プログラマ
プログラマ(programmer)とは、コンピューターのプログラムを作成する人全般を指す。プログラマーとも表記される(#プログラマに対する呼称参照)。
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[編集] プログラマの仕事
プログラミングは、論理的な思考や発想が要求される作業であり、僅かな間違いでもバグなどを生むことがあるため、緻密さと根気も要求される。
プログラムの作成にあたっては、実際にプログラムを記述するコーディング以外にも種々の作業が必要とされる。
また、プログラムを作成する能力は、プログラムの作成のみならずコンピューターを使いこなすためにも必要とされるので、プログラマに任される仕事は単にプログラムの作成だけではない。
以下に、プログラマの仕事としてみなされることの多い作業を挙げる。企業によっては、以下の作業を分担して行うこともあり、その場合は適した名前で呼ばれることが多い。
- プログラムの作成
- プログラムの導入
- 配置(デプロイ、deploy)
- 設定(コンフィグ、configuration)
- プログラムの利用
- プログラムの分析
- プログラムに関する文書の作成
- ユーザマニュアルの作成
- プログラム解説書の作成
[編集] 他の職種との境界
日本の、特にソフトウェア受託開発業においては、しばしばプログラマという語はシステムエンジニア(SE)という職種との対比で用いられる。システムエンジニアがシステムの設計を行うのに対し、プログラマは設計に基づいて実装のみを行うという意味を含んでいる。
ただし、ソフトウェアの分野では、設計方式が確立されていないこともあって、設計が実装レベルの作業に委ねられていることも多い。そのため、一人の技術者がプログラマおよびシステムエンジニア双方の領域にまたがる作業を行うことも多く、その境界は曖昧になっている。結果としてプログラマは、システムエンジニアと同義と捉えられることがあり、どちらを名乗るかは、本人や所属企業の任意による面もある。
同様に、プログラマは、職務内容によってディベロッパー、ITエンジニア、ソフトウェアエンジニア、アーキテクト、ITアーキテクト、エンタープライズアーキテクトと呼ばれることや、そのような肩書きと同一視されることもある。
[編集] 歴史
[編集] 歴史の始め
史上初のプログラマは、詩人バイロンの娘、 エイダ・ラブレス(ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング・1815-1852)であるとされる。彼女はチャールズ・バベッジが作成した解析機関のオペレータであった。プログラミング言語Adaは、彼女の名前に因んで命名された。
[編集] 1940年代
1940年代に入り、初期コンピュータが登場しはじめると、人手では時間がかかり過ぎる科学的計算に使用された。その際、計算内容の変更に伴い回路変更が必要であったが、その作業は急速に増大していく。この頃は、プログラマとハードウェア設計者との区別は難しく、どこからがプログラマでどこからが回路設計者かは議論あるいは解釈の余地があるが、回路変更作業の増大と高度複雑化に伴い、徐々にプログラマと呼べる存在が確立していった。仮に、回路設計の変更をもってプログラミングとするならば、設計図を変更し、半田ごてを持ったり、ケーブルの差し替えを行う事が初期プログラマの仕事となる。あるいは、回路設計業務から離れ、スイッチのオンオフをもってプログラムと考えることも可能ではあるが、それらをハード設計の仕事とみなせば、プログラマの登場とは回路変更を行わずにコンピュータの処理内容変更が可能となり、入出力装置が発展してからである。
1944年にハワード・エイケンによってコンピュータ用穿孔機(せんこうき)と読み取り機が発明されると、紙によるプログラムの提供が可能となる。1945年にフォン・ノイマンによりプログラム内蔵したコンピュータが発明されると、目的別に回路変更を行う煩雑さから開放されていくようになり、これら以降、ハードウェアとソフトウェアがそれぞれ分立していくようになる。ただし、この頃のプログラマは、ハード設計者と同一である事も多く、また職業としては数学者と記載される事が多い。この頃のプログラマとして前記エイケンの元(ハーバード大学エイケン計算研究所)にいた、グレース・マレー・ホッパーがいる。
[編集] 1950年代
