フューリアス (空母)

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HMS Furious-1.jpg
大型軽巡洋艦期のフューリアス
艦歴
発注 アームストロング・ホイットワース
ウォールズエンド英語版工場
起工 1915年6月8日
進水 1916年8月15日
就役 1917年6月26日
退役 1944年9月15日
除籍 1948年1月
その後 1948年3月15日 売却・解体
1954年 解体終了
性能諸元(竣工時)
排水量 基準排水量: 22,450トン
満載排水量: 28,500トン
全長 786 ft (240 m)
750 ft (230 m) 水線長
全幅 88 ft (27 m)
吃水 25 ft (7.6 m)
機関 ヤーロウ式重油専焼小型水管缶18基
+ブラウン・カーチス式ギアードタービン4基4軸推進
最大速力 90,000 SHP
最大速力 32.5ノット
航続距離 6,000海里(20ノット時)
乗員 880~1,218名
兵装 Mark I 18インチ=45.7cm(40口径)単装砲2基(後に後部に1基のみ)
Mark I 14cm(50口径)単装速射砲11基11門
7.6cm(40口径)単装高角砲5基5門
53.3cm水中魚雷発射管単装2基2門
装甲 舷側:51~76mm(水線部)
25mm(水雷隔壁)
甲板:76mm(最厚部)
砲塔:279mm(前盾)
主砲バーベット部:103~178mm
司令塔:254mm(最厚部)
搭載機 固定脚機5~6機、水上機3機
写真は航空母艦時代のフューリアス。
性能諸元(第二次改装時)
発注 ヴィッカーズ=アームストロング
エルジック造船所
排水量 基準排水量: 22,000トン
満載排水量: 27,500トン
全長 786 ft (239.7 m)
750 ft (230 m) 水線長
全幅 88 ft (27.4 m)
吃水 25 ft (7.6 m)
飛行甲板長 175.6m×27.9m(上段)
61m×27.9m(下段)
機関 ヤーロウ式重油専焼小型水管缶18基
+パーソンズギアードタービンタービン4基4軸推進
最大出力 91,195 SHP
最大速力 31ノット (57 km/h)
航続距離 4,310海里(16ノット時)
燃料 重油:4,310トン
航空燃料:95トン
乗員 (1932年)
1,108名、うち航空要員360名
(1943年)
1,230名、うち航空要員370名
兵装 Mark XVI 4インチ=10.2cm(45口径)連装高角砲6基12門
ヴィッカーズ QF 2ポンド=4cm(39口径)ポンポン八連装砲6基48門
20mm連装機銃8基16門+同単装6基計22門
装甲 舷側:76mm
甲板:51mm
搭載機 22-40機

フューリアスHMS Furious, 47)は、イギリス海軍が建造した世界初の本格的航空母艦である。

元はバルト海作戦用に建造された「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー[1]」の一艦で、試行錯誤の末数度の改装を受け、艦容が幾度も変遷したことで知られる。

Furious”とは「怒り狂う」「猛烈な」の意。

概要[編集]

上述の通り、本艦は第一海軍卿ジョン・アーバスノット・フィッシャーの発案による「ハッシュ・ハッシュ・クルーザー」の一艦であり、前カレイジャス級の改良型として主砲を40口径457mm(18インチ)砲Mk.I 単装2基とした他、水中防御に若干の改善を見た。しかし建造中にバルト海作戦の必要性が薄れたことから本格的航空機運用能力を付与することとなり、前部主砲塔を撤去して発艦甲板を設けた姿で就役した。

就役後、運用実績により1年を経ずして第1次大改装を行い、後部主砲塔も撤去して着艦甲板を設ける。ただし上構はそのまま残されたままだった。

1922~25年にかけて第2次大改装が行われ、本格的航空母艦として生まれ変わる。本艦の実績を経て同様に大改装されたグローリアス級航空母艦と併せたこれら3艦は、アメリカのレキシントンサラトガ、日本の赤城加賀に次ぐ有力な空母として戦間期の英空母陣の主力を構成した。

改装の履歴[編集]

改装前[編集]

本艦の出自は大型軽巡洋艦であり、船体もそれに応じた細長いものとなっている。水線長238.4mに対して竣工時の艦幅は26.8mで、LB比(水線長/幅)8.9となる。吃水はバルト海作戦用に浅吃水を求められた名残で6.9mという低い値で、1万トン級の中型艦程度しかない[2]。この当時の排水量は常備1万9513トン、満載2万2405トン、乗員は合計880名であった。しかし概要にあるようにバルト海作戦の必要性が薄れ戦力的に浮いた存在となった本艦に、当時発達著しい航空機、それも水上機ではなく固定脚をつけた陸上機を多数海上で運用する能力を持った艦の必要性が言われるようになり、ちょうど建造中の本艦を改装することとなった。

