ノート:南京事件/過去ログ3

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改名提案:「南京暴虐事件」[編集]

南京暴虐事件に改名することを提案します。Wikipedia記事titleの選定に関するガイドライン[1]によれば「認知度が高く」「曖昧でない」「正式な名称」が好ましいとされています。過去のWikipedianの報告[2][3][4]によれば「南京事件」「南京大虐殺」の認知度は拮抗しています。ただしいずれも「正式な名称」と呼べるべき根拠が発見・提示されていません。「南京事件」「南京大虐殺」とも対象とされる事件の範囲については論者によりブレがあり「曖昧でない」と言い切れるものではありません。極東軍事裁判の判決文によれば「南京暴虐事件」「THE RAPE OF NANKING」です。南京軍事法廷によれば「南京大屠殺」のようです(未確認)。以上を考量したうえで「南京暴虐事件」への改名を提案するものです。以下説明します。

  • Wikipediaは記事の編成上、titleは選定しなければなりません。当記事の過去の有力なtitle案は「南京事件」「南京大虐殺」でした。この2titleの認知度については拮抗していることが確認されており一方が他を圧倒している状況にありません。
  • 「1937年の南京事件」「南京大虐殺」のいずれもどの歴史的事件を指しているのかはっきりしています。また一方で次のような批判があります。
「南京事件」は過去に著名なもので3回あり、南京事件(1937年)は曖昧だ。また1937年にも南京で発生したパナイ号事件がありこれを南京事件と呼んでいる報道があることから曖昧だ。
「南京大虐殺」は規模をあらわす「大」に、行為の残忍性を示唆する「虐」の文字が含まれており、語義として結論を含んでいる。
  • 「南京事件」という用語は帝国議会1946年(昭和21年)10月9日の貴族院第90回議会において星島二郎により使用されたのが初出のようであり、「南京大虐殺」という用語は朝日新聞1946年5月10日付記事が初出のようであるが(いずれも学術的に不明瞭)、正式な名称とよべる根拠資料がWikipedia編集者の間で共有されていません。すなわち正式と呼べるかどうかWikipedia編集者の間では確証がもたれていない状況です(にも関わらずtitleは選定しなければなりません)。

さて、「南京暴虐事件」は極東軍事法廷で審判された訴因第四十五に対する判決文の冒頭titleであり、英文THE RAPE OF NANKINGに対比する非常に素性のハッキリしたtitle案です。つぎにそのtitleが措定する範囲は訴因第四十五でありまさに「南京事件(1937年)」「南京大虐殺」と通称されるものにほかなりません。ただし問題は、この「南京暴虐事件」がまったく知名度がないことです[5]。これが今般のtitle選定議論における紛糾のもっとも根本的な原因であると私は考えています。 そこでみなさんにご検討頂きたいのはtitle案「南京暴虐事件」への変更提案、それと次善として「南京虐殺事件」の案です。あくまでtitleは南京暴虐事件が正式なものでふさわしいと考えますが、いかんせん知名度がなさすぎます。次善案「南京虐殺事件」は外務省・日中歴史共同研究[6](PDF.P.267~270以降)でもちられているtitle用語であり、スジの良し悪しとしては問題がない(wikipediaが使用すべき語の選択としては、かなりスジは良い)と考えます。 宜しくご検討頂けますようお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 04:00 (UTC)

コメント Wikipedia:コメント依頼/疑問も拝見して来ました。当改名案には反対です。大和屋敷さんご本人が書かれている通り、認知度で「南京事件」と「南京大虐殺」の双方が有力で、Wikipedia:記事名の付け方のガイドからも、当2案のいずれかから選択されるべきと思います。仮に「当2案のいずれかで合意できないから、更に妥当でない他の案を検討する」のであれば、(いわゆる日本的妥協案かもしれませんが)一般読者を無視した最悪の選択肢かと懸念します。なお私は従来から当議論は拝見していましたが、個人的には「南京大虐殺」の方が馴染んでいるものの、当時や現在の客観的状況からは「南京事件」も反対ではない(どちらも妥当性があると考える立場)ため、参加を控えておりました。なお、当ノート全体を拝見して、政治的立場からか「○○で無いと絶対にいけない、全ての出典を見てもそうだ、反対意見は頭からおかしい」というような、客観性を無視した強引な発言も双方に散見されますが、これは不毛と思います。ノートは政治闘争の場ではありません。--Rabit gti 2011年5月1日 (日) 15:10 (UTC)
コメント ご提案に反対致します。確かに、「南京暴虐事件」なぞは由緒正しいものではあろうかと存じますが、時代によって呼称が変化することもありえるでしょう。学会や教科書に採用されている人口に膾炙した呼称があるのですからそちらを採用すべきです。--Truesight 2011年5月1日 (日) 15:27 (UTC)
コメント 今まで教科書の採用を基準にすると考えられる方々にひとつ提言させていただきたいですが、Wikipedia:信頼できる情報源は特に史学分野において、教科書に対し慎重な態度をとっています。たとえ改訂が頻繁に行われる大学教科書も例外がありません。教科書を基準としてもいいかと考えられる方々の再検討をいただければと思います。--Zhxy 519 2011年5月1日 (日) 15:58 (UTC)
コメントWikipedia:信頼できる情報源のどこに書いてあるのでしょうか。それだけ教えてもらえませんか。--Truesight 2011年5月1日 (日) 16:13 (UTC) どうやら、御指摘の文章を見つけました…少し奇妙な文章ですね。--Truesight 2011年5月1日 (日) 16:20 (UTC)
Wikipedia:信頼できる情報源は草案ですのでWikipedia編集者が過去に直面した編集トラブルを解決するにあたって有効に機能した知見を持ち寄られた(乃至はWikipedia編集者の良識に照らし合わせて適切だと考量した意見が持ち寄られた)段階のものですので、参照程度が妥当かと。少なくとも【現時点ではまだ拘束力はありません】--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 18:06 (UTC)
  • 【南京事件・南京大虐殺は著名だが正式ではないので、著名ではなくとも正式な南京暴虐事件にすべきだ(A)】に対する反論として【南京暴虐事件は正式であっても著名でないので、南京事件・南京大虐殺にすべきだ(B)】との趣旨のご回答を複数頂いておりますが、編集検討の意見としてはいくらなんでもあんまりでしょう。これではAの命題の論理的対偶を取って、単にそれを主意的(Wikipedia編集参加者としての)に否定しているにすぎません。Wikipedia記事titleの選定に関するガイドライン[7]によれば「認知度が高く」「曖昧でない」「正式な名称」が好ましいとされています。認知度の高さはtitle選定の一基準にすぎません。外部の信頼できる情報源をご紹介頂ける形で編集検討いただけるようお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 17:41 (UTC)正式呼称である南京暴虐事件を用いている信頼できる論文の事例を発見しました「観光・エスニシティ・記憶の文化ポリティクス」馬暁華(大阪教育大学歴史学研究室 歴史研究2010.3.25)[8][9]--大和屋敷 2011年5月1日 (日) 17:49 (UTC)
コメント 前のまだ進行中の議論をお一人で閉鎖しようとすることから見れば、提案する行為に対し反対致します。議論妨害となる疑問がないとは思えません。--Zhxy 519 2011年5月2日 (月) 01:07 (UTC)
「観光・エスニシティ・記憶の文化ポリティクス」[10]では、<<南京暴虐事件>>は引用としては記されておりますが、筆者は一貫して<<南京大虐殺事件>>を使用しているようです。ご確認ください。--Truesight 2011年5月2日 (月) 09:17 (UTC)
真剣な検証いただきありがとうございます。--Zhxy 519 2011年5月3日 (火) 01:14 (UTC)

いやあ。残念ながら「筆者は一貫して<<南京大虐殺事件>>を使用しているようです」ということはありせんでしたね。ご自身でご確認ください。なおこの論文はあくまで本来の改名提案について【title:南京暴虐事件】の著名性を少しでも補強したいがための傍論ですので、この論文程度では著名とはいえない、と反論されてしまえばどうしようもない程度の材料ですので、とりたてて反論とかは不要ですよあらかじめ。Zhxyさんは他人まかせにせずご自身で真剣に検証してみてはどうですか。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 19:48 (UTC)現在のところ「南京暴虐事件」というtitle案は①無名titleの使用は一般読者を無視しており最悪だ②気に食わない③著名でない④提案者の提案が他の編集者を差し置いており強引だ、との反論しか提示されていません。望むべくは「南京大虐殺」「南京事件」がtitleとして「正式で」「曖昧ではない」と確信するに足る「外部の」「信頼できる」情報源をご紹介頂きたいところです。 Wikipedia編集検討は、編集者の嗜好調査や消費者アンケートではありませんので、みなさんの(編集者としての)感覚や感性だけを持ち寄られても検討材料にしようがありません。ご自身の知見とご存知の信頼できる情報源をお持ち寄り頂くか、すくなくとも図書館やデータベースで調査した材料を持ち寄って頂かないと、編集者間で検討しようにも検討することが出来ません。「南京暴虐事件」が正式で曖昧でない理由についてはすでに明示させて頂いておりますので、「南京大虐殺」「南京事件」がtitleとして正式で曖昧でないと確信するに足る「外部の」「信頼できる」情報源があるようでしたらご紹介頂けますよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 19:48 (UTC)たとえばZhxy 519さんは中国からの留学生であり中国語を母語になさっておられるとのことですが[11]中国語圏での論文等ではこの事件に対して一貫して「南京大屠殺」を使用されており非常にハッキリしておるのですが、その中国語圏での権威ある(ないしは台湾政府、ないしは中国共産党政府の公式な)翻訳版であるところの日本語パンフレットなり日本語文献なりにtitle「南京大虐殺」が使用されているような事例とかはご存知ないですか?そういった情報は百科事典であるWikipedia日本語版を充実させるにおいて非常に有益な情報になります。現在のWikipedia日本語版編集者の間においては中国語圏の情報、あるいは南京軍事法廷に関する一次情報や二次研究の情報は乏しく、title選定のための編集検討において空白の状況にあります(※Zhxy 519さんを特にご指名したものではなく、他の編集者・読者の方でご存知の方がいらっしゃれば是非ご紹介ください)。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 20:04 (UTC)あー。失敬失敬。「東京裁判」「南京軍事法廷」は国際法上違法不法でありその判決はとうてい権威として認められないとの信頼できる立論はありうるとおもいますが。(いわゆる東京裁判に言うところの)南京暴虐事件、というtitle案であるという観点で許容頂きたいところデス。--大和屋敷 2011年5月3日 (火) 21:06 (UTC)

大和屋敷さん、別にあなたを非難したい訳ではないのですが、「観光・エスニシティ・記憶の文化ポリティクス」[12]では、<<南京暴虐事件>>は筆者自身の呼称としては一回も使用されていないですよね。そういう認めるところは認めないとあなたの主張すべからくが論理的なものとして成り立たなくなってしまいますよ。落ち着かれることをお勧めします。「南京暴虐事件」が現在の学会、学術資料でも一般的に使用されているのでなければ、現在、実際に教科書で使われている「南京事件」、「南京大虐殺」に比しタイトルとして不適だと思います。東京裁判スタンダードが現代のスタンダードではないのですから。--Truesight 2011年5月4日 (水) 04:01 (UTC)

肝心の論文等での利用状況があまりにも過少なのでこまっているんですよねえ(他が見つからない・・・)。別に非難だとかそういう風には取りませんので結構ですよ。titleを安定的なものに変更しようというだけのことで大変なことです。ちなみに編集案としては冒頭がこんな感じになる[13]だけ(あと本文で何箇所かを「南京事件」→「当該事件」などとする必要あり)なので実質的になんの変化も無いハズなんですけどねえ。--大和屋敷 2011年5月10日 (火) 02:20 (UTC)

  • コメント以前のこの項目に関するコメント依頼がまだ残ってますね。同じ項目に対する依頼が複数存在し、しかも皆同質(改名に対して)であることに奇妙な感じがする一方、進行中の議論を妨害する疑いがまだ解消されていません。大和屋敷さんの行為に対し謹慎をお求めします。--Zhxy 519 2011年5月12日 (木) 14:37 (UTC)
広く議論を呼びかけるのは通常のことですので、無用の人身攻撃は控えていただき、Zhxy 519さんの行為に対し謹慎をお求めします。--大和屋敷 2011年5月12日 (木) 21:27 (UTC)
井戸端でも参加を募集してみました[15]--大和屋敷 2011年5月13日 (金) 07:22 (UTC)
  • 反対 個人的には、この歴史的事象については「南京事件」と呼ぶべきだと思っていまして、他方でWikipediaの項目名としては「南京大虐殺」とするのが適切なのかな、とかも思っていたりするんですが、「南京暴虐事件」への改名は支持すべき理由がありませんので反対させていただきます。--かんぴ 2011年5月12日 (木) 15:08 (UTC)
  • コメント 「南京大虐殺」への改名の議論を打ち切らないと「南京暴虐事件」への改名を提案できないと考えるのではなく、「南京事件 (1937年)」、「南京大虐殺」、「南京大虐殺(南京事件)」、「南京暴虐事件」のうち、どれが記事名にふさわしいかを話し合えばよいと思います。--Miki08 2011年5月14日 (土)00:53 (UTC)
  • コメント 「南京大虐殺」でしょうね。国会図書館等の資料の数の比較の結果を殆ど同数とされてしまっていますが、見つかるかぎり現時点で、数の差は数の差で「南京大虐殺」です。 5年後か10年後に「南京事件」「南京暴虐事件」が主流になった時に改名すれば良いのです。 記事名の付け方のガイドラインには、省略形は不可ですが(専門家でなく)一般人が引きそうな名称とされていて、「南京大虐殺」はこれに抵触していません。 一般人を優先するという観点で言えば、記事名についてだけは、過去からの累積の小中学校の検定教科書が使用していた語にむしろ分があると考えます。--Dictionwolf 2011年5月14日 (土) 04:43 (UTC)
  • コメント 私は現行の「南京事件 (1937年)」を推します。・・・大虐殺の存在そのものに定説が無いのですから本来は不適切なのですが、記事名としては2011年現在「南京大虐殺」が最も妥当ではございます。「南京暴虐事件」、「1937年の南京事件」と言って、果たしてどれほどの方が「この事件」と、即座にピンと来るのでしょうか。ただし、諸般の事情を考慮すると5年後、10年後には現在の記事名である「南京事件 (1937年)」の方がより、適切となる可能性が極めて高く、わざわざ一端「南京大虐殺」に戻す行為にも抵抗が有る。双方に一理ある所で、判断は非常に難しい所、ギリギリの線ではないかと存じます。--Hman 2011年5月14日 (土) 09:48 (UTC)
仰るとおり、最新の使用状況だけで見ると「南京事件」でかたまりつつあるようで、10年後は「南京事件(1937年)」が記事名としておそらく適切になりそうです。 記事名の付け方のガイドラインに素直に従えば、「南京大虐殺」です。 一方記事内容は最新の「1937年の南京事件」という記述が最もふさわしいと思います。 過渡期にあるためにねじれてるのです。 定義文のところでは南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ)とは、1937年の南京事件(以後南京事件と記述)とも言われ・・・・。 となるのが筋なんですけどね。 記事名として現状から考えた未来の先取りをどうするのか、迷うところでもあります。--Dictionwolf 2011年5月14日 (土) 12:13 (UTC)

以前に[16]ciniiでカウントした結果によりますと、cinii検索の「南京事件」[17]「南京大虐殺」[18]「南京虐殺事件」[19]「南京虐殺」[20]。このうち大学から出版され、1937年の事件と特定できたもの「南京事件」[21][22][23][24][25][26][27][28][29][30][31]の11件、「南京大虐殺」[32][33][34][35][36][37][38][39]の8件でした。大学系の出版物で最初に取り上げられたのは吉田裕「一五年戦争史研究と戦争責任問題 : 南京事件を中心に」[40]で 1987-02-01のようでした。「南京大虐殺」のほうは陳 安吉(他)「南京大虐殺史研究の歴史 : 回顧と今後の課題」[41]で1999-02のようでした。ciniiはすべての論文・公表文を採録しているわけではない点注意してください[42]。--大和屋敷 2011年5月14日 (土) 15:39 (UTC)

  • 反対 南京暴虐事件への改名提案は反対しておきます。どちらの記事にするかをもめているから折衷案として別の記事名にするというのは、ガイドラインのどこにもありません。この提案に関しては大和屋敷さん提案から2週間以上経過していますし、賛同者もいないことから、同意がなされなかったものとして議論終結でよいのではないでしょうか。なお、記事名が「南京事件」か「南京大虐殺」かは、一度白紙に戻して再議論することには反対しません。--TENDERAS 2011年5月14日 (土) 23:24 (UTC)

折衷案だなどと提案者の趣旨のどこにも提示していない断定を行わないでいただきたいです。南京暴虐事件というtitleは東京裁判訴因第四十五日本語判決文titleという非常に素性がハッキリしたものであり、46年に朝日の記者風情が使い始めたらしい南京大虐殺などという術語とは比肩するまでもない由緒正しいtitleです。冒記させて頂いておるようにWikipedia記事titleの選定に関するガイドライン[43]によれば「認知度が高く」「曖昧でない」「正式な名称」が好ましいとされています。「認知度が高くなければtitleに選定できない」というのはみなさんの勘違いです。認知度ゼロでも「南京事件」「南京大虐殺」からリダイレクトを作れば良いそれだけの事です。認知度が唯一で排他的な選定基準だと主張されたい検討参加者の方は、まずガイドラインのほうを変更修正してきてください。井戸端にご案内してようやく新規の検討参加者が増えてきているのですから5月一杯は検討に時間を割いていただきたい所ですねえ。なんといっても差し戻し提案だけでも1ヶ月もモメにモメていたのを提案者(大和屋敷)は待たされていたのですよ。--大和屋敷 2011年5月15日 (日) 05:18 (UTC)

コメント大和屋敷さんのご趣旨の意見であれば、本記事名を改名しなくとも南京暴虐事件をリダイレクト記事にすればよいだけのことであり、本記事の改名提案理由にはならないかと思います。南京暴虐事件が由緒正しい名称であったとしても、必ずしもそれが記事名にならないと考えます。「認知度が高くなければtitleに選定できない」とは誰も思っていませんが、記事名を付けるときは「認知度が高い」ことも一つの重要な要素であることはガイドラインにものっておりますし、「見つけやすい」「曖昧でない」というものも重要な要素です。「見つけやすい」「曖昧でない」という意味でも南京暴虐事件は適していないと考えますし、わざわざガイドラインを修正しなくとも事足ります。 - --TENDERAS 2011年5月15日 (日) 22:10 (UTC)
「南京大虐殺」というtitleは46年5月に朝日新聞が使い始めたらしいということが判明しており、すくなくとも1971年7月に参議院西村関一議員により使用されたことが議事録で確認できることから、未来永劫正史に残る由緒あるtitleであるということは確定的なのでありますが、いっぽうで「この事件」「今般の」「話題の事件」は1937年12月内外から約2ヶ月内外で発生したものだとされ、その終局は極東国際軍事裁判ないしは南京軍事法廷であって、それ以降これらの判決を包括的に受諾するサンフランシスコ条約およびこれに従う日華条約、ないしは日中共同声明の精神に基づき表明された日本の戦争謝罪により決着するものである(※指摘があればお願いします)。つまり歴史的事象としては上記のものがいまのところWikipedia編集検討の参加者の間で共有されている情報のすべてであって(※指摘があればお願いします)、それ以外それ以降の解説や検討、考究などはすべて史実というよりは研究上の分類用語(術語)と言うべきでしょう(論争史実としての南京大虐殺論争)。東京裁判での日本語判決文は「南京暴虐事件」英文「THE RAPE OF NANKING」であり、南京軍事法廷では中文「南京大屠殺」であることはWikipedia編集者の間で概ね共有された情報だと思います(※不十分であり間違っている可能性もあります!)。それ以外に提示されているtitle「南京事件」「南京大虐殺」「南京虐殺事件」「南京虐殺」「南京アトロシティ」「南京大虐殺事件」などはすべて権威においては確認できる充分な情報源があるものの研究上の分類用語(術語)である以上のことが共有されておらず、「THE RAPE OF NANKING」「南京大屠殺」は外国語であり、「en:Nanking Massacre」などに至ってはどの信頼できる情報源から充分に検討したうえで選択されたのか分からないtitleの状態にあります。かような状況においてtitleを選定しなければならない以上、限られた検討材料のなかで「著名だから南京大虐殺にすべきだ」論がまっとうな意見には到底おもえません。史実において現実に使用された用語(南京暴虐事件、THE RAPE OF NANKING、南京大屠殺)は非常に価値のある用語であって、それを研究者の間でさまざまに言い換えられている(南京事件、南京虐殺、南京大虐殺、南京虐殺事件、南京アトロシティ)。これらのtitle案が上回るというのならば、この中のどれかが一つが抜きん出て「正式で」「曖昧でなく」「認知度が高い」ことを提示して頂かないと、ああ説得されたなるほど納得だという感じがしないですねえ。--大和屋敷 2011年5月16日 (月) 18:42 (UTC)
  • コメント少し気の毒に思えてきましたが、大和屋敷氏が「南京暴虐事件」をご提案されるなら、それで構わないと思います。他の「南京事件」「南京大虐殺」案の内の一つとして検討すれば良いと考えます。(Miki08氏の提案に同意です。)ただ「46年に朝日の記者風情が使い始めたらしい南京大虐殺などという術語」とされた部分は以前のやり取り1964年刊行『文芸8月号』(河出書房)には、榛葉英治「城壁」が掲載されているが、この雑誌の表紙には「強姦略奪!南京大虐殺の真相!長編三〇〇枚 城壁 直木賞作家 榛葉英治」--ちゃんこなべ 2011年2月25日 (金) 15:18 (UTC)とされたのを
おお、ちゃんこなべさん!そういう情報が欲しかったです。僕も現行のWikipediaの「南京大虐殺」の語の解説がいかにもアイマイで疑わしいので本当かなと思っていました。--大和屋敷 2011年2月25日 (金) 16:51 (UTC)と書き込まれてますので、認識をお改め願います。ciniiに関しても「大学系の出版物」に限定するのが妥当かという議論もありますし。いずれにしろ過去のやり取りで納得しづらい部分もありますが、大和屋敷氏の積極的な告知によって議論参加者が増えたことは議論に深みをもたらす大きな貢献であり、ありがたいと感じています。今後は建設的な議論となればと思います。--kei 2011年5月16日 (月) 16:40 (UTC)
  • ちゃんこなべ氏のその情報があったのでgoogleって1946年5月10日付け記事にまで遡る[44]契機(keyword)を与えて頂けたので全く有難いことでした。ただ、いまの時点の記事の状態では単に一次史料をこの時点まで遡ることができているだけで、まったく学術的な信頼性の担保がなく不安定な状態であり非常にこまったものであります。当記事に関する深い知識や知見をお持ちの方の、より広いご参加があることを重ねて期待しお祈り申し上げます。--大和屋敷 2011年5月16日 (月) 16:57 (UTC)
コメント 繰り返しになりますが、歴史的事件の記事名は「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。 例: 「関ヶ原の戦い」、「ベルリンの壁崩壊」、「OK牧場の決闘」、「ブラックソックス事件」、「地下鉄サリン事件」等」と書かれています(Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件)。ガイドラインにもとづいて「南京大虐殺」を記事名にしたうえで、この名称への批判や他の名称の紹介も、本文中に適切に記載すればよいと思います。--Miki08 2011年5月17日 (火) 01:43 (UTC)

「出来る限り」ではない事例ですので該当しないと考えます。どうしてもその基準を強硬に適用すべきであるとするならば南京事件が適当でしょう。なぜなら最も一般的に知られており通用しやすい名称だからです。さてMiki08さんが「繰り返しになりますが」と仰られたのでハテ?と思い過去ログ等を繰りましたところ、改名後に移動されなかった過去のノートの版(※過去ログではなく移動できなかったノート[45]※)にZhxy 519氏により誤って?投稿され(2010年12月14日 (火) 07:21 (UTC))、議論となってしまった箇所にその記述がありました[46]。これを他の編集者が気づけ読んでおけと仰るのはさすがに無理難題すぎますので、編集参加者の方は議論はなるべくもっとも活発に行われている最新の場所をご利用頂くようお願いします。--大和屋敷 2011年5月17日 (火) 04:42 (UTC)

コメント大和屋敷さん、反対意見者であっても少し「対話」を意識した書き込みは可能でしょうか。「出来る限り」ではない事例ですので該当しないと主張されても根拠を示されなかったり、ルールに沿うことを何故基準を強硬に適用と表現されているのか。南京事件が最も一般的とされるならその根拠。単にもう一度申し上げさせていただきたいとして書き込まれた内容を気づけ読んでおけと仰るのはさすがに無理難題とされてしまうと対話しづらい印象を与えます。他の利用者が一言、二言で書き込みが途切れてしまっているのは、こういった反対意見が入る度に追い返すような姿勢が続いているのを見て、議論参加意欲が減退してしまっているのが原因かも知れません。ネットの対話で気を悪くしても仕方無いですから、もう少し肩の力を抜いてみませんか。たかが/されどwikipediaですから。--kei 2011年5月19日 (木) 11:47 (UTC)

(笑)ノート自体が閉鎖されてないまま利用者として投稿するのは不自然ですか?そもそも自分が該当する議論を対象にコメントしていたので、大和屋敷さんが誤ってに?をおつけになってもこんなご指摘に対してはお受け入れしかねます。--Zhxy 519 2011年5月19日 (木) 13:58 (UTC)

大和屋敷氏より再反論が無いのであれば先に進めたいのですが。--kei 2011年5月22日 (日) 13:04 (UTC)

さて、ほぼ一ヶ月ほど議論させていただきましたが、とくに新情報の提示がなく、編集者の嗜好調査や消費者アンケートのようなご意見しか集まらなかったのは大変残念な結果に決着いたしました。Wikipedia編集ルール上は改名の合意が得られたということになりますので改名させていただきたく存じますが、いかんせんまた議論を続けたい方が一部におられるようですのでもうしばらく拝見させていただくとして、今回の編集検討はここまでとさせて頂きます。ご意見を寄せて頂いた方どうもありがとうございました。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 10:22 (UTC)

今後の記事名の再検討[編集]

  • ではご意見いただけないようなので先に進めます。Miki08氏が提示された「一般的に知られており通用しやすい名称」についてですが、書籍によって多く利用されている名称がある程度反映されていると考えられるので、以前ちゃんこなべ氏が集計された(cinii検索結果)

       書誌検索  雑誌記事検索  cinii
南京事件   67件   214件    219件
南京大虐殺  69件   258件    260件

によって「南京大虐殺」のほうが上回っている(既に否定される根拠があったとすればお知らせください)ことが分かります。大学系の出版物に限定して集計し直した意見もありましたが、限定する根拠が不明で先に進めないので、一旦検討から除外させて下さい。5年10年後どちらが適切な記事名であるかとのご意見もありましたが、5~10年先の予測は分からないものであり、またそれを採り入れるなら5年先の予測と20年先の予測のどちらを採るのが適切かという議論も必要となってくるので、未来のことは未来の編集者に委ねればよいと考えます。ここから合意形成に向けた議論へと進めば良いのですが。--kei 2011年5月24日 (火) 15:42 (UTC)

雑誌記事検索、CINII検索には週刊誌や雑誌が多数ヒットしています。また、それら雑誌検索には『温家宝への公開質問状--南京大虐殺を証明せよ』、『一枚もない南京事件「証拠写真」 (「南京大虐殺」の真実) 』のように南京大虐殺と銘打ちつつも南京大虐殺に否定的なものが目立つためヒット件数のみで議論を進めることはできないと思うのですがいかがでしょうか。--Truesight 2011年5月26日 (木) 14:56 (UTC)
コメント keiさんお示しの検索結果は、南京大虐殺、南京事件とも、2011年現在において、検索結果数に大差が無く、これを論拠として項目名を決める事がナンセンスであることを示していると思います。Truesightさんご指摘の件も含めれば、実際の所どのくらいの差があるものか。別の視点からの議論が必要な様です。--Hman 2011年5月27日 (金) 09:11 (UTC)
「一般的に知られており通用しやすい名称」の"一般的"や"通用しやすい"とは、週刊誌や雑誌記事に使用される名称を排除しません。また、いわゆる否定派が「南京大虐殺」を使用したとしても、それを除外することにはなりません。言い換えれば否定派ですらも「南京大虐殺」を"一般的な名称"として使用している根拠であることが読み取れます。それとHIT件数のみで議論することができないと主張されるなら、他により良い方法をご提示いただくことで、さらに議論が進展することになります。Hmanさん、こちらは長く「南京大虐殺」で表記されてました。何ら客観的なデータの提供も無く「南京事件の表記が増えている」との印象で議論参加者3名によって改名された訳ですが、検索結果に大差がないどころか、若干ながらも「南京大虐殺」のほうが依然として上回ってるにも関わらず改名されたのです。Hman氏の論理でいくと当時の改名はナンセンス以前の問題となります。--kei 2011年5月27日 (金) 13:01 (UTC)
取り敢えず2011年現在の各種検索では、とりたててどちらが一般的と言う事もできない、という点で認識が共有できたのであれば、それはそれで結構な事です。過去の改名云々ではなく、今後どちらの記事名で定着させていくのかを考えましょう。・・・実は私、2011年現在ではまだ、もっともっと、ダブルスコアやトリプルスコアで「南京大虐殺」の方が著名と思っており、その前提で先日も意見を述べさせて頂いたのですが、私のアタマは自分が思っていたより古い所に在った様でございます。keiさんお示しの検索結果は、正直ものすごく以外であり、一瞬信じられないものでした(実は現在でも信じきれてなかったり・・・)。よって、「現在のところ明らかに著名である南京大虐殺」と、「今後主流となっていくであろう南京事件」のどちらが適切であろう、との議論になると想定していたのですが、どうも、「伝統的な表現である南京大虐殺」という表現が適切である可能性も出て参りました。私はやはり「南京事件」推しではあるのですが、2011年現在明らかに「南京大虐殺」が著名である、と推測される強い証拠が示されるのであれば、記事名が当面の間「南京大虐殺」であることを許容できます。ただし先日も申し上げました通り、大虐殺が存在したかどうかからして怪しい事件でございますので、いずれは中立的表現である「南京事件 (1937)」に落ち着くべき記事であることは論を待ちません。--Hman 2011年5月27日 (金) 13:47 (UTC)

コメント南京暴虐事件への改名議論とは既に離れたので、勝手ながら節「今後の記事名の再検討」を追加しました。しかし、過去と同じ議論の反復や、あまりに細かい指摘(攻撃?)は生産的に思えません。個人的には、ノートでの従来の議論より、大多数の参加者の間では実は以下の共通認識はできており、後は判断(ガイド上の優先順位の認識)程度かと思っています。

  1. 使用頻度は、大多数の調査結果で「南京大虐殺」と「南京事件」が拮抗しているのが現実(僅かな相違を指摘し合うのは不毛。当2案以外の案は採用可能性なし)
  2. 「南京大虐殺」への最大の指摘は、用語自体がWikipedia:中立的な観点では無い(特定時期のキャンペーン的な用語の傾向が強い)
  3. 「南京事件」への指摘は、判りにくさ(他の南京事件と紛らわしい、各国語版とも異なる)

仮に上記を前提とすれば、「記事名は、記事名自体の中立性と、判り易さのどちらを優先すべきか」がメインの判断基準になるかと思います。なお、ウィキペディアでは日本語版でも各国語版でも、以下のように中立的とは言えない記事名も、中立的な記事名も、実際には両方存在しています。

--Rabit gti 2011年5月27日 (金) 14:12 (UTC)

  • Hmanさん、Rabit gtiさんありがとうございます。Rabit gti氏の1)は同意です。他に新たなデータが出るまでは保留としましょう。2)についてですが、「虐殺」という文字が入ったのを中立的でないという意味でとらえられてるとすれば、議論が必要な部分となります。当該事件はごく一部を除いて数千~数十万人単位で民間人や捕虜が殺害されたというのは疑いようのない事実なので、その事件の性質を端的に表現した「虐殺」という単語が入ることは中立性に問題は無いと考えます。たとえば兵庫県南部地震ですが、その地震の性質をより的確に表現した阪神・淡路大震災が一般的な名称として使用されています。3)も同意です。テルアビブ空港乱射事件などもテルアビブ空港事件(1972年)としてしまえば何だか分からなくなりますし。--kei 2011年5月27日 (金) 15:33 (UTC)
kei様、「ごく一部を除いて数千~数十万人単位で民間人や捕虜が殺害されたというのは疑いようのない事実なので」などとしれっとおっしゃられては困ります。それでは仮に「虐殺」の説明が付いたとしても「大」の説明が付かないのではありませんか。・・・などと言う学術的に結論の出しようのない話はともかくと致しまして、
  1. 中立的なのは、南京事件 (1937) である。
  2. わかりやすいのは、(2011年現在では恐らく)南京大虐殺である。
この2点におきましては、大方の見解が一致する所と思います。論点を絞り、この2点、どちらを優先すべきかで話を進めていくべきではないかと思います。Rabit gtiさんに色々と事例をお示し頂きましたが(その労力に感謝致します)、個人的にはお示し頂いた「中立的とは言えない記事名の例」のいくつかに強い違和感を覚える所でございます。可能であればわかりにくくない範囲で中立に持っていくべき、と言うのが一般論なのかなあ、と、そんな気がしております。とは言えホロコーストなどはあまりに著名すぎて変えようもありませんが。本件に関しましてはこの著名さが揺らいできた、やはり過渡期にある案件が故の問題なのでしょうね(今が1999年であれば、ほぼ満場一致で南京大虐殺に決まっていたことでしょう)。--Hman 2011年5月27日 (金) 17:12 (UTC)
私としましては「虐殺」という文字が入ることが重要な点なので、「大」の有無はあるに越したことはないのですが「南京虐殺」による表記で合意できるのなら、それでも構わないと考えています。なので、もしそこでも許容できないとのお考えであれば、この議論は少し保留としましょう。「中立的」に関しては前述したとおりです。「虐殺」という単語が中立的でないとの考えには同意しかねます。なぜ「中立的でない」のか、お考えをお聞かせいただければと思います。過度期については、私の中では、「南京事件」支持がごく一部の印象(ちゃんこなべ氏が提示されたcinii検索結果は私も意外でした)を持っています。ただwikipediaは百科事典なので、用語の使用は時代を先取りするものではなく、保守的であるべきと考えます。よって、ダブルスコアやトリプルスコアで逆転するまでは「南京大虐殺」の表記で維持すべきと考えます。--kei 2011年5月28日 (土) 01:22 (UTC)

コメント Hmanさん、keiさん、冷静な議論ありがとうございます。お二方のご意見を拝見しての、私の意見を以下に述べます。

  • 他の記事名の例は虐殺#主要な虐殺の例大量虐殺#歴史上の大量虐殺にもあります
  • 最初に議論すべき点は「記事名は中立的な呼称にすべきか、(中立的かは無関係に)単に判りやすい呼称を選ぶべきか」と思います。当ノートで過去に指摘がありますがWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはでは「認知度が高い、見つけやすい、曖昧でない、簡潔、首尾一貫」で、「中立的で事実に正確な記事名が良い」とはありません。特に、歴史的用語には、中立的で無い記事名や、事実と異なる記事名は多数あります。例えば「蝦夷征討」や「大化の改新」や「明治維新」や「太平洋戦争」、あるいは「フランス革命」や「市民革命」などは、全て勝者の側による呼称で、本来は中立的な呼称ではありませんが、普及して(しまって)います。「東京大空襲」も「大」の範囲は複数説があります。特に「ホロコースト」は1970年代のテレビ番組で爆発的に普及した用語で、最近は使用頻度が減っており、経緯が「南京大虐殺」と非常に似ています。これらも(できれば各国語版を含めて)同様に改名議論を展開していくべきか、百科事典は過去に普及した(してしまった)用語を(中立性とは無関係に)選択すべきか、との判断が必要と思います。
  • 殺害人数の議論を当ノートで行うのは無意味と思います。それらは南京大虐殺論争に記載済です。「大」を外した「南京虐殺事件」案も、(少数説とはいえ)「全て合法な処刑であった」説[47][48]から見れば、中立的では無い事は変わりません。
  • 虐殺」の語が客観的用語かは議論がありますが、一般には無抵抗の人(非武装の市民や捕虜など)を正式な裁判を経ずに意図的に殺害する事で、相手が1名でも使われています(小林多喜二大杉栄など)。純粋に客観的な語は「殺害」(大量ならば「大量殺害」)なので、「虐殺」は国際的にも「不法、不当な殺害 = 犯罪」の意味があり、現在もトルコ政府は「アルメニア人虐殺」との表現に反対し続けています。またジェノサイドは国際法上の犯罪とされています。仮に造語するならば「南京大量殺害(疑惑)事件」とも思いますが、知名度が無いので記事名の選択肢にはなりません。--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 03:00 (UTC)
  • 虐殺があったかどうかなど我々が判断すべきことではありません。本記事は歴史的な大事件であるため学会での呼称を反映したものとすべきです。巷間、センセーショナルな「南京大虐殺」が好んで使われるものであるとしてもそれは除外して考えるべきです。たとえば、「日韓基本条約」などは圧倒的に巷間での使用例が多いのですが、Wikipediaでは「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」というように正式名称が使用されています。巷間での使用例が多い→わかり易い→記事名に使用すべき、という論理は成り立ちません。記事名としては俗称、通称は避けるべきです。学会での使用頻度をみると「南京大虐殺」については戦後~1990年代までは数多く使われてましたが、近年は「南京事件」がより多く使われているようです。従って本記事においても「南京事件」を採用すべきと考えます。--Truesight 2011年5月28日 (土) 06:39 (UTC)
コメント 気づいた点を簡単にコメントします。(1)Truesightさんご指摘のように、仮に「正式名称」があれば、基本はそれを使用すべきです(Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うこと) (2) 当事件を含め、歴史的事件の多くに「正式名称」は存在しないため、学者を含めて複数の呼称が使用され、議論になっています (3)いずれの立場であれ「学会での使用頻度」は出典をお願いします(日本の学会一覧に含まれる日本歴史学会などなのか、学会としての公式見解は無いので何の数をどう数えたのか)。なお日本「南京」学会などは自称「学会」です。(4)なお日本の教科書検定の教科書は政府見解の影響を受けます。仮に各国語版が各政府の見解による記事名になるのではJPOVに反します。(政府見解では、尖閣諸島領土問題は存在しないため「尖閣諸島問題」も記事名が議論になりそうですが。)--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 07:25 (UTC)

(4)の「教科書はJPOVに反する」には首肯できません。これはWikipedia:信頼できる情報源#偽の権威に注意『もっとも信頼できるのは、その分野の書き下ろし教科書です。こうした教科書の著者には、その科目について幅広く権威のある知識を持っていることが期待されるからです』に真っ向反する見解です。それと教科書への採用例が増えている「南京事件」が政府意向によるものである、とする出典のご提示をお願いします。
次に「学会での使用頻度」についてですが、下記に国立国会図書館の書誌検索、年代別結果を示します。国立国会図書館の書誌検索では学者、研究者による高品質な書籍が検索されますのでこれを以って学会の趨勢とみて問題ないと思います。

 ~1990年  ~2000年 2001年以降
南京事件 14 19 34
南京大虐殺 19 30 20

--Truesight 2011年5月28日 (土) 08:50 (UTC)


コメント Truesightさん、詳細なコメントありがとうございます。(a)Truesightさんご指摘のガイド「Wikipedia:信頼できる情報源」には「一般的に、 大学 で使われる教科書は頻繁に改訂が行われ、権威を保ち続けようと努めます。」および「K-12水準の教科書は権威があるようには作られておらず、ウィキペディアの編集者は 避けるべき です。」とあります。「教科書」を2種類に分けてガイドしています。私の書いた「日本の教科書検定の教科書」は、対象は小学校~高校なのでK-12です。 (b)「「南京事件」が政府意向によるものである」とは私は書いていません。私は「日本の教科書検定の教科書は政府見解の影響を受けます」との一般論を書いています。政府(文部科学省)による検定は学校教育法に明記されています。私の意見は、(どの記事名であれ)高校教科書の記述は信頼できる出典には弱い、という内容です。(c)国立国会図書館は「日本国内で出版されたすべての出版物」を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館です。特に「学者、研究者による 高品質 な書籍が検索されます」という訳ではありません。さきほど「【簡易検索窓】(対象:和図書)」からのタイトル検索結果(年指定なし)は以下で、博士論文は双方0件、和図書の大多数はタイトルを見る限り一般書籍のようでした(試しに「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は205件でした)。
和図書 博士論文 備考
南京事件 67 0 南京事件 (1927年)も含まれている可能性もあるが未確認
南京大虐殺 69 0
--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 09:52 (UTC)
補足:信頼できる情報源の説明は、記事名ではなくて、内容について述べたものですから気をつけて下さい。 百科事典は知識のない一般人を、ある程度の専門知識に導くためのものなのです。 ですから、タイトルが正統的・専門的よりも知名度が優先されて、導入の説明は一般人が読んですぐ理解される文章で、その下から専門的な知識を配置するようになっています。Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件のアドバイス「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」を中心に考えるべきと考えます。 決定が微妙であるなら、記事名の知名度については、専門書よりもむしろ、定評のある既存の百科事典や辞書の最近の版がどちらを採用しているかが決定打になると考えます。採用されてない方はリダイレクトです。--Dictionwolf 2011年5月28日 (土) 10:35 (UTC)

以前に[49]ciniiでカウントした結果によりますと、cinii検索の「南京事件」[50]「南京大虐殺」[51]「南京虐殺事件」[52]「南京虐殺」[53]。このうち大学から出版され、1937年の事件と特定できたもの「南京事件」[54][55][56][57][58][59][60][61][62][63][64]の11件、「南京大虐殺」[65][66][67][68][69][70][71][72]の8件でした。大学系の出版物で最初に取り上げられたのは吉田裕「一五年戦争史研究と戦争責任問題 : 南京事件を中心に」[73]で 1987-02-01のようでした。「南京大虐殺」のほうは陳 安吉(他)「南京大虐殺史研究の歴史 : 回顧と今後の課題」[74]で1999-02のようでした。ciniiはすべての論文・公表文を採録しているわけではない点注意してください[75]。keiさんは【私としましては「虐殺」という文字が入ることが重要な点なので、「大」の有無はあるに越したことはないのですが「南京虐殺」による表記で合意できるのなら、それでも構わないと考えています。】[76]という、議論への参加態度として非常に重大な欠陥をお持ちですので、まず改めてください。Dictionwolfさんの主張はWikipedia:記事名の付け方に明白に違反しています(すでに充分「出来る限り」の状態でないのは明白です)ので、論外です。どうしても多数決で決着しなければ移動合戦に持ち込んででも阻止すると強硬に主張される方がおられるようでしたら、念のため上記の情報をご提示させて頂いておきます。穏便にお願いいたしますよ。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 10:42 (UTC)ciniiや国会図書館のザックリとした検索を提示いただいている分については、単に検索しましたこうでした、ではなく、一冊一冊具体的に信頼できるものであったかどうか確認してから議論に持ち込んでください。このような数字でした、というだけで検討資料になるはずがありません。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 11:01 (UTC)

私の提案は、全く違反ではありませんので、一応申し述べておきます。--Dictionwolf 2011年5月28日 (土) 11:10 (UTC)
物事には優先度があって、分野ごとのアドバイスが、最優先で、その次に来るのが以下のような基準です。
  • 認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。
  • 見つけやすい - 読者にとって記事の中で見つけやすいもの(そして編集者にとって最も自然に他の記事にリンクできるもの)。
  • 曖昧でない - その記事の内容を曖昧さなく見分けるのに必要な程度に的確な名称であること。
  • 簡潔 - 短く、要点を突いているもの(曖昧さ回避の場合でも、カッコ内を短く保つことは必要です)。
  • 首尾一貫している - 他の似たような記事においても、同じように使われているもの。

これを優先して下さい。 これらの基準にほぼ合うものという観点をまずは重視して下さい。 内容は内容、タイトルはタイトルであって、(内容ではなく)一般人の知名度をはかる基準として、K12教科書や既存の百科事典の項目は、この場合有効です。--Dictionwolf 2011年5月28日 (土) 11:41 (UTC)

Rabit gtiさん、大和屋敷さん、わたしは国立国会図書館の検索結果から高品質な著書が検索されたために上のように述べました。実際、「南京事件」で検索すると田中 正明、笠原十九司、秦郁彦、藤原彰などなど学者が著者の書籍がヒットし、CINII検索のように、週刊誌などの商業誌、雑誌は含まれていないようです。以上の結果から現在の学会の趨勢分析に使えるという見解は変わっておりません。さて、今回、上記に挙げさせていただいた年代別の両文言での発行数をより視覚的に表現してみました。いかがでしょうか。「南京大虐殺」が2000年をピークに使用傾向が減じているのに対し、「南京事件」は2000年までは「南京大虐殺」より低かった使用頻度が以降では逆転、右肩上がりに使用頻度が増しております。なお、「南京事件 (1927年)も含まれている筈」というRabit gtiさんのご意見でしたがわたしがざっと目を通した限りでは見受けられませんでしたので今回のグラフには反映しておりません。もし、わたしの見落としで1927年のものが含まれているようでしたら具体例を挙げてご指摘ください。

