村田和哉 (野球)
北海道日本ハムファイターズ #51 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県流山市 |
生年月日 | 1985年7月23日(38歳) |
身長 体重 |
165 cm 65 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
初出場 | 2008年4月5日 |
年俸 | 1,150万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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村田 和哉(むらた かずや、1985年7月23日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。千葉県流山市出身。
経歴
小学校4年生の時に地元の少年野球チーム「加岸クラブ」で野球を始め、その時からすでにプロになりたいと思っていた。このチームの先輩には押本健彦がいる[1]。元々は右打ちであったが、俊足を生かせるように少年時代の指導者から左打ちにするよう勧められた。
市立船橋高校では甲子園出場経験はない。その後東都の中央大学に入学。1年春から出場、秋からレギュラーとなり、常に打率3割台を記録。3年春からチームは2部に降格するが、1部・2部通算で107安打を記録した。1年秋と2年秋にベストナインを獲得。4年時には主将を務めた。
2007年プロ野球ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で日本ハムから4巡目指名を受け入団。入団時には「体格に恵まれない野球少年や、いろいろな境遇の人たちに、夢や希望、励ましを与えられる選手になりたい」と語った。
プロ入り後
2008年は一軍で15試合に出場し、二軍では75試合に出場し、打率.290、出塁率.369、35盗塁でイースタン・リーグの最多盗塁を獲得した。
2009年は44試合の出場で55打数ながら打率.291を記録し、8盗塁も記録した。
2010年は二軍では74試合の出場で打率.283、出塁率.359、13盗塁を記録したが、一軍では19試合の出場で打率.207に終わり、盗塁も記録できなかった。
2011年は全国闘将会が工藤隆人の旧応援歌を村田の応援歌として導入。開幕一軍を勝ち取り、主に中田翔の守るレフトの守備固めで出場が多かった。
プレースタイル・人物
一塁到達3.71秒の俊足を誇り[2]、高校時代には体育祭の100メートル走で陸上部員に勝ったことがあるという[3]。
目標とする選手は、同じく俊足で有名だった元阪神タイガースの赤星憲広[要出典]。
大学時代の3期先輩である亀井義行からは、走り打ちを避けバットをきちんと振り切るようアドバイスされていた[4]。
高校時代の同級生にギラヴァンツ北九州の佐藤優也、VVVフェンローのカレン・ロバート、柏レイソルの増嶋竜也らがいる。特に佐藤とは競技は違うがお互い札幌市に本拠地を置くチームであるためか、度々食事に出掛ける[要出典]。
外野手であることに加え低身長が俊足を際立たせることもあってか、日本ハムOBで野球解説者の岩本勉から「リアルピノ」と呼ばれている[要出典]。
2010年オフに、一軍でやり通す覚悟で逃げ道を失わせるため、鎌ヶ谷の寮を引き払い、札幌市内にマンションを借り住民票を移した。[5]
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | 日本ハム | 15 | 40 | 34 | 5 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 1 | 12 | 0 | .235 | .297 | .235 | .533 |
2009 | 44 | 61 | 55 | 15 | 16 | 1 | 2 | 0 | 21 | 5 | 8 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 9 | 1 | .291 | .339 | .382 | .721 | |
2010 | 19 | 37 | 29 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 0 | 1 | 3 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | .207 | .265 | .207 | .472 | |
2011 | 52 | 23 | 22 | 10 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | .318 | .318 | .318 | .636 | |
通算:4年 | 130 | 161 | 140 | 32 | 37 | 1 | 2 | 0 | 42 | 9 | 12 | 7 | 9 | 2 | 9 | 0 | 1 | 31 | 2 | .264 | .309 | .300 | .609 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場・初先発出場:2008年4月5日、対オリックス・バファローズ2回戦(京セラドーム大阪) - 七番・左翼手
- 初安打:同上、2回表無死・第1打席、投手:近藤一樹
- 初打点:2008年6月3日、対広島東洋カープ1回戦(札幌ドーム) - 5回裏一死、投手:大竹寛
- 初盗塁:2009年5月12日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(クリネックススタジアム宮城) - 3回表一死、投手:朝井秀樹、捕手:嶋基宏
背番号
- 51 (2008年 - )
登場曲
脚注
- ^ 押本は日本ハムに在籍経験があるが、2008年1月に東京ヤクルトスワローズへ移籍しているため村田とプロでチームメイトにはなっていない。
- ^ 小関順二『WBC日本代表はなぜ世界一になれたのか?』ぴあ株式会社、2009年、103-105頁頁。ISBN 978-4-8356-1740-4。
- ^ 週刊ベースボール2007年4月14日増刊 大学野球2007春季リーグ展望号
- ^ 週刊ベースボール2007年4月14日増刊 大学野球2007春季リーグ展望号
- ^ [ハム村田が来季飛躍へ決意の退寮 http://nikkansports.co.jp/baseball/news/p-bb-tp0-20101224-716985.html]