2030 FIFAワールドカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
2030 FIFAワールドカップ
大会概要
日程 2030年
 < 20262034

2030 FIFAワールドカップ: 2030 FIFA World Cup)は、2030年に開催される予定の第24回目のFIFAワールドカップである。開催地や出場国数、及びその決定時期はまだ未定である。

開催希望地の状況[編集]

1930年、南米のウルグアイで第1回となる1930 FIFAワールドカップが開催され、現在に至る世界最大級のスポーツイベントが始められた。それから100周年となる2030年の大会について、ウルグアイは隣国アルゼンチンとの共催による開催を希望し、立候補に向けた準備を進めている。もし実現すれば、ウルグアイは100年ぶり、アルゼンチンは1978年1978 FIFAワールドカップ以来52年ぶりの大会開催となる。現在ではそれ以外の国で目だった動きは出ていない。

ウルグアイ・アルゼンチン共同開催構想[編集]

2030年大会をウルグアイで開催しようという動きは、一般のファンが先行して進めていた。1990年近代オリンピック開催100周年となる第26回夏季オリンピック大会の開催地として国際オリンピック委員会(IOC)がアメリカ合衆国アトランタを選んだ決定は(アトランタオリンピック)、1896年に第1回大会(アテネオリンピック (1896年))を開催したギリシャアテネが有力と見られていた事前予想を覆し、歴史的意義の軽視という主張を含めた多くの批判を呼んだ[1]。ウルグアイ出身でイスラエル在住のホテルマンだったアベル・フィアルコは、国際サッカー連盟(FIFA)もワールドカップ100周年の記念大会をウルグアイ以外で開催するのではないかと危惧し、1997年にウルグアイ開催を求めるサイトをインターネット上に開設して、国内外のウルグアイ人からの支持やメディアの関心を徐々に集めていた。

2005年10月4日、ワールドカップ創設75周年を記念してFIFAのジョセフ・ブラッター会長がウルグアイを訪問した時、ウルグアイ大統領タバレ・バスケスはブラッターに対して、南米共同市場(メルコスル)諸国と共同で100周年記念大会を開催できると初めて示唆した。会談後の声明でブラッターはこれを激励した上で、「南米サッカー連盟(CONMEBOL)のニコラス・レオス会長が、開催地の大陸持ち回り制を考慮すれば2030年大会は南米の順番である」と述べた事を紹介した[2]

2007年10月、アルゼンチンサッカー協会フリオ・グロンドーナ会長はウルグアイサッカー協会からの申し出を受けて、アルゼンチンとウルグアイの両国で2030年大会の共催を目指す事を明らかにし、他のCONMEBOL諸国は両国の共催を支持する姿勢を示した[3]2010年6月10日、南アフリカ共和国で開催される2010年大会の開幕前日にウルグアイの観光スポーツ大臣がブラッター会長と会談し、アルゼンチンとの共催による2030年大会の招致を正式に提案した。2011年3月には両国政府による大会招致への全面協力が発表され[4]2013年4月には両国による合同招致委員会が設置され、7月のFIFA総会における正式立候補を準備中と伝えられている[5]

ただし、共催計画にはまだ未定の部分が多い。決勝戦については、ウルグアイ側ではその立候補の動機から、1930年と同様に首都モンテビデオエスタディオ・センテナリオで開催するのが当然視されているが、それについてアルゼンチン側からの明確な反応は伝えられていない。また、自国を含む13ヶ国で開催し、モンテビデオ市内の3つのスタジアムで18試合を行えば良かった1930年と異なり、1998年フランス大会以降は32チーム、64試合を行う規模となり、会場数も1998年以降は最低でも10会場が利用されている[6]。スタジアムの規模や設備も格段に高いレベルが求められ、莫大な経費がかかる大会になっている[7]。人口約340万人[8]、国内総生産(GDP)約400億米ドル[9]と、いずれもアルゼンチンの10分の1以下しかないウルグアイの大会開催能力は未知数である。

その他の開催構想[編集]

上記のウルグアイ・アルゼンチン共同開催以外には、2030年大会の招致を目指す動きは表面化していない。FIFAによる同一大陸内の連続開催制限のため、2022年大会を開催するカタールが所属するアジアサッカー連盟(AFC)の加盟協会の国・地域、及びこれから決定され、現在は北中米カリブ海サッカー連盟(CONCACAF)所属のカナダメキシコが招致を目指している2026年大会の開催地域は、この2030年大会は招致できない。以前は中華人民共和国が2026年大会か2030年大会の招致に意欲を見せていたが、2022年大会がカタール開催で決定したため、その可能性は失われた。


脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ アテネは2004年アテネオリンピック (2004年)を開催した。
  2. ^ FIFA公式サイト、2005年10月11日付記事、リンク切れ。2005年当時、CONMEBOLは南米に割り当てられる事が濃厚だった2014年大会の開催地を内部で調整しており、2007年にブラジルが開催国に決定した。この持ち回り制度はその後廃止されたが、同一大陸内の連続開催制限として改組された。
  3. ^ CONMEBOL公式サイト、2009年11月25日付、リンク切れ。
  4. ^ 日刊スポーツ2011年3月18日付、30年W杯にアルゼンチンが共催立候補
  5. ^ 伊高浩昭「現代ラテンアメリカ情勢」、2013年4月25日付記事、「アルゼンチンとウルグアイがW杯2030年大会共同開催で立候補へ」。伊高はジャーナリストで元共同通信記者、立教大学ラテンアメリカ研究所講師。
  6. ^ アルゼンチンでの1978年大会では5都市6会場(首都ブエノスアイレスで2会場が使用)で38試合が行われた。
  7. ^ ただし、1930年大会で欧州各国の不参加が相次ぐ理由となった交通網の未整備、特に航空路線の不在は解消され、当時は存在しなかったテレビ放映料収入も巨額となっている。
  8. ^ ワールドカップ開催(予定)国ではカタールに次いで少ない。出典:国の人口順リスト内、国際連合経済社会局による「世界の人口推計 2011年度版」による推計。
  9. ^ カタールの3分の1で、ワールドカップ開催(予定)国では最も少ない。出典:国の国内総生産順リスト (為替レート)内、国際通貨基金(IMF)による2012年予測値。

外部リンク[編集]