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青木忍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青木 忍
生年月日 (1968-01-26) 1968年1月26日(56歳)
出身地 日本の旗 埼玉県
大学 大東文化大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション スタンドオフ
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
大東文化大学第一高等学校
大東文化大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
リコー ()
代表
チーム 出場 (得点)
 日本 5
更新日:  2015年9月
コーチ歴
チーム
大東文化大学

青木 忍(あおき しのぶ、1968年1月26日 - )は、日本の元ラグビー選手及び元ラグビー監督。

プロフィール

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来歴

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大東第一高校時代、1985年度の全国高等学校ラグビーフットボール大会で優勝を経験。1986年大東文化大学(以下、大東大)に入学し、1年次よりレギュラーの座を掴む。そして同年度の第23回全国大学ラグビーフットボール選手権大会(以下、大学選手権)において、同じく1年生だったシナリ・ラトゥワテソニ・ナモアトンガからの留学生らとともに、早稲田大学(以下、早大)を決勝で破って、大東大の初優勝に貢献。

1988年度の第25回大学選手権では、明治大学と、決勝で12-12の引き分けながらも2度目の大学日本一を経験。またこの決勝でトライ数の多いチームが日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)に進出できることになったことから、全国社会人ラグビーフットボール大会で初優勝した神戸製鋼と対戦している。

1989年5月28日秩父宮ラグビー場で行われたスコットランド戦で、日本代表として初のキャップを獲得。当時早大の学生だった堀越正巳とともに、「大学生ハーフ団」を結成したが、28-24でスコットランドを破ったそのメンバーの一員として名を連ねた[1]

その後、リコーへ進んだ。1991年開催のラグビーワールドカップのメンバーにも選ばれたが、松尾勝博にレギュラーポジションの座を明け渡し、試合に出ることはできなかった。

2009年から2012年まで、母校・大東大の監督を務めた。

関連項目

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参考文献

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脚注

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  1. ^ 日本、ウェールズ破る新伝説!/ラグビー - 日刊スポーツ2013年6月16日付