東京市

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とうきょうし
東京市
東京市役所(東京府庁との合同庁舎)
東京市役所(東京府庁との合同庁舎)
東京市章
1889年明治22年)12月制定
廃止日 1943年昭和18年)7月1日
廃止理由 東京都制施行
東京市東京府東京都
現在の自治体 東京特別区
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京府
市町村コード 廃止時点で制度なし
総人口 6,778,804
国勢調査1940年昭和15年))
隣接自治体 東京府
北多摩郡保谷町武蔵野町三鷹町神代村狛江村
千葉県
市川市松戸市東葛飾郡浦安町南行徳町行徳町
埼玉県
川口市北葛飾郡戸ヶ崎村八木郷村南埼玉郡潮止村八幡村北足立郡谷塚町戸田町美笹村大和町朝霞町片山村
神奈川県
川崎市
東京市役所
所在地 東京府東京市麹町区有楽町2丁目
ウィキプロジェクト

東京市(とうきょうし)は、日本東京府(現・東京都)東部に1889年明治22年)から1943年昭和18年)まで存在していたである。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。

東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照。

歴史

市制施行と東京15区

1878年(明治11年)の郡区町村編制法によって設置された東京15区
1886年(明治19年)の東京15区の地図。各区は色で縁取られている

1878年明治11年)7月22日、東京府は府下をに分かち、府税収入の多い地域を吟味選定のうえ、郡区町村編制法第2条の定めるところに従って旧幕時代の地称を付し、麹町区神田区浅草区以下の東京15区を設けた。

同時に、江戸四宿と呼ばれた内藤新宿品川宿千住宿板橋宿という4箇所の市街地に隣接する旧街道宿場および農村部に荏原郡東多摩郡南豊島郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡の6郡を置いた。

1888年(明治21年)、東京市区改正条例が公布され、政府の機関として東京市区改正委員会(委員長・芳川顕正元東京府知事)が置かれる。

1889年(明治22年)5月1日、前月施行の「市制町村制」に基づき、東京府は府下に東京市を設け、東京15区の区域をもって市域となして区部の財産管理を移掌した。東京市の市制は、同3月公布法律12号「市制中東京市京都市大阪市二特例ヲ設クルノ件」(市制特例)によって一般市とは一部異なる変則的な市制だった。東京府知事および府書記官が市長を兼務しており、市役所も市職員も置かれなかった。その一方で従来の15区はそれぞれ単独で区会(議会)を持ち、東京市の下位の自治体とされた。同年12月には市章を制定した[1]

1894年(明治27年)、麹町区有楽町(現・千代田区丸の内三丁目)にドイツ・ルネサンス様式の鉄骨レンガ造2階建の東京市役所が完成する。このときの建物は戦災で焼失し、東京市が東京都に改編された第二次大戦後1957年東京都庁新庁舎に建て替えられ、1991年の東京都庁移転後の現在は東京国際フォーラムに建て替えられている。

1898年(明治31年)10月1日、東京・大阪両市有志同盟の請願が結実し「市制特例撤廃法」が成立、東京市に一般市制が施行され、東京府庁内に市役所が開かれた。府知事の市長兼務は廃止されて東京市長は官選となり、初代市長には松田秀雄が任命された。1926年(大正15年・昭和元年)からは市議の互選により市長が選出されるようになった(詳細は「東京都知事一覧」を参照)。

市郡合併と東京35区

1907年以前の東京市地図(ブロックハウス・エフロン百科事典

日露戦争[† 1]を機に日本が世界の一等国[† 2]の仲間入りをしたという自負が国民の中に生まれた[2][3]。また日露戦争により日本は軽工業から重工業に産業の中心が移り[4]、東京~横浜間には徐々に京浜工業地帯が形成されはじめた[5]。東京市の人口は日露戦争終戦直後の1906年(明治39年)に初めて200万人を突破した[6]が、1908年(明治41年)の約219万人をピークに1913年(大正2年)には約205万人に減少した。そうした中でも東京市周辺の人口は増加を続けており、市内と周辺で相反する状況になった(詳細は国勢調査以前の日本の人口統計を参照)。

大正年間に入る頃から大東京という表現が見られるようになったが、それは多くの場合、従来の東京市(15区)と隣接5郡82町村(荏原郡豊多摩郡北豊島郡南足立郡南葛飾郡の各全域。豊多摩郡は東多摩郡と南豊島郡が1896年(明治29年)に合併して成立)に、しばしば北多摩郡砧村千歳村を加えた地域を指していた。これは現在の東京都区部(東京23区)の区域に相当する。

