エドガー・F・コッド

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エドガー・フランク・コッドEdgar Frank "Ted" Codd, 1923年8月23日 - 2003年4月18日)は、イギリス生まれの情報工学者リレーショナルデータベースの理論に多大な貢献をした。IBMに勤務しながら、データベース関係モデルを創造した。他にも情報工学に数々の貢献をしているが、関係モデルはデータ管理の一般理論として大きな影響を与え、彼の最大の業績と言われている。

[編集] 生涯

コッドはイギリスドーセット州ポートランドで生まれた。オックスフォード大学エクセター・カレッジで数学化学を専攻する。第二次世界大戦ではイギリス空軍パイロットとして参戦した。1948年アメリカ合衆国ニューヨーク州に移住し、IBMプログラマとして就職した。1953年上院議員ジョセフ・マッカーシーの許可を得てカナダオタワに移住。10年後アメリカ合衆国に戻り、アナーバー (ミシガン州)ミシガン大学情報工学博士号を取得。2年後、サンノゼ (カリフォルニア州)に移り、IBMのアルマーデン研究所に勤務するようになった。

1960年代から1970年代、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、1970年 "A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks" (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)。しかし、IBMはライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。

当初、IBMはIMS/DBの収益を守るため、関係モデルを実装することを拒んだ。コッドはIBMの顧客に自身のモデルを実装した場合の可能性を提示し、顧客からIBMに圧力をかけさせた。そこでIBMは System Rプロジェクトを立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論に精通した者はチーム内にいなかった。結果として彼らはコッドの Alpha 言語を使わずにリレーショナルでないSEQUEL言語を開発した。とはいえ SEQUEL は以前のシステムより優れていた。ラリー・エリソンは SEQUEL 完成前に発表された論文に基づいて Oracle を完成させ先に発売している。IBMは、SQL/DS を発売した。なお、SEQUEL という名前は既に他で使われていたので、SQL に改称した。

コッドはクリス・デイトと共同で関係モデルの拡張と開発を続けた。関係の正規化 (正規形) の一種であるボイス・コッド正規形には彼の名が刻まれている。関係モデルは1980年代に隆盛期を迎え、コッドはしばしば古いデータベースに関係モデルをちょっとだけ導入したような悪質なベンダーと戦うキャンペーンを展開しなければならなくなった。そのキャンペーンの一環でコッドの12の規則を公表し、リレーショナルデータベースを定義した。彼のキャンペーンはSQL言語にもおよび、コッドはこれを彼の理論の間違った実装であるとした。このためコッドのIBM内の立場は難しいものとなり、コッドはクリス・デイトらと新たなコンサルティング会社を設立した。

1993年には Providing OLAP to User-Analysts:An IT Mandate を発表。データウェアハウスデータマイニングの隆盛に影響を及ぼした。OLAP という用語はコッドが作ったもので、Online Analytical Processing に関する12の法則も公表した。しかし、そのホワイトペーパーについて、あるソフトウェアベンダーが資金提供していたことが明らかになると、法則は業界から疑問視されることになった。彼は関係モデルをデータベース設計にまで拡張し、RM/T(Relational Model/Tasmania)を発表した。コッドはセル・オートマトンの分野でも貢献している (コッドのセル・オートマトン) 。

1981年、コッドはチューリング賞を受賞した。

2003年4月18日、エドガー・F・コッドはフロリダ州ウィリアムズ・アイランドの自宅で心不全で亡くなった。79歳。[1]

[編集] 参考文献

[編集] 関連項目