結晶構造決定に関するものであった[24]。同大学在学中に、鉱物の結晶構造に関する7報の論文を発表した。1925年、最優等で修了し物理化学数理物理学博士号を授与された[注釈 4]

結婚

[編集]

大学4年生の時、ポーリングは「家政学科のための化学」という3年生のコースを教えていた[26]。そこでエヴァ・ヘレン・ミラーと出会い[27]、1923年6月17日に結婚した[28]。彼らの間には3人の息子(クレリン、ライナス、ピーター)と1人の娘(リンダ)が生まれた[29]

科学者としての初期の経歴

[編集]

ポーリングはその後、グッゲンハイム奨学金を使ってヨーロッパに渡り[30]ミュンヘンでドイツ人物理学者のアルノルト・ゾンマーフェルトに、コペンハーゲンでデンマーク人物理学者のニールス・ボーアに、そしてチューリッヒでオーストリア人物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーにそれぞれ師事した[31]。これら3人の物理学者は、物理学の諸分野に加えて量子力学という新分野を専門にしていた[31][32][33]。ヨーロッパでポーリングは、ヴァルター・ハイトラーフリッツ・ロンドンが行った水素分子中の結合の量子力学的解析のひとつに触れる[34]。ポーリングは2年間のヨーロッパ滞在をこの仕事に費やし、これを将来研究の焦点にすることを決めた[要出典]。ポーリングは、量子化学の最初期の研究者、および量子論を分子構造論へ応用した草分け的存在となる[35]。1927年、カリフォルニア工科大学理論化学助教 (assistant professor) に就任した[36][37]

ポーリングはカリフォルニア工科大学で教員活動を開始したが、最初の5年間は非常に実りが多く、X線結晶学の研究と、原子や分子の量子力学計算を続けた。この5年間で彼はおよそ50の論文を発表し、ポーリングの法則(英語)として知られる5つの法則を発見した[38][39]。1929年、彼は准教授 (associate professor) に昇任し、1930年には教授に就任した[36]。1931年までにアメリカ化学会よりラングミュア賞(30歳以下の人物による純粋化学で最も重要な研究に贈られる)を受賞した[40]。1931年には、ポーリング自身が最高の仕事であると言及した論文シリーズである化学結合の性質を説明する論文を出版し始めた[41][42]。1932年には第三弾として、原子軌道の混成の概念を打ち出し、それにより四価である炭素原子の電子構造を説明する論文を発表している[41][43]

カリフォルニア工科大学で、ポーリングは理論物理学者のロバート・オッペンハイマーと親交を結ぶ[7][44]。オッペンハイマーはカリフォルニア大学バークレー校の教授だったが、毎年研究や講義で一部の時間をカリフォルニア工科大学で過ごしていた[7][44]。ポーリングは睡眠中に歌を歌うことで知られており、そのために、一度夜中に歌を歌い迷惑罪で逮捕されたことがあった。2人は共同で化学結合の本質を暴くことを計画した。つまり、オッペンハイマーが数学の部分を担当し、ポーリングがその結果を解釈していたようである。しかしこの関係は、オッペンハイマーが妻エヴァ・ヘレンに近付きすぎているとポーリングが疑いを持ったため、次第にほころびていった[注釈 5]。これが原因でポーリングとオッペンハイマーの関係は冷えていく[7]:152[44]。オッペンハイマーは原子爆弾計画の際、ポーリングを化学部門のトップに招いたが、ポーリングは自身の家族全員で引っ越すのを避けたいとして辞退した[45]

1930年の夏、ポーリングは再びヨーロッパに渡り、電子線回折法を学んだ[46]。カリフォルニア工科大学で彼は学生のブロックウェイ (L. O. Brockway) と共に電子線回折装置を構築し、多くの分子構造解析に活用した[47]

1932年、電気陰性度の概念を発表[48]結合開裂エネルギーや分子の双極子モーメントなど、分子の様々な性質を用いて、彼は物質の多くの情報を記述する「ポーリングの電気陰性度」を確立させた。この電気陰性度は、分子中の原子間の結合の性質を予測するのに役立つものである[49]

化学結合の性質の探究

[編集]

1930年代、ポーリングは化学結合の性質に関する論文を発表し始め[50]、1939年にはこの分野の有名な書籍を出版した[51]。ポーリングは1954年に「化学結合の本性、ならびに複雑な分子の構造研究」でノーベル化学賞を受賞するが、これらの化学結合に関する研究もその受賞理由の一つとなっている[52][53]。1939年には化学結合に関する研究の成果を『化学結合の本性 The Nature of the Chemical Bond[54]という著作にまとめた。この本は化学界に非常に大きな影響を与え[55]、初版が出版されてから30年間のうちに引用された回数は16,000を超えた。今日においても、重要な学術雑誌に掲載される多くの論文がこの著作を引用している。

ポーリングの化学結合の研究の一部は、軌道の混成という概念の導入への道標を与えた[56][57]原子内の電子sp などの型を持つ軌道として記述されるのが普通だが、分子内の結合を記述する際には、これら軌道のうちいくつかの性質を帯びた関数を組み立てると都合が良いことがわかった[58]。具体的に言えば、炭素原子が持つ1つの2s軌道と3つの2p軌道は、「sp3混成軌道」と呼ばれる4つの等価な軌道を形成し、メタンなどの炭素化合物を適切に説明する軌道となる[59]。また、2s軌道は2つの2p軌道と混成して(この場合には1つの2p軌道が非混成のまま残される)、「sp2混成軌道」と呼ばれる3つの等価な軌道を形成する場合もある。これはエチレンなどある種の不飽和炭素化合物を説明する際に適切な軌道である[60]。さらに異なる軌道の混成も、他の種類の分子では確認されている。

彼が探究した他の領域としては、電子が原子間を移動するイオン結合と、電子が原子間で対等に共有される共有結合の関係についてのものがある。ポーリングは、これらは共に極端な例に過ぎず、実際にはほとんどの極性分子の結合は、その波動関数がイオン結合分子と共有結合分子の波動関数の重ね合わせであることを示した[61][62]。ここで顕著に活躍したのが、ポーリングの「電気陰性度」の概念である。一対の原子における電気陰性度の差を調べれば、非常に高い精度で結合のイオン性の度合いを予測できる[63]

「化学結合の本性」の究明に向けてポーリングが着手したさらなる事象に、芳香族炭化水素、特にその原型であるベンゼンの構造の研究があった[64]。当時、ベンゼンは既にドイツの化学者フリードリヒ・ケクレによって非常に精密な説明がなされていた[65]。ケクレはベンゼンを2つの異なる構造が高速で相互交換しているものだとして扱った[65]。その2つの構造とは、一重結合と二重結合が交互に並ぶ点では共通だが、片方の構造がある位置に二重結合を持てば、もう片方の構造はその位置に一重結合を持つというものである[65]。ポーリングは、ベンゼンは2つの構造が混ざった中間体構造であるとして量子力学に基づいた厳密な説明を示した。この中間体構造とは、2つの構造の高速相互交換では無くそれらの重ね合わせを意味する[65][注釈 6]。今日、この現象は共鳴として知られる[65]。ある意味でこの現象は、1つ以上の電子構造の混合が中間体構造を与える点から、前述の軌道混成に似ているとも言える[要出典]

原子核構造の研究

[編集]

1952年9月16日、ポーリングは新しい研究ノートに次の一文を記した[注釈 7]

"I have decided to attack the problem of the structure of nuclei"
(「私は核構造の問題に着手することを決心した」)

1965年10月15日、ポーリングは原子核の最密充填スフェロン模型 (Close-Packed Spheron Model) を「サイエンス」「米国科学アカデミー紀要」両誌上で発表した[67]。他界する1994年までのほぼ30年間、ポーリングはスフェロン・クラスター・モデルに関する多くの論文を発表した[68][69][70][71][72][73]

現代の核物理学の本でポーリングのスフェロン原子核模型を扱ったものはほとんど無いが、一流の科学雑誌で発表されたこの模型は、基本的な「核子の塊」が既存の量子力学と矛盾せずに殻構造を形成する仕組みについて斬新な視点を与えるものであった。ポーリングは量子力学について熟知しており、この分野の最初の教科書「Introduction to Quantum Mechanics with Applications to Chemistry by Linus Pauling, E. Bright Wilson, 1935」[74]の共著者でもある。2006年に出版された原子核の諸モデルの再考[75]で、著者はポーリングのスフェロン模型について次のように述べている。

「……この模型はより常識的な原子核構造を導き出しており、否定困難な論理を内部に秘めている……だが……原子核の理論家達は未だに核子スフェロンの概念を詳述していない。ポーリングの模型は原子核理論の主流に未だに入らないでいるのだ。」

クックは、ポーリングのスフェロン原子核模型がさらに良い模型によって不適切であると示されたとは結論付けていない。

ポーリングのスフェロン核子塊には、重陽子 (NP)、ヘリオン (PNP)、三重水素 (NPN) が含まれる。軽核ではたびたび説明されているように、偶偶核もまたアルファ粒子の塊から構成されていると説明した[76]。彼は、通常の殻模型のように独立した粒子から始める代わりに、プラトンの立体から核の殻構造の導出することを試みた。当時、時折「もし無名の人間がこの仕事を行っていたら、彼が浴びたほどの注目を浴びなかっただろう」と批判されることがあったが、[要出典]ポーリングであれば1940年代末にマリア・ゲッパート=メイヤーが発見した原子核構造を、誰も思いつかないようなアプローチで理解をしようとしたと思われる。あるインタビューでポーリングは彼のモデルについてこう述べている[77]

