育成選手制度 (日本プロ野球)

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育成選手制度(いくせいせんしゅせいど)とは、日本のプロ野球日本野球機構、NPB)において育成を目的として球団の選手契約枠を拡大する制度。

目次

[編集] 概説

NPBでは支配下登録選手枠の上限が最大70人までとなっており、それを越えてしまうと、以前は練習生(公式戦の出場はできないが、チームの練習には参加可能)という扱いとなっていたが、その制度を利用して球団が有望な学生を他球団のスカウトからの接触を絶つ目的で球団職員名義の練習生としてユニフォームを着て球団の施設で練習をさせて囲い込む例(伊東勤大豊泰昭中込伸の例)が出たためそれ以後は練習生契約は規制されていた。しかし、アマ野球、特に社会人野球での廃部が相次ぎ野球選手の裾野の狭まりへの対策と将来の有望な若手選手らを育成する観点から、2005年に「準支配下登録選手」の制度設置を審議。11月に開かれた実行委員会の席で正式に導入されることが決まった。本制度の決定には広島東洋カープ鈴木清明常務取締役球団本部長の方針をヒントに読売ジャイアンツ清武英利代表の強い推進があった。

なお、このとき一部の球団より「選手枠の上限を撤廃をすべき」という主張もあったがルール改正には至らなかった。

制度には「育成選手」と「研修生」の2つのカテゴリーがある。いずれも中学(卒業3年間)、高校、大学の翌年度卒業見込みのある者(2005年度のみ事前の折衝が間に合わず高校生は対象外)、並びに社会人野球(日本野球連盟登録チームに在籍する)選手(四国アイランドリーグplusなどの独立リーグ〔NPB以外の国内プロ野球〕に在籍している選手含む)、プロ野球の選手として一度入団しながら自由契約になった選手が対象となる。外国人選手に関しては特に規定はない。将来は育成選手、研修生とともに、アメリカメジャーリーグの要領でのアカデミー形式によるリーグ戦の実施、あるいは社会人チーム登録をして社会人野球の大会出場なども検討されている。代表例が2007年に開始されたイースタン・リーグ チャレンジ・マッチや、2009年に編成された読売ジャイアンツ(以下、巨人)と千葉ロッテマリーンズの2球団に所属する育成選手から成る連合チーム「シリウス」における活動である。

しかし、2007年に中日が上限一杯となった支配下登録選手枠を空けるため金本明博選手をウェーバーにかけた上で育成選手として再契約を行おうとしたことにそれぞれ日本プロ野球選手会が抗議するなど、制度が定着するに従って一部で論議が発生している。この騒動を受けて、シーズン中の支配下選手から育成選手への契約切り替えは禁止されることになった。ただし、シーズン後には選手枠を空けるために一部の球団で行われており、特に故障で翌シーズン当初からの稼働が見込めない選手を育成選手として再契約するなど事実上の故障者リストのようにも使われている。また、過去に1軍での実績がありながら後年戦力外となった他球団の選手を育成選手として契約する例など、事実上支配下登録枠の調整弁のように扱われている事例も発生している[1]

