福井県立若狭高等学校
福井県立若狭高等学校 | |
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過去の名称 |
小浜藩校「順造館」 福井県福井中学校小浜分校 福井県小浜尋常中学校 福井県小浜中学校 福井県立小浜中学校 組合立小浜女子技芸女学校 私立稚桜女学校 福井県立小浜高等女学校 福井県立小浜高等学校 福井県立若狭高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福井県 |
併合学校 |
福井県立小浜中学校 福井県立小浜高等女学校 福井県立小浜水産高等学校 福井県立小浜高等学校 福井県立遠敷高等学校 福井県立小浜水産高等学校 |
理念 | 異質のものに対する理解と寛容の精神 |
設立年月日 | 1894年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程、定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科(全日制・定時制) 文理探究科(全日制) 海洋科学科(全日制) |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 18124C |
所在地 | 〒917-8507 |
福井県小浜市千種一丁目6番13号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
福井県立若狭高等学校(ふくいけんりつ わかさこうとうがっこう)は、福井県小浜市千種一丁目にある県立高等学校。
概要
小浜藩校「順造館」を前身に、若狭地方で中学教育が始められたことをルーツとしている。藩校成立は18世紀に遡り、県内でも有数の歴史を持つ。通称は「若高」(じゃっこう)。福井県の高校ではあるが、地域的に関西圏とのつながりが深く、京都大学をはじめ関西の国公立大学への志向が生徒のなかで強いことが特徴として挙げられる。
他の県立高等学校と異なり、一時廃止され、福井中学の分校を経て、1897年(明治30年)に小浜尋常中学となった。1905年(明治38年)には私立稚桜女学校が設立され、これが福井県立小浜高等女学校に発展した。
1948年(昭和23年)の学制改革により、小浜中学、小浜高女、小浜水産を合併し、福井県立小浜高等学校が設立された。翌年、遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となった。
設立当初は、普通科、商業科、家庭科、農業科、水産科および定時制からなった。のち、農業科は若狭農林高等学校(現、若狭東高等学校)、水産科は小浜水産高等学校に分割(2013年に再統合)し、今日に至っている。
2011年(平成23年)から5年間文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校となった。
教育目標
「異質なものに対する理解と寛容」の精神を養い、教養豊かな社会人の育成を目指す。
努力目標
- 学力の向上に努め、自主及び自律の精神を育てる。
- 特別活動の充実に努め、自他の敬愛と協力の精神を育てる。
- 地域社会との連携に努め、若狭の歴史と文化を大切にする心を育てる。
沿革
本校は福井県立小浜中学校および福井県立小浜高等女学校をその母体としているが、時代の変遷、歴史の流れと共に幾多の変革があった。特に第二次世界大戦後の教育の民主化による学制大改革の中から若狭高等学校は誕生したといえる。
年表
小浜藩校「順造館」
以上が若狭高校の系譜対する前史
福井県福井中学校小浜分校
- 1894年(明治27年)旧藩主酒井忠道伯爵の多額の援助と旧藩士の有志による「尚義会」の活躍により、雲浜村順造館跡、すなわち現在の南川河畔の県立大職員家族寮の辺りに中学校設立される。当時中学校は一県一校という教育令により独立校とならず、福井中学(現:藤島高校)の分校となる。
福井県小浜尋常中学校
- 1897年(明治30年)福井県小浜尋常中学校として独立。(当時5学級)この年をもって創立第1周年とする。
福井県小浜中学校
福井県立小浜中学校
- 1901年(明治34年)福井県立小浜中学校と改称。
組合立小浜女子技芸女学校
私立稚桜女学校
