サッカーセルビア代表
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国または地域 | セルビア | |||
協会 | セルビアサッカー協会 | |||
愛称 | Бели Орлови (White Eagles) | |||
監督 | ラドバン・チュルチッチ | |||
最多出場選手 | デヤン・スタンコヴィッチ(103試合) | |||
最多得点選手 | サヴォ・ミロシェヴィッチ(35得点) | |||
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初の国際試合 |
2006年8月16日対チェコ 3-1 | |||
最大差勝利試合 |
2007年10月17日対アゼルバイジャン 6-1 2008年11月19日対ブルガリア 6-1 2012年9月11日対ウェールズ 6-1 2009年10月10日対ルーマニア 5-0 | |||
最大差敗戦試合 |
2012年10月12日対ベルギー 0-3 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 1回(初出場は2010) | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (2010) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
サッカーセルビア代表(Фудбалска репрезентација Србије)はセルビアサッカー協会(FSS)によって編成されるセルビアのサッカーのナショナルチームである。1992年-2003年までの同地域のナショナルチームに関してはサッカーセルビア・モンテネグロ代表を、1992年以前に関してはサッカーユーゴスラビア代表を参照すること。
歴史
2006年5月に、モンテネグロのセルビア・モンテネグロからの独立の宣言、同独立のセルビアからの承認、及び欧州連合を初めとする国際社会の承認を経て、平和裏にモンテネグロの独立が達成され、1992年から継続してきた従来のセルビア・モンテネグロ(2003年まではユーゴスラビア連邦共和国)を解体した。
これに伴いサッカーのナショナルチームも分裂し、新たにセルビア代表が誕生した。ただし、モンテネグロの独立が成立したのは2006 FIFAワールドカップ直前であったため、2006 FIFAワールドカップには既に消滅していた国家、セルビア・モンテネグロ代表として出場した。
セルビア・モンテネグロ代表の経歴はセルビア代表に継承された。このため、セルビア・モンテネグロ代表として既に登録されていたUEFA欧州選手権2008予選にはセルビア・モンテネグロが登録していたグループAから出場した。同予選では下位のアゼルバイジャンに敗れるなど勝ち点を伸ばせず、ポーランド、ポルトガルに次ぐ3位となり、UEFA欧州選手権2008本大会への出場を逃した。この結果を受けて、2006年7月からチームを率いていたスペイン人監督のハビエル・クレメンテは解任された。
後任にはセルビア人監督であるミロスラヴ・ジュキッチが就任したが、成績不振のためわずか半年余りで解任。同じくセルビア人のラドミル・アンティッチが代表監督となり、2010 FIFAワールドカップ出場を懸けて欧州予選にグループ7から出場した。同組はフランス、ルーマニア、リトアニア、オーストリア、フェロー諸島であったが、格上と思われたフランスを上回る成績を残し、モンテネグロと分離して以来初の本大会進出を決めた[1]。
本大会では初戦でガーナに0-1で敗戦。第2戦のドイツ戦では38分にミラン・ヨヴァノヴィッチのボレーシュートで先制すると、その後もGKヴラディミル・ストイコヴィッチの活躍などもあってドイツの反撃を抑え1-0で勝利し、決勝トーナメント進出に望みを繋いだ[2]。しかし第3戦のオーストラリア戦は終始相手のリードを許す展開となり、終了間際にマルコ・パンテリッチが1点を返すも1-2で敗戦。1勝2敗でグループ4位となりグループリーグ敗退が決まった[3]。
EURO2012、EURO2016は予選、2014 FIFAワールドカップは欧州予選でそれぞれ敗退した。
FIFAワールドカップの成績
UEFA欧州選手権の成績
歴代監督
氏名 | 期間 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | 備考 |
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ハビエル・クレメンテ | 2006-2007 | 16 | 7 | 7 | 2 | |
ミロスラヴ・ジュキッチ | 2007-2008 | 5 | 0 | 2 | 3 | |
ラドミル・アンティッチ | 2008-2010 | 18 | 13 | 3 | 8 | 2010 FIFAワールドカップ出場 |