国立国会図書館、書誌検索による年代別発行数

~1990年   19
14
~2000年   30
19
2001年~   20
34
「南京大虐殺」
「南京事件」 

--Truesight 2011年5月28日 (土) 12:03 (UTC)

コメント Truesightさん、詳細にありがとうございました。私の表備考での「含まれている筈」は、単に(文字列検索なので)「含まれている可能性もありうる」という意味なので、誤解されないよう修正しました。なお私の意見は「国会図書館の検索対象ならば高品質、とは言えない」なので、例えば「一般書籍の一覧で、その著者を見ると、南京事件の方が著名な学者が多く、年々増加している」などの意見ならば、私は細かい件数差や傾向にはこだわりませんので、コメントはありません。ところで私個人は、「南京大虐殺」「南京事件」のいずれかならば反対ではありませんが、過去のノートでは論理的でない議論(出典なき断定、政治的な自説の演説、強引すぎる展開、ガイドの誤読や無視など)が多く残念でした。私個人は「南京大虐殺」が判りやすいですが、「南京大虐殺」は戦後一時期のキャンペーン用語の傾向が強いため、ウィキペディアでは中立性を重視し「南京事件」が適切とずっと思っていました。しかしDictionwolfさんご指摘のようにガイドを読み直すと「記事名は(中立性ではなく)一般に通用しやすいものを選ぶ。記事内容は中立的に記述する。呼称の問題は記事内部に書く。」とも思えて来たという経緯です。話を戻しますが、私の基本意見は以下です。

  1. 記事名の選択基準の合意を最優先すべき(それにより議論すべき話が変わる)
  2. 歴史的事件では「正式名称」は存在しない(学校名や法律名などとは異なる)
  3. 仮に「中立的な呼称」ならば「南京事件」に決定(件数など普及比較の議論は不要
  4. 仮に「世間で通用しやすい名称」ならば、拮抗しているため、学者や世間での件数比較も意味がある(記事名が中立的かの議論は不要
  5. Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」なので、上記3ではなく、上記4を選択基準と合意すべき

以上、1~5については、皆様の見解はいかがでしょうか?(なお「拮抗」はノートでは大和屋敷さんが最初に使用した表現です[77])。--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 13:22 (UTC)

Rabit gti様ありがとうございます。 4の選択で結構です。 名前を決定するのに学者の書籍のみ限定してしまい、のめりこむと、木を見て森を見ないことになるのでその事を指摘しているのです。ちなみに、現時点でのサンプルとして手持ちの辞書で申し訳ないのですが、講談社の日本語大事典でいきますと、南京事件はあっても南京大虐殺はないという結果になっていますことをお知らせしておきます。--Dictionwolf 2011年5月28日 (土) 14:59 (UTC)
提案 物事の白黒は、はっきり付け得る場合ばかりとは限りません。Truesightがお示しの傾向は決して無視できるものではありませんが、多くの方が、2011年現在、南京大虐殺の方がわかりやすいと、こうお考えであるのであれば、2011年5月現在の結論として、項目名を南京大虐殺とすることで一旦妥結するのは必要な妥結でございましょう。私も印象的にはやはり、「南京大虐殺」の方が、ピンと来る、この点は否定し得ないのです(まあ、根拠を示せと言われても困るのですが・・・私も結構いい歳ですから、ヤングの方だとまた違うのかもしれませんね)。当面の間、例えば一週間程度「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」点について、「南京事件」の方がより優れていると言う有力な反論が行われなければ、今回は結審、と言うことで、皆々様、如何でございましょうか。尚、3年後、5年後、または10年後のウィキペディアンが今回の結論に縛られる事は無いと言う点も、確認しておきたい点でございます。今回のこの様な記事名選択についてウィキペディアは、世の中の趨勢に合わせるだけでございますから、将来的に見直しが計られるのはこれは、当然でございますので。--Hman 2011年5月28日 (土) 15:17 (UTC)
Hmanさん、Dictionwolfさん、Rabit gtiさんの参加で議論が進みだしたことに感謝します。Rabit gti氏の案ですとDictionwolf氏同様、4の選択を支持しますが、拮抗した結果しか出ないとすれば元の「南京大虐殺」に戻すべきと考えます。再度の申し上げで恐縮ですが、前回の改名[78]はいわば冤罪のようなもので、論理的根拠が成立していなかったことが分かっています。よっては一旦「南京大虐殺」に戻して、そのうえで「一般的な名称」を反映する決定打が出ればそれに改名するのがBESTなのですが。Hmanさん、ほぼ同じ考えを持ってます。是非その案で行きたい・・・。--kei 2011年5月28日 (土) 16:01 (UTC)--kei 2011年5月28日 (土) 16:01 (UTC)
Hmanさん、keiさん、私から皆さんへの質問は「記事名の選択基準は何か」の合意形成を目的としたものです。「南京大虐殺」または「南京事件」のどちらが望ましいかは、そのの話です。仮に4(「世間で通用しやすい名称」)が選択基準と合意できても、各種調査結果も最近の発言者も拮抗しており、冷静に見れば容易な決着は不可能と思います。(私自身はこの件では、最終結果よりも、適切な議論の進め方の方に関心があります。いずれの立場でも、話を急ぐと却って論点が混乱する事を懸念しています。念のため。)--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 16:17 (UTC)
5.「Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」という選択肢を支持します。--Hman 2011年5月28日 (土) 16:22 (UTC)
  • 支持する支持しない、ではなく適切に編集規則(Wikipedia:記事名の付け方)を適用してください。適用に不満なら編集規則(Wikipedia:記事名の付け方)のほうを先に修正提案してきてください。その他の慣例の冒頭には【特記の無い限り、基本的に上記の一般的な指針は全て適用されます。】と記述されています。されていますよね?歴史的事件の項目には「この項目では【一般的な指針】は採用せず、かならず一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」とは記述されていませんよね?「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」と記述されているだけです。そして今般のtitle案は現実の使用状況は拮抗しており、また編集者間で克服不能なほど対立しており、出来る限りの事例に相当しないことは明白です。また「基本的に上記の一般的な指針は全て適用されます」の例外にあたる事例ではないことも自明です。無理押しはやめてください。どうしても多数決で決めたい方はWikipedia以外でご自身の百科事典をお作りいただくか、編集規則(Wikipedia:記事名の付け方)そのものを先ず変えてきてください。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 16:49 (UTC)
  • たとえば南京事件を、国際軍事裁判から始まる南京暴虐事件(THE RAPE OF NANKING 南京大屠殺)として切り取るのではなく、ひとつの軍事史としての視点で切り取ることとしてプロジェクト:軍事史の適用から南京攻略戦に併合してしまうのはひとつの編集上のアイデアです。向こうの加筆者の方は大変迷惑に思われるでしょうが。どうしてもWikipedia編集者間で当記事titleについての合意が不能であると予想されるなら南京攻略戦に一項目(戦後裁判と論争)などを設定してしまうのはひとつの案です。--大和屋敷 2011年5月28日 (土) 16:59 (UTC)
コメント 大和屋敷さんへ。(1) まず、大和屋敷さんや私が指摘しているWikipedia:記事名の付け方は、冒頭に「従うことが推奨されますが、方針ではありません」と明記されており、コミュニティの合意に必ず優先する位置づけでは無く、また同じガイドでも解釈相違が発生するのが一般的なため、誤解に基づく無駄な議論を減らすために、私が皆さんに共通認識の確認をお願いしている、という経緯です。 (2)次に、大和屋敷さんご指摘のように、Wikipedia:記事名の付け方の【一般的な指針】を含めて適用が必要なのであれば、「記事名は中立的な呼称を選択した方が良い」などのガイドは【一般的な指針】以外を含めて全く言及が無いため、記事名選択の判断基準には「中立的な呼称かどうか」は無い、との認識でよろしいですよね? (3)なお「現実の使用状況は拮抗しており、また編集者間で克服不能なほど対立しており、出来る限りの事例に相当しないことは明白です。」は、ガイドの誤読かと思います。仮に拮抗していなければ「出来る限り」と書く必要は無く、拮抗する複数意見がある場合に「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」との意味と思います。(換言すると「出来る限り合意形成すべき → 今回は無理」ではなく、「出来る限り通用しやすい名称を選択する」で、「出来る限り」のかかる先が違っています。その選択は合意形成すべきです。ウィキペディアでは合意形成が基本なので、「出来る限り合意形成する」などの意味は考えられません。)--Rabit gti 2011年5月28日 (土) 17:30 (UTC)
Rabit gtiさんの見解、「歴史的事件では「正式名称」は存在しない」には違和感を覚えます。それとWikipedia:記事名の付け方#歴史的事件を見ると「関が原の戦い」が含まれる反面、「OK牧場の決闘」や「ブラックソックス事件」、「地下鉄サリン事件」が含まれており、どうも例示の傾向から歴史学で扱う範疇のものを指すというより、単に社会的影響度の大きい社会事件を指しているような気がします。本記事名は学術用語です。学術用語の正式名称はすなわち、学会でのデファクトスタンダード=学会での使用例の多いものということにならないでしょうか。先に示した傾向により、1990年代であれば、記事名は「南京大虐殺」でしょう。しかし、2001年以降、学会では「南京事件」にシフトしているのです。本記事の記載内容も週刊誌などの雑誌よりも歴史学者の書いた著書が優先的に記述されるべきものであるはずです。であるならば、記事名についても学会の傾向を反映したものが選択されるべきであると考えます。--Truesight 2011年5月28日 (土) 17:51 (UTC)
Truesightさんのご指摘の「本記事名は学術用語です。学術用語の正式名称はすなわち、学会でのデファクトスタンダード=学会での使用例の多いものということにならないでしょうか。」についてコメントです。(a) ウィキペディアは、一般向けの百科事典です。各分野の学術事典ではありません。Wikipedia:記事名の付け方の冒頭には「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」とあります。学会などで学者が共通語として定義し使用しているものには「学名」があります。しかし、ウィキペディアの各学術分野の記事名(生物学、物理学、天文学など)は、「学名」ではなく、「世間一般での名称」が採用されています(例えばクジライルカは生物学的には同一種ですが別記事です)。更に、ご存知のように日本歴史学会などでは歴史的事実の「学名」は定義していません。このため各歴史学者の論文等では通常、自分の用語の定義を明記しています(用語やその範囲自体が、各学説という形です)。 つまり「学者の多数意見は、実際には正式名称と言えるのではないか」という一般論は理解できますが、歴史的事実では正確な意味での「正式名称」は存在せず、更にウィキペディアの記事名の選択基準となっていません。(c)ガイドの例示でも、ご指摘の通り、「関が原の戦い」も本件も、歴史学で扱っています。「OK牧場の決闘」なども、「非常に通俗的な呼称でも、それが世間一般で最も認知度が高い場合はそれを採用すべき」との例と思います(私は「南京大虐殺」は戦後のキャンペーン的用語で中立的な呼称では無い、と思っているので、この「OK牧場の決闘」に近い認識です)(d)繰り返しになりますが、現在のガイドを読む限り、以下と思います(勿論、大和屋敷さんご指摘の通り、ガイドの修正提案も可能ですが)
  1. 記事名の最大の選択基準は「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」(学会や学者の専門的な学名などではなく、逆に一般書籍やマスコミなど一般に普及しているもの)
  2. 記事の記述は(大学レベルの教科書など)信頼できる情報によって記述する(一般的用法と学術的用法の相違も明記する)
なお、仮に「記事名はその国の学会で多数派の用語を選ぶ」ならば、当記事より先にホロコーストポグロムの改名をしないといけないと思います。--Rabit gti 2011年5月29日 (日) 01:48 (UTC)
歴史事件には「学術名」が無いので「正式名称」は存在しないでしょう。論文や記事を記述した制作者が名付けたものが出て、その事件がもっとも簡潔で的確に表現された名称が他でも採用され出して、一般に広がっていくのが通常の流れなので。それとWikipedia:記事名の付け方に関しては、一般的な指針の「正式名称を使うこと」の大枠(土台)があって、それに当てはまらない例外が個別に表示されています。歴史事件では「当てはまらない例外」に該当しているので、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と改めて記述されています。「必ず」では無く「出来る限り」と記述されている指摘に関しては、クジライルカなどの例外の事象を想定して、ある程度の幅を持たせた表現とするのは当然と考えます。それを逆手にとって「必ず」となっていないので一般指針に従うべきとしては本末転倒であり、その他の慣例「歴史事件」の記述自体不要となります。あと他にもいくつか誤読していると思われる部分がありますので、もう一度全体を通してWikipedia:記事名の付け方を読むことをお勧めします。--kei 2011年5月29日 (日) 03:38 (UTC)

Wikipedia:信頼できる情報源#事実には「科事典の場合では事実とは、その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のことです。」とあります。またWikipedia:信頼できる情報源#歴史には「学者に記事執筆を依頼した専門家によって編集されており、品質を維持するためにそれぞれの記事がレビューされています。これらは、ウィキペディアのための権威があると考えられます。」や「一般的な公開物は、歴史を小説や映画、テレビ番組、さまざまな場所のツアーガイドから得ています。こうした情報源は噂やゴシップに満ちており、嘘だったり大げさだったりします。彼らは、著名な名前が英雄的な役割を演じるバラ色の歴史を表そうとしがちです。」とあります。これらは全般的にWikipedia執筆に際しては一般公開物よりも学者や研究者による学術的な資料に立脚すべきであることを示しています。--Truesight 2011年5月30日 (月) 17:10 (UTC)

Truesight様、全くその通りで異論はないのですが、それは内容に関する指針であって、名前のつけ方の重視すべきはWikipedia:記事名の付け方の本文になっています。 信頼できる情報源について触れていますが「参考」です。 ウィキペディアは専門知識のない一般人に知識に導くという観点から、非常に意外に思われるかもしれませんが、名前は一般重視で、本文の導入は平易に、内容は専門重視という、ダブルスタンダード構造になっているのです。 なかなか理解し難いことなのですけれど本当なのです。 私個人としては、記事名はどちらに決まっても異存はないのですが、議論の方法が変な方法で決まらないようにと、望んでいるのです。--Dictionwolf 2011年5月30日 (月) 22:27 (UTC)
「名前は一般重視」というお言葉ですが、どちらににおいて一般的かが重要と存じます。Wikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはには「認知度が高い - 信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの。 」と書かれております。--Truesight 2011年5月31日 (火) 12:18 (UTC)
そこで、普段真面目な方ほど引っかかってしまっているようなのですが、信頼できる情報源は権威ある学者の書籍のみと限らないという事です。 個人のブログやら、匿名の投稿サイト、いつかどこかで聞いたラジオ番組、なんてのは調査対象に入れないでよというものです。 定評ある百科辞典は信頼できる情報原ですし、中学校の教科書も信頼できる情報源です。定評ある新聞も信頼できる情報源です。それらを広く含めて最も使われている単語を選ぶという意味です。 もちろんこれらの出典は本文には基本的に利用不可ですよ。 もっと権威のある出典から記述しないといけません。 第一百科辞典なんてものはその分野の専門家はひく必要性ありませんよね。 ひくのは一般人とか学生さんです。専門家が何らかの理由で用語を変更すれば5~6年ほどタイムラグができるのは自然なことでしょう。 例としてブロントサウルスという恐竜がありますが、時間が経って今や一般にも収束してリダイレクトが適当になりました。--Dictionwolf 2011年5月31日 (火) 13:30 (UTC)
確かに信頼できる情報源は学者の著書のみには限りません。しかし同時により信頼できる出典というものが存在します。たとえば、学者の著書と雑誌があるとすれば学者の著書がより信頼できる情報源となります。一般の記事名などであればいざ知らず、本記事名は学者が主題として掲げる学術用語です。Wikipediaは質の高い百科事典を目指しています。一般人や学生が相手だから一般向けの雑誌をもとに命名すべきであるとは思いません。いいえ、一般人や学生相手であればこそ、現在の学会の趨勢をもととした最新の質の高い情報を送り届けるべきではないでしょうか。--Truesight 2011年6月1日 (水) 12:38 (UTC)
内容はまさにそうなのですが、名前を知らなければしょうがありません。 これを良い機会ととらえて「百科事典的に」という観点から、実際の百科事典がどういう資料を基に項目を選んでいるのか調査してみて、改めてWikipedia:記事名の付け方を読み直されることをお勧めします。--Dictionwolf 2011年6月1日 (水) 12:59 (UTC)
内容がそうであるのならば名前もそうじゃないでしょうか。「名は体をあらわす」といいます。名前に俗称や通称を用いた百科事典はいいものであるとは思えません。確かに名前を知らなければ引けないというのであれば問題でしょうがリダイレクトを作成することで解決できると思います。--Truesight 2011年6月1日 (水) 13:15 (UTC)

コメント遅ればせですが、Rabit gti氏の5.「Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」のご提示に同意します。--kei 2011年6月2日 (木) 13:28 (UTC)
何らかの事件が起きたことは妥当だとして、それが虐殺であったかどうかも議論されていて、しかも近年虐殺ではなかったとする主張が増えてきている。「南京事件」の方が妥当ではないだろうか。それに日本語話者であるなら南京事件で通りが悪いということはまずありえないだろう--肉欲獣 2011年6月3日 (金) 19:16 (UTC)


中立性の観点から[編集]

コメント精密な議論のあとで私見を述べるのは恐縮ですが、私は現状の「南京事件」でいいと思います。理由はすでに上に提出されてあるものの繰り返しとなりますが、「虐殺(暴虐)」を付すのは一般的ではあるとはいえ、いわゆる東京裁判史観に準じたものであると思われます。大和屋敷さんは、
「「東京裁判」「南京軍事法廷」は国際法上違法不法でありその判決はとうてい権威として認められないとの信頼できる立論はありうるとおもいますが。(いわゆる東京裁判に言うところの)南京暴虐事件、というtitle案であるという観点で許容頂きたい」
とおっしゃていますが、この発言に関して思いますのは、「東京裁判」が名称として中立的なものであるのに対して、「虐殺(暴虐)」と形容するのは、この事件に対して批判的な見方をしていることを含むものであるかと思います。(尤も、私は東京裁判は国際法上成立していないと考えています)したがって、「南京暴虐事件(南京虐殺事件)」は(統計的な意味での)一般性はあるとしても、中立性または公正性において劣るかと思われます。上にありました学会の趨勢などもそのような事情のもと、動いているかと思われます。
別の事例でいえば、たとえば文禄・慶長の役はかつては「朝鮮出兵」または「朝鮮征伐」が一般的な使用をされていました(朝鮮出兵はいまも使用されます)。これに対して、近年、韓国やフランスでは「壬申戦争」という言い方が提唱されていますが、これはこれで李氏朝鮮の暦を基準としています。このように、争点のある歴史呼称については、解決するには気の遠くなるほどの時間がかかるかと思われます。事実、「文禄・慶長の役」が直ちに「壬申戦争」へと一般名称変更するとは思われません。なお英語版では「日本の朝鮮侵略」という名称になっており、これについても壬申戦争はどうかなど、議論がノートで行われていましたが、結局は現状維持となっています。思うに、各国語版でそれぞれ名称が異なるのは当然であるし、またその国の言語の版においては、ことウィキペディアにおいては、議論で合意点を見いだすしかないように思います。
話を戻しますと、「虐殺(暴虐)」を付した名称について反対意見がある以上、現状の「南京事件」でいいのではないでしょうか?冒頭で「南京大虐殺、または南京暴虐事件とも」と記すことやリダイレクト、または「名称」節の存在などで検索については対応できますし。
私はやはりどれだけ統計的に厳密な見方をしたところで、「一般性」や「通用性」などは測れるとしても、絶対的または普遍的な「正式名称」をこのような係争度の高い歴史名称について決定するのは不可能(ないしは膨大な議論の経過が必要)ではないかと思います。そのような意味で、このような係争度の高い名称については、“可能な限り”中立的な観点を保持したものの方が相対的により適切であると考えます。--西方 2011年6月12日 (日) 19:38 (UTC)
wikipedhiaの掲げる中立性とは、一般に考える中立性とは概念が異なっており(そのために理解されにくい)、複数の対立する出典の述べる観点の矛盾をどのように表記するべきか。という解決方法です。項目名は1つしか選べませんので当てはまりません。 統計的に「一般性」や「通用性」を鑑みて問題のなさそうな候補を厳選して、1つでなければ、その候補から議論によって選んで下さい。 記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を重視してください。--219.115.61.47 2011年6月14日 (火) 11:01 (UTC)
Wikipedia:中立的な観点#中立性に関する争いについてや同方針内の他節において、「観点の偏り」を避けるべきだとあります。統計的数値を根拠にすることは、いわば多数決による解決を目指そうとするやり方と論理的に同形であるように思われますので、同意できません(Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありません参照のこと)。
私のいう中立性とは『比較的「中立的」な、あるいは「中間的」なひとつの観点』ではありません(Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?参照のこと)。Wikipedia:中立的な観点では「フェア」と翻訳されておりますが、私のいう「公正性」とはそのフェアネスのことです。「暴虐(虐殺)」についてまったく議論の余地のないものであればともかく、この事件のように実証や分析などにおいて決着の着いていない案件については、可能な限り「観点の偏り」を避けるべきです。「暴虐(虐殺)」という形容をつけることは、観点の偏りに当たると考えます。
なお、IP219.115.61.47氏のおっしゃるのはWikipedia:読者に役立つ記事を書くのガイドラインのことでしょうが、そもそも私の提起している問題ではありません。私はなにも専門家の立場に立つわけでも、徒に衒学的な議論をしようという意図もはありません。「中立性」とは「観点の偏りのなさ」を求めようとすることであり、各編集者の個人的な政治思想や動機といったから解放された名称であるべきです。それがより公正性を満たすと考えます。「南京事件」と「南京虐殺事件」とでは、後者の方が、観点の偏りを示す形容が含まれます。前者の「南京事件」という名称については、この名称に「虐殺とつけるべき」と考える編集者をのぞいて、その名称それ自体が議論の争点として、議論を誘発するものではありません。事実、今回の大和屋敷さんの名称変更提案がなければ、議論は起きなかったのではないでしょうか?むろん、「客観的な視点など存在しない」のは当然です。Wikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しないをご参照ください。
また、上の中立性=公平性の方針は本文において適用されるのであって、項目名においてはその限りではないのではないか?という質問にあらかじめ答えておきます。私は、すでに述べた理由によって、項目名にも適用される、と考えます。中立的観点、検証可能性、独自研究を含めない、はウィキペディアの三大方針であり、これらについては、「ウィキペディアではこれらの方針を合わせて記事名前空間に書くことができる情報の種類と質を決定しています。これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。これらの方針はほかの二つと切り離して考えるべきではなく、編集する際にはこれら三つの方針を合わせて理解するよう努めてください。」とあります(Wikipedia:中立的な観点冒頭)。この三大方針は、記事本文のみならず、項目名にも適用されると考えられます。(中立的な観点はWikipedia:五本の柱にも含まれます)--西方 2011年6月14日 (火) 18:05 (UTC)
すみません、これをいっておりませんでしたね。私は、現在の記事名「南京事件 (1937年)」が中立性(公平性)の観点から相対的に適切であるがゆえに、これを選択します。したがって、名称変更に反対です。--西方 2011年6月14日 (火) 18:11 (UTC)
コメント まず私は、当ノートで議論が必要以上に紛糾し長期化している原因は以下2点と思います。
  1. Wikipedia:合意形成の姿勢が最初から無く、特定の政治信条により特定案への固執を繰り返す方が双方の案に存在している
  2. 記事名の付け方」の無視や、ガイドラインの独自研究すぎる解釈や主張が多すぎる
このため以下が必要と思います。
  1. Wikipedia:合意形成に向けて議論すべき(双方、特定の歴史観の主張の場としない
  2. 記事名の付け方」を尊重する(双方、選択基準はガイドを尊重し、独自研究の判断基準を持ち出さない
以上を前提に、西方さんの複数の発言(2011年6月12日 (日) 19:38 (UTC)、同月14日 (火) 18:05 (UTC)、同日18:11 (UTC))へのコメントです。(1)西方さんの「いわゆる東京裁判史観に準じたもの」や、「私は東京裁判は国際法上成立していないと考えています」ですが、ノートは記事の執筆に関する議論の場で、記事の主題に対する個人的見解を主張する場ではありません。特に今回のように、政治的立場により使用する名称が異なる傾向が顕著な場合、特定の政治的立場による主張は、Wikipedia:合意形成のガイドにも反しています。(2)文禄・慶長の役の例は、一般の認知度が高まった呼称が、ウィキペディア日本語版が記事名に採用された例と思います。逆ではありませんし、ウィキペディア(の編集者)が「どの用語が中立的か、正式名称となるべきか」を決定すべきでもありません。そして当記事では、2案の認知度に大差は無いため、更に何を重視するか(例えば、学者の傾向を重く考慮すべきか、時間的傾向を考慮すべきか、一般の認知度のみを考慮すべきか、など)で議論になっています。Wikipedia:ウィキペディアは、独自の考えを発表する場や、教科書や、学術雑誌ではありません。(3)各国語版でそれぞれ合意すべき、というのは同意見ですが、世界的観点も必要で、日本語話者の一般の認知度が大幅に異ならない限りは、どの分野であれ、各国語版の記事名も参考とすべきと思います。(4)冒頭併記やリダイレクト等は、2案いずれでも必要なので、判断基準にはなりません。(5)「絶対的または普遍的な「正式名称」」とありますが、歴史的事件に正式名称は存在しません。現在の議論は「歴史的事件の正式名称をウィキペディアで決めよう」ではなく、単に「ウィキペディア日本語版での本件の記事名は2案どちらが適切か」です。(6)「中立的な観点を保持したものの方が相対的により適切」とありますが、多数の方が指摘されているように、Wikipedia:記事名の付け方には「中立」の語はありません。勿論、ガイドの修正提案も可能ですが、特段の理由が無ければ他の記事と同様、一義的にはガイドを尊重すべきと思います。(7)「統計的数値を根拠にすることは、いわば多数決による解決を目指そうとするやり方と論理的に同形であるように思われますので、同意できません」とありますが、両者は別物と思います。Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんでは、多数決を合意の代わりにはできないとしています。合意に向けて、議論の判断材料となる統計的数値を掲示する事を否定しているのではありません。(8)「「暴虐(虐殺)」という形容をつけることは、観点の偏りに当たると考えます。」とありますが、(私個人は「虐殺」は中立的表現では無いと思いますが)当ノートでも虐殺が単なる事実の記述か、非難の意味を込めているかは、複数意見があります。しかしWikipedia:記事名の付け方でのガイドは一般の認知度です。(9)「今回の大和屋敷さんの名称変更提案がなければ、議論は起きなかったのではないでしょうか?」とありますが、経緯は逆です。ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2をご覧ください。(10)「三大方針は、記事本文のみならず、項目名にも適用されると考えられます」とのご指摘は、(私も以前はそう信じてしましたが)Wikipedia:記事名の付け方に記載されていません。多くの言語版のベースともなっている英語版en:Wikipedia:Article titlesでは、基本は日本語版と同じで、冒頭でまずは各分野のガイドを紹介し、補足的に「which should be interpreted in conjunction with other policies, particularly the three core content policies」と関連性が書かれています。以下は解釈になりますが、法律で例えれば、方針文書は憲法、各ガイドラインは商法などの個別法に相当します。「憲法 > 民法 > 商法」のように、上位規範は憲法ですが、通常の運用は個別法優先です。仮に「憲法が上記なので商法は無視して良い」ならば、商法の存在理由はありません。ただし既存の商法では判断できない(例えば解釈変更や判例変更が必要)などの特殊な事態では、「商法→民法→憲法」と個別から原則に立ち戻る場合があります。ウィキペディアは法律ではありませんが、多数の経緯を経て、階層的で、解釈によっては相互に矛盾も含む規範である点では同じと思います。通常は個別のガイドであるWikipedia:記事名の付け方を尊重すべきで、当2案は一般での認知度が拮抗しているので議論になっており、「記事名も中立的であるべき」というガイドは存在していません。ウィキペディアは一般向け百科事典なので、記事名は一般の認知度を優先すべきです。(11)なお中立的・学術的ではない記事名は、以下のように各国語版に多数あります(量や知名度からもスピード違反の論理とは考えられません。ウィキペディアは学術事典ではなく、一般向け事典なので、記事名は認知度優先です。)
--Rabit gti 2011年6月19日 (日) 08:38 (UTC)

(インデント戻し)わたしの基本的な考えは本記事名は学術用語であり、学会での趨勢を反映したものとすべしとの考えは変わっておりませんが、Rabit gtiさんの上の認知度が高い名称を採用すべしとのご意見について考えてみました。仰せの認知度というのはCINII検索結果のことであると思われますが、過去5年間の検索結果は下記のとおりです。

 2006年  2007年  2008年  2009年  2010年
南京事件 10 42 34 5 5
南京大虐殺 26 56 18 3 2

この表を見る限り、少なくとも、両用語の認知度には大きな差はない、ということは言えると思います。認知度のみに拠った記事名の決定は、本記事には適用しづらいものといえます。一方で、Wikipedia:中立的な観点をはじめとする三大方針ですが、「これら三つの方針は相互補完的、議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。」とあります。つまり、中立的な観点は記事名の決定においても全く蔑ろにしていいものではありません。これらを総合的に考える必要があると思います。--Truesight 2011年6月21日 (火) 15:20 (UTC)

そもそも三大方針は記事内容のことですよ。 独自研究的な項目名は違反ですけれど、項目名自体の検証可能性ってどう実現するのでしょうか? 内容部分で出典を示す以外に検証させる場所がありません。 名前の付け方のガイドラインが三大方針を覆していることになります。 項目名にも三大方針を適用するという解釈は無理があります。 最終決定は私はどちらに決まっても私は不満がないのですけれど、南京事件は計3回ありますので、括弧付にしければららない以上は、やや曖昧な点が気にかかるところです。 みなさんが同意するならば投票の結果で決める方法もあります。 投票=合意にならないというだけの話で、投票結果を尊重するという合意があれば、各自理由を述べて投票して決めることもできます。--Dictionwolf 2011年6月21日 (火) 16:37 (UTC)
Rabit gtiさんの提出された論点に逐一答えますと、議論が拡散するリスクがありますので、最低限の答弁をいたします。
  • まず、私は合意形成に努めていないわけでもありませんし、過去の議論を最大限尊重したく思っております。「東京裁判史観」に関しては、私とて「演説」を披露したつもりは毛頭なく、あくまで中立性とりわけ「観点の偏り」について説明するうえでの末葉的な説明ですので、その点、誤解なさらないようお願いしたく思います。なお、「合意形成に努めていない」また「演説にすぎない」というのは、他の編集者に対する中傷ではないでしょうか?私がなんら説明することなく、強引に合意形成を阻害しているとでもおっしゃるのでしょうか?これまで編集の議論が難航しているのは、合意にいたるポイントが各編集者で考えが異なるからであり、合意を妨げるのは往々にしてそうした中傷ではないでしょうか?中傷は不毛ですので終了しましょう。
  • 2)についてはおっしゃることがよくわかりません。日本で「文禄・慶長の役」が定着したのは「朝鮮征伐」という呼称が「政治的」であったためで、呼称を巡り学会内で議論があり、現在のような名称に落ち着いたのだと思います。「秀吉の朝鮮侵略」も同様です。わたしがこの例を持ち出したのは、「南京大虐殺」という呼称は、「朝鮮征伐」「朝鮮侵略」という呼称と同様の「(呼称における)観点の偏り」がある、ということです(この中立性についてはたしかに過去ログでの既出していますが、観点は他の方とは異なると思います)。
  • 世界的観点を私は否定しておりません。
  • 統計数値に関しては、たしかに判断材料とはなりますし、私もそれを反映させていっております。
  • 方針=憲法、ガイドライン=個別法の比喩はいいと思いますが、憲法より個別法が「優先」されるなんてないでしょう?人身売買を行うような「業務」は商法、刑法、憲法すべてに違反するのではないでしょうか?
この方針とガイドラインのどちらが優先か?というプライオリティー問題については、Wikipedia:方針とガイドラインにおいて、
    • 「方針 (policy):多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきものと考えられている基準です。
    • ガイドライン (guideline):多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うよう推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。
と明記されております。方針を度外視して、ガイドラインを優先することは、ウィキペディアにおいては完全に間違いです。
  • 投票案ですが、また過去ログと同様の事態になるでしょう。投票したところで、また同じ議論が再発することは必至です。合意形成にむけては、議論が続く限り、続けなくてはならないでしょう。
  • したがって、「南京大虐殺」が「南京事件」より妥当とする根拠、すなわち名称変更する積極的な理由を、十分に合意がとれるまで提示するしかないし、異論がなくなるまで、議論しないといけないでしょう。Wikipedia:論争の解決のステップ2には、「議論の際には、礼儀を忘れず、冷静に、個人攻撃はしないようにしてください。ノートでの議論は、事典になんと書くかが焦点であり、その項目の一般的な話題は、議論が拡散し合意が得られにくくなります。和解に努め、ウィキペディアの三つの大事な方針である、中立的な観点で書く、検証可能性を守る、独自研究は載せないに従った編集ができるように合意することを目指してください。Wikipediaは民主的ではないため、片方の主張が少数であることを理由に議論を終わらすべきではありません。あくまで合意を目指してください。最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください。」とあります。
  • なお、私はあくまで「第三者」としてコメントしたつもりでした。「個人的な見解」からすると、「南京大虐殺」でも「南京事件」でもどちらでもいいのです。それゆえ、私が「政治的意図から反対している(に違いない)」とするRabit gtiさんの解釈はまったくの誤解です。私が議論を眺めていて、思ったことは、方針である中立性が尊重されずに、ガイドラインである「記事名の付け方」が最大限解釈され、ついには方針より優先されてよいとする編集者がおられること(むろんRabit gtiさんはそれに含まれます)が、合意形成にいたれず、混迷している最大の理由だと思います。
  • ホロコースト他の項目につきましては、各頁で改名に関する提案がなされた場合、そこで議論されるべきではないでしょうか?例証としては適切ではないです。
Rabit gti さんは、2011年5月28日 (土) 13:22 の時点で、
  • 1. 記事名の選択基準の合意を最優先すべき(それにより議論すべき話が変わる)
  • 2. 歴史的事件では「正式名称」は存在しない(学校名や法律名などとは異なる)
  • 3. 仮に「中立的な呼称」ならば「南京事件」に決定(件数など普及比較の議論は不要)
  • 4. 仮に「世間で通用しやすい名称」ならば、拮抗しているため、学者や世間での件数比較も意味がある(記事名が中立的かの議論は不要)
  • 5. Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」なので、上記3ではなく、上記4を選択基準と合意すべき
と論点をまとめておられますが、私が提起していることをまとめますと、こうなります。
  • 1.この記事はウィキペディアの記事であり、従って、方針とガイドラインに准じる。
  • 2.方針には中立性が明記されており、「南京大虐殺」は中立性に抵触しているかどうかが争点になっている。
  • 3.一方、ガイドライン「記事名のつけかた」には認知度が明記されている。
  • 4.しかし、ガイドラインよりも方針が優先されるべきである。
  • 5.したがって、3の論点は退けられ、2の争点が残る。
これらを統合してみますと、Rabit gtiさんはすでに「南京事件」が中立的であることを認めておられます。しかし、ガイドラインを優先する結果、「認知度」を規準とされておられます。しかし、私が示しましたように、ガイドラインは方針より優先されることはウィキペディアではありえません。したがって、「認知度」の問題も存在しません。「南京事件」がより適切です。--西方 2011年6月22日 (水) 15:12 (UTC)
あえて項目名についても中立性優先と仮定して議論をしますと、はたして虐殺はあったとする側の観点はどこに消えてしまったのという事になって、少し考えれば分ることなのですが、いかように決めようが1つにする以上は非中立的ということになってしまいます。 運用不能ですからそのためにガイドラインが存在するわけです。--Dictionwolf 2011年6月22日 (水) 17:18 (UTC)
コメント私の意見は当ノート末尾に書きましたが[79]西方さんへの個別の回答を(時系列ではなく)スレッドの形でここに書きます。(1)西方さんが合意形成を重視されている事は判りました。私の前回のコメントは、西方さんが「いわゆる東京裁判史観に準じたもの」や、「私は東京裁判は国際法上成立していないと考えています」とわざわざ書かれたからです。(2)「文禄・慶長の役」の話は、私と同じ事を書かれていると思います。世界史で西欧中心の「新大陸発見」から「コロンブスのアメリカ大陸発見」との表現に変わったのと同様、より中立的な用語が主流となる事はあります。ただしウィキペディアの記事名採用基準は「率先して中立な用語を採用する(能動)」ではなく「世間で普及したら採用する(受身)」と思います。「事実かどうかではなく、信頼できる出典があるかどうか、で記述すべき」なのと同様です。編集者が「この記事名が中立的」とか「この記事名が事実に沿う」とか、自発的に選んではいけません。一般向け百科事典です。(10)憲法と個別法の話ですが、私は「上位規範は憲法、通常の運用上の優先は個別法から」と、上下と運用を分けています。例えば憲法では裁判を受ける権利が保障されていますが、大多数の交通違反は道路交通法の反則金制度が適用されます(従って道交法を憲法違反とする学説も少数説ですが存在しています)。なお日本で人身売買(農家の身売り)は、当初は憲法上も民法上も「合法な契約」とされ、後に民法の公序良俗規定を根拠に禁止されました(つまり解釈変更による判例変更)。個々の記事名の選択基準はWikipedia:記事名の付け方に記載されていますし、仮にそれが方針文書に抵触すると考える場合は、まずはガイド改定提案すべきと思います。ガイドは軽視して良い訳ではなく、例えばWikipedia:合意形成も同レベルのガイドです。--Rabit gti 2011年6月26日 (日) 17:15 (UTC)
Dictionwolfさんのいう「いかように決めようが1つにする以上は非中立的」というのは、私の説明をまったく聞こうとしない詭弁でしょう(私はすでに「(絶対に)客観的な名称」は存在しないことを認めているわけですから)。いま問題になっているのは、「南京大虐殺」という名称そのものに含まれる「形容」(むろん「大虐殺」)です。そして、それをずっと議論しているのではありませんか?最初の改名提案から。「左翼」「右翼」は、名称そのものは中立的です。しかし「過激派左翼」とか「暴力主義左翼」とかいった名称が仮にあるとすれば、それはやはり問題でしょう。「過激派左翼」の呼称にしても、公安関連の資料を元にすれば、出典もあるし、「認知度」だって、ある時期であれば、測れることでしょう。それと同じようなことですよ。
すでに「大」は誇張だとか、「虐殺」の事実はどうだという話はすでに過去ログに既出してますが、「虐殺」は私は他の多くの戦局同様あったと考えますし、「虐殺」それ自体を否定する気はありません。むろん、中国軍、連合軍だって虐殺しまくってますがね。さらに例えれば、「第二次世界大虐殺戦争」と「第二次世界大戦」は、形容の問題に関していかがですか?認知度の問題ではなく。どちらが中立的でより適正でありますか?
これまで「南京大虐殺」が一般に流布したのは、戦中の連合軍のプロパガンダに端を発し、戦後、そのまま連合軍の観点を日本の多数派が継承したからでしょう。近年の中国のプロパガンダはそれを持ち出しているにすぎませんし。そういう経緯があり反省したからこそ、史学界でより中立的な名称である「南京事件」が徐々に使用されるにいたってるのではないですか?
そもそも、Dictionwolfさんにせよ、「南京大虐殺」にすべきと考える方々は、その理由を、認知度以外のもので提示できるのですか?なぜ「南京大虐殺」が「南京事件」という呼称よりも、「より中立的」であるといえるのですか?十分に説得力のある根拠をご提示ください。ないのであれば、それはたんなる「観点の偏り」すなわち「政治的意図」があるとしか判定しようがありません。
方針が「運用不能」であるようなことはありえませんし、これまでにもないでしょう。意図的に「例外状態」「運用不能状態」を作って、ガイドラインを過剰に解釈し、それをもって「ローカルルール」とするようなことは、荒らしとみなされえますので、ご注意ください。Wikipedia:方針とガイドラインを十二分にお読みください。--西方 2011年6月23日 (木) 05:36 (UTC)
西川様が真面目な方だと良く分りました。しかしWikipedia:中立的な観点を今一度読んで頂くことをお勧めします。Wikipediaの提唱する中立性とは、1あくまでも中立でなければいけない。2しかし現実には完璧な中立はありえない。3従って偏った観点Bが記述された場合、取り除こうとすればフェアでなくなる。4取り除く代わりにその観点が実はどういうものであるかということを好意的に記述する(敵のために書く)ことで、より中立性を高めるという足し算型の中立性です。 西方様の主張されている中立性は、こちらの方が中立的、だからこちらに決定するという引き算型の中立性になってしまっているのです。 真面目であるあまり方針にあえて挑戦し、逆行しているのにお気づきになっていないのです。 Wikipedia:中立的な観点を良く理解されている方ならすぐに分ることなのです。 項目名のように、0か100しか選べないものについてはガイドラインを参照するのが正解です。収束に向かいそうなまともな議論を展開してください。
収束に向かいそうなまともな議論と言えば、例えばですが、認知度による調査が僅差であったなら、僅差をあえて尊重して「南京大虐殺」を選択する。しかし情勢の変化として中高校の教科書でも「南京事件」が見られることも考慮して、ほぼ1年毎の定点観測事項とし、僅差が破られた時点で「南京事件」に改名しましょう。とか、このページを「南京事件」と決定して3つの事件を統合した上で、「南京大虐殺」については節リダイレクトに変更しましょうとか、より曖昧性の少ない「南京大虐殺」にしましょう、等のおよそそういったたぐいの議論を行って下さい。--Dictionwolf 2011年6月23日 (木) 10:10 (UTC)
Dictionwolfさん、僅差を敢えて採用するとするならば、上に挙げたCINII検索では2008年以降、「南京事件」が上回っています。それに中立性を考えるのであれば、大虐殺があったか否かには言及しない「南京事件」の方が適していることは言うまでもないことだと思います。--Truesight 2011年6月23日 (木) 13:28 (UTC)
Truesightさんありがとうございます。 2008年以降、「南京事件」が上回っているも立派な根拠と思います。 項目名に関する中立性について、どっちがよりましかという評価方法である以上は重ねては申しません。--Dictionwolf 2011年6月23日 (木) 15:23 (UTC) 


(インデント戻し)Dictionwolf さんがおっしゃる「足し算」云々のお話は、記事本文における、いわゆる両論併記のことではないでしょうか?私は両論併記は普段より気をつけておりますし、いま議論されているのは本文ではありません。ですので、「引き算」云々も該当しませんし、「あえて方針に挑戦」しているつもりも、またそのような事実もございません。わたしは合意形成にむけて、方針とガイドラインを遵守するまでです。すでに引用しましたように、ウィキペディアにおいては方針がガイドラインよりも優位に重視されます。Dictionwolf さんのおっしゃる「収束」とは合意形成のことかと思われますが、私自身はTruesight さんの調査も考慮にいれますと、より中立性を保持しうる「南京事件」の方が適切というのみです。「曖昧性」とは事件名が複数年代にわたるからですか?すでに既出してますように、この記事にはすでに(1937年)と記事名に明記されておりますし、それは十分に的確で、曖昧性は名称に関しては存しないと思います。これも既出ですが、「南京大虐殺」については、南京大虐殺論争がありますし、すでに現在の記事の冒頭の本文でもリンクされておりますので、特に名称変更する積極的な理由が存在しないといっているのです。わたしが不思議なのは、なぜそこまで「南京大虐殺」という呼称に固執されるのか、その編集意図が了解できないのです。「認知度」でない他の規準はないのですね?

