不破弘樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
不破弘樹 Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Hiroki Fuwa
国籍 日本の旗 日本
種目 短距離走
生年月日 (1966-07-09) 1966年7月9日(57歳)
生誕地 群馬県沼田市
成績
オリンピック 100m 2次予選3組6着 (1984年)
200m 1次予選5組5着 (1984年)
4x400mR 準決勝1組8着 (1984年)
世界選手権 100m 2次予選3組6着 (1987年)
4x100mR 準決勝1組5着 (1987年)
地域大会決勝 アジア競技大会
100m 2位 (1986年)
4x100mR 2位 (1986年)
国内大会決勝 日本選手権
100m 2位 (1987年)
200m 3位 (1989年)
自己ベスト
100m 10秒32 (1991年)
200m 20秒86 (1991年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジア競技大会
1986 ソウル 100m
1986 ソウル 4x100mR
アジア選手権
1991 クアラルンプール 200m
1991 クアラルンプール 4x100mR
ユニバーシアード
1987 ザグレブ 4x100mR
編集 テンプレートのヘルプを表示する

不破 弘樹(ふわ ひろき、1966年7月9日 - )は、日本の陸上競技選手ロサンゼルスオリンピック日本代表群馬県沼田市出身。沼田市立西中学校、東京農業大学第二高等学校法政大学卒業。

来歴[編集]

小学生時代から沼田市内の大会において、4年生から100mにおいて驚異的な14秒7という記録を樹立し、6年生の県大会において100m12秒6で優勝。中学時代は野球部に所属していたが、中体連において中学男子としては異例の1年生で100mの県大会決勝に進んだ。1981年の関東大会男子100mで電気計時では中学生初の10秒台となる10秒95をマークし、10日後の第8回全日本中学選手権男子100mでは11秒00の大会新記録を樹立して優勝。更に、ジュニアオリンピック100mで自身の中学記録を10秒75まで伸ばした。追い風参考では10秒7を出していた。東京農業大学第二高等学校在学中に、名将鳥羽完治教諭の下で才能が開花。1982年、インターハイ100mで10秒52の日本高校新記録を樹立するも準優勝(優勝は10秒49の高校新をマークした米内聡)。1983年、インターハイで10秒46の高校新記録を樹立して優勝。200mでも21秒33の大会新記録を樹立した。翌1984年10秒34の日本タイ記録をマークし、その年のロサンゼルスオリンピックに出場。「高校生オリンピック選手」として話題となった。国体では追い風参考ながら10秒39をマークして優勝。高校卒業後、法政大学に進学する。1987年、東京国際ナイター陸上(後のスーパー陸上)で当時世界最速といわれたベン・ジョンソンとデッドヒートを繰り広げ、100m走で10秒33をマーク。19年ぶりの日本新記録を樹立した。1988年ソウルオリンピックは出場が有力視されながら落選。大学卒業後は大京陸上競技部に所属した[1]1992年バルセロナオリンピックも出場を逃し、引退した。引退後、大京を退社し、群馬県スポーツ振興協会に勤務。2006年より上武大学陸上競技部コーチに就任した。

2017年10月に行われる第48回衆議院議員総選挙群馬県第4区から希望の党公認で立候補するも、自民党の福田達夫に敗れ落選[2]

自己ベスト[編集]

種目 記録 風速 年月日 場所 備考
100m 10秒32 +0.9 1991年6月30日 日本の旗 前橋市 日本歴代6位(当時)
200m 20秒86 +1.7 1991年10月16日 日本の旗 金沢市 日本歴代5位タイ(当時)
4×100mリレー 39秒31 1986年10月5日 大韓民国の旗 ソウル 4走、日本記録(当時)

年次記録[編集]

