柿坪正義

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柿坪 正義 (かきつぼ まさよし)は、日本外交官外務省情報文化局長や、国連大使、駐アラブ連合共和国大使、駐スイス大使、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した。勲一等瑞宝章受章。

人物・経歴[編集]

兵庫県加古川市出身[1]日東紡績会長を務めた柿坪精吾は弟[2]。姫路市立姫路商業学校(現兵庫県立姫路商業高等学校)在学中、同級生の黒田俊夫(のちに日本大学人口問題研究所名誉所長)とともに東京商科大学(現一橋大学)進学を目指し[1]、同大に進学。大学在学中文官高等試験に合格し、1932年に中退し外務省に入省した。ケンブリッジ大学留学や、大東亜省南方事務局事務官等を経て、第二次世界大戦後は外務省情報文化局長、国連政府代表部大使、駐パキスタン特命全権大使、駐アラブ連合共和国特命全権大使、駐スイス特命全権大使、国連アジア極東経済委員会研修所長、国連アジア経済開発研修所長等を歴任した[3][4][5]。1978年勲一等瑞宝章受章[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b 「姫商の歴史」兵庫県立姫路商業高等学校
  2. ^ 人事興信録 28版
  3. ^ 「柿坪正義」共同通信
  4. ^ 「名録第30巻 - 長崎県立長崎図書館」長崎県
  5. ^ 「ネタジに近侍したころの思い出1995年5月31日 元光機関員ネタジ専属連絡員 根岸忠素」財団法人国際平和協会
  6. ^ [1]