ダグラス・エンゲルバート

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ダグラス・カール・エンゲルバート
Douglas Engelbart (2008)
人物情報
生誕 1925年1月30日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オレゴン州ポートランド
死没 2013年7月2日(満88歳没)
市民権 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校 オレゴン州立大学 (BS)
カリフォルニア大学バークレー校 (PhD)
学問
研究分野 発明家
研究機関 SRIインターナショナル
Tymshare
マクドネル・ダグラス
Bootstrap Institute/Alliance[1]
The Doug Engelbart Institute
博士課程
指導教員
John R. Woodyard
主な業績 マウスハイパーテキストグループウェア、対話型コンピューティング
主な受賞歴 アメリカ国家技術賞
レメルソンMIT賞英語版
チューリング賞
ラブレスメダル英語版
ノーバート・ウィーナー賞
コンピュータ歴史博物館フェロー[2]
公式サイト
dougengelbart.org
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ダグラス・エンゲルバートDouglas Carl Engelbart1925年1月30日 - 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の Augmentation Research Center (ARC) で行ったマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し[3]ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。

エンゲルバートは、コンピュータネットワークの開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている[4]。研究室には自身が "bootstrapping strategy" と名付けた一連の原則を貼っていた。その戦略は研究室での技術革新を加速するようエンゲルバートが設計したものである[5]

学生時代[編集]

1925年1月30日、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドにて、カール・ルイス・エンゲルバートとグラディス・シャーロット・アメリア・マンソン・エンゲルバートの間に生まれる。父はドイツ人系、母はスウェーデン人ノルウェー人の混血である[6]

3人兄弟の真ん中で、姉のドリアンヌ(3歳年上)と弟のデービッド(14カ月年下)がいる。当初ポートランドに住んでいたが、9歳か10歳のころ父が亡くなり、ポートランド郊外に引っ越した。ポートランドの高校を1942年に卒業[7]

オレゴン州立大学に進学したが、第二次世界大戦末期に徴兵されてアメリカ海軍に入隊。フィリピンレーダー技師として2年間働いた。小さな島にある高床式の小さな兵舎で、初めてヴァネヴァー・ブッシュの論文 "As We May Think" に触れ、強い衝撃を受けた[7]。戦後オレゴン州立大学に復学し、1948年に電気工学学士号を得た。オレゴン州立大学では Sigma Phi Epsilon というフラタニティに属していた[8]

卒業後はアメリカ航空諮問委員会 (NACA) に雇われ、エイムズ研究センターで1951年まで勤務した[9]

経歴と業績[編集]

世界初のマウスの試作品。エンゲルバートのスケッチを元にビル・イングリッシュ英語版が設計した。[10]

1945年にヴァネヴァー・ブッシュの "As We May Think" を読んだことで[11]、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。戦後になってコンピュータに関する記事などを読み、またレーダー技師としての経験から、情報を分析してスクリーンに表示できることを知っていた。彼は、知的労働者たちがディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する集合的知性のような能力を利用できると考えた。エンゲルバートはコンピュータが単なる数値を処理する機械と見なされていたころに、対話型コンピュータを活用して集団的知性の利用を実現することをライフワークと捉えていたのである。

そこで、カリフォルニア大学バークレー校大学院の電気工学科に進学し、1953年に修士号、1955年に博士号を取得[9]。バークレーの大学院生時代、CALDICというコンピュータの構築に参加した。大学院での研究からいくつか特許を取得することになった[12]。博士号取得後もバークレーに助教授として1年間留まったが、そこでは自身のビジョンを実現できないと感じて去ることにした。そしてベンチャー企業 Digital Techniques を創業し、博士課程での記憶装置に関する研究の一部を商業化しようとした。しかし、やはりライフワークと決めたビジョンの実現をあきらめられず、1年でその会社をたたんでいる。

SRI と ARC[編集]

1957年、スタンフォード大学と当時関わりが深かった SRIインターナショナル(当時はスタンフォード研究所)に雇われた。当初はヒューイット・クレーン英語版の磁気デバイスの研究と電子部品の小型化の研究を手伝った。SRIで徐々に1ダースほどの特許を取得し(バークレー時代の研究に基づいた特許も含まれる)、1962年には長年温めていたビジョンについて Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめ、研究を提案した[13]

この提案によりARPAから予算がつき、作業を開始することになった。新たに Augmentation Research Center (ARC) をSRI内に創設し、研究員を集め、oN-Line System (NLS) の開発と設計を主導した。ARCでは、ビットマップ・スクリーン、マウス、ハイパーテキスト、グループウェア、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などのインタフェース要素を開発した。彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース (UI) のアイデアの多くを考案し開発した。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。

Macintosh Plusのマウス (1986)