1914年大正3年)7月28日に第一次世界大戦が勃発(1918年(大正7年)11月11日終結)、これにより日本は1915年(大正4年)下半期から1920年(大正9年)3月まで大戦景気に沸き、市内も周辺も人口が増加した。

1922年(大正11年)4月24日には旧都市計画法に基づき、東京市と上記6郡84町村が「東京都市計画区域」として定められた。同年10月2日には、当市を含む人口の多い6市が六大都市となった。

1923年(大正12年)9月1日に関東大震災関東地震)が発生、東京市も被災し特に下町が大打撃を受けた。この影響で1928年(昭和3年)から1932年(昭和7年)の近隣町村編入までの間、大阪市に人口規模で抜かれることになった(詳細は都道府県庁所在地と政令指定都市の人口順位を参照。なお当時の大阪市は大大阪時代を迎え、また1925年(大正14年)に周辺の東成郡西成郡に属する全町村を編入したこともあり、人口のみならず面積においても当時の東京市を凌駕していた)。

1932年(昭和7年)10月1日、近隣の5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を編入して新たに20区を置き、東京35区となった[7]1936年(昭和11年)10月1日に北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区へ編入し、現在の東京都区部の範囲が確定した。

都制施行

第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月1日に内務省主導で東京都制が施行され、地方自治体としての東京市と東京府は廃止されて現在の「東京都」が設置されるとともに、それまでの東京市役所の機能は以降は東京都庁に移された。旧東京市35区は、従来どおり議会(区会)をもつ自治体としての性格を保ちながらも東京都の直轄下の区とされ、従来は東京市の吏員が任命されていた区長には官吏が任命されることとなり、東京都長官の指揮監督を通じて内務省による統制が強化された[8][9]

終戦後の1947年(昭和22年)3月15日、旧来の東京35区は東京22区に再編され、同年5月3日の地方自治法施行により同法の定める特別区となった。同年8月1日に旧練馬町ほか4村の区域が板橋区から分離して練馬区が成立、東京都区部(東京23区)となって現在に至っている。

行政

東京市長

行政区画の変遷

1932年(昭和7年)・1936年(昭和11年)近隣町村編入図
  • 1878年明治11年)7月22日 郡区町村編制法により以下の15区が編成される。
麹町区神田区日本橋区京橋区芝区麻布区赤坂区四谷区牛込区小石川区本郷区下谷区浅草区本所区深川区
  • 1889年(明治22年)5月1日 15区の区域で市制施行。
同時に麻布区渋谷広尾町、渋谷下広尾町、渋谷上広尾町、麻布広尾町が南豊島郡渋谷村の大字となる。
旧・荏原郡 - 品川区荏原区目黒区大森区蒲田区世田谷区
旧・豊多摩郡 - 渋谷区淀橋区中野区杉並区
旧・北豊島郡 - 豊島区滝野川区荒川区王子区板橋区
旧・南足立郡 - 足立区
旧・南葛飾郡 - 向島区城東区葛飾区江戸川区
  • 1936年(昭和11年)10月1日 - 北多摩郡砧村千歳村を世田谷区に編入。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。35区は東京都の行政区となる。