「私は最近、原子核の詳細な構造を解明しようと、基底状態と励起状態のVibrational Bendsを分析している。物理学の文献(Physical Review Lettersなど)を読む限り、多くの物理学者が原子核に興味を持っているのは分かるが、私が発見したものについて、誰も私と同じ方法で問題に挑戦しないのだ。だから私は計算をしながら自分の好きなスピードで研究を進めることが出来るのである。……」

生体分子の研究

[編集]

1930年代中頃、ロックフェラー財団ウォーレン・ウィーバーの勧めもあり、ポーリングは新たな分野の研究に乗り出すことを決心した[78]。彼が仕事を始めて間もない頃は、生体分子の研究にはあまり興味が無かった。しかしカリフォルニア工科大学が生物学を重視し、トーマス・ハント・モーガンテオドシウス・ドブジャンスキーカルヴィン・ブリッジズ(英語)アルフレッド・スタートヴァントなど偉大な生物学者と関係を持つにつれ、ポーリングはそれまでの考えを変え、生体分子の研究に傾倒するようになった[20]。この分野におけるポーリングの最初の研究はヘモグロビンの構造に関わるものだった。彼はヘモグロビン分子が酸素原子を得たり失ったりする時に分子構造が変化することを示した[20]。この頃、彼はタンパク質全般を徹底的に研究することを決めた[20]。若い頃に研究していたX線結晶構造解析を再び用いるが、タンパク質構造は彼が以前に扱っていた結晶質鉱物に比べてこの手法が使いにくいものであった。タンパク質の最も良いX線構造は1930年代にイギリスの結晶学者ウィリアム・アストベリーの手によって得られたが、1937年にポーリングはアストベリーの観察結果を量子力学的に説明することを試みて失敗している[79]

ポーリングはこの問題を説明するために11年を要した。彼の数学による分析は正しかったが、アストベリーの写真は、タンパク質分子が予測される位置から傾いて写るように撮影されていたのである。ポーリングは、内部で原子が螺旋状に並んだヘモグロビンの構造モデルを考案し、この概念をタンパク質全般に拡張した。

1951年、ポーリングらは、アミノ酸ペプチドの構造とペプチド結合の平面性を基に、タンパク質二次構造中の主要な構造モチーフであるαヘリックスβシートを正確に提唱した[80][81]。この業績は彼の非凡な思考力を示すもので、一巻きの螺旋中に非整数個のアミノ酸残基の存在しうることを示したこの型破りな仮説は、タンパク質構造論の中核を成すものであった[82]

1953年、ポーリングらは、デオキシリボ核酸(DNA)の螺旋構造を推定した(三重鎖DNA英語版[83][84]。しかし彼のモデルは、中性リン酸基の存在を予測したためにDNAが酸性である事実と矛盾してしまうなど、いくつかの基本的な間違いを犯していた[85]。αヘリックス発見の競争でポーリングが勝利を納めると、競争相手だったウィリアム・ローレンス・ブラッグは落胆した。ブラッグのチームはペプチド結合の平面性を認めないという根本的な間違いを犯していたのである。ポーリングがDNA構造の分子モデルを研究している事実がキャヴェンディッシュ研究所で発覚すると、ブラッグはワトソンとクリックに、キングス・カレッジモーリス・ウィルキンスロザリンド・フランクリンによる未発表データを参考してDNA分子構造モデルを作成することを許可した。1953年初頭、ジェームズ・ワトソンフランシス・クリックはDNA二重螺旋構造を正確に提唱した。ポーリングがこの研究で直面した障壁の一つに、ロザリンド・フランクリンによって撮影されワトソンとクリックが参照した、DNAの高精度なX線構造写真を入手する手段が無かったことがある。彼はある会議に出席するためにイギリスに赴く計画を立てていたが、当時は共産主義同調者という嫌疑を掛けられ国務省にパスポートを差し押さえられており、イギリス訪問は成就しなかった。もしその会議に出席していたら、ポーリングはこのフランクリンの写真を閲覧出来たかもしれない。

また、ポーリングは酵素反応についても研究し、酵素が反応の遷移状態を安定化させるという酵素反応メカニズムの中心的概念を指摘した先駆者の一人であった[86]。また、抗体の抗原への結合は各々の構造間の相補性によるものであると主張した最初の研究者の一人でもあった[87]。また、ポーリングは物理学から生物学に転向したマックス・デルブリュックと共に、DNAの複製が、何人かの研究者が推定したような類似性では無く相補性による可能性が高いと主張する論文を早い時期に発表した[88]。これは後にワトソンとクリックが発見したDNA構造モデルで明らかになった[88]

分子遺伝学

[編集]

1949年11月、ライナス・ポーリング、 ハーヴィー・A・イタノシーモア・J・シンガー(英語)アイバート・C・ウェルズ(英語)は、ある種の人間の病気が特定のタンパク質の変化に関係があるとする論文をサイエンス誌に発表した[89]。彼らは電気泳動を用いて、鎌状赤血球病を持つ個体が赤血球に修飾されたヘモグロビンを持っていること、また鎌状赤血球形質を持つ個体が正常なヘモグロビンと異常なヘモグロビンの両方を持っていることを明らかにした[90]:89。これは特定のタンパク質がある種の人間の病気に関係し、そのタンパク質内の変化にメンデル性遺伝が存在することを示した最初の証明―分子遺伝学の夜明け―であった[91]

平和運動

[編集]

ポーリングは元々政治には殆ど関心が無かったが、第二次世界大戦が起きると彼の生き方は大きく変わり、平和活動家になった[92]マンハッタン計画が始まって間もない頃、ロバート・オッペンハイマーから計画の化学部門に招聘を受けたが、ポーリングは家族全員で引っ越すのは避けたいという理由で辞退した[45]。1946年、アルベルト・アインシュタインが議長を務める「原子力科学者による非常委員会」に出席した[93]。この委員会の任務は、核兵器の開発に付随する危険性を一般社会に警告することだった[94]。ポーリングの平和活動は、1950年マッカーシズム[注釈 8]の攻撃対象となり、上院議会の教育調査委員会に証人として召喚された[要出典]。彼は事前の記者会見で共産主義者でないことを宣言したうえで委員会では証言を拒否した[要出典]。しかし1952年には国務省が彼のパスポートが差し押さえられる事件が起こった[95][96]。同年、彼は招かれたロンドンの科学会議で講演をする予定だった[95][96]。パスポートは1954年、ストックホルムで彼が初めてノーベル賞を受賞した授賞式の直前に返還された[96]。1955年、アインシュタインやバートランド・ラッセルら第一級の科学者や知識人が参加する中、ポーリングはラッセル=アインシュタイン宣言に署名した[97]

1957年、ポーリングは生物学者のバリー・コモナー英語版と協力して署名運動を始めた[98]。コモナーは北米各地の子供の乳歯から検出される放射性物質のストロンチウム90を研究し、地上核実験が放射性降下物の形で公衆衛生に危険をもたらしたと結論付けていた[98]。また彼は原子物理学者のエドワード・テラーと公開討論に参加し、放射性降下物が突然変異を引き起こす実際の可能性を訴えた[99]。1958年、ポーリング夫妻は国際連合核兵器実験の根絶を訴え11,000人以上の科学者が署名した請願書を提出した[100][101]。その後、公共圧力は地上核兵器実験を一時停止へ導き、これに続いて1963年にはジョン・F・ケネディニキータ・フルシチョフ部分的核実験禁止条約に署名した。同条約が発効された日、ノーベル委員会は「核兵器実験や、軍備拡大、またはそれらの使用だけに止まらない、国際紛争の手段とした全武力衝突に反対した活動を1946年から絶え間無く続けてきたライナス・カール・ポーリング」[102]と述べ、彼にノーベル平和賞を授与した[103]。カリフォルニア工科大学化学科はポーリングの政治観を警戒しており、ポーリングを称えることはなかった[104]。しかし、同大学生物学科は小さなパーティを開いてポーリングを招待し、彼の放射能変異に関する研究に対して彼らはより深く理解し共鳴していることを示した[要出典]

ポーリングが化学に与えた貢献を享受した科学者を含め、批評家の多くは彼の政治姿勢に同意せず、彼をソビエト連邦共産党の純粋な代弁者であると受け止めていた。ポーリングが上院国内治安小委員会に出席を命じられた時[105]、委員会は彼を「この国における共産主義的な平和攻勢の主要活動のほぼ全てに顔を出しているナンバーワンの学名」と呼んだ[106]ライフ誌はポーリングのノーベル平和賞を「ノルウェーからの奇妙な侮辱」と呼んだ[107][108]。ポーリングは1970年にソヴィエト連邦から国際レーニン平和賞を授与された[106][109]。 しかし彼はこう発言している。

「私は共産主義の理想と目的のために奉仕したことはない」

「社会的、政治的な問題や、戦争を防ぎ、世界の平和を守るという大きな問題についての活動のなかで、私は全人類以外の何者にも奉仕したことはない」

「世界には軍事力や核爆弾という悪の力よりも更に偉大な力がある。善の力、道徳や、ヒューマニズムの力である。私は人間の精神の力を信じる」[110](『ノーモアウォー』丹波小弥太訳)

