ミッキーマウス

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ミッキーマウス
Mickey Mouse
初登場 プレーン・クレイジー(初制作)
蒸気船ウィリー(初公開)
作者 ウォルト・ディズニー[1]
アブ・アイワークス[1]
原語版声優 ウォルト・ディズニー(1928–1947)
ジム・マクドナルド (1947–1977)
ウェイン・オルウィン (1977-2009)
ブレット・イワン (2009- )
日本語版声優 青柳隆志ブエナ・ビスタ版)
後藤真寿美ポニー版、バンダイ版)
榊原郁恵(テレビ特番等)
山田栄子(「ミッキーマウスとドナルドダック」)
詳細情報
種族 ネズミ
性別
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ミッキーマウス (Mickey Mouse) は、ウォルト・ディズニーアブ・アイワークスが生み出したアメリカ文化のシンボル的キャラクター。世界中のキャラクター商品に使われ「キャラクターの王者」と称される。アメリカの象徴ともいえるキャラクターである。ミッキーマウスは粗野なネズミという設定であることから、アメリカでは「Mickey Mouse」という単語を「大したことない、とるにたらない」などの意味の形容詞として使うこともある。東京ディズニーランドの「ミッキーの家とミートミッキー」では「蒸気船ウィリー」、「ファンタジア」、「ミッキーの大演奏会」、「ミッキーの夢物語」の衣装に身を包んだミッキーに会うことが出来る。

成立背景

作成まで

ウォルト・ディズニーはカンザスシティ都市圏に置いていたスタジオが破産し、ヒットアニメ『フィリックス・ザ・キャット』を模造したキャラクター「ジュリアス・ザ・キャット」[2]を用いた実写合成の短編『アリス・コメディース』を作成していた。『フィリックス・ザ・キャット』の作成者パット・サリバンによる抗議を受け、1927年ミンツは『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』への制作変更をディズニーへ指示する。ミンツがユニヴァーサルでの配給に成功し製作費の値上げをディズニーが求めた。翌1928年3月に交渉が決裂しディズニーは契約更新を拒否されディズニー、アブ・アイワークス、ウィルフレッド・ジャクソンは『オズワルド』の製作を継続しながら別作品の企画をすることを余儀なくされた。

『オズワルド』はポール・テリーの『クレージー・キャット』を元にアブ・アイワークスがデザインしたものである。多くのスタッフが作画にかかわるアニメーション作品において円滑にかつ素早く作画する目的で、円定規と楕円定規で簡単に描けるようデザインされたと言われる。ディズニーは主としてプロデューサーでありアニメーターではなく、「ディズニーは飼いならしたネズミをよく研究し、彼が醜いと思っていた耳・口・足などを大きくしポイントを付け1927年にミッキーマウスを考案した」という一般的な伝説は架空の話である。アブ・アイワークスはミッキーを奪ったとしだいに共同経営者のディズニーを憎むようになり、ディズニーと決別し自身のスタジオを持つに至る。

ウォルトは元々ミッキーをモーティマーと名付けるつもりだったが、妻リリアンの一声で現在の名前になった。その代わりにミッキーの恋のライバルであり、ミニーマウスの幼なじみとして、モーティマー・マウスが登場する。恋人はミニーマウス。愛犬はプルート。甥っ子にモーティーとフェルディーがいる。

変革

実際の第1作はチャールズ・リンドバーグに因むヒット作『フィリックスのノンストップ飛行』のパロディ『プレーン・クレイジー(飛行機狂)』である。第2作は『ギャロッピング・ガウチョ』。どちらもサイレントで配給ルートも得られずまったく相手にされなかった。1928年11月18日、第3作アニメーション映画『蒸気船ウィリー』がトーキー[3]で成功。当時ウォルトが声優を務めていた。その後映画はシリーズ化されミッキーは一躍人気キャラクターとなった[4][5][6]

デビュー当時のミッキーの性格は今に比べ子供っぽく短気な面が見られたが子供の親からのクレームなどを受け今の温厚な性格に変化し、元の性格はドナルド・ダックへ受け継がれた。

