桃山駅

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桃山駅
駅舎
駅舎
ももやま - Momoyama
JR藤森 (2.2km)
(2.4km) 六地蔵
所在地 京都市伏見区桃山町鍋島34
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 奈良線[* 1]
キロ程 7.2km(京都[* 2]起点)
電報略号 モモ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度-
1,985人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1895年明治28年)11月3日
備考 業務委託駅
POS端末設置
京 京都市内
  1. ^ 1921年まで、当駅から京都寄りは伏見駅経由のルートであった。現ルート切り替え後も、当駅 - 伏見駅間のみ1928年まで貨物支線として存続。
  2. ^ 正式な起点は木津駅

桃山駅(ももやまえき)は、京都府京都市伏見区桃山町鍋島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線である。伏見城の南西部に位置する。

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ交換設備を備えた地上駅である。駅構内が大きくカーブしているため、快速列車などが通過する際は、かなりの減速(35km/h制限)を強いられる。

宇治駅が管理し、ジェイアール西日本交通サービスが駅業務を受託している業務委託駅である。ICカード乗車券ICOCA」が利用することができる(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。

駅員の配置時間は7時30分 - 19時50分となっており、POS端末による窓口発券を行っている。JRの特定都区市内制度における「京都市内」の駅。

桃山駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 奈良線 上り 京都方面 停車列車のみ
2 □奈良線 上り (通常は通過列車のみ)
3 奈良線 下り 宇治奈良方面 通過列車含む

駅本屋側単式ホームが1番のりば、跨線橋を渡って反対側の島式ホームが2・3番のりば。上り本線は2番のりば、下り本線は3番のりばであり、1番のりばは上下線共用の副本線であるが、当駅に停車する京都方面の定期列車は、乗客が跨線橋を渡らずに済むように全て1番のりばに停車する。そのため、2番のりばは通常は京都方面への快速列車が通過するだけのホームとなっているが、団体臨時列車が運転される際には京都方面の定期列車が2番のりばに変更されることが多い(団体臨時列車は1番のりばに停車)。

また、1番のりばを使用しての折返しおよび後続列車待避が可能な信号配置になっており、かつては正月ダイヤ実施時に京都駅-桃山駅の区間運転列車も存在した。近年では、2012年11月の23-25日に103系の4両編成による桃山発の京都行きの臨時列車が設定されていた。103系の4両編成の列車が1番のりばに停車する位置は、通常ホームに記された○1-4の位置に停車するが、桃山駅始発の列車は○3-6の位置に停車している。また、これと同様の臨時列車の運転は2009年・2010年にも行われた。

貨物営業を行っていた当時は大手筋の踏切を挟んだ北側に貨物用のホームがあり、それに沿う形で貨物駅舎と積み下ろしのためのスペースがあった。伏見産の日本酒の輸送も行われていた。貨物駅舎と積み下ろしスペースのあった場所には現在はマンションが建っている。

なお、1番のりばの中ほどに「自動信号化1万Km達成記念標識」がある。

利用状況[編集]

京都府統計書によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。

年度 一日平均
乗車人員
1999年 1,375
2000年 1,460
2001年 1,586
2002年 1,622
2003年 1,677
2004年 1,734
2005年 1,759
2006年 1,732
2007年 1,730
2008年 1,699
2009年 1,781
2010年 1,784
2011年 1,891
2012年 1,985

駅周辺[編集]

少し離れてはいるが、西に近鉄京都線桃山御陵前駅京阪本線伏見桃山駅、南には京阪宇治線観月橋駅がある。いずれも徒歩10分前後で乗り換えが可能である。

歴史[編集]

奈良鉄道の手で開業した当初、当駅から京都駅までは伏見駅経由のルートであったが、1921年の東海道本線の馬場駅(現・膳所駅) - 京都駅間のルート変更に合わせ、同線旧ルートの稲荷駅 - 京都駅間を編入した現在のルートに切り替えられた。なお、旧線の当駅 - 伏見駅間はしばらく貨物線として存続していた。

もともと伏見 - 木幡間に駅を設ける予定はなかったが、当時、近くに西本願寺の三夜荘という別荘があり、ここからの風景を愛した大谷光尊法主の強い要望と主張により、「桃山」という名称の駅を作ることになった。駅の設置に関して奈良鉄道から寄付が求められたため、伏見町、堀内村、大谷光尊法主がそれぞれ500円ずつ寄付した。「寄付でできた駅であるので、駅名は地元で決めて欲しい」ということになり、地元は地元の村名をとって「堀内」を希望したが、大谷光尊法主が強く「桃山」を主張したので桃山駅となった[1][2]

