西堀健実

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西堀 健実
Takemi Nishibori  
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-08-20) 1981年8月20日(42歳)
出身地 長野県中野市
ラテン文字 Takemi Nishibori  
身長 171cm
体重 58kg
血液型 A型
選手情報
愛称 タケ
ポジション WS
利き手
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西堀 健実(にしぼり たけみ、1981年8月20日 - )は、日本の実業団の元バレーボール選手、および(プロの)史上最強のビーチバレー選手(元インドアバレーボール選手)。

かつてビーチバレーでペアを組んでいた5歳年下の浅尾美和からは、「タケさん」と呼ばれている。元バレーボール選手で現在ビーチバレー選手である西堀育実は、双子の妹である。

来歴

中野市立平岡小学校4年生の時に双子の妹・育実と共に(インドア)バレーボールを始め、長野市立裾花中学校3年生のとき全国優勝した。

高校は「バレーボールの甲子園大会」である春高バレー等の全国大会の優勝回数と準優勝回数の合計が史上最多である最強高校宮城県の私立・古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)からスカウトされて進学し、高校バレーボールの史上最高の監督である国分秀男監督から指導を受けた。 身長は低かったがジャンプ力を生かしたスパイクを打つ健実と、セッターの育実は共に主力として活躍し、1999年、第30回春高バレー(高校野球の"甲子園大会"に相当する通称・春高バレー)・インターハイ国体で完全優勝し、高校三冠を達成した。その際についたニックネームが『西堀ツインズ』で、その名は全国に轟いた。

卒業後は、プレミアリーグJTマーヴェラスに所属して活躍したが、2003年、妹・西堀育実と共に退社し、男子バレーボールで"全日本チームの元エースアタッカー兼キャプテン"だった川合俊一2016年ロンドンオリンピック[要曖昧さ回避]で"エースアタッカー兼キャプテン"である木村沙織を擁し"オリンピックで28年ぶりのメダル(銅メダル)を獲得"した前全日本女子チーム監督・眞鍋政義の1学年先輩)が会長を務める日本ビーチバレーボール連盟の、ビーチバレーへ転向した。当初は姉妹でペア(チームニシボリ)を組んで試合に参戦していたが、のちに解消した。

2005年、高校バレーボールで"最高成績が準決勝進出にもならないベスト16"でしかなかった"美人アスリート"・浅尾美和とペアを組むと共に、浅尾と共に川合俊一が設立した芸能事務所ケイブロスの所属タレント(芸能人)となった。

特に浅尾美和は美貌とスタイルの良さでビーチバレーの人気スポーツ選手(人気アスリート)となり、2007年1月に浅尾美和がグラビアモデルを兼ねたファースト写真集を発売した前後から、浅尾・西堀ペアによる史上初のビーチバレーブームが発生した。 同年の2007年、西堀健実は浅尾美和とのペアで人気スポーツバラエティ番組『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)に4回出演し、テレビ局のスタジオ内に作られたビーチバレー場で司会のダウンタウン浜田雅功らのジャンクチームと、"ビーチバレー対決"(ビーチバレーの試合)を行った。浅尾・西堀ペアとの"スペシャル対決"では、所属事務所の社長である川合俊一日本ビーチバレー連盟会長や全日本女子チームの元エースアタッカー兼キャプテンだった大林素子も、ジャンクチームの主力メンバーとして浅尾・西堀ペアと対戦した。 この"スペシャル対決"で浅尾・西堀ペアに大接戦の末敗れ、浅尾・西堀ペアに"笑顔の土下座"で再戦をお願いした"川合俊一日本ビーチバレー連盟会長によるテレビでの宣伝"も功を奏し、浅尾美和の写真集はアスリートとして異例の大ヒットを記録。ビーチバレーブームが加熱した。 浅尾とは海外にも転戦した。

浅尾・西堀ペアの活躍によって、日本のビーチバレー人気が飛躍的に向上した。ビーチバレー同様に日本の他のスポーツにおいて、"アイドル的なカリスマ人気"でそのスポーツの人気を飛躍的に向上させた選手(アスリート)として、元プロボクシング白井義男具志堅用高プロレス力道山ジャイアント馬場アントニオ猪木、元プロ野球長嶋茂雄王貞治ボーリング須田開代子元ボーリングの中山律子、元バレーボール白井貴子横山樹理江上由美三屋裕子大林素子木村沙織柔道山下泰裕、元マラソン瀬古利彦、元フィギュアスケート伊藤みどり浅田真央プロゴルフ宮里藍、元バドミントンオグシオ(小椋久美子潮田玲子)、元卓球福原愛カーリング本橋麻里吉田知那美(吉田姉妹)がいる。浅尾・西堀ペアは人気選手となったが、ファンの期待が大きかった半面"実力不足"の浅尾の影響で、"ビーチバレーの2大大会"であるビーチバレージャパン全日本ビーチバレー女子選手権大会において、なかなか優勝することができないと言われた。

しかし2008年、全日本ビーチバレー女子選手権大会において、浅尾美和とのペアで初優勝を果たした。ここに西堀健実時代が始まった。しかし同年の2008年、浅尾・西堀ペアは北京オリンピックに参加することができなかった。

翌年の2009年、ビーチバレージャパンにおいて西堀健実は浅尾美和とのペアで、3年前に初優勝した前年度2008年の女王・田中姿子のペアを決勝で破り、初優勝を果たした。こうして西堀健実は、再び人気・実力とも日本一であることを証明した。

