コンテンツにスキップ

セーブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ryizn (会話 | 投稿記録) による 2012年5月24日 (木) 06:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

セーブ:Save)とは、野球で、リードしているチーム救援投手試合終了までリードを守りきることで付く投手記録[1]

最多のセーブを記録した投手に最多セーブ投手タイトルが与えられる。

セーブの成り立ち

元々はアメリカ合衆国において、イリノイ州シカゴの地方紙「シカゴ・トリビューン」のスポーツ担当記者だったジェローム・ホルツマン1960年に提唱したものである。

1961年より野球週刊誌「スポーティング・ニューズ」が誌上で表彰することとなった。制定当初は「(1)2点リードで登板し、1イニングを完全に投球した場合。(2)同点または勝ち越し点になる打者と対戦し、リードを守り切った場合」と現在より厳しい条件だった。このセーブに救援勝利を加算したものをセーブポイントと呼び、その両リーグ1位を最優秀救援投手として表彰した。

1961年の最優秀救援投手は、アメリカンリーグは救援勝利15と19セーブを挙げたルイス・アローヨニューヨーク・ヤンキース)。ナショナルリーグは救援勝利14、セーブ12のスチュー・ミラーサンフランシスコ・ジャイアンツ)だった。

セーブの概念が作り出されるきっかけとなったのは、1959年に救援投手ながら18勝を挙げ、当時のメジャー新記録を樹立したロイ・フェイスピッツバーグ・パイレーツ)の存在であった。フェイスは18勝という素晴らしい成績を残してはいたが、そのうち10勝はリードを守りきれず、先発投手の勝ち星を消してしまったがゆえに得た勝利であった。当時は救援投手の評価基準が防御率と勝敗しかなく、ホルツマンは救援投手を正当に評価する指標が必要であるという想いを強くした。

ホルツマンは、セーブの概念を複数のメディアに発表。公式記録とするようにメジャーリーグ機構にも働きかけ、9年後の1969年に正式に公式記録となった。メジャーリーグでは50年ぶりの新たな公式記録誕生となった。

その後、セーブを稼ぐためにほぼセーブ機会だけに登板するクローザー(抑え投手)という役割を持った投手が現れ、特定の投手にセーブが集中するようになったため、制定当初のセーブの意義と著しく乖離するようになった。そのため、現在ではホールドなどが救援投手の新たな評価基準となっている。

公式記録として初めてセーブが記録された投手はビル・シンガーロサンゼルス・ドジャース)である。1969年4月7日シンシナティ・レッズ戦(シーズン開幕戦)で記録している。シンガーは本来は先発投手であったため、通算セーブ数はこれを含めてたった2つである。

日本プロ野球では1974年にセ・パ両リーグで公式記録として導入された。

セーブの条件

セーブには以下の条件をまず満たす必要がある。

  • 勝利投手の権利を持たないこと。(セーブよりも勝利投手権利が優先されるため)
  • 勝利チームの最後の投手として登板すること。
  • 1/3イニング以上の投球回を記録すること。
  • 同点・逆転を許さず、リードを守り切り試合を終了させること。

そのうえで、以下の条件を1つ以上満たした場合にその投手にセーブが記録される。

  • 登板時のリードが3点以内である場合は、1イニング以上投げること。[2]
  • 登板時の状況が迎える打者2人に本塁打を打たれたら同点または逆転される状況であること。この場合は、イニング数(アウトカウント)は関係しない。
    • つまり、登板時に無走者であればリードは2点以内、一人いれば3点以内、二人なら4点以内、満塁なら5点以内が条件となる。
  • その投手が3イニングス以上投げていること。この場合は、リードを保ってさえいれば何点差でもよい。

一旦セーブが記録された場合でも、試合後にその試合が没収試合となり当該チームが敗戦とされた場合、その投手に記録されたセーブは取り消される。

メジャーリーグベースボールでは、1988年からセーブ失敗を表すブロウンセーブ(Blown save;「吹き飛んだセーブ」の意)も記録されている。これはセーブ機会に登板した投手が相手チームに同点に追いつかれる、あるいは逆転を許した場合に記録される。同点あるいは逆転となった失点が自責点か否かは関係ない。その後、チームが逆転勝利したなどによって敗戦投手にならなかったとしても(あるいは勝利投手となっても)ブロウンセーブの記録は取り消されない。年俸の査定にも影響する。

連続セーブ記録の条件

メジャーリーグベースボールでは、セーブ機会での登板のみが連続セーブ記録の対象となり、セーブの付かない場面での登板は連続記録とは無関係である。2003年エリック・ガニエロサンゼルス・ドジャース)が55試合連続セーブのシーズン記録を樹立したが、そのシーズンの登板数は77試合であり、22試合はセーブ機会ではない場面での登板だった。

一方、日本では、すべての登板が連続セーブ記録の対象となり、セーブが付かない場面で登板すると無条件に連続セーブ記録が途切れてしまう。ただし延長12回裏などに登板して引き分けに持ち込んだ場合はこの限りではない[要出典]

