奥繁三郎
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奥 繁三郎 おく しげさぶろう | |
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生年月日 | 1861年8月1日 |
没年月日 | 1924年9月8日(63歳没) |
第18・21代 衆議院議長 | |
在任期間 |
1914年3月17日 - 1914年12月25日 1920年6月29日 - 1923年2月16日 |
天皇 | 大正天皇 |
当選回数 | 8回 |
奥 繁三郎(おく しげさぶろう、文久元年6月25日[1](1861年8月1日) - 大正13年(1924年)9月8日[1][2])は、京都府出身の明治、大正時代の政治家。衆議院議長。関西法律学校(現・関西大学)卒。
経歴
[編集]山城国綴喜郡八幡(現・京都府八幡市)で、代々石清水八幡宮神官の奥家、季次の長男として生まれる[1][3]。
1879年(明治12年)、京都府師範学校を卒業[1][2]。小学校訓導兼校長を務めた[2]。関西法律学校在学中に代言人試験に合格後、1888年に京都府会議員となる。
1898年3月、第5回衆議院議員総選挙に京都府第4区から出馬し衆議院議員に初当選[2]。1901年12月、第6回総選挙京都府第4区選出の喜多川孝経の辞職に伴う補欠として当選[4]。以後、第7回から第11回及び第14回総選挙で当選し、衆議を通算8期務めた[2]。 1914年、衆議院議長就任。
その他、京都ガス、京津電軌の設立にも尽力。立憲政友会では、幹事、協議員、院内総務、幹事長、相談役などを務めた[5]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
議会 | ||
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先代 長谷場純孝 大岡育造 |
衆議院議長 第18代:1914 第21代:1920 - 1923 |
次代 島田三郎 粕谷義三 |