兵装
計画では、本艦は457mm(18インチ)砲2門という当時世界最大の艦載砲となる予定であった。副砲には50口径14cm単装砲Mk.I 11門を上構に沿って均等に並べた。この内上構後端・中心線上に置かれた1門は改装に伴って撤去されたが、残る10門はそのまま維持された。他に7.6cm単装高角砲2基、3ポンド単装砲4基を積む他、533mm水中発射管を単装2基(片舷斉射数1発)装備していた。尚、魚雷発射管は建造時の予定では水中発射管だけではなく水上発射管を搭載する予定であり、設計図にも搭載位置が指定されていたが、竣工時には水上発射管は搭載されていない。
防御
竣工時点では本格的水上戦闘が考慮されたこともあり、大型軽巡洋艦としての防御がそのまま維持された。舷側76-51mm、水平76mm、バーベット178-103mm、主砲塔229mm、司令塔254mm、水中隔壁25mm等である。
機関
機関構成は生涯を通してヤーロー式水管缶18基(蒸気性状は235PSI、摂氏200度超)とブラウン・カーチス式オール・ギヤードタービン4基4軸・9万馬力である。主缶は6基ずつ、前・中・後部の缶室に収めた。最大速度は31.5ノット、航続距離は重油3400トン、20ノットで6000浬である。

航空機運用のための改装・就役(1917年3月 - 6月)[編集]

艦首飛行甲板のソッピース キャメル
着艦しようとするソッピース パップ(ダニング機)

本艦の艦首甲板上の前部18インチ単装砲塔を撤去し、穴を塞いでその上に長さ70メートル・幅15メートルの飛行甲板を設けた。ここだけ見れば空母といえるが、艦橋を基部に組み込んだ前部マストと煙突、後部主砲塔等、発艦甲板以後は水上艦そのものの艦姿であった。

こうして固定脚を装備した航空機を運用可能な艦となったフューリアスは運用実験を行うこととなった。発艦は容易であったが、短い飛行甲板と艦の中央を占領している構造物に衝突する危険性から、着艦は不可能な状態であった。本艦から飛び立った機体のうち、水上機は近くに着水すれば良いが陸上機は陸上基地で着陸するしか無く、寄港後に再度運び入れる必要があった。このような運用上の不便さから、搭載機乗員は自主的な「着艦」訓練を実施することとなる。

着艦と言っても現在のそれとは異なり、艦の側面を失速ぎりぎりで飛行し、艦橋を追い越したときに機を横滑りさせ甲板上に持ってきて着艦、乗組員が機体を押さえるというアクロバット的かつ強引な方法で行われた。言うまでもなくパイロットに高度な技術を必要とし、甲板要員・パイロット共に危険を伴う着艦法であり、着艦直後の機体がそのまま甲板から海に転落し、操縦していたE・H・ダニング英語版飛行隊長が死亡するという事故が起こった。この結果から着艦訓練は危険と判断され、全面的に禁止されることとなる。

1917年の改装で特筆すべきは水雷兵装の強化で、533mm水上発射管が3連装4基+連装2基追加装備され、これに加えて新造時からの533mm水中発射管単装2基と合わせ、魚雷発射管を計18門(片舷斉射数最大9発)装備した。

第一次改装(1917年11月 - 1918年3月)[編集]

ダズル迷彩を施されたフューリアス(1918年時)

このような艦では作戦遂行にも支障をきたすため、後部18インチ砲塔を撤去して後部甲板上にも縦85メートル×横20メートルの着艦用甲板を設置することとなった。しかし、艦橋構造物と煙突は依然として残されており、機関から出る排煙の問題を解決できていなかった。これを飛行場でたとえれば、滑走路の真ん中に管制塔が立っているようなものであり、飛行機にとって邪魔以外の何物でもなかった。後部に着艦した飛行機を前部へ運ぶために、艦橋構造物の脇を通る通路も設けられたほか、飛行機が艦橋構造物に激突することを防止するため、着艦用甲板前部にネットを張って煙突を防御する策を施された(1918年当時の写真にある、煙突後部から延びる斜めのバーがそれである)。