また、「情勢の変化に応じて」「ほぼ1年毎の定点観測事項とし、僅差が破られた時点で「南京事件」に改名しましょう。とか、…」といった提案はいかがかと私に推奨されますが、あなたがそのように提案されるのであれば、こちらもコメントしようもありますが、私はそのような提案をするつもりはありません。この「定点観測」的な、いわば可変的な提案についても、うえと同様に、なぜそこまで名称に固執されるのか了解しかねますので、私は賛同できません。他の南京事件との統合案につきましては、現在の1937年の記事については相当の情報量があり、また1927年の事件についても、名称において年代が付記されておりますので、統合する積極的な理由は私には見当たりません。

本当に、繰り返しになってしまいますが、「南京大虐殺」については「南京大虐殺論争(以下、論争)」の記事があり、そちらで本文において十二分に争点や各説などを記述できるのに、そうされないで、こちらの「南京事件」を変更しようとする意図が、わからないのです。この事件の詳細な側面、解釈、経緯や歴史が「論争」において記述されるのであれば、それに対して、それこそ百科辞典的な、いわば無味乾燥の記事として「南京事件」記事が存在する方が、記事間のバランスなども考えるといいと思うのです。「記事間のバランス」といいますのは、いわば役割分担、「棲み分け」ですね。事件において争点のない事実に関して、この「南京事件」において記し、争いや議論のある争点に関しては「論争」において各論を紹介しながら、記述していく、ということでいいと思います。

なお、可読性と編集の便宜を考慮し、小節化します。--西方 2011年6月23日 (木) 16:47 (UTC)

西方さん、少し落ち着きましょう。wikipedia各国版では、殆どの国が「虐殺」に該当する単語を使用しているのに対して、加害国である日本のみが、その表現を和らげる「事件」と表記するのは異質に感じませんか?各国版の殆どが中立性に違反しているということですか?中立性はあくまでも記事内容であって、歴史事件におけるタイトルについては、「一般的な名称」を採用すべきことはRabit gti氏、Dictionwolf氏がご主張されている通りでしょう。
Truesight氏のCINII検索については、サンプル数が5件とか34件などの分母が少数の場合は異常値が含まれた際の影響が大きいので、細かく区切り過ぎると統計の意味をなしません。根拠とするには弱いでしょう。例えば
  • 2010「南京事件の虐殺者数を再考する(第1回)」
  • 2010「南京事件の虐殺者数を再考する(第2回)」などのシリーズ物や
  • 2010「文献紹介 笠原十九司著『「百人斬り競争」と南京事件 史実の解明から歴史対話へ』 」
  • 2010「書評 笠原十九司『「百人斬り競争」と南京事件--史実の解明から歴史対話へ』 」等の文献紹介や書評
  • 2008「否定派映画 『南京の真実』の真実 (特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する) 」
  • 2008「夏淑琴名誉毀損裁判 東京地裁が否定派「学者」を断罪 (特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する) 」
  • 2008「「百人斬り」競争は中国でどう報道されたか (特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する) 」
  • 2008「インターネットと南京事件否定論 (特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する) 」
  • 2008「南京大虐殺と日中関係 (特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する) 」
  • 2008「特集 南京事件--跳梁する否定派に抗する 」

等の同じくシリーズ物

まで各1票としてカウントされ数百~数千票の1票なら誤差の範囲ですが5票中2票とか34票中5票となると影響が大きすぎます。手間隙かけて集計されたんですから、こういった部分にも目を向けていただきたい。--kei 2011年6月24日 (金) 16:01 (UTC)
keiさん、私は感情論を述べてはおりませんし、合理的な論拠を提示しながら意見を述べております。あたかも私が感情論でものいいしているような言い方で印象操作めいたことをなさるのはおやめください。私の提起する論点や提案を矮小化し、おざなりに扱うことは、無礼です(Wikipedia:礼儀を忘れないを参照のこと)。
「各国語版で虐殺が使われている」ということに関しては、この「南京大虐殺」などは、中国・韓国の反日感情を母体にしたプロパガンダで使用された争点・素材もであり、同様、慰安婦問題について非難決議が各国でなされたり、映画が製作されるなどしましたし、また各国語版でもそのようなプロパガンダ的な編集がなされてきています(むろん、それらに対する対抗プロパガンダ的な編集もございます。本記事および南京大虐殺論争を参照)。
そのような経緯を考慮すれば、「普遍的な中立性」を各国語版が確実に保持しているとはいえませんし、日本語版のみが各国語版とは異なることが、即、中立性を保持していないことの証左にはなりません。また日本語版記事の具体的に本文中のどの記述が非中立的なのかが議題となるのであればまだしも、争点を保持したまま「改名提案」を行い、かつ「各国語版に見習え」と要請することは、日本語版編集者の見解を度外視した非中立的な見解です。認知度以外の改名提案の根拠は、終局、このプロパガンダ的な編集なのでしょうか?そうとすれば、それはなんら積極的な理由とはなりません。
また、「加害国である日本のみが、その表現を和らげる「事件」と表記」しているとの指摘がありますが、日中戦争とは戦争なのであり、戦争において当事者こそあれ、一方的にどちらが「加害国」で「被害国」であるかを規定するのも非中立的な評価です。そもそも、日本は日中戦争において敗戦したのですし、むろん中国にも甚大な被害を与えましたが、日本とて同様甚大な被害があるのです。戦争が拡大したのは、日中双方(むろん、それに加えた支援国を含めて)の共有責任です。いっておきますが、私は日本の行動を肯定するつもりはまったくありません。keiさんの言い方では、あらかじめこの戦争、この事件についてあらかじめ評価をなさったうえで発言されておりますが、それに対して、私は見解を異にする。かのように争点が存在するわけですから、様々な見解を記事本文において記述していくこと、そして異なる立場の編集者が双方とも、合意に達することができるようにするために、Wikipedia:中立的な観点という方針が存在するのです。すでに述べましたように、この方針は記事本文はもちろん、記事名も包摂するものです。以下、引用します。

  1. 百科事典の記事では、執筆者にそういう確信があったとしても、営利企業は犯罪集団である、というような議論を展開するべきではありません。そのかわり、一部の人々はそのように信じている、という事実を報告し、その理由が何故かを説明し、それに反対する側の意見がどのようなものであるかを紹介するべきです。
  2. 百科事典の記事は、自由放任型の資本主義が最良の社会システムである、といった議論を展開するべきではありません。(ちなみにこれは私の信念なのですが。)そのかわり、記事ではそのような見方を持つ人々の議論を、それに賛同しない人々の議論と併せて紹介するべきです。

おそらく、ある記述を百科事典向きにあつらえる簡単な方法は、ある物事が実際にどうであるかを書くよりも、その物事について人々がどのような見解を持っているかについて書くことでしょう。

もし上の声明を読んで私の考えが主観主義か集団主義か帝国主義だと思うとしたら、たぶんそれは誤解だと思います。私に尋ねてみて下さい。人々が何を信じているかは、客観的な事実の問題であり、中立的な観点からたやすく記述することができるものです。――ジンボ・ウェールズ

すなわち、南京事件における「虐殺」をどのように評価するかにおいて、異なる立場がある以上、双方が合意できるような記事名と記事内容にすべきなのであり、それが合意です。「1937年の南京における戦局」において、それを「南京事件」と呼称するか「南京大虐殺」にするかで、見解と立場が異なるわけですが、すでに何度も既出しておりますが、後者の「南京大虐殺」はすでに「結論ありき」の名称であるのに対して、前者「南京事件」はkeiさんいうところの「和らげた」ものです。この「和らげた」ということが、相対的に中立的であるということです。そしてこの名称は当然、直ちに「虐殺はなかった」ということを明示するものではないのです。
[いっそ南京戦線とした方がより適切かもしれません。]
「南京事件」については、すでに日本語文献において複数の著作や論文が存在するのであり、日本語の使用実態においては、「異質」でも異常でもありません。むろん、これは日本においてこの事件に関して争点がないということを意味しません。この事件の虐殺の度合いなどの争点について、歴史学等において問題がすべて決着し、争点が消失したのであれば、そのときに最も中立性を保持する名称が決定するのかもしれません。が、現在では、まだまだ議論と研究分析は継続しています。
検索件数についてですが、私が提起しましたように、統計数値で議論を展開し、もって改名に向けての合意形成とすることは、疑似問題であると私は考えます。この改名提案において問題となっているのは、
  1. 中立性
  2. 改名に論点を集約させること
です。「南京事件」を使用する著作物と使用実態がある以上、「南京事件」を改名する積極的な理由はありません。
また、現状の記事は私見では情報量が充実しているとは思えませんが、世界的観点を保持していると思います。すなわち、この事件の各国における受容と反応に関しても明記されており、日本中心の記事になっていないし、「親日プロパガンダ」的な内容にもなっていません。もしkeiさんが「内容が偏っている」とお考えであれば、それを編集すればよいだけのことです。
繰り返しですが、「虐殺」の語の問題については、南京大虐殺論争において「棲み分け」ることが可能です。--西方 2011年6月24日 (金) 19:42 (UTC)
コメント相手に対して情報操作めいたことをしていると決め付けたり、私が「南京大虐殺」に固執していると決め付ける方が、よほど無礼ですよ。 西方さんのアイデアは矮小化されているのではなくて、ガイドラインによって否定されているのです。 そもそも中立性とは世界中を対象とするものであって、ガイドライン中の「その言語を使用する集団の」だけを都合よく頂戴してというのは虫が良すぎです。 100日やってても無駄な主張はあきらめて、keiさんの提案のように統計の精度をより高める方法に切り替えることをお勧めします。--Dictionwolf 2011年6月24日 (金) 21:29 (UTC)

「●●さん、少し落ち着きましょう」(相手が理性をうしなっていると根拠なく印象づけようとしている)「各国版では、殆どの国が「虐殺」に該当する単語を使用しているのに対して」(Wikipediaルールを無視した印象操作-他言語と日本語版とは無関係-)「加害国である日本のみが」(強制外交行為について善悪基準を導入し、議論を撹乱しようとしている-戦争と善悪は無関係-)「表現を和らげる「事件」と表記するのは異質」(根拠なき断定。「異質」と印象操作)「サンプル数が5件とか34件の少数の場合は異常値が含まれた際の影響が大きいので統計の意味をなしません」(都合の悪いデータの根拠なき却下)「シリーズ物は1票としてカウントするのではなく2票とか5票とかでカウントすべき」(自説に都合のよい基準を根拠なく要求)。こういった不誠実な弁論を平気で投稿する編集者(どなたかは知りません)に加担するのは止めたほうが良いのでは?上述のような印象操作を平気でおこない「南京大虐殺」に固執しているのに加担するのは西方さんのアイデアを矮小化することにほかなりません。いいかげん100日やっても無駄な主張はあきらめてまともな調査で貢献したことが1度もない人の肩をもつような無分別な行為は控えられることをお勧めします。--大和屋敷 2011年6月25日 (土) 01:14 (UTC)【私としましては「虐殺」という文字が入ることが重要な点なので、「大」の有無はあるに越したことはないのですが「南京虐殺」による表記で合意できるのなら、それでも構わないと考えています】[80]などという確信や信念を最初からもち対立する編集者の意見を否定することを目的に編集検討に参加される方もウィキペディアには存在しますので、そういった方々の印象操作や情報操作はアテにしたり積極的に加担したりしないことです。--大和屋敷 2011年6月25日 (土) 01:26 (UTC)

いいえ、大和屋敷さんそれはちがいますよ。中立性を名前の付け方に前面に持ち出すなら、各国の状況がどういう単語を実際に使っているのかという観点からの判断が必要となってきます。 項目名で虐殺を意味しないようにしようとしている言語版はどこか他にありますか? (つまり常識的に考えてそれはおかしいと考えるので、どっちか一つしか選べない項目名に中立は存在しないという意味です。) またKeyさんの発言の一つ前の西方さんの発言は、落ち着きましょうと注意されても仕方のないものでした。 また元の調査方法が著者名だったというなら分りますが、タイトルで調査していたなら、3シリーズあれば3が良いという方がより正確です。Keiさんは今までの議論を聞いて、現在もなお南京虐殺にしようとも言っていません。 諦めてしまったと思われる過去の提案を引っ張り出してくるのはフェアではないと考えます。 統計について著者名カウントにするか、シリーズ数も反映するかのどちらかを提案します。 --Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 04:10 (UTC)
keiさんのご意見は語るに落ちてしまっているように思えます。そもそもkeiさんのいう「一般的な名称」とはkeiさんがCINII検索の結果から導き出したものでしょう。にもかかわらず、CINII検索の結果には誤差が含まれ統計として意味をなさないというのであれば「一般的な名称」はその根拠を失いませんか。分母が少数の場合と仰ってますが、どれぐらいの母数があれば適当なのかの客観的な基準が示されておりません。仮にCINII検索全体に多くの誤差が含まれているとすれば、keiさんのいう「一般的な名称」には根拠が無くなります。それに記事名にWikipedia各国版を参考とせよ、とのことですが、そのようなことガイドラインにはありませんし、Wikipedia自体はWikipediaの出典とはなり得ません。「中立性はあくまでも記事内容であって」というのも根拠を欠く発言であり、これに対する反駁は既に上でなされている筈です。--Truesight 2011年6月25日 (土) 04:27 (UTC)
Dictionwolfさん、議論の上の方で、検索結果に含まれる「南京大虐殺」には否定的な用法をされているものも含まれており、それらは除外すべきだ、という意見がありましたが、それは「南京大虐殺」を推す方々により却下されています。検索結果の恣意的な取捨選択はされるべきではないと思います。シリーズものであってもそれは「南京事件」がそのぞれぞれのナンバーが発表されたときに採用されたということに違いはないのです。--Truesight 2011年6月25日 (土) 04:46 (UTC)
それでは、各年における著者名検索というのは可能ですか? 2009年、A氏、B氏、C氏「南京事件」なら3、2010年、B氏、C氏、D氏、E氏「南京事件」なら4というカウント方法です。仮にB氏が毎年「南京事件」をテーマといていればそれは数字に反映させるべきかと思いますので。それとも一人で1年間にめったに2つは出さないから殆ど同じですか?--Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 05:05 (UTC)
CINII検索方法にはそのような抽出条件はなかったと思います。仮に、そうした結果が得られたとしてもその結果がそのまま「一般的な名称」に適用できるとも思えません。--Truesight 2011年6月25日 (土) 05:25 (UTC)
それではTruesightさんはCINII検索を否定して「一般的な名称」の選択する方法をどう決めますか?--Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 05:34 (UTC)
わたしは別にCINII検索を全肯定しているわけではありませんが、否定しているわけでもありません。ただし検索結果から恣意的な方法によってカウント操作するのはいただけないと思っているだけです。それにそもそもわたしの本来の主張は本記事名は学術用語であるので学会の趨勢を反映したものとすべきというもので、それは必ずしも「一般的な名称」とは合致しません。--Truesight 2011年6月25日 (土) 05:46 (UTC)
恣意的な方法によってカウント操作するのはいただけないという意見は意見として受けておきます。 項目名が学会の趨勢を機敏に反映すると、百科辞典は一般人が使うものであるのに、一般人にはおよそ使えない辞典になってしまいます。  リダイレクトがあるじゃないかという意見は技術的な解決方法であって、本論とは別次元です。 先に言っておきますが学会の趨勢の方がリダイレクトであるべきです。 --Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 06:06 (UTC)

コメント 横からすみません。お互いに、まずは相手の意見を冷静に確認し合ってから議論しませんか?単に自説を主張し合うだけでは合意形成を目指す姿勢とは言えませんし、10年続けても合意できません。当ノートではこれまでに、「記事名の選択基準」は、主に以下の組み合わせが主張されていると思います。

  1. 基本は「一般的な名称」にすべき(Wikipedia:記事名の付け方に従う。CINII検索結果はその1つ)
  2. 基本は「中立的な名称」にすべき(ガイドよりもWikipedia:中立的な観点の方が優先と考える)
  3. 基本は「学術的な名称」にすべき

上記それぞれ、仮に拮抗する場合は以下が考えられます。

  • A - 上記の基本に可能な限り沿うよう、更に調査や議論を続ける
  • B - 上記の基本は尊重するが、別の基準を併用する(上位の中から選ぶ)
  • C - 上記の基本では解決できない場合として、別の基準や案を探す

私は「1-A」です(詳細は後で)。なお「既に否定されています」という表現は、お互いにあまり意味がないと思います(相互に否定しているので)。--Rabit gti 2011年6月25日 (土) 06:17 (UTC) (追記)婉曲な言い回しをしているとはいえ、個人攻撃と解釈されて仕方が無い発言[81]は、お互いにやめましょう。--Rabit gti 2011年6月25日 (土) 06:27 (UTC)


私は「1-A」ならば支持します。--Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 06:21 (UTC)
上記、1~3は必ずしも背反しあうものではありません。方針Wikipedia:中立的な観点、ガイドラインWikipedia:記事名の付け方Wikipedia:信頼できる情報源を参照し、融和的な解決を目指すべきです。--Truesight 2011年6月25日 (土) 06:26 (UTC)

提案:南京大虐殺記事について[編集]

※この提案は過去の議論を前提にしています。議論に新規に参加される方は、必ずこれまでの議論を参照ください。--西方 2011年6月26日 (日) 18:08 (UTC)


提案 別の観点から提案します。

  • 南京大虐殺を記事名にしたものが日本語版であるべき」というお考えがあるのであれば、南京大虐殺論争南京大虐殺に改名することはいかがでしょうか?
    • 現在、南京大虐殺論争の情報量は、75,858バイト程度ですし、これに「概要」節等を加えるだけで、「南京大虐殺」として項目化することは容易です。むろん、これはむこうのノートで改名提案していくということになるかと思いますが。現在の議論参加者でこの案について合意がとれれば、改名は可能でしょうし。過去ログに、どなたかが大東亜戦争太平洋戦争があることを例示なさっていましたが、現在の議論では、「南京大虐殺」と「南京事件(1937年)」の両方が併存することが要請されているわけですし。
    • 「南京大虐殺論争」は2004年5月に当時存在した「南京大虐殺」から分割されて形成されたもので、その後、その元記事が「南京事件(1937)」として改名されていった経緯があるのですよね?「南京大虐殺」へと改名したい方は、その理由や根拠(現在は、「一般性」「認知度」)は措くとして、もともとあった「南京大虐殺」があるべきとお考えなのでしょう?私の考えでは、「論争」記事は、現在未整理状態と思いますので、ある程度整理すれば、可読性を損ねることなく、「南京大虐殺」という項目が再び作成されることになるかと思います。
    • なお、「南京大虐殺論争」は英語版では「Nanking Massacre denial(南京虐殺否認)」となっておりますが、英語版ノートでも「否認」でなく「論争」とあるべきだといった議論もなされています。たしかに「否認」だと、中間的な立場の論者・研究者もいっしょくたに「否認」すなわち「なかった説」に還元されてしまいます。これは、「各国語版もまたそれぞれ議論が継続されており、従って、各国語版を規準に日本語版を“矯正”するという考えが成立しない」ことを示すものです。つまり、各国語版は、「中立性」を担保するものではありません。--西方 2011年6月25日 (土) 08:10 (UTC)


この提案の背景にあるのは

  1. 南京事件という呼称は日本語圏において複数のものが使用しており、日本語の使用実態を考慮すべきである
  2. したがって、「南京事件」を「一般性・認知度」を規準にして削除(改名)することは、現在の議論の状況からしても、不可能

だからです。--西方 2011年6月25日 (土) 08:30 (UTC)

一時的に項目名の件をはなれて、相互理解の度合いを確認したいのですが、「1937年に起きた歴史的事実は、いわゆる「南京陥落」であって、その前後に断続して日本兵士による殺害行為が行われた期間があった。 その理由は中国軍が敗退する時に軍服を脱いで市民に紛れたためテロ化を恐れて、強引にやってしまったために一般人をかなり巻き込んだ。 騒乱の期間は日本軍の統率は怪しいものであった。 個々の殺害は軍による命令と、勝手に行われたものとが入り混じっていた。 殺害された側は「虐殺」と考えている。 これを歴史的に見て、単純な「虐殺事件」のように捕らえるのは無理があると歴史学者は考えている。 こんな感じですね。--Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 09:47 (UTC)
Dictionwolfさん、個人的にはここで歴史認識について確認したいとも思いますが、それは合意に向けての議論を拡散させる結果になるかと思います。また、わたしたちはあくまでウィキペディア編集者であり、議論は編集に関することに限定した方がいいと思います。「虐殺」をどう捉えるかについては様々な論者がおりますし、たとえば、「秦郁彦氏の著作のこの記述について、ウィキペディアでいかに記事として反映させるか」といったことであれば、議論も可能です(先に引用しましたジンボ・ウェールズも言う如く、それは簡単なことなのですが)。それに、私が「虐殺」という語を記事名にいれることを中立的でないとする理由についてはすでに述べておるのですが。
私の考えでは「戦争はすべて虐殺」であり、その趣意でいえば、「第二次世界大虐殺戦争・日中大虐殺戦争」とすべきだろうということです。すべての戦争名に「虐殺」を入れることが、学説でも一般の用例でも存在しないのは、それが「不要」だからです。なぜ南京事件だけが「虐殺」が付されるのか?それについては、記事本文にも書いてありますが(もっと記事は発展すべきですが)、当時の英米新聞によるプロパガンダによるものです:“Nanking Massacre Story”,“The Rape of Nanking”,“Nanking Atrocities”など。そして近年の南京虐殺論争にしても、中国や韓国による対日攻撃と各国の思惑が連動して行われたものでしょう(ドイツ中国合作映画『ジョンラーベ』等)。つまり、「南京大虐殺」という名称には、すでにそのような対日プロパガンダ・対日工作が含まれているのです(それらプロパガンダの理由は日本がなかなか潰れてくれないからでしょうが)。そのような各国の「外交」によって、この事件または戦局に関する議論と研究が進展しました。そういう意味ではよいことだと思われますが、そうした日本の研究者らの営為(海外でもそれに呼応する研究者もいます)があるからこそ、「南京事件」という呼称が普及しはじめているのでしょう。「虐殺」の定義についても、再考されたうえで議論をすすめてほしいです。英語版の虐殺事件のリストen:List of events named massacresをみますと、Nankin Massacreも入っていますが、出典が本田勝一の英訳[82]であり、もうひとつの出典先は[83]で、これも当時の英米新聞記事を主に紹介しています。これらはいずれもジャーナリストの報告であり、十分に査読されたものではありません。
まあ、結局は、現在の記事(「南京大虐殺論争」も「南京事件」も)が不十分ということに尽きるのですが。不十分な理由のひとつが、編集合戦や保護などの「荒れ」によるものです。--西方 2011年6月25日 (土) 12:53 (UTC)
少なくとも提案を行うことそのものには賛成します。現状では南京大虐殺論争に改名提案テンプレートが貼付されていない状態なので、貼付して適切な状態にしてから引き続き改名についての議論を行うべきだと考えます。--Himetv 2011年6月25日 (土) 15:12 (UTC)
「第二次世界大虐殺戦争・日中大虐殺戦争」とされないのは、当事国同士で戦闘行為による殺傷を行っているからです。第二次世界大戦であっても、ある地域で無抵抗の民間人や捕虜などが一方的かつ大量に殺害されれば〇〇虐殺とされるでしょう。ルワンダ紛争が始まって紛争末期にルワンダ虐殺が起こりましたが、扱いは別物です。南京攻略戦が行われる中で、民間人や捕虜の大量殺害=虐殺が起こったわけです。プロパガンダについては当時の状況を鑑みれば、当事国である日中よりも第三国、一国よりも複数国で記載されていることに信頼を委ねるしか方法は無いと考えます。--kei 2011年6月25日 (土) 15:52 (UTC)
keiさん、虐殺の説明についてはありがとうございます。ただ、南京での日本軍による行動が実際に「虐殺」であったかどうかについては、いまだ論争の結論は出ていないでしょう。便衣兵問題もそうですが。強姦などについては、中国軍もロシア軍も、米軍も行ったわけですし、南京事件だけが取り沙汰されるのは、あきらかにジャパンバッシングを利用したプロパガンダの側面が強く、ルワンダのように、虐殺の内実について論争の余地のないものとは違うのではないですか?プロパガンダについては、当時、すでにルーズベルトの隔離演説以後ですし、いわゆる列強はすでに「当事者」となっています。宣戦布告による参戦だけで、当時の国際関係を判定するのは、どうかと思います。というか、あなたは本当に、当時の英米豪が「中立性」を保っているとお考えなのですか?というか、第二次世界大戦にまったく関与しなかった国であればまだしも、関与した国が「中立性」を保持しているとは考えられません。枢軸国=悪、連合軍=善とする評価は、歴史的な判定としてはあまりに浅薄です。--西方 2011年6月25日 (土) 17:01 (UTC)
Himetv さん、了解しました。ただ、これ、私がやってもいいのですが、「南京大虐殺」に改名すべきという方々も、これについてはとくに反論がないということでいいのでしょうかね?まあ、もうちょっと待ってみますが。--西方 2011年6月25日 (土) 17:01 (UTC)

【私としましては「虐殺」という文字が入ることが重要な点なので、「大」の有無はあるに越したことはないのですが「南京虐殺」による表記で合意できるのなら、それでも構わないと考えています】[84]などという最初から"かくあるべし"と確信しているような編集者の方は、まずその信念を保留いただかないと議論のしようがないですね。ある方々にとってはバイブル的書物の一つである「南京への道 本田勝一」朝日文庫(初版1989.12.4)の文庫版あとがき(1989.10.24)には「南京大暴虐事件」とありますよ。いちど読んでみてください。「「大」の有無はあるに越したことはないのですが~それでも構わないと考えています」の論旨を述べておられますので南京暴虐事件でも宜しいのではありませんかkeiさん。--大和屋敷 2011年6月25日 (土) 18:08 (UTC)

南京暴虐事件は明らかに著名性がありませんので、名前の付け方のガイドラインから見て最も遠いものとして反対を表明しておきます。 子記事でもないのに殆どリダイレクト経由でしか利用されないであろう項目名は問題です。--Dictionwolf 2011年6月25日 (土) 18:24 (UTC)

しかし「もっとも正確性に近い」ですよ?Wikipedia編集ルールにおいても著名性が全てだとは記述されていません。一般論として。たとえば「カラアゲ」はもっとも著名な記述は「唐揚げ」です。しかし辞書を引いていただけばびっくりすることに「空揚げ」となっているはずです。なぜなら空揚げが記述的には正しいらしいからです。著名性というものは案外とタヨリにならず、むしろ百科事典を閲覧しにきた読者の期待にかえって応えていない内容になっている場合もあるということです。「南京事件」を調査するためにWikipediaを訪問した読者が、記事「南京暴虐事件」を発見するとびっくりするでしょう。そして歴史的情報にアクセスする取り掛かりになるわけです。その記事が「南京大虐殺」で、それが朝日新聞の記者風情がいいだしたものにすぎないなどという情報に接するとさぞやガッカリすることでしょう。--大和屋敷 2011年6月25日 (土) 18:45 (UTC)

大和屋敷さん、私は「南京暴虐事件」という名称への改名は反対です。なぜなら、「南京事件(1937年)」は十分に適切であり、改名する必要性がないからです。いまいちど、現時点での私の提案をまとめますと、
です。後者については、あらためてノート:南京大虐殺論争において改名提案を行う予定ではありますが、1の「南京事件(1937年)」の残存維持について異論がないのか、それを現在待っている状態です。ノート:南京大虐殺論争における改名提案をいま現在「保留」しているのは、合意形成に向けての段階をとっていきたいからです。そうしないと、議論が二つのノートでいったりきたりするようなことも考えられますし、それは最も、避けたいことだからです。大和屋敷さんが、1に反対なのであれば、いま議論してもいいですが…。--西方 2011年6月26日 (日) 04:31 (UTC)

そもそもなぜ「南京大虐殺」を記事名として使わなければいけないのかわかりません。当初、わたしは学会の趨勢にあわせて「南京事件」を採用すべしと主張しましたが、一般的な認知度、一般的な名称から「南京大虐殺」を採用せよとの意見がありました。これに対し、現在の状況は一般的な認知度、一般的な名称としても「南京事件」、「南京大虐殺」に大きな差は無く、ここ2,3年では寧ろ「南京事件」の使用例が多いことを示しましたが、それでも「南京大虐殺」を推す方々の意見は変わってないように思えます。なぜ、「南京大虐殺」を採用すべきなのか、その根拠をお聞きしたい。--Truesight 2011年6月26日 (日) 11:16 (UTC)

コメント本来は相手にしなくとも良いと考えていましたが、度々訳の分からない引用をされてるので面倒ですが一応反論を。当時の南京で起こった事件の中核は、大量の民間人・捕虜が無抵抗のまま虐殺されたこと。その過程で略奪や強姦も認められるが被害の大きさを考えれば、強姦や略奪よりも虐殺の用語を用いるのが最も簡潔に事件の性質を現していることから「南京大虐殺」「南京虐殺」「南京虐殺事件」の何れかが適切であること。但し、被害者数については主張に大きなバラつきがあること。「大」の定義が定まっていないことを考慮して、著名性が高いのは「南京大虐殺」だが「南京虐殺」「南京虐殺事件」等の表記は前述の事情により許容できるということ。何の問題が有るんでしょうか??反論出来なければ謝罪を。--kei 2011年6月26日 (日) 14:46 (UTC)

上記は大和屋敷氏が以下の書込みを行なったことに対しての返答です。

[85]大和屋敷 2011年5月28日 (土) 11:01 (UTC) [86]和屋敷 2011年6月25日 (土) 01:26 (UTC)

[87]大和屋敷 2011年6月25日 (土) 18:08 (UTC)--kei 2011年6月27日 (月) 13:44 (UTC)追記

:都合が悪くなると根拠のない質問を浴びせてそれを無視されたことを糾弾するという、あいかわらずのストローマンを演じることを繰り返されているようですね。議論に建設的でない執拗な書込しか行わない特定の編集参加者の行為を改めさせるために、本人さえわかれば良いとの理由で敢えてお名前をだしませんが、数々の無礼な質問の繰り返しに明確に謝罪を。--大和屋敷 2011年6月27日 (月) 14:04 (UTC)

コメント失礼ながら、まとめて簡潔にコメントさせてください。(1)西方さんによる2011年6月25日 (土) 08:10 (UTC)の提案ですが、 南京大虐殺論争南京大虐殺への改名案は反対です。理由は以下2点です。 (a)多くの記事で「○○」と「○○論争」の2構成は一般的です(靖国神社靖国神社問題北方領土北方領土問題尖閣諸島尖閣諸島問題など)。(b)当記事名は2003年9月以降[88]は「南京大虐殺」でした。現在も戻し意見が根強い現状では、別記事の「南京大虐殺」への改名案は不要な混乱を招き、「悪質な議事妨害」と批判されても仕方がありません。(2)各国語版は、出典や中立性の担保にはなりませんが、国際的観点からも用語の世界的な普及度の参考の1つにはなるため、多くの記事名選定議論では併用されています。次に(既に議論が進んでいますが)「戦争はすべて虐殺」は不正確です。虐殺とは「むごく殺害すること」で、一般的には戦死や裁判を経た処刑死は含まず、捕虜や市民など非武装の保護下の人間を殺す事です。現在では、国際人道法ジェノサイド条約国際刑事裁判所#注目される条文などで、徐々に戦争犯罪の定義が進んでいます。(3)「なぜ南京事件だけが「虐殺」が付されるのか?」も事実と異なります。戦争全体を「虐殺」とした記事はありません。ウンデット・ニーの虐殺アルメニア人虐殺問題シンガポール華僑虐殺事件聞慶虐殺事件などは全て当記事と同様で、通常の戦死ではなく捕虜や市民など非武装の保護下の人間を殺害したとされた事件で、記事名には「虐殺」が付いており、ホロコーストを含め、それぞれ否定論も存在しています。(4)「南京事件は中立的」とは単純に言えません。否定論にも多数の立場がありますが、「通常の戦争だけであり、虐殺自体が無かった」立場からは「南京事件」も存在せず「南京攻略戦」のみが存在します(強いて言えば「南京大虐殺と言う主張が登場したという事件」だけが存在します)。つまり「南京大虐殺」も「南京事件」も、表現の程度が違うだけで、「中立的」でない事は同じです。(5)(本当に虐殺があったかの議論は別にして)「実は大虐殺があった、という主張が東京裁判で突然登場した」という歴史的事実を表現するには「南京大虐殺 (Nanking Massacre, Rape of Nanking)」の方が逆に正確です。(神武天皇邪馬台国シオン賢者の議定書同様で、議事名は一般の認知度が選定されていますが、「それが実在したか」の議論は別で、それは記事の中に書かれています。(シオン賢者の議定書が存在したという議論、などという記事名は、正確であっても不適切です。)(6)「南京事件」の最大の問題点は、世界的にほとんど認知度が無い点です。例えばカティンの森事件は、「カティンの森での国際的に有名な事件」といえば推測できますが、「南京」は歴史ある大都市なので「南京事件」では、「東京事件」や「京都事件」と同様、ほとんど特定できません。例えばブリタニカ百科事典では、当事件は「南京大虐殺(Nanjing Massacre)」[89]です。英語版で「南京事件(en:Nanjing Incident)」は「南京事件 (1927年)」のみの記述になっています。日本の書籍等で「南京事件」でも通用するのは、「日本人同士が、日本に関連する戦争(犯罪)の話題の中で使っているから」にすぎません。しかし世界的観点も必要ですし、当記事は中国の歴史の記事でもあります。以上はWikipedia:記事名の付け方の冒頭にある「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」です。「南京事件は、日本語話者には一定の前提で理解は可能」ですが、南京事件 (1927年)も存在するため「最も曖昧」とも「最も理解しやすい」とも言えません。私は個人的には「南京大虐殺は中立的な用語では無い」との立場ですが、「虐殺」も事実を示す中立的な用語とする立場も存在しますし、虐殺の肯定論者と否定論者の双方にとって「(事件の有無ではなく、何の話題をしているかは)最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」です。繰り返しますが、記事名は「正確性」や「中立性」ではなく、「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」が推奨です。また大多数の歴史の記事名はその推奨で選定されています。勿論、シオン賢者の議定書ホロコースト南京大虐殺が存在したかは、全く別問題で、それは各記事に明記されています。(7)最後にガイドラインの扱いについて。ウィキペディアの編集者は各種のガイドラインを尊重する義務があります。記事名の付け方は、Wikipedia:記事名の付け方が推奨されています。自動車など分野によっては記事名のローカルルールが合意により確立されていますが、合意が特に無い分野ではガイドラインを尊重すべきです。安易に「このガイドでは、この場合は拮抗して合意できないので、このガイドは無視・軽視すべき」とするのは逆で、合意困難な場合こそガイドラインを尊重し、合意形成に向けて更に調査と議論を重ねるべきと思います。(契約に争いがある場合にこそ、契約の文面、当事者の協議、法律が重視されるのと同じです。)例えばWikipedia:合意形成もガイドラインですが、「合意は多数決ではありませんと書いてあるが、実際に合意が進まないので、方針文書でもない当ガイドラインは無視して、多数決を合意とします」とは言えませんし、仮に言っても紛糾するだけで合意は進みません。合意形成できなければ、合意形成が不足していると考え、更に全員で合意形成へ向けて努力すべきです(いささか理想主義的ですが、良くも悪くもウィキペディアはそのような場です。学者が決定できる場でもありません。)Wikipedia:記事名の付け方も同じです。例えばノート:樺太#調査結果では、多数の資料も使用して議論中です。当ノートでは、正直、個人の政治思想や戦争認識を延々と演説して正当性を主張する方や、合意困難となるとガイドラインから離れた個人のアイディアなどを提案する方などが散見され、合意形成を更に困難にしているのは残念です。(追記)多数決提案や謝罪要求は、建設的では無いと思います。--Rabit gti 2011年6月26日 (日) 15:50 (UTC)


Rabit gtiさん、論点をもうすこしまとめてください(「簡潔」ではありません)。また、このノートの節「中立性の観点から」および、過去ログに目を通してください。説明を重複させることは進行上好ましくありませんし、議論が拡散しますので。(ノート:樺太で発言したとき、私は過去ログには目を通しています)
  • 反対理由aについては、今後、議論に反映させたいと思います。
  • 理由bは、「可能性」にすぎませんし、このような係争性のつよい項目は、数十年以上続いていくのではないでしょうか(これも「可能性」ですが)。つまり、2003年の時点からいってもすでの8年の議論の蓄積があり、すくなくとも8年前と同様の事態にはならないのではないかと思います(各編集者が過去ログや、また議論するうえで資料を読むことを前提としていますが)。それに、改名提案では、私の知る限りは、「移動合戦」のようなことはおこっていませんし、かなり議論が継続しておりますよね? それよりも、過去の議論に目を通さず「悪質な議事妨害」と非難されることは、個人攻撃に該当しますよ(Wikipedia:個人攻撃はしないは方針です)。(樺太ノートで私があなたにいったのは「進行の仕方に問題がある」という表現でした。「悪質」などという表現は今後、一切、おやめください。)
  • そもそも、私が改名提案を行ったのは、「南京事件」を「南京大虐殺」や「南京暴虐事件」にも改名することは、現時点は困難だからです。趣意と文脈をよくお読みください。
  • 「南京大虐殺」という呼称自体は、一般的には認知されていますが、近年は議論と研究が進み、必ずしも認知度規準では確定できない情勢になっています(過去ログ参照)。この「虐殺」の定義を巡って議論がある以上、かつて「南京大虐殺」という名称に疑義が提出されたのは、私は中立性の観点から当然だと思われます。「虐殺的な事象である事件に虐殺をつけるべき」というなら、通化事件通州事件にも、「虐殺」をつけていかなくてはなりませんね。中立性の観点からは。残念なことに、このふたつの事件は、日本で知られていませんが。尼港事件も同様に、「虐殺」はついておりません。ルワンダ虐殺も「ルワンダ大虐殺」ではありませんね。ルワンダ虐殺では最大100万人が被害者で、南京大虐殺は最大30万人とされていますが、これも日本語圏では「大」をつける規準が曖昧であることを示していると思います。(むろん、「ルワンダ大虐殺」であるべきだ!とか、「通州大虐殺事件であるべきだ!」という見解もあるのかもしれませんが、私は、そうした「大」とか「小」とかをつけるのは、実に不毛で、政治的偏向を持つ観点だと思います。)
  • ルワンダ虐殺のように、虐殺そのものに争点がない場合はともかく、南京事件のように、まだ議論が続いており、係争中の事柄については、肯定派・否定派のいずれかに有効な名称は、適切ではない、といっているのです。「「南京大虐殺」も「南京事件」も、表現の程度が違うだけで、「中立的」でない事は同じ」とおっしゃいますが、私は後者の方が名称・名前としては、中立的であると思います。「南京事件」を用いれば即「否定派」というラベリングはやめましょう。
  • 戦争犯罪についていえば、沖縄戦は、東京大空襲は、原子爆弾投下は、現在、「戦争犯罪」とは認定されていませんよね?これらの出来事において、一般市民がどれだけ命を失ったか、あなたはご存じないのでしょうか?それでも、これらは戦争の局面として片付けられています。むろん、今後の国際議論で更新されていくこともあるかもしれませんが。というか、2)と3)の論点については、過去の議論を参照ください。
  • 6についても、過去に議論したことです。年代が付記されることで、記事名の曖昧性はなくなります。
  • 7)について。過去ログをお読みください。ガイドラインと方針が衝突した場合は、方針が優先されます(節「中立性の観点から」においてウィキペディアの方針より引用しております)。すなわち、「一般性・認知度」=ガイドラインと、方針=中立性が衝突した以上、方針が優先されます。
  • 編集者個人の考えの披露についてですが、「編集者個人の考え」を根拠にすることと、「編集者個人の考え」を述べない、ということは違います。「演説」とは私の発言に対してですか?相手を特定しない一般論のおつもりかもしれませんが、そういう言い方は、まったく、不要ですし、害悪です。Wikipedia:礼儀を忘れないをお読みください。--西方 2011年6月26日 (日) 17:50 (UTC) 一部訂正--西方 2011年6月27日 (月) 08:51 (UTC)
keiさんは、どなたに向かって発言されているのですか?あとから読まれる方も誤解しやすくなりますので、そのような挑発的な発言をする場合は、相手を特定してください。もし特定されていないでいっているのであれば、あなたはこれまでの議論を読んできていない、ということにしかなりませんよ。--西方 2011年6月26日 (日) 18:02 (UTC)

信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるものは「南京事件」ですので、南京事件のままでも極端な不具合は無いと思います(著名性基準のみの採用には疑義がありますが!)。南京大虐殺論争は、むしろ「南京事件論争」に書き換える方向で検討してみてもよいかも知れません。(cinii「南京事件論争」[90]、「南京大虐殺論争」[91])。記事:南京大虐殺論争をtilte南京大虐殺に変更するという点については、この記事は論争史をまとめた記事を目的としているようなので「論争」と取ってしまうのは具合が悪いような印象があります。--大和屋敷 2011年6月27日 (月) 01:00 (UTC)Rabit gtiさんの述べられておられるように、東京裁判(&南京法廷)で取り上げられ判決され処断され決着した南京暴虐事件、およびそれ以降、なぜかどこからともなく出てきた「南京大虐殺」なる語とともに、とくに1970年以降に突然まきおこった論争史は「南京大虐殺論争」と呼んでも差し支えないような気はします。これはTruesightさんが5月28日[92]6月21日[93]などで詳細に調査くださった時系列的な出現頻度表から示唆されています。事件としては南京事件(南京暴虐事件)、論争史としては「南京大虐殺」論争。--大和屋敷 2011年6月27日 (月) 01:11 (UTC)

大和屋敷 さん、ご意見ありがとうございます。南京大虐殺論争南京大虐殺への改名提案については、Rabit gtiさんの理由aをもあわせて考えますと(「○○」と「○○論争」の2構成)、たしかに「論争」をとると不具合が生じるかもしれませんね。(一応、その件については、「概要」を補足し、「論点」節において、各争点を記す、ということを提案しておきましたが)
私のこの提案について、補足説明します。私の南京大虐殺論争南京大虐殺への改名提案は、「南京大虐殺とすべき」と考える編集者への提案でありました。わかりにくいようでしたら、すみません。「別の観点からの改名提案を推奨する提案」というのが、より的確でした。しかし、いまのところ、Rabit gtiさんをのぞいて、特にこの点について反応がございません。もしとくにこの提案に賛同される方がいないようでしたら、取り下げます。もうすこし待ちます。--西方 2011年6月27日 (月) 10:29 (UTC)

西方さん、了解しました。ある特定の方に対して議論に建設的でない執拗な書込を改めさせるために、本人さえわかれば良いとの理由で敢えてお名前をだしませんでしたが、都合が悪くなると返答を逃げるのが相変わらずのようなので、前回のは大和屋敷氏に対しての発言であることを表明するとともに、前回の発言だけを新たな参加者が見ても理解できるように追記しておきます。--kei 2011年6月27日 (月) 13:44 (UTC)

都合が悪くなると根拠のない質問を浴びせてそれを無視されたことを糾弾するという、あいかわらずのストローマンを演じることを繰り返されているようですね。議論に建設的でない執拗な書込しか行わない特定の編集参加者の行為を改めさせるために、本人さえわかれば良いとの理由で敢えてお名前をだしませんが。--大和屋敷 2011年6月27日 (月) 14:02 (UTC)
「南京大虐殺問題」という記事名案が出ましたので、こちらの「改名推奨提案」は取り下げます。なお、議論のなかの個別論点等については、下記節へ継承されています。--西方 2011年6月30日 (木) 06:19 (UTC)

「世界的観点」について[編集]

また「世界的観点」についてですが、しばしば、「海外各国語版でもこのようになっているから、“世界的観点”から日本版は変更されるべき」という見解が主張されますが、Wikipedia:日本中心にならないようには、
1)現時点ではまだ草稿段階であり、拘束力はありません。
2)また、同草稿には、
日本と密接にかかわる事象については、日本に重点を置いた記述をすることが必要なことがあります。そうした場合にまで中立的な記述配分を強制することはこのガイドラインの目的とする所ではありません。

とあります。また、注釈2において

他言語版のウィキペディアへのリンクが日本国外の内容について補っているという側面があります。しかし、本来は、日本語版を閲覧するだけで必要な情報が得られることが理想です。日本国外についての記述を効率的に充実させるためには、他言語版のウィキペディアから翻訳転載することが許されます。

とあるのみです。

つまり、「世界的観点」とは、「日本以外の項目が“より公平”で、日本版は、“日本中心”になっているため矯正すべし」というガイドラインではまったくありませんし、同草稿を熟読されればわかりますように、「我が国では…」とか「外国」とか、そういった記述スタイルに関するものが主です。

3)なお、同草稿には、
記事内の文脈において何らかの形で明示されていない限り、日本での場合にのみ該当する内容であることを明示しない記述を行い、結果として、一般的にもそうであるかのような誤解を招くことは避ける必要があります。

とありますが、すでに以前、私が発言しましたように、各国の反応等は記述されており、これらに違反しておりません。


また、いわずもがな、「世界的観点を考慮し、各国語版で最も一般的なものを記事名とすべき」というガイドラインは、Wikipedia:記事名の付け方にも、Wikipedia:日本中心にならないようににも、どこにも明記されおりません--西方 2011年6月27日 (月) 10:29 (UTC)

係争性のある項目における中立性[編集]