セーブに関する記録

メジャーリーグベースボール

通算記録

記録は2011年シーズン終了時点

順位 選手名 セーブ 順位 選手名 セーブ
1 マリアノ・リベラ 603 11 ジョン・ウェッテランド 330
2 トレバー・ホフマン 601 12 フランシスコ・コルデロ 327
3 リー・スミス 478 13 ロベルト・ヘルナンデス 326
4 ジョン・フランコ 424 14 ホセ・メサ 321
5 デニス・エカーズリー 390 15 トッド・ジョーンズ 319
6 ビリー・ワグナー 385 16 リック・アギレラ 318
7 ジェフ・リアドン 367 17 ロブ・ネン 314
8 トロイ・パーシバル 358 18 トム・ヘンキ 311
9 ランディ・マイヤーズ 347 19 リッチ・ゴセージ 310
10 ローリー・フィンガース 341 20 ダグ・ジョーンズ 303

シーズン記録

順位 選手名 所属球団 セーブ 記録年
1 フランシスコ・ロドリゲス ロサンゼルス・エンゼルス 62 2008
2 ボビー・シグペン シカゴ・ホワイトソックス 57 1990
3 エリック・ガニエ ロサンゼルス・ドジャース 55 2003
ジョン・スモルツ アトランタ・ブレーブス 2002
5 トレバー・ホフマン サンディエゴ・パドレス 53 1998
ランディ・マイヤーズ シカゴ・カブス 1993
マリアノ・リベラ ニューヨーク・ヤンキース 2004
8 エリック・ガニエ ロサンゼルス・ドジャース 52 2002
9 ロッド・ベック シカゴ・カブス 51 1998
デニス・エカーズリー オークランド・アスレチックス 1992

連続セーブ

2002年 - 2004年 エリック・ガニエ(ロサンゼルス・ドジャース) 84

その他記録

27点差でセーブ

2007年8月22日ボルチモア・オリオールズテキサス・レンジャーズ戦(ダブルヘッダー第1試合)で、レンジャーズは30 - 3で勝利した。この試合で7回から試合終了までの3イニングを投げたウェス・リトルトンにセーブが記録された。

日本プロ野球

通算記録

記録は2011年シーズン終了時点

順位 選手名 セーブ 順位 選手名 セーブ
1 岩瀬仁紀 313 11 赤堀元之 139
2 高津臣吾 286 12 大野豊 138
3 佐々木主浩 252 13 大塚晶則 137
4 小林雅英 228 14 斉藤明夫 133
5 藤川球児 196 15 鹿取義隆 131
6 江夏豊 193 16 山本和行 130
7 馬原孝浩 180 17 林昌勇 128
8 マーク・クルーン 177 18 牛島和彦 126
9 永川勝浩 164 19 エディ・ギャラード 120
10 豊田清 157 20 ロドニー・ペドラザ 117

(備考)日本プロ野球MLBの通算記録

シーズン記録

順位 選手名 所属球団 セーブ 記録年
1 岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ 46 2005
藤川球児 阪神タイガース 2007
3 佐々木主浩 横浜ベイスターズ 45 1998
4 岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ 43 2007
5 岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ 42 2010
6 マーク・クルーン 読売ジャイアンツ 41 2008
岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ 2009
藤川球児 阪神タイガース 2011
9 岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ 40 2006
10 MICHEAL 北海道日本ハムファイターズ 39 2006

全球団セーブ

その他記録

勝利投手がセーブ
1974年7月12日近鉄バファローズ対日本ハムファイターズ戦(日本生命球場)で、日本ハムの先発投手・高橋直樹は6回二死まで完封ペースで近鉄打線を抑えていた。打者・クラレンス・ジョーンズとの対戦途中に高橋は一旦三塁手の守備に就き、中原勇が登板。中原がジョーンズとの対戦を終えた後に投手として再登板した高橋がそのまま投げきってチームが勝利した。この試合で高橋には勝利とセーブがそれぞれ1ずつ記録された。これはおかしいということになり、翌年以降これと同様のケースでは勝利投手のみを記録するように改められた。
0球セーブ
1980年10月2日南海ホークス阪急ブレーブス戦、5 - 3でリードした9回表二死一・三塁で登板した南海の金城基泰は、打者に対して初球を投げる前に、盗塁を試みた一塁走者の福本豊牽制球でアウトにし、試合を終わらせた。これにより、投球数は0球であるがセーブを記録した。
1981年6月4日の南海対日本ハム戦、8 - 7でリードした9回表二死一塁で登板した南海の三浦政基は、打者に対して初球を投げる前に一塁走者の井上晃二を牽制球でアウトにし、0球セーブを記録した。
最年長セーブ
2009年10月6日千葉ロッテマリーンズ東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦(千葉マリンスタジアム)で、ロッテの小宮山悟は9回表二死、ロッテが5 - 2とリードしている場面で登板。代打のフェルナンド・セギノールを1球で仕留め、セーブを記録した。このとき小宮山の年齢は44歳0ヶ月(21日)で、セーブの最年長記録を更新した(それまでの最年長は、2006年に41歳2ヶ月で記録した山本昌)。なお、この試合は小宮山の引退試合でもあった。

脚注

  1. ^ 2009公認野球規則10.19
  2. ^ この条件について、日本プロ野球では1997年まで「登板時のリードが『登板時の走者数に3を足した数』以内である場合に、1イニング以上投げること」という独自の解釈がされていた。つまり、登板時に無走者であればリードは3点以内、一人いれば4点以内、二人なら5点以内、満塁なら6点以内で、1イニングを投げることが条件となる。

関連項目