伊東浩司
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| アジア競技大会 | ||
| 金 | 1998年 バンコク | 男子100m |
| 金 | 1998年 バンコク | 男子200m |
| 金 | 1998年 バンコク | 男子400mR |
| 金 | 1994年 広島 | 男子400mR |
伊東浩司(いとう こうじ、1970年1月29日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本陸上競技・短距離走元選手、現指導者。100mの現日本記録保持者。現在は甲南大学スポーツ・健康科学教育研究センター准教授。左利き。
多くの日本人選手が短距離界で活躍するネグロイドに合った走り方をしていた中、一人日本人に適した走り方を求め当時タブーとされていた「腕を軽く振る」「足をあまり上げない」「少し前傾姿勢」といった走法を取り入れた選手であった。
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[編集] 経歴
鵯(ひよどり)台中学校→報徳学園高等学校→東海大学政治経済学部経済学科→富士通株式会社・早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了
鵯(ひよどり)台中時代、100mと200mで当時の中学記録を上回る10秒7、21秒8で走る。全日本中学100m5位・200m3位 ジュニアオリンピック100m3位・400m1位
報徳学園高校1年次、鳥取国体少年B400m1位。3年次、沖縄国体の少年A男子400mで当時の高校記録となる46秒52をマーク。その年のインターハイ8位の雪辱を果たした。
1998年、日本選手権で100m10秒08・200m20秒16の驚異的な日本新記録(当時。100mは朝原宣治に並ぶタイ記録)を樹立する。
1998年12月13日に開かれたバンコクアジア大会の男子100mにおいて、準決勝で当時のアジア記録ともなる日本新記録の10秒00を出した(速報タイムでは9秒99で、アジア人・非ネグロイド初の9秒台かと思われた。準決勝だったため最後は流している。直後のインタビューでは最後流したことに対する後悔の発言を残している[要検証])。この記録は2010年現在も日本記録である。100m決勝レースでも他選手を寄せ付けずに10秒05で圧勝。男子200m(20秒25)と男子400mリレー(38秒91・アンカー)でも優勝を果たして合計3個の金メダルを獲得、バンコクアジア大会のMVPにも輝いた。
非アフリカ系選手で当時の最高記録となる10秒00をマークしたのは、1984年のポーランドのマリアン・ヴォロニン(en:Marian Woronin)に続き2人目であった[1]。その年の年末、紅白歌合戦にゲスト出演するまでに知名度が上がり「アジアの風」と呼ばれた。
夫人は学年が1年上の、世界陸上アテネ大会女子マラソンで優勝・金メダリストとなった鈴木博美である。
現在はスポーツ解説者としてオリンピックや世界陸上などに多数出演。現役時代には見られなかった、ユーモア溢れるコメントが人気を呼んでおり、よしもと大運動会の解説にも呼ばれている。
2009年3月30日より、神戸市教育委員会の教育委員を務めている。
[編集] 成長過程
ジュニア時代の伊東は、当時、中学・高校生に本格的なウエイトトレーニングを課す指導者も多い中、筋力アップを目的としたトレーニングをほとんど行っていなかった。中学時代の伊東の走りはアゴは上がる、肩は大きくぶれる、腕の振りはメチャクチャといったものであった。しかし記録的には前述の通り優秀で、動きそのものはしなやかであった。当時の指導者は伊東の将来を考え、長所であるそのしなやかな動きが失われないように配慮し、ウエイトトレーニングを行ったとしても軽い負荷に限定していた(成長期に行う過剰なウエイトトレーニングは、身長の伸びや筋力・関節の柔軟性に悪影響を及ぼす事もあるとされている[2])。
大学でも同様に走りこみと跳躍系の練習が中心であり、本格的にトレーニングを始めたのは社会人になってからであった。しかしその間もメデイシンボールやスピードバウンデイングでのトレーニングを欠かさず行い、筋肉・関節の硬化が起きないよう配慮していた。
中学・高校時代から追い込めばもっと早くからさらなる好結果を得ていたかもしれないが、本人も指導者も我慢の連続であったが着実に階段を上っていった成功例のひとつだとされている[3]。
[編集] 走法
