ノート:南京事件論争

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提案[編集]

提案ですが、犠牲者数は、まず、捕虜がこれくらい、一般人はこれくらい、根拠は、とか、そういった記述に修正したほうがいいです。また、学者の学説紹介のときも余計な情報はかえって混乱します。例えば、以下は本文からですが、何を言ってるのかよくわかりません。 「歴史学者秦郁彦の説。秦は「おそらくアトローシティに関する一般理論の構築は無理で、外的な要因だけで無く、兵士たちの集団心理を組み合わせて内在的に追従しないと結論は出ないだろうと思うが、この点で参考になるのは、曽根一夫氏の近著と早尾軍医の報告書であろう」と述べ[15]、曽根の著作を「類書に無い特色を持つ」と高く評価していた。秦は「筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者2.3万、捕らわれてから殺害された兵士3.0万を基数としたい。しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(2分の1か3分の1)すべきだと考える。つまり3.0万+1.2万(8千)=3.8~4.2万という数字なら、中国側も理解するのでは無いか、と思うのである。」[16]として、中国側に政治的配慮をしつつ[要出典]曽根の著作に依拠しながら[要出典]4万人説を導き出した。その後、曽根の「手記」そのものがまったくの創作であることが判明[17][18]し、さらに北村稔の調査でスマイス調査の隠された実態[19]が明らかになるなど、従来の自身の説の根拠が大きく揺らいできたなかで[要出典]、2007年、自身の著書の増補版にて「なお旧版では特記しなかったが、この計数は新資料の出現などを予期し、余裕を持たせたいわば最高限の数字であった。この20年、事情変更をもたらすような新資料は出現せず、今後もなさそうだと見極めがついたので、あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい」[20]と、それまでの自説から下方修正した。」

こう直したらどうでしょう。 「歴史学者の秦郁彦の説。秦は、一般人の死者2.3万(スマイス調査(修正)を参考)、(中国軍兵士は約10万人の中で)捕えられ殺害された兵士3.0万とした。一般人の不法殺害は、死者の2分の1か3分の1(1.2万(8千))とした。つまり3.0万+1.2万(8千)=3.8~4.2万という数字を算出した。中国側に政治的配慮をしつつ、4万人説を導き出した。以上は、曽根一夫の著書を参考にした。その後、曽根の「手記」がまったくの創作であることが判明[17][18]し、スマイス調査の隠された実態[19]が明らかになった後、2007年著書の増補で、再考察の結果、4万の概数は最高限であり、実数はそれをかなり下回るとした。」 その他も、虐殺数は、否定派以外の部分はこのように書き直す必要があります。

また、否定派の国際委員会の面々への批判とその論議は、ひとつの章まとめるべきです。説としてその是非は申しませんが、ここ20年くらいに出た新説のわりに大手を振っているので、是非をきっちり書いてまとめたいです__Japanese sincerity会話) 2015年11月3日 (火) 02:39 (UTC)

「まぼろし派・中間派・大虐殺派 三派合同大アンケート 永久保存版」『諸君!』33巻2号 (2001年2月号)、文芸春秋社、pp. 164-203。から転記すればわかりやすくなると思います。戦闘による死者も含めて20万と言っていることも理解できると思います。南京事件 (1937年)には、スマイス報告を表にして貼り付けましょう。また、秦氏は『南京事件』で曽根一夫氏の著作から引用していますが、139頁を見る限り、曽根氏の著作を算出の根拠として用いていません。また、北村氏の『「南京事件」の探究』でも、スマイスはティンパーリと違って依頼主を知らされていない立場となっていますので、「スマイス報告の実態云々」というのはおかしいです。「以上は、曽根一夫の著書を参考にした。その後、曽根の「手記」がまったくの創作であることが判明[17][18]し、スマイス調査の隠された実態[19]が明らかになった後、」はという部分はWikipedia:独自研究にあたります。除去するのが妥当であると考えます。

「否定派の国際委員会の面々への批判とその論議は、ひとつの章まとめるべきです。説としてその是非は申しませんが、ここ20年くらいに出た新説のわりに大手を振っている」というのはJapanese sincerityさんのご意見として承っておきます。それと、ティンパーリについて《近代来华外国人名辞典》の477頁をご自分の目で確かめてください。盧溝橋事件後、国民政府が彼を英米に派遣し宣传 (プロパガンダ)工作に就かせ、そのあと、(1939年らしいのですが) 国民党中央宣传部顾问に任命されている、のがわかるかと思います。「陰謀説」という見出しは先入観のあるものですし、「しかし、この東中野の説には反論がある。」の後の文はちょっとおかしなことになっていますよね。ご自身が一方の意見を支持しているからといって「誤った認識である」のように断定調で書くのはWikipedia:中立的な観点に反してしまいますので、修正してください。さらに、「南京事件の存在については「不明」としているが[30]、笠原十九司は鈴木を「否定派の中心メンバー」と評している」というのが突然でてくるのですが、これは鈴木明の指摘に直接関係するものでなければ不要です。Takabeg会話) 2015年11月3日 (火) 13:29 (UTC)

Takabegさんへ 修正には了解します。できるとこから取り急ぎ。--Japanese sincerity会話) 2015年11月3日 (火) 14:19 (UTC)

Japanese sincerityさんが2015年11月4日にWP:SOCKでブロックされたこと、同氏の編集が他の記事やネットからのコピペを中心とするものであり、同氏が検証を行ったものではないこと、それらのコピペを他の利用者が検証するよりも初めからソースを参照しながら書いたほうが有益であること (単にソックパペットによる編集だからということではありません)などを考慮して、同氏が編集を開始する以前の版まで差し戻しいたします。Takabeg会話) 2015年11月13日 (金) 12:04 (UTC)

タグ貼りの理由は?[編集]

Leowllさんのこの編集およびCcgxkさんのこの編集で{{観点}}、{{国際化}}、{{未検証}}、{{独自研究}}、{{大言壮語}}などが一挙に貼り付けられておりますが、具体的には何が問題だと感じたのでしょうか? また、利用者:花蝶風月雪月花警部さんによる直後の編集を見るに、同氏もタグ貼りを「追認」しているように見えます。具体的な指摘がなければ、他の利用者が何をどうしたらよいのかわかりませんので、非建設的な編集と考えられますし、WP:DISRUPTSIGNSと見做されることがありますのでご注意ください。また、まだ私論ではありますがWikipedia:タグ爆撃にもあたります。具体的な指摘がなされなければ除去させていただきます。Takabeg会話) 2015年11月23日 (月) 14:44 (UTC)

チェック 一週間、何の説明もなされなかったので除去しました。Takabeg会話) 2015年11月30日 (月) 16:36 (UTC)
コメント何だこの上から目線。具体的な指摘について、ノートをしっかり読みなさい。

ユネスコ資料[編集]

記憶遺産に「南京大虐殺」「東京裁判」引用際立つ」毎日新聞2015.10.11朝刊では記憶遺産に登録された「外国人日記「南京占領-目撃者の記述」」と報じられていますが、これはジョン・ラーベの日記のことでしょうか?--さんぽーる会話) 2015年12月19日 (土) 15:06 (UTC)

「主な論点」「虐殺の対象」[編集]

  • 「2.虐殺の対象」とすると2.5以降の記述と整合しません。また当記事全体の構成として「1.犠牲者数(に関する議論)」「2主な論点」「3.論争史」という構成が適切です。もう一度検討してみてください。--大和屋敷会話) 2015年12月20日 (日) 04:17 (UTC)
2.5以降の記述については、等号の数を配慮せず失礼しました。構成については大きくはそれでいいでしょう。また、資料(証言、写真、日記)ごとの構成にしたく思います。あらためて編集してみます。--さんぽーる会話) 2015年12月20日 (日) 04:39 (UTC)
  • 現状では等号の数が3つよりはじまっており、通常の記事は2本なので訂正します:Help:セクション参照。
  • 「主な論点」ですが、虐殺数も論点の一つなので、これだけを別のセクションにするのは不適切です。内容からいって、論点についてセクションが分かれているのは読めばわかるので明記することもないとも思いますが、冒頭で「以下、主な論点について概説する」と書けば、「主な論点」セクションは不要となります。したがって「主な論点」はセクションとしては削除したいと思います。--さんぽーる会話) 2015年12月23日 (水) 04:35 (UTC)

論争史の一部は「写真史料」へ[編集]

論争史の写真問題関連は「写真史料」節へ移動します。--さんぽーる会話) 2015年12月23日 (水) 06:11 (UTC)

ティルマン・ダーディン[編集]

Japanese sincerity さんによる加筆「ただし、以上のティルマン・ダーディン通信員の証言は、以下に述べる本人の別証言があり、1986年9月(文春より以前)に笠原十九司が通訳を交えてインタビューしたダーディンの証言によると、「上海からは南の道をつかって行きました。戦闘に遭わずに南京に行くためです」ということであり、「上海から南京まで」の行程で虐殺を見ていないからイコール虐殺はない、というのは確実な情報ではない可能性がある」の中で、「「上海から南京まで」の行程で虐殺を見ていないからイコール虐殺はない、というのは確実な情報ではない可能性がある」というのは出典に書かれていない独自研究となります。「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」。文春でのティルマン・ダーディン証言について同様の指摘がなされている書籍があれば、それを元に加筆してください。--さんぽーる会話) 2016年1月17日 (日) 08:24 (UTC)


否定派や反論が利用しているなら出典を出してください。改善されていません。--さんぽーる会話) 2016年6月1日 (水) 15:02 (UTC)

この証言は、「(上海から南京へ向かう途中に日本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)ありませんでした。」という内容ですが、「イコール虐殺はない」というのは当然で、いわゆる南京虐殺を目撃していないという証言にすぎません。したがって、たしかにこの証言をもって南京事件がなかったとはいえないでしょうし、この種の証言は日本軍関係者の証言でもあります。否定派がこれをもって証拠とし、さらにそれに対して肯定派が反論しているなら、論争の争点として書いてもいいでしょうが、いずれの出典も提示されないなら、重要な証言でもなく、ここに記載する必要があるかも疑問です。証言内容からして単独の争点としてセクションにする必要もないので、セクションは外します。--さんぽーる会話) 2016年6月1日 (水) 15:45 (UTC)

何の説明もなく差し戻されていましたが、ティルマン・ダーディンを文春と資料集を逆接つなぎは無意味です。3度目です。追撃戦で目撃せずというだけだし、笠原インタビューは1986年、文春は1988年。「追撃戦で虐殺がなかった」から、南京虐殺なかったという話ではないでしょう。それにダーディンは南京虐殺を報道しています。--さんぽーる会話) 2016年7月6日 (水) 14:03 (UTC)

ティルマン・ダーディンを作ったので、ティルマン・ダーディンの移動経路について移動を提案。また追撃戦で虐殺を見なかったことについて、南京事件の論争とどこまで関わりがあるのでしょうか。この記述があるセクションでは「当時、国際報道があったか」であり、ティルマン・ダーディンは報道の第一人者なのですが、そのことが書かれず、このようなエピソードをこのページで長く説明する必要はありません。いずれもティルマン・ダーディンへ移動。--さんぽーる会話) 2016年7月6日 (水) 15:27 (UTC)

便衣兵の殺害に関して[編集]

この項目は、ハーグ陸戦条約の「交戦者資格の四条件」の解釈や休戦の合意(ハーグ36・37条)などの国際法の解釈で、 1)交戦者資格の四条件にあてはまらないと即処刑なのか、そもそも交戦者資格の四条件に当てはまらなくても戦闘員でなければ(脱走兵で武装解除ずみなら)即処刑対象にならないか、また即処刑可能でも原則的に(現行テロ犯でなければ)処刑には裁判が必要か? 2)休戦の合意の位置づけ、休戦合意ないと戦闘は無限継続か? この1)2)に関して、双方解釈をきちんと説明していないので、よくわからない状況になっている。 戦時国際法上の課題をきちんと書きなおすことを提唱します。 ご意見を伺います。 --Japanese sincerity会話) 2016年2月29日 (月) 14:09 (UTC)

便衣兵の殺害に関して 変更[編集]

特に意見ないので、当方の考えにそって修正します。反対意見はどんどん書いてください 

--Japanese sincerity会話) 2016年3月16日 (水) 14:39 (UTC)

2016年3月18日(金)00:07版編集について[編集]

信頼できないソースを重要な内容として編集されており一旦リバート致しました。この箇所だけ摘出してもよかったのですが体裁的に破綻すると考えて一旦リバートとさせて頂きました。--大和屋敷会話) 2016年3月18日 (金) 03:30 (UTC)

2016年3月18日(金)00:07版編集について(ご意見お聞きします)[編集]

大和屋敷様大和屋敷会話) こんにちは。ご意見ありがとうございます。私も専門的な戦時国際法は勉強していますので、自信はあったのですが、問題ありとのご意見、ぜひ、詳細に聞かせ願います。 --Japanese sincerity会話) 2016年3月18日 (金) 14:36 (UTC)

  • Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用をご覧ください。オンラインの情報源は作成した過程や人々に関する検証が必要です。Japanese sincerity氏の引用されたサイトは匿名サイトでありこの検証に耐える媒体とはいえません。仮にこの記述が真実であったと仮定したとしても、他の検証可能で信頼できる著者による公表済みの文書をwikipedia編集のさいの直接の参照元にすべきです。以上宜しくご検討頂きますようお願い申し上げます。--大和屋敷会話) 2016年3月18日 (金) 15:18 (UTC)

大和屋敷会話)さん 

了解しました。回答感謝します 考えを参考に再構築します--Japanese sincerity会話) 2016年3月19日 (土) 08:40 (UTC)

一般人の殺害[編集]

これについては、安全区の欧米人の資料から、安全区の殺害行為そのほかの実数は確かに万には至らないが、資料の報告数で最大とも言えない。占領直後は別として、安全区での不法行為は欧米人の記録を信じた場合、もしくは最近の否定派の批判はこうと書いたほうが良いのでは。また、周辺農村部のより惨い不法行為が、ないがしろにされているので、南京事件の範疇ではないが、として記してもよいのでは。--Japanese sincerity会話) 2016年3月20日 (日) 18:21 (UTC)

みなさんへ[編集]