- 1905年(明治38年)組合立小浜女子技芸女学校と改称。旧城内に新築移転。
福井県立小浜高等女学校
- 1923年(大正12年)福井県立小浜高等女学校と改称。雲浜村竹原(現:本校所在地)に新築移転。
福井県立小浜高等学校
福井県立若狭高等学校
- 1949年(昭和24年)福井県立小浜高等学校、福井県立遠敷高等学校を合併し、福井県立若狭高等学校となる。商業課程設置。普通、商業、家庭(旧小浜高校舎)水産(旧小浜水産校舎)農業(旧遠敷高校舎)の5課程および定時制、通信制を持つ県下一の一大総合高校となる。総合異質編成(縦割)ホームルーム制を施行する。
- 1951年(昭和26年)旧小浜高女校舎は当時新制小浜市立小浜中学校であったが本校と校舎を交換する。すなわち本校は現在地に移転し、普通、商業、家庭の生徒収容。
- 1953年(昭和28年)水産課程は福井県立小浜水産高等学校となる。
- 1956年(昭和31年)家庭課程募集停止。普通課程に併合。
- 1958年(昭和33年)農業課程は福井県立若狭農林高等学校となる。被服課程設置。
- 1959年(昭和34年)商業教棟、音楽室、新築完成。
- 1960年(昭和35年)5ケホーム増(31~35H.R)。全日制1,528人。
- 1961年(昭和36年)改築第1期工事として北校舎鉄筋コンクリート3階建てのうち12教室完成。
- 1962年(昭和37年)第2期工事12教室完成。これで新校舎24教室完成。北館と呼ぶ。
- 1963年(昭和38年)管理教棟着工。家政課程設置。5ケホーム増(36~40H.R)。全日制1,650人。
- 1964年(昭和39年)管理教棟(鉄筋3階建)完成。2学期より使用。図書館裏に商業科3年有志により泉水池完成(後日、この周辺を学園広場と呼ぶ)。12月中旬より第2体育館着工。
- 1965年(昭和40年)10ケホーム増(41~50H.R)。全日制2,350人。過去と同じく新設ホームは各科1年生のみで編成し3か年で完成。第2体育館完成。
- 1966年(昭和41年)25mプール完成。特別教棟(主として家庭科教棟)6教室改築。
- 1967年(昭和42年)8月上旬県下で全国高校総大開催。本校はボクシング会場となる。
- 1968年(昭和43年)10月上旬福井国体開催。野球部が全国優勝。本校はボクシング会場となる。
- 1969年(昭和44年)ホーム再編成。(50ケホームを解体して35ケホームとする)。美方高校設立にともない、家政・被服科募集停止。定時制美方校舎本校に併合される。
- 1970年(昭和45年)理数科設置。
- 1971年(昭和46年)家政科、被服科廃止。武道場完成。部室全焼。
- 1972年(昭和47年)部室新築、校庭拡張(三角地帯)。
- 1973年(昭和48年)テニスコート完。野球部、神宮大会にて全国優勝。
- 1980年(昭和55年)順造門移築。
- 1981年(昭和56年)家庭教棟取り壊し。南1号館、鉄筋コンクリート4階建新築。
- 1983年(昭和58年)理科教棟取り壊し。南2号館、西館鉄筋コンクリート4階建新築。
- 1985年(昭和60年)東館鉄筋コンクリート3階建新築。西側2階渡り廊下完成。
- 1986年(昭和61年)全校舎改築落成記念式典。これを機に、北館を1号館、管理教棟を2号館、南1号館を3号館、南2号館を4号館と改称。
- 1987年(昭和62年)新1年生より普通科と商業科各1クラス減。情報処理科1クラス増。よって新1年は普・5、理数・1、商・1、情処・1の8クラスになる。10月24日、創立90周年記念式典挙行。同窓会の寄附により、生徒昇降門改築。門柱および校歌碑完成。体育機器購入。
- 1990年(平成2年)小体育館改装。武道館改改築。
- 1991年(平成3年)1号館(北館)改装。
- 1992年(平成4年)ボートハウス改築。
- 1993年(平成5年)部室改築。青戸会館全焼。
- 1994年(平成6年)ホーム制からクラス制に移行。(1年9クラス、2年10クラス、3年9クラス)
- 1996年(平成8年)セミナーハウス若狭完成。創立100周年記念事業の一環として、アジアより留学生の受け入れ開始。
- 1997年(平成9年)10月24日、創立100周年記念式典挙行。プール改築。同窓会館改装。記念モニュメント新築。『縦割りホームルーム制の実践』発刊。1号館(北館)改装。野球部交流試合(対PL学園)、吹奏楽部ジョインコンサート(福井県立武生東高等学校)。
