豊後国

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-西海道

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に位置する。別称は豊前国とあわせて、または単独で豊州(ほうしゅう)。また、両国をさす語として二豊(にほう)も用いられる。領域は現在の大分県のうち宇佐市中津市を除いた大部分にあたる。『延喜式』での格は上国遠国

沿革

7世紀末に、とよのくに、とよくに)を分割して、豊前国とともに設けられた。豊後は、平安時代まで和名で「とよくにのみちのしり」と読んだ。

豊後国風土記』は、全国で5つだけのほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

国内の施設

国府

国府は大分郡にあった。現在の大分市古国府と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。

国分寺・国分尼寺

豊後国分寺
現在の金光明寺(大分県大分市国分)。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社5座4社の計6座5社が記載されている。大社1社は、名神大社ではない。
総社一宮

二宮以下は不詳である。

安国寺利生塔

地域

特記した以外は『豊後国風土記』での表記による。

江戸時代の藩

人物

国司

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

豊臣政権の大名

武家官位としての豊後守

豊後国の合戦

脚注

  1. ^ 和名類聚抄』での表記。
  2. ^ a b 近世の表記。

関連項目