[編集] 育成選手

  • 育成選手とは日本選手権へ出場可能な支配下登録を目指すため、野球技能の錬成向上およびマナー養成を目的とした選手の事をいう。
  • 支配下登録選手(原則70人ただし球団の合併や解散などは80人)が65人以上いるチームが採用できる。ただし7月31日時点で支配下選手数が65名に満たない球団は、育成選手を支配下選手に移行するか、または新たな支配下選手を採用するかを実行委員会に説明しなければならない。実行委員会が目的に害さない場合、実行委員会が承認したときには保有することができる。
  • 新人選手を育成選手として指名するには2次ドラフト(育成ドラフトともいう。基本的に、大学生・社会人ドラフト会議の開催日に通常のドラフトに引き継いで行うドラフト。ただし2005年度は準備に時間がかかったため12月に開かれた)にかけることが必要である。順位はドラフトの指名順で行われる。これは全指名120名枠に含めることとする。(研修生を指名する場合を除く)
  • ただし新人選手に該当しない選手(支配下経験がある人)、或いは外国人選手に関してはこの限りではない。
  • 原則として3年とする(7月1日以降育成選手を採用した場合はそのシーズン(7月1日-12月31日まで)はカウントしない。)
  • 育成選手としてドラフト指名されたが拒否した場合でも1年後は再度すべてのチームから指名できる。ただし拒否をした場合は育成選手・研修生として指名することができない。承認した場合は契約番号その他を育成選手名簿に登録し開示する。解雇されたときも同様である。
  • 最低年俸は240万円となっている。更新した場合も同様とする。また、新人選手には支度金として標準300万円が支払われる。原則として1年間の年俸をあらわす(学校卒業後は3月1日からとする)
  • 背番号は3桁の数字とする。支配下登録選手に変更する場合、背番号を1桁(0を含む)または2桁(00を含む。01〜09は不可)に変更しなければならない。なお、2010年11月9日以前は「100番以降」という条件だったが、読売ジャイアンツが「チームスタッフの背番号と紛らわしい[2]」という理由で改正を提案、「0から始まる3桁(001、002など。000は未定)でも可」という条件に変更された。
  • 出場可能な公式戦(二軍の公式戦では球団統一ユニフォームを着用する)は二軍の試合に限られ1試合に5人までしか出場できない。当初はフレッシュオールスターファーム日本選手権は出場できないとされており、オープン戦に関しても、技術的なレベルの差などを考慮して、原則的に認められていなかった。現在では春季オープン戦、春季教育リーグ、秋季教育リーグ、チャレンジマッチ、フレッシュオールスターゲーム、ファーム日本選手権試合等に練習または試合が出来るようになった。
    • 2007年3月7日よりオープン戦の試合出場が認められ、2007年9月30日のプロ野球実行委員会にてファーム日本選手権への出場も認められるようになり、2009年に読売ジャイアンツ山本和作内野手が出場した。また、2010年の福岡ソフトバンクホークス猪本健太郎捕手はフレッシュオールスターに育成選手のまま出場した初めての例となった。
  • 球団は実行委員会の承認後、育成選手を独立リーグに所属する球団に一定期間派遣することができる。(後述の「独立リーグへの派遣構想」における千葉ロッテ・マリーンズの事例を参考)海外に派遣する場合は、コミッショナー事務局に届け出ること。
  • 育成選手だけのチームを結成し、日本野球連盟に加盟することができる。(シリウスを参考。)
  • シーズン中の育成登録から支配下登録(70名を超える選手を支配下選手とすることはできない。支配下契約保留中の選手も含まれる)への昇格は7月末まで認められ、登録以降は1軍公式戦の出場も可能となる。ただし2008年シーズンより、育成契約初年度26歳以上の外国人選手については、昇格は3月末までしか認められない。
    • 2008年シーズンよりシーズン中の支配下選手から育成選手への契約の切り替えはシーズン中にはできない。ただし、シーズン終了後に、一旦戦力外通告を受けた支配下選手が旧所属球団と育成選手として再契約することは認められる。
  • 当初は3年間同一チームと育成選手として契約した選手が、その球団から翌年度に支配下選手として契約を締結されない場合は(10月31日までに本人に通告・開示)その年の11月31日に自動的に自由契約選手となるという条件があったが、2008年11月の日本プロ野球組織 (NPB) と労組・日本プロ野球選手会の事務折衝により支配下選手として契約を締結されない開示を受けた年の11月1日から4年目以降(1シーズンごと)の支配下選手・育成選手として全球団との契約が可能となった。ただしドラフトでの再指名はできない。
  • 支配下選手が育成選手として契約した次年度支配下選手として契約されない場合は自由契約とする。
  • 球団は、育成登録をしている選手を、7月31日まで他球団に移籍(移籍金10万円、支配下で移籍金30万円を他球団負担)し支配下選手・育成選手させることができる。残余期間はそのシーズンを引き継ぐ
  • 育成選手は、年金規定の対象者には該当しない。

[編集] 事例

育成選手の人数制限については「当面定めないものとする」となっている。そのため一部球団が多数の育成選手を囲い込むことが可能(コミッショナーの承認が必要)であり、ますます戦力の二極化が進むのではという意見もある。 これら育成選手の増加の傾向から、「3軍」を導入する傾向にある。公式に3軍と称しているのは広島[3]ソフトバンクの2チーム。この他に巨人阪神東北楽天も公式には「3軍」ではないものの、「第2の2軍」という位置づけの「育成・リハビリーチーム」を結成。「3軍」では社会人野球独立リーグ、更には3月と8月に限り解禁された大学野球との練習試合を多数こなすようになりつつある。