1939年、「ミッキーの猟は楽し」以降キャラクターデザインが変更された。それまでは黒目がちであったが、この変更により白目が付いた。

プロフィール

名前
Mickey Mouse(ミッキーマウス)
また、アメリカなどでよく呼ばれているあだ名は「Mick」(ミック)
各国で呼び名は異なり、
  • 中国では「米老鼠」(mǐlǎoshŭ:ミィラオシュウ)、または「米奇」(mǐqí:ミィチィ、マイケイ)
  • イタリアでは(Topolino:トポリーノ)
  • スペインでは(Ratón Miguelito:ラトン・ミゲリート)
  • フィンランドでは(Mikki Hiiri:ミッキ・ヒーリ)
  • インドネシアでは(Miki Tikus:ミッキ・ティクス)etc…
国籍
アメリカ合衆国 (しかし、東京ディズニーリゾート「ボン・ヴォヤージュ」前のプロフィールには、「citizen of the world」と書かれており、具体的国名は書かれていない)
生年月日
1928年11月18日、日曜日、ニューヨーク
ニューヨークのコロニー劇場にて、上映の目次の1番目でもあるデビュー作『蒸気船ウィリー』(Steamboat Willie)の公開日でもある。しかし、その前の同じく1928年に『飛行機狂』(Plane Crazy)と『ギャロッピン・ガウチョ』(The Gallopin' Gaucho)という作品にも出演しているため、ミッキーにとっては3作品目でもある。
年齢
設定ではティーンエイジャー
種類
白ハツカネズミ[7]
身長
3フィート2インチ(約70cm)
しかしミッキーを長年描き続け、ミッキーの目を白目と黒目にしようと考えたウォード・キンボールによると、ミッキーは90cmぐらいだという。また、ドイツのディズニー公式サイトでは109cmとされている。
体重
23ポンド(約11.5kg)
性格
正義感が強くシャイでいたずらっコなところもあるが、礼儀正しくジェントルマン。とても陽気。好奇心旺盛で楽しいこと好き。しっかりものだが金銭にはルーズな所が見られ、ハウス・オブ・マウス ではミニーから預かったクラブの建物の家賃をチーズに使ってしまっている。短編作品で道に落ちていた大金をネコババしてミニーへのプレゼントを買っている。
口癖
"Oh,boy!", "Ha-ha", "Gosh", "Swell","Aw-Gee", "Uh-Oh!"
仕事
映画俳優、テーマパークホスト、ナイトジャズクラブオーナー(カートゥーンにて)、チャリティー、etc…
ミッキーは本当のスターだけが持つことの許されるスタープレートを、ロサンゼルスのチャイニーズシアター正面入り口の大体真ん中に持っている。また、マイケル・ジャクソンなどの大スターと肩を並べている。そこには、ウォルト・ディズニー白雪姫ドナルドダックディズニーランド50th記念などのスタープレートもある。50th記念のものには特別に普通のスタープレートにはない、お城のメダルが埋め込まれている。
資格
パイロット、ハンティング、船のキャプテン、乗用車、作業用車、大型トラックなど。そしてディズニーパークの消防隊長も務めている。
趣味
スポーツ、カントリーライフ、読書。
愛車
赤いレトロな車→(赤いスポーツカー
ある日古いレトロな車に嫌気がさし売りに行き、新車のスポーツカーを手に入れた。しかし多彩な機能に振り回され、結局以前の車を買い取りにいこうとしたら売却されていた。実はその車を買ったのはミニーだったのである(「ミッキーのギャグファクトリー」収録)。
住んでいる場所
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスアナハイムトゥーンタウン
(以前はマウストンに住んでいたようだが、ミニーがトゥーンタウンに引っ越すというので彼もすぐミニーの隣に家を建てたという)
家族
両親はいるが、(ミニーも同様)孤児。甥にモーティーとフェルディー、そして2人の姉妹がいる。
ペット
プルート(Pluto)
名前の由来は、デビュー当時1930年に発見された「冥王星」からとった。種類はブラットハウンドで、主人に忠実。ペットとは考えず親友として接している。
趣味
リスや動物と遊ぶ、ボール遊び。
家族
ブッチ(兄弟の名前)
仕事
新聞受けから新聞を取ってきてミッキーに渡すこと。狩りのお供。
友達
グーフィードナルド・フォントルロイ・ダックミニーマウスデイジーダックヒューイ・デューイ・ルーイチップ&デールクラリスマックスクララベル・カウホーレス・ホースカラーギデオン・ゴートピーター・ピグパディー・ピグクララ・クラックなど。
(ドナルドよりグーフィーのほうが長い付き合いの友達)
ガールフレンド
ミニーマウス
ミッキーと生年月日が同じ(ミッキーはミニーのことを“My Sweet Heart”や“My CherryPie”とも呼ぶ)。
ライバル
ピートモーティマー・マウス
モーティマーとよくミニーの取り合いになる。ミニーは背の高いモーティマーに惚れることもあるが、最後はミッキーを選ぶ。
知り合いの著名人
国連事務総長(アナン)、国王、大統領、俳優、歌手、アスリート、など様々。
愛読書
チーズと平和、マイ・フェア・マウス、全ネズミカタログ、トゥーンタウンの歴史(哲学的な本も読む)
Featured Magazines
Time, Newsweek, Life, National Geographic, Good Housekeeping
取っている新聞
TOON Repoter
料理の腕
日本やアメリカなどにもある「Chef Mickey」というブッフェスタイルのレストランのシェフを務めている。一人暮らしなので料理はできる。パンにハム、チーズ、レタスなどの具を1m近く重ねたサンドウィッチが得意。
好きな色
赤、黄色(緑はあまり好きでないらしい)。モノクロ時代、ウォルトは緑色のパンツを考えたという逸話がある。
好きな食べ物&飲み物
得意なスポーツ
アメフト、馬術、(中でも)ダンス
得意な楽器
ギター、ドラム、(一番愛しているのは)ピアノ
5周年から始まり現在もディズニーシーにて上演中のビッグバンドビートではドラムさばきを、2007年度ディズニーハロウィンのホーンテッドロッキンストリートでは、ギターソロを披露。稀にアドリブで「星に願いを」や「ミッキーマウス・マーチ」を入れていた。ミニーはデジパッド(サンプリングデジタルドラム)をシンバルつきで披露。