1912年(明治45年)7月30日明治天皇が崩御。伏見桃山が陵墓地に選定され、桃山駅は国鉄奈良線のなかの一駅ではなくなり、大葬列車を迎えるため、急いで拡張と整備の工事がなされた。現在、踏切を挟んだ駅の北側のマンション群は、柩が下車した仮停車場と駅前広場の跡地である。マンションの工事が開始される前は、この時のプラットホームの一部が残っていた。

現在の桃山駅のホームは3番線までだが、かつては5番線まであり、現在の3番線ホーム北側にある保線作業車用の留置線はその名残である。また、駅南側にある老人ホームが建設される前までは、その場所に広い敷地とかつてのホームと線路の遺構が残されていた。

また、駅から御陵参拝口まで敷地は広がり、現在のホームから2本の跨線橋があり、その向こうの高台に多くの改札口が並んでいた。この改札は「御陵口」と呼ばれ、1928年(昭和3年)から1951年(昭和26年)まで使用され、敷地の大部分は住宅地になるか森に還っている。現在の改札口は貨物用として使われた。

御陵口改札の前は玉砂利を敷き詰めた広場で、その向こう側に明治天皇や乃木将軍に関するものを扱う土産物屋が並び、日の丸も林立していた。昭和になり、日本の軍国化の動きと連動し「明治天皇桃山御陵参拝」が日本中で行われるようになり、国鉄桃山駅は整備拡大を続け、貴賓室が設けられ、桃山駅長は「指定職」という京都駅なみの地位に格上げされた。1932年(昭和7年)の1月の桃山御陵参拝人数は約15万人、この年10万を超えた月は6ヶ月もあり、桃山駅の1日乗降客が8万人といわれた日もあった。

第二次世界大戦後は、駅は活気を失い参道の商店街も消えて御陵の森と呼ばれる現在の姿になった。御陵の森の中には当時の建物跡を見つけることができる[3]

その他[編集]

同じく大手筋沿いにあり、互いに至近距離にある近鉄桃山御陵前駅と比べた場合、列車本数や利用者数の点はもちろん、エスカレーターがないことや係員が不在の時間があることで大きく劣るが、京都駅へ向かう場合の所要時間(近鉄の急行乗車と比べても)には大差がなく、近鉄桃山御陵前から京都までの運賃が250円なのに対し、JR桃山からは190円であり、一定の優位性はある。ちなみに、近鉄丹波橋から京都までの運賃は200円である。

年表[編集]

1928年(昭和3年)頃

隣の駅[編集]

西日本旅客鉄道(JR西日本)
奈良線
みやこ路快速・快速・区間快速
通過
普通
JR藤森駅 - 桃山駅 - 六地蔵駅

かつて存在した路線[編集]

鉄道省(国有鉄道)
奈良線(旧線)
伏見駅 - 桃山駅 (- 木幡駅
※旧線時代、六地蔵駅は未開業。

脚注[編集]

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  1. ^ 『老人が子等に語る伏見風土記 / 伏見区老人クラブ連合会:著 山本真嗣:監修』より
  2. ^ なお、「堀内」の駅名は後に現在の近鉄丹波橋駅が、1928年(昭和3年)奈良電気鉄道京都 - 桃山御陵前間開通時から1945年(昭和20年)まで使用した。
  3. ^ 『語りつぐ京都の戦争シリーズ2・京都の「戦争遺跡」をめぐる/平和のための京都の戦争展実行委員会:編/池田一郎.鈴木哲也:著/つむぎ出版』より
  4. ^ 当時、関西鉄道には大阪府内にすでに「桃山駅」があったが、3週間後の3月1日に桃谷駅に改称した。
  5. ^ 明治天皇御大喪儀明細録』(帝国図書普及会、1913年)12-16頁(国立国会図書館近代デジタルライブラリーで閲覧可)に明治天皇大喪列車到着時の桃山駅の様子が記録されている。
  6. ^ 大林組が手がけた。株式会社大林組 おおばや史
  7. ^ a b c 「天王寺鉄道管理局三十年写真史」年表、P274「駅の変せん」
  8. ^ 放出駅、山田駅(現・伊勢市駅)も昭和天皇即位大礼お召し列車運転のための拡張工事が同日に竣工した。
  9. ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]