こうした対策を施されたが、着艦実験は失敗に終わっている。煙突の排煙と艦橋の影響で気流が乱れ、とても着艦できる状態ではなかったという。運良く乱れが少ない状態でも、今度は甲板上が無風に近い状態となっており、後部甲板では長さが足りずネットに頼った着艦になったという。結局、本艦は空母として着艦不可能と判断され、大戦終結まで後部は格納庫兼整備場として使用され、フューリアスは発艦専用として運用されることとなる。

しかしこの失敗が、この後建造されるアーガス及びイーグルに活用されることとなった。

第二次改装(1922年6月 - 1925年8月)[編集]

全通飛行甲板を持つに至ったフューリアス。飛行甲板上の箱型のものは操舵艦橋でエレベーター式で戦闘時には甲板内に引き込む。

「航空機の離着艦には、甲板から構造物を無くすことが必要」との教訓から、以降建造(もしくは改装)される全ての航空母艦の飛行甲板には、離発艦に適した全通甲板が採用されることになる。結果、アーガスは構造物を持たない平甲板型、イーグルは右舷に艦橋を持つ島型空母として竣工した。この2隻の運用実績からフューリアスは再度改装されることとなり、飛行甲板は全通甲板となり格納庫も大型化、この改装により吃水も7.9mに増え、その分の浮力を賄うためバルジを追加して艦幅は27.4mとなり、LB比も8.7に下がる。排水量は基準2万2450トン、満載2万8500トンに搭載燃料は重油4010トン、16ノットで4300浬の航続性能を確保した[3]

増大速力は29.5ノットに落ちてしまったが、この改装により今日と同じ形態の空母になるのが、ここでも新機軸が取り入れられている。

それは、飛行甲板を上下二段持ち、上段は着艦及び攻撃機用、下段は戦闘機用と発着艦もしくは複数機同時発艦が可能となるようにしたことである。下段の飛行甲板はかなり短いが、当時は複葉機が主力でありこれでも運用は可能と判断されていた。このアイデアは日本海軍に取り入れられ、赤城加賀は三段式の空母として改装されることとなる。

1941年に上空から撮影されたフューリアス。艦首飛行甲板は廃止されて高角砲が配置されている。

しかし、この甲板は戦闘機用とはいえやはり短く、実際には対空火器の設置場所に変わり、本来の運用はされなかった。

また、煙突は、アーガス同様に格納庫を囲むように艦後部まで延びる誘導煙突となっているが、アーガス及び加賀のように艦脇から排煙するのではなく、左右の煙路を艦尾で統合し飛行甲板最後部から一括排煙する形式となっている。この方式は失敗であり、上部格納庫は煙路でスペースが狭められる上に、煤煙の熱で格納庫や居住区は熱され、搭乗員や艦載機に悪影響を与え続けた。

10門の50口径14cm砲はスポンソン配置となってそのまま維持された。対空兵装以下については、1931年時点で3基であった45口径10.2cm単装高角砲Mk.Vが4基へ一新され、雷装は全廃された。この砲兵装も1939年の改修工事で全廃され、45口径10.2cm連装高角砲Mk.XVI 6基12門を艦首(元発艦甲板)1基、飛行甲板両舷各2基、艦尾1基に配置した。さらに近接防空火器としてアイランド直後に2ポンドポムポム砲8連装1基を追加した。戦時中の改装でさらにアイランド前方に1基と1番高角砲直後両舷に1基ずつ追加され計4基32丁となった。他に20mm機銃連装8基、単装7基計23丁が飛行甲板両舷にズラリと並べられた。レーダーは戦時中にSW271、AW286各一基と、AR285二基が装備された。乗組員は、艦の運用が748名、航空関連要員が325名の計1073名である。戦時増員については不明。

巡洋戦艦として運用されていたカレイジャスとグローリアスは、本艦より少し遅れて煙突と一体化した大型のアイランドと二段式飛行甲板を持つ空母に改装された。また、フューリアスも第二次世界大戦直前に小型の指揮所を上部飛行甲板の右舷前方へ設置している。