『ナンバ』の動きを取り入れたとされるが、右足(左足)と右腕(左腕)を同時に同方向へ動かしているわけではない。実際に伊東が取り組んだ走法は、例えば右足が前に出るとき同じ側の胸を脚の上に乗り込ませるようにするもので、その時に自然と右腕は後ろに引かれるが内旋動作がはいるために大きく振ることはできない(意識的に腕を振らないと思われがちだが結果的に大きく動かないだけである)。脚と腕が同方向へ同時に動けば人体構造上、走ることはもちろん歩くことも不自然かつ困難であり所謂『ナンバ走り』ではない[4]。また肩の動きを抑えていると言われる事もあるが、実際には上記の理由により例えば朝原宣治などの走り方と比べれば結果的に大きく前後に動かないだけであるが、逆に上下には大きく動いており、しかも正面から見た場合には頭から足まで波打つように大きく揺れている[5]。 脚を高く上げない走法でも知られるが、これはネグロイドに比べ骨盤が後傾しがちな東洋人には不向きであるとの理由であるとされる[6]。
[編集] 主な成績
- 1994年 アジア大会 400mR 第1位
- 1994年 アジア大会 200m 第2位
- 1995年 世界選手権 400mR 第5位
- 1996年 オリンピック 200m 準決勝進出
- 1996年 オリンピック 1600mR 第5位
- 1998年 アジア大会 100m 第1位
- 1998年 アジア大会 200m 第1位
- 1998年 アジア大会 400mR 第1位、アジア大会MVP
- 1998年 アジア選手権200m 第1位
- 1998年 ワールドカップ 200m 第4位
- 1999年 世界室内選手権 200m 第5位
- 1999年 世界選手権 200m 準決勝進出
- 2000年 シドニーオリンピック 100m 準決勝進出
- 2000年 シドニーオリンピック 200m 準決勝進出
- 2000年 シドニーオリンピック 400mR 第6位
[編集] 記録
| 種目 | 記録 | 年月日 | 日本歴代ランキング |
|---|---|---|---|
| 100m | 10秒00 | 1998年12月13日 | 日本記録(アジア歴代2位) |
| 200m | 20秒16 | 1998年10月2日 | 日本歴代2位 |
| 400m | 46秒11 | ||
| 4×100mR | 38秒31 | 1997年8月9日 |
- 男子400mリレー上記の記録(井上悟・伊東・土江寛裕・朝原、1997年8月9日、アテネ世界陸上準決勝)は最もカーブがきつく、記録が出にくい1レーンで出された世界最高記録とも言われている。
- 2000年9月30日、シドニーオリンピック準決勝でも川畑伸吾・伊東・末續・朝原のオーダーで38秒31のアジアタイ記録(当時)をマークしている。
- 男子1600mリレー 3分00秒76(苅部俊二・伊東浩司・小坂田淳・大森盛一、1996年8月5日、アトランタオリンピック決勝)
[編集] 著作
- 『疾風になりたい 「9秒台」に触れた男の伝言』(月刊陸上競技(編集)、出版芸術社、2003/4、ISBN 978-4882932338)
- 『最強ランナーの法則』(鈴木博美(共著)、山口典孝(監修)、MCプレス、2006/7、ISBN 978-4901972536)
- 『DVD 日本人に適した最速の走り方 記録の壁を突き抜けろ!!』(山口典孝(共著)、西東社、2007/12、ISBN 978-4791614684)
- 『小・中学生のための走り方バイブル [DVD] 』(山口典孝(共著)、カンゼン、2008/4、ISBN 978-4862550095)
- 『ストライドを効果的に拡げるスプリント走法 伊東浩司の世界に通用するスプリント技術』(指導・解説:伊東浩司、実技:若林愛(甲南大学卒・現 住友電工(株)陸上競技部所属)、ジャパンライム、2008/6、DVD)
- 『最強ランナーの法則 新版』(鈴木博美(共著)、山口典孝(監修)、毎日コミュニケーションズ、2009/7、ISBN 978-4839933067)
- 『小・中学生のための走り方バイブル2 1時間で速くなる! 快足トレーニング編 [DVD] 』(カンゼン、2010/4、ISBN 978-4862550576)
[編集] 脚注
- ^ その後、2003年に白人とアボリジニのハーフである、オーストラリアのパトリック・ジョンソンが9秒93をマークした。
- ^ 小山裕史『新トレーニング革命』講談社1994年
- ^ 財団法人日本中学校体育連盟陸上競技部『中学生のための陸上競技』18頁
- ^ 小山裕史『奇跡のトレーニング』2004年講談社ISBN 4-06-212217-0
- ^ 高岡英夫の2003年7月公開論文
- ^ 小山裕史『野球トレーニング革命』1999年ベースボールマガジン社ISBN 4-583-03620-5
[編集] 外部リンク
- 伊東浩司のホームページ
- 伊東浩司 (itokoji129) - Twitter
- Ito Koji - 国際陸上競技連盟のプロフィール(英語)
| 先代: 朝原宣治 |
男子100m日本記録保持者 1998/10/4- |
次代: (記録保持者) |
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