ラングレー (CVL-27)

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USS Langley (CVL-27)
艦歴
起工 1942年4月11日
進水 1943年5月22日
就役 1943年8月31日
退役 1947年2月11日
その後 フランス海軍に移管、ラ・ファイエットとして就役
性能諸元
排水量 11,000トン
全長 189,74 m
艦幅 21.793 m
全幅 33.274 m
吃水 7.9248 m
最大速 31ノット
乗員 士官、兵員1,569名
兵装 26 x 40ミリ機関砲
搭載機 45

ラングレー (USS Langley, CVL-27) は、アメリカ海軍航空母艦インディペンデンス級航空母艦6番艦として建造された。艦名はサミュエル・ラングレーに因む。アメリカ海軍最初の航空母艦で、1942年2月27日撃沈されたラングレー (USS Langley, CV-1/AV-3) の名を受け継いだ。

艦歴[編集]

ラングレーはニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所で建造された。当初は軽巡洋艦「ファーゴ」(USS Fargo, CL-85) として発注されたが、1942年4月の起工時までに船体と機関を流用した航空母艦へと変更された。1943年8月に就役し、同年末に太平洋戦線に配備される。

1944年 - 1945年[編集]

コブラ台風に翻弄されるラングレー。1944年12月18日

ラングレーは初陣として、1944年1月から2月にかけてのマーシャル諸島攻略に参加。続く四ヶ月にわたってラングレーは第58任務部隊マーク・ミッチャー少将)の一翼を担う。ラングレーの艦載機太平洋中部とニューギニア西部の日本軍基地への攻撃を行う。1944年6月19日と20日のマリアナ沖海戦には、第58.4任務群(W・K・ハリル少将)の一艦として参加している[1]

ラングレーは8月から9月のパラオ攻略支援とフィリピン攻撃、10月からの台湾沖縄攻撃に参加。10月23日から25日にかけてのレイテ沖海戦には第38.3任務群(フレデリック・C・シャーマン少将)に属して参加した[2]。11月から12月にかけても、引き続きフィリピン攻撃の支援を行った。12月18日に遭遇したコブラ台風により、ラングレーの船体は左右に35度傾くなどしたものの、幸い被害はなかった[3]。1945年1月から2月にかけては、第3艦隊ウィリアム・ハルゼー大将)および第5艦隊レイモンド・スプルーアンス大将)の一部として1月に南シナ海、2月以降は日本本土および硫黄島への攻撃を行う。6月から7月にかけて本国でオーバーホールを行い、8月の終戦時には太平洋上にあった。

戦後[編集]

戦後は復員兵帰還のマジック・カーペット作戦に従事し、太平洋から帰還後1945年11月から1946年1月まで大西洋で同様の任務を行う。その後フィラデルフィアで不活性化が行われ、1947年2月に予備役となる。1951年初めにモスボール化が解かれ、相互防衛援助計画の下のフランスに移管される。

フランス海軍ではラ・ファイエット (La Fayette, R96) として就役し、クレマンソー (Clemenceau, R 98) 就役後の1963年にアメリカに返還され、翌年スクラップとして売却された。

脚注[編集]

  1. ^ BATTLE OF THE PHILIPPINE SEA - The US Fifth Fleet
  2. ^ ポッター, 463ページ
  3. ^ カルフォーン, 80ページ

参考文献[編集]

  • C・レイモンド・カルフォーン/妹尾作太男・大西道永(訳)『神風、米艦隊撃滅』朝日ソノラマ、1985年、ISBN 4-257-17055-7
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]