  • この事件の当事者は、関係国(支援国)などをのぞけば、主に日本と中国とが当事者です。しかし、日本側の見解と中国側の見解はまだ十分に合意達成できておらず、研究や論も百花繚乱状態です。したがって、とりわ「中国語版を(被害国であるがゆえに)参照し、中国語版と同様にせよ」といった主張は、(中国側の見解に加担した、すなわち「肯定派」的な見解であり)、著しく中立性を欠いています。
  • したがって、あとは改名理由としては、日本語の使用実態における認知度となりますが、これについてもTruesightさんによって、反駁されております。


以上を持ちまして、1)世界的観点、2)係争性のある項目における中立性、3)日本語の使用実態における認知度、のいずれをもちましても、「南京事件」に「虐殺」を付するべしとする改名提案の理由は、成立しておりません。

すでに以前にも発言されていましたが、「虐殺があったかどうか」をここで議論し、確定することは不可能ですし、行うべきではありません。「虐殺は絶対にあった」と主張されたいのであれば、「肯定派の誰それがこのように主張している」といったようなことを、記事本文に加筆すればよいだけのことです。

今後、「南京事件→虐殺をいれた記事名にすべき」とお考えの方は、改名提案に反対する編集者に対して、十分に説得的な改名理由を提示されるよう、お願いします。--西方 2011年6月27日 (月) 10:29 (UTC)

西方氏の、上記ご発言には同意できません。精力的に参加されてる西方さんですから、既に当時改名されたやり取りもご覧になっているかも知れませんが、改名の論拠が成立していなかった[94]にも関わらず、「南京事件」表記に対して「南京大虐殺」への改名をしたいなら説得的な改名理由を示せというのはフェアで無いと感じます。ならば、「冤罪」による改名であったので、一旦「南京大虐殺」に戻して、「南京事件」としたいなら「十分に説得的な改名理由を提示」するべきでしょう。ただ当時の改名議論を拝見しているとすれば「2003年の時点からいってもすでの8年の議論の蓄積」との発言には疑問を持つ一方で、確認も無く発言されたとすれば少し無責任に感じますが。それとガイドラインにもならない草稿を提示されて自説を主張される一方で、「「一般性・認知度」=ガイドラインと、方針=中立性が衝突した以上、方針が優先されます。」では、ダブルスタンダードに感じます、今後の議論にも影響するのでどちらを主張されるのかお示し願います。あと、今までのやり取りから一般的な常識や議論参加者間での合意以上に、ルール厳守することを中心に行動できる方と見受けられますが、当時の改名論拠が成立していなかったにも関わらず、一旦訂正した上で、改めて審議し直すべきではとの意見に対してどのような考えをお持ちかお知らせ願います。--kei 2011年6月27日 (月) 14:29 (UTC)

改名作業は適切な合意のもとに行われたものですので、根拠のない憶測にもとづく断定で議論を撹乱する行為は控えていただくよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年6月28日 (火) 01:52 (UTC)

  • [95]についてですが、これは元来はこちらの改名手続き[96]のことですよね? 2010年6月7日 (月) 05:02にNakata88さんが改名提案なさり、一週間の期間を経て、2010年6月14日 (月) 08:45に手続きが終了しておりますね。そのあと、Zhxy 519さんが2010年12月14日 (火) に疑義を提出されておりますが、むろんこの疑義も正当なものですが、うえの改名手続きそれ自体はウィキペディアのガイドラインに準じていますし、この改名手続きそれ自体に問題はないと思われます。もちろん、改名提案は何度行ってもよいと思われます(Wikipedia:ページの改名参照)。
  • ですから、「改めて審議し直すべきではとの意見」については、もちろん、それは当然あってしかるべきだし、いま、新たな改名提案についての議論が継続しているのだと思います。
  • 「世界的観点」については、よく趣意を理解されてください。私が「世界的観点」ガイドラインを根拠にしているのではなく、このガイドライン草稿を根拠にすることについて、コメントしたのです。--西方 2011年6月28日 (火) 07:34 (UTC)

ウィキペディアでの記事名の選択基準は?[編集]

コメント以下は、西方さんご提案の「南京大虐殺論争南京大虐殺に改名する」案の話では無く、当ノート本来の議論である「今後の当記事名について」なので、節を分けました。まず、議論ある主題で、強引すぎる自説の正当化は、Wikipedia:合意形成の趣旨から見ても、建設的ではありません。多数の議論が相互に否定している中で「過去ログを見てください、これは○○さんが否定済、これはxxさんが否定済、だから同じ指摘は受け付けません」のように列挙しても、それは双方の側が可能な手法です。私の主張は単純で、ウィキペディアでは方針文書と各種ガイドを尊重すべきで、Wikipedia:記事名の付け方が存在し、その解釈は議論されるべきですが、あまりに独自研究な(自説に都合の良い)解釈をすべきではない、というものです。(1)西方さんは、「虐殺」との語を含む記事名に批判的ですが、「虐殺」は一般新聞でも多数使われており[97][98][99]、いわゆる偏向用語とは言えません。(2)「係争性のある項目における中立性」とも書かれていますが、アルメニア人虐殺問題はトルコ政府側は虐殺と認めていない、ホロコーストホロコースト否認があり、プリイェドルの虐殺も係争中です。「南京」だけ「特別扱い」するのは逆に中立的ではありません。(3)通化事件通州事件などで「虐殺」が付いていないのは、歴史的に主に日本側のネーミングだからで、欧米から翻訳された用語が日本で認知度を得た場合は「ユダヤ人大虐殺」など「虐殺」が付く傾向があります。これは日本に紹介された経緯による話で、どちらが「正しい」というものではありません。単に認知度で選定すべきです。(4)「大」は東京大空襲関東大震災にも付いています。これは「多数の空襲や震災の中で、特に大きかったもの」という相対的な意味の「大」で、元々「何万人なら大、何千人なら中」という絶対的で明確な基準がある訳ではありません。「南京」も歴史上、過去に虐殺は多数あった筈で、相対的に「大」とも訳している結果です。小ロシアは「近くのロシア」の意味です。「大」や「小」が「実に不毛で、政治的偏向を持つ観点」と決め付けるのは、逆に政治的な観点です。(5)上記Wikipedia:記事名の付け方には「世界的観点」と同様に、「中立」も書かれていません。都合の良い面だけを強調するのは公正とは言えません。(6)Wikipedia:日本中心にならないようにでは「ウィキペディア日本語版は、理念としては日本語で提供される百科事典であって、「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でもない」とあります。単に用語のガイドと矮小化するのは不適切です。ウィキペディアは、世界的な百科事典で、日本語版は単に日本語話者向けです。従って「日本人の間でしか通じない世界的で無い用語」は、記事名でも(禁止されてはいませんが)望ましくはありません。(7)現在の記事名南京事件 (1937年)は、年を付加して辛うじて判るだけで、Wikipedia:記事名の付け方の「記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。」から見て不適切です。(8)上記と重複ですが、私がWikipedia:記事名の付け方を重視する理由は、各国語版で多くの記事が「認知度」で作られている現実があり、その中で個々の記事名だけ政治的観点から「これは中立性重視で改名」「これはそのまま」などと恣意的な観点を入れる方が、Wikipedia:中立的な観点では無いからです。大化の改新明治維新も中立的ではありませんが、認知度から選択されています。天皇制ファシズムエコファシズム禁煙ファシズムイスラムファシズムニセ「左翼」暴力集団などは、レッテル張りの面が強く、全く中立的な用語ではありませんが、知名度と特筆性に応じて記事が存在しています。(9)1970年代に「南京大虐殺」が多いのは当時の書籍や「進歩的文化人」の影響、最近「南京事件」が多いのは、ソ連崩壊後にいわゆるネット右翼的出版が増加した影響で、どちらも学術的というよりは、政治的情勢による現象と思います。(10)最後に。個人攻撃と受け取られたならば、その意図は無いので失礼しました。しかし私が書いたのは「現在も戻し意見が根強い現状では、別記事の「南京大虐殺」への改名案は不要な混乱を招き、「悪質な議事妨害」と批判されても仕方がありません。」です。「意図にかかわらず、この状況では、第三者から「悪質な議事妨害」と非難される恐れがあります」との趣旨で、誰かが西方さんを「あなたは悪質です」と書いたのではありません。お互いに冷静に読みましょう。--Rabit gti 2011年6月27日 (月) 15:09 (UTC)

「日本人の間でしか通じない世界的で無い用語」とか、ネット右翼的出版とか何を言っているのでしょう。ちょっと突拍子もないことのように思えます。--Truesight 2011年6月27日 (月) 16:12 (UTC)
コメント「日本人の間でしか通じない世界的で無い用語」とは、上述のように「南京事件」は世界的な百科事典では記載がほとんど無い事を指しています。ネット右翼は適切でない表現でしたが「(文化や社会を重視する伝統的な保守や右翼と異なり)排外主義傾向の強い主張の出版物」といった趣旨で、出版傾向の話です。--Rabit gti 2011年6月28日 (火) 14:39 (UTC)

用語「虐殺」は本来その行為の残忍性を示唆する「虐」が含まれており、虐殺はその意味で結論を含んだ語です(これはちょっとした漢和辞典を引いていただければすぐに確認できます)。その意味でRabit gtiさんが列挙された「アルメニア人虐殺問題」「プリイェドルの虐殺」は語義の中立性から非常に問題があるといえます。ただWikkipedia編集者間で(おそらく)さほど重要視されていないか明確な反論がなされていないので【放置されている】のが実体だとかんがえます。これはとくに他言語版の南京事件の現地語訳fr:Massacre de Nankinde:Massaker von Nankingなども同様で、要はその言語版で参加している編集者が限定的で、話題にのぼらないから(現に議論された形跡がノートで発見できない)放置されていると考えるのが妥当です(英語版では過去に数回話題にのぼった経緯がありますが、複数案から検討しなおしたというものではない)。frやde版はあきらかに英語版を元に翻訳したにすぎないものであり、そして肝心の英語版は東京裁判での用語(THE RAPE OF NANKING)ではなく、何を根拠に選んだか判然としないNanking Massacreを平気で使用して問題だとも考えていない。このようなものは何の参考にもならない。他言語版や他記事がアテにできないというのはそういうことです。虐殺という語は語義として結論を含んでいるので、術語としては中立ではない。こんなことは漢字をちょっとでも学習したことのある者なら誰でも知っているレベルの常識的なことです。それにも関わらずtitleとして「南京虐殺事件」「南京暴虐事件」などを採用するのであれば、明確な採用理由が必要になります。--大和屋敷 2011年6月28日 (火) 02:16 (UTC)

コメント 「アルメニア人虐殺」は、トルコのEU加盟問題もあり一般のマスコミ等でも使われている用語です。それを「放置されている」と推測するのは疑問です[100][101][102]。なお「虐殺」の語に関する私の意見は、過去ログに複数記載しています。なお大和屋敷さんに質問です。全ての歴史的事件の記事名で「虐殺」は改名すべきとの立場でしょうか?あるいは議論のあるものだけでしょうか?それとも「南京」だけでしょうか?(議論の全く無い虐殺事件は少ないですが。)--Rabit gti 2011年6月28日 (火) 14:39 (UTC)
そうですね。語義だけで検討するから中立性に厳格にならざるをえない。どの信頼できる情報源に依拠するか、どのようなtitle選定基準に依拠するか、という基準で検討したうえで、それでも明確な形でtilte選定が困難な場合の(過渡的なtitleとして)語義のみからの検討が可能になる、という順序じゃないかと考えます。一般論として捉えて頂ければ有難いです。Wikipediaにおいては【編集者間で軽視され放置されている問題】は無視できないですよ。Wikipedia自体は信頼できる情報源ではありえない。いくら他言語版Wikipediaがどうであろうと、あるいは海外の信頼できる情報源にthe Great Crimeと記述してあろうが、日本語版Wikipedia編集ルールに従って「アルメニア人虐殺」が妥当だと結論されるならそうすれば良いという事です。--大和屋敷 2011年6月28日 (火) 14:56 (UTC)
大和屋敷さん、コメントありがとうございます。1つ前のコメントで「虐殺はその意味で結論を含んだ語」および「「アルメニア人虐殺問題」「プリイェドルの虐殺」は語義の中立性から非常に問題があるといえます」と書かれているので「虐殺、という語の入った記事名は原則全てダメ」というご意見かと思いましたが、直近のコメントでは「日本語版Wikipedia編集ルールに従って「アルメニア人虐殺」が妥当だと結論されるならそうすれば良いという事です」とあります。簡単に言うと「虐殺という語は、それ自体が非中立的な語なので注意が必要だが、記事名に絶対ダメとは限らず、各国語版での個々の議論で良いと決まればよい」という趣旨でしょうか?(私は批判しているのではなく、単に大和屋敷さんの立場を伺っているだけです。)--Rabit gti 2011年6月29日 (水) 15:18 (UTC)


提案 (インデント戻し)方針とガイドラインの適用の問題については、下記節を参照するとしまして、Rabit gti さんの挙げられたアルメニア人虐殺問題およびコトバンク=知恵蔵2011での同記事名[103]をみて、思いますのは、この例からいいますと、「南京大虐殺問題」として統合できるのではないかということです(「南京大虐殺論争」も「南京事件」も)。過去ログでも、「そもそも“事件”であったのか」という見解も目にしましたし、たしかに、虐殺的な事象が一切なかったとするいわゆる否定派からすると、「南京攻略戦」しかないわけですし。(これについては、以前私が「南京戦線」という呼称に触れましたが、補足しますと、「南京攻略戦」だと、名称に「攻略」があると、日本軍側の視点のみになってしまいます。なお英語版ではBattle of Nankingです。)

また、アルメニア人虐殺問題の事例からもうひとつ思いますのは、「事件」という名称は、事件性が確定したもので、「事件性」について係争中の案件については「問題」とする、という考えをとると、この議論解決の糸口になるかな、ということです。
すなわち、
「南京事件(1937年)」と「南京大虐殺論争」を、「南京大虐殺問題」として新規に統合する。
(ついで、戦局については、「南京攻略戦」→「南京戦線」として改名。なおこの後者の改名提案については、議論の推移をみつつ、いずれノート:南京攻略戦において、提案したく思います)
なお、これはあくまで新規の統合提案ですので、テンプレートを貼り、ノートを節化したく思います。--西方 2011年6月30日 (木) 06:08 (UTC)
この提案は、「統合提案」と「改名提案」の双方を手続きしなくてはならないですね。順番を、しばし考えます。--西方 2011年6月30日 (木) 06:15 (UTC)
南京大虐殺論争南京大虐殺問題へと改名提案をしました。議論はノート:南京大虐殺論争で。--西方 2011年6月30日 (木) 06:48 (UTC)  なお、統合提案については、この改名提案についての論議が終了してからにします。
また、南京攻略戦を南京戦線もしくは南京戦へ改名提案しました。議論はノート:南京攻略戦で。--西方 2011年6月30日 (木) 07:14 (UTC)
コメント 議論先でコメントしました(改名提案が早いですね)。--Rabit gti 2011年6月30日 (木) 15:54 (UTC)


方針がガイドラインに優先することについて[編集]

議論を拡散させないために、まず方針とガイドラインについてのみ、再説明します。Wikipedia:方針とガイドライン#位置づけにおいて、
  • 方針:すべての利用者が従うべきものと考えられている基準。
  • ガイドライン:編集者はガイドラインに従うよう推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します
と明記されております。私はこの方針とガイドラインを明示しているだけであり、なんら、「独自研究的な解釈」など行っておりません。--西方 2011年6月28日 (火) 07:47 (UTC)
したがって、認知度(記事名ガイドライン)よりも中立性(これは方針です)が優先されます。(むろん、この中立性に関しては今後まだ議論を継続すべきと思いますが、認知度を根拠にすることは、この件で、終了しております。--西方 2011年6月28日 (火) 07:51 (UTC)
したがってまた、Rabit gtiさんの 2011年6月27日 (月) 15:09の見解のうち、認知度を根拠にした立論はすべて退けられます。ですので、いまは議論拡散させないためにお答えしません。Rabit gtiさんが「方針よりもガイドラインが優先される」とお考えになったり、また、方針の適用について疑義がある場合でも、このガイドラインと方針との関係について、どのようなお考えをとられるのか、明示されたうえで、今後の議論を展開させてください。--西方 2011年6月28日 (火) 08:14 (UTC)
私は西方さんの強引な衝突論こそがおかしいと考えます。 大切な所を見落としていますよ。
  • ガイドライン:多くの利用者に支持されている、最善の方法(ベストプラクティス)を集めたものです。編集者はガイドラインに従うよう推奨されますが、それについては常識に基づいて判断し、個別の事情に応じて例外を適用してもかまいません。ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。

つまりガイドラインはよほどのことがないかぎりは常識に基づいて運用すべきであって、複数の観点から1つしか選べない項目名に中立性を適用すべきというアイデアがウィキペディアが始まって以来常に常識から外れているわけです。我々は常識的に考えて百科辞典というものを作り上げているということを見失ってはいけません。西方さんもいいかげん中立性を満足させた項目名なるものを想像してみて、それがはたして百科辞典の体をなしているかどうか考えて、スムーズな運営のためにおかしな衝突論こそ終了すべきです。めったなことでは覆らないガイドラインに沿った議論で粛々と決定して下さい。 --Dictionwolf 2011年6月28日 (火) 08:19 (UTC)

  • Dictionwolfさんのおっしゃる「複数の観点から1つしか選べない項目名に中立性を適用すべきというアイデアがウィキペディアが始まって以来常に常識から外れている」という見解は、よく理解できませんねえ。方針>ガイドラインについては、明記されているではありませんか。方針>ガイドラインが「常識から外れている」というのは、実に理解しかねます。
問題は、「南京大虐殺」と「南京事件」のふたつの名称のいずれが中立性をより保持しているか?ということではないですか?
「南京大虐殺が常識からみて当然」という考えの根拠は何ですか?いままでの議論をみる限りは、1)認知度 2)各国語版の項目名 が根拠ですよね?--西方 2011年6月28日 (火) 11:58 (UTC)
  • Dictionwolfさんは「複数の観点から1つしか選べない項目名に中立性を適用すべき」とするのがおかしいとおっしゃっておりますが、「中立性は記事名に適用されない」といいたいのですか?すなわち、「記事名は方針に準じない」とお考えなのですか?--西方 2011年6月28日 (火) 12:04 (UTC)
そもそも現在、「南京大虐殺が常識的にみて当然」とする考えと、「南京事件が常識的にみて当然」とする考えが衝突しているのでしょう?
百科事典だからこそ、「南京事件」の方が適切であるといっておるのです。
「衝突論こそ終了すべき」→私は「衝突論」なんぞ論じておりません。「衝突論」って何ですか?
「めったなことでは覆らないガイドラインに沿った議論で粛々と決定して下さい。」→あなたは方針を無視してよいとお考えですか?--西方 2011年6月28日 (火) 12:10 (UTC)
この件について、Wikipedia:コメント依頼をしました。--西方 2011年6月28日 (火) 12:46 (UTC)

コメント議論が活発化するのは喜ばしいことですが、Wikipedia:善意にとるを意識して議論を交わしましょう。「一方的にその話しは終わった」や「非難めいた発言」「議論参加者を挑発するような発言」他にも「反論を利用して非難を浴びせていると思える発言」「意見対立者の文章をわざと利用して攻撃するような子どもっぽい行為」「建設的な議論を目的としない幼稚な攻撃的発言や行為」などが散見されますが、通常は相手にしないこと。何度も繰り返す悪質なユーザーに対しては、コミュニティの質を低下させないために第三者がそれとなく注意するなどで対応しましょう。建設的な議論を維持するには「寛容さ」が大事ですが、それでも改めない場合は時には断固とした姿勢も必要でしょう。コメント依頼やブロック依頼の提出も視野に入れることもあるでしょうが、できるだけ意見対立した当事者がそういった行動を取るのは慎み、まずは第三者に意見を求めるなどで対応していきたいと思います。何よりも参加者同士が力を合わせて説得しあう場になることを望みます。

本論に関しては、Rabit gti氏による論点整理で一度は議論の進展がみられましたが、近頃では再び論点が広がってしまったことで堂々巡りの様相を呈しており、もう一度論点整理の必要を感じます。「論点の明確化→議論の優先順位付け→優先順位プロセスに基づいた議論」が必要と考えますが、参加者みなさんのご意見をたまわりたいと思います。それと西方さん、手続きについて異議を唱えてるわけでなく「証拠」が不完全であり、誤りであったと申しているのです。刑事事件でも証拠が覆ったり、証拠不十分となった場合は「釈放(一旦、元に戻す)」してしかるべきですが、こちらでは「逮捕(改名)」したままで、そのまま議論がなされているということです。--kei 2011年6月28日 (火) 13:09 (UTC)

keiさん、あなたは、ずっと議論の当事者じゃありませんか。「コメント依頼」は議論に参加されていない方に意見を求めるものです。また、いま、論点を絞っていっているのですから、議論の進行を「堂々巡り」にしないでください。現在、この小節での案件は「方針がガイドラインに優先することについて」です。これについて、何も見解がないのであれば、こちらに記入しないでください。なんのための小節化していると思いますか?--西方 2011年6月28日 (火) 13:25 (UTC)

西方さんの進め方には強引なところがあり改善して欲しいとは思いますが、それにしてもkeiさんの上の発言には強い違和感を覚えます。何故このタイミングでWikipedia:善意にとるの一般論を滔々と語りだす必要があるのでしょうか。上のようなあなたの発言自体、ここの議論参加者全体に対する『「非難めいた発言」「議論参加者を挑発するような発言」他にも「反論を利用して非難を浴びせていると思える発言」「意見対立者の文章をわざと利用して攻撃するような子どもっぽい行為」「建設的な議論を目的としない幼稚な攻撃的発言や行為」』であるように取られても仕方ないものだと思います。--Truesight 2011年6月28日 (火) 14:05 (UTC)一部撤回--Truesight 2011年6月28日 (火) 14:10 (UTC)
西方氏がコメント依頼を出された直後の書込だったので、誤解されるかなと心配しましたが、上記の文脈や「ブロック依頼」の併記を見れば、私の発言した「コメント依頼」は利用者の行為に対するものとご理解いただけると期待してましたが甘かったようです。申し訳ない・・・。もう一点の「証拠不十分関連」についても考えをお知らせいただけませんか。小節化については、現在の話題は全て「改名」に関するものなので、最新の記述場所が上下に移動するよりも常に最下部分に記述される方が、読み落としや話題のバラつきも防げるのではと思います。こちらとしては、もう少し小節化するのを控えていただきたいと思うぐらいなんですが。--kei 2011年6月28日 (火) 14:30 (UTC)
keiさん、残念ながらご趣旨には賛同できません。仰せの「証拠不十分関連」の件は正当な手続きに則って行われたものであると思います。これを正当な手続きによらず元に戻すと言うほうが横紙破りだと思います。--Truesight 2011年6月28日 (火) 15:17 (UTC)

コメント方針はWikipediaの大原則です。それ故、あらゆる場面で参照されるべきものです。一般に個々のケースについては、ケースに即したガイドラインが参照されるべきであり、良く整備されたガイドラインは方針に背くものではないと思いますが、現状、全てのガイドラインが良く整備されているとは言い難いものがあります。それ故、ガイドラインで明白に結論が得られないケースではガイドラインに書かれていることを金科玉条とし厳密に追求していくのではなく、方針を参照し解決していくべきだと思います。--Truesight 2011年6月28日 (火) 15:53 (UTC)

コメント 西方さんへのコメントです。本件は過去ログを見れば明白なように双方複数名が長期間否定し合っている形なので、片方が「当記事名が全ての観点で絶対に正しい、否定も済んでいるので議論は終了している」のように強引に進めても、他方も同様な主張が可能で、平行線になるだけです。私の当初の主張は2011年5月28日 (土) 13:22 (UTC)の通り「記事名の選択基準の合意を最優先すべき(それにより議論すべき話が変わる)」なので、西方さんやkeiさんご提案の「論点整理」に賛成で、コメント依頼による第三者も歓迎です。まず、お互いに同一の方針文書とガイドラインを読んで意見が違うので、解釈の問題です。私の認識は上述のように「憲法と個別法」で、方針文書が上位だが、通常の運用は個別ガイドラインを優先適用、ただし「ガイドラインが方針と衝突する場合には、通常は方針を優先します。」です。しかしここから解釈が分かれます。西方さんは、方針文書が優先なので、記事名は当然に中立的にすべき、との立場と思います。もちろん「愚かな○○大統領」などの記事名は非中立的で論外です。私の立場は歴史的事件や歴史的用語の記事名は、現代の視点で無理に中立化しても一般向け百科事典に不適切なため、一般の認知度を優先すべきだが、これは「衝突」ではないです。なお「方針は常に優先」とも、「記事名も中立的に」とも、「記事名は中立的でなくて良い」とも明記は無いため、お互いに解釈の問題です。具体例ですが、大化の改新明治維新文化大革命は肯定的な語句を含んでおり、阿片戦争イギリス側の不当性を連想させますが、より中立的な「大化の事件」や「明治の政変」や「毛沢東の権力闘争」や「英印戦争 (1840年)」などに改名すべきではなく、それぞれ現状では認知度を優先すべきです。同様に南蛮極右社会帝国主義はほぼ蔑称で非中立的ですが、それが蔑称である事実や歴史的経緯を本文に中立的に記述すべきで、記事名を「中立的」に改名するのは不適切です。以上はウィキペディアに限らず「一般向け百科事典」での必要要件なので、記事名自体は必ずしも「中立的」でなくても「衝突」とは言えませんし、仮に「衝突」と解釈しても、Wikipedia:記事名の付け方が優先される例外と思います。(実際、大多数の記事は既にそう書かれており、私の主張は現状維持です。)なお本記事は従来より冒頭に「一般市民などを殺したとされる事件」と明記されており、「虐殺が実在した」との記事内容にはなっていません。結論ですが、歴史的事件や歴史的用語の記事名はWikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」と、Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件の「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」で選定するのが(当記事に限らず)適切と思います。また、多数の「虐殺」が付く記事名が日本語版を含む各国語版にある中で、日本語版の「南京」だけを「虐殺が付く記事名は方針文書違反」と主張し、他記事は放置するのでは、それ自体が非常に非中立的です(特定政治思想の集団による言葉狩りと批判されても仕方が無い結果になってしまいます)。このため、まずは「南京」だけではなく、「ウィキペディアでの歴史的事件の記事名の付け方」で合意しましょう。(追記:過去の当事者を排斥するのは不当と思います。また小節化は適切なら良いのですが、#提案:南京大虐殺記事について下の「「世界的観点」について]]のように別記事の話題を階層化されるのは困りますし、複数論点が関連する事もあるので、話題全体が大きく切り替わった際など最低限にお願いしたいです。)--Rabit gti 2011年6月28日 (火) 16:07 (UTC)

どこの節にしようか迷ったのですが、一番下のほうが可読性の面でよいだろうと考えここにコメントします。
まず、ウィキペディアの方針やガイドラインは排他的なものではなく、コミュニティの合意に基づく以上どれも尊重されるべきです(方針とガイドラインでは合意の重みが違うので、その点は考慮する必要があります。)。技術的な制限で記事名はひとつしか選べないため、中立的な観点の方針をすべて適用することができないのは確かです。それでも、できる範囲で努力する価値はあります。また、「日本中心にならないように」は中立的な観点を保つために行われることであり、国際化のために中立性が損なわれることになれば本末転倒になりかねません。
以上のことを踏まえると、この記事を「南京大虐殺」に改名することは、無視できないリスクを負うことになると考えます。なぜなら、そうすることによって南京での虐殺行為を否定する、あるいは誇張されているという観点を明確に排除することになってしまうからです。そのため、現状の「南京事件 (1937年)」を維持することが最も合理的であると考えます。--有足魚 2011年6月28日 (火) 16:14 (UTC)


keiさん、誤解についての誤解、私も失礼いたしました。また、Truesightさんに指摘されましたように、私の行動に改めるところがあることも反省いたし、たしかにヒートアップしていたところもありますので、改めたく思います。私も、なんとか、互いに、論点を確認し、合意形成に至れば、と思うのみです。
  • 小節化については、たしかに、逆に、あとから読むうえで可読性を損ねる場合もあるのかもしれませんが、論点を節化することで、可視化に寄与できるかもしれないと考えた次第です。うーん、keiさんのコメントも、そのような趣旨でしたら、さらに節化した方が、より誤解が防げたかもしれない、と私は思うのですがね…。Rabit gtiさん の「最低限」提案もご意見としては拝聴しますが、私自身は小節化してある方が読みやすいのです…。できるだけ、控えるようにはします。
  • keiさんの質問される「証拠不十分」の件については、「合意できない」ということの表明であり、そのような指摘を行い、議論を展開することそのことに何の問題があるのでしょうか? まず改名され、ついで新たに改名提案されているそのこと自体は、私は何も問題がないと思います(なお、これはあくまで「議論の展開」に関することで、編集者の各発言や行動を擁護するとかしないとかいう話しではありませんので)。
すなわち、「南京大虐殺」→「南京事件(1937年)」への改名が第一の改名だとすれば、現在は、「南京事件(1937年)」→「南京大虐殺」または「南京暴虐事件」(その他「南京虐殺」など)へ改名提案され、この第二の改名提案については、議論が継続しており、現在、様々な論点において議論が展開していっているのだと思いますが。keiさんのおっしゃる通り、第一の改名提案から改名手続きにいたる期間、あとからみれば、たしかに議論が不足しているようにも見えます。しかし、改名手続きは、期限を一週間おいて、その間、特に異論がない場合は、改名できます。ちゃんこなべ さんの改名提案(2011年1月30日 (日) 13:55[104])、それからkeiさんの「タイトル差戻し提案」(2011年3月31日 (木) 13:03[105] )は、結局、議論が続いている状態なので、議論が収束するまでは、改名には至れないでしょう。
  • この議論に最近新規に参加した私が、再度過去ログで行われた議論を反復せざるをえなかったのは、私が過去ログを見るにつけ、十分に深まらなかった論点に焦点をあわせて再議論した方がいいのではないかと思ったからですが、あらためて第三者的な観点からいいますと(すでに私は議論の当事者になっておりますが)、「南京大虐殺」とすべきという考えをもつ編集者からすれば、改名反対を主張する編集者(私を含めて)を説得させるのは困難であるので、もし私が「南京大虐殺」という項目があるべきだと考える編集者であれば、新規に「南京大虐殺」という項目を作るかな、とは思います。つまり、これは「南京事件(1937年)」「南京大虐殺論争」「南京大虐殺」の三つの項目が存在することになりますが、それぞれの項目が、互いに十分に排除的であれば、私は理想的だと思います。とはいえ、その「互いに十分に排除的」な内容を執筆するのは、ちょっと難しいかな、とは思います。否定派を批判する論者のひとりである笠原十九司氏なども岩波新書や平凡社新書をはじめ「南京事件」を使用されておりますし。
  • このような係争性の強い項目について関心を持つ編集者というのは、この事件についてあらかじめなんらかの判断を行う方も多いかと思います。だからこそ「論争」の項目が存在するのでしょうし。ですので、もし私が「南京大虐殺」という項目があるべきだと考える編集者であれば、改名については諦め、むしろ、「論争」の記事において、否定派への反駁を行っている論者の見解などの加筆などに努めます。(フレーズを反復させ、すみません。あくまで合意に向かうように、改名を提案される方々の編集動機に思いをはせたまでです)
有足魚 さん、客観的なご意見を提起され、ありがとうございます。--西方 2011年6月28日 (火) 16:26 (UTC)
コメントお久しぶりです。コメント依頼を見て久々に来ました。方針とガイドライン、どちらが優先すべきかと言えばまあ方針でしょう。今回の話としてはガイドラインと衝突するかどうかも含まれている訳ですが、記事名ガイドラインでは歴史的事件は「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」とある訳で、隙を突くようですが「出来る限り一般的」であり「最も一般的」でなければならない訳ではない訳です。争われている二つの名前の著名性も今までの議論を踏まえればある程度両方とも一般的に知られていると言えるでしょう。つまり、選択肢として二つから選べる訳で、選べるうちの中立的な方を選択する、と考えれば方針もガイドラインも反しません。このような考え方でも「衝突しない」と言えるのではないでしょうか?Rabit gtiさんは他の記事名を例示されますが、他所にも問題があるからこれもそれに倣っていい、という考え方はいかがなものでしょうか?実際中立性に問題があっても「大化の事件」や「明治の政変」というように検証性のあるのかよく分からない名前を無理に作り出すのは出来ない訳でして、そういった面から中立性に反そうとも他に選択肢がないと言えます(選択肢があるようならば中立的な方が良いかとは思いますが)。本記事のように検証性などで問題なく選ぶ余地があるのならばより中立的であるべきではないでしょうか?--はぬまん 2011年6月28日 (火) 20:39 (UTC)
はぬまんさん、私は最初からどちらに決まっても文句はないのですが、名前の付け方のガイドラインが常に方針に衝突しているかのような議論に違和感を覚えている立場です。 今までの調査の傾向として分ってきたことは、ここ2~3年で「南京大虐殺」と「南京事件」との逆転しているようであることであって、教科書もそうなってきているようであり、それならガイドラインを好意的に解釈して、例えば一般的に認知されるのが、転換期から1年、2年、3年、5年のどれくらいが適当であろうかということで議論してローカル的に合意するという方法ではいけないのでしょうか?--Dictionwolf 2011年6月29日 (水) 03:03 (UTC)
それと西方さん、「南京事件」と「南京大虐殺」が歴史的に違う解釈であるなら、独立に存在して相互に参照することも解決の糸口でしょう。ただし本当にそうなのかという検証性が要求され、当然ながら編集者による都合の良い解釈ではなくて、学会などでも権威のある出典において、このふたつは微妙に異なるという見解は必要となってくるでしょう。それは新規立項を意味しており、お手軽に南京大虐殺論争を改名して終わりという意味ではないですよ。--Dictionwolf 2011年6月29日 (水) 03:21 (UTC)
まあ衝突するかしないかは内容、状況によるのではないですか?衝突するならそりゃ方針が優先されますし、しないにしてもこのような解釈ではいかがでしょうというつもりだったのですが。いずれにしろガイドラインによる規定がこうだからと方針を無視する事は望ましくないと思います。でと。定期的に何が一般的かと検討するというのも…この改名議論が始まって半年経つ訳ですしそう容易く話の進むものではないでしょう。虐殺派から新たな論拠による主張がされた場合もそれを尊重せねばなりませんから、あまり議論方式まで決めて定期的に行う、というのも問題を残しそうですが。--はぬまん 2011年6月29日 (水) 05:26 (UTC)
Dictionwolfさん、私の前のコメントをお読みになりました?私とて新規立項が理想的といっているではありませんか。ただ問題は、「南京事件」「南京大虐殺」のいずれもが、十分な信頼に足る出典を持っていること、ついで、認知度・一般性においても僅差であることです。また、(これも前記しましたが)笠原氏をはじめ「南京事件」を使用される肯定派も存在し、「否定派が南京事件と称している」などとは、決していえないことなどが、問題なのです。論文や著作物において、きれいに「否定派=南京事件」、「肯定派=南京大虐殺」と分けることができるのであれば、新規立項も容易ですし、また、そもそも、この一連の改名を巡る編集議論も存在しなかったのかもしれません。([106]における「互いに十分に排除的な記事」の執筆が難しいのでは、というのはこのような意味でいいました。)
  • 方針とガイドラインの関係について議論をしましたのは、「中立性」を巡って細密な議論が必要になったこと、それから、記事名ガイドラインをあまりに振りかざす発言が、多かったから、それを中和させる必要があったからです。「方針」と「ガイドライン」が一般的に「常に衝突」しているのではありませんし、当然、「衝突」とは、各編集者による規則の解釈における「衝突」です。
  • それと、はぬまんさんもコメントされていますが、定期的に認知度を確認していくやり方だと、改名提案→再改名提案→再々改名提案→…と、いわば無限に続いていく形式になるかと思いますし、あまり建設的とは思われません。むろん、改名提案は何度でもできますし、また定期的に調査結果をノートで確認していくことも、それ自体は、いいとは思います。ただ、それよりは、いま、双方で納得するところまで、議論をつめたり、あるいは新規立項の可能性などについて議論し、確認していく方が、好ましいと思います。--西方 2011年6月29日 (水) 08:11 (UTC)
コメント 有足魚さん、はぬまんさん、コメントありがとうございます。個人的には少なくとも「方針(中立的な記事名)だけが絶対」や「ガイド(一般の認知度)だけが絶対」と解釈するより、現実的な選択肢の中から各趣旨のバランスも考慮し合意形成を図っていくべき、といった趣旨かと認識しました。幸いやや沈静化し、更に他の方のご意見もお待ちしたいので、少し個人的な話を書きます。過去ログの通り、私自身はコメント依頼で来た(元)第三者で、当初は「記事名は南京事件でも南京大虐殺でも良い」立場です。しかし(敢えて今回は名指しは避けますが)当ノートでは特定の立場の方が議長のように強引に振舞ったり、反対意見に個人攻撃スレスレの乱暴な表現をしたり、Wikipedia:合意形成の精神に反する状態が長期間続いていると感じています。当記事のような議論は、双方が相手を「いつまでも納得しない」と感じるのは当然ですし、「うるさいから邪魔なので厳しく言って追い出す」ような発想は、許されませんし逆効果です。どの立場であれ、今後は同様の事を繰り返すべきでは無いと思います。なお、過去の話かも知れませんが、コメント依頼は「コメントの依頼」であり、(節を分けようが)当事者排除の目的には使えませんし、使ってはいけないと思います。また節の階層化は私も多数のノートで行っていますが、有足魚さんの反応を拝見しても、同じ話題の各論点を節で分けて平行進行させるのは、各論点が関連している当議論などでは無理があるかと思います。最後に「南京事件」と「南京大虐殺」の両方の記事を作るのは、「日本的な妥協策、落とし処」かもしれませんが、本来は同一記事(同一の歴史的事実)の2名称なので、どの記述をどちらに書くべきか、各国語版リンクはどちらに貼るべきか(日本語版以外は実質的に全て「南京(大)虐殺」なので、日本語版のみで記事名と記事内容が「ねじれ」る)など、別の混乱を後に残す(問題の先送りと複雑化で悪化?)と思います。--Rabit gti 2011年6月29日 (水) 15:02 (UTC)

「方針とガイドラインの衝突」に関しては、あとで作られたものが優先すると考えればスッキリしませんか。例えば人を殺めた場合は殺人罪が適用(基本法部分)されますが、正当防衛(例外規定)が認められた場合、殺人罪は適用されません。日本の所得税は収入から経費を差し引いた分を所得とし、一定の税率を掛けたものを収める必要がありますが、例外としてサラリーマンは収入から予め定められた約3割程度を経費とし、その残った分に税率を掛けることとなります。また住宅取得控除や医療費控除などの特例全般は基本となる所得税法(収入から経費を差し引いたのを所得としなければならない)と衝突する個別法です。社内規定を作る際も、まず基本理念を元に骨格となるルールを定め、基本となるルールだけでカバーしきれない部分を例外規定として盛り込んでいきます。そういった観点から考えても、まず基本ルールがあって、その例外規定として個別ルールが存在するので、個別法を優先すべきと考えます。--kei 2011年6月29日 (水) 15:58 (UTC)

コメント keiさん、私は個別法優先の原則は同意見ですが、現ノートでは解釈(立場)が2つに分かれていると思います。まず、大多数の一般的な事例(役所の窓口、一般の裁判、ウィキペディアでの通常の記事名)は、当然、個別法(個別のガイド)だけ見るべきですし、それで足ります。「憲法上も疑義があるか」と毎回調べるような人はいません。以上はkeiさん指摘の通りです。問題は特殊な事例で、例えば「法的には有効な契約だが、この契約は特殊で、実行するとあまりに公正を欠く」ような場合は、上位法の趣旨に戻って検討する場合があります(勿論実際は、原告・被告などが論理構成して、わざわざ上位法に戻るべきか争うし、上位法に戻る事が認められるのは法律では極めて稀です)。今回、私個人は「○○虐殺事件」などは、「良くある歴史的用語」と考えているので、ガイドを優先する(他の観点は補助的に考慮する)が妥当と思っています。ただし仮に「いや、通常はガイドだけで良いかもしれないが、今回はガイドだけでは方針文書上の問題が生じるケースなので、この場合は方針文書を優先(または両方のバランスを優先)すべき」という立場も、法律に例えても存在はします。そして、どちらが妥当かで解釈(見解)が分かれています。(私の立場はkeiさんに近いと思いますが、少なくともお互いに「片方が全くの間違い」と断定できる話でもないと思います。だからこそ議論が長期化しており、より合意形成が求められています)--Rabit gti 2011年6月29日 (水) 16:52 (UTC)
  • 誤解があったようなので、瑣末ですが補足します。Rabit gtiさんの「コメント依頼は「コメントの依頼」であり、(節を分けようが)当事者排除の目的には使えませんし、使ってはいけない」というのは、私のkeiさんへの発言に関してですよね?これについては、keiさんのコメントに対して私にも誤解があり(keiさんの発言における、合意形成のためのコメント依頼と、利用者の行為についてのコメント依頼の違い)、訂正しました。それから、「当事者排除」のような発言ともとれることについては、大変失礼いたしました。「当事者を排除する」つもりは毛頭ありません。
  • 節の階層化については、おっしゃる通り、この議論におけるように、複数の論点が絡まり合ってしまっているようなものについては、たしかに、むしろ議論を混迷させてしまうこともあるかもしれませんし、今後、節化するうえでは、提案をしてからにしようかと思いますが、私自身は、論点ごとに節化した方が、論点をより明確に可視化できるのではないかと思います。
  • 方針とガイドライン、個別法と上位法の件につきましては、他でご教示いただきまして、ウィキペディアは規則主義ではありませんという方針や、また英語版では記事名のものも方針であること、そして英語版をみましたところ、結局は、争点については、議論当事者で合意するしかないことが確認できました。つまり、中立性と認知度の「衝突」につきましては、現時点での日本語版の方針では、方針の優位性に関する議論も、規則上(法的といいますか)、成立はするのですが、理想的には、中立性および一般性・認知度のいずれもが配慮されるべきで、いずれかが、排除されるべきではない、ということですね。
  • 新規立項についての、Rabit gtiさんの懸念ですが、どうでしょう、この件については、あらため節化した方がいいかと思います。節化に異論なければ、この方針とガイドラインについても収束しつつありますので、節化したく思います。いかがでしょうか?--西方 2011年6月30日 (木) 04:56 (UTC)
コメント西方 さん、大変冷静かつ丁寧なコメント、ありがとうございます。
  • 最初に読んだ時は正直驚きましたが、誤解があったとの経緯、了解しました。また私も、当事者間の誤解解消後に、経緯を理解せずに横から批判してしまったのであれば、失礼しました。
  • 私は節の階層化自体は反対ではありません。例えば、過去ログも長文化したので「過去の経緯一覧」や「主な論点の一覧」を作成予定ですが(勿論作成者の視点は入ってしまいますが、なるべく多数の見解を入れて)、これらは後からも探しやすいように節を分けたいと思っています。
  • 私も、「方針文書だけ全て」のような意見を拝見したので、対抗上「個別ガイドだけが全て」のような全面戦争パターンな書きかたをしてしまい、結果的に議論の拡散を招いたのは失礼しました。Wikipedia:記事名の付け方の英語版(en:Wikipedia:Article titles)は「方針文書」(policy)とは気づいていませんでした。勿論ここは日本語版ですが、良くも悪くも英語版が各国語版に時間差で影響する傾向はあるので、考慮点ではあると思います。「つまり、中立性と認知度の「衝突」につきましては、現時点での日本語版の方針では、方針の優位性に関する議論も、規則上(法的といいますか)、成立はするのですが、理想的には、中立性および一般性・認知度のいずれもが配慮されるべきで、いずれかが、排除されるべきではない、ということですね。」は、私も基本は同じ認識です(個別の話で何を重視すべきかでは、今後もお互いに相違が出ると思いますが、「方針とガイドライン」の基本的な位置づけとしては賛成します。)
  • 新規立項とは、当記事と南京大虐殺論争の、南京大虐殺問題への統合案でしょうか?ある意味、非常に大胆かつ建設的な案とは思いますが、「過去の経緯がある」など多数の反対も予想されそうです。また「方針とガイドライン」も、コメント依頼して1週間も経っていないので、全く別の観点のコメントを頂く可能性もあると思います。(長期化している議論なので、今更急ぐ必要は無いと思います。個人的には数年または永遠に継続する長期戦かと思っています。ここで急いで「少し不在にしていたら勝手に議論が進められた」とか「重要な話を数名で短期間で進めて拙速」などの批判を招いては、紛糾の上重ねになってしまう事を懸念しています。節化自体は反対ではありませんが、あまりに展開が速いと、後から不要な反発を招く事はあると思います。)--Rabit gti 2011年6月30日 (木) 15:54 (UTC)
南京大虐殺論争のノート」に西方さんから改名の提案がありましたので一言。こちらの改名議論にはタッチしません。現在「南京(1937)」関連の記事としては、こちらの記事で「事件そのものを扱う」、「南京大虐殺論争」で「事件をめぐる議論・論争」を扱うという役割分担がなされています。「南京の事件(1937)」については「この事件の歴史認識をめぐり国家間や民族間で引き起こされる問題」なども生じていますが、そのような事例を扱う節または記事はいまのところ存在しません。私の理解では、西方さんはこのような事例を扱えるようにするため「南京大虐殺論争」を「南京大虐殺問題」と改名するよう提案なさったようです。私自身の考えは、「事件そのもの」を扱う記事、「事件をめぐる論争」を扱う記事、「事件の歴史認識をめぐって発生した国際的・国内的な各種の問題」を扱う記事がそれぞれ独立した別個の記事として存在してもいいではないか、というものです。したがってこの記事と「南京大虐殺論争」の統合には反対、さらに両記事の一方または双方を「・・問題」へ改名することにも反対。--Dalaibaatur 2011年6月30日 (木) 17:43 (UTC)