1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(アメリカ合衆国特許第3,541,541号)。マウスが開発されたのはその数年前で、エンゲルバートのアイデアに基づいてビル・イングリッシュ英語版が設計・開発した。その特許では "X-Y position indicator for a display system"(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろ(というか利用者から見て手前)にあったためだという。また、スクリーン上のカーソルは「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった[14]

エンゲルバートはマウスの発明に関してロイヤルティーを受け取ったことはない。その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している[15]。エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどではMother of all demos(全てのデモの母)と呼ばれている[16]

ARPANET[編集]

エンゲルバートの研究開発はARPAから資金提供されていたため、ARCはインターネットの前身であるARPANETにも関与した。1969年10月29日午後10時30分、UCLAレナード・クラインロックの研究室から最初のARPANET上のメッセージがSRIのエンゲルバートの研究室に送信された[17]。ARCに送ろうとしたメッセージは "login:" だったが、"l" と "o" 送ったところでシステムがクラッシュした。したがって、ARPANET上の最初のメッセージは実際には "lo" である。約1時間後クラッシュから復旧すると、"login:" というメッセージの送受信に成功した。

1969年11月21日には Interface Message Processor (IMP) が両方のサイトに置かれ、ARPANET初の恒久的リンクを形成した。1969年12月5日にはさらにUCSBユタ大学も接続され、4ノードのネットワークになった[18]

ARCは世界初のネットワークインフォメーションセンター (NIC) となり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。またARCは初期のRFCのかなりの部分を担っていた。NICは当初NLSを使って運営されていたが、エンゲルバートは革新的な研究に集中し続けた。このためNIC運営と研究の両立が困難となり、NICはグループとして独立し Elizabeth J. Feinler が指揮することになった[19]

逸話的注釈[編集]

科学史の専門家 Thierry Bardini がいみじくも指摘したとおり、エンゲルバートを様々な研究開発に向かわせた彼の複雑な個人的哲学は、今日の哲学と科学技術の共進化を先取りしていた[20]。Bardini は、エンゲルバートがベンジャミン・ウォーフ言語的相対論に強く影響されていたと指摘する。ウォーフは言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたが、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって我々の能力が向上すると考えた。そこで彼は情報を直接的に操作するコンピュータを使った技術の開発に向かい、同時に個人やグループの知的作業過程を洗練させる技術にも関心を寄せることとなった[20]

エンゲルバートの哲学と研究の方向性は(自身がバイブルと呼んでいる)1962年の研究レポート "Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework"[13]に明確に記述されている。ネットワーク指向の知性という概念に基づいてエンゲルバートは先駆的な業績を残すこととなった。

研究者としての経歴の終わり[編集]

エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。彼の下にいた研究者の一部はパロアルト研究所へと移っていった。これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。エンゲルバートはタイムシェアリングシステムを利用した協調型ネットワークが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた[要出典]

Bardini はエンゲルバートに関する著書の中で、1970年代前半にARCの主要研究者らがいわゆる自己啓発セミナー(EST)を受けた点を指摘した。エンゲルバートはESTの取締役会に名を連ねていた。ESTは当初はよいものと思われたが、ARCでは士気の低下と結束力の低下を招いた[20]

マイケル・マンスフィールドによる研究開発全体への支出制限法案、ベトナム戦争終結、アポロ計画終結といった要因により、ARCへのARPAやNASAからの資金は減らされた。SRIの経営陣はエンゲルバートのやり方に失望し、ARCの残存部分を Bartram Raphael人工知能研究部門の配下とした。Raphael は ARC をTymshare社に渡す交渉を行った。エンゲルバートはこの時期に自宅の焼失という災難にも遭っている。Tymeshare 社は NLS とエンゲルバートの研究室を買い取り、エンゲルバートを含む研究員の大部分を雇い入れた。Tymeshare 社は NLS の商用化を考えていた。Tymeshare 社は以前から ARC と共同研究を行っていて、ミニコンピュータ上へのNLSの移植などをした経験があった。

エンゲルバートは Tymeshare 社で自分が除け者にされていることに気づいた。Tymeshare 社はエンゲルバートのさらなる研究をしたいという要望を無視した。Tymshare社やマクドネル・ダグラス社(1984年にTymshareを買収)の経営陣には彼のアイデアに興味を示すものもいたが、開発のための資金は提供されることはなかった。マクドネル・ダグラスでのエンゲルバートの関心は、膨大な知識の管理手法と航空宇宙プログラムのライフサイクルに関するIT要件に集中している。その中でもグローバルな相互運用性と Open Hyperdocument System[21] の必要性を再認識することになった。エンゲルバートは1986年にマクドネル・ダグラス社を退社し、商業的プレッシャーから逃れて自身のライフワークを追求しようとした。

