朝原宣治
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2008年日本選手権にて(中央右) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 朝原宣治 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | Nobuharu Asahara | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛称 | ノビー | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 短距離走、走幅跳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | 大阪ガス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 同志社大学 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1972年6月21日(51歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 兵庫県神戸市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 179cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 75kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2008年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成績 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オリンピック |
100m 準決勝1組5着(1996年) 4x100mR 3位 (2008年) 走幅跳 予選2組20位(1996年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
世界選手権 |
100m 準決勝1組6着(2003年) 4x100mR 4位 (2001年) 走幅跳 12位(1995年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地域大会決勝 |
アジア大会 100m 2位(2002年) 4x100mR 2位 (2002年) 走幅跳 9位(1994年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国内大会決勝 |
日本選手権 100m 優勝(1996,97,00,01,02年) 走幅跳 優勝(1994,95,97年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
50m | 5秒75(2002年) NR | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
60m | 6秒55(1997年) NR | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
100m | 10秒02(2001年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
200m | 20秒39(1997年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
走幅跳 | 8m13cm(1993年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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編集 |
朝原 宣治(あさはら のぶはる、1972年6月21日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の元陸上競技選手。2008年北京オリンピック男子4x100mリレーの銅メダリストである。現在は陸上競技指導者・スポーツ解説者等で活動中。
非ネグロイドが活躍することがほぼ困難とされてきた現代の100メートル競走において、世界大会で何度も決勝に肉薄した成績を残し、後進の選手たちに自信をもたらした今日の日本陸上短距離界のパイオニアである。
妻は同志社大学の同窓生で、元シンクロナイズドスイミング選手・1992年バルセロナオリンピックのソロ・デュエットの銅メダリストの奥野史子。長男と長女・次女の3人の子供がいる。
経歴
神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校、兵庫県立夢野台高等学校、同志社大商学部卒業後、大阪ガス入社。