区の変遷一覧

  • 東京15区:1932年(昭和7年)まで
  • … 東京35区:1932年(昭和7年)から
  • 東京都区部(東京23区。練馬区分離後)
1889年
(明治22年~)
1920年
(大正9年~)
1932年
(昭和7年~)
1936年
(昭和11年~)
1947年
(昭和22年~)
麹町区 千代田区
神田区
日本橋区 中央区
京橋区
芝区 港区
麻布区
赤坂区
四谷区 四谷区 新宿区
豊多摩郡内藤新宿町
牛込区
豊多摩郡淀橋町 淀橋区
豊多摩郡大久保町
豊多摩郡戸塚町
豊多摩郡落合町
小石川区 文京区
本郷区
下谷区 台東区
浅草区
本所区 墨田区
南葛飾郡寺島町 向島区
南葛飾郡吾嬬町
南葛飾郡隅田町
深川区 江東区
南葛飾郡亀戸町 城東区
南葛飾郡大島町
南葛飾郡砂町
荏原郡品川町 品川区 品川区
荏原郡大井町
荏原郡大崎町
荏原郡荏原町 荏原区
荏原郡目黒町 目黒区
荏原郡碑衾町
荏原郡大森町 大森区 大田区
荏原郡入新井町
荏原郡馬込町
荏原郡池上町
荏原郡東調布町
荏原郡蒲田町 蒲田区
荏原郡矢口町
荏原郡六郷町
荏原郡羽田町
荏原郡世田ヶ谷町 世田谷区 世田谷区
荏原郡駒沢町
荏原郡松沢村
荏原郡玉川村
北多摩郡砧村
北多摩郡千歳村
豊多摩郡渋谷町 渋谷区
豊多摩郡千駄ヶ谷町
豊多摩郡代々幡町
豊多摩郡中野町 中野区
豊多摩郡野方町
豊多摩郡杉並町 杉並区
豊多摩郡和田堀町
豊多摩郡井荻町
豊多摩郡高井戸町
北豊島郡巣鴨町 豊島区
北豊島郡西巣鴨町
北豊島郡長崎町
北豊島郡高田町
北豊島郡滝野川町 滝野川区 北区
北豊島郡王子町 王子区
北豊島郡岩淵町
北豊島郡南千住町 荒川区
北豊島郡三河島町
北豊島郡日暮里町
北豊島郡尾久町
北豊島郡板橋町 板橋区 板橋区
北豊島郡上板橋村
北豊島郡志村
北豊島郡赤塚村
北豊島郡練馬町 練馬区
北豊島郡上練馬村
北豊島郡中新井村
北豊島郡石神井村
北豊島郡大泉村
南足立郡千住町 足立区
南足立郡梅島町
南足立郡西新井町
南足立郡江北村
南足立郡舎人村
南足立郡伊興村
南足立郡淵江村
南足立郡東淵江村
南足立郡花畑村
南足立郡綾瀬村
南葛飾郡本田町 葛飾区
南葛飾郡奥戸町
南葛飾郡南綾瀬町
南葛飾郡亀青村
南葛飾郡新宿町
南葛飾郡金町
南葛飾郡水元村
南葛飾郡小松川町 江戸川区
南葛飾郡松江村→松江町
南葛飾郡瑞江村
南葛飾郡葛西村
南葛飾郡鹿本村
南葛飾郡篠崎村
南葛飾郡小岩町


教育

東京市は小学校中学校高等女学校を設置していた。ナンバースクールの場合、府立は名称が「東京府立第○中学校(高等女学校)」だったのに対して市立の場合は「第○東京市立中学校(高等女学校)」だった。都制施行の際、東京市立の学校はすべて東京都に移管された。1948年(昭和23年)に小学校は特別区に再び移管された。

東京市の名残

東京都章[10]及び東京都旗は旧東京市章を継承したものである。ただし現在では1989年平成元年)に制定されたTの字を図案化した東京都シンボルマークの方が多く使われている。

1926年(大正15年)制定の「東京市歌」(作詞・高田耕甫、作曲・山田耕筰)は、1947年(昭和22年)の「東京都歌」制定後も廃止されず都歌に準じた扱いで存続している[11]

都民の日」である10月1日は、一般市制による東京市発足の日にちなむものである。

警視庁の区部警察署の所轄区分は、東京35区当時の区分を踏襲している。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日
  2. ^ 万国公法による国の格付けのうち最上のもの。

出典

  1. ^ 都の紋章・花・木・鳥・歌
  2. ^ 日露戦争NHK高校講座日本史)
  3. ^ 日本の戦略文化と戦争 (PDF) (国際地域学研究 第13号 2010年3月)
  4. ^ 交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察東京大学出版会 1986年)
  5. ^ 第2章 京浜工業地帯の発展と相次ぐ試練の半世紀 (PDF)横浜税関
  6. ^ 新宿新都心と淀橋浄水場(社団法人 東京建設業協会『東建月報』2月号)
  7. ^ a b 東京日日新聞大東京 新設二十区の区域・名称決定 書類内務省へ送付」 1932.5.7
  8. ^ 読売新聞注目さるる内相裁断 答申案愈よ年内本極り 都制案の行く手」1938年12月10日
  9. ^ 中外商業新報東京都制案要綱 二十日特別委員会で議決」1938年12月14日
  10. ^ 東京都紋章
  11. ^ 東京都歌・市歌”. 東京都生活文化局 (2014年2月4日). 2020年3月28日閲覧。
  12. ^ 日高直俊,手塚慶太,福井恒明 ほか「首都圏における飛行場と都市計画」『土木史研究』、科学技術振興機構、doi:10.2208/journalhs1990.22.2812018年7月13日閲覧 

外部リンク