[編集] 現在の育成選手

(球団設立順。太字は支配下登録経験者)

なし

[編集] 研修生

  • 研修生としての契約はドラフト会議による指名を受けていない選手(プロ野球選手として野球の技術、能力およびマナー等の育成指導を受けること)に対して行うもので、選手保有、人数、選考資格、採用などは各球団の任意とされる。
  • 研修生はドラフト会議前に契約を結ぶことが出来る(承認の前に実行委員会の承諾を得る)が、支配下選手契約または育成選手契約をする場合は正規のドラフトにかける必要がある。基本的にどの球団であっても他球団の保有する研修生を指名することが可能であるが、卒業生は初年度の4月1日からの12月31日まで、中退、その他の者は毎年1月1日から12月31日までの間とする。期間は3年間。3年を過ぎて契約を更新しても構わない。すなわち3年後にはドラフト会議の対象者となるのである。報酬および研修支援費は契約で定めるものとする。日本野球機構の年金規定対象者には該当しない。
  • 入団に当たっては入団テスト(1週間以内の合否を必要とする)をすることができる。ただし現役の大学生、高専生、高校生は学生野球憲章に抵触するため、テストを受けられない。すなわち学生として在学中は受けられないのである。原則として球団の雇用する職員と順ずる考えである。ただし球団よりコミッショナーに届け出て野球研修生名簿に記載された者でなければ研修生とはみなされない。
  • 研修契約後3年以内(ただし7月1日以降に入団した場合は当該年度において期間にはカウントされない)の選手に関しては所属球団(自球団・保有球団)に優先指名権を認める特例(※)がある。解除する場合は自球団(地位の得喪変更をするときは研修生名簿に記載する)の場合は自由契約と研修生として再契約。また他球団との交渉(トレード)も同様である。

(※)(特例内容)

  • 自球団が研修生を支配下選手や育成選手で指名しようとする場合はドラフト会議予定日一定の期日前までに通知する。
  • 他球団が研修生として自球団(保有球団)に対して指名するためには自球団に一次或いは二次のいずれのドラフトで指名するかを事前に通知する。通知を受けた自球団(保有球団)は選択指名の有無を他球団(指名予定球団)に対して通知する。その場合に一次ドラフト、二次ドラフトでは自球団(保有球団)が指名の優先権を持つ。他球団(指名予定球団)が一次ドラフトで指名した場合は自球団(保有球団)が二次ドラフトで指名することはできない。
  • 自球団(保有球団)の選手が3年経過した場合はその直後の選択会議において該当する研修生を事前に公表した上で一次、二次ともに最大2名、合計3名までを指名順位に関わらず優先的に指名することができる。
  • 他球団(指名予定球団)の研修生が3年経過したが自球団(保有球団)の選手で公表されなかった場合には、他球団(指名予定球団)は自球団(保有球団)の選手以外を自球団(保有球団)の優先権を適用されずに指名することができる。
  • 選択会議の翌年3月末現在で満25歳以上の研修生については在籍年数に関わらず、毎年選択対象者としていずれの球団も指名可能である。自球団(保有球団)の優先権は適用されない。

[編集] 現在の研修生選手

  • 研修生選手として入団した選手は2011年現在1人もいない。育成選手契約が主流となっていることから事実上形骸化(有名無実化)の状態になっている。

[編集] 成果

2005年にスタートした育成選手制度であるが、早くも2006年5月23日に福岡ソフトバンクホークス小斉祐輔西山道隆が支配下選手登録を受け、同月28日には西山が一軍初登板を、6月3日には小斉も一軍初出場を果たした。その後、西山は一軍未勝利のまま2009年限りで戦力外となったが、小斉は2007年8月23日に育成出身選手としての初安打を、2008年5月6日には初本塁打を記録し、一軍での実績も徐々に積んで来ている。

育成出身選手として初めて一軍の主力クラスに成長したのは、巨人山口鉄也である。山口は2007年5月9日に育成出身選手としての初勝利を挙げると、2008年にはセットアッパーに定着して11勝を挙げ、育成出身選手として初めての新人王に輝いた。2009年にはWBC日本代表にも選出され、世界一に貢献。シーズンでも最優秀中継ぎ投手を受賞し、育成出身者初のタイトルホルダー、そして初の年俸1億円プレーヤーとなった。

