品川宿(しながわしゅく、しながわじゅく)は、東海道五十三次の宿場の一つ。東海道の第一宿であり、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
慶長6年(1601年)に中世以来の港町、品川湊の近くに設置され、北宿、南宿、新宿にわかれていた。場所は、現在の東京都品川区内で、京急本線の北品川駅から青物横丁駅周辺にかけて広がっていた。目黒川を境に、それより北が北品川、南が南品川とされた。
古典落語の廓噺(居残り佐平次、品川心中等)の舞台となっており、他の宿場がそうであったように岡場所(色町、遊廓、飯盛旅籠)としても賑わっていたことが覗われる。1772年、幕府は飯盛女の数を500人と定めたが実効性がないまま増加。1844年1月に道中奉行が摘発を行なった際には、1,348人の飯盛女を検挙している[1]。その後も遊廓としての賑わいは、昭和33年(1958年)の売春防止法施行まで続いた。
[編集] 名所・旧跡
「東海道品川御殿山の不二」
歌川広重 『富嶽三十六景』 より
- 御殿山 - 江戸時代初期から元禄にかけて将軍家の鷹狩りの地となり、休息所として品川御殿が設けられた。享保期には庶民に開放され、桜の名所として賑う。幕末期に品川台場築造の土砂採取で一部が切り崩され、明治期には鉄道施設工事によって御殿山は南北に貫く切り通しとなり、桜の名所としての面影はなくなっている。
- 土蔵相模 - 幕末の志士たちが、時に密議を凝らし、時に遊女と遊んだ宿。
- 幕府御用宿釜屋跡 - 土方歳三ら新撰組が定宿としていた茶屋。
- 品川寺 - 空海開山の寺。江戸六地蔵第一番や洋行還りの大梵鐘、樹齢推定300年の大銀杏などで知られる。
- 東海寺 - 大徳寺住持沢庵宗彭のために三代将軍徳川家光が建立した。
- 鈴ヶ森刑場跡
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[編集] 隣の宿場
江戸(日本橋) - 品川宿 - 川崎宿
[編集] 関連項目
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- ^ 『百万都市江戸の生活』p42(北原進著)角川選書
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