1950年代に入ると、プログラミング言語が登場してくる。アセンブリ言語がこの頃登場し長らく使われた他、より人間が使用する言語に比較的近い高級言語も生み出された。前述のホッパーが1952年(あるいは言語として完成した1957年)にコンパイラを発明した。より完成度が高いコンパイラとしてはジョン・バッカスが1954年(あるいは1958年)に開発したFortranが登場し、また、ホッパーは自らのコンパイラを発展させたCOBOLを1959年に開発した。これらをもって、より人間に近いプログラミング言語の登場となり、プログラムの記述も属機械的な数字の羅列あるいは単調な穿孔機による紙へのパンチ、穴の有無から、より人間の言語に近いコードとなっていき、ほぼ同時期に登場したトランジスターによるコンピュータの集積回路化にあわせ、ソフトウェアーとハードウェアの分立がより明確化していく。それに従い、専業としてのプログラマが登場してくる。なお、余談だが、ホッパーはプログラミング言語部門責任者として海軍に復帰所属し、特例措置的に少将まで昇進しており、海軍は彼女の死後、その功績を称えて米海軍イージス艦(アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦)にホッパーと名付けた。彼女は、数学者・コンピュータ科学者・軍人と記載される事が多いが、プログラマとして見れば、おそらく初めて軍艦に名付けられたプログラマであろう。
[編集] 1960年、70年代
1960年代には、行政手続の際職業欄にプログラマと記述し窓口に拒絶された話が残っている。この頃は、1952年に商用コンピュータをIBMが発売して幾分経過したとは言え、多くのプログラマは国防関係の機関所属であったり、学術研究機関所属である場合が多く、社会的にプログラマとして認知されていたわけではなかった。プログラミング言語の登場とコンピュータの高度化により、プログラミング処理の幅が広がってくるに従い商業利用へ拡大していくと、さまざまな企業ニーズに合わせプログラマとしての企業雇用が増えてくる。また、IBMの701シリーズからオペレーティングシステム(OS)が本格的に普及し始めた事により、「ハードウェア」・「ハードウェアを操作するOS」・「OS上で稼動するソフトウェア」の分立が始まる。これらにより、プログラマは機械従属的な操作や基盤部分開発から徐々に開放され、より創造的なソフトウェア構築にシフトして行くことになる。
1970年代に入ると、パーソナルコンピュータが登場するようになり、それに伴い、パッケージソフトウェアの開発が盛んになってくる。また、コンピュータ処理能力も増大し、商用利用以外にも、ゲームなどの娯楽部門にも転用されるようになってくる。コンピュータの多分野進出すると、それに伴い徐々に社会的に職業としても認知されるようになってくる。これらの結果、1970年代後半に入ると様々な需要に即したプログラミング言語・OS・コンピュータメーカの乱立が始まり、一種の戦国時代とも言える状況が出現すると、増大する需要にともないプログラマの深刻な不足が問題化した。この頃の主要プログラミング言語はアセンブラ・COBOL・Fortran・BASICそして1973年に登場したC言語であり、また、その他膨大な数のプログラミング言語が登場しては、消えていった。また、スーパーコンピュータ・メインフレーム・オンラインシステム・ワークステーション・パーソナルコンピュータ・マイコン・工業用ロボットなどの組み込みシステム・ゲームなどの様々なカテゴリ分けも発生していき、プログラマ達はそれぞれに特化していくようになる。
[編集] 1980年、1990年代
1980年代に入るとパーソナルコンピュータの爆発的普及が始まり、プログラマの中には自らのアイデアを商品化し巨万の富を得るものが出てくる。それに伴い、ソフトウェア産業という区分が発生し、企業単位でプログラム開発に業務特化したものが続々と登場してくるようになる。この頃をさして(プログラマの)黎明期と呼ばれ、無数のパソコンメーカ、ソフトウェアハウス、膨大な数のソフトウェアが開発されるようになり、さらに苛烈な競争時代へと突入していく。
1990年代に突入すると、あらゆる分野にコンピュータが進出するようになる。また、プログラマであるビル・ゲイツが1993年にフォーブス誌の世界長者番付一位となるとプログラマという職業が完全に社会的認知を受けるようになってくる。それまで、商用ソフトウェアを一人のプログラマが設計していた事例も見受けられていたが、ソフトウェア開発の巨大化に伴い、一人もしくは少数のプログラマによる開発が難しくなり、より大人数、組織化した開発プロジェクトが標準化してくるようになる。それに伴い、それまでプログラマの役割も分科されるようになり、ソースコードを記述するプログラマと、その設計および指示を行うシステムエンジニアに分かれてくるようになる。