臨床医学におけるビタミン治療の研究

[編集]

1941年、40歳だったポーリングはブライト病と呼ばれる重い腎臓病と診断された。当時の専門家達は治療不能と信じていた病である。ポーリングはスタンフォード大学のスコットランド人教授トマス・アディス(英語)の助力を受け、低タンパク無塩食という当時としては奇抜な方法で病気を抑制することが出来た。アディスは自分の全患者にビタミンとミネラルを処方していた。

1951年、ポーリングは「分子医学」(Molecular Medicine)と題した講演を行った[111]。1950年代末、ポーリングは精神疾患の原因の一つに酵素の機能障害があるのではないかと疑い、脳機能における酵素の役割を研究していた。ビタミンが欠乏症予防以外に重要な生化学的効果を持つ可能性に気が付いたのは、1965年にカナダ人医師のエイブラム・ホッファー(英語)が著した『精神医学におけるナイアシン療法』を読んだ時のことであった[112]。1968年、ポーリングはサイエンス誌(PMID 5641253)に「分子矯正精神医学」(Orthomolecular Psychiatry)と題した簡単な論文を書き、1970年代に流行し物議を醸したビタミン大量療法運動の原理を与えた。ポーリングの造語である分子矯正(orthomolecular)とは、病気の抑制や治療の際に体内物質の濃度を操作する手法を意味する。この概念が中核を担っている分子矯正医学(英語)は、今日でも一部を除き効果的な治療法として未だ科学的な立証は進んでおらず、強い批判を浴びることもある[113][114][115]

ポーリングが後年に行ったビタミンCの研究は論議を呼び、最初は一部の医療専門家から似非療法と看做された[116]。1966年にポーリングは生化学者のアーウィン・ストーン(英語)から高用量ビタミンCの概念を知り、風邪の予防のために毎日数グラムのビタミンを摂り始めた[117]。その効果に興奮したポーリングは臨床文献を調査し、1970年に「ビタミンCと感冒」を発表した[118]。1970年、ポーリングはイギリスの癌外科医 ユーアン・キャメロン(英語)と長期間の臨床協力を開始し、末期癌患者の治療にビタミンCを点滴及び経口投与した[119]。キャメロンとポーリングは多くの論文のほか、彼らの研究成果を扱った一般書『癌とビタミンC』 を執筆した[120]。しかしメイヨー・クリニックの癌研究医チャールズ・モーテル(英語)らがプロスペクティブ試験、無作為化試験、プラセボ対照試験を3回にわたり行ったところ全て失敗し、超高用量のビタミンCの投与が癌の患者に効果があるという証明は得られなかった[121]。これに対しポーリングはモーテルが出した結論と最後の試験の取り扱いについて「詐欺にして意図的な誤りである」と公然に非難した[122][123]。ポーリングは未公表だった試験の詳細を少しずつ暴き、数年後に2回目のモーテルの癌試験の不備についての批判を発表したが[124]、彼の傷ついた名声を翻すことは出来なかった[125]

このモーテルとの確執が生んだ悪評は、ポーリングとそのビタミンC研究の信用を低下させた。ポーリングの反論も空しく、この3回の臨床試験の結果は癌治療での高用量のビタミンCの効用に反対論を与えた[126]。ポーリングは1950年代の地上核実験の撤廃活動以来、常に政治的・社会的に危険と隣り合わせの状態だったが[127]、この1985年のモーテルとの対立により、補助金受給の道や学術的な支援、一般社会の評判を失った。その後、ポーリングはエイブラム・ホッファーと共同で高用量ビタミンCを含む補助治療としての微量栄養素の投薬に関する研究を行った[128][129]

彼の死後10年以上を経た2006年、高用量ビタミンCの効能に関する新事実がカナダの研究グループによって提示された。同グループは、これを点滴投与した3人の患者が予想よりも長く生存していたことを確認した[125][信頼性の低い医学の情報源?]。また、同グループは新たな第I相臨床試験を予定していると報道された[130][信頼性の低い医学の情報源?]。事例報告データと臨床前情報を組み合わせは、臨床効果の生物学的妥当性及び可能性を示唆している[要説明]。今後の臨床試験では、癌患者に対する静脈内高用量ビタミンC治療の実用性と安全性の究明が最終的な課題となっている。なおすでに、高用量ビタミンCの点滴投与は患者に重大な毒性を与えることが分かっており、腎不全下痢などの副作用は十分に立証されている[131]アメリカがん協会より2007年にいわゆる癌の代替療法について指針が示された[132]

一方、ビタミンCの癌細胞への選択毒性も、2005年に in vitroペトリ皿を使用した細胞培養)で実証され、米国科学アカデミー紀要に報告されている[133][信頼性の低い医学の情報源?]

オレゴン州立大学ライナス・ポーリング研究所

[編集]

1973年、ポーリングは2人の研究者と共にカリフォルニア州のメンローパークに分子矯正医学研究所を設立、間もなくしてライナス・ポーリング科学医学研究所に改称した。ポーリングはビタミンC研究の指揮を執ったが、化学や物理の理論的研究も1994年に前立腺癌で死去するまで続けた。晩年、アテローム性動脈硬化症予防で推測されるビタミンCの働きに興味を持ち、狭心症治療におけるリシンとビタミンCの使用に関する3本の事例報告を発表した。

1996年、ライナス・ポーリング研究所はカリフォルニア州パロアルトからオレゴン州コーバリスに移転し、オレゴン州立大学の一機関[134]になった。現在でも疾病予防及び治療に用いる微量栄養素フィトケミカル(植物由来の化学物質)、その他の食事成分の研究を続けている。

麻酔の研究

[編集]

ポーリングは1961年、麻酔科学分野において、吸入麻酔薬作用機序英語版(現在でもメカニズムは完全には分かっていない[135])に関する、革新的な論文を発表した[136][137]。それまでは、Overtonが提唱したリピッド説が支配的であったが、ポーリングは水に着目し、麻酔薬と水の結晶構造が関与していると述べた[136][137]。この説は停滞気味であった麻酔薬の作用機序の研究分野において非常なセンセーションを巻き起こした[137]中田力医学生時代に読んだこの論文に衝撃を受け、専攻を心臓外科から神経学に変更し[138][139]、後に新潟大学カリフォルニア大学の教授を歴任してファンクショナルMRIの世界的権威と称された[140]。彼は当時のことを以下のように述懐している[138]

読んでいて、身震いがした。そこには、明らかに正しいと思われる、それでも、何が何だか分からない、全身麻酔薬効果の分子機序が書かれていた。全身麻酔薬と呼ばれるものはすべて、水のクラスター形成を安定化し、小さな結晶のようなものを作り出すという。母日のように哲学論議ばかりをしていた自分は、示された理論展開の正しさを判断することだけには強い自信があった。Paulingの正しさは、確信を持って断言できた。
中田力、ある秋の日に

しかし、この説を支持する研究結果は乏しく、2009年時点でほとんど省みられていない[137]

ポーリングの遺産

[編集]

ポーリングは1994年8月19日前立腺癌のため93歳で他界した[141]。遺体はアメリカ合衆国オレゴン州レイク・オスウィーゴのオスウィーゴ・パイオニア墓地に埋葬された[142][注釈 9]

今日、ポーリングが残した科学への貢献は多くの人によって称えられている。イギリスのニューサイエンティスト誌による「史上最も偉大な20人の科学者」で、アルベルト・アインシュタインと共に選ばれた唯一の20世紀の科学者である。ネイチャー誌のミレニアム・エッセイの著者であるインドの化学者ゴータム・R・デシラジュ(英語)は、ポーリングをガリレオ、ニュートン、アインシュタインに続くこの1000年で最も偉大な思想家、思弁家の一人であると2000年に主張した[143]

ポーリングは多様な分野に興味を持っていたことでも有名であり、量子力学、無機化学、有機化学、タンパク質構造、分子生物学、医学などを研究した。彼が大きな業績を残したのは、特にこれらの分野の境界にあたる部分すなわち学際的研究である。化学結合の研究では現代量子化学の端緒を開き[144]混成電気陰性度などは、今日の一般化学の教科書にも登場する重要な概念となっている。原子価結合法酸素常磁性有機金属錯体の色など分子の一部の性質を説明出来ず、後にロバート・マリケン分子軌道理論に座を奪われたが、ポーリングの原子価結合法の長所はその単純性にあり、現代でも根強く使用されている。今日存在する原子価結合法は現代的に改良されたもので、分子軌道理論密度汎関数理論らと共に化学現象を記述する道具として存続している[145]。結晶構造に関するポーリングの研究は、複雑な鉱物や化合物の構造予測と構造決定に多大な貢献を残した[146]:80–81。またαヘリックスβシートの発見はタンパク質の構造研究の基礎を築いた。1990年代に入ると多面的な活躍と主張を改めて見直す動きも見られる[147][注釈 10]

生前、フランシス・クリックに業績を認められたポーリングはしばしば「分子生物学の父」の渾名で称えられた[149][144]鎌状赤血球病を「分子病」とした彼の発見[150]は、遺伝子的突然変異を分子レベルで検査する手法を開拓した[151]

