青木忍
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生年月日 | 1968年1月26日(56歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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出身地 | 埼玉県 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大学 | 大東文化大学 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ラグビーユニオンでの経歴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手及び元ラグビー監督。
プロフィール
[編集]- 埼玉県出身。
- ポジションはスタンドオフ(SO)。
- 日本代表キャップは5。
来歴
[編集]大東第一高校時代、1985年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を経験。1986年に大東文化大学(以下、大東大)に入学し、1年次よりレギュラーの座を掴む。そして同年度の第23回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)において、同じく1年生だったシナリ・ラトゥ、ワテソニ・ナモアのトンガからの留学生らとともに、早稲田大学(以下、早大)を決勝で破って、大東大の初優勝に貢献。
1988年度の第25回大学選手権では、明治大学と、決勝で12-12の引き分けながらも2度目の大学日本一を経験。またこの決勝でトライ数の多いチームが日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)に進出できることになったことから、全国社会人ラグビーフットボール大会で初優勝した神戸製鋼と対戦している。
1989年5月28日、秩父宮ラグビー場で行われたスコットランド戦で、日本代表として初のキャップを獲得。当時早大の学生だった堀越正巳とともに、「大学生ハーフ団」を結成したが、28-24でスコットランドを破ったそのメンバーの一員として名を連ねた[1]。
その後、リコーへ進んだ。1991年開催のラグビーワールドカップのメンバーにも選ばれたが、松尾勝博にレギュラーポジションの座を明け渡し、試合に出ることはできなかった。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ザ・ワールドラグビー(大友信彦 編、新潮社、ISBN 4104627011)の26ページ
- ラグビー日本代表激闘の記憶(ベースボール・マガジン社、ISBN 9784583620497)の69ページ
脚注
[編集]- ^ 日本、ウェールズ破る新伝説!/ラグビー - 日刊スポーツ2013年6月16日付