巨人は山口以外にも育成出身選手の活躍が多く、ウィルフィン・オビスポは2009年7月2日に育成出身選手として先発での初勝利を挙げるなど、外国人枠の関係で出番は限られたがシーズン6勝を記録。ポストシーズンではこの年のクライマックスシリーズの2ndステージ第2戦、日本シリーズ第3戦に先発してそれぞれ勝利投手となり、育成出身選手のポストシーズン初勝利、日本シリーズ初勝利を記録した。また巨人での育成選手から支配下選手への昇格第1号となった松本哲也は、2009年に2番・中堅手のポジションを獲得し、シーズン通して3割前後の打率を維持した。そして育成枠出身選手初のゴールデングラブ賞、育成枠出身野手初の新人王を獲得。2年続けて育成枠出身選手が新人王を受賞。2009年の新語・流行語大賞に『育成選手』がノミネートされた[4]

巨人以外のチームも育成出身選手の活躍は出始めており、東北楽天ゴールデンイーグルス中村真人内村賢介は2008年のシーズン後半に1・2番コンビを組み、中村に関しては「悪球打ち」でも話題になった。2007年広島東洋カープに在籍したエスマイリン・カリダは、2009年にシカゴ・カブスで育成制度出身者としては初となるメジャーリーグ昇格を果たした。

このような状況を受け、各球団の育成選手数、支配下選手への昇格例も増加傾向にある。2010年秋のドラフトにおいては、総指名者97名のうちほぼ3割に当たる29名が育成選手として指名を受けるなど、この傾向はさらに顕著になっている。育成選手制度には独立リーグとの軋轢などの問題(詳細は後述)も指摘されるが、不況によって活動停止に追い込まれる社会人野球チームが増える中、若手選手の有効な発掘・育成の場として一定の成果を挙げつつあるといえる。

なお、育成選手としてプロ入りした選手で規定打席に到達した選手は、2011年のロッテの岡田幸文とオリックスのアーロム・バルディリスが初であり、規定投球回を投げた投手はまだ現れていない(単なる「育成選手契約経験者」を含めると、2007年に中日と育成選手契約した中村紀洋が同年規定打席に到達している)。

一方、北海道日本ハムファイターズはこれまで育成選手を1人も獲得していない。日本ハムは「実戦体験に勝る練習は無い」という方針により選手の出場機会を少しでも多く確保するためである。埼玉西武ライオンズは「全選手が育成すべき選手である」という方針により育成選手を獲得していなかったが2011年の育成ドラフトで初めて藤澤亨明捕手を指名[5]、同じく捕手の中田祥多を支配下選手から育成登録した。また、オリックス・バファローズは育成選手制度ができる前に「契約金ゼロ」の選手を獲得したことがあるが(現楽天の中島俊哉選手が現在唯一の「契約金ゼロ」で入団した現役選手である)殆どの選手が1軍に定着できなかったことから、育成選手の獲得には他の9球団よりも消極的である。

[編集] 育成選手枠を巡る出来事

[編集] 金本明博選手の契約変更

2007年4月26日中日ドラゴンズは入団2年目の金本明博を投手から野手へと転向させる。それに伴いこの年中の一軍昇格はないと判断し、さらに加えて上限の70名まで埋まっている支配下登録選手枠に空きを作りたいという思惑から、金本をウェーバー公示にかけて他球団から獲得の意思がなかった場合に育成選手として再契約することを決めた。この手法に対して選手会は「戦力補強の抜け道になりかねない。本来の制度趣旨と違う」と中日球団に抗議。これに対して中日の落合博満監督は「本人と充分に話し合って同意を得た上で、決められたルールに従ってやったことだ。本来なら金本は、8月には整理リストに入っていても(解雇の候補に挙がっても)おかしくない選手。育成選手枠の存在があるからこそ、金本は今も中日のユニフォームを着ていられるんだ」と真っ向から反論した。

5月1日セントラル・リーグ豊蔵一会長は金本のウェーバー公示の取り消しを中日球団に通告。「育成選手枠の本来の趣旨と違う」「総合的に判断して決めた。ウェーバー公示の一方的な取り消しは規約違反だと分かってはいるが、承知の上」と弁明。だが落合監督は「正規のルールに従ってやっていることなのに、なぜそういうことになるのか」と重ねて反論。