学界はポーリングのビタミンに関する医療研究の結論や著作に賛同しなかったが、彼の論議への突入は、ビタミンやミネラルなど疾病予防に効く栄養素の重要性を一般社会に知らしめた。ポーリングの姿勢は他の研究者にこれらの分野への活発な調査を促し、それらの研究は今日でも存続している。

アメリカ化学会は功績を讃えて1966年にライナス・ポーリング賞を創設し、その第1回授賞者に選んだ[152]

受賞歴

[編集]

エピソード

[編集]
  • ライナス・ポーリングはフラタニティデルタ・ユプシロン(英語)に属していた[160]
  • ライナス・ポーリングはアルファ・カイ・シグマ(英語)化学専門家フラタニティのメンバーだった[156]
  • ライナス・ポーリングはルーテル教会の教会員だった[161]
  • ライナス・ポーリングはシグマ・グザイ科学研究協会のメンバーだった。同協会のカリフォルニア工科大学支部の設立者の一人。
  • ライナス・ポーリングは毎日10グラムのビタミンCを摂っていた[162]
  • テキサス州ヒューストンには「ライナス・ポーリング・カルテット(英語)と呼ばれるサイク・ロックバンドが存在する。
  • ライナス・ポーリングは一生に48件の博士号を授与された。
  • オレゴン州コーバリスのハイランド・ビュー中学校は2003年にライナス・ポーリング中学校に改称された[163]
  • Linuxを開発したリーナス・トーバルズはポーリングの名から命名された[164]
  • ライナス・ポーリングはカリフォルニア大学サンディエゴ校で化学の教授をしていた時期(1967-69)がある[157]
  • オレゴン州立大学は7700万ドル、広さ10万平方フィート(9,300平方メートル)のライナスポーリング科学センターの建設を2000年代後半に完了し、現在ではオレゴン州立大学の化学の教室、研究室、機器の大部分を収容している。
  • 2008年3月6日、アメリカ合衆国郵政公社は、アーティストのビクター・スタビン(Victor Stabin)がデザインしたポーリングに敬意を表した41セントの切手を発売した。ポーリングの説明には次のように書かれている。「非常に多才な科学者であり、構造化学者であるライナス・ポーリング (1901–1994) は、原子を分子に結びつける化学結合の性質を決定したことにより、1954年にノーベル化学賞を受賞した。分子生物学の分野を確立した彼の研究であるヘモグロビンの研究から、鎌状赤血球貧血は分子病に分類されるようになった。」この切手のシートに載っていた他の科学者には、生化学者のガーティ・コリ、天文学者のエドウィン・ハッブル、物理学者のジョン・バーディーンがいた。
  • カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーとファーストレディーのマリア・シュライバーは2008年5月28日、ポーリングをカリフォルニア歴史・女性・芸術博物館に殿堂入りさせると発表した。就任式は2008年12月15日に行われ、ポーリングの息子が代わりにその栄誉を受けるよう求められた。
  • オレゴン州のジョン・キッツハーバー知事の宣言により、2月28日は「ライナス・ポーリング・デー」と命名された。ライナスポーリング研究所は現在も存続しているが、1996年にカリフォルニア州パロアルトからオレゴン州立大学ライナスポーリング科学センターの一部であるオレゴン州コーバリスに移転した。オレゴン州立大学のバレー図書館コレクションには、娘のエイバ・ヘレンとポーリングの論文が収録されている。これには研究ノート(1946年)のデジタル版も含まれている。
  • 1986年、カリフォルニア工科大学はシンポジウムと講義でライナス・ポーリングを記念した。カリフォルニア工科大学のポーリング講義シリーズは、1989年にポーリング自身による講義から始まった。カリフォルニア工科大学化学部は、ゲイツホールの22号室をライナス・ポーリング講義室と改名した。これはポーリングがそこで多くの時間を過ごしたからである。
  • ポーリングにちなんで名付けられた他の場所には、カリフォルニア州フットヒル牧場のポーリング・ストリートがある。カリフォルニア州ヘラクレスのライナスポーリング・ドライブ;カリフォルニア州アリソ・ビエホにあるソカ大学のライナスとエバ・ヘレンのポーリング・ホール;と、ポーリングが青春時代を過ごしたオレゴン州コンドンにある小さな飛行場、ポーリング飛行場がある。
  • イーノアF.ヘリンによって発見された内側の小惑星帯にある小惑星4674 ポーリングは、1991年に彼の90歳の誕生日にライナス・ポーリングにちなんで命名された。
  • ノーベル賞受賞者のピーター・アグレは、ライナス・ポーリングに触発されたと言った。
  • 2010年、パシフィック・ノースウェスト国立研究所は彼の栄誉をたたえて、ポスドクプログラムをライナスポーリング特別ポスドクフェローシップ・プログラムと名付けた。

主な著作

[編集]
  • Pauling, L. and Wilson, E. B. 1935. Introduction to Quantum Mechanics : with Applications to Chemistry (Dover Publications) ISBN 0-486-64871-0
    • 『量子力学序論 : 及びその化学への応用』 桂井富之助訳、白水社、1950年 NCID BN03187049
    • 『量子力学入門 : 化学の土台』 渡辺正訳、丸善出版、2016年 ISBN 978-4-621-30080-0
  • Pauling, L. 1939. The Nature of the Chemical Bond (Cornell University Press) ISBN 0-8014-0333-2
  • Pauling, L. 1941. General chemistry. (Pasadena: California Institute of Technology). (Dover Publications版 ISBN 0-486-65622-5)
  • Pauling, L. 1958. No more war! Hayward, R. (挿絵). (London: Gollencs).
  • Pauling, L., Hayward, R. 1964. The Architecture of Molecules. (San Francisco and London: Freeman).
    • 『分子の造型 : やさしい化学結合論』 木村健二郎、大谷寛治訳、丸善、1967年、NCID BN02677621
  • Pauling, L. 1970. Vitamin C the common cold and the flu. (San Francisco: W.H. Freeman). ISBN 9780716703600
    • 『がんとビタミンC』 村田晃訳、共立出版、1977年 OCLC 25734232(1981年版 NCID BN00659378
    • 『ポーリング博士のビタミンC健康法』 村田晃訳、平凡社ライブラリー、1995年
    • Cameron, E., Pauling, L. 1993. Cancer and Vitamin C: A Discussion of the Nature, Causes, Prevention, and Treatment of Cancer With Special Reference to the Value of Vitamin C (Camino Books) ISBN 0-940159-21-X
  • Pauling, L. 1986. How to Live Longer and Feel Better (New York : W.H. Freeman ISBN 0716717751 (Avon Books版 ISBN 0-380-70289-4)
    • 『ポーリング博士の快適長寿学』 村田晃訳、平凡社、1987年
  • Pauling, L., Gage, R., 池田大作『「生命の世紀」への探求―科学と平和と健康と』 篠原義近 (編集)、読売新聞社、1990年 ISBN 978-4-643-90085-9
    • 英語版 A Lifelong Quest for Peace : a dialogue(Boston : Jones and Bartlett Publishers), 2000 ISBN 9780867202779
  • Pauling, L., Marinacci, B., and Krishnamurthy, R. 1998. Linus Pauling on peace: a scientist speaks out on humanism and world survival. (Los Altos, Calif: Rising Star Press). ISBN 0-933670-03-6

有名な言葉

[編集]

"A couple of days after my talk, there was a man in my office from the FBI saying, 'Who told you how much plutonium there is in an atomic bomb?' And I said 'Nobody told me, I figured it out.'"

「私が話してから二日後に、オフィスにFBIから来たというひとりの男が現れた。『原爆中のプルトニウムの量を誰から聞いたんだ?』というので私は答えた。『誰も。私が計算したんだ。』とね。」

"I have always liked working in some scientific direction that nobody else is working in."

「私がいつも好んで研究した科学の方面は、ほかの誰もがやっていないところだった。」

"Perhaps as one of the older generation, I should preach a little sermon to you, but I do not propose to do so. I shall, instead, give you a word of advice about how to behave toward your elders. When an old and distinguished person speaks to you, listen to him carefully and with respect – but do not believe him. Never put your trust in anything but your own intellect. Your elder, no matter whether he has gray hair or lost his hair, no matter whether he is a Nobel Laureate, may be wrong... So you must always be skeptical – always think for yourself."

「たぶん古い世代の一員として、私は少々あなた方に説教しなくてはならないようだ、といってもそうしたいからではない。そうではなくて、年かさの相手に対してどうふるまうべきか、一言助言したいのだ。年輩の、ひとかどの人物が話すときは、敬意をもってその人の話を聞きなさい―しかし彼のいうことを信じ込むんじゃない。あなた自身の理性に照らさずに信頼してはいけない。年寄りは、たとえ髪が白髪だったり抜けていたりしても、恐らく悪い事にノーベル賞受賞者だったとしても、間違っているかもしれない。……そう、だからいつも懐疑的でなくてはいけない―いつも自分で考えなさい。」

"Well, you just have lots of ideas and throw away the bad ones. You aren't going to have good ideas, unless you have lots of ideas and some principle of selection."