私ばかり書き込みすぎているので、まずお詫びします。私が、このページを修正している意図は、別に政治的意図はありません。あえて言えば、1937-8年に起きたことと、その戦時国際法上の解釈、その国際的影響に関心がありますし、なるべく、事実に即して書きたいと思います。戦時国際法は、その当時、戦争の悲惨さの歯止めのために文明国家がつくったものですのであり、日本軍はその優等生として20世紀のはじめに知られていましたので、その違反は日本にとって人道的にも非常に問題と思います。日本にとっても残念です。 私は、南京事件か南京大虐殺か、とかそういう名称表記のことは気にしません。ただ、20万人しかいない市民を30万人も殺せないという説は、30万人もうそで、20万人も不明な事情があります。これからは、各学説・人口の事実を調べて、反論の所在も記して書き直します。 私は、日本が大好きです。単純平和主義者でもありません。しかし、過去の日本の所業に問題あったことを明確にすることは自虐でもなんでもありませんし、一方で事実でない虐殺も指摘したいと思います。日本は良い国でなんでも正しかったでは、事実を曲げて、かえって自虐的です。日本国はもっと誇らしい国です。知人の80歳以上の人が何人も、戦前の昭和時代は日本の軍人が威張るばかりで異常だった社会、といいました。それもふつうのひとが、です。そのような異常な時代を乗り越えて、今の日本があります。まず、事実と向き合いたい。未来をつくるためには、過去の事実を知るではないかと、作業しています。反論、歓迎します。--Japanese sincerity会話) 2016年3月26日 (土) 13:10 (UTC)

提案 一部の記事のカット[編集]

このページの、「資料批判」、「証言」(うち日本側のみ)、「残虐行為の動機」、「陰謀説」、「事件前後における日本軍の軍紀について」、の記事は、全てカットしたいと思います。如何でしょうか?十分な時間をとって意見を聞きます。理由は、「資料批判」は意味をもたない記述、「事件前後における日本軍の軍紀」は南京事件のページに記載済み、残虐行為の動機と陰謀説も一部を除いて(一部は他に移し替える)他のこのページかもしくは南京事件のページに記載済み、というものです。そして、証言は、日本側の証言は怪しそうなのばかりずらずら書いていて、これなら、怪しいものも怪しくないものも証言にはあり、という記述で十分ではないでしょうか?ということが理由です。みなさんはどう思われます? --Japanese sincerity会話) 2016年4月4日 (月) 13:44 (UTC)

反対 「証言」節の削除に反対。歴史研究者による論評や検証も提示されており、有益です。独自研究でもなく、検証可能性を満たしています。不十分であれば情報源を追加すればよいでしょう。--さんぽーる会話) 2016年4月6日 (水) 13:58 (UTC)

さんぽーる会話) さん 了解しました。ありがとうございます。 --Japanese sincerity会話) 2016年4月7日 (木) 12:20 (UTC)

「物理的な「大量虐殺」の可能性について」もカットします。30万人説はありえませんので。--Japanese sincerity会話) 2016年4月7日 (木) 14:07 (UTC)

コメント 原則に従い出典の付いていない記述は除去してください。そもそも最初の「犠牲者数の論議」に出典が付いてないのは読者、編集者の読む気を削ぎます。出典を見つけたら復帰し加筆してください。--Zakinco会話) 2016年4月8日 (金) 02:24 (UTC)

Zakinco会話)さま おっしゃるとおりです。すぐに出典をつけます。学術的に問題ないと油断していました。ありがとうございます。 --Japanese sincerity会話) 2016年4月8日 (金) 12:29 (UTC)

他に過不足あれば、おっしゃってください。戦時国際法は、本文を読めばわかるので条文を書くことなどで、出典は一部書いてませんが、それも意見あれば工夫します。その他にもなにか??--Japanese sincerity会話) 2016年4月9日 (土) 03:11 (UTC)

出典を付けていただいてありがとうございました。改善されたと思います。最初の出典が「秦郁彦 (2007), p.184-7」となっていますが、正確なページ番号を記述してください。--Zakinco会話) 2016年4月9日 (土) 23:54 (UTC)

みなさんへ[編集]

今、少し反省しているのですが、否定派にきつくなりすぎているので、申し訳ないです。しかし、きちんと資料を調べると、そうならざるを得ないのですが。そのほか、意見あれば、なんでもどうぞ。 ちなみに、私は左ではありません。その証拠に、最近、この(南京事件論争)の英語版で、がんばって昭和天皇の濡れ衣を晴らしました。しかし、もともと軍部の統帥権の私物化と軍官僚主義が発端で日本を悲劇に巻き込んだことは、事実です。 --Japanese sincerity会話) 2016年4月9日 (土) 13:46 (UTC)

コメント Japanese sincerityさんの加筆全文に目を通していませんが、出典のあるものとないものがあります。出典のないものは独自研究として削除されかねませんので必ずつけてください。情報源が追加されることは、否定派肯定派のどちらにも有益です。ただ、編集者の個人的な見解や政治思想の開陳についてはノートページのガイドラインにそのような演壇として用いられるべきではないとありますので編集に絞ってノートを利用してください。--さんぽーる会話) 2016年4月10日 (日) 07:21 (UTC)

さんぽーるさん お気遣い感謝します。了解しました。 --Japanese sincerity会話) 2016年4月10日 (日) 10:52 (UTC)

みなさんへ その2[編集]

みなさん、私、あといくつか、すでに申し上げた修正を終えたら、南京事件からてをひきます。

少し、恐くなりました。資料を忠実に読むと、中国政府だけならいいけれど、国際法学者や自民党の議員が間違った情報を流しているということに(しかも半ば故意かも)なりそうに、そのように結論がでてしまいます。そんな人たちを非難してよいものかと、思いました。事実を見るのはこわくなりました。 みなさん、どんどんわたしの書いたものの批判をしてください。。それはウエルカムです

なお、本文の以下の(その他 主に虐殺否定派の報道への疑念に係る論議)は、カットしてよろしいですか?本文で同様な主張は、きちんと別の欄に記載済みですし、たとえば、例をあげると、便衣隊あるいはそれと間違われた市民の処刑を見て誤解した、とすれば裁判なしの便衣兵殺害は立派な虐殺です。もし反対意見あれば、対応を変えます。

・南京陥落後の12月13〜15日は日本軍は掃討戦中であり、国際委員会に届けられた殺人事件もそれが全てではないにせよ目撃者のないものが5件のみである(国際委員会編「市民重大被害報告」)ので、スティールら外国人記者が見たという殺人事件の信憑性を疑う。 ・日本の外交官宛の「虐殺の外電」についても同様に「伝聞が情報源であり日本政府(もしくは軍部)は誤情報を報告されたのではない」としている[1]。 ・渡部昇一は、『ニューヨーク・タイムズ』やアメリカの地方紙の「大虐殺」の記事を、便衣隊あるいはそれと間違われた市民の処刑を見て誤解したと推定する[2]。 ・南京事件の欧米の報道の情報源はほぼ伝聞によるもので信憑性が乏しいし、無線を通じた報道も全て中国人からの伝聞をもとにしていたためその正確性には問題がある[3]。東中野らは当時の中華民国政府からの多額の献金により、これらのマスコミが買収された可能性を主張している[4]。 ・当時『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された「南京虐殺の証拠写真」とされる写真も虚偽写真の可能性が指摘されている[5]。たとえば日本兵の内地への手紙についても正確性や信憑性に疑問が呈されている(例えば、虐殺行為を手紙で内地へで伝えたとしても検閲で落とされるため)[6]

--Japanese sincerity会話) 2016年4月20日 (水) 13:31 (UTC)

山田支隊の捕虜処断の証言(戦時国際法上に合法か)を証言者に移しました、どうでしょうか?疑義あれば何でもお伝え願います。

--Japanese sincerity会話) 2016年4月22日 (金) 15:30 (UTC)

  1. ^ 東中野修道 1998 [要ページ番号]
  2. ^ 渡部昇一『渡部昇一の昭和史 正 改訂版』Wac、2008年10月30日、ISBN 978-4-89831-592-7、第300頁
  3. ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
  4. ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
  5. ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]
  6. ^ 東中野 (1998)[要ページ番号]


みなさんへ その3[編集]

日本人の証言についてですが、これをもともと挿入したかたは疑わしい証言者をピックアップしたきらいがあります。よって、これらは疑わしい、しかし、それ以外に、南京戦史などで証言している問題ないものを比較して紹介したいと思います。意見あれば遠慮なく。 --Japanese sincerity会話) 2016年4月30日 (土) 06:48 (UTC)

議員支援者から苦情があって編集が行われた件について[編集]

Japanese sincerity会話/投稿記録/記録さんが行われたこちらの編集[1]ですが、「特定の個人(国会議員)の批判にあたるので修正(議員支援者から苦情あり)」との説明がされていました。私が知らないだけかもしれませんが、Wikipediaではあまり事例のないことのように思いますので、どのような苦情があったのか詳細を教えていただければと思います。--Zakinco会話) 2016年5月20日 (金) 00:00 (UTC)

詳細は、ちょっと勘弁してほしいです。ただ、議員さん本人や秘書とかではなく、一般的な支持者から「ちょとあんまりにも直接的に個人名を出している」と指摘されたからです。そのうえで、学説として本を書き論陣をはっている人でない場合は、あまり直接名指すのもどうかと思い、修正しました。 --Japanese sincerity会話) 2016年5月20日 (金) 14:06 (UTC)

教えていただいてありがとうございます。ついでに記事の内容についてお聞きしますが、ある議員が簡潔に述べていたというのは出典が存在するのでしょうか?「別冊正論26 80頁」に記載されているのでしょうか?--Zakinco会話) 2016年5月20日 (金) 14:52 (UTC)

戸井田議員については、桜チャンネルにて自民議員の調査結果が出たときに、西川議員とともにyoutubeのTVに掲載されていたのです。そこでは、はっきり述べていました(当然、疑問を感じました)。あと、原田議員は、以下のサイトの以下の内容です。 http://www.tbsradio.jp/ss954/2015/10/post-313.html 「南京の、そのときの、あれだけのメディアだのマスコミだの入っているにもかかわらず、南京についてですよ、事件があった直後のあれについて、まったく国際的な情報が入っていないということ」「(インタビュアーの「もしそういった行為(虐殺)があったならば海外メディアは当時報じていただろう、と。日本のメディアも報じていただろうということになるわけですね」という言に)もちろんそう(つまり実際はそうでなかったという意味)」 以上の受け答えがそうです。

「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神 著者: 水間政憲」の206頁では、西川京子議員が、ニューヨークタイムズもロンドンタイムズも虐殺など全く報道していないと、2013年4月の衆議院予算委員会で述べていると、書いています。 --Japanese sincerity会話) 2016年5月20日 (金) 15:26 (UTC)

Wikipediaで使えそうな出典があるのですね。お時間のある時に追加しておいてください。--Zakinco会話) 2016年5月20日 (金) 23:07 (UTC)

引用については追記してもいいが、戸井田さんも西川さんも落選したし、原田さんもラジオのコメントなので、やはり大げさに言うのでなく、調査が事実に反する部分があるのに、無批判に情報宣伝するのはどうか?という表現に止めて、本文には議員名はできるだけ控えます。ただ、学者は、ロジックがおかしいところは命なので、追究します --Japanese sincerity会話) 2016年5月21日 (土) 12:35 (UTC)


今回の荒らしについて[編集]

意見を述べることは、ときに偏ることはいつもあります。しかし、根拠ない一方的見解や荒らしは、混乱を与えるだけだと思います。実は、半年以上まえに、この項目を記載しはじめてから私も一時ブロックされましたが、そのときも常に批判を聞く姿勢でした。私も完全な人間でないのは周知のとおりです。ただ、この項目に取り組んだ動機は、事実を記載することしか、歴史の理解の一歩はありえないと思ったからです。当時のこのページは、何がなんだかさっぱりわからない、好き勝手書いて、根拠も特定の研究者が多く、そして何が正しいかよくわからない内容でした。その状況にだけはもう戻したくありません。これからも事実を書く、批判や対立意見を聞くことを怠らないで、このページを皆でつくっていきましょう。--Japanese sincerity会話) 2016年5月27日 (金) 13:26 (UTC)

Wikipedia:スタイルマニュアル[編集]

膨大な記事であり、編集者の労力には敬意を表します。しかしながら、Wikipedia:スタイルマニュアルに沿わない表記が散見されます。そのため、書き方のせいで損をしていると思います。

  1. 「クリックで説明にリンク」という説明(が繰り返される)
  2. 丸数字(機種異存文字)の使用
  3. 全角数字(アラビア数字)の使用
  4. 一行改行の使用
  5. 同一リンクが繰り返される
  6. マークアップがされていない

などです。1については除去、2は(1)などで代用、3は半角に、4は段落にするか(改行2回)改行しない、5については少なくとも同じ節の中では1回に留めるべき、などと修正をお願いします(1つの節だけ行いましたが、残りが膨大なので諦めました)。なお、上記の説明リンク先としてはWikipedia:表記ガイド#数字Help:箇条書きWikipedia:改行時の注意点などがあります。--124.108.255.218 2016年5月27日 (金) 14:49 (UTC)

すみません。時間をかけて、修正してみます。感謝します。。。 --Japanese sincerity会話) 2016年5月27日 (金) 14:53 (UTC)

編集不備[編集]

しばらく様子を見ていましたが、記載が追加されるようで、同じ既存の記述が記事内で転載されたり、中立性をいいながら、本文で非中立的な書き方が進行してきました。とくに重複などは無意味なので控えてください。その他、出典のないものは除去します。また、特筆性の立証されていないもの(河村たかし市長の件は書くとしても本記事では要約にとどめ、別の記事に書くべきです)なども除去します。情報の無差別な収集は控えてください。記事内のsectionリンクもただ読みにくいだけのものとなっており、一向に改善される気配がありません。しばらく時間がかかりますが、疑問点を払拭できていないものは編集していきます。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 08:53 (UTC)

さんぽーる会話) さん ご連絡ありがとうございます。編集の問題点や、中立性については理解できます。当時の資料を見た場合、いわゆる専門研究者の意見以外の評論家的な研究者の意見には問題が多いことがわかります。ただし、たとえば、否定派の文中に疑問点列挙は、私もやりすぎかもしれませんので、削除は納得しましたが、以下のような書き方の修正(削除)はいかがでしょうか?「秦郁彦の説:『①「中国兵の虐殺犠牲者」プラス ②「一般人の虐殺犠牲者」』 = 『①「3万人」プラス②「1万人」(南京城市のみ)』=4万人上限」これは、わかりやすさを強調したのですが。。 いずれにしろ、修正をどのようにするかは、事前にノートに記載願いたいと思います。私も、必ずしもノートに全部を記載したのではありませんが、可能な限り、利用しました。お願いします。--Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 12:21 (UTC)

