1966年フランスグランプリ
レース詳細 | |||
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1966年F1世界選手権全9戦の第3戦 | |||
ランス・サーキット(1954-1972) | |||
日程 | 1966年7月3日 | ||
正式名称 | 52e Grand Prix de l'ACF[1] | ||
開催地 |
ランス・サーキット フランス ランス | ||
コース | 公道コース | ||
コース長 | 8.348 km (5.187 mi) | ||
レース距離 | 48周 400.694 km (248.980 mi) | ||
決勝日天候 | 晴 (ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | フェラーリ | ||
タイム | 2:07.8 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | |
タイム | 2:11.3 (30周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ブラバム-レプコ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | ブラバム-レプコ |
1966年フランスグランプリ (1966 French Grand Prix) は、1966年のF1世界選手権第3戦として、1966年7月3日にランス・サーキットで開催された。
1906年に開催された初のグランプリレースである第1回フランスグランプリから60周年を記念するレースであり、26回目の「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[注 1]。ランスでのフランスグランプリの開催は3年ぶり16回目で、かつ最後となった。レースは全長8.35 km (5.19 mi)のコースを48周する400 km (250 mi)の距離で行われた。
本レースは1959年と1960年のチャンピオンであるジャック・ブラバムが、ブラバム・BT19で優勝した。それは1960年ポルトガルグランプリ以来となる6年ぶり8回目の勝利であり、かつ彼がブラバムチームを設立して以来の最初の勝利でもあり、そして彼の母国オーストラリアで開発されたレプコV8エンジンにとってのF1初勝利であった。ブラバムは、自分の名前を冠したマシンでF1世界選手権レースで勝った最初のドライバーとなった。フェラーリ・312をドライブしたマイク・パークスが9.5秒差で2位、ブラバムのチームメイトのデニス・ハルムが2周遅れの3位となった。
優勝したブラバムは9点を上乗せして12点とし、フェラーリのロレンツォ・バンディーニに2点、BRMのジャッキー・スチュワートとクーパーのジョン・サーティースに3点の差を付け、ドライバーズランキングの首位に立った。ブラバムはここから4連勝を挙げることになり、3度目のチャンピオン獲得へ向けての快進撃が始まった。
レース概要
[編集]フェラーリのエースであったジョン・サーティースは、ル・マン24時間レースでのドライバー起用を巡り、エウジェニオ・ドラゴーニ監督と衝突してチームを去り[2][3]、クーパーへ移籍した[4]。これにより、ロレンツォ・バンディーニがエースに昇格し、新人マイク・パークスが急遽サーティースに代わって起用された[5]。
ジム・クラークは予選走行中、顔面に鳥が激突する事故に遭ってしまう。クラークは事なきを得たが、決勝はペドロ・ロドリゲスに交代した[6]。予選はフェラーリの新エースとなったバンディーニが312/66で2分07秒8(平均時速146.112 mph (235.144 km/h))を出し、ポールポジションを獲得した。クーパーへ移籍したサーティースが2番手、バンディーニの新たなチームメイトとなったパークスが3番手と、フェラーリ勢が元フェラーリのサーティースを挟む形でフロントローを占めた[7][注 2]。
決勝はスタートでサーティースが首位に立ったが、半周もしないうちにメカニカルトラブルに見舞われて戦列を去り[7]、レース前半はバンディーニが首位を快走する[5]。しかし、38周目にスロットルケーブルが破損してしまったため、バンディーニは一旦マシンを止めて応急措置を施した後にピットへ戻ったが、コースに復帰した時には既に優勝争いからは完全に脱落していた[8]。代わってジャック・ブラバムが首位に浮上してラッキーな勝利を得た[9]。ブラバムは1960年ポルトガルGP以来の勝利で、かつ彼自身のチームでF1世界選手権レースを制した最初のドライバーとなった。それはまた、フランスGPのF1世界選手権における最初の開催地であるランスでの最後のレースであった。F1デビュー戦となったパークスはグラハム・ヒルと3位を争い、ヒルのカムシャフトが壊れた時に2位に浮上した。デニス・ハルムは本レースからレプコV8エンジンを搭載したブラバム・BT20を使用して3位に入り、パークスとともに初の表彰台に立った。5位のダン・ガーニーはイーグルで初の入賞を、6位のジョン・テイラーはF1キャリアで初の入賞をそれぞれ果たした。
1950年のチャンピオンであるジュゼッペ・ファリーナは本レースを観戦に行く途中、自動車事故で亡くなった[10]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
- ^1 - クラークが予選で負傷したため、決勝はロドリゲスに交代[6]
- ^2 - ヒルは予選でP261(V8)とP83(H16)を併用し、決勝はP261を使用した
- ^3 - エントリーしたが出場せず[12]
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 20 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 2:07.8 | - | 1 |
2 | 10 | ジョン・サーティース | クーパー-マセラティ | 2:08.4 | +0.6 | 2 |
3 | 22 | マイク・パークス | フェラーリ | 2:09.1 | +1.3 | 3 |
4 | 12 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 2:10.2 | +2.4 | 4 |
5 | 6 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 2:10.9 | +3.1 | 5 |
6 | 38 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 2:12.2 | +4.4 | 6 |
7 | 8 | クリス・エイモン | クーパー-マセラティ | 2:12.4 | +4.6 | 7 |
8 | 16 | グラハム・ヒル 1 | BRM | 2:12.8 | +5.0 | 8 |
9 | 14 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 2:13.3 | +5.5 | 9 |
10 | 32 | マイク・スペンス | ロータス-BRM | 2:14.2 | +6.4 | 10 |
11 | 42 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 2:15.4 | +7.6 | 11 |
