セバスティアン・ピニェラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ミゲル・フアン・セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ
Miguel Juan Sebastián Piñera Echenique
Sebastián Piñera (2009).jpg

任期 2010年3月11日2014年3月11日

出生 1949年12月1日(64歳)
チリの旗 チリサンティアゴ
政党 国民革新党
配偶者 セシリア・モレール

ミゲル・フアン・セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ西: Miguel Juan Sebastián Piñera Echenique1949年12月1日 - )は、チリ共和国政治家。同国元大統領(第35代、2010年-2014年)。元上院議員。国民革新党所属。

クレジットカード会社やメディア、航空会社など、多くの会社や株式を所有。米経済誌「フォーブス」から総資産22億ドルで世界437位にランクされ、他にもサッカーのクラブチームを所有するなど、チリ有数の大富豪である。セシリア・モレールと結婚し、子供を4人もうけている。実弟は歌手であるミゲル・ピニェラカトリック信徒である。

経歴[編集]

父が国連大使だったので、少年時代はベルギーアメリカ合衆国に住んでいた。チリ・カトリック大学(PUC)で商業工学を学び、1971年に卒業した。経済学を学ぶため、ハーバード大学に留学した経験がある。1971年から1988年にかけて、チリカトリック大学、チリ大学、アドルフォ・イバニェス大学で経済学を教えた。

1978年にタルカ銀行頭取、1980年からシティグループシティコープ・チリの総支配人や会長を務めた。

1990年に独立系の政党から上院議員に当選後、国民革新党へ入党。2001年に同党の党首に就任し、2005年には大統領選に立候補するが落選。株主として、国営テレビ局Chilevisiónの100%分、ラン航空の27%分、サッカークラブCSDコロコロの13%分を一頃所有した。

2010年、チリ共和国の大統領に選出され、同年3月11日に就任。この日にピチレム付近でM6.9の大地震が発生し、就任式の直前と最中にも余震が生じた。8月から10月にかけてはコピアポ鉱山落盤事故の対応にあたった。

2010年11月15日東京都庁を訪れ、大地震などの際に初動対応の指揮が行われる防災センターを視察した。

2011年、チリのパタゴニアのHidroAysénという水力発電所の建設計画や、全国で起こった大規模な学生抗議行動などにより、支持率が2009年末の63%から36%に低下した。[1]2014年2月、任期の終了前には支持率が50%に挙げた。

2012年3月に再び来日し、東日本大震災で被災した南三陸町を視察した。

政策[編集]

中道左派中道政権が進めてきた開放経済路線や中小企業の減税、低所得者への補助金支給などを継続することを表明。代表を務めた中道右派右派の政党連合変革のための同盟から大統領候補に擁立されたが、1990年に行われたアウグスト・ピノチェトの信任投票では不信任を投ずるなど、連合内の右派であるピノチェト派とはやや距離を置いているとされる。[2][3]

外交[編集]

日本[編集]

日本国連安保理常任理事国入りを支持している[4]

脚注[編集]

  1. ^ After the Miners' Triumph: How Chile's President Lost His Mojo - TIME Magazine - July 03, 2011
  2. ^ 開放経済政策を継続−大統領選でピニェラ候補勝利(2)− (チリ)JETRO
  3. ^ セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ大統領 略歴外務省
  4. ^ 外務省:日チリ首脳会談について” (2010年11月14日). 2010年11月16日閲覧。

外部リンク[編集]

公職
先代:
ミシェル・バチェレ
チリの旗 チリ共和国大統領
第35代:2010 - 2014
次代:
ミシェル・バチェレ