小中高校時代
小部中時代はハンドボール部レギュラーで全国大会出場果たす。なお、現在同中学校のハンドボール部は廃部となっている。
陸上競技は夢野台高から始め、高3時に走幅跳でインターハイ優勝。
100メートル競走選手として開花
当初は走幅跳が専門だったが、同志社大学在籍中の1993年10月26日に行われた国体の100mにおいて、当時の日本記録である10秒19をマークして優勝し、以後、スプリンターとしても注目されることになった。当時は和製カール・ルイスと呼ばれた。
アジア人離れした体格と加速力を持ち、リレーのパートナーであった井上悟に「(朝原の加速力はカール・ルイスやリロイ・バレルのそれと同じようなレベルで)あまりにも加速が速過ぎて彼にバトンを渡すのは難しかった」と言わしめた[1]。
日本記録更新
100mでの功績は大きく、1993年の10秒19、1996年の10秒14、1997年の10秒08と、日本人として初めて10秒1台、10秒0台を記録し、日本記録を3回更新した。また、オリンピック、世界選手権の100mでは、1996年のアトランタ、1997年のアテネ、2001年のエドモントン、2003年のパリ、2007年の大阪と、5回準決勝に進出している。しかしながら、本人はもちろんのこと、日本全体が期待して止まなかった世界大会でのファイナリストへの夢は実現することはなかった。
それまで日本記録を更新し合い、リレーメンバーとしても長い付き合いだった伊東浩司とは、お互いの故障が元で直接対決こそ少なかったが、1990年代後半から相次ぐ2人の日本記録更新が、オリンピックや世界選手権におけるリレー種目での入賞というかたちで現れた。それだけでなく末續慎吾ら次の世代の台頭にも繋がった。
2007年世界選手権では日本代表のアンカーとして4x100mリレーに出場。決勝で5位入賞(38秒03 アジア新記録・日本新記録)
北京オリンピック
2008年は年齢をおして(世界陸上大阪大会時で35歳)現役続行を宣言した。記録もさることながら、容姿も若く見られることが多い。また、4月の織田記念陸上では風邪を押して出場したが、10秒17という35歳の年齢では驚異的な記録を樹立した[2]。北京オリンピックの代表入りを目指して6月の日本選手権に出場。決勝は10秒37の記録で2位であったが、6月30日の日本陸連の理事会で代表に選考され、4大会連続の代表となった。
日本の陸上競技選手ではハンマー投の菅原武男に次いで2人目の4大会連続出場となった北京オリンピックの本番は100mでは2次予選で敗退し、アトランタオリンピック以来の準決勝進出はならなかった。
しかし、8月22日の4x100mリレー予選では1組2着に入り決勝進出(なお予選で優勝候補のアメリカやイギリス、ナイジェリアなどがバトンミスで失格となる大波乱があった)。そして翌日、8月22日の4x100mリレー決勝では、最終走者[3] として登場、見事3位入賞でフィニッシュ。日本男子トラック種目では史上初(男女通じても1928年アムステルダムオリンピックの女子800m銀メダルの人見絹枝以来80年振り)となる、オリンピックでの銅メダル獲得に貢献した。なお、その際、興奮のあまり、競技に使用したバトンを宙に放り投げ、一時バトンの行方が不明になっていたが、後に発見され、日本側に返された[4]。
引退後
その年齢や、メダルを獲得したことから今後の進退が注目されていたが、2008年9月のスーパー陸上(等々力陸上競技場)を引退レースにすることが発表され、正式な引退会見も行われた。
9月23日、引退レースとなるスーパー陸上では男子100mに出場、銅メダルメンバーの3人を含むレースで3位に入り、ラストランを飾った。競技終了後、朝原の引退セレモニーが挙行され、特別ゲストとして北京オリンピック三冠王のウサイン・ボルトが登場し、朝原にねぎらいの言葉と花束を贈った。この当時まだ22歳のボルトも「36歳までこの世界で現役を続けることは、私にはできないかもしれない」と話し、改めて朝原の息の長い現役生活に敬意を示すほどだった。
朝原は「選手生活の最後にこんな幸せな最後を迎えられることはそういない。本当に感謝でいっぱいです」と会場のファンの前で挨拶した。また、銅メダルメンバーの末續、塚原、高平、そして為末大、福島千里など陸上仲間が朝原を胴上げしてセレモニーの最後を締め括った。
「GQ MEN OF THE YEAR 2008」を受賞[5]。
現在[いつ?]も母校の同志社大大学院に在籍(現在[いつ?]は休学中)していて、2008年4月からは同大学に新設されたスポーツ健康科学部のアドバイザーに就任し、陸上のみならずスポーツ全体の貢献に関わっていく意思を表明した。名言[要出典]は「100mは人間力」
2010年には柳本晶一らとアスリートネットワークを結成。4月には自らが主宰するスポーツクラブ『NOBY TRACK and FIELD CLUB』を旗揚げし、ジュニアやユース世代の選手育成を主眼とした陸上競技教室などを開講している。
