「志筑藩」の版間の差分

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2012年2月29日 (水) 11:33時点における版

志筑藩(しづくはん)は、常陸国新治郡志筑(現在の茨城県かすみがうら市)周辺を領した小藩。藩庁は志筑陣屋に置かれた。

概要

慶長7年(1602年)、佐竹氏出羽久保田藩減移封に伴って出羽国秋田県美郷町)より移封となった本堂茂親が、正保2年(1645年)に陣屋を構え、廃藩置県まで本堂氏10代が治めた。但し、石高は8,000石の旗本交代寄合)であり、1万石の大名として諸侯に列したのは第10代親久であった。

また幕末に活躍した新撰組隊士・のち御陵衛士伊東甲子太郎鈴木三樹三郎兄弟は当藩の出身である。

歴代藩主

本堂家

譜代 8,500石→8,000石→10,110石

  1. 本堂茂親
  2. 本堂栄親 - 弟・親澄に500石分与
  3. 本堂玄親
  4. 本堂伊親
  5. 本堂苗親
  6. 本堂豊親
  7. 本堂親房 - 板倉勝清の子。大番頭となる。
  8. 本堂親庸
  9. 本堂親道
  10. 本堂親久 - 2,010石加増され、大名に列する

幕末の領地

明治維新後に新治郡5村(旧幕府領5村、旧旗本領1村)が加わった。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。

関連項目

先代
常陸国
行政区の変遷
1868年 - 1871年
(志筑藩→志筑県)
次代
新治県