白山比め神社
| 本来の表記は「白山比咩神社」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
| 白山比咩神社 | |
|---|---|
| 所在地 | 石川県白山市三宮町ニ105-1 |
| 位置 | 北緯36度26分5.50秒 東経136度38分10.10秒 |
| 主祭神 | 白山比咩大神 伊邪那岐尊 伊弉冉尊 |
| 社格等 | 式内小社・加賀国一宮・旧国幣中社・別表神社 |
| 創建 | 伝崇神天皇朝 |
| 本殿の様式 | 三間社流造銅板葺 |
| 別名 | 白山さん・白山権現 |
| 例祭 | 5月6日 |
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町に鎮座する神社である。式内社、加賀国一宮で神社本庁の定める別表神社。全国各地に2,000社以上鎮座する白山神社の総本社とされる。旧社格は国幣中社。一般には白山(しらやま)さん、白山権現などともいわれる。
神紋は、三子持亀甲瓜花。
目次 |
[編集] 祭神
白山比咩大神は菊理媛神と同一神とされる。
[編集] 歴史
創建は崇神天皇の時代とされる。元来は現在の古宮公園(安久濤ヶ淵に面する)の場所に鎮座したが、文明12年(1480年)の火事の為に末社である三宮の鎮座地(現社地)に遷座した。また、白山山頂の御前峰に奥宮も鎮座する。
平安時代中期(9世紀頃)になると、自然崇拝の山から修験者の山岳修行や、神仏習合思潮に彩られた修験の霊場へと変質を遂げるようになり、加賀、越前、美濃3国それぞれから山頂に至る登山道(禅定道)が開かれ、それぞれの道筋に宗教施設(社堂)が次第に調えられていった。
文献史料上での確実な初出は、仁寿3年(853年)10月に従三位に加叙せられたという記事であるが[1]、承和7年(840年)に成立したと思われる[2]『延喜式神名帳』では、加賀国石川郡10座中の筆頭に載せられている。
平安時代末期(11世紀末)、加賀国禅定道筋の白山系社堂(白山加賀馬場)の中心的存在であった当神社は、加賀国一宮とされ、一国の神社を代表とする立場から勧農を目的とした国衙祭祀を担う。
久安3年(1147年)4月には、越前禅定道筋の社堂(白山越前馬場)の中心である平泉寺が延暦寺末寺化の動きを示すと、当神社も同月に延暦寺山門別院となり、比叡山の地主神日吉七社をならい、本宮・金剱宮・三宮・岩本宮・中宮・佐羅宮・別宮という白山七社を形成した。加賀馬場において、白山本宮長吏は、白山七社惣長吏を兼帯し、他の6社の長吏と馬場全体を統括した。惣長吏は僧名に「澄」の通字を用いて真弟(実子)相続の結縁的な世襲制であった。
白山本宮(白山比咩神社の当時の呼び名)は、平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えたが、室町時代中期以降は、白山本宮が鎮座する味智郷(みちごう)でも、富樫氏など武士の勢力が強くなり、白山七社の結び付きが弱まった。白山本宮は、洪水や火災に度々遭い、再建を重ね、文明12年(1480年)の大火で全ての社寺が焼失し現在の地に遷座した。これに先立つ文明3年、本願寺8世蓮如上人は、吉崎に道場を開き、北陸に浄土真宗を広めた。弥陀の本願を信じ、あの世の往生を願えという教えは、この世の幸せをいい、白山信仰に取って代わっていった。武士、農民からなる門徒集団は、長享2年(1488年)、加賀の守護富樫政親を金沢の高尾城に攻め滅ぼし、織田信長配下の武将柴田勝家が金沢御坊を攻め落とすまで、およそ100年間、加賀は「百姓のもちたる国」といわれ、中心が金沢へ移った。こうした一向一揆による加賀国支配に依って、白山の世俗的権力は衰微し、社頭も荒廃した。
白山本宮の社頭は、近世加賀藩主前田家の保護を得て復興される。しかし、白山嶺上の管理を巡っては、江戸時代において越前馬場の平泉寺、美濃馬場の白山本地中宮長滝寺(現 長滝白山神社)との論争が起きた。
明治の神仏分離により、寺号を廃して『延喜式神名帳』に記載された社名である白山比咩神社に改称した。それまで、加賀・越前・美濃の馬場のそれぞれが白山信仰の中心地となっており、勧請元ということでは、むしろ美濃が最も多く、加賀は2番目であった。しかし、3社のうちで『延喜式神名帳』に記載されているのは加賀の当神社のみであるということから、ここが全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃はその下に位置する地方の白山神社のうちの一つということにされた。越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社というように由諸を書き換えた。第二次世界大戦後は、越前平泉寺・美濃長滝の両白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」を名乗っている。
平成18年(2006年)10月白山の伏流水を活用した「禊場(みそぎじょう)」を設置。
[編集] 社殿
本殿は大規模な三間社流造で正面に庇の間と向拝を付ける。屋根銅板葺。明和5年から7年(1768年 - 70年)にかけて造替されたものと推定され、平成19年(2007年)に県の有形文化財の指定を受けた。
[編集] 文化財
(件名後の括弧内は指定の種別と年月日)
- 国指定
- 剣(銘吉光(国宝(工芸品)、昭和27年3月29日)
- 絹本着色白山三社神像(重要文化財(絵画)、平成15年5月29日)
- 木造狛犬1対(重要文化財(彫刻)、昭和25年8月29日)
- 木造獅子狛犬(同上、平成元年6月12日)
- 太刀(銘長光)(重要文化財(工芸品)、昭和25年8月29日)
- 黒漆螺鈿鞍(同上)
- 沈金彫手箱(同上)
- 白山縁起(重要文化財(書籍・典籍)、昭和25年8月29日)
- 三宮古記(同上)
- 神皇正統記(同上)
- 白山宮荘厳講中記録(同上)
- 石川県指定
- 本殿(有形文化財(建造物)、平成19年12月25日)
- 刀剣11口(有形文化財(工芸品)、昭和35年5月27日)
- 太刀(銘行光) 附後藤才次郎吉定総銀金具太刀拵及び前田利常奉納由来記載黒漆箱(同上、昭和53年3月7日)
- 太刀(銘加賀国金沢住兼巻作)(同上)
- 白山比咩神社文書766点(有形文化財(古文書)、昭和57年1月12日)
- 白山市指定
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 白山本宮神社史編纂委員会編『図説白山信仰』白山比咩神社、平成15年