ロドニー (戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
HMS Rodney after refitting at Liverpool.jpg
艦歴
発注 1922年
建造 キャメル・レアード社
バーケンヘッド造船所
起工 1922年12月28日
進水 1925年12月17日
就役 1927年11月10日
退役 1946年
その後 1948年3月28日にスクラップとして売却
除籍 1947年
性能諸元
排水量 基準:33,950 トン
36,000t(1942年)
満載:38,000トン
43,140t(1942年)
全長 710 ft (216.5 m) overall
全幅 106 ft (32.3 m)
吃水 33 ft (10 m)
(1945年満載時:10.8 m)
機関 アドミラリティ三胴式重油専焼水管缶8基
+ブラウン・カーチス式ギヤード・タービン2基2軸推進、45,000hp
最大速 23.8 ノット (44.1 km/h)(公試)
乗員 1,640名
兵装 竣工時:
40.6cm45口径MkI3連装砲 3基
15.2cm50口径MkXXII連装砲 6基
10.2cm45口径MkXIV連装高角砲 4基
2ポンド8連装ポンポン砲 3基
12.7㎜4連装機銃 2基
62.2 cm水中魚雷発射管 2門
カタパルト1基
~1945年:
40.6cm45口径MkI3連装砲 3基
15.2cm50口径MkXXII連装砲 6基
10.2cm45口径MkXIV連装高角砲 4基
2ポンド8連装ポンポン砲 6基
20㎜連装機銃 5基
20㎜単装機銃 58基
レーダー 竣工時:
79Y型 2基
~1945年:
273R型 1基
281型 2基
282型 3基
283型 6基
284型 1基
285型 1基
艦載機 竣工時:
水偵 1機
~1945年
無し
モットー Non Generant Aquilae Columbas
"Eagles do not breed doves"

ロドニー またはロドネーロドネイ(HMS Rodney, 29) は、イギリス海軍戦艦ネルソン級戦艦の2番艦。艦名はジョージ・ブリッジス・ロドニー提督に因む。

1922年ワシントン海軍軍縮条約下で建造されたため、排水量は35,000トンまで制限されていた。3基の3連装16インチ砲塔は全て艦前方に配置され、ヴァイタル・パートは集中化したもののその代償に低速力に悩まされることとなる。1936年以降に新世代の戦艦が就役するまで、2隻のネルソン級戦艦は最も強力な戦艦と見なされていた。

艦歴[編集]

ロドニーは1922年12月28日、姉妹艦のネルソンと同日に起工した。キャメル・レアード社バーケンヘッド造船所で建造されたロドニーは1925年12月17日に進水し、1927年11月10日に就役した。建造費は7,617,000ポンドに上る。1929年にはジョージ・キャンペル・ロス少佐(アーチボルド・ロス卿の息子)が艦長に就任した。

就役後は第二次世界大戦が勃発する1939年9月まで本国艦隊及び大西洋艦隊で活動する。1931年には乗員がネルソン乗員と共にインバーゴードン反乱に参加した。1939年12月後半にロドニーは操舵装置の問題を改修するためドック入りした。

スーパーマリン ウォーラスの運用

1940年4月9日、ノルウェーカーモイにおいてドイツ軍機による攻撃を受け、500kg爆弾が直撃、装甲甲板を貫通したものの爆弾は不発であった。1940年9月13日、ドイツ軍によるイギリス侵攻に備えてロドニーはスカパフローからロスサイスに移動した。11月から12月にかけてイギリスとカナダ間の船団護衛任務に従事し、1941年1月にはシャルンホルストおよびグナイゼナウの追撃戦に参加するが、戦果は上げられなかった。北大西洋で船団護衛中の3月16日にロドニーはベルリン作戦中のドイツの巡洋戦艦と遭遇するが、ドイツ艦は方向を変えて離脱したため戦闘は起こらなかった。

ビスマルク追撃戦[編集]

1941年5月、ダルリンプル=ハミルトン艦長の指揮下ロドニーおよび2隻の駆逐艦はカナダへ向かう客船ブリタニックの護衛を命じられる。ブリタニックはカナダへ民間人を運び、帰路はカナダ軍をイギリスへ運ぶ予定であった。任務途中の5月24日、ロドニーはドイツ戦艦ビスマルクの追撃戦への参加を命じられる。5月26日、ロドニーはキング・ジョージ5世と合流する。駆逐艦は燃料が不足したため、トーヴィー提督はそれらに帰還を命じ、翌日ロドニーはキング・ジョージ5世の背後についた。

