住吉大社
住吉大社 | |
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鳥居 正面 | |
所在地 | 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89 |
位置 | 北緯34度36分44.60秒 東経135度29分37.63秒 / 北緯34.6123889度 東経135.4937861度座標: 北緯34度36分44.60秒 東経135度29分37.63秒 / 北緯34.6123889度 東経135.4937861度 |
主祭神 |
底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后 |
社格等 |
式内社(名神大4座) 摂津国一宮 二十二社(中七社) 官幣大社 別表神社 |
創建 | (伝)神功皇后摂政11年 |
本殿の様式 | 住吉造4棟 |
札所等 | 神仏霊場巡拝の道42番(大阪1番) |
例祭 | 7月31日(住吉祭) |
主な神事 |
踏歌神事(1月4日) 正印殿祭(4月6日) 卯之葉神事(5月初卯日) 御田植神事(6月14日) ほか |
地図 |
住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉にある神社。式内社(名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。
別称として「住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)」ともいい、神社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。また、地元では「すみよしさん」または「すみよっさん」[1]と呼ばれる。
祭神
祭神は次の4柱[2]。「住吉大神」と総称され海の神として信仰される。また底筒男命・中筒男命・表筒男命は合わせて「住吉三神」と呼ばれる。
境内の奥から第一・第二・第三本宮が縦(東西)に並び、第三本宮の向かって右(南)に第四本宮がある。
歴史
創建
『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討において皇后に託宣を下し、その征討を成功に導いた。そして神功皇后摂政元年[原 1]、皇后は大和への帰還中に麛坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭い、さらに難波へ向かうも船が進まなくなったため、務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸に比定)で占うと住吉三神が三神の和魂を「大津の渟中倉の長峡(おおつのぬなくらのながお)」で祀るように託宣を下した。そこで皇后が神の教えのままに鎮祭すると、無事海を渡れるようになったという[3][4]。一般にはこの「大津の渟中倉の長峡」が住吉大社の地に比定される[3][4][注 1]。一方『帝王編年記』では住吉の地における鎮祭年を神功皇后摂政11年としており[5]、住吉大社側もこの年をもって鎮祭としている[6]。
また『住吉大社神代記』(平安時代前期頃の成立か)によれば、住吉三神は「渟中椋(ぬなくら)の長岡の玉出峡(たまでのお)」に住むことを欲したので、神功皇后はその地に住んでいた手搓足尼(田裳見宿禰)を神主として祀らせたという[7]。この田裳見宿禰の後裔が、住吉大社の祭祀を担った津守連(津守氏)一族とされる[7]。
概史
上記の『日本書紀』神功皇后紀の伝説的記事を別とすると、確かな史料のうえでの文献上初見は『日本書紀』朱鳥元年(686年)条[原 2]で、紀伊国国懸神、飛鳥四社、住吉大神に弊が奉られたという記事になる[4]。その後、神階は延暦3年(784年)6月[原 3]に正三位勲三等、同年12月[原 4]に従二位、大同元年(806年)[原 5]に従一位にそれぞれ昇叙された[4]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、摂津国住吉郡に「住吉坐神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗」として、4座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・相嘗祭・新嘗祭では幣帛に預かる旨が定められている[4]。
社前は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内馬場(現在の住吉公園)は海に面し、白砂青松の風光明媚の代表地とされ、その風景の絵模様は「住吉模様」と呼ばれた。また紫式部『源氏物語』には明石の君に関連した重要な舞台として描かれている。また『一寸法師』は子宝に恵まれなかった初老の夫婦が住吉大社に参り、子供を出産し、その子供が住吉津から細江川を下って大阪湾に出、淀川をのぼり、京都へ向う話である。
清和源氏武士団を最初に形成した源満仲は、摂津守であった天禄元年(970年)に住吉大社に参籠し、住吉大神の神託により摂津国多田(兵庫県川西市多田)を源氏の本拠地としている。宮司の津守氏は神官であると共に一族は武士も輩出しており、源満仲の三男で河内国壺井(大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とした源頼信を祖とする河内源氏とは源為義の頃には婚族の関係にあった。河内源氏の後裔で鎌倉幕府を開いた源頼朝が建久6年(1195年)3月の上洛の際、住吉大社に多数の御家人を集め流鏑馬を行っている。