また、それまで属人的に行われていた(いわゆる脳内での思考)設計も、書類化するようになり、仕様書による分担作業とプログラマの仕事は変質していく。これらは、より大規模な軍需産業などであれば1970年代から見られた状況だが、ほぼ職業プログラマ全域に広まるのはこの頃である。その為、プログラマの上位概念あるいは、分立職業者としてシステムエンジニアを重視する風潮が生まれた。なお、この頃ビルゲイツが「自分はシステムエンジニアではなく、プログラマである」と発言している。
ほぼ同時期に、ネットワーク技術向上に伴い、パソコン通信あるいはインターネットが登場してくるようになると、これまでと違った個人活動的プログラマが登場してくるようになる。個人でプログラムを行い、それらをネットワークを使って有償もしくは無料にて配布するシェアウェアプログラマあるいはフリープログラマである。また、本来見ることができない内部を見るハッカーなども登場してくるようになる。
[編集] 2000年代以降
1990年代末以降、パソコン分野での競争が一段落し、パソコン業界でのOSはWindowsが主流に、プログラミング言語はC言語の派生言語(主なものはC、Java、C++、C#、Objective-C)が主流となった。反面、サーバ、リッチクライアント、組み込みシステムなどデスクトップコンピュータ以外の市場が著しく拡大し、開発環境は多様化している面もある。ネットワーク・コンピューティング、クラウドコンピューティング分野の新たな需要にこたえる形で、オープンソース系UNIXやサーバサイドプログラミングが広がり、JavaScript、Rubyなどの簡易なスクリプト言語が普及した。高機能な組み込みオペレーティングシステムを搭載した携帯電話などの組み込みシステムの出現により、組み込み分野でもオブジェクト指向など大規模な汎用システムで培われた開発手法が広く使われるようになった。
また、プログラムはさらに巨大複雑化し、必要な知識も個人ですべて把握するのは不可能な量となった。そのため、プログラマはより狭く深い部分に特化する事例が多い。これら複合要因により、同じプログラマと言ってもある部分だけは詳しいが他の分野は把握していない事も多く、システムの全体を把握しようにも、もはや人間の記憶限界を超えた分量であるため事実上不可能である。コンピュータはあらゆる生活の基盤に無くてはならないものとなったために、プログラマに課せられた社会的責任は増大しつつある。
[編集] 文化
プログラマにはさまざまな職制があり、組み込み系開発、基幹系業務開発、データベース系開発、Web開発、研究開発ではそれぞれ、まったくといっていいほど文化や労働形態や仕事内容が異なる。
[編集] その他
[編集] 苦労・残業
プログラミングには十分な計画性と入念な設計が必要とされる。しかし、プログラマがそれらを満たす作業を行っていても、状況次第で仕様変更が行われたり不具合が判明することにより、長時間作業をしなければいけない場合もある。
また、ソフトウェアに不具合が発見された場合、深夜残業や休日返上での修正作業をせざるを得ないこともある。
企業により様々ではあるが、日本ではプログラマは残業が多い職種の一つで、午前様になる事も珍しくない。近年では「デスマーチ」とも呼ばれる破滅的プロジェクトに巻き込まれてしまった技術者が心身を壊し、病気休職や退職、職場からの失踪、ときには自殺や過労死にも至るケースも報告されており問題視されている。
残業が多い職種であるが、労働基準法に違反して、サービス残業を強いられているケースも多い。場合によっては、時給換算した給料が、最低賃金法に基づく基準をクリアしないこともある。
一定の業種から見たプログラムとは、コピー&ペーストだけでプログラムが完成するもの、と考えている者がいる。工数・品質の観点からコピー&ペーストでコーディングが出来るのが理想であるが、パフォーマンスや細かいチューニング、仕様を満たすためにはコピー&ペーストのみで作業するのは実際には難しい。コピー元のソースコードにバグが含まれていた場合(※常に含まれる、と考えるべきである)、そのバグ部分をシステム全体に撒き散らすことになる。又、仕様変更があった場合、コピー&ペーストした部分のコード全てが影響を受けるケースもあり、かえって修正の手間が増大することとなる。従って、コピー&ペーストは長期的に見た場合、寧ろ生産性・品質を損なう行為であり、そのような方法でプログラムが出来上がると考えるのは大きな間違いである。