人口推移については、元に修正しました。事実と言説のずれが多いのでこれを記載したので。--Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 13:07 (UTC)

①プラス②=の書き方ですが、足し算という数式を使うことでわかりやすくなるわけではありません。AとBの合計はCであると文章でかけるものは文章で表記する方が歴史学の著作では一般的です。また、「中国兵の虐殺犠牲者」というのは独自研究ではないですか。兵士は一般市民とは区別され、戦闘における死傷者です。公平にいえば、日本軍の犠牲についても「日本兵の虐殺犠牲者」と書かなければいけなくなります。公平な言い方では「中国兵の犠牲者」が適切です。また、「虐殺」の存否についても論叢は決着していないので、中立性にも違反します。本記事が「南京大虐殺肯定派による否定派への反論」という記事であれば記事の規定上問題はなくなりますが、そうじゃないので両論併記と中立性が原則です。否定派へ反論したいのなら、肯定派による反論でWikipedia:信頼できる情報源に合致する論文や著作を紹介すればいいでしょう。事前にノート記載についてですが、問題点が多すぎて編集しないとよく分からないででしょう。たとえば、証言sectionで松岡環が疑義のないものとして紹介されれていますが、東中野修道と阿羅健一(『諸君』平成14年11月号)、本多勝一と小野賢二が週刊金曜日平成14年12月20日号で酷評しています。否定派、肯定派両方から批判されている時点で、信頼性の証明も難しいですし、松岡環が集めた証言について研究者で肯定的評価をしている方はいますか?Wikipedia:信頼できる情報源に合致するような二次文献を提示できないのなら、松岡環の作品の紹介はできません。これは一例で、こうした議論をひとつひとつ確認していくのは無理なので、要約欄で最低のことは指摘したうえで、ノートも利用しましょう。しかし、全ては無理です。この二ヶ月の加筆は非常に問題の多い編集です。長らくここも出典のないまま放置されており、大幅に加筆される方が出てきて期待していたのですが、精査したところそうではありませんでした。外国人の証言などもわざわざsectionであるのに、それぞれの代表著作を反証に利用する目的で羅列されてもいますが、この羅列も否定派への反論としてそう書いた文献を提示しないなら独自研究になります。Wikipedia:独自研究は載せない。要約欄でも書いていますが、それぞれの疑問点については記載しています。意見の持ち主は明示されるべきですし、意見を具体的な事実に置き換えてはいけません。Wikipedia:言葉を濁さない。人口推移ですが、「人口が20万なのに、30万の虐殺はありえない」とだれが主張していますか?否定派の誰かがいっているでしょうけど、それも出典を明記してください。出典の明記については二ヶ月前にも注意しましたが配慮されていません。出典を示す責任は掲載を希望する側にあります(Wikipedia:検証可能性)。そうした責任を果たしていないものは削除します。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 13:46 (UTC)

--さんぽーる会話) さん。ご連絡ありがとうございます。まず、基本的なことから申し上げます。中国兵の虐殺犠牲者、という表現は独自研究ではありません。戦時国際法違反による兵士の処刑、殺害は、虐殺犠牲者です。「「虐殺」の存否についても論叢は決着していないので、中立性にも違反します」とのことですが、だから、ひとつひとつ事実を積み上げているのではないですか。着手した動機にひとつは、戦時国際法の扱いや解釈が専門的な方でさえも、不十分だったからです。松岡環さんのことは、紹介程度にとどめましたが、その紹介した内容が事実と異なっているかどうかの検証をすべきであります。人口推移ですが、「人口が20万なのに、30万の虐殺はありえない」とだれが主張していますか、ですが、あえて、私もいろんな人が言っているので甘く考えていたので、すみません。でも、ご存知の通り、本屋にそのことが書いている本はいっぱいあります。この二ヶ月の加筆は非常に問題の多い編集です、とのことですが、その意見は伺います。しかし、たとえば「外国人の証言の羅列も否定派への反論としてそう書いた文献を提示しないなら独自研究になります」とは言いすぎです。外国人の証言の一部を都合よく、一部だけとりだすのが、悪いのです。私のやったことは、問題もあるますが、よかった部分もあると思います。冷静に考えてください。--Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 14:10 (UTC)

ここで存否論争をしてもしょうがないですし、「事実」というなら最低でも出典は明記してください。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 14:32 (UTC)
  • 松本重治の証言ですが、「上海時代(下)」中公新書,p251-253には新井正義、前田雄二、深沢幹蔵から聞いた伝聞とあり、直接の証言ではありません。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 14:34 (UTC)
  • 虐殺の対象 の資料は資料sectionと重複しているので除去。各資料についての論争や批判は各記事で書くべきです。また、なぜ南京 (戦線後方記録映画)についての論争を長々と説明しているのでしょうか。要約程度にとどめるべきで除去します。また、Japanese sincerityさんが出典をつけて加筆されたもので、疑義のないものは除去していません。Japanese sincerityさんの編集が決定版ではありませんし、このような論争的な記事で出典もつけずに、肯定派を結論づけるような書き方ばかりで書くのは、非常に問題です。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 14:46 (UTC)

カメラマン白井茂の証言は銃殺があったという証言であり、何万人の虐殺があったという証言ではないですし、ひとつひとつの証言をこの記事で書くのは不適切ですので、短く一行にして映像資料sectionに移動します。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 14:56 (UTC)

--さんぽーる会話) さん 南京事件は、ご存知のように個々の小さい虐殺の積算の結果です。たとえ虐殺が一部であっても、この映画のプロパガンダを否定する証拠のわけです。--Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 15:17 (UTC)

映画がプロパガンダかどうかは関係なくて、この記事に証言が長々と書かれる必要はあるか?といっております。その必要はなく、要点だけでいいです。また、書く場所もおかしいです。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 15:21 (UTC)

--さんぽーる会話) さん おっしゃる部分で一部理解できるもには、自ら対応します。しかし、論議そのものの出典がなくても、明らかな事実関係の間違いが引用や出典から理解できるなら、それを記載することが独自研究ではありません。--Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 15:08 (UTC)

いいえ、出典のないものはすべて除去に値します。特にこのような論争的な記事ではそうです。いつまでも納得しないのは妨害的編集とみなされ、荒らしともみなされかねません。私の出典明記要求がおかしいと考えるなら第三者にコメントを依頼されたらどうでしょうか。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 15:17 (UTC)
4月10日の私のコメント「情報源が追加されることは、否定派肯定派のどちらにも有益です」は記憶されていないようですが、そういうスタンスで私は編集しています。二ヶ月近く見守っていたら問題ばかりなので私も自らの責任を感じているところです。もっとはやく疑義を出せばよかったのかもしれません。発言を聞いていると議論をなさりたいようですが、ノートは編集者の政治主張で争う場所ではないこと、出典をつけて中立性を配慮すれば疑義を出されないこと、また出典があっても情報の合成の疑わしさがあるものなどはこの限りではないことが前提だと思います。議論をしたいなら、集会や寄稿やブログ、SNSなどウィキペディア以外にいい手段があります。ウィキペディアには独自のルールがあるので議論向きではありません。--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 15:35 (UTC)

--さんぽーる会話) 2016年5月28日 (土) 15:35 (UTC) 議論ではなく、厳密には意見を、それも編集についてのです。貴殿の考えが必ずしもベストでもありません。貴殿のノートを何度も見ていますが、今までに強引なやり方が批判されたこともあるようです。いきなり消す、書き直すでなく、十分に意見を述べて人の考えを述べてからにしてほしいです。いずれにしろ、これからひと月ほどかけて、自分で貴殿の意見をもとに修正・削除ができるものは行います。それをまず見て、ノートに書いてほしいです。--Japanese sincerity会話) 2016年5月29日 (日) 01:41 (UTC)

白井茂氏の回想部分について私見を述べさせてください。映像作品には編集が入る以上、「撮ったものも切られたものがある」のは、ごく当然のことではないでしょうか。100分の映画を作る時に100分しかカメラを回さなかった、という方が非現実的でしょう。その他の証言についても、白井氏が「銃殺を見た」ことは確認できても、それが戦時国際法違反であったかどうか、この引用からはわかりません。したがって『明らかな事実関係の間違い』とすることはできないと考えます。具体的に証言を書くのであれば「南京 (戦線後方記録映画)」のページがより相応しいことは、さんぽーるさんと同意見です。--KUIDAORE2014会話) 2016年5月29日 (日) 09:47 (UTC)

(上記の続きで)こういった論争を避けるためにもWikipedia:独自研究は載せないなどのルールがあるのではないでしょうか。また南京事件論争のページなのですから、いわば、どのような論争が行われているか・行われてきたのかといった事柄を中心に書くべきであって、一定の結論を出す方向での記述が求められる場ではないと思われます。Wikipedia:独自研究は載せないから引用すれば「信頼できる情報源を示すことで、読者が自ら調査・研究を行う際に参照することができる資料を提供します。実際のところ、人々は、リサーチの足がかりとして百科事典をひもとくのであり、調査・研究の最終段階として百科事典を参照するのではありません」。--KUIDAORE2014会話) 2016年5月29日 (日) 19:45 (UTC)

「人口推移」を編集されましたが、繰り返します。出典の明記されないものは除去します。そして、出典を明記した場合は、意見の持ち主を明示してください。Wikipedia:言葉を濁さないは一度でも読まれましたか?学者の「主張」がただちに「事実」ではありません。肯定派の解釈が「事実」ならば、中立性からいって、否定派の主張もすべて「事実」になってしまいます。スマイス調査も完全な調査ではありません。要するに、否定派の主張は「事実ではない」と肯定派は主張するのですが、同様に、肯定派の主張もまた「事実ではない」と否定派は主張しますす。だから、論争になっているし、まだ決着はついていません。

  • 「人口推移」についてのセクションですから、まず当時の南京の人口の推移を中立的に学術的に説明することを優先してください。そして、この人口について論争があれば記述する、という風にしてください。
  • 百田尚樹の意見が書かれましたが、彼以前にもこの説は否定派で主張している人がいるのではないでしょうか。また「別冊正論26」がページ番号と論文名なしに書かれましたが、これは百田尚樹の論文ですか?それとも、別の人の論文ですか?明示してください。
  • 「人口増があったとしても、周辺の農村部などより欧米人の管理する南京安全区のほうが治安がよいので移動して増えたのだという記録が残っており、南京の周辺も含むすべての治安が著しく改善されたかどうかを必ずしも示さない」が曖昧です。記録とはどの記録ですか。「南京の周辺も含むすべての治安が著しく改善されたかどうかを必ずしも示さない」とは誰の見解ですか?これはJapanese sincerity さんのスマイス調査とヴォートリン日記に対する解釈であり意見ではないですか?スマイス調査とヴォートリン日記に人口推移のことが書いてあればそれを書いてください。
  • 「南京事件の犠牲者は、市民以外にも存在する」以降は、「人口の推移」のセクションでなく、「犠牲者数について」で説明するべき内容です。

問題点が改善されない場合は差し戻しますので、出典を明記し、またどこに書くべき内容か慎重に考えてください。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 13:20 (UTC)

「国際連盟の決議に関する論議」節について

  • 戸井田徹の主張について出典なし。
  • 後の説明も誰の意見か、明示すべきです。WP:AWW
  • スペイン内戦の文章「そのころの欧州諸国はスペイン内戦のときもそうであるがファシズムとことを構えておらず」はここで説明する意味がわかりません。関連性を立証してください。
  • 国連決議は争点でしょうか?否定派で批判している人はいますか?出典を明記してください。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 13:42 (UTC)

さんぽーる会話さん そう感情的にならず、しかも貴殿も私もこれが本業でない以上、すぐには対応できないでしょう。もう少しゆっくり改善していきましょう。人口推移は、百田氏などの説があるので(貴殿もご存じだったですよね)、その言説と問題点は人口推移の中に論争として入れるべきと思います。 あまりリバート合戦は好きじゃないので、穏当にいきましょう。——以上の署名の無いコメントは、Japanese sincerityノート履歴)さんが 2016年5月30日 (月) 23:06‎ に投稿したものです(さんぽーる会話)による付記)。

リバート合戦は好きじゃないといいながら、リバートしているじゃないですか。他人から指摘された疑問点を改善してください。ゆっくり改善するというのなら、二ヶ月ほど私に編集させてください。引き続き、独自研究などは削除していきますが、改善しないままリバートしないでください。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 14:24 (UTC)

であれば、「南京市の人口は占領時に20万人なのに、30万人も虐殺されたのは嘘だ」の私が書いた部分も、人口推移に関係のないし、しかも間違いのある記述(それは貴殿もご存じでしょう)ですので、貴殿が消してください。--Japanese sincerity会話) 2016年5月30日 (月) 14:28 (UTC)

人口推移と虐殺数の矛盾についての指摘なので関係はあるのではないでしょうか。出典が既出出典にありましたので加筆しました。2007年の南京事件の真実を検証する会が、国民政府国際問題研究所監修、南京安全区国際委員会記録 Documents of the Nanking Safety Zone(1939,上海)が元の出典ですね。そこに南京の人口は日本軍占領直前20万、占領1ヵ月後の1月には人口25万と記録されているそうです。この記録が「間違っている」とJapanese sincerityさんは主張していますが、その出典はありますか?ご自身の主張ではないでしょうか?肯定派も、この南京安全区国際委員会記録は批判しているのでしょうか?この記録は1939年と当時出版されているので、まずこの記録の説明からした方が順序はいいかもしれません。百田尚樹の発言は南京事件の真実を検証する会と同一内容の繰り返しですし、特筆性に欠けますが、注釈に納めましょうか。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 14:38 (UTC)

趣旨を理解しておられないようですね。出典、出典とおっしゃるが、ただここに書いてあると列挙すればいいというものではないのです。私を批判するのと、同じトラップにおられますね。主張されることをとおしたいために出典を並べればいいというものではないです。「南京市の人口は占領時に20万人なのに、30万人も虐殺されたのは嘘だ」の根本的な問題点は、この20万人の中にない戦時国際法違反があることをごまかしているのです。サイトを自分の勝手にしたいなら、してください。私も自分がベストだと思っていないので、他人の行動に寛容ですが、貴殿は少し考えが私のふだんお付き合いしている方と違うようです。ご勝手になさいませ。--Japanese sincerity会話) 2016年5月30日 (月) 14:38 (UTC)