- 1998年(平成10年)新1年生より新制服着用。
- 1999年(平成11年)図書館にコンピュタ22台設置し、図書学習センターと改称。
- 2000年(平成12年)野球部雨天練習場新築。
- 2001年(平成13年)アジア短期留学実施。24名タイ・マレーシアへ派遣。
- 2002年(平成14年)海外修学旅行(上海、3泊4日)実施。アジアへ短期留学実施。14名タイへ派遣。
- 2003年(平成15年)バリアフリー化工事実施。8月上旬県下で全国高校総合文化祭開催。本校は弁論部門担当となる。
- 2004年(平成16年)アジア短期留学生11名受け入れ実施。全クラスクーラー整備。
- 2005年(平成17年)アジア短期留学実施。16名タイへ派遣。「夜回り先生」水谷修先生講演会。
- 2006年(平成18年)第1体育館改装。
- 2007年(平成19年)10月27日、創立110周年記念式典挙行。順造門改装。学園広場整備。同窓会館整備。時計「無間断」新装。
- 2009年(平成21年)新1年生より普5、理1、商1、情1の8クラスとなる。ボート部女子舵手付きクオドルプル、インターハイ優勝。2号館耐震工事実施。ASEP2009へ参加し、生徒3名台湾へ5日間滞在交流。
- 2010年(平成22年)ボート部女子舵手付きワオドルプル、インターハイ優勝。「杉田玄白記念賞」創設 。
- 2011年(平成23年)文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定 。
- 2012年(平成24年)文理探究科の設置。海洋科学科設置にともない、定時制教室移動。「ノーベル化学賞」根岸英一 先生講演会。吹奏楽部 中部日本吹奏楽コンクール県予選1位通過:金賞 北陸大会:銅賞。
- 2013年(平成25年)海洋科学科の設置。第2体育館改装。福井県嶺南アンサンブルコンテスト金管:最優秀賞 北陸大会:銅賞 ラグビー部 全国大会出場。
- 2014年(平成26年)理数科廃止。 福井県嶺南アンサンブルコンテストフルート:最優秀賞 北陸大会:銀賞。
- 2015年(平成27年)福井県立小浜水産高等学校と統合。ラグビー部 全国大会出場。吹奏楽部 第50回定期演奏会in小浜市文化会館。
校歌
山本和夫作詞
山田耕作作曲
教育課程
主な部活動
ラグビー部
1969年創部。
長い間、同じ小浜市内にある若狭東高校(若狭農林高校)が県の高校ラグビーを引っ張ってきた。第74回大会(1993年)に若狭東高校を倒し、県代表として初出場を果たした。その後80回大会(2000年)で再び県代表の座を奪って以降、両校が激しい代表争いを繰り広げている。2000年から2009年までの10年間、県予選決勝はいずれも若狭東高校を相手に若狭高校の6勝4敗。初出場の年を合わせて、これまで全国大会に7度出場している。 全国大会での初勝利は第82回大会(2002年)一回戦の富山工業高校戦(31-26)。同大会二回戦の大阪工大高戦では、7-116と大会史上第3位の大量失点で敗れている。 全国大会では、東北地方のチームと縁があり、第84回大会(2004年)においては福島県代表平工業高校(22-17)、第87回(2007年、14-10)、第90回大会(2010年、27-26)においては山形県代表山形中央高校と対戦し、いずれも僅差、後半の逆転で勝利している。 チームカラーは、伝統的に小柄な選手が多く、低いタックルと早い集散をモットーとしている。 なお、練習グラウンドは、野球部、陸上部などと共通で使用しているため、50m×30mと全国大会出場レベルのラグビー部としては、非常に狭い。 現在の監督は、元日本代表CTBで前トヨタ自動車ラグビー部監督・朽木英次の実弟、朽木雅文(若狭東OB)。
野球部
同校は若狭地方随一の伝統校で、野球部が春3回、夏7回甲子園に出場し、プロ野球に在籍した選手も多数いた。中でも、川藤幸三(元阪神)がOBとして著名である。1968年(昭和43年)に乗替寿好投手(元西鉄 - 広島)を擁し福井国体優勝、1973年(昭和48年)には内藤投手を擁し明治神宮大会優勝と2回の全国制覇を果たしている。ちなみに春の選抜は1974年(昭和49年)、選手権大会は1969年(昭和44年)に甲子園でベスト4に入って以来、同大会への出場を果たしていない。
