鈴木大地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Rain night-AWB (会話 | 投稿記録) による 2016年4月4日 (月) 01:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ修正 using AWB)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

鈴木大地
選手情報
フルネーム 鈴木大地
国籍 日本の旗 日本
泳法 背泳ぎ
生年月日 (1967-03-10) 1967年3月10日(57歳)
生誕地 千葉県
獲得メダル
競泳
日本の旗 日本
オリンピック
1988 ソウル 男子 100m背泳ぎ
テンプレートを表示

鈴木 大地(すずき だいち、1967年3月10日 - )は、千葉県習志野市出身の元水泳選手体育学者スポーツ庁初代長官[1]1988年ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリストバサロ泳法で有名な選手である。順天堂大学教授体育学修士、博士(医学))、日本水泳連盟会長(2013年-2015年)。

学歴・職歴

現役生活引退後は順天堂大学に勤務し、スポーツ科学の研究に取り組む傍ら、順天堂大学水泳部監督を務める。

経歴

現役引退後、コロラド大学ボルダー校にて客員研究員。その後、ハーバード大学水泳部のゲストコーチ(日本オリンピック委員会派遣)を務めるなどし、米国に長期駐在。米国その他海外に向けて積極的に活動範囲を広げ、見聞を広める。

他に日本オリンピック委員会アスリート委員会委員、世界オリンピアン協会 (WOA) 理事、日本オリンピアンズ協会 (OAJ) 理事、日本アンチドーピング機構理事、日本水泳連盟競泳理事、世界アンチ・ドーピング機構のアスリート委員会委員を務める。

著書

  • 『スイミング・エクササイズ』(大泉書店
  • 『鈴木大地スイミング入門』(大泉書店)
  • 『日本人の誰でも泳げるようになる本』(中経出版)藤本秀樹と共著
  • 『誰もがすいすい泳げる本』(中経出版)藤本秀樹と共著
  • 『スイミングQ&A教室(背泳ぎ編)お悩み解決』(ベースボール・マガジン社
  • 『保健衛生と健康スポーツ科学』(篠原出版新社)白石安男丸山克俊共著

エピソード

  • 「黄金の足を持つ」と言われた、バサロキックのパイオニアである。
  • 鈴木のバサロは25m潜行(21回キック)であったが、ソウルオリンピックの決勝では30m潜行(27回キック)をして日本の視聴者を驚かせた。また、弧を描かず水面すれすれをリカバリーしてゴールタッチし、その結果、世界記録保持者のアメリカデビッド・バーコフを0.13秒差で破り、金メダルを獲得した。このレースは、バーコフ、そして、200m金メダリストで予選を2位で通過した元世界記録保持者のソビエトのイゴール・ポリャンスキーの3人がバサロを駆使した最後まで激しい三つ巴となり、バーコフが驚異的な世界記録を更新した予選からの大逆転は後々まで語り継がれている。
  • ソウルオリンピックの決勝では「優勝はまず難しいだろう。なんとかメダルを獲得してくれれば」という大方の予測・悲観的希望を覆した。また、当時の日本人(アジア人)が短距離の種目で金メダルを獲得したことは日本やアジアのスポーツ界に大きな影響を及ぼした。
  • 鈴木が30m潜行のバサロキックをしてからは、潜行距離は10m(鈴木が引退してからは12.5m(スタートとターンを合わせると25m)までという制限がルールの中に付け加えられた。その代わり、更なるルール改正で背泳ぎにクイックターンを認めることになり、次のバルセロナオリンピックまでに、100mで1秒5近く、200mで3秒ほど、競技全体としては記録が大幅に短縮した経緯がある。なお、その後、更なるルール改正があり、現在では潜行距離は15m(スタートとターンを合わせると30m)まで認められている。
  • 日本の競泳界ではミュンヘンオリンピック青木まゆみ田口信教以来16年ぶりの金メダル獲得(メダルとしても16年ぶり)の快挙となり、かつての水泳王国が影をひそめ、オリンピックでは決勝はもとよりコンソレーションファイナル(順位決定戦(現在で言うところの準決勝に相当する。準決勝を開催しない代わりにコンソレ方式が採用されていた時期がある))進出さえ困難な状況が続き、長らく低迷・沈滞してきた日本の水泳を復活させることに大きく貢献した。古橋廣之進(当時、日本水泳連盟会長)は、鈴木の金メダルに「もう一度日本の水泳を復活させたい」と涙していた。
  • 男子100m背泳では、1932年のロサンゼルスオリンピック清川正二に次ぐ、日本人2人目の金メダリストであり、表彰式では当時IOC委員だった清川からメダルを授与された。
  • 1960年代~1980年代の日本の競泳界は、外国勢が飛躍的な記録の更新を続けたのに対し、水没泳法の禁止といった国際ルールの壁に苦戦を強いられるなど、まさに冬の時代にあった。そのような中で、鈴木がソウルオリンピックで金メダルを獲得したことは、国内の各選手層に大きな勇気を与えることになり、次のバルセロナオリンピックで岩崎恭子の金メダルをはじめとする、多数の決勝進出者・入賞者を輩出する大躍進に繋がっていった。
  • 鈴木大地がソウルオリンピック決勝で出した55秒05の日本記録は、その後の度重なるルール改正にもかかわらず、15年間(16年近く)更新されることがなく、国内の選手にとって大きな壁となった。
  • オリンピック世界水泳選手権などで解説者、講演者、執筆者として、また水泳教室での指導者として高い評価を得、安定した人気を博している。
  • ソウルオリンピックで金メダル獲得後インタビューに応じたが、レポーターから受賞の気持ちを訊かれたときに「うれしいに決まってます」と素っ気なく返答し、愛想のない印象を持たれたこともあったが、その時代背景として、当時のテレビ局は、たとえトイレであろうとカメラを持ち込みインタビューしかねない勢いもあったことによるものである。
  • 市立船橋高校時代、保健体育の教師は順天堂大学の先輩にあたる小出義雄であった。
  • 2014年競泳日本選手権の大会ポスターに、鈴木大地が登場し注目を集めた。金メダルの瞬間、水面でガッツポーズを決める写真に「うれしいに決まってます」という当時の優勝コメントを添えた。前年に史上最年少の46歳で就任した金メダリスト会長の起用という話題性にとどまらず、スイマーたちへの「五輪教育」効果も期待されていた。大会ポスターには通常、現役の選手が使われる。だが、この大会は2020年東京五輪の開催が決まって初めての競泳日本選手権。「『センターポールに日の丸を』が水連のスローガン。金メダルを目指す態勢を、ここでしっかりと定めたい」ということになり鈴木大地のモデル起用が決まった。加えて、若いスイマーの中には、鈴木大地が金メダリストであることを知らない選手も散見されたという。東京五輪を見据えた五輪教育の一環との役割も担うポスターへの出演に、鈴木大地は「日本水泳界の歴史を学び、自分たちも金メダリストの一員になりたい、との気持ちになってくれればうれしい」と話した。
  • FINA競泳ワールドカップの50m背泳ぎで短水路世界最高記録(その当時はまだ公式種目ではなかったが世界記録)を2回更新した。
  • 1988年度の日本選手権(兼オリンピック選考会)の100m自由形でも52秒35で優勝している。
  • 本業にはしなかったが200m個人メドレーも得意としていた。

関連人物

脚注

外部リンク