[編集] 教育
品質や残業の発生など、プログラミングに関する問題について、多くのプログラマがオブジェクト指向、エクストリーム・プログラミング、アジャイルソフトウェア開発などのソフトウェア開発理論や、形式手法、品質工学といったソフトウェア工学を熟知していないことが原因であるという見方がある。しかし、日本では、このようなソフトウェア工学を修得する機会や研修期間、社内教育が用意されない企業も少なからずあり、企業のソフトウェア開発に対する認識が甘いのではないかという指摘もある。
また、大学など先端教育機関でのコンピュータサイエンスや情報工学、情報科学の研究成果が生かされていないことも指摘されている。現在の日本においては、募集・採用の際に求人広告や会社説明会・面接などで、「学歴・資格なんか関係ない」「大学は何も役に立たない」「ただ技術があるだけの理系は意味がない」「コミュニケーション能力が重要だ」「プログラミングは誰でも出来る」と言い切る経営者・採用担当者も少なからずおり、情報工学に関する専門教育を受けたかどうかによる初任給の差も少ない。
これは日本の大学が情報~学部と言う名称の学部であってもその多くがプログラミングに関する授業数や演習の数が他国の情報系のそれに比べて少ない傾向にあり、学ぶ内容もアカデミックなものに拘りすぎているからという批判がある。このような大学での情報工学の専門教育を軽視する背景には、銀行で会計・金融システムのソフトウェアやATMを担当する銀行員やITベンチャー企業経営者には大学などで情報工学の専門教育を受けていない文系出身者や大学中退者なども多く、学歴・資格や大卒に対するコンプレックスや偏見、誤解を持っている者も多いからと主張する者もいる。
大学等の専門教育が必ずしもソフトウェア開発の銀の弾丸にはならないことは事実だが、それらが全く無駄とは言い切れないことも事実である。顧客や経営者、マネージャの判断や行動等により、プロジェクトによって活かせる技能・知識に幅が出ることも、プログラマに必要な技能や知識は何かという問いを難しいものにしている。特に、フレームワーク、デザインパターン、アルゴリズム、イディオムの効果的な実装に関しては、発想の柔軟さというものが切に求められる分野の職業でもある。そのためプログラマの能力によっては、実質的な仕事量が人によって数倍以上の開きを持つことも決して珍しくない。
なお、欧米では学歴に関しては状況が逆で、学歴と待遇が比例している。例えばマイクロソフトやグーグルといったソフトウェア業界の大企業では名門校出身者や高学歴保持者を特に優先して採用するのが一般的であるほか、ベンチャー企業や中小企業でも、ジョエル・スポルスキのように、優秀な人材を確保したければ優秀な大学で採用活動をすべき、と明言している経営者が多い。またインドや中国でも、IITといった名門大学で情報工学を学んだ技術系出身者限定でプログラマを募集しているのが、大手企業の採用慣行となっている。
[編集] 請負形式
日本のソフトウェア業界では、どれだけの機能を提供するかではなく、予想される工数はどれだけかを元に費用を算出して、請負形式で仕事をすることが多い。 そのため、ソフトウェアに対する適正な価格が市場に定着していないような分野では、各種要因によりたまたまソフトウェアを予定よりも早く完成させた場合に、経営者や顧客から「何だ、そんなに早くできるんじゃないか。それだったら次回からは納期を短くしてコストを下げても良いだろう」といった、請負形式ならではの値下げ圧力がかかることがある。
また、契約上は請負でも、実際には派遣として作業を行っている場合があり、他業種同様に偽装請負を指摘されることがある。複数の会社が間に入るため、労働者の安全管理や労働者の品質の保証などに対する責任の所在が曖昧になってしまうことから、前述したような長時間残業や心身の故障に対する対処が遅れたり、会社間の契約トラブルが発生しやすい。労働者にとってメリットがあるとは言い難い契約形態である。
偽装請負や多重派遣を指すスラングとして、単に人材を他社に送り込むことで中間マージンを搾取することから「人売り」(人売りIT、人売り企業)、面談場所にたどり着くまでの間に営業担当者から他社の営業担当者へと次々と引き渡され連れ回されることから「ドナドナ」(ドナドナされる)などが存在する。
[編集] フリープログラマ