5月7日、中日球団はウェーバー公示を再申請したものの、セ・リーグはこの申請を却下。中日球団はこの決定を不服とし、「申請の不受理は野球協約違反」を理由にコミッショナーに提訴する方針を発表した。

5月11日、西川球団社長は「ズルズルいくと球団にも金本にも益がない。他球団ともぎくしゃくした関係が生じかねない」として、コミッショナーへの提訴を断念した。これに対し、豊蔵会長は「中日球団が球界全体の利害を考慮し、現実的で穏当な判断をされたものと思う。連盟の不手際などで金本選手は不安な思いだっただろうが、今後は野球に専念し、グラウンドでいい結果を残してくれるよう活躍を期待する」との談話を発表した。ただし中日球団は「あくまでもルール通りにやったことでこちらに一切不備はない」と強調。連盟に対して育成選手枠に関してのルールの見直しを強く要求している。

10月29日、球団は金本への戦力外通告とともに、育成選手での再契約を提示するが、金本はこれを拒否し引退を選択した。

日本プロ野球選手会の東京ヤクルトスワローズ宮本慎也会長(当時)は一連の騒動において、「球界のためにもいい制度であってほしい。金本君と一度会って、今後のことも含めて話をしたい」と語っていたが、実際に会談が行われたかは不明。

この一連の事例は育成制度導入前に問題点と指摘されていたが、ルール上問題なしとされていた。 (ただし選手会との合意が取れていたかは不明)

[編集] 独立リーグへの派遣構想

2007年10月1日のプロ野球運営実行委員会で、千葉ロッテマリーンズ瀬戸山隆三球団社長は、5〜8人程度の育成選手を獲得した上で、独立リーグである四国アイランドリーグ徳島インディゴソックスに派遣する構想を表明した。当日の委員会では結論が出ず、継続審議の扱いになった。一部球団からは「イースタン・リーグの混成チームであるフューチャーズの活用が先ではないか」といった意見が出された。その後、社会人野球側から「育成選手制度の本来の趣旨と異なる」という指摘がなされ、NPB内部の他に社会人野球側とも調整が必要な状況となった。

11月6日のプロ野球運営実行委員会でも合意には至らず、引き続き継続審議となったが、次回の委員会の前にドラフト会議を迎えるため、来季の派遣については困難という報道がなされた。この点について、瀬戸山社長はドラフトで6人程度を指名した上で引き続き他球団や社会人野球に理解を求めていくと表明した。

ロッテはこの構想に沿って、11月11日にトライアウトを実施。その結果をもとに、11月19日に開かれたドラフト会議でアイランドリーグ出身者3人を含む5人を育成枠で指名した。入団後は当面イースタン・リーグやフューチャーズで育成しながら、派遣が承認されるのを待つ予定とされた。

その後、この構想については具体的な進展がないまま現在に至っている。2007年に指名された育成選手のうち、支配下登録されていなかった4人は2009年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

[編集] 社会人選手に対する育成指名拒否

2011年のドラフト会議で、福岡ソフトバンクが広島の社会人チーム「伯和ビクトリーズ」の星野雄大捕手を育成ドラフトの指名リストに入れていたが、「企業所属の選手は技術向上と社会教育という育成制度の理念から外れるので、指名するならば支配下選手として指名すべき」という日本野球連盟からの申し入れにより指名断念に追い込まれた。

なお、出自によるドラフトでの指名に明確な規定や制限はないが、過去には2006年に巨人がJR東日本の鈴木誠を育成1位で獲得した例もある[6]

[編集] 脚注

  1. ^ プロ野球亭日乗:人材発掘か、ベテランの再生か――。育成選手制度を巡る“同床異夢”。 - 2011年11月2日 Number Web
  2. ^ 現に、中日ドラゴンズはこれを理由に育成選手の背番号を200番台にしている。
  3. ^ 但し、現在の広島「3軍」はリハビリーテーションチーム(故障者の治療チーム)という位置づけであり、他球団が若手育成を目的に実践機会提供(プロ・アマ交流戦など)の場として活動する「3軍」の機能とは異なる
  4. ^ 2009年ユーキャン新語・流行語大賞の候補語
  5. ^ 2011年 新人選手選択会議 (埼玉西武ライオンズ)日本野球機構オフィシャルサイト
  6. ^ 日本野球連盟難色 ソフトバンク“育成枠指名”断念へ - 2011年10月25日 Sponichi Annex

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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