「真矢 (ドラマー)」の版間の差分

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* LUNA SEA真矢の[[G1 Grouper]]([[TOKYO FM]] 、1997年4月 - 1997年9月)
* LUNA SEA真矢の[[G1 Grouper]]([[TOKYO FM]] 、1997年4月 - 1997年9月)
:: LUNA SEA真矢の[[DEEPER STREET]](TOKYO FM、1998年4月 - 9月)
:: LUNA SEA真矢の[[DEEPER STREET]](TOKYO FM、1998年4月 - 9月)
* LUNA SEA 真矢の深夜の課外授業([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、2000年4月 - 9月)
* LUNA SEA 真矢の深夜の課外授業([[TBSラジオ]]、2000年4月 - 9月)


== 脚注 ==
== 脚注 ==

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真矢
真矢 (右) 2010
基本情報
出生名 山田真矢
別名 SHINYA
生誕 (1970-01-13) 1970年1月13日(54歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県秦野市
学歴 神奈川県立伊勢原高等学校
ジャンル ロック
職業 ドラマー
歌手
担当楽器 ドラムス
パーカッション
ボーカル
共同作業者 LUNA SEA
YELLOW FRIED CHICKENz
秋元康
後藤次利
井上鑑
西平彰
公式サイト 公式サイト

真矢(しんや、1970年1月13日 - )は、日本ロックバンドLUNA SEAドラマータレント。ラーメン店「天雷軒」プロデューサー、宝石店「Re:soul」(リソール)代表取締役社長、日本芸術専門学校特別講師。本名は山田 真矢(やまだ しんや)。神奈川県秦野市出身。身長165cm。既婚。3児の父。

来歴

幼少期

  • 1970年 - 1984年、幼い頃より、能楽師の親の影響もあり、早くからに親しむ。一方、祭りにも興味を示し、和太鼓もこなしていた。車で外出する時には能に関する録音を再生し、それを父親が解説していたのが面白かったという。

青年期

  • 1985年 - 1988年神奈川県立伊勢原高等学校に進学。
  • 高校2年生の時、ワルさばっかりして無期停学になった時、その間いいコにしてたら父親がバイクを買ってくれることになった。その時、まだ15歳だったので16歳になるまで待っていたら、文化祭で誰かがバンドやってるのを見て「気持ちよさそうだな」と思い、しかも「周りに女のコがいっぱいいたから、これだ!と(笑)」思い、その夜父親に「バイク要らないからドラム・セットを買ってくれ」と頼んだ。それでドラムを始めたら、最初から「ビビッとくると言うか…味わったことのない気持ちよさだと思って病み付きになった」[1]
  • ロックが特に好きだったわけではなく、「ドラムだけにしか興味なかった」。高校の時は15個ぐらいバンドを掛け持ちして、「コピー、コピー、コピーの毎日だった」ので、自分が好きな音とかを発見する暇もなかった。「リスナーよりプレイヤーで、しゃべるより物を叩いて表現した方が自分を出しやすいんじゃないか」と思ったこともあるが、高校を出てから好きになったドラマーはLED ZEPPELINのジョン・ボーナム[2]
  • 何も勉強などせずにいきなり8ビートや16ビートやダブルストロークロールを叩いていた。基礎練習もなく簡単に叩けたため、「自分は天才だ」と思ったらしい。
  • しかし、ドラムが「好きだから、ちゃんと知りたい」という理由で、高校のときもバイトしながらドラム・スクールに通っていた。基礎を学ぶことによって「安心できたっていう点でよかった」と思っている[3]

LUNA SEA時代

  • 1989年、LUNA SEAとして初ライブを行う。活動初期にはリボンを頭につけるなど、いかにもヴィジュアル系らしい女性のような格好をしていたが、ダイエットがバスドラムの音の破壊力を失わせたことを契機に、容貌へのこだわりを捨てて体重を増やす。
  • 1991年4月、師匠(そうる透)について、1からドラムを見直す。
  • 1992年、LUNA SEAがメジャー・デビューを果たす。
  • 2000年、12月26日・12月27日の両日に東京ドームで行われたラストライブをもってLUNA SEAが終幕する。
  • 2007年、12月24日に東京ドームで一夜限りのLUNA SEA復活ライブを行う。

ソロ活動時代

  • 1997年、活動休止中にソロ歌手としてデビュー。椎名へきるとデュエットを行う。
  • 1997年西城秀樹ROCKトリビュート南十字星、歌唱参加。
  • 1999年中頃、パール楽器製造と契約。The Millennium Eveにて新セット黒蝶を披露。2000年、START UP GIG2000にてもう一つの新セット赤蝶を披露。5月12日にアイドルグループ・モーニング娘。の元メンバーで、タレントの石黒彩と結婚。同日は石黒の22歳の誕生日でもあった。シグネチャーモデルのドラムスティックを発売。
  • 2001年、ソロ活動を本格的に開始する。この年の11月のGROOVE DYNASTY 2001にて突如多点セットへと原点回帰。大黒摩季吉川晃司などのライブ・レコーディングに主に参加し、数多くのミュージシャンとセッション活動をしている。
  • 2005年、入籍5年を記念し、出雲大社で結婚式を行う。
  • 2009年、3月26日に東京都中野区にあるラーメン店「ラーメン龍」のプロデュースを担当し、新店名「ラーメン天雷軒」として開店する。10月7日より、同店が東日本橋にてリニューアル・オープン。
  • 東京・代官山にある、パワーストーン・水晶・天然石・アクセサリー専門店「Re:soul(リソール)」をプロデュースし、代表取締役社長も兼任している。
  • 2011年GACKT率いる「YELLOW FRIED CHICKENz」のメンバーに加入する。