ヴラディミル・ペトロヴィッチ | 2010-2011 | 13 | 5 | 3 | 5 | |
シニシャ・ミハイロヴィッチ | 2012-2013 | 19 | 7 | 4 | 8 | |
ディック・アドフォカート | 2014-2014.11 | 0 | 0 | 0 | 0 |
選手
GK
DF
- マルヤン・マルコヴィッチ
- ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ
- ムラデン・クルスタイッチ
- ネマニャ・ヴィディッチ
- イヴィツァ・ドラグティノヴィッチ
- スロボダン・ライコヴィッチ
- アントニオ・ルカヴィナ
- ゴイコ・カチャル
- アレクサンダル・ルコヴィッチ
- アレクサンダル・コラロヴ
- イヴァン・オブラドヴィッチ
- ネヴェン・スボティッチ
- ドゥシャン・バスタ
- マティヤ・ナスタシッチ
MF
- デヤン・スタンコヴィッチ
- ズドラヴコ・クズマノヴィッチ
- イゴール・ドゥリャイ
- ネナド・コヴァチェヴィッチ
- イヴァン・エルギッチ
- ミロシュ・クラシッチ
- オグニェン・コロマン
- サシャ・イリッチ
- ボシュコ・ヤンコヴィッチ
- ゾラン・トシッチ
- ネナド・ミリヤシュ
- ゴイコ・カチャル
- ミロシュ・ニンコヴィッチ (en)
- ラドサヴ・ペトロヴィッチ (en)
- ネマニャ・マティッチ
- リュボミール・フェイサ
- ネナド・クルスティチッチ
- フィリップ・ジュリチッチ
FW
キャップ
- 2013年3月16日時点[5]
位 | 名前 | 出場 | 得点 | 期間 |
---|---|---|---|---|
1 | サヴォ・ミロシェヴィッチ | 102 | 37 | 1994-2008 |
デヤン・スタンコヴィッチ | 102 | 15 | 1998- | |
3 | ドラガン・ストイコヴィッチ | 84 | 15 | 1983-2001 |
4 | プレドラグ・ミヤトヴィッチ | 73 | 28 | 1989-2003 |
5 | スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ | 64 | 10 | 1991-2002 |
6 | シニシャ・ミハイロヴィチ | 63 | 9 | 1991-2003 |
7 | ムラデン・クルスタイッチ | 59 | 2 | 1999-2008 |
ゾラン・ミルコヴィッチ | 59 | 0 | 1995-2003 | |
9 | ダルコ・コバチェビッチ | 58 | 10 | 1994-2004 |
ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチ | 58 | 7 | 2004- |
得点
- 2013年3月16日時点[5]
位 | 名前 | 得点 | 出場 | 得点率 | 期間 |
---|---|---|---|---|---|
1 | サヴォ・ミロシェヴィッチ | 37 | 102 | 0.36 | 1994-2008 |
2 | プレドラグ・ミヤトヴィッチ | 28 | 73 | 0.38 | 1989-2003 |
3 | ニコラ・ジギッチ | 20 | 57 | 0.35 | 2004- |
4 | デヤン・サヴィチェヴィッチ | 19 | 56 | 0.34 | 1986-1999 |
5 | マテヤ・ケジュマン | 17 | 49 | 0.34 | 2000-2006 |
6 | ドラガン・ストイコヴィッチ | 15 | 84 | 0.18 | 1983-2001 |
デヤン・スタンコヴィッチ | 15 | 102 | 0.15 | 1998- | |
8 | ダンコ・ラゾビッチ | 11 | 43 | 0.25 | 2002-2011 |
ミラン・ヨヴァノヴィッチ | 11 | 44 | 0.25 | 2007- | |
10 | マルコ・パンテリッチ | 10 | 42 | 0.24 | 2003- |
ダルコ・コバチェビッチ | 10 | 58 | 0.17 | 1994-2004 | |
スラヴィシャ・ヨカノヴィッチ | 10 | 64 | 0.15 | 1991–2002 |
脚注
- ^ uefa.com (2009年10月12日). “セルビア、攻撃サッカーの徹底を宣言”. 2009年10月18日閲覧。
- ^ Serbia make Germany pay the penalty - UEFA.com 2010年6月25日閲覧
- ^ Serbia succumb to Australia - UEFA.com 2010年6月25日閲覧
- ^ セルビア・モンテネグロ時代についてはサッカーセルビア・モンテネグロ代表#歴代監督を参照
- ^ a b ユーゴスラビア代表、セルビア・モンテネグロ代表歴を含む