エンゲルバートは自身の会社 Bootstrap Institute の取締役である。この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。カリフォルニア州メンローパークにあり、彼の最近の哲学とも言うべき集団的知性の概念を洗練させることを目的とし、Open Hyper-Document Systems(OHS) と呼ばれるものを開発している。2005年、エンゲルバートは米国科学財団からオープンソースプロジェクト HyperScope への資金援助を得た。HyperScope プロジェクトでは、AjaxDHTML を使用したブラウザ部品を開発し、Augment システムの機能を再現しようとしている。HyperScope はエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。

1988年、娘クリスティーナ・エンゲルバートと共に Bootstrap Institute を創業。1989年から2000年までスタンフォード大学で彼のアイデアに基づいたマネジメントセミナーを開催していた。1990年代初めまではセミナー参加者も多く、エンゲルバートの哲学に賛同して協業を申し出る者もおり、非営利団体 Bootstrap Alliance も創設することになった。イラク侵攻とその後の景気後退でパートナー企業からの援助は減ったが、マネジメントセミナーやコンサルティングは小規模に続行された。1990年代中ごろにはDARPAから新たなユーザインタフェース開発 (Visual AugTerm) のための資金提供を獲得し、大規模なジョイント・タスクフォースに参加している。

主な受賞歴[編集]

1980年代終盤になると、エンゲルバートの業績の独創性と重要性が徐々に理解されるようになってきた[22]

その他の栄誉[編集]

1998年、Stanford Silicon Valley ArchivesInstitute for the Futureスタンフォード大学Engelbart's Unfinished Revolution というシンポジウムを開催し、エンゲルバートと彼のアイデアを讃えた[27]。これは、1968年のエンゲルバートのデモから30周年を記念したもので、2008年にも40周年を記念したシンポジウムが開催された[28]

2000年、ボランティアと資金提供者の協力を得てエンゲルバートは The Unfinished Revolution - II をスタンフォードで開催した。これは Engelbart Colloquium とも呼ばれ、エンゲルバートの業績とアイデアを多くの人に知らしめるべく文書化・オンライン化することを意図している[29][30][31]

21世紀の動向[編集]

2005年、アメリカ国立科学財団はエンゲルバートの HyperScope というオープンソースプロジェクト[32]に資金提供した。

2008年、Bootstrap INstitute と Bootstrap Alliance は合併し Doug Engelbart Institute と改称。エンゲルバートは名誉創設者とされている。運営は娘のクリスティーナ・エンゲルバートが行っている。エンゲルバートの哲学である「集団的知性の増強」を広める活動を行っている[33]

エンゲルバートは、サンタクララ大学Center for Science, Technology, and SocietyForesight Institute[24]社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会、The Technology Center of Silicon Valley、The Hyperwords Company(Firefoxのアドオンである Hyperwords を作っている組織)[34]の諮問委員を務めている。

2013年7月2日に腎不全のため逝去[35]。88歳没。

家族[編集]

エンゲルバートには1997年に死別した妻との間に、ゲルダ、ダイアナ、クリスティーナ、ノーマンという4人の子がいる。2008年1月26日に再婚している[36][37]

脚注[編集]