私や他の編集者の方も指摘していますが、Japanese sincerityさんは関連するウィキペディアの方針やガイドラインを理解されておられないようです。肯定派否定派の意見と、資料で書かれていることなど、分けて書くべきです。「根本的な問題点」があるなら、それを書いた肯定派の論文を探せばいいでしょう。加筆されたものをみると書籍を所持されているのでしょうから、それらを参照して出典を明記することは簡単なはずですけれど。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 14:48 (UTC)

ガイドラインの理解は、初心に帰ります。ただ、先に述べた理由で、貴殿とこれ以上やりとりするのをいったん打ち切ります。その二つの理由から自分の利用者ページに書いたようにしばらく休んでログインもしません。どうぞご勝手にされてください。--Japanese sincerity会話) 2016年5月30日 (月) 15:00 (UTC)

「批判や対立意見を聞くことを怠らない」と書いてわずか3日で対話拒否ですか。Japanese sincerityさんは「主張をとおしたいために出典を並べればいいというものではない」といっていますが、Japanese sincerityさんの編集がまさにそれに当たるのです。Japanese sincerityさんがやったことは「いかに否定派は間違っているのか」の論証でした。ウィキペディアのすべての記事においていえることですが、一方の意見だけをピックアップして、結論を誘導することは禁止されています。出典を公平に並べていけば論点は明瞭に見えてきますし、また賛成派、否定派のどちらが正しいのかは読者がそれぞれ決めることです。--さんぽーる会話) 2016年5月30日 (月) 16:06 (UTC)

さんぽーる会話さん 言い方きつくなってすみません。なお、貴殿の修正には一部は?もありますが、よく相手のことを考えていると思います。取り急ぎ、2か所ほど意見が今ありますが、貴方でやりたいようにやってみてはどうでしょうか。お詫びします。 --Japanese sincerity会話) 2016年5月31日 (火) 12:22 (UTC)

出典があっても削除している編集は、情報の合成にあたるようなもの、たとえば2007年の否定派の見解について、2001年の本を「反論」として提示しても、書き方にもよりますが、やはり読んでいておかしいです。また、議員や作家(南京研究家をのぞく)の見解まで書いていったら、大変なことになります。原則としてこの記事は論争の当事者である学者研究者に限定して、資料などについて重要な見識がある場合はそれ以外の人も掲載する、とすべきではないでしょうか。それから、記載する場所はどこが適切かを丁寧に考えるほうがいいです。関係する資料のそれぞれの詳細についての論争のすべてを記載しようとするよりも、他の記事への記載を考えるほうがいいこともあります。たとえばスマイス調査、ヴォートリン、ラーベのそれぞれの資料の内容と論争をここでまとめてすべて書いていったら、どうなりますか?また、セクションごとに書くことも考えるべきです。各資料についての論争をすべてのセクションで繰り返し書いていったら、どうなるでしょうか。--さんぽーる会話) 2016年5月31日 (火) 15:38 (UTC)
論争で話題になることや戦争にかかわる対象となる事由が限られているので、今の構成のほうがすっきりして混乱がないと思いますが。もう少し具体的に個々のことで「さんぽーる」さんなりの提案を示していただければと思います。私も自分が完全とは思っていません。貴殿に無礼な言い方もしたのでおわびもあり、少し大人して聞いてみたいと思います。--Japanese sincerity会話) 2016年6月1日 (水) 13:57 (UTC)
例えば、「一般市民に関して」ですが、ラーベ、ティンパーリ、安全区国際委員会記録についての疑義は「資料」セクションで書かれるべきでしょう。資料の中立性が論争されているのですから。「虐殺の対象としての一般市民」は、敗残兵が便衣兵となったのか、便衣兵として一般市民が検証もされず殺害されたのではないか、といったことが論争になっており、これの詳細を書くだけでかなりの分量となるでしょう。つまり、前者では資料そのものが争点であるのに対して後者は「一般市民の殺害(虐殺)」が争点であり、区別されてしかるべきです。出典で補えるものがあれば補うこともしているので、整理には時間がかかります。しばらく時間をください。いま「一般市民に関して」の整理を終えつつありますが、これ以降のセクションでも出典のないものについて補ってくださいませんか?それとお詫びは不要ですよ。ウィキペディアでは毎日どこかでこういう編集議論がされています。--さんぽーる会話) 2016年6月1日 (水) 14:13 (UTC)
おきづかいありがとうございます 資料ですが、例えば、戦時国際法のハーグ条約の内容や、ジュネーブ捕虜条約での復仇の禁止などは、簡単に出典は探せます。しかし、佐藤和男氏の「一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)逃走する敵兵」という表現の問題点は、まさにこの()の部分の確認がないと理論体系が崩れるほどのことであるが、どうもこの部分の具体的な批判の本はすぐに探せないかもしれません。そして、佐藤氏が国際法の権威であるにも関わらずハーグ条約順守と最初に言っておいて、あとで実は無視していいと書いてある陸軍通達を、人道的としかも最初の部分だけのべて言っているのも、具体的な批判の本が出てくるかわかりません。しかし、このような巧みな部分はどうするかは、場合によっては私の手にあまるかもしれませんが、可能な限り、資料引用は追加します。バランスある貴殿の記述(本文修正結果もふくめ)には、再度感謝します。--Japanese sincerity会話) 2016年6月1日 (水) 15:51 (UTC)
よろしくおねがいします。佐藤説を批判したものがないなら、独自研究となります。(肯定派で国際法の方は少ない印象です)。余談ですが、既存の論文で指摘のないものを探すよりも、ネットでも肯定派による反論論文は公開されているので、そちらを充実した方が建設的かなとは思います。
国際認知と報道をセクション分離しました。また、アリソン事件は、これも争点なのか微妙な些末な事件なので注釈に納めました。--さんぽーる会話) 2016年6月1日 (水) 16:19 (UTC)
瑣末とは語弊があるので。アリソン事件で発覚した日本兵十数名によるレイプ事件は、いわゆる「南京大虐殺事件」の規模と比較すると瑣末で、実際レイプよりもアリソンを投打したことが報道などでも重視されている、ということです。--さんぽーる会話) 2016年6月1日 (水) 16:24 (UTC)
私も、ひとりで編集しているとき、「ひとりの考えでよいのか」と考えながら作業していました。多少追加しましたが、意見あれば、遠慮なく。--Japanese sincerity会話) 2016年6月3日 (金) 14:53 (UTC)

みなさんへ[編集]

さんぽーるさん、以外の方も含めて、論議(思想ではなく、編集方針や個々の記載など)したいのでノートにいろいろ記載願います。 --Japanese sincerity会話) 2016年5月28日 (土) 14:20 (UTC)

コメント言うまでもないことばかりなはずですが、一応リストアップしておくと

  • 書くことには出典を示してください。議論があるような話題では、特に必要なものなので、各位、どんな内容であっても、まずは出典ということでお願いします。
  • そこに書かれていることから、何かを推察したりすることは控えてください。分析を伴う必要がある記述に関しては、分析を行っている情報源を示して書く。また、そもそも「単なる意見の対立」として存在しているかもしれませんが、それが「論争」「南京事件論争」として括られているかどうかについても、出典が必要と思われます。「無条件降伏論争」と言えば「無条件降伏を巡るあらゆる論争」ではなくて、「本多秋五と江藤淳に端を発するやつ」ですよね。それと同じように、「南京事件論争」と呼ばれるものがあるのか、とか。
  • この種の対立がある場合は、執筆者個人の考えをお持ちかもしれませんが、そういう場合は対立する側の記述を充実させることでバランスをとるよう心掛けてください。それによって、自分が支持する考えが述べられる量も増える。それぞれの理屈がどういうものを背景にしているかが分かる。
  • 資料の信頼性は、どっちの立場をとっているから「信頼できる」ということではなく、それぞれの立場において信頼できるとされているものならば信頼できるとみなしてください。
  • 記述に際しては、当事者の回想や証言に由来するもの、歴史を扱う学問としての情報源に由来するもの、学問ではなく政治家らの認識や主張に由来するものを区別してください。
  • 同じことを、複数の項目で繰り返す必要はありませんが、複数の項目で扱う必要がある場合は、詳細はそれを主題とした項目に書き、その他の記事では簡単な要約を書き、内部リンクで誘導できるようにしてください。

といったところでしょうか。--Ks aka 98会話) 2016年5月30日 (月) 08:08 (UTC)

Ks aka 98会話)さん 貴殿のおっしゃることを吟味して行動します。ありがとうございます。

便衣兵・投降兵・捕虜の扱いに関して[編集]

便衣兵・投降兵・捕虜についてセクションを別々にするのは、うまく整理されていればよいが、同じような説明が繰り返し続くのはいたって読みにくい。「便衣兵」と「投降兵・捕虜」の二つに分ける方がいいか。投降兵と捕虜とを別々にするのは無意味。また、相変わらず独自研究に固執して書かれているが、いくら書いても出典のないものは無効です。--さんぽーる会話) 2016年6月7日 (火) 10:32 (UTC)

貴殿の作業を見て、私も出典を必ず付記しつつ、対応します。さんぽーるさんの姿勢には基本的に反対しません。--Japanese sincerity会話) 2016年6月7日 (火) 12:53 (UTC)

いろいろな意見あって、よいものができるものです。当方の作業にも、貴殿が手を加えても一向にかまいません。--Japanese sincerity会話) 2016年6月8日 (水) 15:03 (UTC)

さんぽーるさん いろいろ書きますが、どうぞ、遠慮なく、修正して結構です。--Japanese sincerity会話) 2016年6月10日 (金) 12:01 (UTC)

本文とソースの齟齬[編集]

「南京事件は、中国の首都で発生した多くの軍人や市民のかかわった、欧米の宣教師や学者も含めた目撃者のある事件だが、犠牲者(死亡)者の数については30万人説からゼロまで幅がある」という文に貼付されているソースは、秦郁彦 (2007)の185頁。とのことですが、当該書籍の当該ページにはそのようなことは書かれていません。ソースとの齟齬はさることながら、「南京事件は、中国の首都で発生した多くの軍人や市民のかかわった、欧米の宣教師や学者も含めた目撃者のある事件だが」と断定調で書くのは問題があると思います。必要なし。本文とソースの齟齬は、他にもいくつか見つけてしまいました (秦と笠原の新書本だけみてもかなりたくさんありますよ)。今は時間がありませんので具体的に挙げることはできませんが、「一日も早く」、「第三者の目」で「精査」したい、というか、「トライしてみようと思います。ありがとうございます。」Takabeg会話) 2016年6月13日 (月) 13:42 (UTC)

私も今更文句いいません。wikipediaはみんなのもの。客観的に精査してください。いいたいことはそのあとで対応します。--Japanese sincerity会話) 2016年6月14日 (火) 13:45 (UTC)

ただし、完全リバート、泥仕合だけはさけたいので、その旨、お願いします。--Japanese sincerity会話) 2016年6月15日 (水) 13:24 (UTC)

統合提案[編集]

南京事件 (1937年)との統合を提案します。重複が多く、一括して説明した方が適切です。論争の争点である事実や、資料についても、それらの解釈については一度統合して整理しないと、南京事件 (1937年)も記事として非常に中等半端な状態になっています。合計すると243,994バイトですが、重複を整理すれば20万バイト以下になると予想されます。

  • また、南京事件 (1937年)にある捕虜殺害などは南京戦へ移動すべきだと思いますが、それは統合後に提起します。(犠牲者数、またそれが「大虐殺」か否かは議論になっていますが、捕虜殺害は事実として確定しているので。)
  • なお、事件と論争が分離された経緯は、過去ログ 南京大虐殺論争への移行を参照。最古は2004年5月22日ですが、現在から見ると分割するほどの分量ではありませんでした[2]
  • 統合後に整理した後で、論争史を南京事件論争史として分割することも考えられます。--さんぽーる会話) 2016年6月18日 (土) 09:14 (UTC)

さんぽーるさん 私は反対です。理由は、以下のとおりです。南京事件は一定の戦闘終結後の殺害事件について述べたものであり、その発生経緯と発生に係ること、その規模や違法性や証言などの成否の論争は分けたほうがいい。ともかく、1年前の内容を見ると、もっとごちゃごちゃで整理不能であったものが、やっと整理されたわけです。分量うんねんや重複よりも、参照しやすさや論点の正しい把握が大切です。それは否定派も肯定派も一緒です。--Japanese sincerity会話) 2016年6月19日 (日) 16:36 (UTC)

南京事件と南京事件論争を分けることの利点は何でしょうか。「読みやすさ」なら、ひとつの記事で説明する方が読みやすいでしょう。「論点の正しい把握」と反対されていますが、Japanese sincerityさんの南京事件記事での加筆はここのページとほとんど同じ問題を持っています。つまり情報源の追加はよいが、全体として中立性に欠けており、整理が必要でかなりごちゃごちゃしたものになっています。つまり、「否定派に反論するための論点の正しい把握」となっています。しかし、このことについてお互い合意できたところではないでしょうか?Japanese sincerityさんの論争記事の加筆後の私の整理に、重大な問題がまだありますか?出典がきちんとつけられ、諸派の見解が記載されていれば、論点は「正しく」把握できますよね。現状はやはりまだ記載が足りないと思いますが、私は南京戦での加筆をしなくてはと考えています。また、統合ができなくとも南京事件記事の整理はします。
さて、事件と論争を記事として明瞭に分けることができるのならば、南京事件に記載されている論争的な記載はこちらに移動すべきでしょう。たとえば名称も戦犯裁判も争点です。そうやって移動した場合、南京事件記事には経緯と捕虜殺害位しか残りません。その捕虜殺害とは、日本軍からは「残敵掃蕩」です。戦後は論争になっていますが、作戦の評価は別として、これは「南京攻略戦」の作戦の一部なので、南京戦で記載されるべきではないでしょうか。また見方を変えれば、ここの論争記事のうち南京事件に移動すべきものがあります。犠牲者数、人口、当時の報道、証言、史料です。というのもそれは事件の内容だからです。「論争」を説明する前に、まずどんな「事件」だったのかその内容を先に説明すべきです。現在の論争は、あくまでも事件の「評価」です。南京事件とはいわゆる南京大虐殺のことであり、事件について説明されていない今の状況はウィキペディアの他の記事と比較してもおかしいです。例えばレイテ沖海戦では作戦、戦闘経過書、評価が書かれていますがこれは一般的な構成です。しかし、南京事件記事は事件内容が十二分に説明されていませんし、論争記事へのリンクで済ませてあり、しかも非常に読みにくく、また中立性を損ねている状態です。そもそも2004年に分割された理由が「将来もめるだろうから」程度の理由でした。また、「南京事件」記事に加筆しようとするとこの論争記事と内容がほとんど重複してしまうことも問題です。たとえば当時の人口や国際国内報道について事件記事でも記載が必要ですが、内容は論争記事と重複します。重複してしまうのはなぜでしょうか。それは、事件と論争が明瞭に区別できない、少なくとも、いまの記事の状態は良いとはいえないからで、分離したままにするにしても、分離する明瞭な方針を再確認する必要があります。私は、そのような明瞭な方針はないと判定するため、統合を提案しました。Japanese sincerityさん、分離する明瞭な方針を説明していただけますでしょうか。--さんぽーる会話) 2016年6月20日 (月) 16:22 (UTC)