耳 : 耳の形を整えるため耳にのり(ワックス?)付けしているらしい(ハウス・オブ・マウス#25より)。ミッキーは耳の中まで脳みそがつまっている(『ミッキーのアルバイトは危機一髪』(Runaway Brain)より)。

代表的な出演映画

蒸気船ウィリー
1928年モノクロ作品。世界初のトーキーアニメーション映画。3番目に製作されたミッキーマウス作品。最初に公開されたので、ミッキーマウスのデビュー作とされており、公開日である1928年11月18日がミッキーの誕生日とされてきたが、最近ではこれを単に「スクリーンデビューの日」とし、誕生日とは呼ばないことがある。
日本国内では基本的に11月18日がミッキー&ミニーの誕生日とされており、その認知度も高い。ディズニーモバイルサイトでは11月18日を誕生日として、それにちなんだイベントを2007年度も行っている。
ファンタジア
1940年に公開された。いくつかの短いアニメがクラシックの音楽に合わせ進行する。ミッキーは3番目の曲目「魔法使いの弟子」に出演する。ミッキーが登場するこの曲目が「ファンタジア」では最も有名なシーンであろう。
ミッキーの大演奏会
1935年に公開された。ミッキーマウスシリーズ初のカラー作品である。ミッキーが「」という曲を演奏して本当に嵐が来た。ミッキーたちはそれでも演奏していた。

著作権・商標権

ディズニーはオズワルドの版権をユニバーサルに奪われたことから権利関連と他者からの侵害行為に厳しく、特に筆頭キャラクターとしてミッキーマウスの著作権は厳正に管理されている。アメリカ合衆国の著作権法は“ミッキーマウス保護法”等とも呼ばれそのような体制を批判する団体や企業もあるが、ミッキーマウスは商標として保護されている為著作権が切れたとしても商用目的として自由な使用はできない。

著作権は国ごとに保護期間が違う為日本では、1953年以前の映画で団体名義の場合著作権が有効なのは公表後50年である。ミッキーマウスが初登場した「蒸気船ウイリー」は保護期間が1989年の前後に終わっていると推定される。[8]日本では実際に「ファンタジア」「ダンボ」などをアプロック社がパッケージに「パブリック・ドメイン」と明記した上で販売。ディズニー社は法令遵守で厳正なことで評価されているため各国のコンプライアンスに重点を置いており、アプロック社がパッケージにする際も「ディズニー映画を出しているブエナビスタ社に事前に『出しますよ』と宣言した。『やめてくれ』と言われなかった」と証言している。

ウォルト・ディズニー・ジャパン社は「著作権に関する方針や見解は公表しない」との方針を採っている。[9]