「そうですか、いくつもアイディアはあるのに悪いものなら捨ててしまっているのですね。大量のアイディアとなんらかの選択の原則がないと、いいアイディアには巡り合えないでしょう。」

"'You should recognize,' he [Roscoe Gilkey Dickinson] said to me, 'that there is in almost every investigation a lack of complete rigor. You should understand just how reliable the arguments are that you are presenting.'"

「『知っておきなさい』と彼(ロスコー・ギルキー・ディッキンソン)は私に言った。『調査というものには、必ずといっていいほど厳密さにおいてどこか完璧ではないところがあるものだ。理解しておきなさい。自分の議論がどのくらい確かなのかを。』」

家系

[編集]
  • 父:ハーマン・ヘンリー・ウィリアム・ポーリング(薬剤師、ミズーリ州出身)
  • 母:ルーシー・イサベル・ダーリング(オレゴン州出身)
  • 妻:エヴァ・ヘレン・ミラー(オレゴン州ビーバークリーク出身、1923年結婚)
  • 息子:ライナス・カール・ポーリング Jr.(1925-)ホノルル在住。
  • 息子:ピーター・ジェフレス・ポーリング(1931-2003)結晶学者、化学講師。他界するまでウェールズに在住した[157]
  • 娘:リンダ・ヘレン・ポーリング(1932-)
  • 息子:エドワード・クレリン・ポーリング(1937-1997) サンフランシスコ州立大学カリフォルニア州立大学リバーサイド校生物学教授[157]
  • 曾孫:ルーカス・カール・ポーリング(1987-)
  • 15人の孫と19人の曾孫がいる。

注釈

[編集]
  1. ^ 原理上、化学分子生物学のすべての情報は量子力学によって記述することができる。
  2. ^ 1911年に化学賞、1903年に物理学賞を受賞している[1]
  3. ^ (Ted & Ben 1999, p. 25)は、純粋な助言を求める当初というよりは、息子自慢的な要素が強いものだったと評している。
  4. ^ 最優等学生表彰とは、学年の上位1–2%ないし5%の成績を得た者に授けられる名誉。ポーリングの名は卒業式の式次第に見ることができる[25]
  5. ^ ある時、仕事で家を開けた間にオッペンハイマーが家を訪れ、ポーリングの妻エヴァ・ヘレンをメキシコへの逢い引きに誘ったという。彼女はにべもなく断り、ポーリングにこの出来事を報告した。この事件と、妻が外見上、平静であったことにポーリングは心を乱され、すぐにオッペンハイマーとの親交を断った。
  6. ^ 現代では、コンピュータによる演算を前提とした、「分子軌道理論」と呼ばれる別の近似理論がよく活用されており、ポーリングの理論はあまり使われていない[66]
  7. ^ 実際の手稿についてはオレゴン州立大学の貴重資料を参照。
  8. ^ マッカーシズムとは、平和主義者に共産主義者の烙印を押して政治的に抹殺する運動。
  9. ^ 厳密には、この墓地に埋葬されたのは2005年になってからである[142]
  10. ^ 癌の治療法の評価とは、はたして中立かつ客観的、科学的に行いうるのか、あるいはそれ自体が政治的な思惑に彩られているのか。Evellen Richards (1991) による検証の試みではビタミンCをめぐる両者の論拠を追い、出版当時、いずれも先駆的な試みであったインターフェロンフルオロウラシルの例と比較した。臨床試験をどれほど厳密に組織化し管理しても、経済的、社会的投資に値するのかどうか疑問を投げかけている[148]