いくつかの点で、貴殿とやはり事実関係の認識の違いがあります。戦闘終了後の虐殺は、戦時国際法違反であるかどうか、その背景に日本軍の行動にどこまで問題があったかというのが、近年の論点で、昨年の今頃のものは、今以上に未整理で理解不能でした。--Japanese sincerity会話) 2016年6月21日 (火) 15:21 (UTC)

過去も未整理でしたが、現在も改善すべき状態にあります。私が聞いているのは、事件に関する認識ではなく(ここで南京虐殺はあったのかを我々が議論するのは無意味です)、あくまでもウィキペディアの記事として、南京事件と南京事件論争記事が分離されるべき理由は明確にあるのでしょうか、ということです。--さんぽーる会話) 2016年6月21日 (火) 16:24 (UTC)
統合提案の話と、南京事件記事の整理の話を分けた方がよさそうですので、向こうで整理を提起します。--さんぽーる会話) 2016年6月21日 (火) 16:27 (UTC)

統合はまだ慎重にしてほしいです。南京事件のあらしがあったあとの多くの人の動きを見てもわかるように注目しているひとも多いので慎重にしてほしい。南京事件はその存否にかかわらず、多くの欧米人の記録・報道があったことはまず、事件のてがかりとして記載すべきでしょう。--Japanese sincerity会話) 2016年6月27日 (月) 16:26 (UTC)

欧米人の記録・報道だけでなく日中の記録も記載すべきでしょう。--さんぽーる会話) 2016年6月28日 (火) 10:50 (UTC)
  • 反対 統合には強く反対します。整理改善すべき点は十分あるとしても、統合で改善が促進されるとは考えられません。いまよりきっとわかりにくくなるでしょう。事件が8万バイト超で論争が16万バイト超。統合ではなく、事件記事の本文のうち、議論のある点についてはできるだけ論点の概要のみにとどめ、詳細は論争記事で書くのが良いと思います。--miya会話) 2016年6月27日 (月) 21:52 (UTC)
    • 反対 -miyaさんの意見と同じ考えです。事件記事の内容と、論争記事内容の目的が違うことから統合する必要性がない。また、編集者間で認識のズレがみられるテーマであることから、分けて問題の議論を展開をし、記事の整理・編集を進めればよいと思います。--Koshi2016会話) 2016年6月27日 (月) 22:45 (UTC)
    • 反対 読者の立場として膨大すぎるwebページは読みづらい。--大和屋敷会話) 2016年6月28日 (火) 03:41 (UTC)
分量については冒頭で述べましたように20万バイト以下と予想され、「膨大すぎる」なんてことはないでしょう。重複が解消されるだけでかなり読みやすくなるはずです。が、分割より前に整理が必要なのは確かなので、南京戦南京事件の整理と加筆、また重複についても具体的に指摘をしながら提案をしていきます。--さんぽーる会話) 2016年6月28日 (火) 10:50 (UTC)
いやあ、かなり多いですよ。攻略戦は攻略戦、「事件」は「事件」、論争は論争が納まりが良いのではないでしょうか。--大和屋敷会話) 2016年6月28日 (火) 11:40 (UTC)
南京戦、事件、論争の3つあるのはいいのですが、現在の事件と論争とがうまく分けられてないということなのです。しかし、まずは加筆と整理を私の気の済むまでやってみて、それから統合が必要か考えようと思います。--さんぽーる会話) 2016年6月28日 (火) 12:27 (UTC)
さんぽーる会話)さん 貴殿の加筆・整理には可能な限り偏りを避けようという意思は感じられるものの、南京戦、事件、論争についての、内容の移動・整理には可能な限り慎重にしてほしいです。みんなのものですから、このページにもあった、リバート合戦の危険も皆無ではないので、ノートで意見を書きつつ、慎重に願います。 --Japanese sincerity会話) 2016年6月28日 (火) 13:31 (UTC)
  • 反対 16万バイトの現状でも過剰だと感じます。さんぽーるさんは日中戦争でも記事を整理して縮小することに反対をされていましたが、少なくとも記事の分量に関しては他の編集者と大きな認識のズレがあるようですね。--Zakinco会話) 2016年6月30日 (木) 14:18 (UTC)
分量などどうでもよくて、事件と論争を記事として分離する明瞭な方針を再確認したいのです。他の方もそうですが、分量のみを理由に反対されても賛同できません。分量でケチつけるなら、ぜひ特別:長いページで上位の74万バイトから100位の31万バイトの順にノートで「分量が多いので縮小してください」と提案し、削っていったらいかがでしょうか。それをせずに20万以下程度(いたって普通の分量)で分量を持ち出すのは首尾一貫していません。--さんぽーる会話) 2016年6月30日 (木) 16:11 (UTC)
  • コメント-皆さんが、容量についてコメントされているのは、さんぽーるさんの統合提案の大きな理由の一つに挙げていることに由来するのでしょう。その他の理由についても多くの方々は意見を述べています。私の考えはすでにコメントした通りです。--Koshi2016会話) 2016年7月1日 (金) 01:26 (UTC)
  • いやいや、統合提案ですので「統合なんてとんでもない(分量が巨大になりすぎる)」という意見になるわけで。記事間の内容の整理でしたら従来から行われていることですので、淡々と、個々に実施するなり検討するなりすれば宜しいわけでして。「もっと多い記事の分割提案をなぜしないのか」なる主旨の反論は論点ずらしですので無用でしょう。単に我々はそれらの記事に興味がないだけです。--大和屋敷会話) 2016年7月1日 (金) 04:10 (UTC)

koshi2016さんは誤解されています。私が分量をあげたのは目安程のことで理由ではないです。分量を理由にする場合は分割という方式で提案します。大和屋敷さん、他と比較してこの程度は普通です。私が統合提案した理由は、以下。①から③は同じことをいっているともいえますが、細分すれば

統合の理由
①重複が多い。一括して説明する方が適切。
②事実や資料について論争がある以上、事件の記事でどこまでを「論争のない事実」で書くのかが曖昧で不明瞭である。(「論争のない事実」がないほどに「事実の証拠」の詳細が争点となっている)
③事件記事と論争記事を明瞭に分ける方針がない。明瞭に分ける方針がないまま12年前に分割された結果、事件記事と論争記事を往復して読まねばならなかったり、説明不足が多い。加筆しようとしてもどっちに書けばよいのか分かりにくい。

miyaさんは「事件は論点の概要、詳細は論争記事で」と提案されていますが、その場合、ここのページにある全争点の概要(犠牲者数、人口、国際法上の問題、期間と場所、国際社会の認知、証言や日記など資料についての概要)を南京事件でも書く必要があります。なにより難しいのは証言と日記です。概要を書くとして文案はどうなりますか。「虐殺があったとする証言や、なかったとする証言がある」だけでいいでしょうか。しかし、これから加筆する判決では証言や日記の記載が事実認定されて、その後それらの資料について研究と再検討がなされ、論争にいたっている。そうなると中立的な観点から、判決だけを事件記事に書くのは問題があるのではないでしょうか。今は統合前に加筆整理すべきと考え、編集しています。しかし、今後のためにも③の「事件記事と論争記事を明瞭に分ける方針」については明確に確認すべきです。--さんぽーる会話) 2016年7月1日 (金) 13:36 (UTC)

  • 反対 「南京大虐殺」の「事件そのもの」と「論争」を別立てする件に関する議論について過去に発言した記憶があるが、この提案では、本件の過去ログが参照されていないため。--Dalaibaatur会話) 2016年9月16日 (金) 21:44 (UTC)

「本件の過去ログ」はどの議論ですか。差分で出してください。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 11:13 (UTC)

Wikipedia:ページの分割と統合に従い、議論停止して一ヶ月以上経過しているので、統合提案は撤収します。③の「事件記事と論争記事を明瞭に分ける方針」については未確認のままですが、加筆など他の編集を優先させることとします。その後で再度分割提案する際にも同一の理由で提案させていただくでしょう。Dalaibaaturさんのいう差分は分かりませんが、「事件記事と論争記事を明瞭に分ける方針」について明確に主張があるのなら、今後のために解答を希望します。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 11:56 (UTC)

スマイス調査[編集]

スマイス調査を「重要な一次資料」とする評価などはルイス・S・C・スマイスへ転記。ここでの経歴記載は大学教員と安全区委員くらいにすべきです。この記事に登場する人物の経歴を長々と説明するのは著しく読みにくくなりますし、また論点がぼやけます。--さんぽーる会話) 2016年6月29日 (水) 15:46 (UTC)

外部リンク[編集]

ノート:南京事件 (1937年)#外部リンクと同様、匿名サイトはWP:ELでの条件を満たしていないので削除。--さんぽーる会話) 2016年6月29日 (水) 16:32 (UTC)

人口推移[編集]

#編集不備でも指摘したことですが、人口推移は、論争的な否定派の主張を冒頭で唐突に紹介するのでなく、最初に当時の記録を紹介すべきです。そしてその記録についての研究、最後に論争の順にする方が適切です。--さんぽーる会話) 2016年7月7日 (木) 11:51 (UTC)

なかった証言[編集]

さんぽーる会話)ちょっとやりすぎですよ。--Japanese sincerity会話) 2016年8月22日 (月) 23:42 (UTC)

仕方ありませんね。当時を知る方の証言は、他の証言と同等に重要ですから。私が加筆した証言について疑問や批判が書かれた書籍があれば加筆してください。肯定派の文献もチェックしているのですが、なかった証言への批判は見つかりませんでした。--さんぽーる会話) 2016年8月23日 (火) 12:38 (UTC)

さんぽーる会話)さん 了解。でも個々の証言を批判を探してどうのこうのとはいいません。--Japanese sincerity会話) 2016年8月23日 (火) 15:04 (UTC)

日記は証言か[編集]

Japanese sincerityさん、日記を「証言」として加筆されていますが、「日記資料」節の方が適切ではないでしょうか。--さんぽーる会話) 2016年8月23日 (火) 15:07 (UTC)

また、「虐殺があったとする証言」を「陸軍軍人の虐殺があったことの証言」を「批判や疑義の出された虐殺証言」と区別する理由は何でしょうか。「批判や疑義の出された虐殺証言」の中にも「陸軍軍人の虐殺があったことの証言」がありますので、不適切です。反論がなければ、日記セクションに移動します。また、中島日記は内容が重複しています。--さんぽーる会話) 2016年8月24日 (水) 14:32 (UTC)

さんぽーる会話) 記事の内容、記載方法、分量は変えます。少し、待ってください。--Japanese sincerity会話) 2016年8月24日 (水) 23:16 (UTC)

内容や分量は問題ではありません。日記と「証言」は、史料としての性格が違います。書く場所が不適切であるといっています。--さんぽーる会話) 2016年8月25日 (木) 12:26 (UTC)

分割提案[編集]

分量肥大につき、被害者数]節を南京事件の被害者数を分割提案。英語版では独立記事:en:Death toll of the Nanking Massacre。また、論争史を南京事件論争史へも分割提案。--さんぽーる会話) 2016年8月24日 (水) 14:47 (UTC)

さんぽーる会話) ご自身で記事を増やしておいて、分割はないでしょうが?やりすぎです。--Japanese sincerity会話) 2016年8月24日 (水) 23:14 (UTC)

言いがかりはご遠慮願います。Wikipedia:ページの分割と統合には「大量に加筆した編集者は、分割提案できません」とは書いていません。また、私が最近加筆したのは証言です。証言の分割も検討しましたが、日記や他の史料とは一覧である方が見やすいでしょうし、Japanese sincerityさんのように、日記と証言を混同される場合もあり、分割は難しいと判断しました。被害者数を分割するのは、争点としてまとまっており、要約も書きやすいですし、英語版でも独立記事になっていることからも、分割を検討すべきでしょう。論争史は、年表としてさらに充実させることができますし、これもまとまっているので、分割を検討すべきでしょう。--さんぽーる会話) 2016年8月25日 (木) 12:24 (UTC)

「被害者数」セクションにある「「虐殺」否定説」と「戦時国際法上合法説」は、他のセクションとの関連で重要なので、本記事にセクションとして残すことを追加提案します。分割先にも転記します。「要約が書きやすい」といったのは数字の議論のことでした。--さんぽーる会話) 2016年8月25日 (木) 12:55 (UTC) 

追加提案を訂正します。「虐殺の対象」セクションに、国際法上の議論について説明されており、内容もほぼ重複しているで、「「虐殺」否定説」と「戦時国際法上合法説」を単独のセクションにすることはやめ、他の数字の各説と同じく、要約にとどめます。--さんぽーる会話) 2016年8月25日 (木) 13:06 (UTC)

--さんぽーる会話)さん 取り急ぎ、表現が不適格だったことはお詫びします。日記については、書き直しますので、少し待ってください。--Japanese sincerity会話) 2016年8月25日 (木) 13:29 (UTC)

分割提案のセクションなので、分割に関する議論に集中してください。日記については#日記は証言かのセクションでお願いします。書き直す必要はなく、配置場所の問題です。加筆は歓迎です。--さんぽーる会話) 2016年8月25日 (木) 14:02 (UTC)