個人事業主(フリーランス)のプログラマや、独立して起業しながらプログラマ作業を行うケースも増えている。直接仕事を顧客から引き受けるため、責任負担は増大するものの、作業量や時間を調節でき、経費を効率よく使えば、一般的な被雇用プログラマより年収も確保できる。ただし、相応のスキルと営業力がないと継続して仕事を獲得するのは難しい。また近年のセキュリティ重視傾向の影響で、大手企業を中心に「フリーランスお断り」の風潮が浸透してきており、このような場合は大手の下請けか孫請け(もしくはそれ以下の下請け)を経由して、フリーランスのプログラマが仕事を請けるケースも散見される。
[編集] 作家としてのプログラマ
革新的で高度なソフトウェアのうち多くの利用者に愛用されるソフトウェアは作品としての価値を有する。そのような有名ソフトウェアを作成するプログラマはハッカーあるいはソフトウェア作家と呼ばれる。プログラマーの一覧には日本の著名なプログラマが記録されている。職業プログラマにとって、広く使われる有名ソフトウェアを作成することは大きな夢である。
[編集] 日本以外のプログラマ
アメリカでは多くの場合、広い机や部屋を用意されて、そこで開発ができるため、狭い部屋や机に囲まれている日本のプログラマよりもストレスが溜まりにくく、そのぶん開発効率も高く、給料も高い。また、職務定義書が明確にされていることが多いため、技術を知らない社内の人から余計な雑用を頼まれることも少ない。まず大半の日本人には無関係であるが、亡命もしくは移民する際、職業がプログラマであると(スキルにもよるが)優遇されるケースも存在する。非公式情報ではあるが、弁護士と同等の優遇措置を執り行う国家もあり、プログラマを経済成長に影響する高度技術者として重視している国家もある。反面、日本においては使い捨て労働者として扱うような風潮が今でもある。これら社会的な取り扱いの差は、アメリカ初期プログラマ(1960年代~1970年代前半)は国防関係もしくは、研究機関におけるプロジェクトから始まっており、博士号を取得した後にプログラマになるという事例が多かった為である。1970年代前半までプログラマと言えば、「白衣を着ており、近寄りがたく、どこかの研究所に勤めている」がアメリカでのイメージだった。ビルゲイツがアメリカで最初に有名になったのは、研究者然とした白衣を脱ぎ捨てジーンズとTシャツを着たプログラマとしてであり、そのソフトではなく、スタイルからであった。それから見ても分かるとおり、日米でプログラマに対するイメージや社会的取り扱いは大きく差があるが、近年都道府県警察がハイテク犯罪捜査官を中途採用する場合、高度情報処理技術者は初任警部補扱いを行うなど徐々に変わりつつある。
[編集] プログラマ定年説
プログラミング技術は進歩が激しく、技術の陳腐化も著しいため、常に新しい技術に目を向け習得していくバイタリティや、場合によっては永年の努力によって培ってきた技術を捨て去る柔軟性が必要である。また、年功序列的賃金体系のもとでは、高年齢のプログラマはコストが高すぎると考える企業がある(特にプログラミングを単純作業と考える企業に多い)。俗にIT土方とも呼ばれデスマーチとなった場合は徹夜が続いたり体力が必要となってくる。そのため、プログラマとしての限界は30~35歳前後であるという説が存在した。これは「プログラマ35(30)歳定年説」と呼ばれる。現在では経験豊かなプログラマにも一定の需要があり、プログラマ定年説はもはや過去のものとなっているが、コストの観点からは、一定年齢に至ったプログラマに、より単価の高いシステムエンジニアや営業へ転向がすすめられることがある(参考:SEと記者,どちらが短命?、36歳になって思う「プログラマ35歳定年説」)。
なお、NT開発者で知られるマイクロソフトのデヴィッド・カトラーは60歳超えてもソースコードを自ら記述しており実例からもアメリカにおいては35歳定年説は否定されている。ただし、パソコン黎明期といわれた1980年代のアメリカにおいては、30歳までに巨万の富を稼ぎ、そのまま引退する事例も多い。(HyperCard の開発者ビル・アトキンソンなど)対して、日本では、長時間労働、下流工程での賃金の頭打ちなどにより35歳定年説がささやかれている。[1]
[編集] プログラマの三大美徳
ラリー・ウォールによれば、プログラマの三大美徳とは
- 無精(Laziness)
- 短気(Impatience)
- 傲慢(Hubris)
との事。これはプログラマに必要とされる、効率や再利用性の重視・処理速度の追求・品質に賭ける自尊心をいったものである。
[編集] プログラマに対する呼称
[編集] 「プログラマ」あるいは「プログラマー」
