セバスティアン・ピニェラ
| ミゲル・フアン・セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ Miguel Juan Sebastián Piñera Echenique |
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| 任期: | 2010年3月11日 – (現職) |
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| 出生: | 1949年12月1日(63歳) |
| 政党: | 国民革新党 |
| 配偶者: | セシリア・モレール |
ミゲル・フアン・セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ(西: Miguel Juan Sebastián Piñera Echenique、1949年12月1日 - )は、チリ共和国の政治家。現在、同国大統領(第35代、2010年3月11日 - )。元上院議員。
国民革新党所属。
セシリア・モレールと結婚し、子供を4人もうけている。実弟は歌手であるミゲル・ピニェラ。カトリック信徒である。
クレジットカード会社やメディア、航空会社など多数の会社をや株式を所有。米経済誌フォーブスでは総資産22億ドルで世界で437位ランクされ、他にもサッカーのクラブチームを所有するなどチリ有数の大富豪である。
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経歴[編集]
父が国連大使だったので、少年時代はベルギー、アメリカに住んでいた。チリ・カトリック大学(PUC)で商業工学を学び、1971年に卒業した。経済学を学ぶため、ハーバード大学に留学した経験あり。1971年から1988年にかけては教職につき、チリカトリック大学、チリ大学、アドルフォ・イバニェス大学で経済教師を務めた。
1978年にはタルカ銀行頭取、1980年からはシティグループのシティコープ・チリの総支配人や会長を務めた。
1990年に独立系の政党から上院議員に当選後、国民革新党へ入党。2001年国民革新党党首、2005年に大統領選に立候補するが落選。
2010年、チリ共和国の大統領に選出され同年3月11日に就任。就任式の直前と最中に余震が発生した。8月から10月にかけてはコピアポ鉱山落盤事故の対応にあたった。
2010年11月15日に東京都庁を訪れ、大地震などの際に初動対応の指揮が行われる防災センターを視察した。
2011年、チリのパタゴニアにHidroAysénという水力発電所の建設計画や、全国大勢の学生抗議行動などにより、本人の人気率が2009年末の63%より36%に低下した。[1]
2012年3月に再び来日し、東日本大震災で被災した南三陸町を視察した。
政策[編集]
中道左派・中道政権が進めてきた開放経済路線や中小企業の減税、低所得者への補助金支給などを継続することを表明。代表を務めた中道右派・右派の政党連合変革のための同盟から大統領候補に擁立されたが、1990年に行われたアウグスト・ピノチェトの信任投票では不信任を投ずるなど、連合内の右派であるピノチェト派とはやや距離を置いているとされる。[2][3]
外交[編集]
日本[編集]
脚注[編集]
- ^ After the Miners' Triumph: How Chile's President Lost His Mojo - TIME Magazine - July 03, 2011
- ^ 開放経済政策を継続−大統領選でピニェラ候補勝利(2)− (チリ)JETRO
- ^ セバスティアン・ピニェラ・エチェニケ大統領 略歴外務省
- ^ “外務省:日チリ首脳会談について” (2010年11月14日). 2010年11月16日閲覧。
外部リンク[編集]
- 公式サイト (スペイン語)
- セバスティアン・ピニェラ (SebastianPInera) - Twitter (スペイン語)
| 官職 | ||
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| 先代: ミシェル・バチェレ |
第35代:2010 - |
次代: (現職) |
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