報告 反対意見がなかったので分割しました。要約は一応作成しましたが、記録への疑問などは各セクションへの移動すべきでしょうか。人名の記載も脚注で十分かもしれません。なお、他のセクションとの重複など整理はまだ終わってません。--さんぽーる会話) 2016年8月31日 (水) 17:24 (UTC)


反対 統合と分割を同時に提案しておられて、一体どういうつもりなのかと思っていましたが、統合の方を撤回されたことを確認。改めて意見表明します。理由:対立の激しい極めてセンシティブな問題を扱うにしては、編集姿勢がずさん。すでに分割を実施した「犠牲者数」、「論争史」では、「要約」が実際には元の文を要約せず勝手な判断で書き換え、あるいは要約を準備せず。事前に要約を準備し、元の文面の主要部を執筆した投稿者たちに連絡して点検を依頼する、という手順が踏まれない限り、さんぽーるさんによる新たな分割の提案や分割の実施には反対。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:19 (UTC)--Dalaibaatur会話) 2016年9月18日 (日) 11:04 (UTC)統合と分割の同時提案が解消されたため。

阿羅編証言[編集]

分割議論については他の人にお任せしますが、さんぽーるさんが加筆されている一連の個別の証言については見通しが悪くなるので「南京事件論争」に書くべきではないです。
さんぽーるさんが加筆されている一連の個別の証言については『阿羅健一は証言を集めて検討した結果、虐殺はなかったと結論付けている。』くらいで十分でしょう。個別の証言は「論争」ではないです。証言資料等を集めて分析している人の言葉を載せるべきです。
日中歴史共同研究はこの論争を俯瞰的に見て『このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している』と述べており、ここに焦点をあててこの記事を記述すべきです。--Zakinco会話) 2016年8月26日 (金) 04:57 (UTC)
証言がなぜインタビュアーの主張としてすり替わるのでしょうか??証言や各種史料も論争の争点です。--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 12:12 (UTC)
--さんぽーる会話) さん 私もZakinco会話) さんの主張に賛成です。様々な物証や戦争の事実、国際法との関係や人道的配慮との関係など、様々な状況をみつつ、独自の検討に偏らないようにすることが、大切です。今回の貴殿の作業は、結果的に阿羅健一の論法に引きずられすぎています。--Japanese sincerity会話) 2016年8月26日 (金) 12:56 (UTC)
分割提案のセクションなので、分割に関する議論に集中してください。証言について議論をしたければセクションを変えてください。--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 13:00 (UTC)

報告 分割提案者として議題を分離します。--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 13:03 (UTC)

お答えします。私は阿羅氏の「論法」を加筆していません。阿羅氏のインタビューに問題があるのなら、それを指摘した出典を明記してください。その他の論点については、加筆すればよいことです。自分の気に入らない証言を削除することはひどいでしょう。否定派が、肯定派の証言を「肯定派の論法にひきずられているから」削除したらどうおもいますか?--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 13:06 (UTC) --さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 13:06 (UTC)

--さんぽーる会話)ほかのいろいろな意見を聞いてみましょう。--Japanese sincerity会話) 2016年8月27日 (土) 06:36 (UTC)


証言自身は一次資料です。Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料をご覧ください。--Zakinco会話) 2016年8月30日 (火) 00:28 (UTC)
独自研究ではありません。Zakincoさんはwikipediaの方針を理解していません。もしインタビューや証言が「一次資料」であるために掲載不可ならば、東京裁判の判決や、「あった証言」、日記史料なども掲載できなくなります。阿羅本への疑義を出すなら、信頼できる情報源ではないことを証明する文献を出すことでしょう。しかし、本多勝一の本への疑義があり、間違いがあったとしても、ただちに信頼できる情報源とはなりません。したがって、「阿羅はこういう。しかし、Aはこう批判する」という書き方しか、論争に決着がついていない現在はできません。否定派、肯定派のどっちが正しいかをWikipedia編集者が判定することはWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性によって間違いです。管理者のKs aka 98さんはこの記事の編集について「資料の信頼性は、どっちの立場をとっているから「信頼できる」ということではなく、それぞれの立場において信頼できるとされているものならば信頼できるとみなしてください。」と述べておられます。--さんぽーる会話) 2016年8月30日 (火) 13:24 (UTC)
ある論争についてWikipediaでどう書くべきかという点で根本的に相違があるので議論がかみ合うとは思えませんが、私は阿羅氏の本を信頼できる情報源ではないなどとは言っていません。裁判の判決などは公の事実で個人の証言とは全く性質が違います。その他証言や日記史料も調査した人による評価を含む記述ならば一定程度受け入れられると思います。だからと言って多数載せればよいということではありません。--Zakinco会話) 2016年8月30日 (火) 14:58 (UTC)
阿羅氏の本が信頼できる情報源であることを認めるなら、なぜそれを基づく加筆に反対するのですか。加筆してよい証言は何人分までならいいのですか。「虐殺があった証言」は何人分ならいいのですか。私は重要な証言であるものは加筆します。私が加筆した証言で重要でないものはありますか。「どう書くべきかという点で根本的に相違がある」から、Wikipedia:中立的な観点という方針があります。方針には「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません」と明確にかかれています。--さんぽーる会話) 2016年8月31日 (水) 13:37 (UTC)
信頼できる情報源を出典にすれば利用者:さんぽーる会話 / 投稿記録さんが重要だと考える事項について何を書いても何も言われないというわけではありません。他の編集者が疑問を述べるのは普通ですし、執筆者はそれに応答すべきです。論争について記述する時に個別の証言をどの程度載せるかは広く議論を募った方が良いでしょうし、他の編集者の疑問自体に問題を感じるならコメント依頼を利用して第三者の意見を聞いてください。
私の考えは上に書いてありますが念のためもう一度書きます。『犠牲者数に諸説がある』これが論争です。そしてその原因は『「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している』なので、ここに焦点をあてて記事を書くべきです。ですので、『個別の証言は「論争」ではないです。証言資料等を集めて分析している人の言葉を載せるべき』との主張をしております。以上です。--Zakinco会話) 2016年9月1日 (木) 00:53 (UTC)
話をすり替えないでください。阿羅氏は「証言資料等を集めて分析している人」です。すでに答えたように、証言や史料の分析も争点であり、証言の対立も研究テーマになっています。虐殺がなかった証言について批判が出されるまでは記載すべきではないと主張されるんですか。疑問を述べるな、と私はいっていないし、Zakincoさんが歴史学研究会でネガティブな評価を書くのを必死で不当に阻止しようとしているのを考えると、「議論」は無理ですね。ウィキペディアは演説台、政治的プロパガンダの場所ではありません。--さんぽーる会話) 2016年9月1日 (木) 04:38 (UTC)
私は話のすり替えなどしていませんが、自分の文章を読み返してみて言葉足らずの部分があったので付け加えます。阿羅編証言のみを問題にしてるのではなく「証言」の章自体が長すぎると考えています。著作権の切れていない書籍からの大量の引用は控えきちんと要約してください。『「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違』との関連が分かる証言を集めてください。それらが分かるように補足されて書かれた証言であるなら受け入れます。あと、「ウィキペディアは演説台、政治的プロパガンダの場所ではありません」とのことですが、『ネガティブな評価を書くのを必死で不当に阻止しようとしている』根拠が示されていない以上、あなた個人による言いがかりです。この場で議論することは避けますが、訂正と謝罪を求めます。--Zakinco会話) 2016年9月1日 (木) 13:25 (UTC)
証言セクションは長くなったので分割提案しています。引用は要約しています。単に虐殺を否定しているわけではない、つまり捕虜等の殺害の目撃証言も含まれるので、中立性から書きました。名前の列記が楽でしょうが、不十分です。「論争」との関連ですが、阿羅氏は田中正明とも親しい否定派で、証言集は、教科書誤報事件での日中対立を踏まえて調査されたものです。それだけで論争との関連は十分ですが、証言内容には虐殺の定義や、記録などについて見識を深める内容もあります。それを全部書いたら大変な長さになりますので、要約にとどめました。プロパガンダの話はノート:歴史学研究会の全文転載議論を踏まえたものですが、Zakincoさんの答えで、誤解があったことが確認できたので、撤回します。--さんぽーる会話) 2016年9月1日 (木) 13:46 (UTC)


反対 統合と分割を同時に提案しておられて、一体どういうつもりなのかと思っていましたが、統合の方を撤回されたことを確認。改めて意見表明します。理由:対立の激しい極めてセンシティブな問題を扱うにしては、編集姿勢がずさん。すでに分割を実施した「犠牲者数」、「論争史」では、「要約」が実際には元の文を要約せず勝手な判断で書き換え、あるいは要約を準備せず。事前に要約を準備し、元の文面の主要部を執筆した投稿者たちに連絡して点検を依頼する、という手順が踏まれない限り、さんぽーるさんによる新たな分割の提案や分割の実施には反対。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:19 (UTC)--Dalaibaatur会話) 2016年9月18日 (日) 11:03 (UTC)統合と分割の同時提案が解消されたため。

不当な白紙化[編集]

Japanese sincerityさんは、出典の明記された記載を削除しないでください。こうした行為は「不当な白紙化」としてWikipedia:荒らしとみなされます。--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 12:18 (UTC)

--さんぽーる会話) さん そもそも、もともと誰が記載したか良くわかりませんが、あった証言ただし疑義ありが羅列されてしたのです。そこに、あった証言で疑義なしを入れることに、したらどうなります?そもそも証言のない(否定された)記事は位置づけがはっきりしないので消さざるをえないじゃあ、ないですか。貴殿の作業によった影響ですよ、すべて。もう勘弁してほしいです。。。他の方のご意見もお聞きします。--Japanese sincerity会話) 2016年8月26日 (金) 12:50 (UTC)

証言内容について加筆すればよい。「不当な白紙化」はやってはいけないことです。--さんぽーる会話) 2016年8月26日 (金) 12:59 (UTC)

証言セクションの方針と分割提案[編集]

Japanese sincerityさんによる証言加筆ですが、以下、確認すべきです。

  1. 「証言」に日記や手紙を入れるのはどういうつもりですか?「証言」は、法廷証言やインタビューに限定すべきで、日記や手紙は性格が異なります。手紙は、いまのところ一つだけなので、日記セクションがいいと思います。
  2. Japanese sincerityさんは配列についてどのように考えていますか。年代順でも証言者のあいうえお順でもないし、でたらめな順番にすると困ります。私は年代順を基本原則にすべきであると提案します。
  3. 足立証言、石川証言については、「なかった証言」にもあるので、これはどうしましょうか。二人は、当初「あった証言」から、後に「(中国のいう大虐殺は)なかった」証言に変化しています。年代順からいうと、「あった証言」に入れて「備考」で証言の変化を書くのがいいでしょうか。
  4. 表も内容が増えると非常に見通しが悪くなりますので、どうしましょうか。表をやめてもいいのかもしれません。
  5. 私とJapanese sincerityさんによる加筆によって分量が増えたので、「証言」を南京事件の証言として分割提案します。山田支隊の部分は、国際法セクションに移動し、ここに残すのが適切です。
  6. 「なかった証言」にも「捕虜殺害や市民のいくらかの殺害はあった。しかし『大虐殺』はなかった」というのが含まれています。これは虐殺の定義によるものですが、これも確認すべきことです。「(30万などの)大虐殺があった」証言と、「残虐行為としての虐殺があった」証言、「大虐殺がなかった」証言の3つとして分けてはいかがでしょうか。また、「あった証言」でも証言は嘘だったと後で述べたものもあり、分けるのは難しいので、すべて一括して年代順にするのがいいかもしれません。--さんぽーる会話) 2016年8月29日 (月) 16:58 (UTC)

私は、基本、賛成です。あえて、言えば、例えば阿羅インタビューでの石川達三のとこは「どのような質問をしたか不明」「最晩年で体も不自由な石川への不可解な取材」などがありますので、質問内容などわかる範囲で正確に書くべきでしょう--Japanese sincerity会話) 2016年8月29日 (月) 23:18 (UTC)

賛成ありがとうございます。私の質問にお答えはもらえませんでしたが、私の指摘に賛成したということであればよいです。石川証言は田中インタビューですが、質問の情況について「不可解な取材」など書いてあるわけないですよ。それは肯定派がいう疑義でしょう。阿羅インタビューへの学術的検証を書いた文献があるなら書いてください。--さんぽーる会話) 2016年8月30日 (火) 12:41 (UTC)

というか、どういう質問に答えたかはっきりしないと、こうもタッチ―な問題は不明確ですよね。今まで証言したことを覆したのなら、どう質問したか明示すべきだと思います。しかし、確かに反論本となると、すぐ思い浮かびませんので、表現ぶりは困難かもしれません。答えになっていませんが。。--Japanese sincerity会話) 2016年8月30日 (火) 13:29 (UTC)

出典とページ番号も書いていますから、確認してください。私は質問を明記するのは不要と考えました。そのかわり、「(捕虜などの)虐殺があった」という部分は書いています。阿羅本での「なかった」とは、ほとんどずべて「30万規模の大虐殺はなかった」「戦闘による殺害はあった」というものです。証言では他にも重要なことが述べられていますが、省略せざるをえません。確認されればわかることですが、期待されるようなことは書いていませんよ。特に石川証言は。--さんぽーる会話) 2016年8月30日 (火) 14:08 (UTC)

さんぽーる会話) 不十分だったことを人にお任せするのは恐縮ですが、貴殿の意見を尊重しますので、いかようにもしてください。十分な回答足らずおわいします。--Japanese sincerity会話) 2016年9月1日 (木) 14:26 (UTC)

報告 分割終了。ハロルド・J・ティンパーリについては、証言よりも報道セクションが適切なので移動します。--さんぽーる会話) 2016年9月5日 (月) 15:33 (UTC)

お疲れ様です。。--Japanese sincerity会話) 2016年9月7日 (水) 15:03 (UTC)


反対 統合と分割を同時に提案しておられて、一体どういうつもりなのかと思っていましたが、統合の方を撤回されたことを確認。改めて意見表明します。理由:対立の激しい極めてセンシティブな問題を扱うにしては、編集姿勢がずさん。すでに分割を実施した「犠牲者数」、「論争史」では、「要約」が実際には元の文を要約せず勝手な判断で書き換え、あるいは要約を準備せず。事前に要約を準備し、元の文面の主要部を執筆した投稿者たちに連絡して点検を依頼する、という手順が踏まれない限り、さんぽーるさんによる新たな分割の提案や分割の実施には反対。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:19 (UTC)--Dalaibaatur会話) 2016年9月18日 (日) 11:04 (UTC)統合と分割の同時提案が解消されたため。