出典

[編集]
  1. ^ a b c ライナス・ポーリング - Nobelprize.org ウィキデータを編集
  2. ^ Nobel Prize Facts” (英語). Nobel Prize (April 12, 2022). January 11, 2017時点のオリジナルよりアーカイブApril 13, 2022閲覧。
  3. ^ 風邪に関するウソとホント/森田豊の健康連載”. 日刊スポーツ (2019年10月24日). 2021年11月7日閲覧。
  4. ^ Dunitz, Jack D. (1996). “Linus Carl Pauling. 28 February 1901–19 August 1994” (英語). Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society 42 (9): 316–326. doi:10.1098/rsbm.1996.0020. PMID 11619334. 
  5. ^ a b Linus Pauling's Childhood (1901–1910)” (英語). Oregon State University. April 7, 2022時点のオリジナルよりアーカイブApril 25, 2013閲覧。
  6. ^ The Ancestry of Linus Pauling (The Paulings) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月22日閲覧。
  7. ^ a b c d Hager, Thomas (1995). Force of Nature: The Life of Linus Pauling. Simon & Schuster. ISBN 978-0-684-80909-0. https://archive.org/details/forceofnaturelif00hage 
  8. ^ a b c d e Goertzel, Ted; Goertzel, Ben (1995) (英語). Linus Pauling: A Life in Science and Politics. Basic Books. ISBN 978-0-465-00672-4. https://archive.org/details/linuspaulinglife0000goer_i4n1 
  9. ^ Mead, Clifford, ed (2001). Linus Pauling: Scientist and Peacemaker. Oregon State University Press. ISBN 978-0-87071-489-4 
  10. ^ a b Ted & Ben 1999, p. 25.
  11. ^ Ted & Ben 1999, p. 255.
  12. ^ Ted & Ben 1999, p. 32-33.
  13. ^ a b Ted & Ben 1999, p. 33.
  14. ^ Ted & Ben 1999, p. 39.
  15. ^ Linus Pauling Biography”. Elsevier Publishing Company (1972年). 2007年8月5日閲覧。 “Peace 1951-1970”
  16. ^ Ted & Ben 1999, p. 43.
  17. ^ Swanson, Stephen (October 3, 2000). “OSU fraternity to donate Pauling treasures to campus library” (英語). Oregon State University. March 3, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。April 29, 2013閲覧。
  18. ^ Ted & Ben 1999, pp. 44–45.
  19. ^ Ted & Ben 1999, pp. 47–48.
  20. ^ a b c d Califano, Salvatore (2012). Pathways to modern chemical physics. Heidelberg [Germany]: Springer. p. 198. ISBN 978-3-642-28179-2. https://books.google.com/books?id=s-sCt4RT0bMC&pg=PA198 May 27, 2015閲覧。 
  21. ^ Ted & Ben 1999, p. 53.
  22. ^ Ted & Ben 1999, p. 57.
  23. ^ Ted & Ben 1999, pp. 72–73.
  24. ^ Ted & Ben 1999, p. 81.
  25. ^ (pdf) Commencement 1925. カリフォルニア工科大学パダデナ校. (1925年6月12日). https://caltechcampuspubs.library.caltech.edu/2537/1/1925.pdf 
  26. ^ Linus Pauling Institute. “Linus Pauling: A Biographical Timeline”. 2007年8月5日閲覧。
  27. ^ Ted & Ben 1999, pp. 50–52.
  28. ^ Linus Pauling as a Graduate and Postdoctoral Student at the California Institute of Technology, Part 1 (1922-1923) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年11月2日閲覧。
  29. ^ The Linus Pauling Papers: Biographical Information”. United States National Library of Medicine (n.d.). November 10, 2011閲覧。
  30. ^ Linus Pauling as a Graduate and Postdoctoral Student at the California Institute of Technology, Part 2 (1924-1926) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  31. ^ a b A Guggenheim Fellow in Europe during the Golden Years of Physics (1926-1927) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  32. ^ Arnold Sommerfeld - Key Participants - Linus Pauling and The Nature of the Chemical Bond: A Documentary History”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  33. ^ Erwin Schrödinger - Key Participants - Linus Pauling and The Nature of the Chemical Bond: A Documentary History”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  34. ^ Cohen, Robert S.; Hilpinen, Risto; Qiu, Ren-Zong, eds. (9 December 2010) [1996-10-31]. Realism and anti-realism in the philosophy of science. Beijing International Conference 1992. Dordrecht: Springer. p. 161. ISBN 978-90-481-4493-8. OL 28281917M. 2015年5月27日閲覧
  35. ^ About Linus Pauling” (英語). Pacific Northwest National Laboratory. March 2, 2022時点のオリジナルよりアーカイブApril 13, 2022閲覧。
  36. ^ a b Pauling, Linus (April 6, 1987). written at Denver (英語). Oral history interview with Linus C. Pauling. Philadelphia: Science History Institute. オリジナルのAugust 16, 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816110527/https://digital.sciencehistory.org/works/5h73px42w April 13, 2022閲覧。 
  37. ^ Early Career at the California Institute of Technology (1927-1930) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  38. ^ Pauling, Linus (April 1, 1929). “The principles determining the structure of complex ionic crystals”. Journal of the American Chemical Society 51 (4): 1010–1026. doi:10.1021/ja01379a006. 
  39. ^ Pauling, Linus (January 31, 1960). The nature of the chemical bond and the structure of molecules and crystals; an introduction to modern structural chemistry (3rd ed.). Ithaca, New York: Cornell University Press. pp. 543–562. ISBN 978-0-8014-0333-0. OL 26811428M. https://books.google.com/books?id=L-1K9HmKmUUC 
  40. ^ Hager, Thomas (December 2004). “The Langmuir Prize” (英語). Oregon State University. December 12, 2020時点のオリジナルよりアーカイブFebruary 29, 2008閲覧。
  41. ^ a b Pauling's Great Years of Achievement in Structural Chemistry, Part 1 (1931-1932) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月25日閲覧。
  42. ^ Ted & Ben 1999, pp. 102–103.
  43. ^ Pauling, Linus (March 1, 1932). “The nature of the chemical bond. III. The transition from one extreme bond type to another”. Journal of the American Chemical Society 54 (3): 988–1003. doi:10.1021/ja01342a022. 
  44. ^ a b c Monk, Ray (March 11, 2014). Robert Oppenheimer : a life inside the center (First Anchor Books ed.). Anchor Books. p. 203. ISBN 978-0-385-72204-9. OL 32935915M. https://books.google.com/books?id=EkJ9aWTjWjUC&pg=PA203 
  45. ^ a b Hiroshima”. Linus Pauling and the International Peace Movement. Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University. 2024年10月28日閲覧。
  46. ^ Ted & Ben 1999, p. 96.
  47. ^ Hargittai, István; Hargittai, Magdolna (February 29, 2000) (英語). In our own image: personal symmetry in discovery. New York City: Springer Nature. ISBN 978-0-306-46091-3. LCCN 99-33173. OL 9669915M. https://books.google.com/books?id=KPqac4Y551AC&pg=PA134 May 27, 2015閲覧。 
  48. ^ Pauling, L. (September 1, 1932). “The Nature of the Chemical Bond. IV. The Energy of Single Bonds and the Relative Electronegativity of Atoms”. Journal of the American Chemical Society 54 (9): 3570–3582. doi:10.1021/ja01348a011. ISSN 0002-7863. LCCN 16-3159. OCLC 01226990. 
  49. ^ The Pauling Electronegativity Scale: Part 2, Inspired by Biology” (英語). Oregon State University (March 17, 2009). November 17, 2021時点のオリジナルよりアーカイブMarch 17, 2009閲覧。
  50. ^ Ted & Ben 1999, pp. 98–111.
  51. ^ Ted & Ben 1999, pp. 110–111.
  52. ^ Ted & Ben 1999, p. 187.
  53. ^ The Nobel Prize in Chemistry 1954” (英語). NobelPrize.org. 2024年11月2日閲覧。
  54. ^ Pauling, Linus (1939) (English). The Nature of the Chemical Bond and the Structure of Molecules and Crystals. An introduction to modern structural chemistry.. Pp. xiv. 429. Cornell University Press: Ithaca. OCLC 752970796. https://www.worldcat.org/title/nature-of-the-chemical-bond-and-the-structure-of-molecules-and-crystals-an-introduction-to-modern-structural-chemistry/oclc/752970796?referer=br&ht=edition 
  55. ^ Watson, James D. (2001). A passion for DNA: genes, genomes, and society (2003 ed.). Oxford: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-860428-0. OL 7401431M. https://archive.org/details/passionfordnagen0000wats 
  56. ^ Pauling, Linus (1928年). “London's paper. General ideas on bonds”. Oregon State University Libraries Special Collections. June 2, 2015閲覧。
  57. ^ Ted & Ben 1999, pp. 104, 114–115.
  58. ^ Ted & Ben 1999, pp. 106–107.
  59. ^ Ted & Ben 1999, p. 104.
  60. ^ Pauling(1960), pp=111-120
  61. ^ Pauling(1960), p=66
  62. ^ Ted & Ben 1999, pp. 67–68.
  63. ^ Pauling, Linus (1930s). “Notes and Calculations re: Electronegativity and the Electronegativity Scale”. Oregon State University Libraries Special Collections. February 29, 2008閲覧。
  64. ^ Pauling, Linus (January 6, 1934). “Benzene”. Oregon State University Libraries Special Collections. February 29, 2008閲覧。
  65. ^ a b c d e Ted & Ben 1999, p. 112.
  66. ^ Ted & Ben 1999, p. 111.
  67. ^ Pauling, Linus (October 1965). “The close-packed-spheron theory and nuclear fission”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  68. ^ Pauling, Linus (October 1965). “The close-packed spheron model of atomic nuclei and its relation to the shell model”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  69. ^ Pauling, Linus (July 1966). “The close-packed-spheron theory of nuclear structure and the neutron excess for stable nuclei (Dedicated to the seventieth anniversary of Professor Horia Hulubei)”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  70. ^ Pauling, Linus (December 1967). “Magnetic-moment evidence for the polyspheron structure of the lighter atomic nuclei”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  71. ^ Pauling, Linus (November 1969). “Orbiting clusters in atomic nuclei”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  72. ^ Pauling, Linus; Arthur B. Robinson (1975年). “Rotating clusters in nuclei”. Canadian Journal of Physics. 2007年8月5日閲覧。
  73. ^ Pauling, Linus (February 1991). “http://osulibrary.orst.edu/specialcollections/rnb/26/26-125.html”. Proc. Natl. Acad. Sci.. 2007年8月5日閲覧。
  74. ^ Pauling, Linus, 1901-1994. (1985, ©1963). Introduction to quantum mechanics : with applications to chemistry. Wilson, E. Bright (Edgar Bright), 1908-. New York, N.Y.: Dover Publications. ISBN 9780486134932. OCLC 830473042. https://www.worldcat.org/oclc/830473042 
  75. ^ Cook, Norman D. (2010) (英語). Models of the atomic nucleus : unification through a lattice of nucleons (2nd ed ed.). Springer. https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB0473276X 
  76. ^ Pauling, Linus (November 15, 1969). “Orbiting clusters in atomic nuclei”. Proceedings of the National Academy of Sciences 64 (3): 807–809. Bibcode1969PNAS...64..807P. doi:10.1073/pnas.64.3.807. PMC 223305. PMID 16591799. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC223305/. 
  77. ^ Linus C. Pauling, Ph.D. Biography and Interview”. www.achievement.org. American Academy of Achievement. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  78. ^ Kay, Lily E. (1996). The molecular vision of life: Caltech, the Rockefeller Foundation, and the rise of the new biology. New York [u.a.]: Oxford University Press. pp. 148–151. ISBN 978-0-19-511143-9. https://books.google.com/books?id=vEHeNI2a8OEC&pg=PA148 May 27, 2015閲覧。 
  79. ^ Livio, Mario (2014). Brilliant blunders: from Darwin to Einstein: colossal mistakes by great scientists that changed our understanding of life and the universe. [S.l.]: Simon & Schuster. ISBN 978-1-4391-9237-5. https://books.google.com/books?id=0XmmAwAAQBAJ&pg=PA285 
  80. ^ Pauling, L; Corey, RB (1951). “Configurations of Polypeptide Chains With Favored Orientations Around Single Bonds: Two New Pleated Sheets”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 37 (11): 729–40. Bibcode1951PNAS...37..729P. doi:10.1073/pnas.37.11.729. PMC 1063460. PMID 16578412. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1063460/. 
  81. ^ Goertzel and Goertzel, p. 95-100.
  82. ^ Pauling, Linus (1954-11). “蛋白質分子の構造”. 自然 9 (11): 38–44. https://cir.nii.ac.jp/crid/1523669555636001024. 
  83. ^ “Structure of the nucleic acids”. Nature 171 (4347): 346. (February 1953). Bibcode1953Natur.171..346P. doi:10.1038/171346a0. PMID 13036888. 
  84. ^ “Structure of the nucleic acids”. Nature 171 (4347): 346. (February 1953). Bibcode1953Natur.171..346P. doi:10.1038/171346a0. PMID 13036888. 
  85. ^ Linus Pauling's DNA Model”. 2007年8月6日閲覧。
  86. ^ Metzler, David E. (2003). Biochemistry (2nd ed.). San Diego: Harcourt, Academic Pr.. ISBN 978-0-12-492541-0. https://books.google.com/books?id=X194AYXInC8C&pg=PA330 
  87. ^ Cruse, Julius M.; Lewis, Robert E. (2010). Atlas of immunology (3rd ed.). Boca Raton, FL: CRC Press/Taylor & Francis. p. 21. ISBN 978-1-4398-0268-7. https://books.google.com/books?id=kNI5Lk2z37sC&pg=PA21 May 27, 2015閲覧。 
  88. ^ a b Tudge, Colin (1995). The engineer in the garden: Genes and genetics: from the idea of heredity to the creation of life (1st American ed.). New York: Hill and Wang. ISBN 978-0-8090-4259-3. https://books.google.com/books?id=Wprqex2OGY4C&pg=PT74 May 27, 2015閲覧。 
  89. ^ Pauling, Linus; Harvey Itano, S. J. Singer, Ibert Wells (November 1949). “Sickle Cell Anemia, a Molecular Disease”. Science. 2007年8月5日閲覧。
  90. ^ Strasser, Bruno J. (August 30, 2002). “Linus Pauling's "molecular diseases": Between history and memory”. American Journal of Medical Genetics 115: 83-93. doi:10.1002/ajmg.10542. PMID 12400054. http://biologie.unige.ch/assets/brunostrasser/Strasser_AJMG_2002.pdf 2024年10月21日閲覧。. 