元寇の際は、社前の住吉の浜(住之江の浜)において海神の住吉大神に蒙古撃退の「浜祈祷」が行われた。鎌倉時代末期には幕府の公認で住吉社造営費用獲得のため、元へ交易船が派遣された(寺社造営料唐船)が、帰国時には幕府は滅亡しており、後醍醐天皇の綸旨をもって住吉社造営費にあてられている。
南北朝時代は、宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝の後村上天皇の行宮が置かれ、約十年間南朝方の御座所となり、南朝の主要拠点の一つになる。次の長慶天皇は住吉で即位。また瀬戸内海の水軍系武士には住吉神を奉じる者も多く、南朝方の瀬戸内連絡網の根拠となった。
南朝方であったことから足利時代は、幕府からの制圧を受け、社領も大幅に削減され、現在の境内地と馬場(現:住吉公園)の規模とされる。
明応2年(1493年)の明応の政変においては畠山尚順の家臣である遊佐某と当時の住吉大社の神主であった津守国則が婚姻関係にあった事から、尚順の潜伏先であることを疑われ、細川政元の家臣である上原元秀に社殿を放火され、津守国則も一時的に社を離れなければならなくなるという憂き目に遭ったが、元秀の死の際には帰参を許され復帰した。
神階
- 延暦3年(784年)6月2日、正三位勲三等 (『続日本紀』)[原 3] - 表記は「住吉神」。
- 延暦3年(784年)12月29日、従二位 (『続日本紀』)[原 4] - 表記は「住吉社」。
- 大同元年(806年)4月24日、従一位 (『日本後紀』)[原 5] - 表記は「住吉大神」。
式年遷宮
住吉大社は、式年遷宮の伝統を維持している。ただし、伊勢神宮のように全面的な改築を行う式年遷宮は1810年を最後に行われず、神体を仮殿に移しての大規模な修理を行う。現在は30年おきの遷宮である。
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境内
本殿は住吉造で4棟が並び、いずれも国宝に指定されている。住吉造の社殿は、切妻造、妻入とし、屋根は反りがなく直線的で、屋根上には千木と鰹木(かつおぎ)が乗り、内部は手前と奥の2室に区切る点などが特色である。なお、4つの本殿全てで鰹木の数は5本であるが、千木は男神である住吉三神を祀る第一本宮から第三本宮は外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神である神功皇后を祀る第四本宮は内削ぎ(水平に削る)にしている。住吉大社の本殿は4棟とも檜皮葺きで、柱などの軸部と垂木、破風板を朱塗り、壁を白(胡粉)塗りとする。社殿周囲に縁を設けない点も特色である。各社殿は西を正面とし、第一・第二・第三本宮は奥(東)から手前(西)へ縦方向に並び、第四本宮は第三本宮の向かって右(南)に建つ。現存の本殿は江戸時代末期の文化7年(1810年)の建立であるが、建築形式は千木の形式などを除き古式を踏襲している。各本殿の手前には切妻造、平入の幣殿及び渡殿が接続して建つ[8]。
石舞台は重要文化財に指定されており、「日本三舞台」の1つに数えられる[9]。卯の葉神事の時には雅楽が演じられる。なお、雅楽が演奏される回廊は豊臣秀頼の寄進である。反橋(太鼓橋)は、慶長年間に淀殿が寄進したもの。
- 誕生石 - 薩摩藩祖・島津忠久の誕生したといわれる場所。
- 吉祥殿
- 住吉武道館
- 卯の花苑
- 住吉文華館
- 御文庫 - 江戸中期以降、大阪で出版された代表的な本がすべて収められている。
- 神馬舎
- 五所御前
- 神館
- 斎館
- 五月殿
- 桜畠土俵(相撲場) - 毎年10月に近畿高等学校招待相撲大会を開催。
関連史跡
摂末社
摂社
- 志賀神社
末社
境内社
- 楯社(たてしゃ) - 祭神:武甕槌命
- 鉾社 - 祭神:経津主命
- 侍者社(おもとしゃ) - 祭神:田裳見宿祢、市姫命
- 后土社(ごどしゃ) - 祭神:土御祖神
- 楠珺社(なんくんしゃ) - 祭神:宇迦魂命
- 市戎大国社 - 祭神:事代主命、大國主命
- 種貸社(たねかししゃ) - 祭神:倉稲魂命。式内社
- 子安社 - 祭神:興台産霊神
- 海士子社 - 祭神:鵜茅葺不合尊
- 龍社 - 祭神:水波野女神
- 八所社 - 祭神:素盞鳴尊
- 新宮社 - 祭神:伊邪那美命、事解男命、速玉男命
- 立聞社 - 祭神:天児屋根命
- 貴船社 - 祭神:高おかみ神
- 星宮 - 祭神:国常立命
- 五社 - 祭神:大領・板屋・狛・津・高木・大宅・神奴祖神
- 薄墨社 - 祭神:国基霊神
- 斯主社(このぬししゃ) - 祭神:国盛霊神
- 今主社 - 祭神:国助霊神
- 招魂社 - 祭神:諸霊神
境外社
- 大歳社(おおとししゃ) - 祭神:大年神
- 淺澤神社(あさざわじんじゃ) - 祭神:市杵島姫命
- 港住吉神社 - 祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
- 波除住吉神社 - 祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命
-
招魂社(旧護摩堂、重要文化財)
-
侍者社
-
種貸社(式内社)
-
大歳社
その他
- おいとしぼし社
- 楠高社
- 海龍社
- 御滝社
- 姫松稲荷社
- 吉松稲荷社
- 結乃神社
- 神馬塚
- 神宮遥拝所
祭事
文化財
国宝
- 住吉大社本殿 4棟(附 瑞垣及び門)(建造物) - 明治35年4月17日に旧国宝(のち重要文化財)指定、昭和28年11月14日に国宝指定[10]。
重要文化財(国指定)
- 住吉大社 13棟(附 住吉松葉大記19冊)(建造物)
- 下記のうち南門・東楽所・西楽所・石舞台の4棟は昭和49年5月21日指定、それ以外の9棟は平成22年12月24日指定[11]。
- 南門
- 東楽所
- 西楽所
- 石舞台
- 幣殿及び渡殿(第一殿)
- 幣殿及び渡殿(第二殿)