原語版声優

日本での歴史

日本にミッキーマウスが紹介されたのは「蒸気船ウィリー」が公開された翌年の1929年のことで阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が1935年頃に発行した「天恵の楽園」砂川遊園(1940年閉園)のパンフレットのキャラクターに用いられていた。日本オリジナルのミッキーマウス関連の楽曲として、1934年には「ミッキー・マウスの結婚」(作詞:佐伯孝夫 作曲:加藤しのぶ 歌:平井英子 & 藤山一郎)、1935年頃には「ミッキーマウス」(歌:望月誠)などが発表された。年だった1936年には、ミッキーマウスを描いた年賀状などの葉書が見受けられており[11]、都市部ではかなり知名度が高かったと思われる(その後子年にちなんで2008年の年賀はがきにミニーマウスと共にデザインとして印刷された)。また、この年の元旦大阪朝日新聞にはミッキーマウスが描かれた味の素の新聞広告が掲載された。慶應義塾大学の旧マスコットキャラクターであった。慶應義塾のシンボル

東京ディズニーランドが開業する以前は、日本でのディズニーキャラクターの人気はミッキーマウスよりバンビピノキオのほうが上だった[12](開業は1983年)。1988年京葉線(第二期開業)開業の式典にゲストとして招かれた。1997年秋田新幹線開業の時にはミニーマウスも連れて式典に来た。

日本のディズニー・チャンネルはミッキーマウスの誕生日にあわせて2003年11月18日に本放送を開始した。

ヴェルサイユ宮殿の庭園を上空から見ると庭園がミッキーマウスの顔の形に見える。日本で衛星写真の映像を見た人の指摘で判明した。[13]

吹き替え声優

東京ディズニーランドのショーやパレードでは英語音声を流用していた時期がある。

テレビ番組における吹き替え

ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートにおける典型的な標識, showing one of many uses by Disney of the Mickey ears logo.

脚注

  1. ^ a b Kenworthy, John (2001). The Hand Behind the Mouse (Disney ed.). New York. p. 53-54.
  2. ^ ニューヨークの配給会社チャールズ・ミンツのパット・サリバンによる
  3. ^ トーキーアニメの最初のものではないが、サウンドトラック方式を採用した世界初の映画
  4. ^ オクナセルラは別名“ミッキーマウスの木”(Mickey-Mouse Plant)。ノルマンディー上陸作戦のコードネームは「ミッキーマウス」、マウスの移動量と感度の関係を示す単位は“ミッキー”、長いストレートが少なく低速コーナーが多いモータースポーツのサーキットを蔑称的にミッキーマウスサーキットと呼ぶ。
  5. ^ ナチス・ドイツの撃墜王の一人で、後にジェット戦闘機隊を組織したアドルフ・ガーランドは、愛機のコクピット横に葉巻を咥え斧と拳銃を構えるミッキーマウスを描いていた(葉巻はガーランドのトレードマークでもある)。
  6. ^ 1933年、インガソール社が発売したミッキーマウスの手を針にデザインした腕時計は1957年までに2500万個が販売され同社の経営難を救った。
  7. ^ エドナ・ディズニー(ウォルト・ディズニーの兄ロイ・ディズニーの妻)はミッキーマウスの食品関係の商品が出た当初は「ミッキーが使えるはずがないでしょう。どこのだれが二十日ネズミを食べるの!」と言っていた。
  8. ^ アメリカの戦前作品は戦時加算により約10年延長されていることを含む。
  9. ^ 安藤健二「封印されたミッキーマウス」
  10. ^ ウェイン・オルウィンの妻は、ミニーマウスの声優を務めているルシー・テラーである(ミッキーマウス/カラーエピソード Vol.2に収録されている、レナード・マルティンとの対談の中で明かされている)。
  11. ^ 『郵趣』(日本郵趣協会発行)読者ページ「読者だより」(1994年6月号 94頁、1994年8月号 94頁、1994年10月号 94頁)。
  12. ^ 日経流通新聞2000年2月17日付「キャラクター最前線」
  13. ^ 2007年1月27日トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」『ヴェルサイユ宮殿の庭園を上空から見ると、あのネズミに見える北緯48度48分20秒 東経2度7分4秒 / 北緯48.80556度 東経2.11778度 / 48.80556; 2.11778にて。

外部リンク

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