笠原恒彦

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1948年

笠原 恒彦(かさはら つねひこ、1911年7月18日 - 1989年4月17日)は、日本の元ラグビー選手、俳優。本名同じ。東京市小石川区(現在の東京都文京区)生まれ北海道札幌市育ち。

来歴[編集]

ラグビー選手として現役時代の主なポジションはフルバック(FB)及びファイブエイス(FE)。

北海中等学校(現 北海高等学校)を経て、明治大学(以下、明大)に進学。明大ではラグビー部で活動し、1930年度シーズンから1935年度シーズンまで、6年連続で明早戦に出場した他、同部在籍時代は全ての公式戦(全45試合)に出場した経験を持つ。トライゲッターであるとともに、キッカーとしても明大の得点源選手として活躍した。また、1932年カナダ代表来日試合を手始めに、ラグビー日本代表(以下、代表)としてキャップ6を獲得。そしてキャップ対象試合における総得点33は、後に山口良治が96点を挙げるまで、長い間、代表における1選手の最多得点記録であった。

明大卒業後、日活に入社して俳優となった。

1940年、同年に創部された日本大学フェニックスの初代監督に就任[1]

出演映画作品[編集]

  • 1936年
    • 7月8日 - 日蝕は血に染む 日活多摩川
    • 9月10日 - 彼女の場合 日活多摩川 … 岡本浩二 役
    • 12月31日 - 浴槽の花嫁 日活多摩川
  • 1937年
    • 4月1日 - 母校の花形 日活多摩川
    • 5月6日 - 女よ男を裁け 日活多摩川 … 坂野謙介 役
    • 6月3日 - 真実一路 父の巻 日活多摩川 … 大越 役
    • 6月10日 - 真実一路 母の巻 日活多摩川 … 大越 役
    • 7月29日 - 国境の風雲 日活多摩川
  • 1938年
    • 1月21日 - 大金剛の譜 日活多摩川
    • 5月12日 - 友よ意気高らかに 日活多摩川
    • 6月1日 - 茶房の花々 日活多摩川
    • 7月13日 - アパート交響曲 日活多摩川
  • 1939年
    • 6月22日 - 若い花 日活多摩川
  • 1940年
    • 2月29日 - 暢気眼鏡 日活多摩川 … 山口 役
    • 5月15日 - 歴史 第一部 動乱戊辰 日活多摩川 … 丹羽長国 役
    • 8月8日 - 転落の詩集 日活多摩川
    • 10月17日 - 雑草夫人 日活多摩川
    • 12月12日 - 生活の歓び 日活多摩川
  • 1941年
    • 3月26日 - 幸福の鏡 日活多摩川
    • 8月7日 - 電撃二重奏 日活多摩川
    • 9月4日 - 世紀は笑ふ 日活多摩川 … 林田宣伝部長 役
  • 1942年
    • 3月7日 - 将軍と参謀と兵 日活多摩川 … 同参謀 役
    • 4月16日 - 第五列の恐怖 日活多摩川 … 渡辺伍長 役

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]