- 幣殿及び渡殿(第三殿)
- 幣殿及び渡殿(第四殿)
- 南高蔵
- 北高蔵
- 摂社大海神社幣殿及び渡殿
- 摂社大海神社西門
- 末社招魂社本殿(旧護摩堂)
- 住吉大社摂社大海神社本殿 - 昭和39年5月26日指定[12]。
- 木造舞楽面 9面(彫刻) - 平安時代から鎌倉時代。昭和43年4月25日指定[13]。
- 内訳:綾切4、抜頭1、貴徳番子1、皇仁庭1、秦王1、納曽利1。
- 太刀 銘守家 1口(工芸品) - 鎌倉時代。大正15年4月19日指定[14]。
- 刀 銘小野繁慶 奉納接州住吉大明神御宝前 1口(工芸品) - 江戸時代。昭和35年6月9日指定[15]。
- 住吉神代記(書跡) - 「住吉大社神代記」とも。平安時代。昭和29年3月20日指定[16]。
重要無形民俗文化財(国指定)
選択無形民俗文化財(国選択)
- 住吉の御田植神事の芸能 - 昭和46年11月11日選択[18]。
国の史跡
登録有形文化財(国登録)
- 住吉大社神館(建造物) - 平成18年10月18日登録[20]。
大阪府指定文化財
- 有形文化財
- 住吉大社太刀 銘国輝 1口(附 鳥頚太刀拵)(工芸品) - 昭和46年3月31日指定。
- 住吉大社刀 銘治国 1口(附 金梨子地衛府太刀拵)(工芸品) - 昭和46年3月31日指定。
- 住吉大社剣 銘吉道 1口(工芸品) - 昭和53年8月4日指定。
- 住吉大社太刀 銘有続(陰陽太刀) 2口(附 松鷺蒔絵糸太刀拵(陰刀)、雲龍蒔絵太刀拵(陽刀))(工芸品) - 昭和53年8月4日指定。
- 住吉大社鉄砲 銘野田善清尭 1口(工芸品) - 昭和53年8月4日指定。
- 無形民俗文化財
- 住吉大社の夏越祭 - 昭和47年3月31日指定。
大阪市指定文化財
- 史跡
- 住吉大社境内[21] - 平成13年12月21日指定。
関連人物
「 | 升買うて 分別かはる 月見かな | 」 |
現地情報
所在地
交通アクセス
- 鉄道
- 車
- 駐車場:有り
脚注
注釈
原典
出典
- ^ 住吉大社の公式サイト(2012年12月8日閲覧)でも「新春は『すみよっさん』から」と書いている。
- ^ あらまし(公式サイト)。
- ^ a b 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、pp. 438-439。
- ^ a b c d e 住吉大社(平凡社) & 1986年.
- ^ 住吉大社(国史).
- ^ 歴史年表(公式サイト)。
- ^ a b 田裳見宿禰(古代氏族) & 2010年.
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』33号(朝日新聞社、1997)、pp.3 - 68 - 3 - 70
- ^ 他の舞台は、四天王寺の石舞台、厳島神社の平舞台。
- ^ 住吉神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉大社 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉大社摂社大海神社本殿 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 木造舞楽面 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 太刀(銘守家) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 刀(銘小野繁慶 奉納接州住吉大明神御宝前) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉神代記 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉の御田植 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉の御田植神事の芸能 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉行宮跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉大社神館 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 住吉大社境内(大阪市ホームページ)。
- ^ 『全国一の宮めぐり―ビジュアル神社総覧』 〔ISBN 4056032726〕 P.108 - 日本アート・センター
参考文献・サイト
書籍
- 住吉大社編『住吉大社 改訂版』学生社、平成14年。 - 歴史と行事・伝承を紹介した公式の案内本。
- 真弓常忠編『住吉大社事典』国書刊行会、平成21年3月。 - 編者は宮司(平成14年11月就任)。
- 『住吉大社 日本の古社』岡野弘彦文、三好和義写真、淡交社、平成16年。
- 『住吉大社の祭事記 登野城弘写真集』東方出版、平成13年。
- 真弓常忠「住吉大社」『国史大辞典』吉川弘文館。
- 「住吉大社」『日本歴史地名大系 28-1 大阪府の地名』平凡社、1986年。ISBN 458249028X。
- 「田裳見宿禰」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。
サイト
- “住吉坐神社四座(摂津国住吉郡)”. 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」. 2015年5月31日閲覧。
関連文献
- 『古事類苑』神宮司庁編、住吉神社項
- 『古事類苑 第9冊』(国立国会図書館デジタルコレクション)135-154コマ参照。