電子

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電子
Electron orbitals.svg
核外電子の軌道の例 1sは最もエネルギー準位が低くすべての中性原子が備える。右下のπと書かれた軌道はベンゼンなどの分子に見られる。
組成 素粒子
粒子統計 フェルミ粒子
グループ レプトン
世代 第一世代
相互作用 弱い相互作用
電磁相互作用
重力相互作用
反粒子 陽電子 (e+
 
)
理論化 ウィリアム・クルックス(1875年頃)
発見 ジョセフ・ジョン・トムソン(1897年)
記号 e
 
質量 9.10938356(11)×10−31 kg[1]
電荷 -e
-1.6021766208(98)×10−19 C[2]
磁気モーメント -928.4764620(57)×10−26 J/T[3]
色荷 持たない
スピン 1/2
レプトン数 1
バリオン数 0
弱アイソスピン -1/2
弱超電荷 -1/2

電子(でんし、(: 西: : electron))とは、宇宙を構成するレプトンに分類される素粒子である。素粒子標準模型では、第一世代の荷電レプトンに位置付けられる。電子は電荷-1、スピン1/2のフェルミ粒子である。記号は e で表される。また、ワインバーグ=サラム理論において弱アイソスピンは-1/2、弱超電荷は-1/2である。

諸定数[編集]

電荷[編集]

電子の電荷は符号が負で大きさは電気素量に等しい。その値は

である(2014 CODATA推奨値[2])。

質量[編集]

電子の質量 me

である(2014 CODATA推奨値[1][4])。陽子の質量 mp に対する比は

である(2014 CODATA推奨値[5])。

電子の比電荷

である(2014 CODATA推奨値[6])。

コンプトン波長[編集]

電子のコンプトン波長 λe

である(2014 CODATA推奨値[7])。

古典半径[編集]

電子の古典半径 re

である(2014 CODATA推奨値[8])。

トムソン断面積[編集]

トムソン断面積 σe

である(2014 CODATA推奨値[9])。

磁気モーメント[編集]

電子の磁気モーメント μe

である(2014 CODATA推奨値[3])。ボーア磁子 μB に対する比は

である(2014 CODATA推奨値[10])。

大きさ[編集]

電子の大きさ(内部構造)については、標準模型においては内部構造のない点として扱われるが、それを超える模型において電子が大きさを持つかどうか・内部構造を持つかどうかは判明していない。これまでに高エネルギーの電子の衝突実験で電子に大きさがある兆候は見つかっていないし、電子を大きさのない素粒子として扱って矛盾のない量子論(量子電気力学)もほぼ完成している[11]。ただし重力に関しては繰り込みは成功しておらず、下記シュバルツシルト半径が(現実的に存在するかどうかは別として)計算上存在する。また、電子には内部と外部を区別をする明確な境界を定義できない。

電子の大きさ・広がりに関して考慮する数値の概算値を以下に示す。

古典半径 
2.818×10−15 m
電磁的上限半径 
1.0×10−18 m
2006年の実験による上限値 
1.0×10−22 m
クォーク第2版(ブルーバックス)による理論値 
1.0×10−32 m
プランク長(超弦理論による電子)
1.6×10−35 m
シュヴァルツシルト半径 
1.3×10−57 m

原子中の電子[編集]

原子は、原子核と電子(核外電子)によって構成されている事が現在では分かっている。

古典論的には初め、1902年頃に原子は立方体状で電子はその8つの頂点に存在する、と言う立方体モデル英語版ギルバート・ルイスによって提唱されていたが[12]、直後の1904年に正の電荷のスープの中に電子が散らばっていると言うブドウパンモデルJ. J. トムソンによって提唱され[13]、定着していた。しかし同年、電子は正電荷を帯びた原子核の周りを土星の環の様な形で回っている、と言う土星型原子モデルが長岡半太郎によって提唱され、更にこのモデルを参考に1911年、電子は原子核の周りを惑星の様に回っている、と言うラザフォードの原子模型アーネスト・ラザフォードが提唱した為、このモデルが惑星型モデルとして定着した。しかし、これらの模型は様々な物理的矛盾を含んでいた為、その矛盾を解消すべく1913年に、電子は特定の量子条件や振動数条件を満たす電子軌道を回っている、と言うボーアの原子模型ニールス・ボーアによって提唱され、現在ではこのモデルが、電子は飛び飛びのエネルギー準位をもつ原子軌道を、通常は最も低いエネルギー準位の軌道から順に占有していく、と言う量子力学に基づいた原子模型へと発展し、用いられている。

