上野芝駅
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| 上野芝駅 | |
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駅舎
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| うえのしば - Uenoshiba | |
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◄百舌鳥 (1.3km)
(1.3km) 津久野►
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| 所在地 | 堺市西区上野芝町三丁1-1 |
| 所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
| 所属路線 | ■阪和線 |
| キロ程 | 12.4km(天王寺起点) |
| 電報略号 | ウエ |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 2面2線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
8,395人/日(降車客含まず) -2004年- |
| 開業年月日 | 1929年(昭和4年)7月18日 |
| 備考 | みどりの窓口 有 |
上野芝駅(うえのしばえき)は、大阪府堺市西区上野芝町三丁にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅。
百舌鳥古墳群の南端のエリアに属し、百済川を隔てた両岸の二つの丘に古墳エリアがある。そのエリアは阪和電鉄(現:JR阪和線)開通後は住宅地として開発されてきた。駅の西側のエリアは霞ヶ丘、百済川の南側のエリアは向ヶ丘と呼ばれる高級住宅地となっている。
目次 |
[編集] 駅構造
相対式2面2線のホームに加え、両線の間に、上り下り双方向の通過線があり、待避可能な構造になっている。
かつては待避線のない相対式2面2線のホームであった。さらに以前は下り線のみ待避線がある構造だった。また駅舎が橋上化される前には天王寺寄りに渡り線が設けられていたり、駅構造の移り変わりは小規模ながら意外と激しい。
橋上駅舎だがエレベーターやエスカレーターはなく、只今エレベーターの設置工事中。車椅子利用者のために直接ホームへ行き来できるスロープは設置されており、インターホンで呼び出せば駅員が対応する。改札口は1ヶ所のみ。
ICOCA・Jスルーカードが利用可能な直営駅(相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照)。
| 1 | ■阪和線(下り) | 鳳・日根野・和歌山方面 |
|---|---|---|
| 2 | ■阪和線(上り) | 堺市・天王寺方面 |
- のりば番号上では通過線はカウントより外されている。
- 駅掲示時刻表の路線名は上下線とも「阪和線・関西空港線」となっているが、当駅から直接関西空港行きに乗車することはできない。
[編集] 特徴
橋上駅化以来、簡易型自動放送が使用されてきたが、現在は南田辺駅、長居駅、我孫子町駅と同じタイプの自動放送に更新されている。但し、上記の駅と違い、下りはどの行先であっても「鳳方面行き」と放送される。またこの駅独特の列車接近表示装置のイラストも併せて更新されている。
券売機・みどりの窓口は橋上駅化以来自由通路の北側にあったが、駅業務の見直しにより改札口脇の南側に移設されている。
[編集] 利用状況
上野芝駅の乗車人員は1日平均8,395人(2004年度)であり、阪和線・関西空港線の駅の中では第11位の利用者数である。
みどりの窓口・みどりの券売機(定期券発行機能付)設置駅だが、前者は一部時間帯営業休止となる。
[編集] 駅周辺
- 履中天皇陵(上石津ミサンザイ古墳)
- いたすけ古墳
- 文珠塚古墳
- 乳の岡古墳
- 西友上野芝店(楽市)
- 上野芝グリーンボウル
- 堺市立北こどもリハビリテーションセンター
- 馬場記念病院
- 賢明学院小学校・中学校・高等学校
- 泉北1号線
[編集] バス
[編集] 歴史
- 1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道の駅として開業。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和電気鉄道が南海鉄道と合併、南海山手線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)5月1日 - 南海山手線が国有化され国鉄阪和線の駅となる。
- 年月日不明 - 島式・相対式2面3線のホームを持つ地上駅となる。これによって下り東和歌山方面行きが待避可能となる。
- 1967年(昭和42年)頃 - 普通列車6両編成化によって下りホーム長を延長し下りの待避線が廃止され、2面2線ホームの地上駅に変更される。
- 1980年(昭和55年)10月1日 - 新幹線型の待避構造をもつ2面4線の橋上駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となる。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカードICOCA供用開始。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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