第三航空戦隊

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第三航空戦隊(だいさんこうくうせんたい)とは、日本海軍機動部隊の一翼を担った部隊である。太平洋戦争の開戦時に第一艦隊に所属、戦争後半には第三艦隊に所属した。

概要[編集]

1936年昭和11年)に、水上機母艦神威、第28駆逐隊、司令官・戸苅隆始少将(当時)をもって、第三航空戦隊が創設された。

1941年(昭和16年)に第一艦隊に所属し、太平洋戦争開戦時は、空母鳳翔 、同・瑞鳳駆逐艦三日月、同・夕風の編成であった。

開戦前、航空機の戦力は侮れないものであり、主力艦隊にも最低限の航空能力は必要とされていた。 そのため、主力艦隊たる第一艦隊には、第一航空戦隊(空母・赤城と同・加賀)が所属していた。

しかし、開戦直前になると、海軍は航空戦力を更に重視し、「主力空母を集結させ空母機動艦隊を編制する」という方針の下、第一航空戦隊第二航空戦隊を結集して第一航空艦隊を新たに編制した。 そのため、攻撃空母としては多少弱い小型空母で編成される第三航空戦隊が、その代わりに第一艦隊に所属した。その際、淵田美津雄中佐が第三航空戦隊参謀を務めていたが、真珠湾攻撃のため、異例の人事(見た目は降格人事)で赤城飛行隊長に転出したと言う。

1943年(昭和18年)、水上機母艦・千歳と同・千代田軽空母に改装されて第三航空戦隊に新たに所属した。

1944年(昭和19年)6月に、大林末雄少将が率いて「あ号作戦」に参加、マリアナ沖海戦で千代田が被弾して損傷。

1944年10月のレイテ沖海戦に際しては、空母・瑞鶴、瑞鳳、千代田、千歳の空母四隻の編成で、小沢治三郎中将の第三艦隊に所属し、大林末雄少将が参謀長となったため、司令長官直率となり活躍する。 しかし、日本海軍の落日は目に覆いがたく、捷一号作戦の不成功により、空母・瑞鶴、瑞鳳、千代田、千歳が沈没、フィリピン沖で第三航空戦隊はすべての所属空母を失って解隊に至るのである。

編制[編集]

  • 1936年(昭和11年)6月1日 新編(連合艦隊直属)
  • 1936年(昭和11年)12月1日 解隊


  • 1937年(昭和12年)8月27日 再編(第三艦隊所属)
    • 神威
  • 1937年(昭和12年)12月1日 第三艦隊復帰時の編制(第三艦隊所属)
  • 1938年(昭和13年)2月1日 第五艦隊編入時の編制(第五艦隊所属)
    • 神威、香久丸、神川丸
  • 1938年(昭和13年)12月15日 解隊


  • 1941年(昭和16年)8月11日 太平洋戦争開戦時の編制(第一艦隊所属)
  • 1942年(昭和17年)4月1日 解隊


  • 1944年(昭和19年)11月15日 解隊

歴代司令官[編集]

  • 戸苅隆始 少将:1936年6月1日[1] - 1936年12月1日[2] 解隊
  • 寺田幸吉大佐/少将:1937年8月27日[3] - 1938年12月15日[4] 解隊
  • 角田覚治少将:1940年11月15日[5] - 1941年9月1日[6]
  • 桑原虎雄少将:1941年9月1日[6] - 1942年4月1日[7] 解隊
  • 大林末雄少将:1944年2月1日[8] - 1944年10月1日[9]。以後は専任の司令官を置かず、1944年11月15日の解隊まで第三艦隊司令長官直率。

脚注[編集]

  1. ^ 昭和11年6月2日付 官報第2823号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1936年06月02日」 で閲覧可能。
  2. ^ 昭和11年12月2日付 官報第2976号。国立国会図書館デジタルコレクション 「官報. 1936年12月02日」 で閲覧可能。
  3. ^ 昭和12年8月28日付 海軍辞令公報 号外 第39号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072072200 で閲覧可能。
  4. ^ 昭和13年12月15日付 海軍辞令公報 号外 (部内限) 第273号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072074700 で閲覧可能。
  5. ^ 昭和15年11月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 第555号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072079400 で閲覧可能。
  6. ^ a b 昭和16年9月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第701号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072081900 で閲覧可能。
  7. ^ 昭和17年4月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第837号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072085000 で閲覧可能。
  8. ^ 昭和19年2月1日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1310号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072095600 で閲覧可能。
  9. ^ 昭和19年10月6日付 秘海軍辞令公報 甲 第1612号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072101400 で閲覧可能。

関連項目[編集]