「名所江戸百景」の版間の差分
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Image:100 views edo 043.jpg|43. [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]][[江戸橋|江戸ばし]] |
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Image:100 views edo 044.jpg|44. [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]通一丁目略図<br />(右に描かれているのは[[白木屋_(デパート)|白木屋]]。現在この地には[[日本橋一丁目ビルディング|コレド日本橋]]がある) |
Image:100 views edo 044.jpg|44. [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]通一丁目略図<br />(右に描かれているのは[[白木屋_(デパート)|白木屋]]。現在この地には[[日本橋一丁目ビルディング|コレド日本橋]]がある) |
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Image:100 views edo 045.jpg|45. 鎧の渡し[[日本橋小網町|小網町]] |
Image:100 views edo 045.jpg|45. 鎧の渡し[[日本橋小網町|小網町]] |
2016年5月24日 (火) 15:09時点における版
『名所江戸百景』(めいしょえどひゃっけい)は、浮世絵師の歌川広重が安政3年(1856年)2月から同5年(1858年)10月にかけて制作した連作浮世絵名所絵である。
概要
広重最晩年の作品であり、その死の直前まで制作が続けられた代表作。最終的には完成せず、二代広重の補筆が加わって、「一立斎広重 一世一代 江戸百景」として刊行された。版元は魚屋栄吉。江戸末期の名所図会の集大成ともいえる内容で、幕末から明治にかけての図案家梅素亭玄魚の目録1枚と、118枚の図絵から成る。二代広重の「赤坂桐畑雨中夕けい」も「名所江戸百景」の題名を掲げているが、同シリーズに含めないのが通例である。なお、12.「上野山した」41.「市ヶ谷八幡」115.「びくにはし雪中」は広重死の1ヶ月後に出版されているため、これらも二代広重の筆が入っているとする説が有力である。
何気ない江戸の風景であるが、近景と遠景の極端な切り取り方や、俯瞰、鳥瞰などを駆使した視点、またズームアップを多岐にわたって取り入れるなど斬新な構図が多く、視覚的な面白さもさることながら、多版刷りの技術も工夫を重ねて風景浮世絵としての完成度は随一ともいわれている。その魅力は江戸の人々を魅了し当時のベストセラーとなり、どの絵も1万から1万5千部の後摺りを要したほどだった。反面、多くの後摺りでは色数を減らし、手間のかかるぼかしを省略したため、本来の作品が持つ味わいを損ねることにもなった。
実際に「大はしあたけの夕立」や「亀戸梅屋舗」を模写したゴッホ、「京橋竹河岸」に触発され『青と金のノクターン-オールド・バターシー・ブリッジ』を描いたホイッスラーをはじめ、日本的な「ジャポニスム」の代表作として西洋の画家に多大な影響を与えたシリーズでもある。
江戸は安政2年(1854年)の安政の大地震で被害を受けており、名所江戸百景は災害からの復興を祈念した世直しも意図もあった点が指摘されている。
全118枚の図絵
名所図会類の画題には複数の地名を羅列しただけのものが多いが、これらは適宜、「の」「より」「と」「を望む」などを補って読むとよい[1]。以下に例をあげる。
- 日本橋江戸ばし → 日本橋より江戸橋を望む
- 永代橋佃しま → 永代橋より佃島を望む
- 外桜田弁慶堀糀町 → 外桜田より弁慶堀(桜田濠)・麹町方面を望む
- 鉄砲洲稲荷橋湊神社 → 鉄砲洲より稲荷橋と湊神社を望む
- 高田姿見のはし俤の橋砂利場 → 高田の姿見の橋から俤の橋と砂利場方面を望む
春の部
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1. 日本橋雪晴
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2. 霞がせき
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6. 馬喰町初音の馬場
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7. 大てんま町木綿店
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9. 筋違内八ツ小路
(旧万世橋駅付近) -
10. 神田明神曙之景
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12. 上野山した
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16. 千駄木団子坂花屋敷
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17. 飛鳥山北の眺望
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18. 王子稲荷の社
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19. 王子音無川堰棣
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23. 目黒千代か池
(現在の目黒区立三田公園) -
26. 八景坂鎧掛松
(現在のJR大森駅西口付近) -
28. 品川御殿やま
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30. 亀戸梅屋舗
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32. 柳しま
(現在の墨田区業平5丁目付近) -
38. 廓中東雲
夏の部
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45. 鎧の渡し小網町
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47. 王子不動之滝
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48. 赤坂桐畑
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49. 赤坂桐畑雨中夕けい
(二代目広重作) -
53. 大はしあたけの夕立
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54. 両国橋大川ばた
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58. 亀戸天神境内
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60. 深川八まん山ひらき
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61. 中川口
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62. 利根川ばらばらまつ
(現在の妙見島にあったとされる) -
66. 糀町一丁目山王祭ねり込
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67. 外桜田弁慶堀糀町
(現在の桜田門駅付近から最高裁方面を望む。ここでいう弁慶堀は、現在の桜田濠のこと) -
68. みつまたわかれの淵
(現在の中央区日本橋中洲付近の隅田川) -
69. 浅草川大川端宮戸川
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70. 綾瀬川鐘か淵
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71. 五百羅漢さゞゐ堂
(現在の江東区大島3丁目にあった) -
73. はねたのわたし弁天の社
秋の部
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74. 市中繁栄七夕祭
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76. 神田紺屋町
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77. 京橋竹がし
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78. 鉄砲洲稲荷橋湊神社
(現在の中央区女性センター付近) -
79. 鉄砲洲築地門跡
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80. 芝神明増上寺
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83. 月の岬
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87. 四ッ谷内藤新宿
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88. 井の頭の池弁天の社
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89. 王子瀧の川
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90. 上野山内月のまつ
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91. 猿わか町よるの景
(現在の台東区浅草6丁目付近) -
92. 請地秋葉の境内
(現在の墨田区向島の秋葉神社) -
93. 木母寺内川御前栽畑
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96. 鴻の台とね川風景
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98. 小奈木川五本まつ
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99. 両国花火
冬の部
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100. 浅草金龍山
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102. 浅草田甫酉の町詣
(吉原妓楼より見た風景:背後の森は正燈寺) -
103. 蓑輪金杉三河しま
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104. 千住の大はし
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106. 御厩河岸
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107. 深川木場
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108. 深川州崎十万坪
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109. 芝うらの風景
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111. 千束の池袈裟懸松
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114. 虎の門外あふひ坂
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115. びくにはし雪中
(二代目広重作。現在の銀座一丁目 西銀座ランプ付近) -
116. 高田の馬場
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118. 湯しま天神坂上眺望
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119. 王子装束ゑの木大晦日の狐火
脚注
- ^ 類似のものに古い道しるべがある。道しるべの多くは「を経て」「および」「に至る」などを適宜補って読む必要がある。こうした表記法が江戸時代以前には一般的であった。
参考資料
- メラニー・トレーデ ローレンツ・ビヒラー 『歌川広重 ─名所江戸百景 浮世絵太田記念美術館─』 タッシェン・ジャパン、2010年 ISBN 978-4-887-83392-0