マレーヤ (戦艦)

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HMS Malaya.jpg
艦歴
発注 1913年
起工 1913年10月20日
進水 1915年3月18日
就役 1916年2月1日
退役 1944年
その後 スクラップとして廃棄
除籍 1948年4月12日
性能諸元
排水量 31,465t(基準)
32.980t(基準:1945年)
35,380t(満載)
37,710t(満載:1945年)
全長 645 ft 9 in (195.3 m)
全幅 90 ft 6 in (27.6 m)
吃水 29 ft 10 in (9.1 m)
機関 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼缶24基
パーソンズ式直結型タービン(低速・高速)2組4軸推進
75,000hp
最大速 25ノット
航続距離 4,400海里
乗員 1,124 - 1,300名
兵装 竣工時:
38.1cm42口径MkI連装砲 4基
15.2cm45口径MkII単装砲 12基
10.2cm45口径MkXVI連装高角砲 4基
2ポンド8連装ポンポン砲 2基
12.7㎜4連装機銃 4基
カタパルト 1基
水偵 3機

~1945年:
38.1cm42口径MkI連装砲 4基
10.2cm45口径MkXVI連装高角砲 6基
2ポンド8連装ポンポン砲 4基
20㎜単装機銃 45基
航空兵装なし
レーダー 竣工時:
無し

~1944年:
277sq型 1基
281b型 2基
284型 1基
285型 2基

マレーヤ(HMS Malaya)は、イギリス海軍戦艦クイーン・エリザベス級戦艦の5番艦。艦名はマレー連合州に因む。連合州の政府は本艦の建造費を負担した。

艦歴[編集]

マレーヤは1913年10月20日にアームストロング・ホイットワース社で起工し、1916年2月1日に就役した。第一次世界大戦ではヒュー・エヴァン=トーマス卿の率いる第5戦隊に加わる。1916年5月31日のユトランド沖海戦時には8回の攻撃を受けるものの、被害は小規模であった。

1922年にマレーヤはオスマン帝国最後の皇帝メフメト6世マルタへ運んだ。

マレーヤの主砲

第二次世界大戦では、マレーヤは1940年に地中海で活動し、イタリア艦隊に対抗して船団護衛任務に従事した。

1941年3月7日、マレーヤが護衛していた船団が通商破壊作戦(ベルリン作戦)中のドイツ巡洋戦艦シャルンホルストグナイゼナウに発見された。だが、マレーヤの存在のためドイツの巡洋戦艦は船団への攻撃を断念した。マレーヤの無言の勝利である[1]

マレーヤは1941年3月20日、23:23にU-106からの攻撃を受け破損した。U-106はカーボベルデ西北西250マイルの海域でSL-68船団に対して暗闇の中2発の魚雷を発射した。1発がマレーヤの左舷に命中し、もう一発はマーカーク(Meerkerk)に命中した。いくつかの船室が氾濫したものの、マレーヤは無事にトリニダードに到着した。応急修理の後マレーヤはニューヨーク海軍工廠へ向かい、ここで4ヶ月間ドック入りした。

7月9日、カスバート・コッピナー艦長の指揮下公試のためニューヨークを出航し、ノバスコシア州ハリファックスに向かう。同地で船団護衛任務に着任する。マレーヤの1941年7月21日の日誌では「イギリス向けの物資と乗客を乗艦させる。乗客はR・H・デューイング少将、W・E・H・グライレス少将、15から19名の軽騎兵およびアメリカ市民のチェリー氏を含む。」と記録されている。

アレックス・H・チェリーはアメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦する前にイギリス海軍へ志願したウォールストリートの銀行員であった。彼の著書『Yankee R.N.』は友人のジョン・パーカー中尉(1941年に戦死した初のアメリカ軍人)に捧げられた。マレーヤは1941年7月28日にロサイスに到着した。その後、マレーヤは1943年の夏までイギリスからマルタ及びケープタウンへの船団護衛任務に従事した。1944年の後半にマレーヤは予備役となる。1948年2月20日にメタル・インダストリーズ社に売却され、1948年4月12日にファスレーンに到着、スクラップとして廃棄された。マレーヤの船内時鐘はロンドンのイースト・インディア・クラブに展示されている。

脚注[編集]

  1. ^ 世界の艦船増刊第67集

外部リンク[編集]