  91. ^ Strasser, Bruno J. (August 30, 2002). “Linus Pauling's "molecular diseases": Between history and memory”. American Journal of Medical Genetics 115: 83-93. doi:10.1002/ajmg.10542. PMID 12400054. http://biologie.unige.ch/assets/brunostrasser/Strasser_AJMG_2002.pdf May 27, 2015閲覧。. 
  92. ^ Linus Pauling and the Peace Movement - p. 1 of 8”. globetrotter.berkeley.edu. 2019年5月23日閲覧。
  93. ^ Hager, Thomas (November 29, 2007). “Einstein”. Oregon State University Libraries Special Collections. December 13, 2007閲覧。
  94. ^ Guide to the Emergency Committee of Atomic Scientists Records 1946-1952”. www.lib.uchicago.edu. 2023年8月22日閲覧。
  95. ^ a b Linus Pauling”. U.S. Stamp Gallery. June 2, 2015閲覧。
  96. ^ a b c Pauling, Linus (May 1952). “The Department of State and the Structure of Proteins”. Oregon State University Libraries Special Collections. December 13, 2007閲覧。
  97. ^ Hager, Thomas (November 29, 2007). “Russell/Einstein”. Oregon State University Libraries Special Collections. December 13, 2007閲覧。
  98. ^ a b The Baby Tooth Survey”. The Pauling Blog. June 1, 2011閲覧。
  99. ^ Moore, Kelly (2008). Disrupting science : social movements, American scientists, and the politics of the military, 1945–1975. Princeton: Princeton University Press. p. 113. ISBN 978-0-691-11352-4. https://books.google.com/books?id=qlBCTlVq_0EC&pg=PA113 May 28, 2015閲覧。 
  100. ^ The Nobel Peace Prize 1962 Linus Pauling: Nobel Lecture”. Nobel Prize.org. May 28, 2015閲覧。
  101. ^ Linus Pauling Receives the Nobel Peace Prize”. The Pauling Blog. December 10, 2013閲覧。
  102. ^ Pauling, Linus (October 10, 1963). “Notes by Linus Pauling. October 10, 1963 (Manuscript Notes and Typescripts)”. scarc.library.oregonstate.edu. December 13, 2007閲覧。 “ポーリングの自筆メモ。ノーベル平和賞を受賞した知らせを伝えた時の、周りの反応を書き付けてある。”
  103. ^ “Nobel Peace Prize Awarded to Pauling”. Palo Alto Times. (October 10, 1963). http://scarc.library.oregonstate.edu/coll/pauling/peace/newsclips/1963n.30.html May 27, 2015閲覧。 
  104. ^ Increasing Involvement in World Peace, Part 2 (1959-1963) - Pauling Chronology - Ava Helen and Linus Pauling Papers - Special Collections & Archives Research Center, Oregon State University Libraries”. scarc.library.oregonstate.edu. 2024年10月28日閲覧。
  105. ^ Laws, United States Congress Senate Committee on the Judiciary Subcommittee to Investigate the Administration of the Internal Security Act and Other Internal Security、Pauling, Linus、Keating, Kenneth B. (Kenneth Barnard)『Testimony of Dr. Linus Pauling, June 21 and October 11, 1960』Greenwood Press、19--https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB20022324 
  106. ^ a b Mason, Stephen F. (1997). “The Science and Humanism of Linus Pauling (1901–1994)”. Chemical Society Reviews 26: 29–39. doi:10.1039/cs9972600029. オリジナルのMay 15, 2009時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090515124732/http://oregonstate.edu/dept/spc/subpages/ahp/overview/entirearticle.htm May 20, 2015閲覧。. 
  107. ^ Kovac, Jeffrey (1999). “A weird insult from Norway: Linus Pauling as public intellectual”. Soundings: An Interdisciplinary Journal 82 (1/2): 91–106. JSTOR 41178914. 
  108. ^ “A Weird Insult From Norway”. Life 5 (17): 4. (October 25, 1963). https://books.google.com/books?id=UlIEAAAAMBAJ&pg=PA6. 
  109. ^ “Linus Pauling Is Awarded Lenin Peace Prize by Soviet”. ニューヨーク・タイムズ. (1970年4月18日). https://www.nytimes.com/1970/04/18/archives/linus-pauling-is-awarded-lenin-peace-prize-by-soviet.html 
  110. ^ Pauling, Linus (1958) (英語). No More War! Illustrated with Drawings. Dodd, Mead. https://books.google.co.jp/books?id=nNKGwwEACAAJ&dq=No+More+War!+1958+Pauling&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwiVr529t7LiAhUjxosBHcEHAtoQ6AEILzAB 
  111. ^ Pauling, Linus (October 1951). “Molecular Medicine”. Ava Helen and Linus Pauling Papers. 2007年8月5日閲覧。
  112. ^ author エイブラム・ホッファー著『統合失調症を治す : 栄養療法による驚異的回復!』大沢博 (訳) 、第三文明社、2005年
  113. ^ 感冒に対するビタミンC (Vitamin C for the common cold Douglas RM, Chalker EB, Treacy B)
  114. ^ Cassileth, BR (1998:67). Alternative Medicine Handbook: the Complete Reference Guide to Alternative and Complementary Therapies. New York: W.W. Norton & Co. 
  115. ^ Vitamin Therapy, Megadose / Orthomolecular Therapy”. BC Cancer Agency (February 2000). 2007年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
  116. ^ Stephen Barrett M.D. (2001年5月5日). “The Dark Side of Linus Pauling's Legacy”. Quackwatch. 2007年8月5日閲覧。
  117. ^ Pauling, Linus (1974-11). “Are Recommended Daily Allowances for Vitamin C Adequate?”. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 71 (11): 4442–4446. ISSN 0027-8424. PMID 4612519. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC433902/. 
  118. ^ Pauling, Linus (1972) (English). Vitamin C and the common cold. London: Ballantine Books : [Distributed by] Pan Books. ISBN 9780345097132. OCLC 16190591. https://www.worldcat.org/title/vitamin-c-and-the-common-cold/oclc/16190591&referer=brief_results 
  119. ^ Ewan Cameron M.D.. “Cancer bibliography”. Doctoryourself.com. 2007年8月5日閲覧。
  120. ^ Ewen Cameron; Linus Pauling; Linus Pauling Institute of Science and Medicine (1979) (English). Cancer and vitamin C : a discussion of the nature, causes, prevention, and treatment of cancer with specific reference to the value of vitamin C.. Menlo Park, CA: Linus Pauling Institute of Science and Medicine. ISBN 9780393500004. OCLC 954284338. https://www.worldcat.org/title/cancer-and-vitamin-c-a-discussion-of-the-nature-causes-prevention-and-treatment-of-cancer-with-specific-reference-to-the-value-of-vitamin-c/oclc/954284338&referer=brief_results 
  121. ^ Stephen Barrett M.D. (1999年11月7日). “High Doses of Vitamin C Are Not Effective as a Cancer Treatment”. Quackwatch. 2007年8月5日閲覧。
  122. ^ Ted Goertzel (1996年). “Analyzing Pauling's Personality: A Three Generational, Three Decade Project”. Special Collections, Oregon State University Libraries. 2007年8月5日閲覧。
  123. ^ (2005), University of Chicago Press, ISBN 0-226-11366-3, Excerpt from pages 89-111
  124. ^ Mark Levine; Sebastian J. Padayatty, Hugh D. Riordan, Stephen M. Hewitt, Arie Katz, L. John Hoffer (2006年3月28日). “Intravenously administered vitamin C as cancer therapy: three cases”. CMA Media. 2007年8月5日閲覧。
  125. ^ a b Padayatty S, Riordan H, Hewitt S, Katz A, Hoffer L, Levine M (2006). “Intravenously administered vitamin C as cancer therapy: three cases”. CMAJ 174 (7): 937-42. PMID 16567755. 
  126. ^ [1]
  127. ^ No More War!”. Linus Pauling and the Twentieth Century. 2006年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月6日閲覧。
  128. ^ Andrew W. Saul; Dr. Abram Hoffer. “Abram Hoffer, M.D., Ph.D. 50 Years of Megavitamin Research, Practice and Publication”. Doctoryourself.com. 2007年8月5日閲覧。
  129. ^ Hoffer, Abram, 1917-2009. (2004). Healing cancer : complementary vitamin & drug treatments. Pauling, Linus, 1901-1994.. Toronto, Ont.: CCNM Press. ISBN 1897025114. OCLC 56682217. https://www.worldcat.org/oclc/56682217 
  130. ^ Assouline S, Miller W (2006). “High-dose vitamin C therapy: renewed hope or false promise?”. CMAJ 174 (7): 956-7. PMID 16567756. 
  131. ^ Lawton J, Conway L, Crosson J, Smith C, Abraham P (1985). “Acute oxalate nephropathy after massive ascorbic acid administration”. Arch Intern Med 145 (5): 950-1. PMID 3994472. 
  132. ^ (英語) American Cancer Society's Complete Guide to Complementary and Alternative Cancer Methods.. American Cancer Society. (2007). ISBN 9780944235713. OCLC 855370932. https://www.worldcat.org/title/american-cancer-societys-complete-guide-to-complementary-and-alternative-cancer-methods/oclc/855370932&referer=brief_results 
  133. ^ Chen Q, Espey M, Krishna M, Mitchell J, Corpe C, Buettner G, Shacter E, Levine M (2005). “Pharmacologic ascorbic acid concentrations selectively kill cancer cells: action as a pro-drug to deliver hydrogen peroxide to tissues”. Proc Natl Acad Sci U S A 102 (38): 13604-9. PMID 16157892. [2]
  134. ^ About the Linus Pauling Institute (ラインス・ポーリング研究所について)” (英語). Linus Pauling Institute. オレゴン州立大学. 2019年5月23日閲覧。
  135. ^ openanesthesia. “Inhaled Anesthetic Agents: Mechanism of Action, Uptake, and Distribution” (英語). OpenAnesthesia. 2024年10月24日閲覧。
  136. ^ a b Pauling, L. (1961-07-07). “A molecular theory of general anesthesia”. Science (New York, N.Y.) 134 (3471): 15–21. doi:10.1126/science.134.3471.15. ISSN 0036-8075. PMID 13733483. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/13733483/. 
  137. ^ a b c d 小栗 顕二 (2009). “特別寄稿:『Pauling の麻酔分子論』の周辺” (PDF). 麻酔・集中治療とテクノロジー: 129-131. https://jsta.net/pdf/2009.pdf. 
  138. ^ a b 中田力 (2008-01). “ある秋の日に” (PDF). 学術の動向 (日本学術協力財団): 74-76. https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits1996/13/1/13_74/_pdf/-char/ja. 
  139. ^ 中田力脳のなかの水分子 : 意識が創られるとき』紀伊國屋書店、2006年8月。ISBN 978-4-314-01011-5https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784314010115 
  140. ^ ■NEWS 脳神経学者・中田力氏「偲ぶ会」、最晩年に難解論文と小説を執筆|Web医事新報|日本医事新報社”. www.jmedj.co.jp. 2024年10月24日閲覧。
  141. ^ Goertzel, Ted; Ben Goertzel (1995). Linus Pauling: A Life in Science and Politics. New York: Basic Books. pp. p247. ISBN 0-465-00673-6 
  142. ^ a b The Centennial: Who's Buried in Linus Pauling's Grave?”. October 9, 2022時点のオリジナルよりアーカイブDecember 26, 2012閲覧。
  143. ^ Desiraju, G.R. (2000年11月23日). “The all-chemist” (PDF). Nature. 2007年8月5日閲覧。
  144. ^ a b Rich, Alexander (1994). “Linus Pauling (1901–1994)”. Nature 371 (6495): 285. Bibcode1994Natur.371..285R. doi:10.1038/371285a0. PMID 8090196. 
  145. ^ A Conversation on VB vs MO Theory: A Never-Ending Rivalry?”. ACS Publications. pp. 750-756 (2003年). 2007年8月5日閲覧。
  146. ^ Pauling, Linus (1995). Marinacci, Barbara. ed (英語). Linus Pauling: in his own words : selected writings, speeches, and interviews. New York City: Simon & Schuster. ISBN 978-0-684-81387-5. https://archive.org/details/linuspaulinginhi0000paul May 27, 2015閲覧。 
  147. ^ Davenport, Derek A. (1996-09-01). “The Many Lives of Linus Pauling: A review of Reviews”. Journal of Chemical Education 73 (9): A210. doi:10.1021/ed073pA210. ISSN 0021-9584. 
  148. ^ Richards, Evelleen (1991). Vitamin C and cancer : medicine or politics?. Macmillan. NCID BA19116401 
  149. ^ “Pauling Honored by Scientists at Caltech Event”. Los Angeles Times. United Press International. (March 1, 1986). https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1986-03-01-me-13101-story.html July 22, 2012閲覧。 
  150. ^ Pauling, L.; Itano, H. A.; Singer, S. J.; Wells, I. C. (1949-11-25). “Sickle Cell Anemia, a Molecular Disease” (英語). Science 110 (2865): 543–548. doi:10.1126/science.110.2865.543. ISSN 0036-8075. http://www.sciencemag.org/cgi/doi/10.1126/science.110.2865.543. 
  151. ^ Strasser, Bruno J. (August 30, 2002). “Linus Pauling's "molecular diseases": Between history and memory”. American Journal of Medical Genetics 115 (2): 83–93. doi:10.1002/ajmg.10542. PMID 12400054. オリジナルのOctober 9, 2022時点におけるアーカイブ。. https://ghostarchive.org/archive/20221009/http://biologie.unige.ch/assets/brunostrasser/Strasser_AJMG_2002.pdf May 27, 2015閲覧。. 
  152. ^ Past Awards”. web.archive.org (2009年10月13日). 2019年5月23日閲覧。
  153. ^ ACS Award in Pure Chemistry” (英語). American Chemical Society. 2019年5月23日閲覧。
  154. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Sturchio, Jeffrey L. (April 6, 1987) (pdf). Linus C. Pauling, Transcript of an Interview Conducted by Jeffrey L. Sturchio in Denver, Colorado on 6 April 1987 (コロラド州デンバーで行ったL・ポーリングとの面談の筆耕。聞き手:Jeffrey L. Sturchio。1987年4月6日実施). フィラデルフィア: Chemical Heritage Foundation. https://oh.sciencehistory.org/sites/default/files/pauling_l_0067_suppl.pdf 
  155. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Linus Pauling: Awards, Honors and Medals”. scarc.library.oregonstate.edu. 2019年5月23日閲覧。
  156. ^ a b Alpha Chi Sigma Fraternity, Certificate of Membership. June 23, 1940 - Linus Pauling: Awards, Honors and Medals”. scarc.library.oregonstate.edu. 2019年5月23日閲覧。
  157. ^ a b c d Linus Pauling Biography”. Linus Pauling Institute of Science and Medicine (1994年). 2007年8月5日閲覧。
  158. ^ Orthomolecular Medicine Hall of Fame”. orthomolecular.org. 2019年5月23日閲覧。
  159. ^ Linus Pauling featured a part of American Scientists Postage Stamps”. oregonstate.edu. 2019年5月23日閲覧。
  160. ^ Delta Upsilon Fraternity, Certificate of Membership. January 14, 1922 - Linus Pauling: Awards, Honors and Medals”. scarc.library.oregonstate.edu. 2019年5月23日閲覧。
  161. ^ | American Institute of Physics”. www.aip.org. 2019年5月23日閲覧。
  162. ^ Vitamin C does not cause cancer. Less at 11 - Men's Fitness Takes on TV News”. Men's Fitness (February 2002). 2007年8月5日閲覧。 “Brief Article”
  163. ^ Gazette-Times, Raju Woodward, Corvallis. “A son’s tribute by Linus Pauling Jr.” (英語). Corvallis Gazette Times. 2019年5月23日閲覧。
  164. ^ Linus Torvalds: A Very Brief and Completly Unauthorized Biography” (2006年1月24日). 2007年8月5日閲覧。

