イギリス領マラヤ

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1909年〜1946年の英領マレー

イギリス領マラヤ: British Malaya)は、18世紀から20世紀にわたりマレー半島シンガポール島に存在した海峡植民地とその他の地域からなるイギリス支配下の連邦。

日本国内に現存する公的資料では、英領マレーとされている[1][2][3]

概要[編集]

マレー半島南部の北緯6度55分から1度16分迄とボルネオ東岸の一島峡、インド洋の一島峡一諸島から成り立ち、行政上からは海峡植民地とマレー連邦、非マレー連邦と概ね3種に区分される。

海峡植民地 イギリス本国の直轄地 シンガポールマラッカペナンココス島クリスマス島ラブアン島
マレー連邦 英国海峡植民地総督の下で連邦を組織 ペラク、セラングル、ネグリ・セムビラン、パパン
マレー非連邦 イギリスの顧問が條約締結により統治に参加、連邦を組織せず地域間の相互協力を有しない ジョホール、ケダー、ペルリス、ケダン、トレンガヌー


日本軍政期[編集]

マラヤは1942年から1945年まで日本の占領下にあり、シンガポールは昭南島と改称された。日本の軍政下では当初、統治者である日本軍と被統治者である現地住民の間に意思疎通に困難が生じた。日本はこのころシャムの協力に報いてケダ州を譲渡した。日本のポツダム宣言受諾後、マラヤとシンガポールはイギリス軍政下におかれた。

  1. ^ 英領マレーの統治機構概観、外務省調査部、1942年
  2. ^ 司法研究. 第32輯 第6号 英領マレー檢察、司法研究所、1943年
  3. ^ 南方水産業調査資料集、英領マレーの水産業、1900年