  1. ^ Footnote”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  2. ^ Douglas C. Engelbart”. Hall of Fellows. Computer History Museum. 2012年6月17日閲覧。
  3. ^ Hermida, Alfred (2001年11月5日). “Mouse inventor strives for more”. BBC News Online. http://news.bbc.co.uk/hi/english/sci/tech/newsid_1633000/1633972.stm 2012年6月17日閲覧。 
  4. ^ The Unfinished Revolution II: Strategy and Means for Coping with Complex Problems”. Colloquium at Stanford University. The Doug Engelbart Institute (2000年4月). 2012年6月17日閲覧。
  5. ^ About an Accelerative Bootstrapping Strategy”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  6. ^ Lowood, Henry (1986年12月19日). “Douglas Engelbart Interview 1”. Stanford and the Silicon Valley: Oral History Interviews. Stanford University. 2012年6月17日閲覧。
  7. ^ a b Dalakov, Georgi. “Biography of Douglas Engelbart”. History of Computers. 2012年7月29日閲覧。
  8. ^ Citation Recipients”. Sigma Phi Epsilon. p. 11. 2012年7月29日閲覧。
  9. ^ a b Engelbart, Douglas. “Curriculum Vitae”. The Doug Engelbart Institute. 2011年4月14日閲覧。
  10. ^ Edwards, Benj (2008年12月9日). “The computer mouse turns 40”. Macworld. http://www.macworld.com/article/137400/2008/12/mouse40.html 2009年4月16日閲覧。 
  11. ^ The MIT/Brown Vannevar Bush Symposium: Influence on Doug Engelbart”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  12. ^ U.S. Patents held by Douglas C. Engelbart”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  13. ^ a b Engelbart, Douglas C (1962年10月). “Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework”. SRI Summary Report AFOSR-3223, Prepared for: Director of Information Sciences, Air Force Office of Scientific Research. SRI International, hosted by The Doug Engelbart Institute. 2011年4月14日閲覧。
  14. ^ Display-Selection Techniques for Text Manipulation”. Stanford MouseSite. Stanford University. 2012年7月29日閲覧。
  15. ^ Maisel, Andrew. “Doug Engelbart: Father of the Mouse”. SuperKids. 2012年6月17日閲覧。
  16. ^ Engelbart, Douglas C.; et al (1968-12-09). “SRI-ARC. A technical session presentation at the Fall Joint Computer Conference in San Francisco”. NLS demo ’68: The computer mouse debut, 11 film reels and 6 video tapes (100 min.) (Menlo Park (CA): Engelbart Collection, Stanford University Library). 
  17. ^ Savio, Jessica (2011年4月1日). “Browsing history: A heritage site is being set up in Boelter Hall 3420, the room the first Internet message originated in”. Daily Bruin. http://www.dailybruin.com/index.php/article/2011/04/browsing_history 2012年6月17日閲覧。 
  18. ^ Chris Sutton. “Internet Began 35 Years Ago at UCLA with First Message Ever Sent Between Two Computers”. UCLA. 2008年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月27日閲覧。
  19. ^ Elizabeth J. Feinler”. SRI Alumni Hall of Fame. SRI International Alumni Association (2000年). 2011年4月8日閲覧。
  20. ^ a b c Thierry Bardini; Michael Friedewald (2002). “Chronicle of the Death of a Laboratory: Douglas Engelbart and the Failure of the Knowledge Workshop”. History of Technology 23: 192–212. http://www.friedewald-family.de/Publikationen/HoT2002.pdf. 
  21. ^ About An Open Hyperdocument System (OHS)”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  22. ^ Honors Awarded to Doug Engelbart”. The Doug Engelbart Institute. 2012年6月17日閲覧。
  23. ^ a b SIGCHI Awards”. ACM SIGCHI. 2012年8月27日閲覧。
  24. ^ a b “Douglas Engelbart, Foresight Advisor, Is Awarded National Medal of Technology”. Foresight Update (Foresight Institute) 43. (2000年12月30日) 
  25. ^ “AI's Hall of Fame”. IEEE Intelligent Systems (IEEE Computer Society) 26 (4): 5–15. (2011). doi:10.1109/MIS.2011.64. http://www.computer.org/cms/Computer.org/ComputingNow/homepage/2011/0811/rW_IS_AIsHallofFame.pdf. 
  26. ^ “IEEE Computer Society Magazine Honors Artificial Intelligence Leaders”. DigitalJournal.com. (2011年8月24日). http://www.digitaljournal.com/pr/399442 2011年9月18日閲覧。  Press release source: PRWeb (Vocus).
  27. ^ Engelbart's Unfinished Revolution: A Symposium at Stanford University”. Stanford University Libraries. Stanford University (1998年12月9日). 2012年6月17日閲覧。
  28. ^ SPECIAL NOTE: 40th Anniversary Events Honoring Douglas Engelbart”. Stanford University. 2012年8月27日閲覧。
  29. ^ Colloquium”. 2012年8月27日閲覧。
  30. ^ Video archives of 2000 UnRev-II: Engelbart's Colloquium at Stanford”. 2012年8月27日閲覧。
  31. ^ Video archives of 1998 "Engelbart's Unfinished Revolution" Symposium”. 2012年8月27日閲覧。
  32. ^ “Web思考プロセッサ HyperScope 1.0 - Douglas Engelbart博士のアイデア結実”. マイナビニュース. (2006年9月8日). http://news.mynavi.jp/news/2006/09/07/345.html 
  33. ^ Doug's Vision Highlights: Augmenting Society's Collective IQ”. 2012年8月27日閲覧。
  34. ^ About Us : Advisory Board”. The Hyperwords Company. 2012年7月29日閲覧。
  35. ^ マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去 TechCrunch Japan 2013年7月4日閲覧
  36. ^ Celebrating Doug's 85th Birthday”. The Doug Engelbart Institute. 2011年4月14日閲覧。
  37. ^ Karen O'Leary, Palo Alto, Writer and Producer”. Karen O'Leary Englebart. 2011年4月14日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

Nuvola apps arts.svg 音楽・音声外部リンク
音楽・音声
Nuvola apps arts.svg "Collective IQ and Human Augmentation", ダグラス・エンゲルバートのインタビュー
映像
Nuvola apps kaboodle.svg Doug Engelbart featured on JCN Profiles, Archive.org

NLSデモのビデオ記録[編集]

インタビューなど[編集]