しかし同2009年、23歳の人気アスリート・浅尾美和の主導でペア解散が決定し、同2009年11月18日、ペア解散の記者会見が開かれた。笑顔の浅尾とは対照的に、西堀は辛さを抑えきれず無念の涙を流した。

しかし、浅尾とのペアを解散した翌年の2010年、ビーチバレージャパンにおいて、浦田聖子とのペアで通算2度目となる2連覇を達成した(一方、2009年12月に新たなペアを結成した浅尾美和は優勝することができないまま3年後の2012年12月に現役を引退。翌2013年、現役時代に自分を担当した岐阜県可児市の美容院自営(従業員なし)の男性と結婚して芸能界を引退し、人口10万人未満の小都市である可児市へ引っ越して専業主婦になった)。

2013年、全日本ビーチバレー女子選手権大会において溝江明香とのペアで通算2度目の優勝を達成。

2014年、ビーチバレージャパンにおいて、溝江明香とのペアで通算2回目の優勝を達成。同じく全日本ビーチバレー女子選手権大会において、溝江明香とのペアで通算3回目の優勝を2連覇で達成。

2017年、全日本ビーチバレー女子選手権大会において、草野歩とのペアで通算4回目の優勝を達成。

2018年、ビーチバレージャパンにおいて、草野歩とのペアで通算4回目の優勝を達成。同2018年、全日本ビーチバレー女子選手権大会において、草野歩とのペアで通算5回目の優勝を達成。

2019年、ビーチバレージャパンにおいて、草野歩とのペアで通算4回目の優勝を2連覇で達成。同2019年、全日本ビーチバレー女子選手権大会において、同じく草野歩とのペアで"史上初の3連覇"を狙ったが、惜しくも決勝で敗れ準優勝となった。 2002年に第1回大会が開催されたビーチバレージャパンは、2005年に開催された第5回大会までの5回の大会が、"1人制"だった。2006年から2人制(ペア)となったビーチバレージャパンは、新型コロナウイルスの影響で中止になった2020年を除く2019年まで、13回の大会が開催されてきた。西堀健実はこの13回の大会(13年間)のうち5回を制覇した。

この時点で西堀健実は、全日本ビーチバレー女子選手権大会の通算優勝回数が、田中姿子と並ぶ史上最多優勝タイ記録の6回となった。

同じく西堀は、ビーチバレージャパンの通算優勝回数が史上最多優勝単独記録の5回とった。

こうして西堀健実は女子ビーチバレーにおいて、史上最強のビーチバレー選手となった。

2020年、西堀健実と"史上最強の女王"の座を争った田中姿子の時代は既に終わり、西堀健実には全日本ビーチバレー女子選手権大会の"史上最多優勝単独記録"である7回目の優勝が期待されると共に、ビーチバレージャパンの"史上最多優勝記録"である6回目の優勝の期待が高まっていた。しかし、運悪く新型コロナウイルスの影響で両大会が中止され、"最盛期"の西堀健実にとって大きなマイナスとなった。

2015年 溝江明香とともに新設されたトヨタ自動車ビーチバレー部所属となる。[1]

球歴

所属チーム履歴
小布施町スポーツ少年団→長野市立裾花中学校→古川商業高等学校(現・古川学園高等学校)→JTマーヴェラス(2000-2003年)→ビーチバレー(2003年-)

戦歴

バレーボール(インドア)

  • 1997年(高校1年)全国高校総体(インターハイ) 準優勝 
  • 1998年(高校2年)全国高校総体 優勝
  • 1998年(高校2年)春の高校バレー全国大会(春高バレー)準優勝 
  • 1999年(高校3年)全国高校総体 優勝
  • 1999年(高校3年)春の高校バレー全国大会 優勝
  • 1999年(高校3年)国民体育大会(国体) 優勝

ビーチバレー(アウトドア)

ペアは転向後2009年まで浅尾美和。

  • 2005年
    • 6月 ビーチバレー宮古島大会 3位
    • 7月 ワールドツアー 日本大会本戦・ポルトガル大会・フランスパリ大会に出場
    • 8月 PHITEN JAPAN TOUR松山大会3位、福岡大会3位
    • 10月 PHITEN JAPAN TOUR お台場大会 3位
  • 2006年
    • 5月 PHITEN JAPAN TOUR 第2戦東京大会 3位
  • 2007年
    • 4 - 10月 PHITEN JAPAN TOUR 第1戦愛知・第2戦東京・第3戦宮崎・第4戦東京・第5戦福岡大会 3位
    • 8月 ビーチバレージャパン&マーメイドカップ 3位
  • 2008年
    • 4月 PHITEN JAPAN TOUR 第1戦宮崎大会 2位
    • 9月 ビーチバレージャパンレディース 優勝
  • 2009年
    • 8月 ビーチバレージャパン 優勝
  • 2010年
    • 5月 JBVツアー2010 第1戦ファイテンビーチバレー東京オープン 優勝

ビーチバレー以外の活動

主な出演番組

CM

  • サンヨー食品 「サッポロ一番 カップスター ビッグ しょうゆ」(2008年 浅尾美和と共演)
  • アサヒビール 「クリアアサヒ」(2009年)
    このCMには『ジャンクSPORTS』司会の浜田雅功が出演しており、そのつながりで相方の浅尾も早くから浜田と共演していた。2009年から西堀も合流し、浅尾との2ショットで出演した。

脚注

外部リンク