その他
- 現妻・奥野史子とは同志社大学入学直後のゼミで、偶然隣席に座っていたのを機に交際を開始。朝原が下宿先の電話が入った日、奥野にその電話番号のメモを渡した処、最初に朝原の元へ電話をくれたのが奥野だったという[6]。
- 大阪ガス所属の看板選手として、同社の「ガスを正しく安全に」と、ガス器具の正しい使い方を啓発するテレビCMに出演している。なお同じCMが、九州の西部ガスでも、社名を差し替えて放映されている。
- 2013年の第23回参議院議員通常選挙にて、自由民主党大阪府連から大阪選挙区での出馬を打診されたが、所属先である大阪ガスからの強い慰留を受け、出馬を断った[7]。
- 引退後に朝原の遺伝子を検査した結果、短距離走に最適な筋肉の構成に優れている遺伝子が多く存在する事がわかった。これらの遺伝子はジャマイカをはじめとする、短距離走で活躍する黒人選手達に多く存在する遺伝子であるという。更に朝原にはそれだけでなく、年齢を重ねても筋力が衰えにくい遺伝子も含まれている事が判明した。この結果について朝原は、自分の選んだ道が結果的に自分の才能に適合していたことに安堵したと感想を述べている。
- また、スタート時には、自重の2倍以上の力で踏み出す事ができるという。無論、スタートダッシュにはそれ以外にも様々な要因があるので単純比較はできないが、瞬間的な踏み出す力に関してはアサファ・パウエルをも凌駕する数字である。
- 2009年からはTBSの世界陸上中継で短距離走の解説を担当しており100mの決勝などでは伊東浩司とダブル解説で担当する。
主な戦績
主要国際大会
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
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1990 | アジアジュニア選手権 | 北京 | 走幅跳 | 2位 | 7m49 (+0.9) | |
4x100mR | 優勝 | 40秒95 | ||||
1993 | 東アジア大会 | 上海 | 走幅跳 | 2位 | 7m93 | |
アジア選手権 | マニラ | 走幅跳 | 優勝 | 8m13 (+0.7) | 元日本歴代2位 | |
1994 | アジア大会 | 広島 | 走幅跳 | 9位 | 7m65 | |
1995 | ユニバーシアード | 福岡 | 走幅跳 | 7位 | 8m03 (+1.2) | |
世界選手権 | イェーテボリ | 走幅跳 | 12位 | 7m77 (+1.2) | 予選で8m08(+0.7)の世界選手権日本男子最高記録 | |
1996 | オリンピック | アトランタ | 走幅跳 | 予選 | 7m46 (+0.6) | |
100m | 準決勝 | 10秒16 (-0.5) | 1組5着(4位と0秒05差)、元五輪日本男子最高記録[8] | |||
4x100mR | 予選 | DQ (4走) | 失格 | |||
1997 | 世界室内選手権 | パリ | 走幅跳 | 予選 | 7m83 | 予選全体の14位(決勝進出の12位とは0m02差) |
東アジア大会 | 釜山 | 100m | 優勝 | 10秒04 (+4.0) | ||
4x100mR | 優勝 | 39秒32 (4走) | 大会記録 | |||
走幅跳 | 4位 | 7m89 (+1.6) | ||||
世界選手権 | アテネ | 走幅跳 | 予選 | 7m88 (-0.4) | 予選全体の17位 | |
100m | 準決勝 | 10秒33 (+0.5) | 2組8着 | |||
4x100mR | 準決勝 | 38秒31 (4走) | 2組5着、元アジア記録(予選でも38秒44のアジア記録) | |||
1999 | 世界室内選手権 | 前橋 | 60m | 準決勝 | 6秒60 | 3組5着、世界室内選手権日本男子最高記録 |
2000 | オリンピック | シドニー | 4x100mR | 6位 | 38秒66 (4走) | 準決勝で38秒31の元アジアタイ記録 |
2001 | 世界室内選手権 | リスボン | 60m | 準決勝 | 6秒72 | 2組6着 |
東アジア大会 | 大阪 | 100m | 3位 | 10秒44 (0.0) | ||
世界選手権 | エドモントン | 100m | 準決勝 | 10秒33 (-1.2) | 1組7着、2次予選で10秒06(風速計故障のため参考記録) | |
4x100mR | 4位[9] | 38秒96 (4走) | 世界選手権日本男子最高成績[10] | |||
2002 | アジア大会 | 釜山 | 100m | 2位 | 10秒29 (+0.3) | |
4x100mR | 2位 | 38秒90 (4走) | ||||
2003 | 世界室内選手権 | バーミンガム | 60m | 予選 | 6秒71 | 6組4着 |
世界選手権 | パリ | 100m | 準決勝 | 10秒42 (+0.5) | 1組6着(世界選手権日本男子最高成績) | |