搭載機変遷[4]
1939年9月 計27機 801 Sqn(スクア 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 818 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年5月 計24機 804 Sqn(シーグラディエーター 6), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 818 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年6月 計24機 801 Sqn(スクア 6), 807 Sqn(フルマー 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1940年7月 計27機 801 Sqn(スクア 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9)
1941年4月 計12機 800 Sqn(スクア 12)
1941年5月 計12機 800 'X' Flight(フルマーII 3)
1941年6月 計40機 800 Sqn(フルマー 9), 812 Sqn(ソードフィッシュ 9), 816 Sqn(ソードフィッシュ 9), 817 Sqn(アルバコア 9), 880 'A' Flight(シーハリケーン 4)
1942年11月 計12+??機 801 Sqn(シーファイア ?), 807 Sqn(シーファイアL.IIC 12), 822 Sqn(アルバコア ?)
1943年2月 計60機 801 Sqn(シーファイア 9), 822 Sqn(アルバコア 9), 825 Sqn(ソードフィッシュ 9+シーハリケーン 6), 827 Sqn(バラクーダ 12), 830 Sqn(バラクーダ 9), 881 Sqn(マートレットIV 6)
1944年4月 計23機 801 Sqn(シーファイアI.B 6), 831 Sqn(バラクーダII 9), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 8)
1944年7月 計26機 842 Flight(ソードフィッシュ 3), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 3), 1840 Sqn(ヘルキャットII 20)
1944年8月 計33機 801 Sqn(シーファイアF.III 12), 827 Sqn(バラクーダII 9), 880 Sqn(シーファイアL.IIC 12)

艦歴[編集]

1918年3月15日に再就役したフューリアスは第一次世界大戦に参加。1918年7月にはトンデルン攻撃をおこなった。

第二次世界大戦[編集]

フューリアスは1939年10月2日までは訓練やスコットランド東岸沖での対潜哨戒に従事した[5]。それからフューリアスは沈んだ空母カレイジャスの代わりとして本国艦隊に配属され、第816飛行隊のソードフィッシュ9機と第818飛行隊からのソードフィッシュ3機を載せた[6] [7]。フューリアスは10月8日に艦隊とともに出撃し、ノルウェー南部の沖で発見されたドイツの巡洋戦艦グナイゼナウとその護衛を探索したが、失敗に終わった[5]。10月13日にもドイツ艦船の捜索に襲撃したが、無駄に終わった。それからフューリアスはハリファックスに移り、巡洋戦艦レパルスとともにドイツ通商破壊艦捜索グループを編成した。1939年12月中旬にはフューリアスは第1カナダ歩兵師団の大半をイギリスへ運ぶ船団の旗艦を務めた。12月17日、暗闇の中で西航する客船サマリア (Samaria) が発見されることなく船団を横切った。サマリアは倒されていたフューリアスの右舷側の通信マストを剥ぎ取り、アキタニア (Aquitania) 左舷側のライフボート5隻を奪い去り、3隻目と4隻目の船とは衝突寸前になった[8]

1941年5月19日から22日、空母アーク・ロイヤルと共にマルタへ戦闘機を輸送(スプライス作戦)。6月5日から7日(ロケット作戦)と6月29日から7月1日(レイルウェイ作戦)にも空母アーク・ロイヤルと共に同様の任務に従事。7月30日、フューリアスを発進した攻撃隊がペツァモを攻撃(EF作戦)。9月13日、アーク・ロイヤルと共にマルタへハリケーン戦闘機45機を送る。1942年8月、ペデスタル作戦の際にマルタへの戦闘機を運んだ(ベローズ作戦)。1942年8月16日から18日、マルタへスピットファイア戦闘機の輸送をおこなう(バリトン作戦)。10月28日から3日にもスピットファイアを輸送。その後は北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦)に参加した。

フューリアスは1943年2月までH部隊に所属した後本国艦隊に移り、戦争の残りの期間はそこに所属していた。7月、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)から敵の注意をそらすため艦隊はノルウェー沖に展開した。フューリアスの役目は、ドイツ軍の偵察機が艦隊を発見しそのことを打電した後でそのドイツ機を撃墜することであった[9]。フューリアスは8月に修理を行い、それ以降は年の終わりまで訓練に費やした[10]。1944年2月にJW57船団がイギリスからソ連へ向かう間、2月24日に戦艦アンソンリシュリューに護衛されたフューリアスはノルウェー沿岸のドイツ船舶攻撃を実施した[11]。フューリアスはシーファイアの第801飛行隊と、バラクーダの第827飛行隊および第830飛行隊を搭載していた。攻撃で失われた機はなく、座礁した貨物船1隻を破壊した[12]

タングステン作戦(ドイツ戦艦ティルピッツ攻撃)に向けた準備で、フューリアスと空母ヴィクトリアスはバラクーダの飛行隊、第827飛行隊と第831飛行隊を交換した。これは、共に訓練を行った飛行隊同士が同時に出撃できるようにするためであった。また、第830飛行隊のシーファイア6機に加え、フューリアスは第880飛行隊のシーファイア8機をのせた。4月3日の朝、第827飛行隊と第830飛行隊のバラクーダ21機が、試験のため出航しようとしていたティルピッツを攻撃した。攻撃は完全な奇襲となり、ティルピッツの煙幕発生装置は作動し始めたばかりであった。イギリス軍機は目標をはっきりと捕らえることが出来、6発の命中弾を与えた。1時間後、第829飛行隊と第831飛行隊のバラクーダ19機が攻撃をおこない、さらに8発を命中させた。撃墜されたバラクーダは1機のみであり、他に1機が発艦時に墜落した。ティルピッツは損傷の修理に3ヶ月を要した[13]

