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2017年8月27日 (日) 06:47時点における版
野村藩(のむらはん)は、美濃国(現在の岐阜県揖斐郡大野町)に存在した藩[1]。
概要
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、織田長孝(織田長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野郡野村などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子・長則が嗣子なくして死去したため、無嗣断絶により廃藩となった。その後、江戸時代の大部分を通して大野郡は大垣藩に属した。
明治2年(1869年)、大垣藩主戸田氏共は支藩大垣新田藩の藩主戸田氏良に対し、蔵米3000石の支給に代えて野村など美濃国内から3000石を分知した。氏良は野村に陣屋を構え、大垣新田藩を野村藩と改め、同年の版籍奉還で知藩事に任じられた。明治4年(1871年)の廃藩置県により野村藩は廃藩となり、野村県を経て岐阜県に編入された。
歴代藩主
織田家
戸田家
1万石→1万3000石。譜代(1869年 - 1871年)。
現存建物
総門と役所門が民家に移築されている。
幕末の領地
脚注
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(310ページ)
関連項目
先代 大垣新田藩 |
行政区の変遷 1869年 - 1871年 (野村藩→野村県) |
次代 岐阜県 |