福井商業を常にライバル視しているが、ここ数年は尽く敗戦している。しかし、福井商業にとって若狭高校は1997年(平成9年)の秋の県大会で1985年(昭和60年)以来の2回戦敗退を喫したことや2004年(平成16年)には夏県大会21年連続決勝戦進出という前人未到の記録を阻まれるなど、ポイントとなるゲームには若狭高校が絡んでいることが多い。
陸上競技部
福井県嶺南地方は人口15万人に過ぎないが、同校および美方高校は陸上競技(特に中長距離)が伝統的に福井県のトップ校である。 これは、小浜市が合併設立した際、敦賀市長が祝いの書簡を送ったことを契機に、嶺南駅伝が開催され、マラソン競技が大変盛んな土地柄であることが背景である。2004年の国体で、同校の松本啓典が800mで全国制覇を果たしている。
著名な卒業生
スポーツ選手
- 浜中祥和 (元プロ野球選手)
- 松井武雄 (元プロ野球選手、横浜ベイスターズ取締役)
- 川藤龍之輔 (川藤幸三の実兄で元プロ野球投手。現福井ミリオンドリームズ監督)
- 川藤幸三 (元プロ野球選手・阪神タイガース)
- 乗替寿好 (元プロ野球選手)
- 海津富美代 (元卓球選手)
- 山口良治 (元ラグビー選手)
芸能人
- 杉田あきひろ (歌手・俳優)
- 高井麻巳子 (元おニャン子クラブ。秋元康夫人)
- 田中なおみ (モデル、昭和54年度クラリオンガール)
- 村本大輔(ウーマンラッシュアワー)(お笑い芸人、旧小浜水産高校中退)
文化人
政治・行政
経済
海軍・軍人
教育
- 山口良治 (元京都市立伏見工業高等学校ラグビー部監督)
学術
- 熊田誠 (元京都大学工学部教授、京都大学名誉教授 旧制小浜中卒業)
- 羽溪了諦 (京都大学名誉教授・元龍谷大学学長、旧制小浜中学卒業)
- 今村貞夫 (京都大学医学部教授、京都大学名誉教授)
- 若新雄純 (慶応義塾大学大学院・メディア研究科特任助教、福井大学産学官連携本部客員准教授)
その他
- 福井県立小浜水産高等学校著名人
交通・通学手段
アクセス
周辺
縦割りホームルーム制
1949年(昭和24年)から1994年3月まで縦割りホームルーム制を行っていた。縦割りホームルーム制とは、学科や学年の枠を取り払ったホームルームを編成し、学校生活の中心にするものである[1]。旧制小浜中学、旧制小浜高女、旧制小浜水産、新制遠敷高校の4校を統合して発足した故に発生した生徒間の対立を緩和することが、縦割りホームルーム制導入の目的であった[2]。
導入初年度の1949年(昭和24年)は、普通科・家庭科・商業科の全生徒と水産科・農業科の1年生によって各ホームルームが編成されたが、翌年から校舎の離れている水産科・農業科の生徒は対象外となった[2]。1つのホームルームには30 - 32名程度が所属し、導入当初は30のホームルームがあった[2]。
生徒・教師とも当初は縦割りホームルーム制の導入に戸惑い、定着後も存廃についてしばしば論争が起きた[3]。ホームルームの団結を深めるための行事として、1950年(昭和25年)にホームキャンプと球技大会、1951年(昭和26年)に文化祭におけるホームデコレーションが行われるようになり、「ホーム雑誌」なるものも発行されるようになった[2]。しかし、45年間続いた縦割りホームルーム制は1994年(平成6年)に職員会議で廃止が決定し、その歴史に幕を下ろした[4]。
関連書籍
- 『「縦割りホームルーム制」の実践 : 異質のものに対する理解と寛容 : 昭和24年-平成6年』ホーム制資料集編纂委員会編 1997年10月 福井県立若狭高等学校 全国書誌番号:98016932
- 『教育理念と学校組織の社会学 : 異質なものへの理解と寛容 : 縦割りホームルーム制の実践』苅谷剛彦,酒井朗編著 1999年3月 学事出版 ISBN 978-4-7619-0602-3
順造門
小浜藩の藩校「順造館」の遺構[5]である順造門を正門として使用している。
脚注
参考文献
- 小浜市史編纂委員会 編『小浜市史 通史編 下巻』小浜市役所、平成10年3月30日、667p.
関連項目
外部リンク
- 福井県立若狭高等学校
- 福井県立若狭高等学校SSH (@ssh_wakasa) - X(旧Twitter)