太字は自己ベスト。記録は当時。順位は電気計時記録のみを対象とした。

100m 風速 備考 200m 風速 備考
1978年
(小学6年)
12秒6
1979年
(中学1年)
11秒57 中1歴代最高
1980年
(中学2年)
11秒19 +0.8 中2歴代最高
1981年
(中学3年)
10秒75 +2.0 中学記録 22秒42 中学歴代2位
1982年
(高校1年)
10秒52 +2.0 高1歴代最高
高校歴代2位
21秒70 高1歴代最高
1983年
(高校2年)
10秒46 +1.2 高校記録 21秒25 +1.2 高2歴代最高
高校歴代2位
1984年
(高校3年)
10秒34 ±0.0 日本タイ記録 21秒37 +0.9
1985年
(大学1年)
10秒58
1986年
(大学2年)
10秒35 ±0.0 学生記録 21秒12 +0.1
1987年
(大学3年)
10秒33 ±0.0 日本記録 20秒88 -0.3 日本歴代4位
1988年
(大学4年)
10秒42 +1.5
1989年
(社会人1年)
10秒36 +1.8 20秒98 +1.4
1990年
(社会人2年)
10秒61
1991年
(社会人3年)
10秒32 +0.9 日本歴代6位 20秒86 +1.7 日本歴代5位タイ
1992年
(社会人4年)
10秒42 +2.0 20秒94 +1.0
1993年
(社会人5年)
10秒79 -0.4
1994年
(社会人6年)
10秒51
1995年
(社会人7年)
10秒49 +1.2
1996年
(社会人8年)
10秒73

主な競技歴[編集]

  • ロサンゼルスオリンピック(1984年)
    • 100m 一次予選4着10秒56(+1.4)で二次予選に進出
    • 100m 二次予選6着10秒75(-1.4)で準決勝に進めず
    • 200m 一次予選5着21秒37(+0.9)で二次予選に進めず
    • 4×400mR 予選5着3分08秒16(3走)で準決勝に進出
    • 4×400mR 準決勝8着3分10秒73(3走)で決勝に進めず
  • ソウル・アジア大会(1986年)
    • 100m 決勝2着10秒44で銀メダルを獲得
    • 4×100mR 決勝2着39秒31(4走、日本新)で銀メダルを獲得
  • ザグレブ・ユニバーシアード(1987年)
    • 100m 一次予選1着10秒47(+0.7)で二次予選に進出
    • 100m 二次予選3着10秒44(+1.0)で準決勝に進出
    • 100m 準決勝5着10秒66(-1.1)で決勝に進めず
    • 4×100mR 予選1着39秒74(4走)で決勝に進出
    • 4×100mR 決勝3着39秒57(4走)で銅メダルを獲得
  • ローマ世界陸上(1987年)
    • 100m 一次予選4着10秒43(+1.6)で2次予選に進出
    • 100m 二次予選6着10秒38(+0.2)で準決勝に進めず(タイム順での準決勝進出に100分の1秒足らず)
    • 4×100mR 予選3着39秒49(4走)で準決勝に進出
    • 4×100mR 準決勝5着39秒71(4走)で決勝に進めず
  • デュイスブルク・ユニバーシアード(1989年)
    • 100m 一次予選2着10秒57(+0.6)で二次予選に進出
    • 100m 二次予選2着10秒33(+2.9)で準決勝に進出
    • 100m 準決勝6着10秒69(-0.9)で決勝に進めず
    • 200m 一次予選4着21秒41(+0.2)で二次予選に進出
    • 200m 二次予選6着21秒16(+1.6)で準決勝に進めず
  • クアラルンプール・アジア選手権(1991年)
    • 200m 決勝3着21秒00(-1.3)で銅メダルを獲得
    • 4×100mR 決勝3着39秒74(4走)で銅メダルを獲得

トピックス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「バブル崩壊のあおり 「大京」陸上部が年内で解散」『読売新聞』、1992年12月27日、15面。
  2. ^ 群馬-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル

外部リンク[編集]

記録
先代
飯島秀雄
男子100m日本記録保持者
1984/5/6-1988/9/11
次代
青戸慎司
功績
過去
なし
オリンピック陸上競技
男子高校生日本代表選手

1984 ロサンゼルス
2人目
未定