(インデント戻し)うえの節に書こうか迷ってしまいました。たしかに本案件のように、長い議論に関しては、節化はむしろ逆に可読性を損ねたり、あるいは、コメントを書き込み場所について、不要な思案を自動的に要請してしまいますね。

  • 南京大虐殺論争南京大虐殺問題へ改名提案、および南京攻略戦→南京戦へ改名提案、いずれも各ノートにおいて審議とコメントをいただき、提案者としては十分な見解をいただきましたので、うえの二つの改名提案はいずれも取り下げました。
新規立項について

とりわけ、ノート:南京大虐殺論争において、Dalaibaatur さんより、「論争」と「◯◯問題」との峻別が主張され、むしろ「南京大虐殺問題の新規立項を推奨されました。私も、「「◯◯問題」の方が、「論争」より包括的であるとは思うものの(「◯◯問題」はアルメニア人虐殺問題歴史教科書問題など、国家や民族間での係争と議論を一般に名指すのに対して、「論争」は、民法典論争普遍論争純文学論争、アナボル論争など範囲が学術文化に一般に限定される。ノート:南京大虐殺論争参照)、新規立項において、より適切な記事間関係が保持できると思いました。

この新規立項によって、

という四つの次元で記事ができ、また、うまく記事間の関係が整理できれば、私はすっきりするかと思います。


さて、先立って私は次のようなことを発言しました[107]。すなわち、「南京事件(1937年)」と「南京大虐殺論争」を、「南京大虐殺問題」として新規に統合するアイデアですが、このうち「論争」と「問題」は峻別すべきという意見がございましたので、この時点で、「論争」は独立記事として残存となりました。しかしながら、私は現在でも、記事間関係において新規記事「南京大虐殺問題」をつくることで、これまでの議論が止揚できるかもしれないと思います。

「統合案」をちらつかせながら、議論を進行させることは、徒に誤解を産むでしょうし、また説明がややこしくなるかもしれませんが、私は、「南京事件」→「南京大虐殺」への改名提案については、これまでと同様、

  • 一般性・認知度・出典の信頼性については、僅差ないし「南京事件」が近年は優勢であること(Truesightさんの調査[108]を参照)
  • 中立性については、「南京大虐殺」と「南京事件」とでは後者の方が形容が少ないことや、また、中立性における「いずれかの観点の排除」については、否定派のみならず肯定派も近年は「南京事件」を使用するようになっていること

の二つを根拠に、反対いたします。

しかしながら、記事名「南京大虐殺」が存在すべきと考える編集者の意図を配慮しますと、まず、

を推奨することができます。なお、南京大虐殺という記事名による新規立項については、当記事との内容において相互に十分に排除的である内容を記述することは非常に困難であるし、私にはその可能性は考えれませんので、推奨はいたしません。

組み込み案について

そして、これは、新規立項後に議論すべきことですが、それがあとどれくらい先の話しになるかもわかりませんし、いま出て来たもうひとつのアイデアについて、説明させていただきます。そもそも「これらの出来事は、一戦局である(南京攻略戦)」とする考え方からしますと、「果たして事件」ともいえるのか、という問いが出てきます。繰り返しになりますが、アルメニア人虐殺問題の事例と比較考量すると、「事件」という名称は、事件性が確定したもので、「事件性」について係争中の案件については「問題」とする、という考えが見出されます。すなわちいわば「純粋な否定派」といえるのかもしれませんが、この出来事は、「事件性」においても、係争中または議論研究の途上であり、したがって、「南京大虐殺問題」として組み込むことが、より適切ではないか、あるいは、そのことによって、この改名提案で提出されている様々な問題が止揚されるのではないか、と考えた次第です。

いずれにしても、新規立項は、案をいうのは易しいですが、いざ書くとなると、難しいとは思います。むろん、すでに新規立項は、とりあえず作ることは可能ですので、そもそも新規立項は、特に事前に断る必要もありません。また、私の予想ですが、「南京大虐殺問題」の記事名であれば、反対意見は特にないのではないかと思います。-Dalaibaaturさんが反対なさっているのは、「統合案」ですが、これもいまの時点では、あくまでアイデアのレベルですし、「統合先」の記事がありませんし、そもそも正式に「統合提案」をしたわけではないので、念のため(分かりにくくて、すみません)。

たしかに合意に急ぐ必要もないのですが、出て来たアイデアは忘れないうちに、提出しておこうと思い、このように、先走った感も否めませんが、発言している次第です。--西方 2011年7月1日 (金) 15:50 (UTC)
コメント 西方さんの精力的な調査や大胆な提案活動には敬服しますが、コメントです。まず、改名提案取り消し後に恐縮ですが、ノート:南京大虐殺論争#「南京大虐殺問題」へ改名提案にコメントしました(英語版などでも事件と議論の記事は分けているようです)。次に、合意形成への努力とは思いますが、「南京事件」派も「南京大虐殺」派も、当記事の記事名はどちらが適切かという議論をしているので、「別の南京大虐殺問題を作る」で両者が納得するような話では無いかと思います。また「事件の名称は南京事件、問題の名称は南京大虐殺が、それぞれ一般的」との使い分けが一般的とも思えません。「○○」と「○○論争(問題)」の、「○○」は、やはり同一が望ましいので、政治的配慮で分けるのは一般読者に不親切にも思えます。例えば「ホロコースト」と「ホロコースト否認」で、「ホロコースト」派と「ユダヤ人虐殺」派で決着が付かないからと、「ホロコースト」と「ユダヤ人虐殺否認」にしたら、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」とはいえないと思います。なお「南京事件」も、全くの別名というより、「南京(虐殺)事件」の略称(日本語的に刺激的・断定的な表現を外しただけの、曖昧化や言い換え語に近い)という面もあると思います。とりあえず。--Rabit gti 2011年7月1日 (金) 16:21 (UTC)

「南京事件」は略称か?(歴史学における呼称)[編集]

Rabit gtiさんより、「「南京事件」も、全くの別名というより、「南京(虐殺)事件」の略称(日本語的に刺激的・断定的な表現を外しただけの、曖昧化や言い換え語に近い)という面もある」という、重要な指摘がありましたので、歴史学者の笠原十九司氏による『南京事件論争史—日本人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書, 2007年)を参照しながら、これについて述べます。なお、この件は、このノートでの編集議論において、重要な論点となるかと思われますので、節化いたします。

  • 同書p12,p208には、「南京事件は南京大虐殺事件の略称」と明記されています。(なお、笠原氏はいわゆる肯定派で、この著書は重要な情報や知見が含まれる一方、いわゆる「否定派」への反駁も含まれており、一部、偏りがありますが、しかし、このことはいまは問題ではありません)。
  • 他方、同書pp102-3よりの情報ですが、『世界歴史事典』(全10巻、平凡社,1956)および、『アジア歴史事典』(全10巻、平凡社,1961)には「南京事件」で立項しております。なお、笠原氏は、『アジア歴史事典』について「アジア史の事典として現在でもこれを超えるものが出版されていない」として、その信頼性を評価されています。
  • 笠原氏は、「南京事件は南京大虐殺事件の略称」としながらも他の著書においても「南京事件」を著書名として採用されています。
  • なお、歴史学者洞富雄氏も1972年に『南京事件』(新人物往来社)を刊行されたあと、鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』(文芸春秋社、1973)への反駁として『南京大虐殺 「まぼろし」化工作批判』(現代史出版会、1975年)を刊行されています。ここで例示できるのは、歴史学者において「南京大虐殺」が使用されるのは、論争が契機であったということです(笠原前掲書,pp120-122)。ほかにも笠原氏も評価される歴史学者秦郁彦氏も「南京事件」(中公新書)において、「南京事件」を採用されています。

以上をもちまして、歴史学の通例においても「南京事件」が「正式性」を保つと考えられます。

なお、笠原氏は「略称」とされておりますが、この笠原氏の評価については、笠原氏個人の見解よりも、共同編集物である前期ふたつの事典の採用実例の方がより信頼性も高く、かつ、その事典の信頼性については、笠原氏も明記されている以上、中立性がより保持されていると考えられます。--西方 2011年7月2日 (土) 09:31 (UTC)
コメント 「南京事件」は「南京(虐殺)事件」の略称という面もある、と書いたのは私ですが、これは南京攻略戦南京戦などと同様に日本語として当たり前の側面を書いただけです。一般論としては (1)歴史的事実に「公式名称」は存在しない (2)目的に応じて「より正確な長い呼称」と「より短い略称」を併用する事は一般的 (3)いずれも相対的な話で、より正確には「日中戦争初期に南京で日本軍が大規模な虐殺を行ったとされる事件」などで、短くなるほど不正確・曖昧になるが、使用頻度は略称の方が格段に多い(検索でも多数ヒットになりやすい) (4)用語は通常、相手によって使い分けられる(主に日本人同士ならば「南京攻略戦」や「東京大空襲」でも良いが、国際会議や翻訳では「南京攻防戦」や「東京爆撃」の方が中立的な場合もあり、また「南京事件」では「ロス事件」同様に世界的には通じない場合が多い) (5)更に、同一書籍でも複数用語を併用する場合も多い(日本語でも各国語でも同一用語の反復は避ける傾向がある。論文では最初に定義する) (6)書籍名などは、出版社の意向もあり一般向けの簡潔な「より短い略称」を優先する場合も多い(必ずしも著者が正確と考える用語とは限らない)(7) 逆の観点として「南京事件」には放火なども含め、「南京(虐殺)事件」には主に虐殺(殺害)を指すという使い分けもありうる(通化事件などは蜂起なども含めて「事件」で、虐殺だけとは言えない。ただし南京は「南京攻略戦」が別に存在するため、特に虐殺等を指す傾向はある。)、などでしょうか。なお、マスコミも書籍も学者も大きく見て拮抗している状況で、数名の学者の記述に推測を加えて、片方が「「正式性」を保つと考えられます」と唐突に個人意見を書いても、(どちらの立場であれ)意味があるとは思えません。また、個人的な話題やアイディアごとに「節化」するのでは弊害も大きい(本来の議論が断片化されて、他の大多数の方は書きにくい)事を懸念します(通常、話題が大きく変わったら事後に節を分けても良い筈です。)少なくとも今のところ、過剰な節化を歓迎している他の方は見当たらないように思えます。Wikipedia:合意形成では「編集者は多様な観点と懸念事項に相応の注意を払いながら耳を傾け、評価しながら記事の内容について真剣な議論を積極的に行わなくてはなりません。」ともあります。とりあえず。--Rabit gti 2011年7月11日 (月) 15:24 (UTC)
Rabit gti さんへ答えます。
  • 1)私は検証可能な出典を明記したうえで、述べているのであって、「マスコミも書籍も学者も大きく見て拮抗している状況で、数名の学者の記述に推測を加えて、片方が「「正式性」を保つと考えられます」と唐突に個人意見を書いても、(どちらの立場であれ)意味があるとは思えません」とおっしゃることこそ、Wikipedia:合意形成にもとりますよ。まったく「唐突に」でもないし、「個人意見」などと私の調査を矮小化したうえで、「無意味」とするのは、罵倒ではないでしょうか?私からすれば、私のコメントを意図的に理解されない態度にしかみえません。つまり、「合意形成に努める」ことよりも「あえて合意しない(反駁それ自体を目的とした)」ような意思表示に見えます。私の見解のどこが「推測」というのですか?私が明記した出典の事例に一切触れないのはなぜですか?
  • 2)そもそもあなたのおっしゃる略称に関する「一般論」とか「世界的には通じない場合が多い」とかいった発言(2〜4のコメント)に、ウィキペディアの各国語版以外で、検証可能な根拠はございますか?これも繰り返しですが、ここは日本語版ですから、日本語での使用実態を度外視して、各国語版ウィキペディアを参照ではなく優先した結果、中立性を喪失してしまうことは避ける方が合意形成のうえでも賢明です。このノートで議論されてきた中立性に関する立場の違いを保持するような合意を形成するには、信頼性のある出典やまたは実証・調査が必要ではないでしょうか?
  • 3)あなたのコメント6)によれば、「南京事件」が「一般性」を保持しているということを容認されていることになるかと思いますが。
  • 4)なお、節分けについてですが、節分けの理由を私は明示しておりますし、なぜそこまで節化に抵抗されるのか、理解しかねます。私は「不要な節化」をしているのではなく(かつては確かに過剰であったとは反省しておりますが、今回の件は違うと思います)、必要性があるから、そうしているのです。しかし、この件については、南京事件の名称問題と関係ありませんし、もうやめませんか?個人の感覚も当然、違うのですし、可読性の観点からすると、あなたのコメントの番号表示なども、私からすると読みにくかったりするのです。しかし、そうした瑣末な互いの感覚について(しかもそれは「議題」とは関係ありません!)取り沙汰する必要性はどこまでありますでしょうか?論点を絞りませんか?--西方 2011年7月12日 (火) 18:52 (UTC) 追記:なお、私が節化するのは、あまりに長大だと、スクロールがしにくくなることを配慮しております。--西方 2011年7月12日 (火) 18:57 (UTC)

西方さんが発掘され2011年7月2日(土)09:31に投稿された内容はご貢献でありとても面白く、ノートの議論だけに埋没させるのではなく、ぜひ掻い摘んで本文記事に組み込むべきと思います。なお笠原2007年によって「南京事件が南京大虐殺事件の略称である」と学術的に確定するわけではありませんが、そのような記述が存在していることは一つの事実であってWikipedia読者に何らかの情報を与えるものです。title選定検討においては「南京事件は略称である」という仮説を補強するひとつの外部資料であります(少なくとも「Wikipedianにより独創された仮説」扱いでは無くなります)。--大和屋敷 2011年7月12日 (火) 22:56 (UTC)

西方氏へ節化についての見解を述べさせていただき、またご配慮を頂きありがとうございます。節化については、例えば他の参加者の多くが意図しない方向へ一時的に議論が進んだ場合、同一項目内であれば多数の参加者が相互に議論の方向を修正し合えますが、新たに立項されるとそれを論点に感じていない参加者の書込が中断するなど、結果として議論参加機会を奪い、議論の停滞を招く(立項した本人が意図せずとも、参加者排除の作用がある)可能性もあるということもご配慮いただければと思います。私自身、改名に対する議論参加意欲は現在もありますが「「南京事件」は略称か?(歴史学における呼称)」に絞れば参加意義をあまり持てないというのが正直な感想です。
話題と違うことばかり書きこむのも良くないので少し見解を。西方氏の「南京事件」が「正式性」を保つとされた論理には疑問を持ちます。
  1. いわゆる肯定派とされる笠原氏は「南京事件は略称であるとされた」
  2. その一方で、笠原氏は『世界歴史事典』および、『アジア歴史事典』で「南京事件」を立項している。
  3. 笠原氏は著書名でも「南京事件」を採用している
  4. 洞富雄氏も「南京事件」を刊行された。
  5. 鈴木明氏は『「南京大虐殺」のまぼろし』を刊行された
  6. 洞富雄氏は鈴木明氏の批判本として『南京大虐殺 「まぼろし」化工作批判』を刊行された。
これをさらに整理すると笠原、洞、鈴木の3氏は「南京事件」の立項もしくは刊行をされた。特に笠原氏は「南京事件は略称である」とされているにも関わらず、「南京事件」で立項及び刊行をした。この三名に限って見れば「南京大虐殺」の使用は論争が契機である。よって正式名は「南京事件」である。
以上の論理では、1)サンプル数が少ない。2)笠原氏が「南京事件」で立項及び刊行をしても「南京事件は南京大虐殺事件の略称」との見解を覆すことにはならない。と思います。あまりミクロな事象に捉えられすぎると方向を誤る場合がありますので、俯瞰的な視点(マクロ的な統計や蓄積された議論に焦点を当てるなど)をもっと重視して議論すべきと考えます。--kei 2011年7月13日 (水) 14:05 (UTC)

久しぶりにこちらにお邪魔させていただきますが、略称だから何だってんでしょうか?(しかもたった一名が南京事件は南京虐殺事件の略称として使用していると主張してるから何だというのか?)略称でも何でもけっこうですが、どんな用語が一般的に使用されているのか?(Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件の「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」)、そしてそれは中立的で方針に適っているか?の2点が重要なだけでしょう。その2点から考えれば、「南京事件」と「南京大虐殺」は同じほど一般的に使用されており(笠原の正式名称なる「南京虐殺事件」なんて、ほぼ彼だけの用語)、ガイドライン「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」には「南京事件」「南京大虐殺」どちらも適っている。ではどちらが中立的な用語なのかを考えると、笠原から東中野まで虐殺人数を何人とするか異なる研究者たちが共通して使用している用語は「南京事件」であり(東中野などのいわゆる否定派が括弧なしで南京大虐殺などと記述しているものは見た事がないが、一方、逆の笠原や洞富雄は東中野と同じく「南京事件」用語を多使用している)、中立的観点から研究者の思想信条、研究結果に関わらず使用している「南京事件」が適切でしょうね。南京大虐殺とすべき理由がいくら考えても出てきません。--PSIA 2011年7月13日 (水) 21:18 (UTC)

既に述べたい要旨をPSIAさんにも一部述べられていますが、仮に「南京事件」が略称であろうとも、それが一般に流通している呼称であれば問題ない(=歴史的事件には正式名称はなく、用語の普及度によって決定すべき)というのがRabit gtiさんやkeiさんのご意見だったのではないでしょうか?
また、上の議論では「南京大虐殺」は否定派からも使用されている(『「南京大虐殺」のまぼろし』や『いまさらの「日中歴史共同研究」 南京大虐殺なんてない 』、『「南京大虐殺」・「三十万」は「政治的数字」? 』などなど)から、その点を普及度合いから割り引いて考えるべきだとの意見も「南京大虐殺」が使われていることには違いない、そういうのも含めて「南京大虐殺」の方が普及しているのだ、という反論にあっていますが、Rabit gtiさんもkeiさんも同様の見解ではなかったでしょうか?そうだとすれば、たとえ、略称であったとしても「南京事件」は「南京事件」として扱うのがご自身の論理に適うと思うのですが、いかがでしょうか?--Truesight 2011年7月14日 (木) 15:59 (UTC)
コメントすみませんが「略称」の話題を先に書かせてください。理解できませんが、「略称は記事名に不適当」というような意見を私が主張した、という話になっているのですか?私はそう書いた事は無く、私の意見とも違います。私が書いたのは、「なお「南京事件」も、全くの別名というより、「南京(虐殺)事件」の略称(日本語的に刺激的・断定的な表現を外しただけの、曖昧化や言い換え語に近い)という面もあると思います。[109]です。記事名としての選択基準には触れていません。これを西方さんが何故か「重要な指摘がありましたので」として節を分け、「略称だが適切だ」といった意見を展開しました。そこで私はわざわざ「これは南京攻略戦南京戦などと同様に日本語として当たり前の側面を書いただけです。」(単なる指摘で、重要な指摘とは思えない)、および「いずれも相対的な話」(南京大虐殺も南京事件も略称とも言える)と書きました[110]。なお私は「略称だから何だってんでしょうか?」に関してはPSIAさんと全く同意見、Truesightさん記載の私の見解「仮に「南京事件」が略称であろうとも、それが一般に流通している呼称であれば問題ない」に、全く同意権です。(何故「略称」にこだわる方が多いのか、全く不可解です。お互いに、相手の実際に書いた発言を読んでコメントするようにしませんか?)--Rabit gti 2011年7月15日 (金) 16:56 (UTC) 追記:「略称になるほど短くなり、曖昧さは増し、特定の分野・話題でしか通用しなくなる」という趣旨の指摘はしていますが、これは「略の程度」の話で(例えば「ロス疑惑事件」ならまだ判るが、「ロス事件」では日本の芸能分野でしか通用しないため、記事名には不適切)、「略称ならば不適切」との意見ではありません。--Rabit gti 2011年7月15日 (金) 17:10 (UTC)
私がこの件が重要な論点だと考えましたのは、「「南京事件」も、全くの別名というより、「南京(虐殺)事件」の略称(日本語的に刺激的・断定的な表現を外しただけの、曖昧化や言い換え語に近い)という面もある」というRabit gtiさんの発言における「日本語的に刺激的・断定的な表現を外しただけの、曖昧化や言い換え」という指摘については、違うのではないか、と思ったからです。また、大和屋敷さんの「南京暴虐事件」という改名提案に関する議論でもありましたような「学術的な正式名称」という論点についても、関係する、と思われたからです。
keiさんの指摘なさった「サンプル数」の点については、たしかに他の百科事典における立項の調査なども必要であるかとは思われますが、この件については、PSIAさんも改めて指摘されております通り、一般性は両名称とも満たしているため採用規準としては争えない、ついで、中立性の規準において採用が検討されたわけですが、これについては日本語における使用実態の点から、「南京事件」の方が適切であるというところで、ほぼ手打ちとなっています。
以下、説明を補足します。
  • 1)一般性において「南京事件」「南京大虐殺」もほぼ同等であるため、僅差についての配慮などが提案されていましたが、「僅差」ということであればTruesightさんのCiNii 検索調査[111]をによって、「南京事件」とする方が適切である。
  • 2)ついで、ウィキペディア各国語版での立項や「国際会議での通用」(しかしこれも信頼性に足る出典を明記する必要があると思います)などの論点を持ち出されたため、これについては、日本語版である以上、日本語圏での使用実態を配慮すべきことを指摘しました。
  • 3)また、Rabit gtiさんの[112]における9の発言「1970年代に「南京大虐殺」が多いのは当時の書籍や「進歩的文化人」の影響、最近「南京事件」が多いのは、ソ連崩壊後にいわゆるネット右翼的出版が増加した影響で、どちらも学術的というよりは、政治的情勢による現象と思います。」という発言に対して、1956年の『世界歴史事典』、1961年の『アジア歴史事典』にもすでに「南京事件」は採用されているという実例をもって、反証したのです。すなわち、「最近「南京事件」が使用されている」のは間違いであり、すでに1950年代より、いわゆる肯定派を含む歴史学者間においても、「南京事件」を辞典において採用していた。したがって、「南京事件」は、肯定派・否定派ともに使用されるものであり、この歴史学における通例という観点からも、「南京事件」の方が、「南京大虐殺」より、学術的な一般性が高い。
  • 4)それから、笠原前掲書にもありますように、「南京大虐殺」が朝日新聞をはじめ「一般化」していった経緯を考えましても、「南京大虐殺」は、論争を契機としたものであり、英語版なども出典が本田勝一氏の本であったりすることから考えても、やはり「中立性」において、「南京大虐殺」は「南京事件」に比べて劣る。この点、まさにRabit gtiさんのおっしゃる「政治的情勢による現象」であるといえるかとおもいます。
本節に「(歴史学における呼称)」と付与したのは、そのような理由です。つまり、これはたんに「略称か否かを論点としているのではありません。
また、たしかにRabit gtiさんは略称についてたしかに「明示的な主張」をされたわけではありませんが、「略称性」について指摘されたわけで、その「略称」問題は、「歴史学のおける呼称(通例)」といった問題へと展開するものであり、かつそれは、過去に議題ともされた「学術的な正式名称(正式性)」の問題にも共通すると思われたわけです。--西方 2011年7月15日 (金) 21:16 (UTC)  大和屋敷さんの示唆をうけ、本件の調査に関して加筆しました。--西方 2011年7月15日 (金) 22:51 (UTC)
(ご連絡)呼称の二分法(大きくは「南京事件」「南京大虐殺」のいずれかデアル)はさすがに踏み込みすぎのような気がしましたので文旨を丸めました。--大和屋敷 2011年7月16日 (土) 02:21 (UTC)
コメント多数の発言を元に独自の推測を重ねられているようですが、上記のように「略称は記事名に不適当」と私が発言した事実はありません。私は逆に、一般論として何が「略称」かは相対的な話で、例えば「南京大虐殺」も略称とも言える、と書いています。ただし、略称は便利で使用頻度も高い反面、略の程度に応じて曖昧さは拡大します。このためWikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」には逆行する側面があります(例:南京戦、ロス事件)。--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 03:15 (UTC)
日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」というのは最も記事内容を正確に表し、理解しやすい用語であることということです。本件は大虐殺があったのかどうかが専門家の間でも大きな論争となっているものです。大虐殺が実際にあったのであれば「南京大虐殺」は正確で理解しやすい用語でしょうが、大虐殺の有無がわからない現状では、大虐殺の名を冠した記事名では正確どころか全く誤っている可能性もあるわけです。そういった意味では、「南京事件」が最も正確で理解しやすい用語であり、引いては「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」であるということがいえそうです。--Truesight 2011年7月16日 (土) 09:51 (UTC)
コメントTruesightさんの見解もわかりますが、その見解に従うと少数派であれ否定論の存在する事件(ホロコーストアルメニア人虐殺問題シンガポール華僑虐殺事件など歴史上の虐殺の多数)は「より中立的(曖昧)な記事名に順次改名すべき」という事になりますが、それでは「戦争犯罪事典」には適切でも、一般向け百科事典になりません。また仮に「ナチスによるユダヤ人虐殺はほぼ事実だが、南京は大きな議論中」とするのも、判断基準が不明瞭で中立的ではなくなってしまいます。私の見解は、Wikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」を素直に読んで適用すべき、というものです。具体的には「現在判明した事実や進行中の議論に応じて歴史的な名称を安易に変えるべきではない。一般の普及度が変わった場合のみ、選択肢から曖昧さの低い(他の事件とより紛らわしくなく、事件の分野のより判る)呼称を選ぶべき。」というものです。事実に応じて記事名を変えようとすると、少数意見でも否定論があれば「地名のみ」のような曖昧な(無難だが分野が全く分からない)呼称を選択せざるを得なくなってしまい。「南京事件」は日本語で「南京での事件」との意味しか持ちません。日中戦争の話題では「南京事件」で通じますが、中国の歴史の話題では「南京事件」では意味不明です。Wikipedia:日本中心にならないようにでは、概要の冒頭に「ウィキペディア日本語版は、理念としては日本語で提供される百科事典であって、「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でもない」とあります(このため北方領土問題なども、日本側の主張だけでなく、両論併記されています。)また歴史的用語は「大化の改新」や「明治維新」や「南蛮」や「邪馬台国」や「ネッシー」と同様、中立的かどうかとか、存在するかどうかとは全く関係なく、単に一般に普及しかつ曖昧でない(= 事件の種類が分かる)記事名が適切と思います。なお、当事件は、先に事件が存在して後から内容や規模が話題になったのではなく、東京裁判で検察側からいきなり「南京攻略の際に大規模な虐殺があった」とされた話であり、これに対する各種の「否定論」も、当時の人口推移、市内の平穏度、列強の認知、死体処理の可能性などを根拠に「いわゆる南京大虐殺(とされる数十万人規模の大規模な虐殺)は無かった、あるいは捕虜や市民の多数殺害はあっても当時は合法」などであり、「非武装の捕虜や市民の多数の殺害自体が全く無かった」との否定論は事実上無く、肯定論・否定論とも「南京大虐殺」を大前提にした用語・議論がされています。いずれの面でも当事件は「南京で大規模な虐殺があったとされる事件」として(のみ)当初も現在も存在している事件(呼称)であり、現在から見てそれが事実かどうかは別問題ですし、議論が続いている事は記事内に明記済です。なお「南京事件」と似たネーミングには「通州事件」などもありますが、これらは襲撃など全体を「事件」とした呼称です。南京は南京攻略戦が並存している事もあり、当事件は通常、放火・虐殺・強姦など(のみ)に関しての呼称です。ところで私の意見はノート:南京攻略戦#改名提案Sweeper tamontenさんの意見[113]ともほぼ同じですが、その改名提案をされた西方さんが、「南京攻略戦」では中立的かつ多数使用されている呼称(南京戦)への改名提案を簡単に撤回[114]された事は非常に驚きましたが、その後も「南京」では従来の意見を続けているのは、更に非常に不可解です。特定の記事に応じて判断基準を変えるのでは、それ自体が中立的では無いと思います。--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 16:52 (UTC)
特定の記事に応じて判断基準を変えているというのはRabit gtiさんじゃありませんか。通州事件などは大虐殺があったのは確実ですが事件です。襲撃があったのであれば大虐殺があったとしても「事件」であり「大虐殺」ではないなんていう意見ははじめて聞きました。加えて一般での流通度も近年では「南京事件」の方が多いのも既に示したとおりです。更に中立的な観点からしても「南京事件」が適切なのも論を待ちません。それに「南京事件」があいまいとのご意見ですが、現在、日本語で単に「南京事件」といえば当事件のことを指します。元来、日本語の「事件」には平時にみられない異変という意味合いが在ります。「大虐殺があった」も「事件」で表せるのです。本件は大虐殺があったのかなかったのか不明な事件であり、あったとする立場、なかったとする立場、両方の観点からして「事件」が中立的かつ妥当なのです。--Truesight 2011年7月16日 (土) 19:20 (UTC)

(インデント戻し)南京攻略戦の案件は別だからですし、私としては、十分な審議と思われたから撤回したまでです。あと、私は、この議論に参加したときから、細かいところでは議論の結果、いろいろ認識も変わりはしましたが、基本的な主張、すなわち「南京事件」が適切との見解は変わっておりません。Rabit gti さんは、「編集者は各項目の編集にわたって(政治的/思想的な)一貫性が要請されるべき」と考えておられるような発言をされておりますが、それはあなたの個人的な要請にすぎないと思われます。ホロコーストその他の記事についてですが、それは、それぞれの記事のノートで議論すればよいと思います。--西方 2011年7月16日 (土) 23:56 (UTC) …ですし、そもそもホロコーストナチスによるユダヤ人大虐殺という記事名ではありませんし。「ホロコースト」は名称そのものとしては、中立性はあるでしょう。(ホロコーストという言葉は元来はユダヤ教の典礼の言葉ですが)--西方 2011年7月17日 (日) 00:07 (UTC)

改名提案[編集]

報告 Dr jimmyさんが「南京暴虐事件」への改名提案タグの除去[115]をして頂いたので、私はノートの議論の実態に合わせ「南京大虐殺」への改名提案タグを復活させました[116]。経緯より改名議論は長期間続く事が予想されますが、議論が続く限りは、いずれの記事名でも他の改名案タグを掲示しておくべきと思います。--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 17:08 (UTC)

コメント大和屋敷さんが、要約欄やノートへのコメント無しに修正されましたが[117]、「改名提案」が出続けている事自体は客観的事実です。立場にかかわらず、タグは内容を明確に表すものにすべきです。「南京暴虐事件」は事実上、既に議論停止状態ですが、仮に継続としても最低でも「南京大虐殺」「南京暴虐事件」併記の「改名提案」タグと考え、反映しました[118]。--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 17:22 (UTC)
この件につきましては現在の小項目の主題と無関係ですので、とりあえずRabit gtiさんのノートへ返答しました。モメるようならこちらで小項目を作って別途やりましょう。とりあえず。--大和屋敷 2011年7月16日 (土) 17:32 (UTC)
コメント (改名タグの話以降を、節名「改名提案」としました)大和屋敷さんから私の会話ページに、上記タグの件の説明を頂きました[119]が、大和屋敷さんの認識では「南京大虐殺への改名提案は明示的にはいまのところ提出されていないと思います」とのことです。私は当ノートを見て(自分自身を除外したとしても)「南京大虐殺への改名提案は複数の方から出続けている」としか読めません。しかし過去の書き込みの解釈より、より建設的に、現時点での皆様の提案を伺いたいと思います。現在の「南京事件」から、「南京大虐殺」またはその他の記事名への改名提案を明示的に行う方はいらっしゃいますか?--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 17:48 (UTC)
節化いただきご足労さまでした。ノートのほうにも投稿させて頂きましたが、改名告知テンプレートは改名提案(Wikipedia:ページの改名)の作業工程の一環として用意されたものですので、編集者が好き勝手に便利使いするのは正しくありません。一方でRabit gtiさんにより新規に「南京大虐殺」への改名提案をしていただくことは可能ですが、この場合すでに上節で検討していただいてる議論をむりやり打ち切り動議をおこなうかのような印象となってしまうので編集検討にすでに参加頂いている諸氏に失礼にあたるのではないかと懸念しております。ここは実体にあわせて「告知」テンプレートにて「ノートにて記事タイトルについて議論している」趣旨を公知しておくのが穏当なのではないでしょうか。--大和屋敷 2011年7月16日 (土) 17:58 (UTC)
コメント 繰り返しますが、私の認識は「複数の方より改名提案は出続けている」です。上記の呼びかけは単なる確認です。また仮に「今回新規に改名提案が出された」としても(私は到底そうは思えませんが)、「すでに上節で検討していただいてる議論をむりやり打ち切り動議をおこなうかのような印象となってしまう」というのは全く意味不明です。多くの記事で、改名提案は他の議論と平行して行われていますし、今回は実質的に改名議論が延々と続いており、別の議論が開始される訳でも、従来の話が打ち切りになる訳でもありません(国会での動議とは違います)。以上は大和屋敷さんも良くご存知ではありませんか?--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 18:21 (UTC)
コメント 再確認しましたが、2011年2月1日 (火) 12:50に、ちゃんこなべさんにより「南京大虐殺」への改名提案タグが掲示され[120]、当時の議論は現在も続いています。しかし 2011年5月1日 (日) 03:19 に、大和屋敷さんにより「南京暴虐事件」への改名提案タグに書き換えられました[121](当時、「南京大虐殺」への改名議論が、議論停止であった訳ではありません。この#改名提案:「南京暴虐事件」は、直後より「南京事件」支持者を含む大多数の方より反対され、賛同者は皆無です。また、大和屋敷さんは自分の改名提案直後にWikipedia:コメント依頼/疑問を出し、「別の改名提案が阻害されています」も理由とする、非常に疑問な行為を行っています)。他方、「南京暴虐事件」への改名提案は、Dr jimmyさんの要約欄[122]の通り、明らかに議論停止中です。つまり、大和屋敷さんは、議論中の「南京大虐殺」への改名提案タグを勝手に除去し、議論継続中にかかわらず、その復活には「新規の改名提案と手続きが必要」と主張しています。今後とも、大和屋敷さんが「新規提案」すれば元の提案タグは削除され、そのタグ復活には新規提案が必要なのでしょうか?議論での立場にかからわず、このような恣意的で公正さを欠く行為(実質的な議論の妨害行為)は、Wikipedia:合意形成の観点からも行うべきでは無いと考えます。大和屋敷さんが議論も合意も無く削除した「南京大虐殺」への改名提案タグは、改名議論が続いている限りは、読者への注意喚起として掲示されているべきです。--Rabit gti 2011年7月16日 (土) 18:56 (UTC)

コメント改名提案は行っても問題ないのですが、しかしRabit gtiさんは長い議論の当事者ですし、そのことを考慮しますと、新しい出典や、なんらかの検証可能な新しい根拠に基づい形で、改名提案をされるべきだと思います。…ただ、よくわからないのですが、Rabit gtiは、改名提案をされていないのですよね?「改名提案をされる方によびかけている」のみで。なお、改名については、基本的に、一週間の告知期間をまって、反対意見がなければ改名できますが、反対意見がある場合は、改名はできません。あと、「「南京大虐殺」への改名提案タグは、改名議論が続いている限りは、読者への注意喚起として掲示されているべき」とのご意見についてですが、改名提案を「注意喚起」として利用することには、私は反対します。「この記事には議論がある」または告知タグで十分だと思います。--西方 2011年7月16日 (土) 23:43 (UTC)

コメント私の知るところでは2010年6月より現在までの議論は、1)一貫して本記事のタイトルについての議論。2)一時、南京暴虐事件の提案がなされたが、賛同者は皆無で再び「南京事件」もしくは「南京大虐殺」のいずれかについての議論となっている。3)「南京大虐殺」への改名提案タグ除去は議論終了によるものでなく、依然として進行中であった議論を一方的に除去された物(Rabit gti氏と同意見)。よって、「南京大虐殺」への改名提案タグは必要と考えます。何よりも「南京暴虐事件への改名提案」で、反対意見しか集中しなかった時点で、提案されたご本人が自ら「提案を引きとって」いただき、元の「南京大虐殺への改名提案」に差し替えるべきことだったと考えます。枝葉末節な議論は素早く合意して本質的な部分を議論していきませんか。手続き関係はあまり存じませんが、手続きに則って「改名提案タグ」貼付で収まる問題であれば、私が行いますが。--kei 2011年7月17日 (日) 01:58 (UTC)

あえて告知タグに戻してしまったことは、意味がないというか適切とは思いません。タグは改名の語論があった時点でつけるのにさしつかえなく、つけるかつけないかという合意は必要としません。また改名提案タグは添付された後は議論が終了するまで(あるいは明らかに放置されてる場合を除いて)勝手にはがすべきではありませんでした。[テンプレートの説明を読んでください] 手続きが足りないと思ったのなら、他人でも率先して改名提案した方が良かったですね。提案が通ろうが通るまいが、仲良くやって下さいという事です。--Dictionwolf 2011年7月17日 (日) 03:14 (UTC)他の方のコメントに手を入れてすみませんが、段落が崩れるので改行のみ1箇所削除させて頂きました--Rabit gti 2011年7月17日 (日) 15:30 (UTC)

えっと改名提案がどこにあるのですか?改名提案には正式手順があります。正式手順としてタグもあるのです。まずやり方を覚えてから行っていただきたい。「南京大虐殺」とすべき理由をしっかり記載し、正式手順でお願いしますね。できれば何度も同じ事を繰り返すような、すでに反論された改名理由でないことを祈ります。なぜなら改名提案とは提案してから一週間以内に反対の声が出れば、その反対の人を説得し、合意を得なければ改名は無理だからです。これまで散々反論されてきた理由を繰り返すだけでは無駄な改名提案となりますので。--PSIA 2011年7月17日 (日) 14:52 (UTC)

コメント 西方さんへ。私を「長い議論の当事者」とありますが、私は当初の改名や、その後の「差し戻し」議論には全く参加も拝見もしておらず、「南京暴虐事件」改名提案が出されて紛糾を極めた後に、Wikipedia:コメント依頼/疑問を拝見して2011年5月1日 (日) 15:10 (UTC)に参加しました[123]。現在は「当事者」かも知れませんが、従来からの大多数の方々ほど長くありません(相対的な話ですが)。私が「改名提案」しないのは、私が上述のようにコメント依頼を拝見して来た時には、既に「南京事件」派と「南京大虐殺」派の間で激しい改名議論が展開中で、それを「従来は改名提案されていなかったので新規にすべき」との意見は、全く実情と異なるためです。なおWikipedia:ページの改名では、タグ掲示やWikipedia:改名提案への告知は「推奨」で、必須要件ではありません(私個人は過去の約10件の改名ではこの推奨手順に従っていますが)。また改名に限らず提案や議論には常にWikipedia:説明責任を伴いますが、過去の「南京事件」への改名提案時も含め、特に新しい出典や根拠がガイド上必須とは認識していません(実際には必要に応じてまとめますが)。ウィキペディアのルールや手順は厳密ではなく曖昧なので、コミュニティの実質的な議論と合意形成が重視されている、と思っています(裁判とは異なり、過去のどれが無効とか有効とか、どの手順が必須とか、自分の都合に応じてガイド以上に議論するのは不毛と思っています。)。私の「注意喚起」との表現は不適切だったかもしれません。「改名の提案が実質的にも続いている間は、改名提案タグの掲示が推奨されている」と思います。(具体的な提案ではなく、タイトルにまつわる相談程度なら、告知タグが適切と思いますが。)--Rabit gti 2011年7月17日 (日) 15:30 (UTC)
Rabit gti氏はいったい何がしたいのでしょうか?改名提案がしたいならガイドラインどおりの方法でササっとやれば、ここの誰からの異論は出ないんですよ。改名提案がしたいのであれば、そんな簡単なこともやる気ないのでしょうか?推奨されているのですから、推奨どおりにやればいいのですよ。これだけ議論されている記事を改名しようとするならば、正式な、そして推奨されている方法に則ってやるべきでしょう。また「南京大虐殺」とすべきとする改名の提案が現在のところコチラで見当たりませんよ。で、ありながら改名テンプレートってなんですか?--PSIA 2011年7月17日 (日) 16:04 (UTC)
コメント2月の改名提案タグが確認済ですので、以後の私の見解は「新規の改名提案ではなく、改名議論も改名提案タグも2月より続いている。しかし改名提案タグは議論も合意も無く5月に不適切に削除されたため、このタグのみ議論の実際に合わせ復旧すべき」です。2011年2月1日 (火) 12:50に、ちゃんこなべさんにより「南京大虐殺」への改名提案タグが掲示済[124]。このタグ掲示が不当という指摘は見当たりません。ところが2011年5月1日 (日) 03:19 に大和屋敷さんが議論も合意も無く「南京暴虐事件」への改名提案タグに書き換えました[125]。この#改名提案:「南京暴虐事件」は賛同者が無く議論停止中ですが、そもそも「改名案は1時点で1つのみ、前の議論は停止すべき」などのルールは無く、5月の改名提案タグは「南京大虐殺または南京暴虐事件への改名が提案されています」と併記が適切だったものです(タグ復旧で議論の進め方が変わる事は無く、タグは議論実態に合わせるべきです。)なお、過去の「南京事件」への改名が、後に「重要な内容にかかわらず拙速」と非常に多数の方から批判された訳なので、仮に今後に別の改名提案の際はPSIAさんご指摘のように、特に慎重に、推奨に従うべきと思うのは同意見です。--Rabit gti 2011年7月18日 (月) 03:42 (UTC)
手続きは済ませました。本題はこんなタグの争いではなかったはずです。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 04:29 (UTC)
では改名提案者は南京大虐殺に改名すべきであるとの趣旨説明から宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年7月18日 (月) 04:38 (UTC)
趣旨をお知りになりたい方は、大和屋敷氏によって同意を取らずに強制終了させられてしまっているノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2および、このページの目次2以下をご覧下さい。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 05:52 (UTC)

既に当初の改名提案から半年以上が経過し、未だに改名へのコミュニティの合意が得られていない状況です。また、この間、2,3度実施された改名投票も否決されている状況です。当初挙げられていた改名根拠も長きに亘る議論にてそれぞれ反駁されている状況であり、今回新たに改名提案が提出されたのを機会とし、議論の内容を反映した改名の根拠をきちんとご提示願えませんでしょうか。--Truesight 2011年7月18日 (月) 06:28 (UTC)

