石川薫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いしかわ かおる

石川 薫
生誕 (1950-11-07) 1950年11月7日(73歳)
日本の旗 東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学法学部卒業
職業 日本国際フォーラム理事、研究本部長
石川良孝(・元特命全権大使)
テンプレートを表示

石川 薫(いしかわ かおる、1950年昭和25年〉11月7日 - )は、日本外交官

外務省経済局長、エジプト駐箚特命全権大使、カナダ駐箚兼国際民間航空機関日本政府代表部在勤特命全権大使などを歴任。現在は公益財団法人日本国際フォーラム理事[1]・研究本部長[2]、一般社団法人日本外交協会理事。

来歴[編集]

東京都出身。1971年(昭和46年)東京大学法学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格。1972年(昭和47年)東京大学法学部を卒業、外務省入省。1973年-1974年フランスポワティエ大学留学[3]1974年-1975年フランス国立行政学院留学[4]

在外公館では、在エジプト日本国大使館ジュネーヴ国際機関代表部[3]、在ザイール大使館一等書記官在英国日本国大使館参事官を務め、在フランス日本国大使館公使となった。

外務省では、本省にて大臣官房参事官として中近東アフリカ局や経済協力局を担当し、大臣官房審議官として経済局、総合外交政策局国際社会協力部、中東アフリカ局を担当した[5]2002年に総合外交政策局の国際社会協力部にて部長に就任し、その2年後に国際社会協力部が大臣官房に移管された際にも、引き続き部長を務めた。2005年には経済局の局長に就任した[5]

外務省での勤務の傍ら、複数の大学にて教鞭を執っていた。1992年から1994年にかけて早稲田大学講師非常勤にて務め、2004年から2005年にかけて母校である東京大学の客員教授を務めた[5]。また、大学以外の研究機関にも勤務した経験を持ち、1995年にはイギリス国際戦略研究所リサーチ・アソシエートとなり、2001年には日本国際問題研究所では所長代行や主任研究員を務めた[5]

2007年、エジプト駐箚特命全権大使に任命され、エジプトに赴任した[5]。その後、2010年にカナダ駐箚兼国際民間航空機関日本政府代表部在勤特命全権大使に任命され、カナダに赴任した[5]

人物[編集]

私生活では、夫人との間に二女。趣味はゴルフ音楽、および執筆。座右の銘は、「何事も努力」[6]

家族・親族[編集]

である石川良孝(いしかわ・りょうこう)も外交官であり、第2代トロント総領事としてカナダに赴任している[7]

略歴[編集]

2011年3月23日東北地方太平洋沖地震の犠牲者に対して弔意を表し記帳するカナダ首相スティーヴン・ハーパー(右)と

著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

編著[編集]

同期[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  2. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  3. ^ a b 「未解」のアフリカ 欺瞞のヨーロッパ史観 石川薫
  4. ^ 国際教養大学 教員一覧
  5. ^ a b c d e f 略歴』。
  6. ^ (日本語) 【インタビュー】「人と人の交流を深めることが国と国の強固な関係につながる」石川薫・在カナダ日本国大使在ドイツ日本国大使館―大使略歴-”. e‐Nikka (2010年10月28日). 2011年7月8日閲覧。
  7. ^ (日本語) 【インタビュー】「人と人の交流を深めることが国と国の強固な関係につながる」石川薫・在カナダ日本国大使在ドイツ日本国大使館―大使略歴-”. e‐Nikka (2010年10月28日). 2011年7月8日閲覧。
  8. ^ (日本語) 略歴”. カナダ日本国大使館ホームページ (2010年10月28日). 2011年7月8日閲覧。

外部リンク[編集]

外交職
先代
西田恒夫
日本の旗 国際民間航空機関日本政府代表部
特命全権大使

2010年 - 2013年
次代
奥田紀宏
公職
先代
佐々江賢一郎
日本の旗 外務省経済局局長
2005年 - 2007年
次代
小田部陽一
先代
(新設)
日本の旗 外務省大臣官房
国際社会協力部部長

2004年 - 2005年
次代
神余隆博
先代
高橋恒一
日本の旗 外務省総合外交政策局
国際社会協力部部長

2002年 - 2004年
次代
(廃止)
先代
齋藤泰雄
日本の旗 外務大臣秘書官事務取扱
1993年 - 1994年
次代
山本忠通