論者の分類がおかしい[編集]

すでに過去ログ3-14節過去ログ3-24節で指摘した、「誤った分類」が復活していましたので、上記の指摘を踏まえて修正しました。--Dalaibaatur会話) 2016年9月14日 (水) 11:07 (UTC)

反対 Dalaibaaturさんの「虐殺者数」での編集には反対します。北村稔のみを詳細にここで書くとバランスが悪いです。プロパガンダ説は鈴木明、東中野ほか多くの論者が主張しています。書くならば「プロパガンダ説」としてまとめるべきです。別のセクションにすべきでしょうけど。過去ログを拝見しました。「レッテル」に対する懸念は理解できますが、再度確認させてください。「30万の大虐殺があった」派というのは日本の研究者ではいませんが、「数はともかく虐殺があった」派、「中国の主張する『大虐殺(大屠殺)』はなかった」派がいます。この分類では大虐殺派・虐殺派・大虐殺否定派となりますが、日本での論争では、本多・洞・吉田・笠原らの「虐殺派」と、田中・藤岡・東中野らの「大虐殺否定派」がそれぞれグループを作っています。北村稔氏は「大虐殺否定派」グループに所属しているようではないですが、別冊正論15号では「抗日を煽って逃げた中国共産党」を発表しています。虐殺派の論文集や青木書店岩波書店朝日新聞社の刊行物でなく、産業経済新聞社の『正論』の別冊である「別冊正論」(扶桑社)に発表していることは、「虐殺派」からは「大虐殺否定派」と見なされるのではないでしょうか。北村稔は「中間派」ということでいいのかもしれませんが、「大虐殺否定派」また証言者のなかにも同じく「大虐殺否定派」だが「虐殺があった」とする人もおり、何を基準に分ければいいでしょうか。「中間派」を自称する秦郁彦は「大虐殺はなかったが、捕虜の虐殺はあった」派といえますが、しかし、決して本多・洞・吉田・笠原ら「虐殺派」のグループに分類されるわけではないでしょう。「各論者」というセクションでも作って、自称他称など詳細を書いて説明した方がいいかもしれません。--さんぽーる会話) 2016年9月14日 (水) 14:32 (UTC)
上記の修正を行った動機は、以下の文面が、(1)日本語として不完全、(2)内容に疑念がある、という2点によります。以下の引用では、論者名を省き、2か所に注釈を入れるとともに、1~3の番号を付加しました。

ゼロ :虐殺否定説

  1. 戦時国際法上合法説は30万人の市民の虐殺はなかったと主張し、(中略。以下、北村を含む論者名を列挙)(←この箇所に述語なし。日本語としておかしい)。
  2. 戦時国際法上合法説では、便衣兵(ゲリラ兵)や投降兵の殺害も戦闘行為の延長であり、戦時国際法上合法とする。
  3. 南京安全区の欧米人記録やその話をもとにしたジャーナリストの記録の信頼性への疑問、国民党は事件の翌年の300回の記者会見で言及しなかった、国民政府の記録での人口記録の矛盾、また日本軍の非行として訴えられた殺人は計26件、目撃された事件は合法殺害1件のみ、虐殺を証明する写真がないと主張。
まず(1)の「日本語として不完全」ですが、特に1の部分が、日本語の体をなしていない。次に(2)の「内容に疑念がある」ですが、私が修正を加える直前までの版に列挙されている、北村を含む2団体6名が全て1〜3の主張を行っているように読みとれる。北村については明らかに間違いなので、著書・講演から読み取れる主張・立場を要約した別セクションを設けましたが、のこる2団体5名についても、果たして1〜3の通りの主張を実際に誰がどれだけ・どのように行っているか疑問。--Dalaibaatur会話) 2016年9月14日 (水) 17:35 (UTC)
さんぽーるさんが9月1日に投稿した「要約」にも、同意できかねます。同意できない理由は、(イ)「検証可能性を満たす典拠に依っていない、投稿者独自の分類項目と分類基準」に依って論者が分類されている。(ロ)もとの文面による分類を踏襲せず、分割者が論者の分類先を勝手に変更しているので、「要約」と称しているが実際には要約ではない。(ハ)「要約」文がきわめて不正確で、論者の実際の主張とは食い違う要約がなされている、という3点です(記事の分割については、Wikipediaルール上の手順を踏んで実施され終えたものなので、改めて異を称えることはしません)
私は、2011年3月の投稿で、北村の位置付けを「否定派」から「中間派」に改めましたが、その際には北村の著書(北村,2001)を典拠として挙げています。しかし、さんぽーるさんの「要約」では、いかなる議論も提案も経ずに、北村の位置付けが、コッソリと「虐殺否定説・まぼろし説」に戻されています。しかも戻すに際しては、私が示した中間派としての典拠(北村が「幕府山捕虜殺害事件」について新資料を発見した記述など)を削除する一方、「ゼロ:虐殺否定派」に分類する根拠として1点だけ挙げた典拠では、北村の「旧日本軍が南京で゛無秩序〟や゛混乱〟に陥って便衣兵や捕虜を殺害したことはあったが、一般市民を対象とした゛虐殺〟(massacre)はなかったとの結論に達する」という発言のうち、虐殺事案の発生を認めている前半部(赤文字部分)を省略するという、恣意的な引用を行っておられます。しかし、元来この北村発言は、日本軍による虐殺案件を認めていることより、北村がまさに「中間派」そのものであることを示すものです。この発言を「ゼロ:虐殺否定派」の根拠として利用するためには、前半部の赤文字部分は不都合なのでしょうが、このような「典拠の提示」は、本来の典拠の趣旨を真逆に歪めるもので、全く同意しかねる手法です。--Dalaibaatur会話) 2016年9月15日 (木) 08:34 (UTC)
北村稔が「中間派」であるという典拠はありますか?「三派」については、野村耕一「過去の克服をめぐる学問と政治」三重大学人文学部文化学科研究紀要. 2016, 33, p. 75-83.では、1「虐殺派」(笠原十九司、吉田裕)、2「まぼろし派」(鈴木明、田中正明) 3「中間派」(櫻井よしこ、 原剛)となっていますが、北村は分類されていません。他の資料を探してみます。なお、要約が不十分であるのは認めますが、「論者の分類」については典拠を提示して詳細を書くべきであると考えます。著書・講演から読み取れる主張・立場を要約した別セクション2011年3月の投稿で、北村の位置付けを「否定派」から「中間派」に改めましたの編集では、ページ番号も記載されていませんし、後半の文章には出典が明記されていません。--さんぽーる会話) 2016年9月15日 (木) 12:10 (UTC)
笠原十九司「南京虐殺『虚構説』のトリックの見分け方」『週刊金曜日』2002年8月2日(No.422) pp.66-67では北村稔を「南京虐殺否定論者」とし、笠原十九司『南京事件論争史—日本人は史実をどう認識してきたか』で、北村著書を「南京大虐殺否定本」とする。渡辺久志「もとめているのは「実像」か「虚像」か? 北村稔著『「南京事件」の探求 その実像を求めて』を批判する」(4回連載)(季刊『中帰連』2002夏(21)、2002秋(22)、2002冬(23)、2003春(24))でも北村を「否定派」とする。一方、星山隆「南京事件 70 年―収束しない論争」では、1虐殺肯定派(笠原十九司)、2虐殺否定派(東中野修道)、3中間派に分類。p.21に「中間派に属すると見られる北村」とある。以上、北村稔を否定派、中間派にする別々の典拠がありますが、どうしますか。--さんぽーる会話) 2016年9月15日 (木) 12:42 (UTC)
秦郁彦 『南京事件」(中公新書、2007,p302)では、A.大虐殺派 B.中間派 C.マボロシ派(中国では「虚構派」)と分類。CとBの影響力が伸びて、Aは低落しつつある、と述べている(前掲書,p302)。また同書p318で犠牲者数について一覧を作成している。--さんぽーる会話) 2016年9月15日 (木) 12:58 (UTC)
先日行った北村説の再分類では、「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」と「分類の項目の名称」を修正しました。
かつての私の2011年3月の編集において、北村の立ち位置を「虐殺否定説」から変更するに当たって、この差分比較の左側(=「数千~2万」)のところに配置したのは、幕府山捕虜だけでも「2万弱」(諸説ある)である点からの判断でしたが、北村,2001のどこかに「いわゆる「南京大虐殺の被害者総数」について「数千~2万」とする」という言説があるわけではありません。そこで今回の修正に当たっては上述のような「分類項目の名称」を立て、そこに帰属させました。
さんぽーるさんが、この[この編集で、「要約」と称しながら、北村の位置付けを元の位置から勝手にコッソリ「ゼロ :虐殺否定説」移動した件について、自己弁護として、「○○氏が北村を△△派と呼んでいる」というのをいくつか挙げておられるのを拝見しました。だだし、すでにこちら(→過去ログ3-24節)ですでに述べているように、様々な立場・主張を持つ論者たちがそれぞれのレッテルを提示している中、記事の本文では、一部論者のレッテルを恣意的に採用し、百科事典の記事としての分類に採用するのは問題である、と改めて指摘しておきます。多くの論者たちは、自身の著書物や発言により、各自が認定する犠牲者の規模を明らかにしたり(あるいはいわゆる「南京大虐殺における被害者数」なんて概算しないという立場を示したり)しているのだから、それに依って分類は客観的に可能です。
さんぽーるさんの「要約」に立ち戻って論ずるなら、
  1. 北村は、「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」する立場であり、それらの事案の中には「幕府山捕虜殺害事件」が含まれているので、「虐殺否定」でも、ましてや「ゼロ」などでは、決して、ない。
  2. 1万数数千人の虐殺案件を事実として認定し、「日本軍の非行」として非難する立場の論者であっても、自説の発表媒体の一部に産業経済新聞社の『正論』の別冊である「別冊正論」を用いると、「ゼロ :虐殺否定説の論者に分類される」(さんぽーるさんの2016年9月14日 (水) 14:32 (UTC)に依る)という分類基準には、全く同意できません。--Dalaibaatur会話) 2016年9月16日 (金) 17:32 (UTC)
北村を中間派と分類する基準もないでしょう。否定派という「レッテル」をつける出典がある以上、「否定派または中間派とされる北村稔」と書くしかないですね。そもそも北村の主張は鈴木明の「まぼろし説」を補強するものでしょう。鈴木明も「大虐殺」ではない殺害(「虐殺」かどうかは別にして)については認めています。Dalaibaaturさんは北村を中間派と主張しますが、一つも出典を提示されませんし、「「虐殺否定」でも、ましてや「ゼロ」などでは、決して、ない。」という発言では、自分の脳内の分類だけを基準にしています。「幕府山捕虜殺害事件」を認めれば、虐殺肯定派?中間派?どう主張されようが、すべては典拠が解答です。出典なき主張は、独自研究のゴリ押しにすぎず、演説にすぎません。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 10:22 (UTC)
  1. 「幕府山捕虜殺害事件」を認めているので、あなたの「ゼロ :虐殺否定説」という分類は誤り。
  2. 北村の分類「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」の典拠は「北村,2001」。この記事の主題に関する北村の専著『南京事件の探求』(文藝春秋, 2001)。この書物は私の脳内だけでなく、今でもそのへんの書店に存在しています。
  3. 論者の分類は、本人の著作や発言(雑誌・論文などの記事)など本人自身の典拠に基づいて行われるべき。
  4. 過去ログ3-24節の記述の一部再録)論争の当事者には、自身をふくめた論者たちをそれぞれの基準で分類・整理している場合が多い。ただしどんな基準で分類し、だれにどんな「○○派」のレッテルを使用するかは、論者と立場により非常に多彩である。「南京大虐殺論争」を俯瞰するうえで、さまざまな立場の論者たちそれぞれについて、「論争の当事者をどんな基準でどのように分類しているか」、および「自他にどんな「○○派」のレッテルを使用するか」を紹介することは、百科事典の記事として有為であるとおもわれるので、節を改めるなどしたうえで、レッテルの種類と使用者ごとの用法を典拠を明示したうえで紹介すること自体は、むしろ必要であると考える。この方向での増補には反対しない。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 10:32 (UTC)
北村自身の本で「中間派」と自称していますか。ページ番号を提示してください。「北村は中間派」という典拠を出さずに分類するのは脳内です。「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」という基準ならば、鈴木明と同じですね。Dalaibaaturさんの基準でいくと、「否定派」は誰もいなくなります。否定派は戦闘詳報などの公式記録にある「敗残兵の殺害」は認めています。しかし、「虐殺ではない、戦闘行為であり、国際法上合法」と主張しています。それに、そもそも「虐殺者数」のセクションです。北村は、何人が犠牲者数だといっていますか?何人が「不明」ならば、「不明、または誇張(プロパガンダ)説」ですか。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 10:44 (UTC)
  1. 自分のこの編集について、改めて点検してみましたが、「中間派」なる単語は、私には見当たりません。さんぽーるさんには見えておられるようなら、取り除いてくださっても構いませんよ。
  2. 私自身が記事の本文で示した北村の分類の項目名はも、何度も繰り返しますが、「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」です。この分類名称の典拠は「北村,2001」。この記事の主題に関する北村の専著『南京事件の探求』(文藝春秋, 2001)。この書物は私の脳内だけでなく、今でもそのへんの書店に存在しています。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 10:49 (UTC)

(インデント戻し)「中間派」が「レッテル」なら、「肯定派、虐殺派、否定派」もすべて「レッテル」となります。よって、「論者の分類は百科事典の記事にはふさわしくない」という立場になり、矛盾していますね。「分類」は「レッテル」であるが、「レッテル」とは名称のことであり、名称なしに「論者の分類」は不可能。Dalaibaaturさんの論理は破綻しています。また、同じ文章をコピペする前に、それが何ページにかかれているのか、答えてください。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 11:03 (UTC)

この編集に「中間派」が使用されていることで議論しているのではない。「否定派、ゼロ派」に北村を分類していることに反対しているのでしょう。しかし、北村の説は全体として鈴木明や東中野と大きくは変わらない(ティンパーリ資料の「発見」)し、笠原らは北村を否定派としているし、「北村は断固として否定派ではなく、中間派だ」とする出典はDalaibaaturさんの脳内にしかありません。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 11:10 (UTC)