ベータ崩壊の際に、原子核内で発生してそこから出てくる粒子線に含まれる粒子の内の一つが電子である。中性子が発見される以前は、原子核中に電子が存在するという「核内電子説」が存在したが、ベータ崩壊で原子核から飛び出してくる電子は原子核中に存在していたわけではなく、弱い相互作用の結果発生したものが放出されているに過ぎない。

電流と電子[編集]

電気伝導体内を流れる電流の担い手は、特定の原子の原子核にとらえられていない自由電子伝導電子)である(電荷を運ぶという意味では、ホールイオンも該当する)。特に半導体においては、伝導電子だけに注目して単に「電子」と表現することが多い(半導体素子において「電子が欠乏」と言っても、原子核だけになっている訳ではない)。

ただし、自由電子の移動する方向と電流の流れる方向は逆である。これは電気発見当時の科学者たちが電気(電流という意味としての)は+極(正極)から−極(負極)に流れると定義した後で、陰極線の発見(次項)により、自由電子の移動する方向は−極(負極)から+極(正極)であることが確かめられたのだが、電流は+極から−極に流れるということはすでに慣例となってしまっていたため、電流と自由電子の流れは逆と定義したわけである。

陽電子[編集]

反粒子陽電子 (Positron) がある。陽電子はプラスの、電子と等しい電荷をもつ。1928年ポール・ディラックが存在の仮説を立て、1932年カール・デイヴィッド・アンダーソンが、霧箱を用いて観測、命名した。アンダーソンは、ポジトロンと対にするため、電子の正式な名称をエレクトロンからネガトロン (Negatron) に変更する運動を起こしたが、失敗に終わっている。

発見[編集]

電子の発見は陰極線の発見に端を発する。その当時物体は、電気を通す物体と電気を通さない物体に分類されることが一般的であった。しかし科学者たちはどんな物体の中でも電圧を上げれば電流を流すことができると考えていた。そこでほぼ真空に近い陰極線管クルックス管)に電圧をかけてみると直線状の影が現れた。ドイツの物理学者オイゲン・ゴルトシュタイン英語版ドイツ語版はこの直線が陰極から発せられていたことから「陰極線」と名付けた。この陰極線の正体について学者らの意見は分かれた。欧州大陸の学者は陰極線の正体は海の波のように直線的に動いているので波動であるとし、イギリスの学者は重力の影響を受けないほど高速で移動している粒子であるとした。この大陸側とイギリス側の論争に決着をつけたのはイギリスの物理学者ウィリアム・クルックスであった。クルックスは、今日、自身の名前がつけられている陰極線管、いわゆるクルックス管を用いて、以下のような実験を提案した。

陰極線管に磁石を近づけた際に、

  • 負に荷電した粒子であれば磁場によって偏向するだろう
  • 波動であれば磁界によって偏向することはない

この実験でクルックスは陰極線が磁場で偏向されることを確かめた。

ジャン・ペラン1895年に陰極線には必ず負の電荷が伴うことを実験で証明した[14]。また、もし陰極線の正体が荷電した粒子であれば、電場によってより容易に偏向するだろうことが予測される。この測定は真空度が低いと上手くいかないため観測されていなかったが、1896年にグスタフ・ヤフマンが、1897年J・J・トムソンが、静電気によって陰極線が偏向することを実証した[15]

陰極線の研究とは別に、1896年から1897年にかけてピーター・ゼーマンらは、ゼーマン効果の研究からイオン振動子(電子)の比電荷を求め、この結果から、電子は電荷が負で原子より小さいという概念に至った[16]。1897年にエミール・ヴィーヘルト、J・J・トムソンはそれぞれ陰極線を構成する粒子の比電荷を測定し、その粒子が原子より非常に小さくて軽いと結論付けた[17][注 1]。これに先立って1890年までにアーサー・シュスターが陰極線の比電荷を測定していたが、その時点では電子が原子から分離するとは考えられていなかったため正しく解釈されず[18]、また測定結果も信用されなかった。1899年にJ・J・トムソンは電子の電荷だけを測定し、それにより質量も計算することができた[19]ロバート・ミリカン1911年に単一の電子を分離することに成功した[20]

この電子の発見は原子モデルに大きな変化をもたらした。

その他[編集]

日本語では、素粒子の意味だけではなく、英語の “Electronic” または “Electronics” の訳としても、「電子」という語が使われる。このため、電子工学を応用した電子機器に、「電子」の語が冠されることがある。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 陰極線を粒子とは示さなかったものの、ヴァルター・カウフマンも1897年に陰極線の比電荷を測定している。

出典[編集]

参考文献[編集]

原論文[編集]

書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]