土江寛裕
土江 寛裕(つちえ ひろやす、1974年6月14日 - )は、日本の元陸上競技選手。1990年代後半から日本を代表するスプリンターとして活躍。
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[編集] 来歴・人物
島根県平田市(現出雲市)出身。富士通所属。早稲田大学大学院博士課程修了。早稲田大学非常勤講師、早稲田大学競走部女子コーチなどの要職を歴任した。日本陸連短距離副部長。現在、城西大学経営学部助教。
元200m日本チャンピオンの土江良吉は実父。錦織育子、信岡沙希重らは早稲田大学競走部の後輩。甲南大学で教鞭を執る伊東浩司、法政大学文学部助教授の苅部俊二、横浜市立金沢高等学校教諭の簡優好、200mで活躍した伊藤辰哉、元110mH日本記録保持者で順天堂大学陸上競技部コーチの岩崎利彦らとは富士通のチームメイト。
[編集] 略歴
1995年、ユニバーシアード400mRで6位入賞の快挙。1996年、アトランタオリンピックに出場。100mで大健闘した。また、400mRにも出場。1997年、アテネ世界選手権100m・400mRに出場。400mRで準決勝に進出するという離れ業を演じた。
1998年、バンコクアジア大会で200m8位入賞。400mRでは奇跡の優勝を果たして日本中の感動を呼んだ。100mでも銅メダル獲得。アジア選手権では400mRで銀メダルを獲得した。2000年、シドニーオリンピック代表を僅差で逃す。しばらく失意の日々を送ったが、2001年、日本選手権100mで3位に入り復活ののろしを上げる。
エドモントン世界選手権100mに出場。2002年、日本選手権100mで不調のなか4位に入る。プサンアジア大会400mRで3走を務め準優勝に大きく貢献。2003年、日本選手権100mで3位入賞。パリ世界選手権400mRで1走の重責を担い、日本チームを7位に導く。2004年、日本選手権100mで3位に入り、五輪代表に滑り込む。アテネオリンピックでは100mこそ予選落ちしたが、400mRで銅メダルまであと一歩の4位に入るという大健闘を見せ、日本を興奮の渦に巻き込んだ。
2005年、日本選手権で悪コンディションに見舞われ、まさかの準決勝敗退。ヘルシンキ世界選手権出場を逸した。2006年、現役引退。2007年より城西大学にて助教を勤めながら陸上競技部を指導している。
2008年北京オリンピックでは短距離コーチとして、日本男子リレーチームを支え、400メートルリレー走銅メダルの快挙をお膳立てした。その裏にはスムーズなバトンパスでタイムを短縮する為に様々な資料を収集し、検証するなどした土江のたゆまぬ努力があった。[1]
陸上競技マガジンでは短距離部門の技術・トレーニング方法について連載している。
[編集] エピソード
レースに勝っても負けてもすぐに泣き出してしまうという、非常にセンチメンタルな選手であった。 1996年のアトランタオリンピック4×100Rで日本チームは3走の井上悟からアンカーの朝原宣治で痛恨のオーバーゾーンをしてしまい予選落ちという結果になってしまうのだが、試合後のテレビインタビューで一番号泣していたのは土江だった。
[編集] 主な著作・論文
- 自己分析とトレーニング記録-パフォーマンスに伴う主観的レースパターンおよびトレーニングの変遷(スプリント研究13、2003)
- オーストラリアにおける組織的選手サポートについて(陸上競技研究48(1)、2002)
- 200m競走における10mごとの疾走速度とピッチ、ストライド変化(共著)(陸上競技紀要15、2002)
- 100m競走の局面わけと各局面でのテクニックの実践例(フーチャーアスレティックス・近未来陸上競技研究所紀要1、2002)
- 近未来陸上競技研究所ビデオシリーズ短距離編「スプリント基礎ドリル」(ソーケンネットワーク)
- 近未来陸上競技研究所ビデオシリーズ短距離編「レーステクニック1/2」(ソーケンネットワーク)
など
[編集] 脚注
- ^ アテネの思い後輩へ=北京の400リレー支えた土江氏 - 時事ドットコム
[編集] 外部リンク
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