12 | 36 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 2:15.6 | +7.8 | 12 |
13 | 2 | ジム・クラーク | ロータス-クライマックス | 2:15.6 | +7.8 | 13 2 |
14 | 26 | ダン・ガーニー | イーグル-クライマックス | 2:17.9 | +10.1 | 14 |
15 | 44 | ジョン・テイラー | ブラバム-BRM | 2:19.2 | +11.4 | 15 |
16 | 4 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | 2:19.6 | +11.8 | 16 |
17 | 30 | ヨアキム・ボニエ | ブラバム-クライマックス | 2:23.5 | +15.7 | 17 |
- 追記
- ^1 - ヒルはBRM・P83で2:09.2を出したが、決勝はBRM・P261を使用するため無効となった
- ^2 - クラークはアクシデントで負傷したため、決勝はロドリゲスに交代(グリッド位置の変更なし)
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
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1 | 12 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 48 | 1:48:31.3 | 4 | 9 |
2 | 22 | マイク・パークス | フェラーリ | 48 | +9.5 | 3 | 6 |
3 | 14 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 46 | +2 Laps | 9 | 4 |
4 | 6 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 46 | +2 Laps | 5 | 3 |
5 | 26 | ダン・ガーニー | イーグル-クライマックス | 45 | +3 Laps | 14 | 2 |
6 | 44 | ジョン・テイラー | ブラバム-BRM | 45 | +3 Laps | 15 | 1 |
7 | 36 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 44 | +4 Laps | 12 | |
8 | 8 | クリス・エイモン | クーパー-マセラティ | 44 | +4 Laps | 7 | |
NC | 42 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 42 | 規定周回数不足 | 11 | |
Ret | 2 | ペドロ・ロドリゲス 1 | ロータス-クライマックス | 40 | オイル漏れ | 13 | |
NC | 20 | ロレンツォ・バンディーニ | フェラーリ | 37 | 規定周回数不足 | 1 | |
NC | 30 | ヨアキム・ボニエ | ブラバム-クライマックス | 32 | 規定周回数不足 | 17 | |
Ret | 16 | グラハム・ヒル | BRM | 13 | エンジン | 8 | |
Ret | 38 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 10 | 燃料システム | 6 | |
Ret | 32 | マイク・スペンス | ロータス-BRM | 8 | クラッチ | 10 | |
Ret | 10 | ジョン・サーティース | クーパー-マセラティ | 5 | 燃料システム | 2 | |
Ret | 4 | ピーター・アランデル | ロータス-BRM | 3 | ギアボックス | 16 | |
DNS | 2 | ジム・クラーク 1 | ロータス-クライマックス | 予選でアクシデント | (13) | ||
ソース:[15]
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- ラップリーダー[16]
- 追記
第3戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ “Motor Racing Programme Covers: 1966”. The Programme Covers Project. 20 October 2017閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 217)
- ^ “ジョン・サーティース:ふたつの世界王者”. The Official Ferrari Magazine(日本語版) (2017年3月13日). 2019年4月20日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 28)
- ^ a b (林信次 1995, p. 19)
- ^ a b (林信次 1995, p. 20)
- ^ a b (林信次 1995, p. 17)
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 218,220)
- ^ (林信次 1995, p. 18)
- ^ “Drivers: Giuseppe Farina”. Grandprix.com. 13 June 2012閲覧。
- ^ “France 1966 - Race entrants”. STATS F1. 2019年4月21日閲覧。
- ^ “France 1966 - Result”. STATS F1. 2019年4月21日閲覧。
- ^ “France 1966 - Qualifications”. STATS F1. 2019年4月21日閲覧。
- ^ “France 1966 - Starting grid”. STATS F1. 2019年4月21日閲覧。
- ^ “1966 French Grand Prix”. formula1.com. 5 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “France 1966 - Laps led”. STATS F1. 2019年4月21日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 118)
- ^ a b “France 1966 - Championship”. STATS F1. 15 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- en:1966 French Grand Prix(2019年3月15日 11:51:29(UTC))より翻訳
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]前戦 1966年ベルギーグランプリ |
FIA F1世界選手権 1966年シーズン |
次戦 1966年イギリスグランプリ |
前回開催 1965年フランスグランプリ |
フランスグランプリ | 次回開催 1967年フランスグランプリ |
前回開催 1965年ベルギーグランプリ |
ヨーロッパグランプリ (冠大会時代) |
次回開催 1967年イタリアグランプリ |