本国艦隊は4月23日に再びティルピッツを攻撃したが、24日と25日は天候が悪くそれ以上の攻撃は行えなかった。その代わりに4月16日にボードー空襲が試みられたが、ドイツの船団が発見されたためそれを攻撃し3隻を沈めた。5月6日、フューリアスと護衛空母サーチャーはKristiansund周辺で船舶攻撃を実行し、鉱石運搬船AlmoraとタンカーSaarburgを沈めたが2機を失った。次の本国艦隊によるティルピッツ攻撃は、悪天候のため5月15日に中止となった。さらに、5月28日の時も悪天候に邪魔されたが、6月1日にはドイツ船団攻撃に成功した。弾薬運搬船1隻が沈み、2隻が炎上した[14]

7月17日、フューリアスと空母フォーミダブルは再びティルピッツ撃沈に挑んだ(マスコット作戦)。この作戦のためフューリアスは第880飛行隊のシーファイア3機と第1840飛行隊のヘルキャット20機および第842飛行隊のソードフィッシュ3機を搭載した。ドイツ軍が事前に攻撃を察知し煙幕がティルピッツを完全に覆っていたため、攻撃は不成功に終わった。8月にはさらに4度のティルピッツ攻撃が実行された(グッドウッド作戦)。この作戦ではフューリアスは第801飛行隊のシーファイア12機、第880飛行隊のシーファイア12機と第827飛行隊のバラクーダ9機を搭載した[15]。8月20日の1度目の攻撃では悪天候のため攻撃隊は引き返し、8月22日の攻撃ではドイツ軍に発見され11機を失う結果となった[16]。二日後に行われた次の攻撃では、徹甲爆弾1発と500ポンド爆弾1発が命中したが、前者は爆発せず後者もわずかな損害を与えたのみであった。8月29日に4度目の攻撃がなされたが、戦果はなかった[17]

老朽化のため、フューリアスは1944年9月15日に予備役となった。1945年4月に退役し、航空機の爆薬が艦の構造に与える影響の調査に使用された。1948年にスクラップとして売却され、解体はトルーンで1954年までに完了した[10]

脚注[編集]

  1. ^ 「ハッシュ・ハッシュ」とは口に人差し指を当てて「しぃーっ」と言うジェスチャーに類する俗な表現で、本艦が秘密兵器であったことを示す。
  2. ^ カウンティ級巡洋艦が満載約1万4千トン時に6.6m。
  3. ^ 『BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR』では第2次改装後は重油3950トン、16ノットで5610浬。
  4. ^ Rickard, J. "HMS Furious". (17 August 2010) 英語。
  5. ^ a b Jenkins, p. 277
  6. ^ Sturtivant, p. 228
  7. ^ Sturtivant, p. 237
  8. ^ Jenkins, p. 279
  9. ^ Jenkins, pp. 284–85
  10. ^ a b Burt, p. 272
  11. ^ Rohwer, p. 307
  12. ^ Brown, p. 24
  13. ^ Brown, pp. 25, 27
  14. ^ Rohwer, pp. 320, 322
  15. ^ Brown, pp. 24, 28
  16. ^ Rohwer, p. 350
  17. ^ Brown, p. 28

参考文献[編集]

  • 世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史(海人社)
  • 世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史(海人社)
  • 世界の艦船増刊第80集 航空母艦全史(海人社)
  • Jenkins, C. A., Commander (1972). HMS Furious/Aircraft Carrier 1917–1948: Part II: 1925–1948. Warship Profile. 24. Windsor, Berkshire: Profile Publications. OCLC 10154565. 
  • Burt, R. A. (1993). British Battleships, 1919-1939. London: Arms and Armour Press. ISBN 1-85409-068-2. 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939-1945: The Naval History of World War Two (Third Revised Edition ed.). Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2. 
  • Brown, J. D. (2009). Carrier Operations in World War II. Annapolis, MD: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-108-2. 
  • Sturtivant, Ray (1984). The Squadrons of the Fleet Air Arm. Tonbridge, Kent: Air-Britain (Historians). ISBN 0-85130-120-7. 
  • BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]