改名提案者は南京大虐殺に改名すべきであるとの趣旨説明から宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年7月18日 (月) 06:52 (UTC)
説明不足ですみません。 今までの経緯から考えて、私は遅ればせながらリソースの無駄で非生産的なタグ論争を解決するために代理で行ったまでであって、新たな動議提出などではありません。 長い参加者および当事者であるならそこはご理解下さい。 ちゃんこなべさんの改名提案はいまだ有効ですし、こんな手続きは早期の段階で(私も含めて)誰か気を利かせてちゃんこなべ氏に、本格的にやるなら「推奨されている手続きをした方が良いですよ」と案内すればよかっただけの事です。また合意によって投票宣言もないうちに、意見が投票風になったからと言って「否決」になったりはしません。 
ちなみに、この議論の中で、ほぼ結論された議論は、前回の改名方法についてたった7日は短すぎるから不成立参加人数がたった2名だったから不成立という考え方だけであって、前回の改名は依頼によって管理人の手によって実行されていることも踏まえて、この記事名への改名は有効だったと考えます。 (ウィキペディアではそれを認めています。) これと、その結果を疑問視しての改名提案は別という事です。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 08:28 (UTC)
ちょっと厳しい言い方になりますが、代理で行ったというからにはご本人からの依頼を受けているのでしょうか。それに代理であるのならば提案手続きにそって根拠説明を行うことも必要となってくるのではないでしょうか。これはWikipediaに限らずどこの世界でも常識です。委任なくして本人の行為を代理で行った、責任は本人にあるという言い訳は通りません。たとえば、改名提案は提案である以上、趣旨説明が望まれますが、代理者は、「私は代理だから知らない」、依頼者は「そんなことは聞いていない」ではお話になりません。それとほぼ結論された議論として「たった7日は短すぎるから不成立」、「参加人数がたった2名だったから不成立」という話を挙げられてますが、これはどこで、いつ結論されたのでしょうか?改名提案の公示期間は一週間以上だし、議論の合意に人数は関係ありません。そのようなガイドラインに定められたルールに反する結論がいつ、どこで出されたのかお聞きしたい。それと「意見が投票風になったからと言って「否決」になったりはしません。」とありますが、2011年1月30日から2月12日まで寄せられた投票では賛成3反対8という形で否決されているように見えます(ちゃんこなべさん自身賛成票を投じて投票に参加しています)。ここでは改名賛成派のMiki08さんが(賛成票を投じ、自身も投票に参加した後)でコメントを行い、なし崩し的に議論が継続していったようです。3月15日から3月19日に亘って行われた投票は「記事名は " 南京大虐殺(南京事件)"」の両論併記とすべしとのMiki08さんの意見に対するものでしたが、これに対して真っ先に賛成票を投じたのはちゃんこなべさんです。次にkeiさんが続き、他2名賛成で賛成4反対は5名でした。これはMiki08さんの意見表明に続いて突然投票となった形であるのは否めませんが、先に書いたように真っ先に賛成票を投じたのは賛成派のちゃんこなべさんでした(大勢が決まった後に「私の認識としては、まだ投票の段階ではありません。これだけの議論が白熱する問題ですから、ちゃんと投票所を設けて投票を行うべきでしょう。」と発言し議論を継続したのもちゃんこなべ氏)。本来、投票ではないのであれば、誰かにより投票が行われた際に自らは参加せずに投票ではないと意見表明すべきでしょう。自らも参加しておいて投票後にこれは投票ではなかったでは済まない話です。まるで意に沿わぬ投票結果には従わないといっているようなものです。それにもし、上2回の投票が改名賛成派が多数であった場合は改名は行われなかったのでしょうか?正直いって甚だ疑問です。いろいろと済んだことも書きましたが今回改名提案を出されたのはDictionwolfさんです。代理で行ったというのならば百歩譲ってそれでもいいでしょう。ただし、そうであるのならば、趣旨説明もきちんと代理を果たして欲しいと思います。一部の行為は私が行った、他は知らんというのであれば、誰が説明責任をとるのでしょうか。--Truesight 2011年7月18日 (月) 09:28 (UTC)誤字訂正など--Truesight 2011年7月18日 (月) 09:36 (UTC)
本人が投票しようがしまいが、いいかげんな投票行為は勝っても負けても、それで何かが決まるものではありません。また説明責任については、まとまっていなくとも(不便ではありますが)ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2および、このページの目次2以下をご覧下さい。と言えば十分です。 私が下手にまとめるとオレの意見が勝手に消された、ゆがめられたなどということになりかねません。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 10:01 (UTC)
改名賛成論者も含む議論参加者による投票行為によって改名が否決されているのに代わりありません。いい加減な投票行為にしたのは否決された改名賛成論者の投票後の姿勢です。たとえば、あくまでも投票を拒否するのであれば、上の議論ではぬまんさんがやったように、はなから投票行為そのものに反対すべきでした。さて、今回、あなたは代理で提案を出したといってますが、既にちゃんこなべさんが議論に参加しなくなってから3ヶ月が経過しています。或いはちゃんこなべさんもご意見を変えられているかもしれません。そこらへんは確認されているのでしょうか。また、この3ヶ月の間、議論を行い、新たな材料も出ているのに今更3ヶ月前の反駁されている根拠を挙げるというのはあまりにもいい加減ではないですか?それとこちら、「「たった7日は短すぎるから不成立」、「参加人数がたった2名だったから不成立」という話を挙げられてますが、これはどこで、いつ結論されたのでしょうか?」についてもご回答いただけますか。--Truesight 2011年7月18日 (月) 10:50 (UTC)

改名提案が出て7日何も反論がなければ、改名されても不適切はありません。そんなことは最初から結論されています。 その結果大きな議論が起きて元の名前に改名提案されることもいたって健全です。 一度改名提案されれば、本人が来なくなっても、新たな反対者が残っていれば、一応確認をとって終了するまで、ずっと継続中です。 確かに手続きとして今回のタイミングは理想的ではありませんでしたが、だれも気づかなかった面もあったわけで、改名提案のテンプレートを張ることについては、誰の不利益になる話でもなく、スムーズに議論を本筋に戻すための協力の一環として、Truesightさんが単に納得すれば済む話です。 これ以上あれこれ言われてもどうしようもありません。--Dictionwolf 2011年7月18日 (月) 11:34 (UTC)

コメント2010年6月の改名提案より現在まで、停止すること無く議論が続いているのは皆さんもご存知のはずです。それでも提案を反対されたり、趣旨説明から始めろというのは程度の低い意地悪にしか見えません。どこかの掲示板での喧嘩じゃないんですから、本質的な議論を進めていきましょう。--kei 2011年7月18日 (月) 14:58 (UTC)

「南京暴虐事件」への改名提案テンプレートが貼り付けられたようですが、改名提案した大和屋敷氏にお聞きしたいのですが、今も提案は継続してされているのでしょうか?見たところ「南京暴虐事件」の改名提案は終了した感があるのですが、いかがでしょうか?もし提案をすでに終了と言う判断で取り下げていらっしゃるならば終了したならばテンプレートをはずしたほうが良いと思うのですが。
また、繰り返しますが「南京大虐殺」に改名したいという人がいるのであれば、その理由をしっかり書くなど、第三者がわかれうように提案し、そして告知してください。確かに過去「ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2」において「南京大虐殺」への提案がなされましたが、反対の声が多く、提案者および賛同者はその反対者の一人も納得・説得することができませんでした。合意を得ることができなければ改名は不可能であり、いったい何を繰り返ししたいのか?新たな反対者を説得できる意見でもあるのか?激しく疑問です。もし繰り返しならいい加減に「いつまでも納得しない姿勢」はいい加減にしていただきたい。とにかく一度通らなかった提案を再度したいのであれば、第三者にもはっきりわかるように新たに提案してください。それすらやる気のない程度の提案ならやらなくて結構です。--PSIA 2011年7月18日 (月) 15:33 (UTC)
コメント 何名かの方のコメントを拝見すると、話がずれていると思います。今回の話は「2月に掲示された改名提案タグが、5月に大和屋敷さんにより不適切なタグ削除が行われた。その際の大和屋敷さんの主張は「南京暴虐事件」提案だったが、これすらも既に議論停止で要削除となったので、現状に合わせタグを復旧すべき」というものです。これから新規提案を行うのではありません。なお、仮に「過去に改名提案はされていない」(例えば形式上の提案宣言し忘れのまま、双方で改名議論が先行)と解釈する立場ならば、議論は先行しており、更に別の論点を要求するのでは論理矛盾です。ただしWikipedia:ページの改名では、「そのページのノートで、改名提案の趣旨を述べてください」とあるだけで、特定の「提案宣言」用語や形式が必要と記載されてはいません。趣旨説明と議論は、2月以降続いておりログも読めます。(「南京大虐殺(ホロコースト)は実は存在しなかった」論ではないので、「改名提案は実は存在しなかった」論を形式論で続けるのは建設的でなく不毛です。)なお、大和屋敷さんに伺いますが、5月のタグ削除(置き換え)は、現在でも「適切だった」とお考えですか?「南京暴虐事件」の提案や、直後の疑問のあるコメント依頼もそうですが、ご自分の強引な行為は説明責任を果たさず、その強引な削除を復元しようとする相手に色々な条件を一方的に押し付けるのでは、「やったもの勝ち」と同じで、Wikipedia:合意形成の姿勢に反しています。(私は5月に当ノートに参加以来、大和屋敷さんの自主的な改善を期待して間接的表現を続けて来ましたが、残念ながら改善姿勢すら見られないならば、当ノートの主題とは異なるため、別途コメント依頼などの場を考えざるを得ません。)また、Truesightさんへのコメントですが、Miki08さんの当時の行為への批判を連ねていますが、その話が今回の、5月のタグ削除や、今回のタグ復旧、あるいは今後の記事名の話と直接関係があるとは思えません。なお当時のMiki08さんによる「投票」や、根拠のない「学会の常識」発言などは、私も批判しています。PSIAさんの「提案者および賛同者はその反対者の一人も納得・説得することができませんでした。」は、「南京事件」派も、「南京大虐殺」派も、同じ立場です。「南京事件」派も、反対派を説得できた事もありません。そもそも、今回のような政治的に対立しやすい議論では、長年「平行線」が続くのも当然です。特定の1名が「いつまでも納得しない」例でもありません。仮にこの程度で苛立つならば、ウィキペディアの政治関係の議論に参加されない方が良いかもしれません(お互いにデメリットを持つのは良くありません)。むしろ「相手がいつまでも納得しない」と思って苛立ち、相手を強く批判して「相手を追い出そう、議論を封じ込めよう」とする(ように見られる)姿勢が、逆効果で紛糾を拡大している側面が非常に大きいと思います。実際、当ノートで議論紛糾するのは、強引な編集や発言があった後です。Wikipedia:合意形成では「合意は共同作業について礼儀正しく誠実な努力を行う編集者間のみに役立ちます。合意を形成している際には中立性に対して特に注意しなくてはなりません。つまり、誰もが同意できる案になるように活動する際には中立を維持するということです。」ともあります。(私自身、特定の意見を主張していますが、少なくとも強引な表現はすべきでは無いと思います)。--Rabit gti 2011年7月18日 (月) 15:56 (UTC) (追記)Truesightさんは、ちゃんこなべさん個人の現在の意向確認を提案されていますが、ウィキペディアでの提案は人に依存する(タグ掲示者がオーナーとなる)訳ではありません。説明責任として意見と議論の継続は必要ですが、同一人物が継承している必要がある訳ではありません。(どうも、無理に主張を通す目的で、都合の良いガイドの解釈をされる方が多いと感じています。他の記事の議論でも、最初の提案者が誰とか、誰に継承したとか、確認が必要とされる事はありません。)3か月、議論に中断があったのでもなく、継続している議論です。--Rabit gti 2011年7月18日 (月) 16:06 (UTC)
継続していません。どこに「南京大虐殺とすべき」という意見が継続されているのでしょうか?「ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2」において提案がなされ、告知され、管理者も含めた第三者が訪れて多くの反対の声が出ました。その後、ぷっつりその節の話は途切れ、提案者も消えてしまっています。慣習的に2週間異論も出さず放置されれば、その話については合意(この件の場合は「南京大虐殺に改名したい派」が反対者を合意させるできなかったという合意)が成立したとみなされても仕方がありません。その後にはkei氏が「タイトル差戻し提案」なるものをしました。これも「南京大虐殺改名提案」とは違うものです。その後転々と話は変わり、「南京暴虐事件の改名提案」、「略称なのかどうか」などなど。そして現在に至ります。
第三者にも改名提案として示した告知した節は放置され、その後は別の話に移行していたことからして「南京大虐殺改名提案」はすでに終了とみなされても致し方ありません。仮にもし「継続」とするならば、「ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2」で反対した方、全員の合意を得てこなければ改名は無理と言うことにもなります。提案者もいなくなった現在、誰がそれをおこなうのでしょう?Rabit gtiさんですか?
過去ログにもなってしまっていますし、提案者も消えてしまいましたし、もし「南京大虐殺」への改名が必要と考える人が現在いるならば、改めて第三者に告知し提案してください。ということです。何をどうしたいのか?その理由は何か?それを示す提案者もいないのに何もできませんからね。
また、『「南京事件」派も、「南京大虐殺」派も、同じ立場です。』とのことですが、この件に関しては違います。「南京大虐殺」派が「南京事件」派を説得し合意を得なければ改名は無理なのですから、「南京大虐殺」派に相手を説得する必要性があるのです。そして、新たな意見・説得材料もなく、一度多くの反対者に否定された意見(提案)を再び繰り返すのであれば、それは「駄々をこねている」だけと見られても仕方がないでしょう。--PSIA 2011年7月18日 (月) 17:22 (UTC)

以前のやり取りを再掲します。

論点を絞っていっているのですから、議論の進行を「堂々巡り」にしないでください。現在、この小節での案件は「方針がガイドラインに優先することについて」です。これについて、何も見解がないのであれば、こちらに記入しないでください。なんのための小節化していると思いますか?--西方 2011年6月28日 (火) 13:25 (UTC)


小節化については、現在の話題は全て「改名」に関するものなので、最新の記述場所が上下に移動するよりも常に最下部分に記述される方が、読み落としや話題のバラつきも防げるのではと思います。こちらとしては、もう少し小節化するのを控えていただきたいと思うぐらいなんですが。--kei 2011年6月28日 (火) 14:30 (UTC)


どこの節にしようか迷ったのですが、一番下のほうが可読性の面でよいだろうと考えここにコメントします。--有足魚 2011年6月28日 (火) 16:14 (UTC)


小節化については、たしかに、逆に、あとから読むうえで可読性を損ねる場合もあるのかもしれませんが、論点を節化することで、可視化に寄与できるかもしれないと考えた次第です。うーん、keiさんのコメントも、そのような趣旨でしたら、さらに節化した方が、より誤解が防げたかもしれない、と私は思うのですがね…。Rabit gtiさん の「最低限」提案もご意見としては拝聴しますが、私自身は小節化してある方が読みやすいのです…。できるだけ、控えるようにはします。(~~~中略~~~)「南京大虐殺」→「南京事件(1937年)」への改名が第一の改名だとすれば、現在は、「南京事件(1937年)」→「南京大虐殺」または「南京暴虐事件」(その他「南京虐殺」など)へ改名提案され、この第二の改名提案については、議論が継続しており、現在、様々な論点において議論が展開していっているのだと思いますが。--西方 2011年6月28日 (火) 16:26 (UTC)

当時より議論参加し、こちらの記載を拝見していた方は議論が継続していると認識していると思いますよ。--kei 2011年7月19日 (火) 13:05 (UTC)

kei氏自身が「現在の話題は全て「改名」に関するもの」と仰っているように、「南京大虐殺」に限定した改名提案ではないわけですよ。「南京大虐殺」に限定した改名提案である「ノート:南京事件 (1937年)/過去ログ2」は放置され一段落しており、次の「(改名用語はころころ変わる)改名に関わる話題」に移っています。それはkei氏が提示した西方氏の「この第二の改名提案については、議論が継続しており、現在、様々な論点において議論が展開していっているのだと思います」にも出ていますね。つまり、「南京大虐殺」に限定した改名提案をしたいならば(「南京大虐殺」に限定した改名提案のテンプレを貼りたいならば)改めて正式な手順で提案をお願いします、ということです。また、「南京暴虐事件」に限定した改名提案もすでに終了しているようなので現在貼られているテンプレもズレているものです。現在はkei氏が主張しているように「全て「改名」に関するもの」であり、特定の用語の提案となっていませんので、大和屋敷氏が貼った{{告知|提案|記事タイトルについて|ノート:南京事件 (1937年)}}[126]のテンプレが最適なものでしょう。--PSIA 2011年7月19日 (火) 14:52 (UTC)
継続していないとされたから、継続している証拠をだしています。反論するのなら、どの部分で話題が相当期間途切れたのか、もしくは終了したのかをお示しください。--kei 2011年7月20日 (水) 15:34 (UTC)
議論そのものは継続していると思いますが、仕切り直しといいますか、「南京大虐殺」に限定した改名提案が正式の手続きが踏まれていないまま、という話だと思います。ただ、たしかに、これまでの議論が継続しているまま、新規に改名提案を行う場合は、改名提案を行っているDictionwolfさんもおっしゃるような困難もありますでしょうし、また「堂々巡り」になる懸念もあります。ですので、やはり、現在のやりとりに関しましては、告知タグの方がいいと思いますよ。双方にとって。実際、現在の「改名提案のやり方について」の議論も、厳密にいえば、「通常の改名提案後の議論」というものでもないですし。--西方 2011年7月20日 (水) 15:53 (UTC)
kei氏へ。「どの部分で途切れているか」はすでに示し、申しています。しっかり読んでください。「南京大虐殺」という用語限定の改名提案は告知した節で止まってしまいました。
西方氏の意見に同意します。現在は「南京事件 (1937年)」という記事名に疑義を持っている方が、あれやこれや訴えている状態ですから、やはり告知タグ[127]が適切なものですよね。--PSIA 2011年7月20日 (水) 19:15 (UTC)
申し訳ない。理解出来ません。具体的に時間軸(誰の、いつの発言)でお示しいただけますか。まずそこを明確にして認識を一致させましょう。そこから出発したほうが議論も進展しやすいですし。
それと本来の「改名」に関しての目的を確認したいのですが、1)「議論し合うことで正しいものを導きだす」ことか2)「自身が信じる見解を記事に反映させる」のどちらを求めますか?「議論し合うことで正しいものを導きだす」ことが目的であれば、「改名提案」であるのがBESTですし、「自身が信じる見解を記事に反映させる」ことが目的なら「告知」へと格下げすれば議論停滞を招く可能性があるので目的を達成する可能性は高まるでしょう。私はwikipediaは主張の押し合いのような2)では無く常に1)であって欲しいと願いますし、もし皆さんも1)を求めているのなら、それに最適なツールを選択すれば良いと考えます。--kei 2011年7月21日 (木) 14:13 (UTC)
うーん、どう説明すればいいでしょうか。たしかに実質的には「南京大虐殺」か「南京事件」かで議論は展開されています。しかし、形式的には、まだ「南京大虐殺」に限定した改名提案が行われていない、ということなのですが(ここでいう「改名提案」とは、正式な手続きのことです)。改名提案そのものも、「南京大虐殺」への改名提案も、もちろんあってしかるべきものでありますし、「改名提案をすべきでない」という話ではないのですが…。--西方 2011年7月21日 (木) 15:14 (UTC)
すでに「南京大虐殺」限定での改名提案は終了していることは、すでに書きまし、話の主旨は読んでいただければ一般の方ならば理解できると思いますので再度書きません。西方氏の仰るとおりです。まあ一応、まったく同じ内容の繰り返しな提案をされたようなので、こちらの節は無意味になったので次説の提案に移らせていただきます。--PSIA 2011年7月21日 (木) 17:30 (UTC)

kei氏により2011年3月31日(木)13:03に提示された提案[128]は「差し戻し提案」でありWikipedia:改名提案ではありません。改名手続きに則ったものではなくテンプレート塗布や改名提案告知[129]も行われていません。また同差し戻し提案は趣旨説明[130]にあるように「2010年6月14日の改名作業に至る編集検討の無効性」を一貫して主張するだけのものであり、すでに反論され決着しています。さて、ちゃんこなべ氏による2011年1月30日(日)13:55に提示された提案[131] はテンプレートの塗布、改名提案告知、趣旨説明をともなう正式な提案であります。ところがこの提案の提示者であるちゃんこなべ氏は2011年4月23日(土)00:25を最後に投稿を停止されており、あまつさえその議論を最初に打ち切り議論を撹乱させるかのような「差し戻し提案」を議論しはじめたのはkei氏2011年3月31日(木)13:03提案です。まずkei氏は議論の話題をみずから拡散させ、みずからちゃんこなべ氏の改名提案を打ち切ってしまい、Wikipedia編集検討の方向性を枉げてしまったことを自覚すべきです。大和屋敷が2011年5月1日(日)03:19に提案させていただいた打ち切り動議[132]はkei氏による不毛な差し戻し提案に対するものであってちゃんこなべ氏の改名提案に対するものではないことは、過去ログの記述を確認頂ければ明らかです。大和屋敷は大和屋敷のアイディアによる新規の改名案をもっており、この提案を新規に行うべくしばらく議論の推移を拝見していたのですが、kei氏により事実上打ち切られてしまったちゃんこなべ氏による議論が再開されそうもなく、しかたなく1ヶ月も続いたkei氏による「差し戻し提案」(提案後に即座に反論され[133]決着した内容についての議論)を打ち切らせて頂きました。以上疎明するようにkei氏の「差し戻し提案」に対する大和屋敷の打ち切りは動議は正当なものであり、議論混乱の責任はkei氏にあります。さて、それとは別にDictionwolfさんにより、今般新たに「南京大虐殺」への改名提案が提出されました。[134][135]Wikipedia:ページの改名におきましてはそのページのノートで改名提案の趣旨を述べることになっておりますので、提案者の方はノート:南京事件 (1937年)のほうで趣旨説明のほうをお願いします。--大和屋敷 2011年7月22日 (金) 02:00 (UTC)

改名の趣旨説明ならびにその根拠について[編集]

さて、上の改名テンプレートの話とは別に、前々から時期をみて問おうと考えていたのですが、ちゃんこなべ氏が「南京事件」→「南京大虐殺」の改名提案[136]をなされてから半年が経過しております。その間、さまざまな議論、新しい調査結果ももたらされたこともあり、氏の挙げられた改名根拠は現在必ずしも成立しているとはいえません。改名賛成派の諸氏には現今までの議論をかんがみた上で改めて改名の趣旨およびその根拠についてご説明いただきたくよろしくお願い致します。--Truesight 2011年7月18日 (月) 16:30 (UTC)

正式に改名提案を提出されたようなので、改名提案者は南京大虐殺に改名すべきであるとの趣旨説明から宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年7月19日 (火) 16:21 (UTC)
これですか・・・。提案せずに告知だけするって始めて見ましたわ。提案者の方は、きちんと「南京大虐殺」とすべき理由、材料などを出して、第三者にわかるように提案してください。--PSIA 2011年7月19日 (火) 20:14 (UTC)
Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことには手順を以下のように説明しています。
1.改名提案のテンプレートをページの先頭に貼ってください。
2.続いて、そのページのノートで、改名提案の趣旨を述べてください。
3.さらに、より多くの編集者に知ってもらうために、Wikipedia:改名提案への掲載を行ってください。
今回の改名提案では、現時点では2の趣旨説明の段階が飛ばされているようにも解釈しえます。
現在、どなたかが論点をまとめておられるかもしれませんが、もしあらためて改名理由がしめされない場合は、Wikipedia:編集合戦#移動合戦を誘発する行動ともとらえられます。そうなりますと、保護依頼の対象にもなりますので、早急に提示を願いたく思います。理由が示されない場合は、やはり告知タグにもどすべきだと思います(告知タグであれば、現在は合意に達せるはずだからです)。そして、そのあとで、つまり、改めて改名理由がまとめられた時点で、改名提案をされる方が私は賢明であると思います。--西方 2011年7月20日 (水) 13:41 (UTC)

とりあえず論点整理として提示いたします。(念のため、改名理由も兼ねていると認識ください。) 歴史事件における記事名のつけ方は「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」とされており、それに則れば「南京大虐殺」が最適な用語であると主張します。「一般的」というのは著名性と解釈し、問題として指摘される中立性については下記の通りと考えます。

著名性

CiNii 論文検索
南京大虐殺 (フリーワード)262 (論文名)258
南京虐殺  (フリーワード) 37 (論文名 )36
南京事件  (フリーワード)220 (論文名)215
OPAC 和図書
南京大虐殺 70
南京虐殺   22
南京事件   68
OPAC 雑誌記事検索
南京大虐殺 118
南京虐殺   9
南京事件  107
amazon 本(キーワード完全一致)
南京大虐殺 695件
南京虐殺  324件
南京事件   521件

上記検索の結果、OPACにおいては南京事件、南京大虐殺で大きな差は見られませんでした。また、サンプル数も比較的少ないので、比較検討の有効な条件を満たしたとは見ないこととします。一方、CiNii及びamazonで検索したところ、ある程度のサンプル数のもとで、いずれも南京事件よりも南京大虐殺が1.2倍以上の開きを見せています。

中立性

  1. どこから見ての中立かというのがあるので、特に問題は無いと考えます。また歴史事件における記事名のつけ方は、「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」とあり、中立性を要件とはしていない。
  2. 例えばルワンダ虐殺は加害者側であるフツ族(穏健派フツは除く)から見れば、中立的でないということになる。これをルワンダ事件とすれば、極めて曖昧な記事名となる。
  3. また外務省の公式HPでは事件名として「南京大虐殺」を採用している。
  4. 中立性に違反しているのなら、殆どの国で「虐殺」に相当する単語が使用されているwikkipdia各国版は全て方針に反していることになる。
  5. また著名性を調査した結果では、問題と主張のある「虐殺」の文字が入った「南京大虐殺」+「南京虐殺」と「南京事件」を比較すれば、「虐殺」を用いた書籍・論文が圧倒多数となるので、このような観点からも中立性に問題は見られないと考えます。--kei 2011年7月21日 (木) 15:21 (UTC)
  • もうしわけありませんが、まず改名提案者による趣旨説明を待っておりますので、他の編集検討者の方が論点整理などを披露されるのはお待ち頂けませんか?keiさんが改名提案者としての地位を引き継がれるのでしたら、正式に改名提案者(Dictionwolfさん)から引き継いでください。提案者による改名提案タグの貼り逃げは困ります。--大和屋敷 2011年7月21日 (木) 17:51 (UTC)
  • Dictionwolfさんに改名提案の趣旨説明を頂くようノートで呼びかけました[137]--大和屋敷 2011年7月21日 (木) 18:02 (UTC)
コメント大多数の方と同様に、私も節をまたがって一番下にまとめてコメントします。
  • PSIAさんの2011年7月18日 (月) 17:22 (UTC)へのコメント(3点)です。(1)「慣習的に2週間異論も出さず放置されれば、その話については合意(中略)が成立したとみなされても仕方がありません。」とありますが、このような「慣習」は聞いたことがありません(1か月ほどコメント無い場合に「議論停止」とみなす、というのはありますが、「議論停止」と「合意」も異なります。「議論停止」は戻ってきた人が「議論再開」もできますが、「合意」を覆すには新規の(全員の)合意が必要です。「合意」とみなせないものを安易に「合意」とみなしてはいけません。(2)keiさんの「タイトル差戻し提案 = 改名前の『南京大虐殺』への再改名提案」との認識です。ウィキペディアのガイドには「差戻し提案」という表現は無く、「差戻し提案」を行う手順は実際には「Wikipedia:ページの改名」しかありません。(「差し戻し」という表現には「以前の改名が不適切」とのニュアンスが含まれていますが、keiさん提案のように(即時改名ではなく)合意を得て改名する場合の手順は同一です。本文の編集で「削除」「取消」「戻し」「差し戻し」「現状普及」などの多数の表現が、実際は同じ意味でも使われているのと同じで、「表面的な用語が違うから駄目」との形式主義が必要な内容とは考えられません。なお法律では「(最初から)無効」と「(更なる)変更」は効果が違いますが、ウィキペディアのガイドでは法律のような区別は元々ありません。(3)「「南京大虐殺」派が「南京事件」派を説得し合意を得なければ改名は無理なのですから、「南京大虐殺」派に相手を説得する必要性があるのです。」は、議論と合意を混同していると思います。確かに実際の改名は、1名でも反対がいれば合意できない(現記事名派が「有利」な立場)ですが、議論では全ての編集者の立場は平等で、Wikipedia:合意形成Wikipedia:説明責任双方に求められています(現状維持派が、単純に「却下」すれば議論停止にできて、相手は反論も許されない、などの「特権」を持っている訳ではありません。反論、再反論、再々反論と続く限り議論は続きます。いささか理想主義的なガイドとは思いますが、ウィキペディアではそうです。)
  • 大和屋敷さんの2011年7月21日 (木) 17:51 (UTC)へのコメントです。「keiさんが改名提案者としての地位を引き継がれるのでしたら、正式に改名提案者(Dictionwolfさん)から引き継いでください。」とありますが、ウィキペディアの提案や議論は個人に所属せず、ガイドにも「引き継ぐべき」等の記述や推奨は全くありません。大和屋敷さんのコメントに散見されますが、ガイドに記載が無く、他のノートでも慣習的とは到底言えない個人ルールを、一方的に相手に要求するのは不公正であり、止めるべきです。
お互いに、紛糾している話題こそガイドを冷静・正確に尊重し、ガイドの独自研究な解釈は避けましょう。--Rabit gti 2011年7月22日 (金) 15:49 (UTC)
2週間ではなく、1週間でしたね。合理的な期間〔通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。Wikipedia:合意形成#合意形成)。つまり、反論から1週間以上放置された議論はその反論の合意をしたものとみなされても仕方がありません。また、こちらの記事のノートでは#ローカルルールが存在しています。そこには「7日間で議論が決しない場合Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論する不調に終わったことと見なす。」とされていますよね。つまり、改名提案という問題提起をしたが、一週間で議論がまとまらない場合は終了ってことです。ローカルルールに則れば、この話しを延々とすることが、いつまでも納得しない違反と言うことになります。
さて、新たな提案のようなことがされましたが、提案者が誰なのか不明で、これでは話が進みません。告知者が提案者ならばしっかり提案して議論してください。もしkei氏が代理をするというならば宣言してください。責任を持って提案してください。--PSIA 2011年7月22日 (金) 16:41 (UTC)


私が「南京大虐殺への改名提案」をする立場であれば、あらためて論点をまとめて、改名提案の手続きをとりますがね…。「差し戻し提案」と「改名提案」はやはり違うと思いますし。なんで、正式の手続きをとられないのか、正直、理解できません。正式の手続きさえとれば、議論しなくてもいいところを議論しているように思われます。--西方 2011年7月22日 (金) 16:48 (UTC) 現状のままの改名提案ですと、「正式な手続きをとってないため、改名反対」で終わりだと思います。…つまり、議論以前です…。--西方 2011年7月22日 (金) 16:53 (UTC)
まったく同意ですね。改名すべき確かな材料を持ち合わせていないので自信がなく、自分が矢面に立ちたくないが、しかし自身のイデオロギー・歴史認識から「虐殺」の文字を記事名に入れたいという願望なだけなので、人の提案に乗るしかないってのが、現在の現象ではないでしょうかね。「南京大虐殺」が正しい記事名であるという信念があるなら、こんなことにはなっていないと思いますよ。--PSIA 2011年7月22日 (金) 17:09 (UTC)
コメントPSIAさん、Wikipedia:合意形成#合意形成での「約1週間」は、提案に異論が無い場合の、みなし合意までの期間です。反論後の再反論までの期間ではありませんし、実際に大多数のノートの議論でそのような解釈はされていません。また#ローカルルールでは「不調に終わったことと見なす」と書かれているだけです。ローカルルールからのリンク先のWikipedia:論争の解決を読む限りでは「次のステップへ進んでも良い」という趣旨で、「議論終了という合意が得られたと見なす(以後は同一議論の再開も許されない)」との趣旨は書かれていません。当ノートでは、ガイドの解釈相違や独自解釈が多すぎる(そのため本来の記事名の議論が実は少ない)と思っています。お互いにガイドは正確に理解し活用しましょう。(追記)「自身のイデオロギー・歴史認識から「虐殺」の文字を記事名に入れたいという願望なだけなので」とありますが、誰を指しているにせよ、このような勝手な推測に基づくレッテル張りは止めるべきです。--Rabit gti 2011年7月22日 (金) 17:21 (UTC)
一点だけ。『ローカルルールからのリンク先のWikipedia:論争の解決を読む限りでは「次のステップへ進んでも良い」という趣旨で、「議論終了という合意が得られたと見なす(以後は同一議論の再開も許されない)」との趣旨は書かれていません。』とのことですが、ローカルールではそのリンク先の「論争の解決」が不調に終わったことと見なす、としているのです。ステップ3(第三者も含めた議論)は一週間で解決しなければ終わったこと(提案者は反対者の合意が必要だが一週間以内に反対者の合意が得られなければ終了)とされているのです。次の行動としてはステップ4の投票になるわけですが、これについてもローカルルールでは「期間内(一週間)」に「投票の準備を行うこと」のみ認められていますので、これも今や終了しています。残るはステップ5の「仲裁」しか残っていません。つまり前回の「南京大虐殺」の改名提案の議論を「継続している」という主張はローカルルール違反であり、ルール上「不調に終わった」こととされ、議論は終了しているのです。
なぜこのようなローカルルールができたのかといえば、コチラの記事では延々と同じことを繰り返すような、「いつまでも納得しない議論」が続いてきた経緯があるため、期限を設けるローカルルールができたのです。このルールの精神に則っていただきたいところです。しかし確かに、新たに同じ提案をすることを禁止しているルールでもありません。ですから、新たに提案するならば、このローカルルールの精神に逸脱せずに同じことをただ繰り返すのではなく、新たな材料を持ってきたり議論が発展する提案をお願いしたいところです。--PSIA 2011年7月22日 (金) 20:04 (UTC)
先でも申し上げましたが、議論によってより良い答えを導き出すことを目的とするなら、手続きがどうとか、正式に地位を引き継ぐだとかは大きな問題では無いと考えます。上記の提示で文句が無ければ、何なら私が手続きいたしますが。--kei 2011年7月23日 (土) 01:20 (UTC)
kei氏が上記で挙げた現在の記事名に対する異論には反論がありますが、その前にDictionwolf氏の提案告知行動を引き継ぎ、kei氏が提案者として提案していくということならば、まずその宣言をしていただいて責任を持っていただき(宣言日を提案日としても私はかまいません)、それから議論を開始しましょう。手続きは重要です。「良い答えを導き出すことを目的」というのは独りよがりになる場合がありますので、共同作業の場ではしっかり手続きいただいて行動していただかないと混乱が生じます。--PSIA 2011年7月23日 (土) 18:56 (UTC)
keiさんが改名提案者として引き継いで下さるなら、私はそれでもかまいません。 提案日が変わったことを根拠に、それ以前で提出された根拠になりそうな資料や観点を持ち出された場合でも、それは終わった議論だから無効です。みたいなテクニックを使わないで検討する、ということが条件です。 それと現在のローカルルールは、提案日を基点にしている割には次へのステップの時間が短すぎです。 双方ともステップ1に14日、ステップ2に14日ほどゆとりがないと不完全燃焼となってしまうリスクがありますので、この話題にかぎりこれを提案します。 引き継がれた日が提案日とします。--Dictionwolf 2011年7月25日 (月) 17:23 (UTC)
同感です。ここまで問題になっている以上、きちんと手続きに沿うようやっていただかないと混乱が増すばかりです。--Truesight 2011年7月24日 (日) 04:19 (UTC)

(お知らせ)Truesight氏がWikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20110701において、Hman氏、Dictionwolf氏、Rabit gti氏は「全てkeiさんと同意見、もしくは妥協を図っている方です。」[138]とされています。私は実際とは大きく違うと考えていますが、それについて宜しければご発言くださいますようお願いします。--kei 2011年7月25日 (月) 13:52 (UTC)

南京暴虐事件への改名については、筋が良いとかそういう話題は出典とともに、記事に載せておきことを推奨しますが、記事名としては消極的に考えています。 それ以外の行為についてはここの場所で議論することでもないと思います。--Dictionwolf 2011年7月25日 (月) 17:51 (UTC)
Truesightです。補足しますが、Hman氏はとりあえずは当記事名は「南京大虐殺」でもよろしかろうとの意見だったと思います。Dictionwolf氏、Rabit gti氏も「南京大虐殺」支持とみていたのですが、違いましたでしょうか。もし違うようであれば、この際、お知らせいただきたくお願い致します。--Truesight 2011年7月26日 (火) 15:17 (UTC)
Dictionwolf氏へ。気持ちも理解できますが、事後法のようなやり方には賛成できません。コミュニティで決まったルールをもとに進めていくべきです。この件が終わってから提案されるのでしたら、それはアリだとは思います。
kei氏へ。しばらくお待ちしましたが、提案者となる宣言がございません。Dictionwolf氏も引継ぎを了解してますし、話しを進めたいのならば、はっきりとしていただきたい。また、こちらで関係のないコメント依頼の話題を出さないでください。--PSIA 2011年7月27日 (水) 05:53 (UTC)
コメントPSIAさんへ。ローカルルールの話ですが「「論争の解決」が不調に終わったことと見なす」と「議論終了」と「合意」は、それぞれ異なります。「論争の解決が失敗 = 論争が続いている」であり、最終的なWikipedia:合意形成に更なる努力が必要です。仮にPSIAさんの解釈では、例えば「片方が対話や合意への努力をせずに、単純な反対を反復するだけでも、新規の議論は次々に終了(却下)できる」事になり、Wikipedia:合意形成の精神に反します。ローカルルールはコミュニティの一種の自治ですが、例えば「このノートでは個人攻撃あり」が認められないのと同様、Wikipedia:合意形成の精神に明白に反する解釈は認められません。次にWikipedia:コメント依頼/大和屋敷 20110701の話題ですが、別のコメント依頼に書かれていますが、内容はまさに当ノートの話題ですね。ノートを読む限り、どの立場の方も意見や根拠は微妙に異なっており、「全て○○さんと同感です」とばかり書いている方はいないようです。多くの論争(や戦争)では、「相手側」を「同類」、「味方側」を「多様な意見」と思えてくる安易な思い込みやレッテル張りが生じやすいものですが、当ノートでは双方の政治的信念による用語闘争ではなく、あくまで百科事典の記事名としてより適切な用語選択の議論を行うべきです。個々の言葉尻をあげつらうのは趣味ではありませんが、仮にレッテル張り的な側面があれば適切ではないと思います。--Rabit gti 2011年7月27日 (水) 15:34 (UTC)
ここでは、できるだけ今後の当議論に寄与する方向性で話していきませんか。他議論への直裁的言及、「政治的信念」や「用語闘争」、「レッテル貼り」などなどの文言の使用はここでは相応しくないばかりか、かえって要らぬ軋轢を生む結果となることを危惧します。
さて、改名提案趣旨説明のお願いの件ですが、当初の提案から半年が経過し、当初提案者である、ちゃんこなべ氏が当議論にみえられなくなってから3ヶ月が経過します。その間、さまざまな議論が行われてきたこともあり、議論整理の上でも、今回改名提案が出されたのを機会に改めて趣旨説明を行っていただくことは有用だと考えます。できましたら改名提案の形式に則り、どなたかにきちんと趣旨説明をお願いしたいのですがいかがでしょうか。--Truesight 2011年7月27日 (水) 17:46 (UTC)
Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことの手順はあくまで「推奨」であって、「必須」ではありません。また、一人の提案者だけですべての「手順」を踏まなければいけないという決まりもありません。私から見れば、上のkeiさんの趣旨説明で充分だと思います。ウィキペディアは規則主義ではありませんから、あまり形式にこだわっても意味がありません。--Dwy 2011年7月31日 (日) 01:58 (UTC)
「推奨」にすぎないといっても基本的に皆さんそちらの手順に従って改名提案をやって戴いていると認識しており、事実上、正式な手続きだと認識しています。「推奨」に従えない理由があるのであれば致し方ありませんが、そうでない場合はできるだけ「推奨」に従いやって戴くのが禍根を残さないやり方なのではないでしょうか。特に本事案は過去の改名提案(「南京大虐殺」→「南京事件」)での手続きが「推奨」に則っていたにも関わらず不当であったとの主張から始まっているのですから尚更「推奨」に従って戴くのが良いと考えます。また、当議論では複数の「南京事件」→「南京大虐殺」改名支持論者がいらっしゃいます。長い議論を通しているうちに、その方々の根拠も微妙に異なっているとも思え、ここで仕切りなおしのためにも改名根拠を纏めて戴きたいというのが趣旨説明をお願いしている理由のひとつでもあります。kei氏の趣旨説明でも構いませんが改名提案者や他の改名支持論者の賛意を得ているのかいないのか不明なあやふやな状況で続けては元の黙阿弥、仕切りなおしの意味がありません。「推奨」手続きは議論を前に進めるためにも是非お願いしたいところなのです。--Truesight 2011年7月31日 (日) 04:05 (UTC)
改名提案のテンプレートは貼ってある。改名提案の趣旨はkeiさんが述べた。Wikipedia:改名提案への掲載も済んでいる。私から見れば、充分に手順が踏まれており、何の問題もありません。これでまだ不足だというなら、何がどう不足なのか具体的に指摘していただかないと、提案側も対応できないと思います。
なお、念のために指摘しておきますが、「改名提案者や他の改名支持論者の賛意を得ているのかいないのか不明なあやふやな状況」は、誰がどんな「趣旨説明」をしても解消しません。「趣旨説明」の次の段階で、みんなが自分の意見を出し合い、それぞれの立場を検討・確認していく必要があります。--Dwy 2011年7月31日 (日) 05:08 (UTC)
何といわれようと不十分に思えます。あなたがなんと言われようとも、この問題で現にここまで紛糾しているではありませんか。提案者と根拠説明者が別な改名提案など見たことがありません。別なら別で構いませんがそうであれば当事者間で合意が得られているのが最低条件だと思います。--Truesight 2011年7月31日 (日) 05:28 (UTC)
「当事者間で合意が得られているのが最低条件」というのは、いったい何を根拠におっしゃっているのでしょうか?そういうことを決めた方針かガイドラインがありますか?明確な根拠もなく、他の人には理解不能な「自分ルール」で議論を進めようとするから、余計に「紛糾」してしまうのではないですか?--Dwy 2011年7月31日 (日) 07:33 (UTC)
「自分ルール」なんて言葉を持ち出すのであれば、当初からきちんと改名提案の手続きをきちんとやっていただければこちらとしても何も問題ないのです。それがそうではないので、提案者と趣旨説明者で合意をとってやって欲しいとハードルを下げているのです。そもそも提案者と趣旨説明者で合意がないというのはおかしな話じゃないでしょうか。それと、合意を取るのがそんなに難しく拒否されるような話なのでしょうか?どうしても、提案者と趣旨説明者は別でも構わない、それと提案者と趣旨説明者の間に合意もなくてもよろしい、というあなたの主張を貫きたいのであればここにおられる議論参加者全員の合意を取ってください。それならばわたしもこれ以上は申しません。--Truesight 2011年7月31日 (日) 08:18 (UTC)
同じことを何度も言うのは気が引けますが、お願いしていることがわかっていただけないようなので、もう一度だけ繰り返します。
「当初から」かどうかはともかく、現在の状況としては、改名前に要求されている手順の3項目((1)改名提案テンプレートの貼付、(2)改名提案の趣旨説明、(3)Wikipedia:改名提案への掲載)はすべてクリアされています。これ以上の手順が必要だというのなら、どのような方針やガイドラインに基づいてどのような手順が必要だと言うのか、明確な根拠を示してください。念のために言っておきますが、Truesightさんが見たことがないなどというのは、他の人を納得させる根拠にはなりません--Dwy 2011年7月31日 (日) 15:17 (UTC)
えーとですね、確かにガイドラインには書かれていませんが、わたしは提案者と趣旨説明者は同一人物、もしくは提案者としかるべき合意を取られた方であるのは普通だと思います。いってみればルール以前の常識の問題です。ですが、Dwyさんのいうように、そんなことはルールには書かれていない、であるから何も問題ない、という観点も存在し得るのだなと気が付きました。ですので、Dwyさんがこちらの議論参加者の合意を取られるのであればそれに従うと言っているのです。然るべく皆さんの合意を取られたらいかがでしょうか。これ以上、わたし個人に意見されても困ります。--Truesight 2011年8月1日 (月) 14:55 (UTC)
コメント横から失礼します。Truesightさんの「義務ではなくても、なるべく推奨に従いましょう」との趣旨は賛成ですが、それでも「提案者と趣旨説明者は同一人物、もしくは提案者としかるべき合意を取られた方であるのは普通」や「ルール以前の常識」いうのは不可解です。議論の最中に、別の人が気づいて、現状に合わせたタグを貼る事や修正する事は、多くのノートで普通に行われており、それを「別人物の場合は、手続きの妥当性自体に、別途合意が必要」といった要求は聞いた事がありません。編集や提案は、属人作業ではなく共同作業です。従来より当ノートでは、ガイドに全く書かれておらず、他のノートや論争でも全く見られないような、一方的な規則主義の強要が多すぎ、その全てが「南京事件」を主張している方々から出されており、本来の記事名の議論の妨げになっており、議事妨害ととられてもやむをえないレベルになっています。しかしウィキペディアは規則主義ではありません。ウィキペディアでは議論の終結のための手法はWikipedia:合意形成しか認められていません。常識的・実質的な議論をすべきと思います。--Rabit gti 2011年8月1日 (月) 16:10 (UTC)
Rabit gtiさん、一定のご理解はいただけたようで感謝します。しかし、わたしはなお、改名提案が出された以上、趣旨説明はされるべきだと思います。そしてその2つには一貫性がないといけないと感じるのです。今回はそれぞれが異なる2者から出されたわけですが、keiさんの趣旨説明を改名根拠と受け取っていいのであれば、これ以上わたしとしては追求しようとは思いません。ただし、「一方的な規則主義の強要が多すぎ、その全てが「南京事件」を主張している~」のくだりから始まる一文については全く賛成できません。そういったようなネガティブな言い回しは必要以上に議論を感情的なものとしてしまう契機となりえますし、また、規則は原則として守るべきだと思うからです。--Truesight 2011年8月2日 (火) 13:38 (UTC)
(ちょこっとインデントを戻します)本来は「問題がある」と主張する側が合意を取り付けるべきだと思うのですが、そんなところで言い合っても時間の無駄でしょうね。とりあえず、もう一度「今回の改名提案について、改名前に要求されている3項目の手順(改名提案テンプレートの貼付、改名提案の趣旨説明、Wikipedia:改名提案への掲載)はすべてクリアされており、手続き上の問題はない」という問題提起をします。これに対して、7日間(あるいはローカルルールで3日間?)異議が出なければ、合意成立ということになります。--Dwy 2011年8月1日 (月) 22:12 (UTC)
何度も申しますが提案から一週間で解決しないものはWikipedia:論争の解決のステップ3(第三者も含めた議論)が終わったこと(提案者は反対者の合意が必要だが一週間以内に反対者の合意が得られなければ終了)とされているのです。それがコチラのルールであり、それ以上でも以下でもありませんし、これはWikipedia:論争の解決Wikipedia:合意形成にすべて則っているものです。単にきっちりと期間と条件を設けただけですから。いつまでも納得しない同じ人がいつまでも「議論」をしても解決しないのです。だからこそ第三者を入れたり、最終的には仲裁などの方法があるのです。そして現在、こちらの状況はローカルルールに則れば、第三者を含めた議論も不調に終わり、あとはステップ5の「仲裁」をするしかないということです。
「片方が対話や合意への努力をせずに、単純な反対を反復するだけでも、新規の議論は次々に終了(却下)できる」とのことですが、それが可能でしょうか?いい加減な理由による反対ならば第三者に議論を告知し、第三者が来た時点で釘を刺されるのではないでしょうか?wikipediaはそんなに甘くないと思いますよ?ちなみにコチラでは告知によって来ていただいた第三者からの反対も多くありましたよね。また、「単純な反対を反復するだけ」という状態ならば、それはもう当事者では解決は無理ですから、それこそステップ5の「仲裁」に持っていけばよろしいのではないでしょうか?
もう少しわかりやすく説明しますと「論争」は終わっていないが、当事者、および第三者を含めた議論は、すでに終了した(解決しなかった)のです。ルール上、これ以上の論争を続けたければ「仲裁」のステップしか残っておりません。
「論争の解決が失敗 = 論争が続いている」という考え方で、だらだらと同じ事を繰り返し、永遠と「論争」を続けるのは無意味で解決しないからこそ「Wikipedia:論争の解決」という解決のためのステップが示されているのであり、同時にコチラではステップの期限と条件を設けているということを理解した上で、参加していただきたい。ルールに則って行動しましょうよ。--PSIA 2011年7月31日 (日) 00:22 (UTC)
日本版ウィキペディアでは「仲裁」の制度が整備されておらず、事実上「仲裁」実施が不可能な状況であることは認識されているのでしょうか?
また投票について、Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順では、投票の性質について合意を得るプロセスに一週間程度かけてくださいと言っています。PSIAさんのおっしゃるように、ローカルルール上、投票の準備は「第三者を交えて議論する」の期間内(=1週間)で完了しなければならないということだと、実質的には投票の実施はほぼ不可能ということになります。そのようなローカルルールの解釈は、却って問題解決を阻害するのではないでしょうか?私としては、ローカルルールの「この期間中に投票の準備を行うことを認める」という文言は、必ずしも「この期間中に投票の準備を行わなければ(完了しなければ)ならない」の意味ではないと思うのですが?--Dwy 2011年7月31日 (日) 01:58 (UTC)
コメント PSIAさん、ガイドでもローカルルールでも、まずは書かれている内容を元に議論すべきです。上述のように、ガイドラインにも、そのリンク先のガイドにも、「議論は終了とする」とは書かれていません。また「7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論するが不調に終わったことと見なす。」の「不調」の主語は、日本語で考えれば「議論」ではなく「論争の解決」です(「議論が不調に終わった」では、議論がされなかった事を意味してしまいます。また、議論は終了せずに継続しているから、ステップ5が書かれています(調停委員会は日本語版では無いため、この意味でも議論が続く事になります)。「コチラでは」と断定をされていますが、ガイドラインにもローカルルールにも書かれていない事を主張するのは個人の1解釈(拡大解釈)にすぎません。PSIAさんも私も他の方も、ウィキペディアでは同じ立場であり、どなたかが議長や司会者や裁判官という訳でもありません。--Rabit gti 2011年7月31日 (日) 16:09 (UTC)