参考文献

[編集]

著者の姓ABC順

  • Coffey, Patrick (2008). Cathedrals of Science: The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry. Oxford University Press. ISBN 978-0-19-532134-0.
  • Davenport, Derek A. (1996). "The Many Lives of Linus Pauling: A Review of Reviews". Journal of Chemical Education. 73 (9): A210. Bibcode1996JChEd..73..210D . doi:10.1021/ed073pA210.
  • Goertzel, Ted and Ben Goertzel, "Linus Pauling: A Life in Science and Politics" Basic Books (1995) ISBN 0-465-00672-8
    • Ted, Goertzel、Ben, Goertzel『ポーリングの生涯』1999年10月5日。ISBN 4022574216 
  • Hager, Thomas, "Force of Nature: The Life of Linus Pauling" Simon & Schuster (1995) ISBN 0-684-80909-5
  • Hager, Thomas, "Linus Pauling and the Chemistry of Life" Oxford University Press (1998) ISBN 0-19-513972-0
    • トム・ヘイガー『ライナス・ポーリング : 科学への情熱と平和への信念』梨本治男 (訳)(オックスフォード科学の肖像 / オーウェン・ギンガリッチ編集代表)大月書店 (2011)
  • Hargittai, István (2000). Hargittai, Magdolna (ed.). Candid science: conversations with famous chemists (Reprinted ed.). London: Imperial College Press. ISBN 978-1860941511.
  • Inglis, John R. Inspiring science: Jim Watson and the age of DNA. Cold Spring Harbor N.Y: Cold Spring Harbor Laboratory. (2003) ISBN 9780879696986
  • Marinacci, Barbara, and Ramesh Krishnamurthy, "Linus Pauling on Peace" Rising Star Press (1998) ISBN 0-933670-03-6
  • Mead, Clifford and Thomas Hager, "Linus Pauling: Scientist and Peacemaker" Oregon State University Press (2001) ISBN 0-87071-489-9
  • 村田晃『ライナス・ポーリングの八十三年』共立出版 (1984) ISBN 4320008154
  • Serafini, Anthony, "Linus Pauling: A Man and His Science" Paragon House (1989) ISBN 1-55778-440-X
    • アンソニー・セレフィニ『ライナス ポーリング : その実像と業績』加藤郁之進 (監訳) 宝酒造 (1994) ISBN 2486205349
  • White, Florence M, "Linus Pauling, scientist and crusader" New York, N.Y. : Walker (1980) OCLC 1036667109
    • 『ライナス・ポーリング : 二度のノーベル賞に輝いた科学者・平和運動家』多田舜保 (訳補著) NCID BN01185235
  • 高橋昌一郎『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』PHP研究所、2024年5月。ISBN 978-4-569-85681-0 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

ビデオ

論稿

経歴

オレゴン州立大学ライナス・ポーリング研究所

評伝