4x100mR | 6位[9] | 39秒05 (4走) | ||||
2004 | オリンピック | アテネ | 100m | 2次予選 | 10秒24 (+0.2) | 3組4着 |
4x100mR | 4位 | 38秒49 (4走) | 3位と0秒26差 | |||
2005 | アジア選手権 | 仁川 | 100m | 4位 | 10秒57 (-0.3) | |
世界選手権 | ヘルシンキ | 100m | 2次予選 | 10秒58 (-2.0) | 1組6着 | |
4x100mR | 8位 | 38秒77 (4走) | 予選は1走 | |||
2007 | 世界選手権 | 大阪 | 100m | 準決勝 | 10秒36 (+0.3) | 1組8着、1次予選で10秒14(+1.0)の世界選手権日本男子最高記録 |
4x100mR | 5位 | 38秒03 (4走) | 元アジア記録(予選でも38秒21のアジア記録) | |||
2008 | オリンピック | 北京 | 4x100mR | 3位 | 38秒15 (4走) | 五輪のトラック種目で日本男子史上初メダル 五輪男子同種目の最年長メダリスト&ファイナリスト記録(36歳62日) 2位と0秒09差、元オリンピック日本男子最高記録[11] |
その他
- 1990年
- 第43回インターハイ 走幅跳 優勝 7m61(+1.1)
- 1992年
- 第76回日本選手権 走幅跳 予選敗退
- 1994年
- 第78回日本選手権 走幅跳 優勝 8m06(+0.8) / 200m 3位 20秒93(-0.3)
- 第63回日本インカレ 100m 優勝 10秒50(-0.8)
- 1995年
- 第79回日本選手権 走幅跳 優勝 7m94(+2.0)
- 1996年
- 1997年
- クムニッツの競技会 優勝 10秒19(+1.6)
- イェーナの競技会 2位 10秒19(+1.8)
- 第45回全日本実業団 走幅跳 優勝 7m90(+0.2、大会記録) / 100m 優勝 10秒16(0.0、大会記録)
- ジュネーヴの競技会 優勝 10秒19(+1.2)
- シュトゥットガルトの競技会 100m 6位 10秒15(0.0)
- ハンブルクの競技会 100m 優勝 10秒15(+0.6)
- ベルリンの競技会 100m 2組3着 10秒15(+0.7)
- アスレティッシマ 100mB 3位 10秒08(+0.8、日本人初の10秒0台)
- 第81回日本選手権 走幅跳 優勝 8m10(+0.9、大会タイ記録) / 100m 優勝 10秒26(-0.8)
- 1999年
- 第33回織田記念 100m 2位 10秒27(+1.6)
- 2000年
- 第84回日本選手権 100m 優勝 10秒35(-0.7)
- 2001年
- 2002年
- 2003年
- 第37回織田記念 100m 4位 10秒30(+2.0)
- 大阪グランプリ 100m 6位 10秒38(-0.3) / 400mR 優勝 38秒56( 日本Aチーム4走)
- 第87回日本選手権 100m 2位 10秒26(+0.1)
- SGPチクリティリア 予選2組4着 10秒36(0.0)
- GPⅡプラハ 5位 10秒26(-0.1)
- GPⅡザグレブ 5位 10秒29(0.0)
- 南部記念 100m 優勝 10秒41(-2.0)
- 2004年
- アデレードの競技会 100m 優勝 10秒16(+2.6)
- 第38回織田記念 100m 優勝 10秒16(+1.2)
- 大阪グランプリ 100m 5位 10秒17(0.0) / 400mR 優勝 38秒35( 日本Aチーム1走)
- 第48回関西日本実業団 200m 優勝 20秒71(+0.1)
- 第88回日本選手権 100m 2位 10秒20(+1.0)
- 南部記念 100m 決勝棄権(予選1組1着 10秒49/-0.6)
- スプリントチャレンジカップ 200m 優勝 20秒70(+0.8) / 400mR 優勝 39秒07( 日本チーム4走)
- 第52回全日本実業団 100m 優勝 10秒23(-0.2)
- 2005年
- 2006年
- 出雲陸上 100m 優勝 10秒39(+2.4)
- 大阪グランプリ 100m 5位 10秒47(-0.1)
- 第50回関西実業団 100m 2位 10秒37(+1.5)
- 第54回全日本実業団 100m 2位 10秒48(0.0)
- 2007年
- 大阪記録会 100m 優勝 10秒31
- 出雲陸上 100m 決勝棄権(予選10秒84)
- 第41回織田記念 100m 優勝 10秒18(+2.2)
- 大阪グランプリ 100m 3位 10秒38(+0.4) / 400mR 優勝 38秒74( 日本Aチーム4走)
- 第51回関西実業団 100m 優勝 10秒38(+0.7)
- 台湾国際 100m 優勝 10秒39