手続き論が続いてあやふやなままとなってしまっていると思うのですが、読んでいて気になった点で、議論を進める上での確認しておいた方がよいのではと思うことを書き連ねます。

  • Dictionwolfさんが出された改名提案をkeiさんが趣旨説明をし引き継いで進めていく?
  • Dictionwolfさんはkeiさんの趣旨説明に異論はない
  • 反対派は手続き上の関係でkeiさんが引き継ぐという宣言、またはDictionwolfさんからの趣旨説明を求めている
  • keiさんの趣旨説明に改名派の他の方の異論の有無、主張の齟齬などないかの確認

などかと思います。肝としては4番目で、手続き論は別にしてもkeiさんの趣旨説明で話を進めていって問題が発生しないか?と言った辺りかと思います。改名派だけどkeiさんの主張とはちょっと違うよ、と言う方がいらっしゃらないのであれば、あとはkeiさんが宣言してくだされば反対派の方のご不満も解消されて話が進むように思われます。まあ宣言した場合の問題と言うのも特に思い当たりませんし。Dwyさんは手続き不要とのご主張かと思いますが、改名提案に関してはどのような立場なのでしょうか?--はぬまん 2011年7月31日 (日) 18:30 (UTC)

China perspective 南京大虐殺Good\南京事件No

  • zh:南京大屠殺=南京大虐殺
  • en:Nanking Massacre=南京大虐殺=南京大屠殺
  • de:Massaker von Nanking=南京大虐殺

國際化 Lee chang jun 2011年7月31日 (日) 19:13 (UTC)

日本語による参加をお願いするメモを投稿しました[139]--大和屋敷 2011年8月2日 (火) 01:52 (UTC)

とりあえず手続き論はクリアできそうな感じになってきたと思います。その後は「議論」ということになりますが、通常の議論で合意に至る可能性は小さいでしょうから、コメント依頼から調査投票に進んでいかざるを得ないでしょう。ある程度議論を尽くしたら(既にずいぶん議論していますから、あまり時間をかけなくてもよいと思います)、改名派・反対派の双方でそれぞれの主張を整理し、第三者に分かるように簡潔にまとめ、調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。--Dwy 2011年8月5日 (金) 13:43 (UTC)

その調査投票の方法論では多数決なので改めて反対します。--はぬまん 2011年8月5日 (金) 17:02 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方に準じた記事名の選定をお願いします。多数決という方法論はWikipedia:合意形成において推奨されていない(否定的に除外されている)検討方針であり、またWikipedia:記事名の付け方ガイドラインが想定していないものです。多数決方式の導入をご希望の場合は、まずガイドライン(Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:合意形成)の修正から行ってみてはどうでしょうか。--大和屋敷 2011年8月5日 (金) 17:31 (UTC)
コメント 「南京事件」か「南京大虐殺」かという論争に自発的にかかわる人だけの議論では、政治的に偏る可能性が高いと思います。書籍検索のヒット率も世間での認知度と離れているかもしれません。歴史的事件の記事名は「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する」とされていることからいっても、調査投票をおこなうことに賛成します。--Miki08 2011年8月6日 (土) 00:32 (UTC)
政治的に偏る危惧を持ちながらなぜその同じ場での投票に一般性を問えると言うのか疑問を抱きます。--はぬまん 2011年8月6日 (土) 00:52 (UTC)
ミートパペットを助長するだけで非常に問題のある提案ですね。ガイドラインは合意や論争について十分に検討され慎重に作成されているものです。安直で糊塗的な判断によってガイドラインを逸脱することは、問題を解決するのではなくかえって複雑化させるだけでしょう。--大和屋敷 2011年8月6日 (土) 01:27 (UTC)
Wikipedia:論争の解決の第4ステップとして規定されている調査投票を実施しようと言っているだけですから、方針やガイドラインに反しているというような批判は、全く的外れです。
また、調査投票は、そのあとの議論のひとつの材料とするために、どの選択肢が最も支持されているかを調査するものです。単純に多数決で結論を出そうというものでは決してありません。(コミュニティーで最も支持を集めている選択肢がはっきりすれば、その選択肢でまとまる可能性が飛躍的に高まるでしょうが、方針やガイドラインを根拠に異議を述べたり、投票結果の解釈を議論したりする余地は充分残ります。)--Dwy 2011年8月6日 (土) 02:00 (UTC)
どうもはっきりしません。調査投票で結果得られた結果はなんらかの強制力を持つのでしょうか。持たないのでしょうか。持つのであるとするならば実施する意味はあると思いますが、持たないのであれば実施する意味を見出せません。--Truesight 2011年8月6日 (土) 03:34 (UTC)
コチラは現在、手続きに不備があります。
現状を納得しない意見提示(提案)→ 1週間内の反対者と決着つかず → 第三者を交えた議論1週間 → それでだめなら第三者も含めた議論終了で続けたい場合は「仲裁」制度。これがルールです。混乱しますので、ローカルルールに則って進めてください。
(Dwy氏へ)「2011年7月31日 (日) 01:58 (UTC)」の意見について。事実上「仲裁」実施が不可能ならば可能にする努力をすればよいのではないでしょうか?すくなくともローカルルールに則れば、コチラの状況はあとは「仲裁」ステップへの移行しか道がないのです。ルールにある「仲裁」が事実上不可能だからとしてルールを破られるのは共同作業の場では困った行為になるでしょう。また、投票の準備を期間内(一週間以内)に準備を始めればok(この期間中に投票の準備を行うことを認める)というものであって、Dwy氏の言う期間内に合意手続きを完了させろというものではありません。ですからルール上、おかしなところはなく、まっとうなローカルルールとなっています。そしてこちらでは、期間内に投票の準備はおこなわれなかったということです。
(Rabit gtさんへ)「2011年7月31日 (日) 16:09 (UTC)」の意見について。ルールをよくお読みください。ローカルルール上、提案から一週間で解決しないものはWikipedia:論争の解決のステップ3(第三者も含めた議論)が終わったこととされているのです。現在、こちらの状況はローカルルールに則れば、第三者を含めた議論も不調に終わり、あとはステップ5の「仲裁」をするしかないということです。ルールどおり、私たちの議論は不調に終わったんですよ。続けたい場合は「仲裁」制度をしっかりとさせて、続行してください。それがルールです。「仲裁」制度が実質ないからローかルールを破ってステップ3のまま延々とノートで議論を続けてよいという根拠があるならば提示してください。
まあ、ともかく、これまでのことは譲歩して議論を続けても良いとは思いますが、以後はしっかりと提案内容と提案者を出していただき、提案日もはっきりとさせてローカルルールにキッチリと則って進めて行きたいと思いますので、よろしくお願いします。まずは提案者とその内容をはっきりさせてください。Dwy氏は投票提案をされていますが、どんな投票なのでしょうか?現在それすら良くわからない状態です。南京事件、南京暴虐事件、南京虐殺事件、これまで色々な用語が出て議論もアチコチに飛びました。最初の提案からやり直したらいかがでしょう?何をどうしたいのか?をはっきりとさせて。そしてしっかりとローカルルールに則って進めて行きましょう。--PSIA 2011年8月6日 (土) 04:18 (UTC)
Dwyさんの調査投票の話は、まったく私が過去ログで話したままのことが言えます。「ウィキペディアは多数決主義ではありません。」「調査投票は拘束力のある投票ではありません。」「投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」現在のように南京事件、南京暴虐事件、南京虐殺事件と絞られている段階で調査投票をすればそれは単なる多数決に過ぎず、調査投票の結果も現状を鑑みれば議論を阻害する種になると思われます。調査投票に沿って多いものが議論でも採決されたとしても「多数決だ!」という人もいるでしょうし、調査投票で少ないものが議論で採決されても「調査投票を無視した議論だ!」とする人も出てくるでしょう。議論を進める利点があるのであれば調査投票の有用性はあるでしょうが、結論に直結するような調査投票は議論を阻害しかしません。--はぬまん 2011年8月6日 (土) 08:28 (UTC)
コメント 「調査投票」に誤解や過剰反応されている方がいるようですが、最初のDwyさんの発言は「ある程度議論を尽くしたら(既にずいぶん議論していますから、あまり時間をかけなくてもよいと思います)、改名派・反対派の双方でそれぞれの主張を整理し、第三者に分かるように簡潔にまとめ、調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。」です。(1)ウィキペディアの調査投票は長期化・複雑化したような議論の整理(誰がどの意見なのか、など)として行うもので、合意の代わり(= 多数決)とは異なります。(2)Dwyさんは「すぐ行う」では無く、先の話をしています。(3)個人的には、調査投票は整理として行っても良いし、必ずしも行わなくても良いが、先の整理方法の案であり、過剰反応する事は無いと思います。PSIAさんへ。「議論が終わった」または「議論を強制終了できる」とは、ローカルルールにもガイドにも全く書いてありません。ウィキペディアでは議論の解決はWikipedia:合意形成しか認められておらず、各ステップも合意形成のための複数手法を使用する推奨順序を記述したものです。コメント依頼などではコメントが1か月程度以上無い場合に「議論停止」とみなす運用がされているようですが、ノートで継続中の議論を、誰かが「強制停止(打ち切り)」する事は、ウィキペディアでは不可能です。ローカルルールやガイドラインの、都合の良い独自研究な個人解釈は、やめるべきです。仮にPSIAさんの主張(ルール修正)であれば、新規にローカルルールまたはガイドラインの修正依頼をすべきです(合意形成に反する趣旨の提案が認められるとは思えませんが)。--Rabit gti 2011年8月6日 (土) 15:45 (UTC)
コンセンサスのありかって、要は合意できる点でしょう。だからそれじゃあ多数決ですと申しているのですが。改名派、反対派と異なる第3者が投票しようがそれはやはりウィキペディアで行う限りウィキペディアンというバイアスがかかったものでしかありません。議論の整理をしたければ各々が表明すればよいことです。過剰反応と言われても以前した話を繰り返しているに過ぎません。--はぬまん 2011年8月6日 (土) 16:12 (UTC)
コメント はぬまんさん、冷静に読みましょう。Dwyさんの発言は「調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。」です。仮に「調査投票でコンセンサスとしましょう(コンセンサスに代えましょう)」であれば、事実上の多数決なので、私も反対です。しかし「ありかを探る」ならば、単なる調査投票なので、私は反対しません(有効がどうかの議論はあると思いますが)。どうも、合意形成そのものを目指さない(政治的立場に立って自論だけ言い続ければよい?)という姿勢の方もいるのかもしれませんが、ウィキペディアでは合意形成(結果的に合意できないとしても、合意形成へ向けた継続的な努力)が求められています。--Rabit gti 2011年8月6日 (土) 16:23 (UTC)
だからですね?それも踏まえた話を既に一度しているんです。本懸案ではWikipedia:記事名の付け方の最も一般的な名称というのが一つの争点となってきました。「調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。」というのはつまりウィキペディアでの調査投票にてウィキペディアンの中で何が最も一般的な名称と言えるものなのか、という性格がどうしても出てきてしまうのです。それでは多数決と同じでしょう、と私は反対してきた訳なのです。また、ウィキペディアンの判断が世間一般のものとも言えないというのも反対する理由の一つです。世間一般での数字など論じられた後で何の必要性を以ってウィキペディアという狭い世界の中での寡多を参考にする必要があるのか、と。Dwyさんにそのような意図がなくとも結果的に「調査投票でコンセンサスとしましょう(コンセンサスに代えましょう)」という形となる状況のため、調査投票には賛成いたしかねます。--はぬまん 2011年8月6日 (土) 16:56 (UTC)

まず提案者(Dictionwolfさん)の趣旨説明をお願いしたいのですが。改名宣言だけ行ってテンプレート貼り逃げは困ります。イタズラとして無効にしたうえで、改めて別の方に提案頂いても宜しいのですが。どうもDictionwolfさんのほうから趣旨説明される用意がなさそうなので、一旦無効として段落(節)を区切らせて頂いても宜しいでしょうか?この件についてまず調査投票頂きたい所です。じっさい「節」が長すぎてそろそろ投稿に差しさわりが出てきました。いかがでしょうか?--大和屋敷 2011年8月6日 (土) 16:35 (UTC)

趣旨説明をするのがDictionwolfさんでなければならない理由は何でしょうか?上でも指摘しましたように、方針にもガイドラインにもそういうことを要求する規定はないように思います。既にKeiさんが趣旨説明を済ませていますし、それが不十分だというなら誰でも新たな論点を追加していってよいわけですから、なんで「困ります」なのかさっぱりわかりません。--Dwy 2011年8月6日 (土) 17:38 (UTC)
投稿の利便性を考え、とりあえず節を区切るのに賛成します。--Truesight 2011年8月6日 (土) 18:02 (UTC)

「節」を区切らせて頂いてかまいませんでしょうか?調査投票しましょうか?--大和屋敷 2011年8月6日 (土) 23:29 (UTC)

節が長いのが理由でしたら一旦無効とかにすると異論なども出るでしょうし、=== Unit2 ===というような形で単純に区切りを入れるのはいかがでしょう?これならインデントを戻すのと同じ程度の感覚で済むのでは。--はぬまん 2011年8月7日 (日) 02:18 (UTC)
(1)はぬまんさんへ。Wikipedia:記事名の付け方で冒頭に書かれているのは「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」です。はぬまんさんの懸念されている「ウィキペディアンの中で何が最も一般的な名称と言えるものなのか」とは異なります。(2)調査投票は調査の呼びかけにすぎません。開始に「合意」は必須ではなく、仮に開始されても賛成しない方は回答しなければ良いだけです。(3)改名提案とタグが同一人物で無ければならないとか、同時でなければならないというガイドはウィキペディアに存在していません。仮に「ルール」としたいならば、ガイドかローカルルールの修正提案が必要です。ただし内容より形式を優先する「ルール」の新設には私は賛成できません。(4)節は利便上のものです。必要に応じて追加すれば良く、節を分けても「前の議論が打ち切り」になる訳でもありません。ただ今回の場合は、前の話が継続しているので、階層化程度でよいのではないでしょうか。(5)大和屋敷さんが「投稿に差しさわり」と書かれていますが、節が長いと読みやすさや探しやすさには影響しますが、投稿に差し障りは発生しません。誰でも新規の話題や節を作成できます。(大和屋敷さんご自身も、前の議論継続中に別の節を作成して別の改名議論を始めた事があります。)(6)全体的に、ガイドは普通に読むべきで、独自解釈や強要は不毛なので止めましょう。当記事名も単にWikipedia:記事名の付け方に沿って選択すべきです。--Rabit gti 2011年8月7日 (日) 07:04 (UTC)
なんていうか前提議論を踏まえた話ばかりで既出の話を繰り返す形となるのですが、あしからず。Wikipedia:記事名の付け方の「歴史的事件」では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」として争点になっていたのです。本記事はまさしく「歴史的事件」でありますから、この点を判断基準とするべきだ、とされ議論されてきたことを無視することはできません。「開始に「合意」は必須ではなく」あのー…Wikipedia:調査投票の方法の調査投票の手順の2によると「投票を始める前に、投票の性質について合意を得ていなければなりません」とあるのですが…。その性質で言えば、「問題は何か?」の中身で今回の内容では多数決になるので合意しかねます、ということなのですが。--はぬまん 2011年8月7日 (日) 08:47 (UTC)
コメントご指摘のWikipedia:調査投票の方法の「投票の性質について」の記載は、「問題は何か?、選択肢の候補は?」などで、見当違いの調査投票を始めないように、という趣旨と考えます。しかし今回は「記事名について。候補はAまたはB」などと明確で、この点では争いはありません。また当ガイド冒頭には「意思決定は、多数決ではなく、合意形成をもとに行うべきです。しかし時として、ある問題点に対しての意見のうち、どの選択肢が最も支持されているかを調査するときに、投票が役に立つこともあるでしょう。」と明記されています。調査投票が多数決の代わりにならないと明記されているのに、「今回の内容では多数決になるので合意しかねます」では意味不明です。合意が必要なのは「投票の性質について」で、厳密には調査投票の開始ではありません。私も多数決ならば絶対反対ですが、実害が無いものを何故懸念されるのか正直不可解です。--Rabit gti 2011年8月7日 (日) 12:44 (UTC)
Rabit gti氏へ。
あのですね。「議論が終了」しているのか、していないのか知りませんが、こちらでは「合意を得るための期限」を設けたルールがあるのです。それはローカルルールをしっかり読めば誰でも理解できることです。
4.コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論する不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。 (ノート:南京大虐殺#ローカルルール
これがこちらの記事のおける「合意の基準と方法」なのです。期間内に合意が得られない場合は「不調に終わった」こととされ、合意は得られなかったという結論となります。
ローカルルール上、「南京大虐殺」なる改名提案は合意を得られず、編集はできないという結論となったということです。残るは「仲裁」策しかありませんよ。もちろんこのまま議論をしてもかまいませんが、その議論は編集をいじることはルール上不可能な議論であることを認識して継続していただきたい。すでにルール上、合意は得られなかったという結論なのですから。--PSIA 2011年8月8日 (月) 07:40 (UTC)
コメント PSIAさんへ、繰り返しですがWikipedia:論争の解決には冒頭で「以下で、詳細に、論争の解決法を見ていきます。」と明記されています。つまり「論争を解決させるための手法」であり、各ステップではWikipedia:合意形成が求められています。また最終ステップの末尾は「時が解決するのを、ひたすら待つのも良いでしょう。」ともあります。つまり、そもそも「議論や提案を強制的に終了(却下)させるための手順」ではありません。また、繰り返しですが「不調に終わった」の主語は、日本語の意味から考えれば、「議論」ではなく「論争の解決」としか考えられません。ローカルルールにもガイドラインにも明記されておらず、一般的でも無い事を「ルール」と言う事はできません。ウィキペディアで議論の終了ができるのはWikipedia:合意形成しかありません(理想主義的ではありますが、良いところでもあります)。--Rabit gti 2011年8月12日 (金) 12:11 (UTC)
言っている事が伝わらないようで残念です。こちらのローカルルールでは「議論や提案を強制的に終了(却下)させるための手順」があるのではなく、「合意を得るための期限」を設けているのです。提案から一週間という期限を設けているのですよ。その間に解決しない場合は次のステップに進めということです。しっかり読んでください。
4.コメント依頼が出されてから7日間で議論が決しない場合、Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 第三者を交えて議論する不調に終わったことと見なす。なお、この期間中に投票の準備を行うことを認める。 (ノート:南京大虐殺#ローカルルール
これがこちらの記事のおける「合意の基準と方法」なのです。
そして合意が得られず、最終的な手段として「仲裁」があるのです。あなたが言っている合意が無理な件についてはノートを保護し、「時が解決するのを、ひたすら待つのも良いでしょう。」という手段です。Rabit gti氏の勘違いは「議論の終了」と「合意が不可能だった」ことを混同していることです。議論は継続しているか否かは関係なく、編集に反映させるには合意が必要で、その合意を得る期限が設けられているのがコチラのルールなのです(「合意の基準と方法」)。こちらではルールで決めた期限内に合意を得ることはできなかったわけで、編集をいじること(改名)は今回はルール上無理という結果となったということです。議論は継続してもかまいませんが、期限内の合意ができなかったのですから編集は無理となったということです。--PSIA 2011年8月16日 (火) 14:08 (UTC)
コメント PSIAさん、共通認識の通り、話がすっかりループしており、こちらも残念です。しかしWikipedia:論争の解決に書いてある内容は「論争の解決法」であり、提案の処理手順ではありません。「コチラのルール」と繰り返していますが、ローカルルールでは次ステップへ移る期限を書いてある(つまり、反対が出て次ステップへ移れない可能性を減らしている)だけです。どこにも書いて無い事を勝手に解釈して(信じ込んで?)押し付けてはいけません。--Rabit gti 2011年8月16日 (火) 14:24 (UTC)

Unit2[編集]

投稿に差しさわり」っていうのは単純に編集の際時間がかかるってことだと思います。節を区切ること自体には異論が出ていないようなので区切ります。--はぬまん 2011年8月7日 (日) 08:51 (UTC)

節が長いと分割したのでRabit gtiさんへの返事は敢えてこちらに。Wikipedia:調査投票の方法「投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」まず調査投票を何のために行うのかという点があります。「調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。」でしたね?つまりこの方法論に沿って考えれば、調査投票の結果多かったものがコンセンサスのありか、合意できる改名案というような話になっていく訳です。無論この場合は多数決と変わりませんし、「投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」という面から考えても宜しくありません。コンセンサスのありかとして話を進めないのならば、では何のために行うのか?行われた結果議論に何の寄与をするのか?調査投票の結果どれかしらが多かった、しかしそのまま多数決とすることもできず多かったからと議論を進めても誤解を招きかねず、全く以ってウィキペディアで調査投票をした結果というものの意味がないんです。調査投票を呼びかけるのは自由だとしても期間を決め投票が行われる以上その間結果を待つ為議論は停止します。多数決まがいか無意味のものに議論が停止されることの何の有益性があるというのでしょう。--はぬまん 2011年8月7日 (日) 14:19 (UTC)
  • 投票の結果コンセンサスのありかが明らかになれば、当然そのコンセンサスに従って編集が行われるべきです。これはごく当たり前のことで、合意は多数決ではありませんとは、少しレベルが違う話です。
  • ただし、単純な投票結果は、必ずしも「コンセンサスのありか」とイコールではありません。投票結果を評価する際には、それぞれの投票者が「どの選択肢を支持したか」以上に「その選択肢を支持した理由」も重要な要素になります。どの程度の人々がどのような根拠でどの選択肢を支持しているのか知ることが、投票の一番大事な目的です。
  • 投票結果を見て自分の意見が変わる人もいるかもしれませんから、その意味でも、投票結果がそのままコンセンサスのありかになるとは限りません。(私としては、投票結果だけでコンセンサスのありかが見えてくる可能性はむしろ低いと思っていて、どちらかと言えば、投票結果を見てみんなの意見が変わり、それで合意に近づいていくことの方により期待しています)
  • 現実問題として、忙しくて長期の論争には付き合えないという人や、言いたいことはほかの人が言ってくれているから自分は特に何も言うことがないという人などは、議論の場に出てこないわけです。コミュニティのコンセンサスという意味では、そういう人々の意見も重要ですよね。投票をやれば、議論に参加していないサイレントマジョリティーの意見が聞けるかも知れません。それには大きな意味があると思います。--Dwy 2011年8月7日 (日) 18:12 (UTC)
なんというかもう…本当に以前した話の繰り返しで少々嫌になってきますが、改めて。以前の私の発言をまんまコピペします、「議論によってなされる合意が、議論に参加したくない方とどうして合意形成できましょうか。」出てこないのは本人の責任です、参加している人間が「いるかもしれないから」と気にすることではありません。私は投票でなく議論によって合意がなされるのであれば如何なる合意でも異を挟むつもりはないと一度議論からある程度距離を置きました。そのように参加しないのであれば合意に関わる事もないのです。さらに、「言いたいことはほかの人が言ってくれているから」議論の中身、理由によって合意に至るべきである合意形成において、他に自分の考えを述べてくれる方がいるというのはそれだけでも十分なのです。例えば出てこないけど私と同じ意見の方が多くいるから重んじるべきだ、というのであればそれは議論の中身による合意でなく数による多数決ということに他なりません。「当然そのコンセンサスに従って編集が行われるべきです。」もはやこれではそのままズバリ多数決です。どうレベルが違うのか説明いただかない以上は多数決としか判断できません。本来「その選択肢を支持した理由」によって議論がなされるべきであり、その数などは問題ではないのです。「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます。
正直、思った以上に多数決主義的な発言が出てきて少々ショックを受けました。意図したものではないのでしょうが「投票結果を見てみんなの意見が変わり」など、意見の中身ではなく数の寡多で主張内容の変化を促すというのもやや数の暴力的に思えてしまいます。そもそも、前にもお聞きしましたがDwyさんは改名提案に対しどのような主張のお立場なのでしょう?改名提案に対し何を望んでどのような「理由」を示して「相手を説得」しようとしていらっしゃるのか、私は見ていて分かりかねているのですが。ちなみに私は過去ログでも言っていますが、改名には反対していて理由としては論争のある記事であるしより中立的な方が良かろう、南京事件、南京大虐殺どちらの名前が一般的かというのも他の方が示してくれたデータによればあまり差はないのでこの点では決めかねる、といった辺りです。細かい話は「ほかの人が言ってくれているから」ある程度距離を置く、という立場です。--はぬまん 2011年8月7日 (日) 19:28 (UTC)
いつまでも納得しないのは「妨害行為」だとされていることからも分かるように、ウィキペディアにおける合意(コンセンサス)は必ずしも全員一致を必要としていません。少数派の意見であっても無視するべきはなく、できる限り妥協を図っていくべきですが、真摯な議論を重ねてもどうしても妥協点が見いだせない場合には、コンセンサス(=多数派の意見)に従うことをウィキペディアの方針やガイドラインは否定していません。確かにWikipedia:合意形成のガイドラインには「合意は多数決ではありません」という節がありますが、中身をよく読むと「フォーラムショッピングやカンバシングをしないようにしましょう」というだけのもので、多数決が絶対にいけないとするものではありません。Wikipedia:合意形成|合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められますが、ここでいう「相手」は必ずしも直接の論争相手だけに限定されるものではありません。直接の論争相手が説得できなくても、横で黙って話を聞いている大多数の人々が説得できれば、それで充分合意は成立しえるのです。--Dwy 2011年8月8日 (月) 15:11 (UTC)
いや、本当に正直驚いてしまったのですが…。「多数決が絶対にいけないとするものではありません。」ってウィキペディアは多数決主義ではありませんという方針をご存知ではないのでしょうか?いつまでも納得しないのは確かに問題ですが、本懸案においてどちらが納得しないで腕ずくで解決しようとしているのでしょう?どちらがどちらともお互いの主張に納得していないがためにこれだけ伸びているのだと思われますし、これも過去ログで言いましたが多数決で押し通そうとすることの方がよほど腕ずくです。「ここでいう「相手」は必ずしも直接の論争相手だけに限定されるものではありません。直接の論争相手が説得できなくても、横で黙って話を聞いている大多数の人々が説得できれば、それで充分合意は成立しえるのです。」これではもはや…ある種の恐怖すら感じたのですが、目の前の相手の話を聞かず大多数にこれでいいと言わせられればそれで良しとされるのですか?まさしく数の暴力で相手の意見を捻じ曲げる行為であると思えるのですが。そんな行為が横行すればミートパペットでなんでも押し通せてしまうことになってしまいます。それではもはや意見などなんであろうと関係ありません。--はぬまん 2011年8月8日 (月) 16:51 (UTC)一部修正--はぬまん 2011年8月8日 (月) 17:49 (UTC)
(追記)過去ログもあるし説明し忘れてたかなぁと思ってしまいましたが、最近でもこの版でリンクを付けて説明していましたよね?目の前で自分の意見に反対している人間の話を聞かずして多数決を持ち出されるのは、編集傾向として危惧感を抱いてしまいます。--はぬまん 2011年8月8日 (月) 17:49 (UTC)
ウィキペディアは多数決主義ではありませんは「合意形成の主たる(しかし唯一ではない)方法は…投票ではありません」と言っているだけすよね。それから、わざわざ「合意形成にむけて調査投票を利用することはあります」とも言っています。「投票」という言葉からはm:投票が全てではないにリンクが設けられていますが、「全てではない」=「あってはならない」ではありません。「数の暴力」とおっしゃいますが、はぬまんさんの主張に従えば、結局、ごく少数でも納得しない人がいれば、いつまでも何も決定できないということになります。これは少し極端すぎるような気がします。--Dwy 2011年8月8日 (月) 22:24 (UTC)
いやもう…本当に今までの発言読んでないんですね…。都合のいい部分だけ引用されましたがその部分全部を引用しますと「合意形成にむけて調査投票を利用することはありますが、そうした投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。それらは慎重に用いられるべきであるし、他の合意形成された意思決定を上回る拘束力はありません。」そして今回の案件で調査投票を行えばそれは議論の妨げになると私は申してきたはずです。
第一今回は真っ二つに分かれていてごく少数でもなんでもないし、今回とは別の話でもその少数がちゃんと意見の論拠を示し、正しく議論を行う努力を怠っていないのであればそれは問題ないんです、いつまでも納得しないには「「納得する」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合」という風にも言っています。主観的に対立し決まらないから相手が納得しないでごねているのだ、と決め付けてはいけません。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 04:23 (UTC)
「議論の妨げ」になる間は、投票なんかやりません。双方が議論を尽くしても結論が出ず、それ以上議論を続けても何の進展も期待できないという状態になったときに(そういう状況では通常の議論を続けてもどうせ無駄ですから)、初めて調査投票の出番になるのです。
ついでに言うと、この記事の場合は、「ローカルルール上、議論は7日間で終了する」と主張する方がいらっしゃるという特殊事情がありますので、「一方の当事者が終了したと言ってる議論に「妨げ」も何もないだろう」という状況が、結構早期に到来するだろうと思います。--Dwy 2011年8月9日 (火) 12:19 (UTC)
本懸案で調査投票を行っても多数決に過ぎず多数決では問題だと反対してることの答えに何一つなっていないのですが…。重ねて聞きますがDwyさんはこの改名提案に対しどのような考えで参加していらっしゃるのですか?手続き論やら調査投票やらばかり論じて肝心の南京事件か南京大虐殺か何一つ話していないように思われますが。その肝心の「理由」がなく投票やらと話されるのでは議論を妨害していらっしゃるように思えてきます。貴方自身はこの改名提案にどのようにお考えなのですか?--はぬまん 2011年8月9日 (火) 12:44 (UTC)
あまり多数決を毛嫌いするのもどうかと思います。確かに「議論もせずにいきなり多数決で決定」は困りますが、「全会一致での結論がどうしても出ないときに、やむを得ず多数決」は仕方がありません。この点は、一般的な話として議論した方が良いと思うので、後でWP:CONでも問題提起しようと思います。--Dwy 2011年8月9日 (火) 15:36 (UTC)
改名提案に対する私の考えをお尋ねですので、一応答えておきます。私としては、どちらかと言えば改名派寄りです。
  • 私のような歴史音痴にとっては、「南京事件(1937年)」と言われても、ほかの年の南京事件とあまり区別がつきません。「曖昧でない」という基準に照らしたときに(私にとっては)「南京事件」はちょっと問題があります。
  • どのような名称であっても、それぞれそれなりのPOVを背負っており、客観的に「中立」な名称などは存在しません。「南京大虐殺」が「大虐殺があった」というPOVだとするなら、「南京事件」だって「大虐殺がなかった」あるいは「大虐殺がなかったかもしれない」というPOVであり、POVという意味では同じです。
  • 信頼できる情報源において中立的でない名称が一般的に用いられている場合、ウィキペディアがその中立的でない名称を採用することに問題はありません。なぜなら、中立的でないのは「信頼できる情報源」であって、ウィキペディアではないからです。逆に、一般的に使用されている名称を、中立的でないという理由で拒否するのは、信頼できる情報源より編集者自身のPOVを優先させることになり、不適切です。(en:Wikipdedia:Article titles#Non-neutral but common namesの受け売りです。)
  • 「南京事件」と「南京大虐殺」とで、どちらがより「 認知度が高い」かは難しい判断ですが、私はこういうとき、まず身近なリファレンス類がどの名称を使っているかを調べることにしています。で、この場合は、[140][141][142][143]ということで、どちらかといえば「大虐殺」寄りになります。
上記は、「どちらかと言えば」くらいの意見であり、今後、特に強く主張していくつもりはありません。また、議論や投票によって他の人の意見を知ることによって、自分の意見が変わることも充分あり得ます(たとえば、最初に書いた「曖昧でない」の基準については、投票等であいまいだと思う人がごく少数であることが分かれば、「自分だけなら我慢しよう」という意見になるでしょう)。
私の問題意識としては、「ルールに則ってちゃんと手続きを踏め」(=私から見れば、ルールでもなんでもなく、自分だけの勝手な解釈に過ぎない)とか、「多数決は絶対ダメ」(=私から見れば、非常に偏った方針の解釈)の方が気にかかります。あえて失礼な言い方をすると、改名反対派の方々のフィリバスターみたいに見えなくもありません。だから、「そんな手続きなんかにこだわらず、議論をしてやれよ」「議論でダメなら、投票で解決するチャンスもあるはずだ」という主張の方に、より力が入っています。--Dwy 2011年8月9日 (火) 15:36 (UTC)
改名提案に関してお答えいただきありがとうございます。何が一般的であるかということまで踏み込んで話し合われているのが本懸案であると思いますので、南京大虐殺が一般的に使われているとしてだけ話をするのは少し問題があるかと思います。「そんな手続きなんかにこだわらず、議論をしてやれよ」これには私としては同意するところなのですが、それを整理するためにした質問がスルーされていてちょっとガッカリしていたりします。「議論でダメなら、投票で解決するチャンスもあるはずだ」翻訳途中の草案ですが、Wikipedia:投票は議論の代用とはならないm:投票は邪悪なものというものまであります。今回お答えいただけましたが、議論をしていない状況で「議論がダメなら」と言う調子で話されては合意形成をちゃんとする気があるのかと思えたのです。投票を推進されるより歴史音痴であろうとも自分はこのように思う、と述べられたほうが議論の一助になるかと思います。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 16:19 (UTC)
ローカルルール上、投票への準備期間は終えてるため、投票提案については、ルール違反であり、反対を申しておきます。もし投票をおこないたいのであれば、あらためて問題提起(提案)からはじめてください。--PSIA 2011年8月8日 (月) 07:31 (UTC)
ともかく、kei氏が2011年7月21日 (木) 15:21 (UTC)に挙げた繰り返しともいえる改名理由にはすべて反論を持っています。しかし、それが正式な提案となっているのか、誰が提案者なのか(kei氏は代弁者なのか?)、わけがわからず、反論を抑えている状態です。お願いですから、再提案するならば、「こういう理由だから改名すべきなんだ!」としっかりと主張していただき、手続きにも則っておこなってください。皆が混乱します。なぜそんな簡単なことができないのか、まったく理解ができません。現在、「南京大虐殺」へ改名すべきという方は、こちらでは見当たりません。もし「私がそうだ!」という方がいるなば、あらためて改名提案をしっかりとおこなってください。--PSIA 2011年8月8日 (月) 07:56 (UTC)
わたしも投票には反対しておきます。投票を行うのも解決策のひとつ、或いは議論に寄与する場合もあるかと思いますが、その実施に合意が得られていない以上、その実施は何人たりとも強要できるものではありません。Dwyさんは投票を実施したいのであれば、腕づくで強要するかのような手法を改め、みなの理解を得る方法で合意を得る必要があるかと。--Truesight 2011年8月9日 (火) 13:39 (UTC)
Truesightさんにうかがいます。「腕づくで強要するかのような手法」というのは、どのような手法のことでしょうか?これがちゃんと理解できないと、手法を改めようにも改めようがないので…--Dwy 2011年8月9日 (火) 15:36 (UTC)
他者の理解を得ようとしている割には語調が強すぎると感じます。同意を求めるのであればそれなりの姿勢があるかと。尤もこれを容れるかどうかはDwyさん次第です、ご参考までに。それとDwyさんがこちらに現れてから自らの意見もそこそこに投票を提案する姿勢に違和感を覚えます。投票の前にご自身思うところを述べ議論を尽くさなくともよいのですか。--Truesight 2011年8月9日 (火) 16:00 (UTC)
いや、困ったな。「語調」ですか?正直言って、自分の議論がそんなに強い語調だとは思っていなかったので、どこをどう直せばよいのかさっぱりわかりません。もしよかったら、特に問題だと思われる例を2~3つくらいご指摘いただけませんでしょうか?こちらのページでは皆さんのご迷惑でしょうから、私の利用者ページのノートにでも、「この言葉遣いはこう直した方が良い」というような具体的なアドバイスをいただけると助かります。
それから、議論を尽くす前に調査投票を持ち出した最大の理由は、ローカルルール上、投票の準備は7日以内に始めなければいけないと主張する方がいらっしゃったからです。こちらでは「早すぎる」と言われ、あちらでは「遅すぎる(もう出来ない)」と言われ、この点でもちょっと困っています。--Dwy 2011年8月10日 (水) 17:51 (UTC)
「ローカルルール上、投票の準備は7日以内に始めなければいけない」というのは「主張」ではなく、誰が見ても明らかなこちらの「ルール」です。Dwy氏のルール理解が間違えていたことに対する私の指摘や説明をスルーしているようですが、素直に認めるべきではないでしょうか。ルールを「個人の主張」と捉えてしまうようでは、コチラのルールに則った行動は無理でしょうから、参加すべきではないように感じますがね。--PSIA 2011年8月11日 (木) 11:40 (UTC)
日本語の解釈の問題として、「この期間中に投票の準備を行うことを認める」と「この期間中に投票の準備を行わなければならない」は全然意味が違うのは分かりますか?「この期間中に準備を行うことを認める」は、「(本来投票の準備は議論が尽くされた後で行うべきものだが)この記事では若干のフライングを認める」の意味しょう。--Dwy 2011年8月12日 (金) 14:41 (UTC)
語調の件ですが、正直、ご本人にさっぱりわからないと言われると対処のしようがありません。少しでも自覚があるのであれば対処の仕方があるのですが、ここら辺はセンスの問題ですので。実際、事細かにここの部分がどうとか、あそこの部分がああとか指摘することはできるのですがご本人にその感覚がないと共感を得ることが難しいのです。といって、全く具体例を挙げないのも酷ですのでひとつだけ指摘差し上げますと、上の「全然意味が違うのは分かりますか?」あたり荒い言い方に該当しますね。こちらはたとえば「全く異なると思います。」で意味は同じですが言い方としては穏やかな言い方となります。自分が言われたと思って比べてみれば判りやすいと思いますがいかんせん感性の問題ですのでご理解いただけなくとも仕方ないと思っております。それと当方がこのような問題でわざわざそちらのノートに伺う必要性もないと現段階では思っておりますのであしからず。それと調査投票の件ですが、遅い、早いとDwyさんが気にする必要もないと感じます。逆にDwyさん個人が自らの意見を開陳し議論を尽くすことがDwyさんにとって重要なんじゃないですか。それをせずして調査投票実施を迫るのは一般的に奇異ですし。そうではない、善意の第三者として調査投票を提言しているのだというのであれば、やはり無理にでも語調には気を使わなければいけないですね。そうでなくては提言に賛同しようとする気になりません。自らのかかわりあっている議論に突然第三者が現れ、意見を述べるでもなくいきなり調査投票を実施しようと荒い語調で言われたらDwyさんはどう思いますか。以上、ご参考までに。--Truesight 2011年8月14日 (日) 11:33 (UTC)
その程度の語調でしたら、私自身は他人からされても全然気になりません。また、その程度の「語調」のことを「腕づくで強要するかのような手法」のように表現するのは、ちょっと大袈裟過ぎると思います。優しい言葉づかいにするように出来るだけ気を付けますが、語調などというものは個性の一部でそう簡単には治らないと思いますから、Trueshightさんを始め皆さんにもWikipedia:善意にとるをお願いしたいと思います。--Dwy 2011年8月14日 (日) 15:16 (UTC)
えっとまず、Dwy氏は「この期間中に投票の準備を完了させなければならない」と解釈して意見を言っていましたよね?[144] それについて私はDwy氏の言う期間内に投票の準備を「完了」させるという理解は間違えで、期間内に投票の準備を「はじめる」ことが認められているものであると反論・指摘させていただきましたが、スルーされました。この件については理解不足だったことはお認めになっていただけるのでしょうか?
そして「この期間中に投票準備を行うことを認める」というのは、「期間外の準備は認めない」という理解が普通ではないでしょうか?このローカルルールの「合意の基準と方法」は論争の解決のための各ステップについて期限をはっきりさせるために設けられているものという点からもそれが明らかだと思います。--PSIA 2011年8月16日 (火) 14:08 (UTC)--PSIA 2011年8月16日 (火) 14:15 (UTC)
こちらにコメントが付いているのに気が付かず、お返事が遅れました。ごめんなさい。PSIAさんが「期間外の準備は認めない」という解釈を維持されるとのことなので、前に予告の通り、井戸端で問題提起をしたいと思います。
なお、私が「この期間中に投票の準備を完了させなければならない」と解釈していたというのは誤りで、正しくは、DwyはPSIAさんが「この期間中に投票の準備を完了させなければならない」と解釈していると誤解していた、ということです。--Dwy 2011年8月22日 (月) 12:36 (UTC)