5月27日の朝、ロドニー、キング・ジョージ5世、巡洋艦ノーフォークドーセットシャーはビスマルクと遭遇する。ビスマルクは前日受けた魚雷により方向舵を損傷していたうえ、サフォークとノーフォークを追い払おうと斉射した自らの主砲の振動に耐えられずにメインレーダーが壊れて使い物にならなくなっていた。[1]。ビスマルクは英国艦隊との砲戦序盤においてロドネーの砲撃により前部2基の主砲が1弾によって沈黙、さらにノーフォークが放った1弾によって前部射撃指揮所を直撃されて射撃指揮ができなくなり、指揮を引き継いだ後部射撃指揮所もすぐに破壊されて前後の射撃指揮所が完全に消し飛んだため、残された主砲は各個に砲撃を続けたが無意味だった。その後、後部2基の主砲も沈黙してビスマルクは戦闘開始から40分ほどで浮かぶ廃墟となる。ビスマルクの主砲が沈黙した後、復讐に燃える英国艦隊は距離を詰めながら砲撃を続行(もっとも、この接近によりビスマルクの被弾箇所は水線より上となり浸水等が発生しにくくなる)、もともと艦上構造物の脆いビスマルクは目に見えて形状が変わってゆき、艦内は破片と人片が飛び交う地獄と化し、英国艦隊はビスマルクの装備を次々と吹き飛ばし続けた。火達磨のビスマルクに直撃弾は続き、1番砲塔が完全に破壊されてその破片が2番砲塔を破壊、ロドネーの16インチ砲弾が2番砲塔(ブルーノ)に再度命中し、砲塔後部を吹き飛ばした。その破片によってビスマルクの露天艦橋にいたほぼ全員が戦死。9時12分には砲弾が艦橋を直撃し、リンデマン艦長とリュッチェンス提督が戦死(ただしリンデマン艦長はその後の目撃証言が存在する)した。[1]復讐の念にかられた英国艦隊はこの後も砲撃を続行し、なぶり殺しの果てに最後はドーセットシャーによる魚雷攻撃によってビスマルクを撃沈した。その後ロドニーは燃料切れにより戦場を離脱した。

残った英国艦隊は慣例に従い戦闘終了後にビスマルク生存者の救助にあたったが、激しい波に揉まれて救助作業はこの上なく困難であった。中には救出されゆくドイツ兵同士が英国艦に引き上げられる者の足を引っ張って海に再度落ちてしまったり、波で艦体に叩きつけられて気を失い、そのまま溺死してしまう事もあった。[1]

H部隊で[編集]

ノルマンディー上陸作戦時にカーン沖で艦砲射撃を行う本艦。

その後ロドニーはアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで主機の修理を受ける。9月にジブラルタルでH部隊に配属されたロドニーは、マルタへの輸送船団を護衛し11月に帰国し、一ヶ月間アイスランドに配置された。その後1942年5月まで修理、改修が行われた。作業の完了後H部隊に復帰したロドニーは、マルタへの輸送船団護衛任務を再開し、その後トーチ作戦に参加した。続いてシチリア島上陸、サレルノ上陸の支援を行う。1943年10月からは本国艦隊に所属し、1944年6月にはノルマンディ上陸作戦に参加、カーンオルダニー島への攻撃を行った。9月にはムルマンスクへの船団護衛任務に従事した。

ロドニーは、1942年以降オーバーホールなしで156,000海里以上の距離を航海した。頻繁な機械故障および姉妹艦のネルソンとは異なり近代化が行われなかったこともあり、ロドニーはスカパ・フローで予備役となり、乗組員は新型艦に配属された。ロドニーは1948年2月にスクラップとして売却されるまで同所で保管された。その後3月26日にインバーキーシングで解体が開始された。

主な活動[編集]

ノルウェー防衛戦
大西洋船団護衛
ビスマルク追撃作戦
地中海輸送掩護
北アフリカ
南イタリア
ノルマンディ上陸作戦など

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

  • アジア歴史資料センター(公式)
    • Ref.B07090399800「24.英国新戦闘艦「ロドニー」ノ進水式ニ関スル件」(外務省外交史料館)
    • ref.C04015457200「英国新戦闘艦ロドニーノ進水式に関する件」
  • 世界の艦船増刊第67集

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


  1. ^ a b c "WHO SANK THE BISMARK" NationalGeographic