長音符(ー)をつけるかどうかは、厳密な決まりはなく、人によりまちまちであるとされている。ただし、電子情報学会などの学会論文の命名規約では一応「プログラマ」と書くとされている。マイクロソフトも「プログラマ」の表記で統一していたが、2008年7月に、より自然な発音に近い「プログラマー」の表記に変更することを発表した[2]。
[編集] 「アマグラマ」あるいは「日曜プログラマ」
プログラミングを、仕事としてではなく、趣味の創作活動として楽しんでいる者も多い。プログラミングを行う非職業プログラマのことを、アマグラマ、趣味グラマ、日曜プログラマ(サンデープログラマ)、などと呼ぶこともある。
[編集] コーダー
日本ではプログラマーというが、海外ではプログラムコードライター(Program code writer)、略してコーダー(coder)といい、プログラムコードを書くという表現を使う。しかしながら日本ではプログラムを作るとかプログラムを組むという表現を使う。
[編集] 格差社会におけるプログラマ
社会全体の構造が著しく二極化を進める中でプログラマという名乗りの位置づけも以下のように二極化している。しかし特に当事者である資本家たるプログラマにはその意識は薄く、労働者たるプログラマが35歳定年説を語る必要が生じる多くの理由は、こういった双方のミスマッチに由縁する。
元来、技術者の世界とは三度の飯より技術が好きでなければ務まらない世界であり、2000年代に生じた資本家たる経営者(自称プログラマ)による意識改革によって、こういった精神や技術者としての真髄を見失った労働者たるプログラマが、未だにその時代の混乱を引きずったままに資本家たるプログラマとして自称する傾向や、それを目指す傾向や、この世界に対する全くの素人が身近にいる労働者たるプログラマを資本家たるプログラマ然とした存在に出世させようという筋違いな現象も未だに続いているが、その間に失われた国内のソフトウェア開発従事者の将来性を含めた莫大な人的資源ははかりしれない。
労働者たるプログラマが、何がしかの縁故や学歴に伴い、少なくとも大手企業の技術系の社員である間は、たとえ労働者たるプログラマであったとしてもその姿を資本家たるプログラマ同然に見せる事は可能ではあるが、実態としては資本家では無い為に、その地位や待遇は薄氷である条件の下に資本家たるプログラマから常に管理されたるものであり、虎の威を借りただけに過ぎず、技術者としての真価は常にお蔵入りとされた存在として扱われるのは、歯車としての労働者に対して期待される社会的合意を以って当然と評すべきである。
概ね労働者たるプログラマは派遣業を中心的な事業として営む中小企業や人材派遣会社に所属し、適宜資本家の求めに応じて流動的に所属先や肩書きを自在に変化させる事を要求されるが、その求めに応じる限り、ある一定の財産の形成や家族の形成を含めた将来性は約束されるが、生来の身分として資産を形成し資本家として表舞台に出る事は一生涯期待されない身分であるが故に、それを逸脱するような行動がその人物やその人物周辺に顕著に現れた場合はその限りでは無い。
- 資本家たるプログラマ
- 資本家の出身としてそれまでに培われた資産や大手一流企業を中心とした強固な人脈をその太いパイプを遺憾なく活用し、時として技術経営の経営者として起業しメディアの中でカリスマ的位置づけを獲得し、その活躍ぶりが世間に強烈な印象を植え付ける。しかし概ねコンピュータ技術のトレンドに対する理解は深いが、技術者の価値としては程遠く、経営者でしか無い人物がシリコンバレーの巨人とその存在感を混同してもらう為にプログラマを名乗っているケースが大半である。
- 労働者たるプログラマ
- 如何なる職業(例えば、正社員なのか、派遣なのか、請負なのか)に就いた経緯があろうとも、資本家によって頭数の一つとして利用されるがままに生涯を終える。頭数として利用される立場である以上、プログラマ自身のアイデンティティに対する価値は最初から全く期待されておらず、肉体の能力や精神的な意欲の低下が顕著となる30代後半以降の局面を以って職業を継続する事が困難な状況に陥る傾向がある。本来は知的労働者であるべきプログラマが、そのアイデンティティを無視されたままに、年齢や怪我による主に肉体的な能力の低下を理由として簡単に使い捨てられる日本の常識的な産業構造を揶揄する意味でIT土方という言葉や新3Kという言葉はあまりにも有名であり、一般的な学生(労働者たるプログラマ候補)が、学校を卒業後に就職先として選択肢からこの職業を除外する理由の多くは、このような理由に帰結するものであり学生の判断としては正しいが、逆に言うとその時点で技術に対して賭ける情熱が存在しない事を理由にコンピュータ技術に対して主体的に関わる産業から門前払いを受けていると言っても差し支えない。