  1. 私は記事の文面について論じています。
  2. 自分のこの編集について、改めて点検してみましたが、「中間派」その他のレッテル単語は、私には見当たりません。さんぽーるさんには見えておられるようなら、取り除いてくださっても構いませんよ。
  3. 私自身が記事の本文で示した北村の分類の項目名はも、何度も繰り返しますが、「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」です。この中に「中間派」なる文字列は存在していません。にもかかわらすこの項目名が「断固として中間派」に分類しているように見えているとすれば、それはさんぽーるさんの気のせいです。この分類名称の典拠は「北村,2001」。この記事の主題に関する北村の専著『南京事件の探求』(文藝春秋, 2001)。この書物は私の脳内だけでなく、今でもそのへんの書店に存在しています。
  4. 被害者数に関する論者の分類は、本人の著作や発言(雑誌・論文などの記事)など本人自身の典拠に基づいて行われるべき。レッテル貼りは不要。
  5. 過去ログ3-24節の記述の一部再録)論争の当事者には、自身をふくめた論者たちをそれぞれの基準で分類・整理している場合が多い。ただしどんな基準で分類し、だれにどんな「○○派」のレッテルを使用するかは、論者と立場により非常に多彩である。「南京大虐殺論争」を俯瞰するうえで、さまざまな立場の論者たちそれぞれについて、「論争の当事者をどんな基準でどのように分類しているか」、および「自他にどんな「○○派」のレッテルを使用するか」を紹介することは、百科事典の記事として有為であるとおもわれるので、節を改めるなどしたうえで、レッテルの種類と使用者ごとの用法を典拠を明示したうえで紹介すること自体は、むしろ必要であると考える。この方向での増補には反対しない。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 11:27 (UTC)
Dalaibaaturさんはこの発言2011年3月の投稿で、北村の位置付けを「否定派」から「中間派」に改めましたと言っていますが?その「中間派」に改める典拠がないのだから、脳内分類です。いつまでもページ番号を明記されないのも謎です。また、同編集で「2016年9月14日 (水) 17:35 (UTC)」から「2016年9月15日 (木) 08:34 (UTC)」へと時刻を改ざんする理由はなんでしょうか。
私も 2016年9月15日 (木) 12:10 (UTC)で「「論者の分類」については典拠を提示して詳細を書くべきである」と発言したとおり、それをセクションにして設置するのは賛成です。どうぞお書きください。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 11:39 (UTC)
  1. 私は記事の文面を論じています。
  2. 北村の分類については、さんぽーる氏の「ゼロ:否定派」から、「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」に改めました。
  3. この分類の典拠は北村,2001です。
  4. 私が新たに設けた「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」という項目の文面には「中間派」という文字列は存在しません。さんぽーるさんには見えておられるようなら、取り除いても構いませんよ。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:07 (UTC)
以下は、次節にて「誠実な解答」をお求めになった質問への回答です。
  1. 2011年3月の投稿では、北村の位置付けを記事の文面で「虐殺否定説・まぼろし説」から「数千〜2万」に移動。2016年9月、この編集について「2011年3月の投稿で、北村の位置付けを「否定派」から「中間派」に改めました」と回顧。
  2. 「2016年9月の投稿」では、北村の位置付けを「虐殺否定・ゼロ」から「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」に変更。
  3. どちらの投稿でも、記事の文面には「中間派」なる単語は不使用。
  4. 記事の文面中に存在しない記述の典拠を記事中で表示する方法については、私にとっても「謎」です。よろしければ参考までに教えてください。記事の文面中に存在する記述の典拠を示す方法(=refタグなど)については知っています。
以上、「誠実に」お答え致しました。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:47 (UTC)

報告 北村稔は虐殺数の推定を行っていないので、戦時宣伝(プロパガンダ)説として別のセクションを設置し、移動しました。ティンパーリセクションと後でまとめます。--さんぽーる会話) 2016年9月18日 (日) 06:03 (UTC)

報告 北村稔に関する記述の主要部を「主な論者とその特徴」に移動。北村の分類については「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」を復活。さんぽーるさんの上記セクションを解消。私が主として執筆した上記文面について「ティンパーリセクションと後でまとめること」は不要。さんぽーるさんが「ティンパーリセクション」を執筆する際に、北村に関する記述を何かあらたに書きおろすことについては、ご随意に。--Dalaibaatur会話) 2016年9月18日 (日) 10:42 (UTC)

「日本軍による組織的大虐殺そのものについては否定しつつ、個別の殺害事案については、資料的根拠の確認できるものについて認定」ですが、虐殺数の推定を行っていないので、不要です。また「主な論者とその特徴」とも重複なので不要。--さんぽーる会話) 2016年9月18日 (日) 11:58 (UTC)

20日間、「要約」が提示されていない件について[編集]

前節の「2016年9月15日 (木) 08:34 (UTC)」の投稿ではさんぽーるさんの「分割」について「改めて異をとなえることはしません」と述べていましたが、撤回し、以下のように「異をとなえ」ます。

  1. さんぽーるさんは、この記事のノート(第24節)で「南京事件 (1937年)」との統合を提案しつつ、同時に30節では分割の提案を行い、そして反対のなかった後者について取り組み始めているようであるが、これから前者への賛成者が多数現れた場合、一体どうするつもりであるか。編集行動として異常。
  2. 「被害者数」について:この記事が対象としている論争は極めてセンシティブな問題なので、文面の取り扱いにはより慎重さが必要。それにしては、(私は自分が文章を作った北村稔に関する記述しかチェックしていないけれども、)「要約」の文面の作りがずさんで、不正確(詳細は前節の「2016年9月15日 (木) 08:34 (UTC)」の(2)「内容が不正確」を参照)。とりあえず旧分面を復帰し、あなたの要約案について、旧分面の主要部を執筆した人々にチェックを依頼してはどうか。
  3. 「論争史」について:「南京大虐殺論争」という記事において、論争史を「分割」した意図が不明。他のセクションを分割するにしても、ここに残すべきセクションでは?(こちらにおいて、利点と欠点について議論や検討がなされた形跡もなし。論争史を移動した結果、いつ、どんな論者たちがどのような議論をしたか、各論者はそれぞれどんな主張をする人々であるのか、議論の焦点、議論の推移……、この記事に目を通しても全く不明になった。20日過ぎても「要約」が提示されていないようだが、分割実行者には、なるべく早く「要約」の文案を用意するよう希望。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 05:58 (UTC)
  1. 統合は反対意見も多かったので、問題点を確認したいと私は述べて事実上撤回しています。賛成者が現れれば、議論します。「編集行動として異常」なことは何一つない。個人攻撃はやめよ
  2. Dalaibaaturさんの「要約」もずさんであり、不十分です。旧文面の復帰をしたいなら、南京事件の被害者数で統合提案すればよい。先にいっておくと、分量のバランスからいって統合に反対。また、「要約」は合意形成を計ればよく、それを理由にした統合提案には明確に反対。
  3. 論争史の要約は非常に困難と思われたため作りませんでしたが、作ってみます。しかし、私の編集への疑問を述べるにとどまらず、個人攻撃をするまでにいたったDalaibaaturさんは、Wikipediaでは個人攻撃は禁止されていることを理解していますか?--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 10:35 (UTC)
あなたが統合を提案したこの節の文面をいくらじっくり読んでも、あなたが提案を撤回しているようには読み取れません。「統合提案」が生きている状態のまま新たに「分割提案」を新たに行っているので、「統合と分割の提案を同時に行っている」となります。統合と分割という真逆の提案を同時に行っているので「異常」と評価しました。古い提案を取り下げるのなら、節の末尾で「この提案は取り上げます」とはっきりと明示すべき。「個人攻撃」と受け取る前に、この提案でのご自身のだらしなさを反省していただきたい。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 11:09 (UTC)
Dalaibaaturさんが#論者の分類がおかしいで北村を中間派と編集したと発言していながら、本文にそれを記載していないことをもって話をすり替えることもだらしないので、猛省していただきたい。誠実な解答を待っています。--さんぽーる会話) 2016年9月17日 (土) 12:01 (UTC)
  1. 北村の分類に関するお尋ねについては、前節(=この差分の529行目)にて、誠実に解答しておきました。
  2. これから、何か提案をされる場合、特に以前とは真逆の提案をされる折には、旧提案の方をちゃんとクローズしてくださいね。--Dalaibaatur会話) 2016年9月17日 (土) 15:39 (UTC)

(インデント戻し)さんぽーるさん。「論争史」を分割提案の対象とした理由について、「分量肥大につき」以外の理由もありましたら、挙げていただきますよう、よろしくお願いします。--Dalaibaatur会話) 2016年9月18日 (日) 10:55 (UTC)

加筆が予想され、また加筆が必要であることも理由です。加筆に協力してくだされば幸いです。--さんぽーる会話) 2016年9月18日 (日) 12:20 (UTC)

「史実派」[編集]

大虐殺派を史実派として書きましたが、これは笠原個人の見解であり、中立的観点からも問題があり、および流通という点でも一般的とはいえないので前段での説明、および笠原本人の自称の部分のみとします。中立的観点からは、大虐殺派を史実派とするなら、「南京の真実」を主張する否定派が「真実派」となりかねません。--さんぽーる会話) 2016年9月19日 (月) 12:29 (UTC)

『眞相はかうだ』修正依頼[編集]

『眞相はかうだ』p33の2行目から3行目にかけて「『南京においてかく多数を惨殺し、また財産を掠奪した●●の徒はこれを捕縛した上厳罰に処されました。」の●部分が判読できません。判読できた方は修正してください。--さんぽーる会話) 2016年10月18日 (火) 14:39 (UTC)

陣中日誌の表[編集]

陣中日誌の表が見やすさを阻害しているので、テキストにしました。--さんぽーる会話) 2016年10月26日 (水) 15:46 (UTC)

捕虜殺害命令説[編集]

捕虜殺害命令説で陸支密第198号と三笠宮崇仁親発言を書いてあるが、関連性不明、また「虐殺の対象」セクションと重複につき、「虐殺の対象」へ移動。--さんぽーる会話) 2016年10月26日 (水) 16:14 (UTC)

昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王は陸軍将校だった経験から、戦後「私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。また、(日本軍が毒ガスの実験台に中国人捕虜を犠牲にした例にふれ)これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。(1941年の北京駐在の日本軍司令官は)軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。(中略)日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました(後略)」「THIS IS 読売」1994年8月号 54‐55頁。

これは南京事件と関連性不明。731部隊や日中戦争で記載すべきことです。--さんぽーる会話) 2016年10月26日 (水) 16:29 (UTC)

了解です。皇室は捕虜殺害と無関係と強調したかったのですが、先走りすぎでした。ありがとうございます。--Japanese sincerity会話) 2016年10月28日 (金) 15:05 (UTC)


プロパガンダ説について[編集]

さんぽーる会話)さん 貴方のプロパガンダについての記述は、非常に熱がこもっていますが、事実と誇張、プロパガンダと捏造は異なります。プロパガンダが誇張に変わった場合の弊害はわかりますが、ここまで量が多いと、事実と誇張の部分は整理してもいいと思います。どうでしょうか?舌足らずですが。--Japanese sincerity会話) 2016年11月14日 (月) 15:45 (UTC)

プロパガンダ説の最初に、「南京事件は事実発生した事件を、日本に対する批判として、しかも事実というより誇張も含めたプロパガンダとして中国政府及び連合国側が宣伝した事実があります。結果的に、そのことが、事件の誤った情報宣伝になったといっても過言ではありません。」と書き、残りは要約と本文にわけて、本文は別サイトとして頁を作ってはどうでしょう。--Japanese sincerity会話) 2016年11月19日 (土) 09:22 (UTC)

反対 提案された冒頭文は意味が分からないので反対します。分割にも反対。どこまでが事実で、プロパガンダかは論争の主要な争点です。分割理由とはなりません。--さんぽーる会話) 2016年11月19日 (土) 13:35 (UTC)

さんぽーる会話) さん ただ、貴殿のサイトでは、どこまでプロパガンダで誇張されたか、不詳です。南京事件はプロパガンダでできた物語でなく、事実は事実として、それが誇張されたわけです。そのように明確にみえにくいのですが。--Japanese sincerity会話) 2016年11月20日 (日) 23:32 (UTC) 

  • どんなおかしな情報源を使っているのかとおもえば産経新聞のサイトじゃないですか。さすがにこれはJapanese sincerity氏の言いがかりでしょう。たしかに報道機関としての傾向はあると思いますが、報道機関に対する批判はwikipediaやそれを引用するwikipedianに対して行うのではなく、外部の信頼できる情報源でその批判を行ったうえで引用するべきでしょう。産経新聞からの引用なので分割すべきだという主張についても編集方針に対する不誠実さを感じます。--大和屋敷会話) 2016年11月21日 (月) 02:11 (UTC)

大和屋敷会話さんぽーる会話) さん 産経新聞とは知りませんでした。考えるとこありますが、議論が広がらない以上、いったん引きます。--Japanese sincerity会話) 2016年11月21日 (月) 14:56 (UTC)

「貴殿のサイト」?私のサイトは情報源として使用していません。また、産経だけを情報源としていません。脚注に情報源は書いています。産経新聞はマクヒュー資料について使いましたが、Japanese sincerityさんはその箇所をいっているのですか?南京事件はプロパガンダとする主張があり、南京事件はプロパガンダでなく事実とする主張の両方を書くべきですが、「南京事件はプロパガンダではない事実である」とする主張の紹介は南京事件 (1937年)および当記事の関連記事で紹介されています。プロパガンダセクションは、プロパガンダとしての側面からの説明です。例えば有馬哲夫はGHQのブラックプロパガンダと論じていますが、肯定派が有馬説を新しい証拠を出して批判しているならそれを記載すればよい。事実説が足りないなら書くといいです。--さんぽーる会話) 2016年11月23日 (水) 12:18 (UTC)

さんぽーる会話) さん 貴殿のサイトでなく、貴殿の書き込みでした。あわてて書いて、誠にすみません。いずれにしろ、さんぽーるさんの趣旨を考慮して行動します。とりいそぎ。--Japanese sincerity会話) 2016年11月24日 (木) 15:25 (UTC)

さんぽーる会話) さん 一部、プロパガンダを編集しますが、整理しないと突出してみられることのため、が趣旨です。意見あれば、貴方が修正してもかまいません。--Japanese sincerity会話) 2017年3月11日 (土) 05:04 (UTC)