- 第91回日本選手権 100m 2位 10秒39(-0.3)
- 南部記念 100m 優勝 10秒17(+2.1)
- 加古川市ナイター記録会 100m 2組1着 10秒15(+0.6)
- 第55回全日本実業団 100m 決勝棄権(準決勝1組1着 10秒63/-1.2)
自己ベスト
種目 | 記録 | 風速 | 年月日 | 場所 | 備考 |
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屋外 | |||||
100m | 10秒02 | +2.0m/s | 2001年7月13日 | オスロ | 日本歴代3位 |
200m | 20秒39 | +0.9m/s | 1997年7月13日 | シュトゥットガルト | |
走幅跳 | 8m13 | +0.7m/s | 1993年12月3日 | マニラ | 日本歴代5位 |
室内 | |||||
50m | 5秒75 | 2002年2月24日 | リエヴァン | 日本記録 | |
60m | 6秒55 | 1997年3月1日 | ジンデルフィンゲン | 日本記録 | |
100m | 10秒41 | 2002年2月4日 | タンペレ | アジア記録 | |
200m | 21秒22 | 1999年2月28日 | ジンデルフィンゲン | ||
走幅跳 | 7m83 | 1997年3月7日 | パリ |
著書
- 『朝原宣治のだれでも足が速くなる (GAKKEN SPORTS BOOKS)』(学研、2007/8、ISBN 978-4054034358)
- 『朝原宣治の 速く走る(DVD付)(COSMIC MOOK アスリートのソコが知りたい! vol. 4)』(コスミック出版、2008/8、ISBN 978-4774751696)
- 『肉体マネジメント』(幻冬舎、2009/1、ISBN 978-4344981058)
- 『こうすればかけっこが速くなる (こどもスーパー新書)』(小学館、2010/4、ISBN 978-4092538016)
関連書籍
- 『パパ、かっこよすぎやん! 夫婦で勝ち取った五輪3個の銅メダル』(奥野史子(著)、小学館、2008/12、ISBN 978-4093878081)
- 『朝原宣治 歴史をつくった感動のスプリンター(シリーズ・素顔の勇者たち)』(金田妙(著)、旺文社、2009/4、ISBN 978-4010695784)
- 『チーム朝原の挑戦 バトンは夢をつなぐ』(折山淑美(著)、学習研究社、2009/7、ISBN 978-4052031335)
- 『ランニングを極める アレクサンダー・テクニークで走りの感性をみがく』(マルコム・ボーク (著)、アンドリュー・シールズ(著)、朝原宣治(監修)、小野ひとみ(翻訳)、太田久美子(翻訳)、春秋社、2009/12、ISBN 978-4393713747)
脚注
- ^ 先駆者・井上悟から見た朝原の功績 ― TBS「世界陸上大阪」
- ^ 2007年世界選手権で記録した10秒14は、35歳以上39歳以下のマスターズ世界歴代5位である。Track and Field World Rankings Masters
- ^ 第1走者:塚原直貴、第2走者:末續慎吾、第3走者:高平慎士、第4走者:朝原宣治
- ^ 行方不明…あの朝原銅バトンが戻って来る
- ^ “過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】”. GQ JAPAN. 2014年11月21日閲覧。
- ^ こういうデコボコの感じでいいのかな 奥野史子さん×朝原宣治さん(朝日新聞)
- ^ “参院選戦線波高し!? メダリストらに出馬打診もフラれ続け…”. 2015年11月3日閲覧。
- ^ 2012年ロンドンオリンピックの予選で山縣亮太が10秒07を記録して更新された
- ^ a b 大会終了後にドーピング問題で順位が1つ繰り上がった
- ^ 2009年ベルリン大会と並び
- ^ 2012年ロンドンオリンピックの予選で日本代表チームが38秒07を記録して更新された。メンバーは、第1走者:山縣亮太、第2走者:江里口匡史、第3走者:高平慎士、第4走者:飯塚翔太
関連項目
外部リンク
- NOBY TRACK and FIELD CLUB - 朝原宣治主宰のスポーツクラブ
- 朝原宣治 (@nobinobi0621) - X(旧Twitter)
- 朝原宣治 - 日本陸上競技連盟の選手名鑑
- 朝原宣治 - ワールドアスレティックスのプロフィール(英語)
- 朝原宣治 - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(Sports Reference)(英語)
- TBS「世界陸上ヘルシンキ」燃える走魂 朝原宣治
- TBS「世界陸上大阪」日本スプリントのパイオニア 朝原宣治
先代 井上悟 |
男子100m日本記録保持者 1993/10/26-1998/12/13 |
次代 伊東浩司 |