POTBELLY時代

  • 2005年、ボーカルに沖縄出身のMILKYを迎え、POTBELLY(ポトベリー)として始動する。ミニアルバム『CRASH! CRASH! CRASH!』でデビュー。

人物

性格・嗜好

  • 幼い頃からの祭好きで、自宅に小型の御輿を所有するほどである。
  • 明るい性格で話し上手のため、テレビ番組への出演も多い。フジテレビ系音楽番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』では、お笑い芸人である司会のダウンタウンとトークで互角に渡り合った。また、番組内では「ブーちゃん松本人志、命名)」「悪徳プロモーター」と称されるほど親しまれた。
    また、日本テレビのモノマネ番組[どれ?]では、真矢と同じLUNA SEAのメンバーであるRYUICHIをゲストに迎えた際に内緒で登場し、RYUICHIのマネを披露した。
  • SUGIZO曰く、シャイな性格。結婚の報告もメンバーには直接言わず、スケジュール表に書いて知らせた。また、家では一言も喋らずに代わりに嫁の石黒彩マシンガンのように話すと言う。
  • 右腕いっぱいにタトゥーを入れている。本人曰く「一生モノの洋服」。
  • 高所恐怖症で、絶叫マシンはもちろん、1メートルほどの塀の上に立つだけでも怖がっていた。
  • 車好きで、ジャガーのファン。Eタイプを特に好んでおり、2台所有していた。今まで30台以上も乗り換えており、XKRシルバーストーンフォルクスワーゲン・タイプ2など、外車が中心。
  • テレビ番組の企画で身長の公称は168cmであるが、実寸は165cmであることが判明した[4]
  • TOKIO松岡昌宏曰く「気の良いオッサン」[5]

音楽性

  • そうる透は師匠にあたる。SIAM SHADE淳士は真矢のローディーをしていた時期があり、弟子的存在である[6]
  • 「歌を殺すドラムを叩くのはクソだと思ってる。押さえたようなシンプルなドラムでも自分の持ち味が出せれば、最高・・・そのぶん、ドラム・ソロとかでは別の意味で自分を100パーセント出したくて・・・おカネをかけてしまった(笑)」[7]
  • LUNA SEAの活動初期から中期(アルバム『STYLE』発表前後)にかけては、ツーバスに加えて多数のタムシンバルを並べ、頭上にもタムを設置するなど大掛かりなセットを組んでいたが、後期にはワンバスに少数のタム類など、一転して必要最低限のシンプルなセッティングになった。
  • LUNA SEAのライヴにおいて、空中で回転するドラムセットを使用したパフォーマンスを行ったことがあり、その費用は3,500万円もかかった。当初はドラムセットが前傾するのみだったが、後にはトミー・リーモトリー・クルー)やジョーイ・ジョーディソン(元スリップノット)のように頑丈に固定されたドラムセットが回転する大掛かりなセットで行った。
  • バスドラムの音量・音圧を確保するため、ペダルを踏む際には中央を踏まず、ペダルの端を斜めに蹴り出すように踏むスタイルをとっている(リズム&ドラムマガジンインタビューより)。
  • LUNA SEAのインディーズデビューとなった1991年から1996年の活動休止までエンドースメント契約していたドラムメーカーはヤマハ。ドラムのヘッドに墨汁を塗ってミュートとして利用する奇抜なテストを行ったことがある。1998年に活動再開してからはヤマハとのエンドースメント契約を解消し、ラディックのドラムセットを使用。2000年以降はパールとエンドースメント契約し、現在も継続している。

家族

ディスコグラフィ

シングル

アルバム

  • No Sticks (1997年12月10日、PHCL-5077)

ミュージックビデオ

  • Melody (1997年8月21日、MVVH-3)
  • SHINYA LONDON CALLING (1998年2月)
  • 真矢 直伝 プロ・ドラマーの心得(ATDV-81)

参加作品

発売日 規格 アーティスト名 タイトル 参加曲
1997年7月24日 CD オムニバス 西城秀樹 ROCKトリビュート KIDS WANNA ROCK! 南十字星
1998年9月19日 CD オムニバス Cozy Powell Forever TRIBUTE TO COZY POWELL KILL TH KING
1999年3月17日 CD オムニバス Super Rock Summit ~天国への階段~ MODY DICK -BONZO'S MONTREUX-、WE'RE GONNA GROOVE
1999年6月30日 CD オムニバス SUPER ROCK SUMMIT RAINBOW EYES I SURRENDER、STILL I'M SAD
2001年10月24日 CD オムニバス REACTION Tribute Album Always On My Mind FOLLOW THE SHADOW
2013年9月4日 CD オムニバス DEAD END Tribute -SONG OF LUNATICS- So Sweet So Lonely

サポートしているミュージシャン

出演

テレビ番組

テレビドラマ

ラジオ番組

LUNA SEA真矢のDEEPER STREET(TOKYO FM、1998年4月 - 9月)
  • LUNA SEA 真矢の深夜の課外授業(TBSラジオ、2000年4月 - 9月)

脚注

  1. ^ SHOXX. 音楽専科社. (1992年1月21日) 
  2. ^ SHOXX. 音楽専科社. (1992年1月21日) 
  3. ^ SHOXX. 音楽専科社. (1992年1月21日) 
  4. ^ テレビ朝日 『中居正広の怪しい噂の集まる図書館』2012年9月4日放送
  5. ^ (サイゾーウーマン TOKIO・松岡昌宏、LUNA SEA・真矢は「気のいいおっさん」), 2019年5月21日
  6. ^ 別冊カドカワ 総力特集 LUNA SEA 25th Anniversary
  7. ^ SHOXX. 音楽専科社. (1992年1月21日) 

関連項目

外部リンク