コメントまず一点、調査投票と多数決を結びつけて反対とされる意見がありますが、いずれも役割が大きく違います。多数決の場合A案101票対B案100票でも、A案が勝ちとなりますが、調査投票、特に今回の場合は有意な票が集まるか、誤差の範囲を超えた結果を得られるかが必要となってきます。よって、調査投票の参加者数次第では「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称」を反映する事もできるでしょうし、例え満足できる票が集まらなかったとしても、書籍や使用言語のヒット率に加えて論理を補強する役割となることもあるでしょう。但し、10程度しか票が集まらなければ、票数(定量情報)は参考に用いづらいですが、それを推す根拠(定性情報)に目を向ければ、より広く見解を集めることができるので、全くの無駄とはならないと考えます。

もう一点PSIA氏が現在、「南京大虐殺」へ改名すべきという方は、こちらでは見当たりません。とされてますが、皆で同意を得れるのなら、私が手を上げても構いません。しかし、その部分にも論争があるので現在、行動を差し控えています。申し上げたいのは、もうここまで議論が進行しているのなら、実質的に改名提案がなされたものとして、こちらでコンセンサスを取るというようにすれば良いのでは無いでしょうか。

以上、長く議論参加出来ずに申し訳ございません。他で手一杯で、同時にいくつも議論参加する気になれませんでしたが、いつでも議論復帰できるよう、大まかな流れは把握していますので、こちらへ議論復帰した際はよろしくお願いします。--kei 2011年8月9日 (火) 14:19 (UTC)

いやだからですね…それが多数決主義なのではないかと言っているんです。もっと別の形で調査投票が有益なものとなるのならば反対しませんが、結論につながる調査投票では多数決ですよ、と。ウィキペディアンの数で判断するっていうのもバイアスがかかったものでしかないって以前言いましたよね?検証性もないし独自研究ではないでしょうか。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 15:10 (UTC)
票数や差数によって判定が変わる前提があるので、多数決主義には当たらないでしょう。ウィキペディアンの数で判断するっていうのもバイアスも、ではウィキペディアンで合意形成された記事もバイアスがかかったものとなる旨を反論してなかったでしょうか。--kei 2011年8月9日 (火) 15:25 (UTC)
ウィキペディアと言うものである以上そういうバイアスはかかりますよ?テレビならテレビ、新聞なら新聞なりのバイアスがかかるのと同じです。ですが、ウィキペディアの合意形成は論拠として検証性などを元に話し合われるものであり、ウィキペディアン自体を論拠にするというのがありえないと言っているのです。それではウィキペディアにいる人間だけの考えで物事を発信する独自研究の場となってしまう、それはウィキペディアではないでしょうと。世間一般のデータに対しウィキペディアンのデータではこうだと物を言うのは明らかに行き過ぎです。ご自分で示した世間のデータを地に落としてどうするんですか。--はぬまん 2011年8月9日 (火) 16:19 (UTC)


コメント調査投票という手続きそれ自体は、私は反対はしませんが、私はまだ議論は尽くされていないと思います。現時点ではkeiさんのまとめがありますが、形式上あいまいであったため、議論がこみいってしまいました。keiさんがまとめられた時に、せめて「改名提案」などと節化していただけたら、それについて賛否がとれただろうに、と思います。Dwy さんの調査投票の提案それ自体は、案としては尊重しますが、議論の流れからいいますと、本来は、keiさんのまとめに関して、あらためて議論が集約できたのではないか、と思いますし、調査投票の手続きは、このkeiさんによる(当初は代理的なものであった)改名提案の理由に関する議論がひとまずは終了してからでいいように思います。あるいは、別の案ということで、さらに別節化していただくと、私としては、理解しやすくなります(可読性が増します)。--西方 2011年8月9日 (火) 17:04 (UTC)
と、書いたあとで思い直しました。keiさんのまとめに関する反論は私もありますが、議論参加者の少なくない方がおそらくは予想されていることは、「堂々巡り」の議論。つまり、同じ話の蒸し返しです。そこで、さらに第三者に開かれたものである「調査投票」を、これまでの議論の総まとめの機会として見なすことができるかもしれない、と思い至りました。すなわち、改名反対、改名賛成それぞれの立場の論点や論理を、双方の立場が協力しつつ、まとめあげ、それを調査投票において晒す、ということです。もちろん、これはあくまで調査投票ですから、投票の結果それ自体は、懸念されるように多数決となってはならないし、また「信頼に足る情報源」とはならないことは前提だと思います。つまり、あくまで調査投票は、ひとつの参考資料ですし、判断の材料にこそなれ、「判断の根拠」としてては採用できないです。私の主眼は、調査投票を利用して、これまでの争点をまとめることで、今後、このノートにおける一連の議論が俯瞰できれば、新しい閲覧者のためにも理想的であるかと思われます。むろん、論点の総合は一苦労ではありますが。--西方 2011年8月9日 (火) 17:04 (UTC)

(改名提案に) 反対 (当然ながら、ここまでの膨大な議論は全く読んでいませんが)現在の「事件」という客観的な表現を、「大虐殺」という恣意や比較級が含まれる主観的な表現に換えようと試みているにも係わらず、それをサポートするに足る説明・証明がなされていません。この時点で、本件の提案には断固反対します。(一般論として): この記事の件が「controvertial」であることは自明なのですから、現在の記事名の元で事実や諸説が解説されることが、百科事典としては恐らく常に最も真っ当かと思われます--Ch0331 2011年8月10日 (水) 13:00 (UTC)

Ch0331さん、貴重なご意見ありがとうございます。西方さん、確かに調査投票を行うことで、膠着感のある議論から一歩前進するきっかけとなるかも知れませんね。--kei 2011年8月10日 (水) 14:18 (UTC)
>西方さん 一度議論をまとめることはとてもよいことだと思うのですが、調査投票を用いずとも出来ることではありますよね?調査投票を多数決として使おうという動きがある現状では安易に同意しかねる所なのですが。少なくとも後半の「「判断の根拠」としてては採用できない」という言明を調査投票を推進する方からいただけないと同意はできません。--はぬまん 2011年8月10日 (水) 16:57 (UTC)
>正直言って、本来実行されるべき議論はゼロだったと思います。 それから調査投票の各意見を読んで、考え方を変更するのは各々の認められた裁量の範疇なのでその影響は防げないと言っておきます。 それからはぬまんさんへ、調査投票に強制力がないのは、ウィキペディアの常識にあたることであって、そんなことにまで、いちいち決が必要でないないことくらいは、はぬまんさんなら良くご存知だと思います。 「推進」という荒い表現を使ったり、明言がなければ同意できないという態度は、いかがなものでしょうか。--Dictionwolf 2011年8月10日 (水) 17:32 (UTC)
その常識に反するようなことを繰り返されたので言わざるを得なかったのです。そのような状況ですので後からまた「コンセンサスに従うべき」と言われて揉めても不毛ですから言明いただきたい所存です。ところで「推進」って荒い表現ですか?強引なニュアンスはなかったかと思いますが…。--はぬまん 2011年8月10日 (水) 17:57 (UTC)
戻します。 常識に反するようなこととは、どのことを指しますか? 「コンセンサスに従うべき」と言っても、調査投票を最終決定にして良いなどの事前のコンセンサスがそもそもない以上は、後から主張してもそれはコンセンサスとはいえません。 また「推進」という言葉は、組織的に誰かが何かを行っている時にもっぱら使われますので、誤解を誘発しかねない表現と思いますよ。--Dictionwolf 2011年8月10日 (水) 18:07 (UTC)
えぇと…Dictionwolfさんの言わんとするところを測りかねているのですが…。調査投票に強制力がないのは常識にあたる訳ですよね?Dwyさんは「そのコンセンサスに従って編集が行われるべき」として「コンセンサス(=多数派の意見)に従うこと」としているわけなんです。これでは調査投票の結果を強制しているではないですかー、と言うことですが。「後から主張してもそれはコンセンサスとはいえません」ええ、ですから後々の無駄ないざこざを避けたいがために言明を先にいただいておきたいのです。「推進」は別に組織じゃなくても言葉の使い方としてあると思いますが…Dwyさんがご不快でしたら謝罪いたします。--はぬまん 2011年8月10日 (水) 18:39 (UTC)
コンセンサスとは合意、一致した意見のことです。 はぬまんさんは、調査投票の扱いについて、心配ならば改めて普通の説明をすれば良いだけだと思います。 また「推進」は現にそのような使い方をするわけで、第三者が誤解するような表現は勤めて使わないようにして頂きたいと思います。--Dictionwolf 2011年8月10日 (水) 19:03 (UTC)
調査投票が多数決でないということは、現在の議論参加者内ではコンセンサスを得ていると思います。そうなると、はぬまん氏が反対する理由はもう無いと思います。どのような結果が出るかわかりませんが、ある程度票が集まれば議論進展には貢献するでしょうから、とりあえずやってみませんか。--kei 2011年8月11日 (木) 14:38 (UTC)
私は別にはぬまんさんだけ責めてるわけじゃないですよ。 相手が誤解しいるかも知れない場合は、とりあえず正しい情報を与えて、反応を待ったほうが議論が収束すると言っているだけなのですから、気をつけるのはお互いさまのことです。 投票で進む方向が決定されるのは、事前に投票結果を尊重して良いというコンセンサス(合意)がある場合で、その合意に対して強制力があったり、投票結果に不服を言うことが「いつまでも納得しない行為」になったりするのです。 今回は明らかにそういう合意なしでやるのですから、数で強制はされる心配はないわけです。 --Dictionwolf 2011年8月11日 (木) 15:00 (UTC)

(インデント戻し)しかし、ここの議論では過去に2回程、投票が実施されていますが(いずれも改名否定派が多数の結果に終わる)、いずれも議論の進展に寄与しているとは思われませんが。--Truesight 2011年8月11日 (木) 15:57 (UTC)

議論の途中で自然発生的に賛否がつけられていくやつは、紛争解決手続きとしての投票とは似て非なるものですし、そいういう投票もどきにおける賛否の数を数えてもあまり意味がありません。--Dwy 2011年8月14日 (日) 16:03 (UTC)
少なくとも1回目の投票はそれほどいい加減な投票ではありませんでした。それとこちらにいらっしゃる方の中には紛争解決手続きとしての投票に反対されている方も少なからずおられることを忘れていませんか。この際、投票にどういう効力を求めているのか詳らかにしていただきたい。投票結果に強制力はあるのかないのか、以降の議論で投票結果を根拠とした議論を行うのは是なのか否なのか。--Truesight 2011年8月14日 (日) 16:19 (UTC)
Dwyさんの「議論の途中で自然発生的に賛否がつけられていくやつは、紛争解決手続きとしての投票とは似て非なるものですし、そいういう投票もどきにおける賛否の数を数えてもあまり意味がありません」という意見ですが、「投票数を数える」という意味においては許容できますが、議論は継続しておりますし、合意に達していない以上、賛否を表明したうえで意見陳述することは大変重要なことです。編集者の見解の陳述は議論においては宝なのですから、意見陳述を「投票もどき」とか無意味ということは、発言者への冒涜とも解釈可能ですので、以後はご控え願いますようお願いします(Wikipedia:礼儀を忘れない参照)。念のためコメントしておきます。(Dwyさんがあくまで「数え」について言及されていることは了解しております)--西方 2011年8月15日 (月) 17:12 (UTC)


手続き論がクリアされたら実質的な議論に入ろうと思っていたのですが、PSIAさん[145]と大和屋敷さん[146]から異議が出て、手続き論がクリアされたとは言えない状態になっているようです。

ローカルルールについては、「この期間中に準備を行うことを認める」=「(本来投票の準備は議論が尽くされた後で行うべきものだが)この記事では若干のフライングを認める」という私の解釈を示しましたが、PSIAさんが納得されないようであれば、ローカルルールそのものの意義について(他の記事にも同様のローカルルールが存在しているようなので)井戸端にでも問題提起を行いたいと思っています。

もうひとつの、Dictionwolfさんからの趣旨説明の件については、質問に対する回答を待っているところですが、大和屋敷さんに議論継続の意思がないなら、このまま終了と言うことになると考えています。--Dwy 2011年8月14日 (日) 16:03 (UTC)

スルーされてる感があるので改めて発言しますが、「議論のまとめならば調査投票でなくともできる」「調査投票をもしするとしても調査投票を望むDwyさんに求める強制力がないという言明」。Dictionwolfさんからは心配するまでもないとされましたがDwyさんの以前の発言を見るに安心することができません。また、Dictionwolfさんは強制力がないとするのなら私に言うよりかDwyさんに言うような発言内容であったのではと感じられました。Dictionwolfさんの言う「普通の説明」が私に出来ていないと思われるからあのような指摘になったのだと思いますし、他人の「普通」の感覚ほど難しいものはありませんから…。--はぬまん 2011年8月14日 (日) 17:29 (UTC)
補足の説明ですが、私が、調査投票の数によっての強制力はないと説明して待って、あえて強制力を持たせるべきという反論がなければ、おのずと強制力はないということで決定しますので、無限の心配を続ける必要はないかと思われます。--Dictionwolf 2011年8月14日 (日) 17:42 (UTC)
補足説明ありがとうございます。そういったお話でしたら安堵できます、改めてありがとうございます。--はぬまん 2011年8月14日 (日) 17:53 (UTC)
いろんな論点を一度に議論するのは難しいので、ひとつひとつ順番に片づけていきたいと思っただけで、スルーしているわけではありません。
なお、調査投票が拘束力のある投票でないということは、Wikipedia:調査投票の方法にしつこいくらいはっきりと書いてありますので、私から言質を取るまでもないでしょう。
それから、前に予告した通り、「多数決主義ではない」の行き過ぎを是正する意味での提案をWP:CONの方で行っています。念のため、もう一度ご案内します(議論そのものはこちらです。)--Dwy 2011年8月14日 (日) 22:50 (UTC)
「「多数決主義ではない」の行き過ぎ」と仰いますが、本懸案では調査投票の選択肢が結論そのものになってしまうから多数決と見なされかねず議論を妨害しかねませんよ?という点なのですが。そうはならない状況で議論に有益な調査投票の行い方を否定している訳ではありませんし。--はぬまん 2011年8月15日 (月) 07:48 (UTC)

自分でも情けないのですが議論があやれこれやあったのであやふやになってしまっていたのですが、改めて本懸案における調査投票への私の考えをまとめておきます。まず仮に調査投票をするとなったとしましょう。その時の本懸案における選択肢はなにか?記事名が何がよいか、記事名の歴史的事件が何が一般的であると思うか辺りでしょう。つまり争点となっている「事件」か「大虐殺」か「暴虐事件」かどれかってことです。まずこの時点で調査投票の結果が記事名を決める本議論の結論に直結してしまっています。もう一点。仮に投票が行われ何かしらの結果が出たとしましょう。「事件」が多かったとしても「大虐殺」が多かったとしてもかまいません。調査投票に強制力がない以上、出された結果をどのように議論の補助とするのでしょう?とりあえずやってみて結果が有益になればいいよね、そのように軽く考えておられるのかもしれませんが、それでは「多かった側は如何に調査投票で多かったことが根拠ではないと議論展開をするのでしょうか?」調査投票で多かったことが根拠として議論を進めれば多数決を推し進めていると見なされかねません。もうちょっと議論の中身が違い、折衷案の探りどころがある懸案であればこのような状況ではありませんから調査投票を有効に使いうる側面もあるかと思います。ですが、本懸案は「記事名」であって、結論としては「どっちか」としか出来ないんです。調査投票の結果を強制できない以上その結果を結論の「どっちか」とすることは出来ず、選択肢のどれが多かったからと折衷案を探ることも出来ず、何の為にするのかという問題が出てきてしまうんです。西方さんご提案のように議論のまとめとしての機会であれば、別に調査投票を用いずともまとめることは出来るわけですし、調査投票を行った場合のメリットというのがデメリットに対し少なすぎる感が否めません。--はぬまん 2011年8月15日 (月) 08:34 (UTC)

コメント (1)調査投票に拘束力はありません。そこが「多数決」との違いです。(2)私は元々、現時点では「調査投票」の効果には疑問ですが、今後論点が整理された後で意見を整理する意味ならば有効な可能性もあるかも、という立場です。Dwy さんの最初の発言は「ある程度議論を尽くしたら(既にずいぶん議論していますから、あまり時間をかけなくてもよいと思います)、改名派・反対派の双方でそれぞれの主張を整理し、第三者に分かるように簡潔にまとめ、調査投票で広くコミュニティのコンセンサスのありかを探るのがよいと思います。--Dwy 2011年8月5日 (金) 13:43 (UTC)」で、「今すぐ行う」という提案でもありません。今から過剰反応する必要はありません。(3)いずれにせよ、手続き論も長引いて話の要点が新規参加者には見えずらいので、主な論点の整理と、(図書館で調べた)出典の再確認は、私が今度書いてみます(多少は書く人の視点が入るのは避けられませんが)。--Rabit gti 2011年8月15日 (月) 14:53 (UTC)
まず、投票結果に強制力を持たせないということと、投票結果についての議論を禁じることは別です。 前者は合法、後者は違法です。 当然ながら一方の意見が圧倒的な多数なら、そのことを持ち出されるでしょう。 しかしそれで少数意見は自動的に排除とはなりません。 少数派は根拠の薄い同じような意見に多くの票が集まっていれば、その点を指摘して、調査投票は数ではないと言えば十分です。 多数決は、根拠が薄かろうが機械的に多いものを勝ちとする取り決めですから全く異なる概念です。--Dictionwolf 2011年8月15日 (月) 15:36 (UTC)
いずれも一定の正当性がある改名案(現状維持を含め)が複数存在し、議論を行っても合意することが難しい場合、新たな論点がない限り永遠に続いてしまうことが予想されます。どの案にもそれなりの正当性があるのであれば、それが現時点でどれほどコミュニティの支持を得ているのかを投票で明らかにし、その後の議論に生かすことは乱暴なこととは思えません。また、記事名を決めるに当たって重要な要素として認知度が高いことが挙げられますが、投票によってそれを計ることができるという点もあります。もちろんウィキペディアは多数決主義ではありませんが、記事の発展に寄与しない議論を続けることにも意義はないと考えます。--有足魚 2011年8月15日 (月) 16:02 (UTC)
Rabit gtiさんに。(1)拘束力がないのは周知の事実で異論は出ていません。拘束力のなさを踏まえ、結論に直結してしまう調査投票の結果がどう議論の補助になるのかと申しているのです。(2)意見の整理ならばデメリットなしでまとめを行うことは出来ると申しております。改めてこの議論に参加している人間が己の主張内容を述べていくなど方法は他にもあります。今か今じゃないか過剰か過剰じゃないかとかは関係ありません。(3)すいません、お手数をかけます。個人でだけでなく参加者同士で論点の整理は行えた方がよりバランスが取れたものになると思いますので出来ることがあればお手伝いしたく思います。
Dictionwolfさんに。投票結果についての議論すると言っても論じるだけの調査結果となりえないからこのように申しているのです。圧倒的差であろうと僅差であろうと変わりません、例え多数派に根拠の濃い意見が並ぶとしてもむしろ数の寡多より以前にその根拠により議論するべきであり結果としての数に意味はないんです。そも、そのような意見が議題に対し出るような状況ならば調査投票という形をとる必要はなく、多数決と見做されかねないようなものは避けるべきです。多数決だから駄目だとしているのではなく、遺恨を残しかねない方法は避けるべきとしています。事実、keiさんの差し戻し提案で参加者の意見を数で整理した発言があった前回改名が「投票によってなされたもの」と主張されました(内実は反対意見なしで投票と言える状況にもなっていません)。これだけ伸びに伸びている議論ですから面倒の種を残したくないんです。--はぬまん 2011年8月15日 (月) 16:23 (UTC)
投票結果について論じることが、どう遺恨を遺すことに繋がるのでしょうか。  念を入れて強制力を持たせないと説明した上で、整然と意見が一同に出そろうことが、どうして多数決と見做されかねない事態にすりかわる心配になるのか分りません。 投票は節目となって、不調となった議論に半年以上が好ましいとか、ある一定のクールダウンの期間を提案するかも知れませんが、不調で終わっただけであって、合意が出るまでは決定ではありません。 議論の伸び伸びはウィキペディアでは珍しいことでもなく、調査投票を排除してだれかが上手にまとめたとしても、ペンディングであって、解決終了とはならないのです。--Dictionwolf 2011年8月15日 (月) 16:51 (UTC)

「一般的な名称」の判断基準について[編集]

どちらの結論になったとしても、ウィキペディアンの数が論拠となったような(その様にも見える)状態で決着となると、「じゃあまた調査投票しなおして結果が覆ったらいいんじゃないか」みたいになってしまうんですよ。そんな状況になるぐらいなら、CiNiiなりOPACなりで僅差でも大虐殺の数が多いからとかの方が記事名の付け方としてマシに思えるんです(私の支持する方とは違いますがそれでも)。ですが、議論が手続き論だとか混乱した状態から続いてでとなると余計に投票っぽい。それですからせめてまとめるなりしてもう一度議論の中身を詰めた後でないと、数の論理臭さが抜けないんです。ぶっちゃけ、どちらの側からであってもkeiさんの差し戻し提案のような論法は受け入れがたく思えまして、例え大虐殺になったとしてもあんな論法で事件に差し戻すべきだみたいな話になって欲しくない。
まあ要はウィキペディアンの意見の数が基準に、判断材料としても入って欲しくないんです。そういう意味で提案なのですが。歴史的事件である本記事での「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」と言う、何が一般的か判断の基準を論文検索なりなんなりで僅差でも多いほうを一般的とする、と言う合意は出来ませんか。拮抗してるとは言いましたが少しでも片方が多ければそれは尊重すべき(拮抗というのもちょっと強弁臭い)ですし、検索結果がひっくり返ったから名前を変えるべきだ、と言う議論も後に出来るわけです。僅差で判断すべきかすべきでないか、判断基準とする検索対象をどれかと調査投票するのでもいいです。ウィキペディアンが直接的にどの記事名がよいかと調査投票するよりかは遥かに検証性が高まると思うのですが。--はぬまん 2011年8月15日 (月) 17:39 (UTC)節挿入--はぬまん 2011年8月16日 (火) 17:32 (UTC)
ここまで議論が多方面に渡っている中で、その話(差し戻し提案)を持ち出す意図が分かりません。議論進展にどのように貢献するんでしょうか。反論する論拠は十分に持っていますが、子供の喧嘩みたいですし、今の議論の中心はそこには無いので差し控えます。さて、CiNiiなりOPACなりで僅差でも決着を得ようとのことですが、統計と投票の役割を混同しています。統計は誤差が有ることを前提に集計するので僅差の場合は決着をつけません。敢えて僅差でも決着をつけようとするなら、全ての票に対して有効/無効を検証しなければなりません。また他の集計対象がある中でCiNiiやOPACに限定するための論拠も必要となるでしょう。もっとも左記の論拠や票の検証をクリアしたとしても、統計で得られた結果を多数決の方式で利用するようなものであり、ご自身が多数決を否定するために持ちだした根拠を自ら破ることにもなります。いずれにせよ検証性よりも、論理性の面から無理があります。--kei 2011年8月16日 (火) 12:33 (UTC)
コメント はぬまんさんへ。解決案の提示自体は、建設的な姿勢とは思いますが、これまでの論点を見れば単純ではありません。(1)記事名選定のガイドをWikipedia:記事名の付け方とすべきかの合意がありません。方針文書であるWikipedia:中立的な観点の方を優先すべきとの意見、「虐殺」は記事名に不適切かどうかの議論、逆に「個別法」を優先すべきとの意見、両立またはバランスを模索すべきとの意見、「虐殺」を使用した多数の記事のうち当記事だけ「中立的」を持ち出すのは逆に非中立的、などの意見も出ています。(2)「CiNiiなりOPACなり」とありますが、何を測定基準とすべきかも合意がありません。そもそも一般書籍の検索が妥当なのか、その中でも学者の意見を重視すべきか、逆に一般の認知度を重視すべきか、学生向けは除外すべきか、「略称」はどう扱うか(通常は略称の方が多数ヒットする)、分野により用法も変わる(世界史では「南京事件」は南京事件 (1927年)を指す事が多く、日中戦争または日中問題史では南京事件 (1937年)を指す事が多い)などの意見もあります。(3)「僅差でも多いほう」は、毎年のように改名されうる可能性への反対意見、2-3割なら良いとの意見、2-3倍でないと認められないとの意見、などもあります。--Rabit gti 2011年8月16日 (火) 13:07 (UTC)


はぬまんさんの一般性の規準については節化した方がいいかと思います。それで、かつて論文数などの統計数値を規準にすることをまさに「数の論理」として納得できないとした者としてコメントします(なおその後の議論で一般性も考慮すべきことに納得しました)。配慮されるべき規準は、おおきくは1)「一般的な名称」すなわち一般性、2)中立性(上記節参照)だと思います。私は2)の中立性に関する議論が不足していると思い、問題提起し、結果、様々な見解と議論ができました。まだ、それらの論点も終了しているわけではないですが。そのうえで思いますのは、たしかに「中立性」については、どうしても各編集者の価値観といいますか、歴史認識が反映されます(絶対的な中立性などないにしても)。しかし、この編集者間の歴史認識を巡る議論は、議論されてもいいにしても、相当長い時間を要するようにも予期されます。そこで、合意形成の観点からも、1)の「一般的な名称」すなわち一般性に立ち返れば、たしかに論文のタイトル数は客観的なデータとして存在するわけですし、重視すべきことはいうまでもありません。私自身は、記事名の採用(改名議論)において、このような統計的な一般性のみを規準にすることには反対しますが、長い議論の膠着の結果、暫定的な合意として「何が一般的か判断の基準を論文検索なりなんなりで僅差でも多いほうを一般的とする」とするのは、ありだと思います。たしかに、一般論としても「一般性」とは、時代の議論や世論によって変動していくものですし、それは学問においても同様でありますし。今後の議論次第では、この一般性に関する暫定的な「定義」はローカルルール化してもいいのかもしれません。「複数の記事名候補において、いずれが一般的かが争われた場合には、論文検索などで僅差でも多いほうを一般性を保持している、とする」などといった。ただ、むろん、新たな問題提起を排除してはならないということは前提のうえで。以前、Rabit gtiさんが似たような案を述べられたことがあったように思います。
たしかにkeiさんのおっしゃるように、「他の集計対象がある中でCiNiiやOPACに限定するための論拠」や、その検索結果のデータの内実ということにも踏み込めば、たしかに「決着」にはいたらないかと思われますし、仮にローカルルール化する場合は、そのあたりの議論をつめる必要があるのも確かですね。しかし「南京事件」も「南京大虐殺」もいずれも信頼できる情報源を持ち、かついずれも一般性があることが証明された以上、そのような「僅差」を考慮することは必要といいますか、そこまで細かい議論を行わないと、それこそ決着がつかないのかな、とも思います。まあ、ここでの議論は内容的にも[過去ログでの議論「英語版より「一般的な名称を使う」の節を移入する提案」などをふまえて(そこでは検索エンジンをどれにするかといったことを配慮し、提案は一度取り下げられています)、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方においてもあらためて議論すべきなのかもしれません。--西方 2011年8月16日 (火) 13:39 (UTC)
補足。Rabit gti さんの指摘された論点のうち、議論がここまで詳細につめられてきていることを考え合わせますと、まずは歴史学における動向が優先されていいかと思います。学界での動向は、ニュース報道などとは異なり(ウィキペディアは速報のまとめではありません)、正確性・厳密性が比較的保持されているからです。すくなくとも、教科書の表記については、歴史教科書は歴史学界での動向を(遅れて)反映するため、「歴史学における動向」に包含されていいと思います(また、本文の記述にも節化されておりますので、記述すべき動向があれば適時加筆されればよいかと思います)。また一般書籍、ベストセラー、話題性の高い書籍に関しては、本記事のような事件に関しては、歴史学者または歴史ジャーナリストが執筆したものが多くあると思いますが、それも「歴史学における動向」に包含可能ではないか、と思います。あとは、政治的な係争(たとえば南京事件を題材にした映画上映を巡る議論が未来において再燃するような場合)については、本記事の「現在」節などにおいて加筆していけばよいかと思います。(余談ですが私はこれまでの議論を心より尊重しますとともに、なかなか記事の充実が進行しないことを残念に思っています)--西方 2011年8月16日 (火) 13:56 (UTC)
コメント (スレッドで直前の西方さんへのコメントです)。私が調べた出典を書いていないのが悪いのですが、先に書いてしまうと、歴史学というか、一般向けの百科事典や歴史年表や山川の歴史教科書では「南京大虐殺」の方が多数になってしまいます(時代的に百科事典は新刊は少なく、また多くの歴史年表や教科書は保守的で古い表現が多い側面はあると思いますが。)逆にソ連崩壊後の一般書籍(特に日中戦争や歴史問題に特化した書籍)では、「南京事件」が多数あると思います。--Rabit gti 2011年8月16日 (火) 14:34 (UTC)
keiさんへ。多数決と見做されかねないという根拠として今までの議論の中でもそのような方法論で指摘があったと言うことです。無効だと突っ込むような余地を残したくないだけです。集計対象の選定もそれはそれで議論するなりでも構いませんよ、選択肢が多すぎる際の方法論として調査投票は有効であると考え「集計対象を調査投票するのでも構わない」としただけです。調査投票の必要なく議論で定められるのならそれはそれでもちろんよいことかと思います。要するにその場にいるウィキペディアンの投票数に依存した結論が良くないんですよ。個人的な意見としては、前回の改名理由が「歴史学の分野や教科書」で増えてるとのことでしたからそれに倣って論文数のデータのCiNii辺りがいいかもしれません。
Rabit gtiさんへ。(1)それらの争点にそれぞれ意見を出し合うなど改めて出来る議論があるのではないですかねーと調査投票での話に反対してきた訳です。(2)上記の通りどれがよいかと言うことも踏まえてでしたので「CiNiiなりOPACなり」という言い方をしました。(3)結局のところそれらの意見のうちどれにすべきかと言う決定力に欠けるため僅差でも多いほうとしました。--はぬまん 2011年8月16日 (火) 14:10 (UTC)
西方さんが更に建設的な提案をされていますが、私が当初に「まず名称選定の方法を合意しましょう」と言っていたのも似た趣旨です。特に「僅差」を想定すると、以下の対応方針も先に考慮しておくべきですが、各合意も容易ではないと思います。(1)多くの検索サイトや書籍検索では「書名」として「南京事件」と検索しても書名「南京大虐殺」がヒットするなど、あいまい検索やインデックスの存在と思われる数値変動が激しい(利便性優先のシステムなので、そもそも厳密な数値比較には向かない)(2)「『南京大虐殺』はなかった」などの書名は、作者の趣旨(南京大虐殺を否定)を尊重すべきか、語の普及度(否定派でも普及した用語を使わざるを得なかった)と解釈すべきか (3)大多数の書籍は(他書籍の引用箇所を含めると)両方の語を使用しているが、単純にそれぞれカウントしてよいのか。(4)百科事典も、政治的な新書も「平等」に同じ扱いで良いのか。なお、これも西方さんの発言に近いものがあると思いますが、当記事名は「南京事件」も「南京大虐殺」も長い「実績」があり、双方の根強い支持者も多いのは自然な事と思っています。少なくとも「どちらかは全く論外」的な主張は、百科事典の記事名選定の議論には、不適切かと思っています。--Rabit gti 2011年8月16日 (火) 14:13 (UTC)
はぬまん氏へ。前回の改名理由が「歴史学の分野や教科書」で増えてるとの印象(根拠の提示が無い)によるものでしたから、まず論理的根拠としてCiNiiの結果を反映させた上で「南京大虐殺」に一旦修正し、改めて合理的な論理を議論するということでしたら同意します。--kei 2011年8月16日 (火) 14:31 (UTC)
横槍失礼。根拠の提示がなかろうが正式な処理でおこなわれた改名を戻すことは許されません。改めて改名提案をしてください。また、提案者だけでなく、賛同者の意見を切り捨てることはお止めください。私はいわゆる否定派も肯定派も使用している用語が「南京事件」であり、中立的観点にかなっているという点から賛同しています。そしてそれは研究者の著書名を確認すれば一目瞭然で根拠のあるものです。
著書や論文の単なる用語の「カウント」は意味がないと思います。同じ研究者が一本でも多く書いていればカウントされてしまいますし、括弧書きの「南京大虐殺」もカウントされてしまいます。括弧書きには意味があり「南京大虐殺」を一般的に普通に使用している状態とはいえません。括弧書きの南京大虐殺もカウントするならば括弧書きの記事名にしなくてはならない可能性も出てきます。そんなことよりも世の中の研究者がどの用語をどのように使用しているのか、調査したほうがマシではないでしょうか。とても難しいですが、たとえば論争に出ているそれぞれの研究者の著書名(本の顔といえる)にどの用語を使用しているか?という調査先を特定する合意をしたうえで研究者の用語使用を調査する等。--PSIA 2011年8月16日 (火) 14:56 (UTC)
今更「改名を戻す」という発言をする気は無いのですが、単に当時の提案者の論理を補強する根拠としてCiNiiで集計したところ、「南京大虐殺」が多かったということです。さらに賛同者であるPSIA氏の研究者の著書名という論理を補強するものとしてもCiNiiによる論文集計結果が南京大虐殺258件:南京事件216件と「南京大虐殺」が多かったわけです。要は意見の切り捨てではなく、意見を尊重して検証してみたところ逆の結果でしたということです。--kei 2011年8月16日 (火) 14:56 (UTC)
そのカウントは単純な用語のカウントですよね?どの研究者がどの用語を使用しているかわからないし、同じ研究者が一本でも多く著書を出していればカウントされてしまいますよ。私が賛同した理由はそれぞれの立場の研究者が揃って使用しているのが「南京事件」というものです。そしてそれは東中野から笠原まで、著書名に「南京事件」を使用している中立的用語であり根拠のあるものということです。--PSIA 2011年8月16日 (火) 15:02 (UTC)
では尊重したというのはご理解いただけましたね。当時、何をどのような方法で集計し、その結果として南京大虐殺・南京事件のそれぞれが何件であったかということです。それが見えないのでCiNiiを使用しています。因みに集計方法は論文名検索+完全一致です。研究者が使用する用語という曖昧な集計ではありません。--kei 2011年8月16日 (火) 15:18 (UTC)
いや、尊重になっていないでしょう。だってこちらの言い分の「検証」にまったくなっていないのですから。そして繰り返しますが、「南京大虐殺」と括弧書きまでカウントされており、普通に使用されていないものまで含まれています。付け加えますと、改名提案者だったNAKATA氏の「最近歴史学の分野や教科書で南京事件が増えてきた」を否定するものでもありませんよね?年代調査もしていないようですし。単なる用語のカウントは意味ないですよ。そして数の僅差を争っても仕方がない。それよりそれぞれの立場の研究者が共通して使用している用語を使用することが、私たちの独自研究を省く最適なものでしょう。--PSIA 2011年8月16日 (火) 15:29 (UTC)
まず「増えてきた」というのが極めて曖昧なんですよね。少し増加したのか、過半数以上となったのか、何を元にしたのか。ということです。PSIA氏の論理的根拠はどれをどのように集計したものかの返答もありませんし。もっともこちらの意見も同意者が現れなければ、無理に推し進める気はありません。現在進行している議論を阻害する要因になりますから。(同意者が現れるのであれば、そのあたりのご説明をいただくことになりますが)--kei 2011年8月16日 (火) 15:37 (UTC)
曖昧かどうか知りませんが、上で申したようにkei氏の「検証」とやらは私やNAKATA氏の意見の「検証」になっていないということなんですよ。現在のところNAKATA氏の論に根拠がないというならば、kei氏も、その論をくつがえす根拠がないということです。
そして私は論争の代表的研究者の著書名をそれぞれ調査して判断しました。「集計」というよりもそれぞれの研究者が出している論文の顔となる著書名にどの用語を使用しているのか?という単純なものです。その結果、東中野やらいわゆる「否定派」は南京事件は使用するが、南京大虐殺は使用しない(稀に使用しても括弧書きである)。逆にいわゆる肯定派の笠原や本多は南京事件を多使用する。それぞれの立場が共通して使用する用語を記事名とすることが中立的で独自研究も省けるということです。論争の研究者の著書名はすぐ調べられると思いますので、疑いがあるならばご自身で検証してくれば、わかることですよ。--PSIA 2011年8月16日 (火) 15:52 (UTC)
Nakata88氏の主張に関しては、「論拠が不明なので検証できない」、「論を覆す根拠が無い」というのは少し違うと思います。論拠の明示が無いのなら、推測して検証するしか術は無いでしょう。研究者が共通して使用している用語とされてますが、論文でのタイトル使用(CiNii検索)よりも本多勝一(ジャーナリスト)、笠原十九司(中国近現代史)、東中野修道(日本思想史・東ドイツ史)に限定して判断材料とすることは合理的では無いように感じます。それと可読性が下がりますのでNAKATA氏ではなく、出来るだけNakata88氏や利用者:Nakata88氏としていただけると有難いです。--kei 2011年8月17日 (水) 11:56 (UTC)
その「推測の検証」が検証になっていないと言っているのですよ。「近年南京事件と呼ばれている」というnakata氏の主張を検証するならば、「近年南京事件と呼ばれているのか否か」という年代についての検証をすべきでなのです。kei氏が「検証」したものは、単なる著書名の統計なだけで、年代の調査がないのでnakata氏の論について、肯定・否定のどちらの「検証」にもなっていないということです。現在のところ「近年南京事件と呼ばれている」というnakata氏の主張に根拠もないし、それを覆す「近年南京事件と呼ばれていない」という反論する根拠もありません。--PSIA 2011年8月19日 (金) 14:32 (UTC)
CiNiiで検索してみた結果を年代別に見てみました。何かのご参考になれば幸いです。(見栄えが悪くなりました。申し訳ありません。どなたかが修正して頂いても構いません。)
2010年以降 南京事件6件、南京大虐殺4件
2009年 南京事件5件、南京大虐殺3件
2008年 南京事件34件、南京大虐殺18件
2007年 南京事件44件、南京大虐殺57件
2006年 南京事件10件、南京大虐殺26件
2005年 南京事件10件、南京大虐殺10件
2004年 南京事件10件、南京大虐殺10件
2003年 南京事件3件、南京大虐殺7件
2002年 南京事件13件、南京大虐殺7件
2001年 南京事件14件、南京大虐殺11件
2000年 南京事件16件、南京大虐殺19件
1999年 南京事件15件、南京大虐殺24件
1998年 南京事件10件、南京大虐殺16件
1997年 南京事件4件、南京大虐殺8件
1996年 南京事件3件、南京大虐殺6件
1995年 南京事件1件、南京大虐殺0件
1994年 南京事件2件、南京大虐殺2件
1993年 南京事件0件、南京大虐殺0件
1992年 南京事件0件、南京大虐殺0件
1991年 南京事件3件、南京大虐殺0件
1990年 南京事件2件、南京大虐殺0件
1989年 南京事件2件、南京大虐殺1件
1988年 南京事件2件、南京大虐殺0件
1987年 南京事件5件、南京大虐殺2件
1986年 南京事件3件、南京大虐殺7件
1985年 南京事件1件、南京大虐殺4件
1984年 南京事件1件、南京大虐殺8件
1983年 南京事件0件、南京大虐殺2件
1982年 南京事件0件、南京大虐殺1件
1981年 南京事件1件、南京大虐殺0件
それ以前 南京事件9件、南京大虐殺9件
CiNiiのデータベースにはいろいろな雑誌が含まれているということを今回新たに知りました。例えば科研費データベースでキーワード検索をしてみると、南京事件21件・南京大虐殺6件となります。googleで直接検索してみると、南京事件約691,000件・南京大虐殺約1,160,000件になります。google scholarで検索すると、南京事件約46,600件・南京大虐殺約14,400件となりました。
私個人としては、どのような点で何が争われているのかよく把握しているとは言えませんが、南京事件か南京大虐殺かという二者択一で項目名を議論するより、南京大虐殺(南京事件)とか南京事件(南京大虐殺)のような併記形で合意は取れないものかと思ってしまいます。議論の筋と合わないことを申し上げていたら、私の発言は無視していただいて結構です。--Henon 2011年8月19日 (金) 16:47 (UTC)
なお、補足ですが、私は検索データの数の多寡で何かを決定することが正しいと考えているわけではありません。上のデータの中にも必ずしも本来の話題に合致していない項目が含まれている可能性はかなり高いと思います。""をつけて検索すると、googleの場合、"南京事件"約1,940,000件・"南京大虐殺"約1,840,000件となります。これは""なしよりも数が増えているなど検索そのものに私には理解できない部分もあります。私がデータを取ったのは、それが簡単な作業でできるからということに尽きます。--Henon 2011年8月19日 (金) 16:57 (UTC)
Google検索を追検証してみました。検索毎に若干の数値の揺れがあるようですが、わたしが行ったところ下記に落ち着きました。
検索ワード 件数 リンク
南京事件 8,390,000 [147]
南京大虐殺 905,000 [148]
"南京事件" 1,940,000 [149]
"南京大虐殺" 1,850,000 [150]
--Truesight 2011年8月20日 (土) 03:24 (UTC)
Truesightさん追検証ありがとうございます。昨夜の私のgoogle検索は随分値が違うみたいなので何か勘違いをしていたのかもしれません。google検索に関する私のデータは無視した方がよさそうですね。--Henon 2011年8月20日 (土) 03:51 (UTC)
いえいえ。どうもgoogle検索ではヒット件数が時々変動するようです。問い合わせてるサーバ毎に異なる値を持っているのかもしれません。特に「南京大虐殺」の検索では905,000件と117,0000件で値が比較的頻繁に入れ替わるみたいです。--Truesight 2011年8月20日 (土) 11:47 (UTC)

個人的には手続き的にも状況的にも現在の時点で投票をおこなうことは反対です。ですが万が一、投票に移行させるならば、両者の論理・議論を整理して、それを第三者にわかりやすく提示できた上でおこなうべきものと思います。つまり、投票移行前にお互いが第三者に提示する「論理・議論の整理」について作成し、それに合意した上で投票移行すべきと考えています。現在の状況ではまったく第三者が来ても訳がわからない状態でしょう。--PSIA 2011年8月16日 (火) 14:28 (UTC)

話しを元に戻します。統計による「僅差」については、やはり消極的な考えを持っていますが、はぬまん氏の提案を一歩進め、統計の場合有意水準という考え方を用いて、5%以上の開きがあった場合を有意とみなし、検索対象を雑誌検索なら○○、論文検索なら△△、一般書籍検索なら□□というように網羅性の高いものを中心に各分野毎に、それぞれで有意差があったものを判断材料に加えるということであれば、一定の合理性を持った根拠になり得るのかなとも思います。ただ母数が1000以下なら5%以上の開きはあって当たり前との印象があるので、この部分の数字に関しては検討が必要かも知れませんが、現状では解決の糸口が見えないので、より合理的な解決策が見出されるまでは暫定的に使用するという考えはありかなと思います。但し前提条件として、Rabit gti氏の懸念される「あいまい検索など」に関しては、キーワード完全一致検索が可能なものに限定する必要があるでしょう。--kei 2011年8月17日 (水) 12:22 (UTC)
Henonさん、詳細な検証ありがとうございます。お手数をお掛けしました。CiNiiからすると、改名提案者だったnakata氏の「近年南京事件が多い」という主張は、あながち間違えではなかったということになりますね。2006、2007のみ飛びぬけて「南京大虐殺」が多かったことの原因はなんでしょうね。--PSIA 2011年8月22日 (月) 12:21 (UTC)
PSIAさん。私はNakata88さんがどういう主旨でどのような発言をしたのかについてはよくわかりませんが、私の個人的な印象ですと、CiNiiのデータからでは、近年になって格段に「南京事件」の呼称が使われるようになったとは読むには少しデータが少ないかと思います。このデータだと昔からどちらの呼称も使われているようだけれど、むしろこの話題に直接関係した記事としてCiNiiに残っているものが意外と少ないなという印象です。いくつかのタイトルを見ると、2007-2008の間に格段に本数が多いのは、南京事件70周年だったことと関係があるのではないかと推測しています。--Henon 2011年8月22日 (月) 15:33 (UTC)
Henonさん参考までに国会図書館検索の年代別ヒット件数をお知らせしておきます[151]。またCinii検索も直近5ヵ年を比較したとき、2008年からは逆転しています。これは或いは学会の後追いといえるかもしれません。--Truesight 2011年8月22日 (月) 16:48 (UTC)
Truesightさん、お知らせありがとうございます。南京事件というタイトルのついたものが大きなスパンで見ると増加傾向にあることはある程度理解はできますが、それでも数や著者の数が少ないなと感じました。率直に言って、それが「学会」の傾向とまでいえるのかどうかはなんともいえない感じがしています。そもそも関係する学会(歴史系や軍事史系など)で重要なテーマとして扱われているのかどうかもよくわからないというのが個人的な印象です。--Henon 2011年8月24日 (水) 19:48 (UTC)